ちっちゃなお部屋

ちっちゃなお部屋

私の妙なケガ暦

●私の妙なケガ暦●

私は、ちょっと、いえ、かなりドジで、妙なケガをします。思い出深いケガを記入いたしました・・・・。
なお、高校生の時に、母が私の名前を字画占いしてもらったら、私の向いている職業は「ホステス」だそうです。それと、子どもの時は手足のケガに気をつけるようにと言われたそうです。(って、すでに当時17歳だったぞ!!)ちなみに、母は、「チーママ」が向いているそうです。

人生初の恥を知る
小2・遠足の時川の中に落ちた。みんなの見ている前で、パンツ1枚にされて着替えさせられた。ケガはなかったけれど、乙女心に傷が。。。。

高いところから飛び降りて、踵がジンジン
小6の遠足の時に、高いところから飛び降りたら、アスファルトが硬くて両足の踵がジンジンして1ヶ月近く痛かった。学校から帰ってくると、もう痛くて痛くて。
親に内緒にしていたけど、ひびでも入っていたのかな?そのせい!!??足が少し短いような気がする。現代的でない感じ・・・・。気のせい?遺伝かな?お父さん短足だし。

右足親指打撲
小学6年生の夏。フットベースボールの地区大会の練習を町内の小学生でしていた。私は、高く蹴飛ばすことが出来なかった。低くバウンドして蹴飛ばすタイプだった。高く飛ばすのが上手な子が、「思いっきりボールと地面の境を蹴っ飛ばしてご覧!思いっきり地面を蹴飛ばすの!」とわたしに助言をした。
私は言われたとおり、「思いっきり」「地面を」「蹴飛ばした」。
激痛が右足の親指に走る。涙の出ない痛さ。そのまま足を引きずって家に帰り、即行で母と整形外科へ行った。「親指打撲」と診断・・・。

左腕骨折
中1の5月。中学校のクラブで跳馬に失敗。左腕の、ひじと手首のちょうど真ん中を、骨2本ボキッと折る。割り箸が折れた音がした。
レントゲン撮ったら、折れ口が、右左と向きがギャクだった。
先生曰く「いやー。よく突き出なかったね。突き出てもおかしくなかったよー。」
しかし、急患の私のために、先生は「地獄の黙示録」の公開最終日を見損なったと嘆いていた・・・。

足の親指詰める
高2の夏。文化会館の大扉に足の親指を詰めて、爪が割れた。
ぼけっとしていて、足を引くのを忘れて、開き扉を閉めたのが敗因。

同じく足の指詰める
大学1年。結婚披露宴会場のバイトをしていて、「失礼致します」と、会場の扉を閉めた時に、またしても、右足を引くのを忘れていた。以前のケガの時に病院でもらった「イソジンゲル」を塗って、自分で治療。

リーガルのローファーで靴づれ
大学2年。新品のリーガルのローファーは、拷問のように硬かった。
靴下を履けばよかったのに、ストッキングで、大学の分校の坂道を登る。
帰りには、両踵の皮がめくれてもう靴をはくと痛くて・・・。
誰もいないのを見て、途中くつ脱いで駅まで歩く・・・。

ボーリング場で感染?
大学2年。靴づれの直りかけの足で、新入生歓迎ボーリング大会に参加。
が、なんか、足の傷が急に痛くなり、その後歩けなくなり、近くの赤十字病院へ行く。なぞの痛みでした。

左ひじを突く
大学2年。バイトの帰りに、1時間に1本の電車に乗ろうと焦ってプラットフォームを走った!!
そしたら、黄色い点々の上で、ヒールの踵が滑ってすってんころりん。左手を突いたら、ひじをいためた。翌日、左腕が曲がりも伸びもしない状況。またしても、近くの赤十字病院にお世話になる。

左目の角膜糜爛・眼底打撲
大学3年。テニスサークルの練習中に、コートのボールを拾っていたら、隣のコートで遊んでいたギャルと彼氏のペアのギャルが、必死にこっちにきたボールをバックで返した。
しかし、そのバックで打った瞬間、目の前に私の顔があったのだ!!
思いっきり左目を打撲。コンタクトレンズを入れていたので、目が心配だったけど、割れてなかった!!が、海の中を漂うように視界はにじんでいた。
左目は、紫にまぶたが腫れ上がり、眼球は、白目が真っ赤になった。眼科に1ヶ月以上通って、電気を当てたりして治療。白目の赤いのも少しずつ消える。「角膜糜爛・眼底打撲」といわれる。年取ってから、「網膜剥離」になるかもしれないから、目の前に蚊が飛ぶように見えたら、すぐに病院に行くこと。といわれている。えらいことです・・・。


右手人差し指の裂傷
38歳になったばかりの7月。扇風機を移動させようとした時、横着な私は、電源を切らずに、稼働中の扇風機をそのままちょっと動かそうとしました。取っ手を持って、動かした瞬間、「ががが!」と音が!何が起こったのかわかりませんでした。扇風機の後部の持ち手を持った時に人差し指がにぎれていていなくて、そのまままっすぐだったのです。扇風機の柵(網?)の中に、指がすっぱり入りまして、扇風機の羽で指を裂傷しました。急いで引っこ抜いた指は血が出ませんでした。
一瞬大丈夫!?と思ったのですが、次の瞬間ドバット血が湧き出てきて、びっくりしました。車が運転できない状態で、(情けない話ですか)実家の両親を読んで、車で整形外科に連れて行ってもらいました。幸い、テーピングで縫うまではいきませんでしたが、毎日毎日消毒に通いました・・・・(TT)


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: