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おはようございます
週の初めなので郡山に移動してきました
時間が無いので記事だけでー
星野監督 日本一晴れ「グッとこみ上げてくるものがあった」
スポニチ
仙台の陽光に照らされた瞳は、潤んでいるように見えた。楽天・星野監督は立花陽三球団社長と先頭の白のオープンカーに乗り、両手を振り続けた。
「"おめでとう"より"ありがとう"と言われた時にグッとこみ上げてくるものがあった。東北の皆さんが後押ししてくれたことに感謝したい」
星野監督にとって、前回のパレードは阪神監督時代の03年11月3日。雨が降る大阪の御堂筋だった。あれから10年。午前9時ごろまでは小雨が降っていたが、同11時のパレード開始時は青空が広がった。出発前に「まさしく日本晴れ、日本一晴れ。お礼の笑顔を振りまくります!」とあいさつした。中日、阪神監督時代も優勝パレードの経験はあるが、4度目の日本シリーズで初の日本一達成。喜びは大きかった。
11年に楽天監督に就任。昨季までの2年間は打ち込まれて降板する投手に対しても拍手を送る地元のファンに対し「優しすぎる」と苦言を呈した。嫌われるのを覚悟でだ。全ては選手、そしてチームを強くするため。今季はふがいない投球をした投手に対して、球場全体からブーイングが起きたこともあった。チームとファンが一体となって日本一となり、歓喜のパレードが実現。全ての苦労が報われたのだ。
阪神監督時代の03年のパレード。その数日前、担当者から企画書を手渡されると「お年寄りや障害者用のスペースがないやないか」と指摘した。同年9月13日に最愛の母・敏子さんが死去(享年91)していた。当日、確保されたスペースでは亡き母親と同世代のファンが涙を流していた。その光景は今でも目に焼き付いている。現在も自身より年配の70、80代の星野ファンからファンレターが届くそうで「"私の生きている間に胴上げを見せて"という言葉もあった。そういう人たちにも選手は夢と元気を与えてくれた」と目を細めた。
来季の目標は92年西武以来22年ぶりとなる日本一連覇。「頭の中の9割は来年のことを考えている。心配で心配でしようがないけど、もう一度パレードを経験したい」。まだまだ発展途上のチームを再び頂点まで導く。闘将と呼ばれる66歳の闘志は全く衰えていない。
マー君 人生初Vパレードに絶叫締め「ありがとう!」
スポニチ
球団創設9年目で初の日本一を達成した楽天の優勝パレードが24日、本拠地の仙台市内で行われ、約21万4000人(パレード実行委員会発表)のファンが沿道を埋めた。今オフにもポスティング・システム(入札制度)で大リーグに挑戦する可能性のある田中将大投手(25)にとって人生初のパレード。ファンから「ありがとう!」と歓声を送られ、「ありがとう!」と感謝した。海を渡れば、楽天での最後のユニホーム姿となる。
目の前には見たこともない光景が広がった。普段から見慣れた町並みが一変し、21万4000人が沿道を埋め尽くす。みんなの笑顔、降り注ぐ「ありがとう」の歓声。テンションが上がった。最後尾の5号車から手を振った田中は、大観衆に向かって何度も絶叫した。
「ありがとう!」。人生初めてのパレード。わき上がったのはファンへの感謝の思いだった。
「本当にたくさんの方々がこのパレードを見るために集まってくれて、凄い歓声もいただけた。優勝した喜びを皆さんと分かち合うことができて、また、こういう形で報告することができてよかったと思います」
快晴の仙台。市街中心部を南北に走る「東二番丁通」の約1・5キロを凱旋した。うれし涙を流す地元のファンもいた。「マー君、本当にありがとう!」。仙台市民ら楽天を応援した人たちが声を張り上げて田中に伝えた感謝の言葉は、田中自身にとってもファンに伝えたい言葉だった。
開幕から無傷の24連勝。リーグ優勝、クライマックスシリーズ(CS)突破、日本一を達成した瞬間も抑えで登板して3度も胴上げ投手となった。ファンは知っている。田中がいなければ、この歓喜の瞬間は訪れることはなかったことを。田中も知っている。声援がなければ、数々の連勝記録を塗り替えることはできなかったことを。
昨年12月の契約更改交渉の席で将来的なメジャー挑戦の希望を伝え、球団も了承。現在は入札制度が失効しているが、日米間で早期の新制度成立を目指している。今オフに海を渡る決断を下せば、この日が最後の楽天のユニホーム姿となる。今後も表彰式などイベント続きとなるが「まだまだ(行事は)あるのでゆっくり休めないですけど、その中で体を動かしたり、オフにしかできないことをしていい時間を過ごしたいです」と語った。
駒大苫小牧2年時に夏の甲子園を制覇。07年のプロ入りから注目を集め、東北の地で球界を代表する投手に成長した。11年3月11日には東日本大震災が発生。東北を本拠地とするエースとして「震災を風化させたくない」という思いは強く、ついに日本一に導いた。
「優勝=ビールかけだったので、パレードのことは考えたことはなかったけど、いいものでした。またやりたいです」。悪夢のような大震災から989日。被災地・仙台が歓喜に包まれた2013年11月24日は、歴史の1ページとして刻まれた。楽天のエースにとっても、一生忘れられないパレードとなった。
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