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変化の記録
さらに追い打ちをかけるように・・
口内炎はいくつもでき、下からのどにかけてヒリヒリと痛む。
何も飲み込めなくなって、ある瞬間、咽頭の病気を疑った。その瞬間から背筋が震えそわそわ落ち着かなくなる。
土曜日だった。子どもたちは家にいた。夫は仕事。
でももう我慢できず、子どもたちを家に置いて車で飛び出し、一番近い耳鼻科へ来ていた。
先生、のどの怖い病気じゃないですよね?
おびえた目で聞く私に「じゃあ、証明してやるよ」と先生は細い管をのどに通し、見せてくれた。咽頭炎だった。たくさんの抗生物質や薬。
また薬・・
家に帰ると子どもたちは待ちわびていた。
病院に行かないと気が済まない自分が情けなくて子どもたちに申し訳ない。
本当に馬鹿な母だ。
その日、夫の祖父が亡くなったという連絡が入った。
祖父は東北に住んでいる。
夫は初孫。当然私も行かなければならない。
しかし・・
その時の私は気力も体力も限界。親しい人と会うことも話すことも嫌だった。
夫になんとか説明してもらうも、私の様子をあまり知らないお姑さんには理解できない様子。
子どもたちはどうしても連れてきて、という。
夫と話し合った結果、下の子が幼稚園児なので幼稚園を休ませ夫と一泊で行くことになった。
上の子は小学校でやっと夏休み前の行き渋り(これは別に述べます。思えばこの病気の引き金にもなった大きなファクターでもあったんです)が鎮まり、スムーズに行きそうだったのでこちらにとどまることにした。
そして次の日夫と息子は出発。一泊で東北なのでかなりの強行軍だ。
そしてそして・・またこのことが私の病気を悪化させる引き金になってしまった。
次の日の夜、夫と息子は帰ってきた。
翌日から幼稚園だ。
で・・翌日。
いつものように朝着替えさせようとする。と・・
「やだ・・ママがいいの。行きたくない~。お腹が痛い」
泣いている。
は??
年中の今まで泣いたことなんてなかったじゃん!
なんで今?しかも私がこんな時に・・
疲れてるのかな?と思いながら無理に着替えさせる。しかし脱いでしまう。
とにかく、なんとか着替えさせ、車から引きずり下ろして泣いている息子をなんとか幼稚園に置いていく。
もう何が何だか分からなかった。
次の日もそして次の日も同じように朝になると泣いた。
朝、目が覚めるだけで泣くようになってしまった。
「幼稚園行きたくないの、お腹痛い、ママがいい」
理由を聞いても分からない。先生に聞いても分からない。
登園するとしばらく職員室の前でポツンと座り泣いているらしい。
しばらくして教室に行くが、たまに泣くようだ。
東北に行ってからだ。
私はお姑さんを恨めしく思った。
やはり無理に連れて行かなければこんなことにならなかったのに。
私は朝が来るのが怖くなってしまった。息子が泣くと背筋が凍ったように震え、心臓がバクバクし、息苦しくなる。
ある日、着替えがもう無理でパジャマで行かせたこともある。
なぜだろう。
ネットで同じような症状を調べた。
息子は家に帰ってからも、ときどき「お腹痛い、胃のあたりが痛い」と言うようにもなっていた。
食欲も減ったようだ。なんだか微熱もあるようだ。
公園に連れて行っても、どこへ出かけても私にべったり離れない。
ネットで重篤な病気や症状を見つけ私の背筋はまた震え動悸がひどくなった。
私の不安は自分の病気探しから息子の症状へシフトした。
次の日から小児科めぐりが始まる。
どこへ行っても「精神的なもの」と言われた。
でも胃が痛いっておかしくない?
ある先生は言った。
「本格的に調べるのなら全身麻酔をかけて胃カメラです」
さすがに家族は私にそれはやるな、と止めた。
そしてこうも言われた。
「お母さんの精神状態がお子さんに伝わってるんですよ」
それを言われるのはつらかった。
私も好きでこんな状態になったわけじゃない。抜けだしたくてもがいてるのに次々に起こる問題。
息子といる時間が苦痛になった。なんで、他の子どもたちのようにあちこち楽しそうに走り回らないの?なんで私にべったり?(調子悪いのに)
私が少しでも横になって休もうとしても、ママーママーと必死に探し私から離れない。
息子は宝物のように大事。でも何か不調を訴えられる瞬間、過呼吸の発作が起きるようになった。
ある日、一つの方法かも、と、とうとう休ませてしまった。
少し機嫌がいい息子。しかし、一切テレビも見せずに過ごす。
あんたの思い通りになっていい気になるんじゃない。
腹が立ち、狂ったように息子に言った。
「ちょっと、こんな風に休んでいいと思ってるんじゃないよっ!!」
幼稚園も降園時間が過ぎていた。
私は強引に息子の服を脱がせ、幼稚園の体操着に着替えさせた。
そして「秘密のシールノート」を持たせる。
これは、幼稚園を渋る息子に担任の先生がトークン(ご褒美)として泣かないで来た日には2倍にしてくれるという特別シール帳だった。
車で幼稚園に着き、体操着姿の息子を玄関に連れていく。担任の先生を呼んでもらう。
まだ20代前半で、幼稚園で一番綺麗でかわいい優しい先生。ほんとこんな先生が担任なのになんで嫌がるのか?
私の後ろに隠れる息子。
シール帳を先生に出すと先生は笑顔で今日の分を貼ってくれて、優しく声をかけてくれた。
あのとき、私の顔は一体どんなだっただろう。きっと目は据わり、病んでいたんだろうな。
先生もいろんな場面を見てくるとは思うが、きっとうちもかなり迷惑をかけたなあと思うのです。
このときの息子の心理について後で冷静になってなんとなくこうだったのではないか、って思うことがあります。これについてもまた別に書きます。
2学期は運動会、マラソン大会、参観会などいろんな行事が目白押し。
見学に行くたびに泣いている息子を見るのは辛かった。そのたびに過呼吸になる。
とうとう私は、ソラナックスを服用した。
ソラナックスを頓服で出された時、「デパスは副作用が強いからやめましょう」と言われた。
副作用があまり出ないと説明されたソラナックス。でもどうしても安定剤を飲むのは抵抗があってそのままにしていた。
しかし、ある日、余りにも息子に対する不安が強くなり、服用した。
しばらくして、ふわ~っとした眠気に襲われた。久しぶりの眠気。マイスリーも睡眠導入剤だが、ふわ~っという感じがなく、急に眠りに落ちている感じ。
久しぶりに1時間ほど横になって昼寝をした。
翌日は3回目のカイロだった。
絶対に薬は飲まないようにという約束をした私はすごく気まずかった。そんな私を
先生は見透かしていたかもしれない。
あまり良くならないという私に、先生は月暦を示し、調子は月の場所で波があると言った。施術は私の口があまり大きく開かないということで工具のようなもので口の中をパチンっと刺激を与えた。でも、あの工具、その辺に置いてあって・・絶対消毒とかしてないよな。
少し嫌な気持ちになった。
次に立った姿勢をチェックされた。その時に・・腰の位置を直されたのだが、先生の指が私のお尻の穴に触れた。
!!?
と思ったが、施術の一環だろうとその時は流した。
そして、物を持って腕が上がる実験をした。
私の体に良くないものなら腕が上がらず、良いものなら上がるという実験。
いろんなものを持たされた。そこに置いてある栄養剤は上がった。
今まで飲んでいた漢方は上がらなかった。
しかし。
先生が常に私の腕を押えて上がり下がりをコントロールしてる感じ。
というか、コントロールしてるよね??
先生は言った。
「これは、ここが外界とは違って、神聖な結界がはられてるからこういう実験ができるんだよ」
次の予約を入れて帰宅。
心から頼りにしていたカイロ。このときすでに4万円ほど支払っていた。
通い続けないと効果はでないのも分かる。しかし、何かが違う。
先生のことを疑うわけではないが、先生は中年の独身男性。今日のことがかすかに心に引っかかり、やはり、今後、密室に二人きりになるのは抵抗があった。
そして、宗教的な内容。
私は宗教は否定しないが、一度宗教に関しては嫌な経験をしたことがあり、気がひけた。
否定はしないが、私がここで治していくことに望みはあるのか?
私は予約キャンセルのメールをした。
そろそろ、一週間というお仕事のお休みの期限が近付いてきたが、不眠や胸苦しさ、不安感、微熱など改善が見られず、とりあえず9月いっぱいお休みさせてもらうことにした。
有給はもうなくなってしまうが仕方がない。
あんなに生き生きと働いて、やっと見つけたやりがいのある仕事だったのに。
なんとか来月復活できるように、がんばってみよう。
9月の半ば、まだ息子の精神は不安定だったが、
小児科の先生の言葉や幼稚園の先生から聞く園での息子の様子(幼稚園では最初泣くけどそのあとはお友達と遊んでます。。などなど)から、息子に対する不安も薄らいでいった。
自分に対する病気の不安も今のところ、過呼吸が起こるほどのものはなかった。でも、本当に心の病気なのか、内臓疾患のせいでこんなにだるいのではないかという懸念もどこかにはあったが。
そして市立病院受診。
良くなっていない私を見て、先生は睡眠薬をマイスリーからロプヒノールに変えた。ロプヒノールは中時間用の睡眠薬だが、アメリカでは麻薬指定されている薬。そして、ジェイゾロフトという抗鬱剤を処方された。ジェイゾロフトはSSRIという抗鬱剤でも新しい薬の仲間である。SSRIにはいろいろな薬があるが、一般的なもの、比較的新しいということで先生は処方したようだ。
その時に毎日のように見ていた冊子は、病院でもらってきた鬱病のくすりのパンフレット。
SSRIについてもかなり詳しくなっていた。
なので「とうとう処方されてしまったか」という気持ちだった。
ジェイゾロフトを処方されてから3日間は迷っていた。これを飲んだらもう後戻りはできない。
抗鬱剤の副作用についてもかなりネットで調べていた。
ロプヒノールについては、いけないと思いつつ一錠全部飲まずに、半分に割って眠る。
必ず2,3時間後に覚醒。そしてまた残りの半分を飲んで2時間ほど眠るという方法をとっていた。もちろん、朝起きると薬が身体に残っている感じで気分は最悪だった。
しかし、眠れない恐怖とたたかう夜を過ごすよりましか。。と誘惑に負けて睡眠薬に手がでてしまうのだ。
そして3日後。その日は自分にとってかなり辛い日だった。娘の
娘の小学校の運動会があり、夕方から夫の弟の結婚式。さすがに欠席するのは許されなかった。朝は、お弁当を作らなければならない。朝いつもより早く、なんとか身を起こし、お弁当を作るのだがすごくしんどい。
まだ残暑きびしい中、応援に行く。夫と息子はみな結婚式に先に向かっているので自分はひとりで応援しなければならない。やせてやつれた姿を見られたくないし、とにかく人と話をしたくないのでママ友達の輪からもなるべく離れていた。
お弁当の時間。事情を知っているママが一緒に食べようと誘ってくれ、悪いなと思いながら会話もするのが億劫で黙って食べる私。
私が作ったお弁当を娘はやはりあまり気に入らなかったようで箸がすすまない。見かねて友達が、お弁当を娘に分けてくれた。
へとへとになり、家に帰りシャワーを浴びて、子どもを着替えさせ、自分も化粧し、着替える。どんなに厚化粧してもげっそりやつれた感じは隠せない。
もうこのまま家で寝ていたい。なんでこんなに具合悪いのに行かなくてはならないのか。
しかも、幸せな場所に。こんな不幸な私が。
娘を車に乗せ式場に向かう。
とにかく山奥で分かりにくい場所。
なんとか到着すると、集合写真を撮るところだった。
式はいちいち、出し物のたびに席を移動して見に行かなければならないスタイル。
もう勘弁してほしかった。途中からもう、立ち上がれないので席に座ったままでいた。
食欲がわかないのでお料理も全く食べられなかった。
最後に両家の両親が並ぶシーンを見て、10年前は父もそこに立っていたのに・・
と思った瞬間、涙がぶわーっとあふれてきて止まらなかった。
それを親せきは感動して泣いてると思ったようで、私に話しかけてきた。
とにかく、この結婚式は嫌な思い出しかない。
帰宅すると夜10時をまわっていた。
こんなに疲れた日はない。
その夜、とうとうジェイゾロフトを飲むことを決心した。
それから私の薬との戦いがはじまる。
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