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新キャラ:コラッキーがお目見え2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんばんはいよいよ明日3月1日(土曜日) 先日竣工式が行われた新しいファームの本拠地「ゼロカーボンベースボールパーク」でこけら落としの広島戦が実施されるね!これに合わせて新しい球団キャラクター「コラッキー」もファンの前に初登場するんだよ 球団マスコットの誕生は2011年に登場した「キー太」以来で英語名「CO―LUCKY」 幸運をともに、という意が込められているんだって産経新聞さんの記事から抜粋します阪神の2軍施設に新マスコット「コラッキー」ツンツンした大きな前髪がチャームポイント。2月前半には沖縄・具志川組の春季キャンプにも姿を見せ、さっそくファンを魅了した。甲子園球場の人気者「トラッキー」の弟で、甲子園球場生まれの海外育ちという設定。陽気で人懐っこく、いたずら好きな性格だが、意外と真面目な一面もあるそうだ。 球団マスコットの誕生は、2011年に登場した「キー太」以来で、英語名は「CO―LUCKY」。幸運をともに、という意が込められているという。飲食店に「虎風荘カレー」も…3月1日開業メイン球場となる「日鉄鋼SGLスタジアム尼崎」には、旧施設の鳴尾浜球場(兵庫県西宮市)にはなかった飲食売店も完備されている。 目玉の一つが、選手寮「虎風荘(こふうそう)」で長年、選手らの胃袋を満たし、親しまれてきた「虎風荘カレー」(税込み950円)。虎風荘のシェフが監修し、こだわりブレンドのスパイスがしっかりと効いていて、甲子園カレーとはまた一味違った味わいだ。平田勝男2軍監督とコラボした「平田勝男(鰹)の尼崎あんかけチャンポン×ハンバーグ弁当」(税込み1500円)も登場。鰹節がまぶされた白飯に、好物のハンバーグや、ご当地B級グルメとして人気のチャンポンが入ってボリュームもたっぷり。若虎の活躍とともに、観戦の楽しみになりそうだ。 残念ながら2代目は仕事もあって行けません 観戦予定のファンの皆さん十分雰囲気を楽しんできてください 2代目は当面ナゴヤ球場で観戦するけど シーズンのどこかで尼崎にも行くよ!
2025年02月28日
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バンテリンドームにフェンス前席を決断2代目タイガース非公式サイトです先にやられちゃったね本日(2025年2月28日)付けの中日新聞朝刊を掲載しておくけど 外野席の内側に「(仮称)ホームランウィング」を設置する方針が発表されたのよ同時に外野席のファウルエリア(甲子園ではアルプス席の前あたり)に「(仮称)アリーナシート」も設置されるわ予定では2026年のシーズンから供用開始すると公表されてるね とにかく紙面画像を拡大して読んでみて かつての甲子園球場で言うところのラッキーゾーンそのものね バンテリンドームは今まで他球団も含め選手の間で「ホームランが出にくい」と実感されてたけど とくに本拠地のドラゴンズにとっては狭いナゴヤ球場から移ってきて野球の質そのものを変えざるを得なかったよねホームランをあきらめ ドラフトでも2ベースを打てて走れる選手を優先してきたし 投手を中心に守りのチームを作らざるを得なかったわけよ 一発逆転の期待感や緊張感が薄れてしまって入場者数も年々減ってきてたわ記事を読んでもらうとわかるけど 打者にとっては「飛ばさなければ」と言う力みもなくなってホームランが普通に出るとありがたいってことだけど 投手にとってはホームランを警戒したピッチングが要求されるから諸刃の剣かもしれないでも野球の面白さという点では今までとは違ったものになるよ 3~4点くらいリードされても勝負をあきらめないというのは好いことよねこの発表を受けてドラゴンズOBの牛島和彦さんは次のように言ってます「チームと球団が一丸とならないと。この球場で防御率1点台だったけどもテラスをつくって防御率2点台になっても評価しますよと。数字だけじゃなくてトータルの野球でチームをつくってほしい」 一番ホームランが出にくいと言われているバンテリンドームがついに動いたわけなんだけど 甲子園はどうするつもりなのかな昨年高校野球では飛ばないバットを導入してホームランが激減したけど もともと木製バットでは簡単にフェンスオーバーは打てない球場 だからこそかつてラッキーゾーンを設けてたんだよね高野連との合意も必要とか言いながら先送りばかりして ちゃんと議論してるのかしらね?もちろん球場そのものが昨年100周年を迎えたし 阪神大震災の時に損傷もあったし 主体構造部の老朽化も進んできてるから「建て替え」という議論も並行してしないといけないよ タイガースからは1986(昭和62)年のランディ・バースさん以来約40年もホームラン王が出てないし 当然ラッキー・ゾーン撤去後はゼロ! 一方でドラゴンズはバンテリンドームになった1997年以降ではタイロン・ウッズ選手が3回 アレックス・ゲレーロ選手が1回とってるけど日本人選手はゼロだわ (ウッズ選手は3回とも40本以上打ってる こりゃ規格外ね)2代目の意見を言わせてもらうと もはやラッキーゾーンの復活とか部分的な話をする時期は過ぎてて 建て替えを優先しないといけない状況だとおもってるわけ 「甲子」(きのえね)の年に建て替えないと「甲子園」と呼べないから名称も「タイガース・グラスフィールド・スタジアム」とかでもいいとおもってる 場所もこだわらないしでも高校球児にとって「甲子園」は聖地 このあたりもちゃんと議論して早く結論出さないと建物のほうが持たなくなるよ ちなみに阪神甲子園球場は阪神電気鉄道株式会社が1924(大正13)年3月に建設し現在も管理しています 朝日新聞社や高野連が管理運営に対してどこまで介入する権限があるかは分からないけど 高校野球は甲子園球場ができる前から別の球場でやってたのよね大阪朝日新聞の提案を受けて阪神電鉄が建設し 完成した大正13年の夏から大会をこっちに持ってきて「聖地」となったのよ 翌年から春の選抜大会もねWikipediaに詳しいから参照してみてね (阪神甲子園球場 - Wikipedia)
2025年02月28日
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伝えたのは去年11月のゴルフコンペ2代目タイガース非公式サイトです「うちの開幕投手は村上にやってもらいます!」2025年2月26日 藤川監督が会見ボード前へ村上投手を呼び寄せて即席の会見を行い タイガースの開幕戦(3月28日広島戦)での先発として村上頌樹投手をすでに指名していることを公表したよイケメンとは言えない?けど似た匂いを持つ2人実はつぎに引用したように昨年11月21日のゴルフコンペの最中に本人に指名してあったんだってね 伝え方も異例だった。昨年11月21日の球団行事のゴルフのラウンド中に、安藤投手チーフコーチに「開幕投手はいつ伝えてあげたらいいですかね」と相談。「先に言ってあげた方が準備しやすい」と助言をもらい、前組にいた村上に電撃通達。5年目で初の大役を担う26歳が「ゴルフの時とは思っていなかった」と本音をのぞかせれば、球児監督は「よく俺たちここまで黙ってたね」とほほ笑んだ。(スポーツ報知) 2代目もキャンプが進む中で村上様の状態がいいという記事を多くみていたし 前監督の岡田さんも「才木より断然いい」という発言があったよね村上投手も早めに伝えられていたことでオフの間もしっかり準備を進めてきてたんだとおもう 村上投手の談話を聴いてみよう「先発をやらせてもらっていて、(開幕投手は)やりたい場所ではあったので本当に素直にうれしかったです。期待に応えられるようにやりたいと思っています」「まずチームが勝ってほしいので。勝ちにつながるピッチングをしたいと思っています」(スポニチ) 藤川監督は過去2年 チームの外から村上投手を見てきてとても高く評価していたようなのね 昨年は2023年から成績を落としてしまったけど 終盤まで試合を作る能力は素晴らしいと考えていたようなのよ 指名した理由について監督さんの談話を聴いてみましょう「彼の憧れが僕だった」と冗談を飛ばしてから、「最後まで戦い続けるのがエース。相手エースを打ち破ってくれるのは村上かなって。才木との二枚看板で」と期待した。 「(プレーボールがかかり)1番・近本が打席に立ちにいく姿を(自分が)腕を組んで見ている光景が(頭に)ある。近本と村上の(出身地が)淡路島コンビでいいんじゃないですか」(スポーツ報知) 昨年は村上投手や西勇輝投手 それに伊藤将司投手も1年を通じてすっきりしなかったよね その分を才木投手が担って奮闘したんだけどシーズン終盤に息切れしてしまったこの開幕投手指名には村上投手と才木投手に「両輪」という意識を持たせようという意味も込められてるんじゃない? 3連戦を重ねていくNPBの日程では「二本柱」が絶対必要なのよ
2025年02月27日
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分かっていても打てないストレート2代目タイガース非公式サイトです春季キャンプを終えたタイガース 森下選手やテル君など打撃陣にも手ごたえが感じられたけど投手陣はどうかなじつは門別啓人投手が自信をもって「ボールの強さが去年より全然いい」と言ってるのよ 3月1日に予定されてるファームの新球場のこけら落としとなる教育リーグ広島戦で先発が予定されてます 監督さんもそれだけ期待が大きいんだろうし早く本格的な実戦で見たいとおもってるんでしょう 2月25日に門別君がキャンプの手ごたえを振り返っているわ 本人の言葉を引用してみるよ 「昨年のキャンプも良かったと言われるんですけど、今年終わってみて考えたら、球の強さとか全然昨年より良いんじゃないかと思います」「分かっていても打たれないストレートが自分の理想。それを目指してやっていました」「監督が『結果よりも内容』と言われている記事を見て『確かにな』と思った。シーズンでも結果を求めずに自分の投球をしていく」 昨年のシーズンは公式戦にもチャンスをもらえたけど好い結果は出せなかった 内容的にも満足できなかったとおもう打たれないストレートという理想を追い求めた今年のキャンプでは自分なりにボールが強くなってきたことを感じたんだとしたら凄いよ分かっていても打てないストレートを投げた投手 2代目は過去に「分かっていても打たれないストレート」を投げていたピッチャーを知ってるよ江川卓さんです 高校や大学・プロで同時期に対戦した人たちが口をそろえてそう証言してるから事実なんでしょう こんな投手は江川さんだけだわ結局のところ その秘密はバックスピンの回転数に行きつくのね 重力に逆らえる揚力をどこまでボールに与えられるかっていうことね江川さんの回転数はメジャーでも片手に入るくらいの猛烈なものだったらしいのよ でも秘密はそれだけじゃない 普通の投手はリリースの最後にボールを切る部分にマメができるんだけど 江川さんは「自分はマメというものを作ったことがない」と語ってますこれは投手をやった経験のある人から見たら常識外れのこと あのホップするかのような高回転のストレートをどうやって投げてたのか謎なの ちなみに江川さんのストレートは当時常識だったフォーシームよ2代目はストレートを武器にする力投型の投手は 一度は江川さんの指導を受けてみるのも好いんじゃないかとおもうんだよね もし掛布さんが一軍の監督になってたら臨時コーチとして呼んだんじゃないかなと今でも思ってます門別投手も江川さんと話す機会があるといいのにな 必ずプラスになる話が効けるとおもうんだけど・・・ 「フォワッとボールを風に乗せてやる。指は伸ばしたまま抜く感じ。指先にボールを掛ける意識はありません。だから、指先にマメができたことは一度もありませんでした」 こんな異次元の恐ろしい話は聞かないほうが良いかな?
2025年02月26日
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つば九郎さん逝く2代目タイガース非公式サイトです 皆さんこんにちは 2025年2月19日 ヤクルト・スワローズ球団から「つば九郎担当スタッフが亡くなった」と発表があって もう1週間たってしまったね 2025年1月28日に「年俸6万円とヤクルト商品飲み放題」で契約更改したばかりなのに急な訃報に言葉もないわ他球団のマスコットではあったけど あの即興で笑いをとれる「フリップ芸」には感心してたのよ インタビューされて相手の質問が終わらないうちから書き始めるし それでいてちゃんとその時々の話題のネタを盛り込んだりして答えを返すんだから頭いいなって甲子園にも来てくれました! トラッキーは愛嬌ある仕草 ドアラは並外れた運動神経 それぞれのキャラは特徴があるんだけど でもつば九郎はずば抜けて独特のキャラだった 特にドアラとは 「毎年の契約更改」や「フリップ芸」がかぶってるから なんとなくライバル関係に見えたのが笑えたわ つば九郎はあんまり意識してないのにドアラのほうが意識過剰だったのもね性格の違うドアラとの掛け合いは面白かった つば九郎のデビューは1994(平成6)年ってことだからもう30年を超えてたんだ!しかも関係者の証言では「これまで支えたスタッフは1人でした。30年間、ほぼ休みなしで精力的に活動していました」ってことなのよ これは知らなかったわ!とても大切な人を失ってしまったのね今回の事態について女性自身の記事に球団OBの証言があるからちょっと見てみよう「2月1日に始まった沖縄県浦添市での春季キャンプに合わせて、つば九郎は例年通りイベント出演と現地盛り上げのため沖縄入り。予定通りのスケジュールをこなして帰京するタイミングで倒れたといいます。球団はその直後の6日、つば九郎が4月中旬までイベント出演を見合わせることと体調不良による活動休止を発表しましたが、事情を知る球団関係者からは“かなり危ない容態”と漏れ伝わり、覚悟していたスタッフも多かったといいます」 この証言だけ聞くと突然急病かなんかで倒れたっておもうよね でもこの球団OBの証言には続きがあるのよ「逝去した球団スタッフはお酒が大好きで、公式ブログでも『る~び~(ビール)』『よるのパトロール(※歓楽街への散策)』のくだりが頻繁に出てきていました。時には選手や裏方と酒を酌み交わす機会もあり、コミュニケーションを取るのは非常に上手でした。ただ、不摂生が目立っていて、近年も真冬なのに大汗をかくなど明らかな “体調異変”が生じていたとの話もあります。気づいたスタッフが『病院で診察を受けたほうがいい』と促していたそうですが、“俺は大丈夫だから”と気丈に振る舞っていたと聞いています。『唯一無二のスタッフだから、定期的に病院で検査を受けたり、ゆっくり休んだりして欲しかった』と悔やむ球団関係者は多いですよ」 かなり過酷でストレスの溜まる仕事なんだと改めて考えさせられました 実際につば九郎の姿から中の人の人生は見えないし 見せないよう感じさせないよう「つば九郎」になりきってみんなを楽しませてくれてたんだなって・・・しかも30年もの長い間なのよ 素晴らしいスタッフを亡くしてスワローズ関係者やファンの皆さんの悲しみも深いものがあるとお察しするわこれって切実な話だったのね!「つば九郎の人気を支えた“フリップ芸”を引き継げる人材は、球団内にはそう簡単には見つかりません。そこで当面は、大喜利が得意な芸人に頼んで、急場をしのぐ形を取る案が急浮上しています」 30年の歳月のなかでつば九郎さんが自分で作り上げてきたキャラだし 実際に自チームの一軍公式戦だけじゃなく 場合によってはファームの試合 遠征 イベント出演などかなり過密なスケジュールなんだってね 夏場の暑い時もあるしそれを一人でこなしてきたんだから年をとればキツくなってくるよ・・・ スワローズファンにとどまらず全国のプロ野球ファンを楽しませてくれてありがとう 2代目も偉大なつば九郎さんのご冥福をお祈りいたします
2025年02月26日
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列伝1 マイク・ソロムコ②(4)降ってわいたトレードでオリオンズへ移籍翌1963(昭和38)年、前年の不振に奮起したのか、あるいは新外国人フランク・ヤシックの加入に刺激されたのか、ソロムコは復活する。大振りは影をひそめ、三振の数は69個と前年に比べほぼ半減している。最終的には打撃3部門のすべてで前の年を上回る数字を残し、再びチームの本塁打王(22本=自己最多)に返り咲いた。にもかかわらず、阪神は小山が14勝、村山が11勝と両エースがシーズンを通してそろって不振、巨人に優勝をさらわれ勝率も5割を切って3位に転落してしまう。そしてこのチームの低迷が、ソロムコにとって甚だ迷惑な事態を巻き起こすことになる。シーズン終了後、ペナント奪回にはどうしても打線の強化が急務と考えた阪神は、思い切った戦略に出た。12月20日、突如としてエース・小山と大毎オリオンズの主砲・山内一弘とを1対1で交換する、有名な「世紀のトレード」を断行し世間を驚かせたのである。阪神にとってトレードの名目は打線の強化だが、水面下で憶測されたのは球団とエース小山との確執だった。 小山は1年前の1962(昭和37)年の暮れに、10年選手のボーナス問題をめぐって契約更改交渉がこじれて越年した経緯があった。頑強に抵抗した小山は、自費でキャンプインし、2月7日になってようやく契約更改にこぎつけたが、球団との間に大きな溝ができてしまった。この「前科」がトレードに影響したことは疑いようがなく、阪神という球団の伝統的な体質と言えるかもしれない。ともかくこれによって次季阪神の外野は、センターが不動の3番・並木輝男、ライトは3割をマークして成長著しい藤井栄治、そしてレフトに新戦力の強打者・山内一弘という布陣になり、ソロムコはにわかに戦力構想からはじき出される。しかも話はこれだけでは終わらなかった。山内を出してしまったオリオンズは、攻撃力の低下を恐れ、阪神に対して新たなトレードを申し入れてきた。投手・若生智男(下の写真)と阪神の外野手(並木または藤井を指名)とを交換したいというものだった。一方の阪神側も来シーズン小山を欠くことには不安を感じていたので、「ソロムコなら交換要員として出しても良い」と話に応じ、結局「世紀のトレード」のアオリを食ったような形で「第2のトレード」が成立する。こうしてソロムコは不本意ではあったが仕方なく阪神を去り東京へ引っ越すことになる。外国人選手と日本人選手との交換トレードは、これがNPB史上初だった。(5)オリオンズの選手としてオリオンズ移籍1年目の1964(昭和39)年、ソロムコはおもに5番打者として119試合に出場し、打率2割5分3厘、本塁打15本、44打点の数字を残している。大きく環境が変わったことを割り引けば、かなり貢献したと言えるのではないか。その一方で山内の加入した阪神は、バッキーの急成長もあって2度目のリーグ優勝を果たしている。ただし、放出した小山が自己最多の30勝したのに対して、その穴を埋めるはずの若生は5勝しかできず、この二重トレード自体は「阪神の方が損だったのではないか」という声が多数だったようだ。1965(昭和40)年になると、出場数はわずか50試合に減り、本塁打も6本、持ち味であった勝負強い打撃は鳴りをひそめる。まだ29歳の若さだったが、ソロムコは結局このシーズンを最後に、潔く現役を退いた。(6)終わりにソロムコは、初の外国人助っ人として4年間阪神タイガースの中軸を担い、その真面目さと数字以上の勝負強さで多くの阪神ファンに愛された。当時のチームメイトにとっても、時折ソロムコが垣間見せる「本場のベースボール」に感心する場面もあったようで、再び本間勝氏のコラムのなかのエピソードの一部を引用しよう。「もうひとつ、味方の我々もあっけにとられる走塁を見せてくれた。四球を選ぶ。バットを置いて一塁へ走る。ここまでは皆さんもよく目にするあたり前の光景だが、ソロムコ氏。この時点ですでに二塁への進塁を狙っていた。ファーストまではゆっくり走っていたかと思うと、ベースを踏んだ瞬間、突如としてギアーをトップに入れ替えて全力疾走する。四球を与えてガッカリしているバッテリーの精神面の隙を突いた走塁にはビックリさせられた。当時はまだ他チームのスコアラーなどいない時代。各チームに対し一度ずつは成功したような気がする。」(月間タイガース2013年10月号) ソロムコはオリオンズに移ってから元気がなくなってしまったが、思いがけないトレードによって、愛着のある阪神タイガースを去ることになった時、すでにプレイヤーとしての情熱は失われてしまっていたのかもしれない。オリオンズでは2年間プレーして引退。その後は帰国せず、関西に戻ってアメリカ製の高級調理器具の訪問販売をするイージーウェアという会社を起業し成功している。猛虎異人伝1 マイク・ソロムコ[完]ソロムコの年度別打撃成績 ①を見てない方はこちらを参照してね 猛虎異人伝1 マイクソロムコ① | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ ソロムコさんは背番号56なので「背番号史」より先に登場しちゃったね これからもこういうケースが出てくるとおもうけど悪しからずお許しを! 次回は猛虎異人伝2 マーク・ブラウンスタイン | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログです
2025年02月25日
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2代目タイガース非公式サイトです 2025年2月15日のブログで予告した「猛虎異人伝」の連載を始めるよ 当分の間は先代が綴った文章をぞのまま掲載していくことになるわ 段落分けしたり小見出しを付けたりした以外は先代の記述です 対象が古いところだからよく知らないことが多いのよ 修正するなら調べ直さないといけないのでやんない ということで先代だとおもって読んでね 最初はソロムコ選手 今回は2日続けて掲載するよ 列伝1 マイク・ソロムコ①Mike Solomko (1960~1963)生年月日 : 1936年7月24日背番号 : 56 右投右打 外野手出身地 : アメリカ合衆国ペンシルバニア州トループ球団 : 大阪-阪神タイガース(60~63)、東京オリオンズ(64~65)表彰等 : オールスター出場2回(60、63)阪神在籍 : 4年 453試合1475打数369安打212打点74本塁打151四死球364三振53盗塁 打率.250 (1)内野は厚いが外野は薄い昭和30年代の阪神は、投手力と守備力に優れた守りのチームだった。守りの中でも内野陣はすばらしく、因みにマイク・ソロムコが入団する前年、1959(昭和34)年の布陣を見てみると、一塁・藤本克巳、二塁・鎌田実、三塁・三宅秀司、遊撃・吉田義男の顔ぶれで、個人成績は次のとおり。 藤本 127試合 450打数 125安打 81打点 24本塁打 4盗塁 打率2割7分8厘 鎌田 106試合 360打数 86安打 17打点 2本塁打 1盗塁 打率2割3分9厘 三宅 130試合 497打数 133安打 63打点 18本塁打 30盗塁 打率2割6分8厘 吉田 130試合 467打数 127安打 32打点 5本塁打 13盗塁 打率2割7分2厘藤本は馬力のある長距離砲。鎌田は非力だったが守備は職人芸。三宅・吉田は好守・好走・好打の三遊間コンビ。それぞれに個性がある充実した内野陣だ。その一方で、外野陣は昭和20年代後半こそ全盛期だったが、1957(昭和32)年には金田正泰と後藤次男が引退。1958(昭和33)年には渡辺博之が近鉄へ、1959(昭和34)年には田宮謙次郎が大毎へそれぞれ移籍するなど過渡期にあり、レギュラークラスで打力のある選手は並木輝男以外見当たらない。選手層が薄く、明らかに攻撃力は他球団に見劣りしていた。 (2)開幕直前に入団テスト1960(昭和35)年、金田正泰監督は春季キャンプ当初から、藤本を外野にコンバートし、若手有望株の遠井吾郎を一塁で使う構想を練っていた。ところがオープン戦では期待の遠井が伸び悩み、頼みの並木の調子も上がらず、外野手がどうしても足りない状況に追い込まれた。こうした台所事情から、急遽ソロムコの入団テストが実現することになった。マイク・ソロムコは、駐留アメリカ軍兵士として1958(昭和33)年に来日し沖縄の座間キャンプに所属していた。在日中に大の日本びいきになり、ちょうどこの時期にタイミングよく除隊したこともあって、前年まで阪神の監督を務めていたカイザー田中氏(下の写真)が仲介する形で入団テストに臨んでいる。もともとアメリカでは3Aの経験しかない無名の選手。その上、兵役によるブランクもあって打撃には粗さが目立ったが、長打力もあるし足も速く、近い将来には十分使える感触が得られた。ポイントになったのは可能性を秘めた24歳という若さと、極めて真面目な性格だろう。とにかく「打てる外野手」の補強を急いでいた阪神は、ソロムコの採用を即決し、こうしてハワイ日系人以外では球団史上初の外国人選手が誕生したのである。最初のシーズンとなった1960年、ソロムコは開幕当初ベンチを暖めていたが、10試合目にして初めてチャンスが与えられた。4月16日の巨人戦(甲子園)で6番・レフトとして、先発出場の機会を得たのである。このデビュー戦は2打数無安打に終わるが、翌17日のダブルヘッダーもスタメン起用され、第1試合で4打数2安打。続く第2試合でクリーンアップの3番に抜擢されると、4打数3安打の固め打ちで期待に応えている。4月19日の中日戦で初打点、23日の対国鉄1回戦では第1号本塁打(投手:森滝)が出たが、その後しばらくの間は代打出場に甘んじた。しかし、5月11日の中日戦でスタメンに復帰すると、翌12日には再び3安打固め打ちを演じる。この頃は与えられたチャンスで確実に結果を出しており、評価は徐々に高まっていった。そして、5月15日の対巨人7回戦(甲子園)、5回を終わって1-0と阪神がリードしていたが試合は膠着していた。 この試合でソロムコは6回、巨人先発の堀本からレフトのポール際へ満塁ホームランを叩き込み、勝負強さと長打力を強烈にアピールすることになる。この一発については時代を共にした本間勝氏が月間タイガースで詳しく記述しているので引用してみる。「昭和35年の出来事である。5月15日、日曜日の対巨人7回戦だった。ダブルヘッダーの第一試合。舞台は本拠地、甲子園球場。五回裏タイガースの攻撃。スタンド、ベンチの期待を一身に集めて打席に立ったのが、マイケル・ソロムコ選手だった。塁上は本間、三宅秀の連打と並木の四球ですべてが埋まっている。一死満塁の大チャンス。相手投手は、新人ながらエース格の堀本律夫氏。カウントは1ボール2ストライクと追い込まれていたが、その4球目。ソロムコ氏がバットの芯で捕らえた打球は、打った瞬間それとわかる満塁弾。しっかと見届け、本人以上に飛び上がって大喜びしたのは私だった。通算95ホーマーも放っている中から、何故この一発に注目したか。読者の皆さんごめんなさい。何を隠そう、私の都合上の問題です。大感激したあの一発、いまだ私の脳裏に鮮明に焼き付いているのは、実を言うと、プロ入り初勝利をアシストしてくれたホームランだったからです。」(月間タイガース2013年10月号)この劇的なグランドスラムで首脳陣を納得させたソロムコは、完全に外野のレギュラーポジションを獲得することになった。 このシーズンはおもに1番を打ち、出場99試合でチーム2位の17本塁打を記録する。その活躍は関係者やファンにも認められ、1年目にして監督推薦でオールスターゲーム出場も果たしている。阪神はリーグ戦3位に終わったが、ソロムコの加入で打線に厚みが加わった年だった。(3)タイガースの主力選手として活躍1961(昭和36)年、タイガースはこの年の4月、球団名を「大阪」から「阪神」に変更している。ソロムコはほぼ1年を通じてクリーンアップの5番を任され、21本塁打70打点でチーム内の2冠王になっている。ところが阪神は、エース・小山や主砲・藤本の不振もあって低迷したことにより、金田監督がシーズン途中で休養し、藤本定義が監督代行を務めるなど混乱した。結局2リーグ分裂以来はじめて勝率5割を切り、最終成績も4位に終わっている。せっかくのソロムコの活躍もチーム成績には結びつかなかったようだ。1962(昭和37)年、阪神は正式に就任した藤本監督のもと、開幕の巨人戦に連勝して勢いに乗り、好スタートで首位に立った。5月中旬、打撃陣の不振で首位から落ちると、阪神・大洋・巨人が三つ巴で争うという混戦の展開に変わる。しかし、7月22日に再び首位に返り咲くと、巨人を蹴落とし、最後は大洋との激しいデッドヒートを戦い抜いて、ついに念願のセリーグ初制覇を成しとげた。そんな中で3年目のソロムコも、要所で持ち前の勝負強さを発揮し、シーズン中盤の大事な場面で優勝に貢献している。その中でも、7月28日から始まった後半戦最初の巨人3連戦で見せた働きは渋く、彼の持ち味である勝負強さが十分に発揮された。この時点で、首位阪神と3位巨人との差は6ゲーム。巨人はこの3連戦がペナントレース生き残りの正念場であり、絶対負けられないという意気込みで甲子園に乗り込んできた。まず第1戦は緊迫した投手戦になり、0対0のまま迎えた9回二死、ソロムコのバットからサヨナラ2ランホームランが飛び出す。これで勢いに乗ったソロムコは、続く第2戦では同点ホームランを放つと、その次の打席はしぶとく決勝点となる勝ち越しの犠牲フライ。 第3戦でも8回に劣勢の試合を引き分けに持ち込む貴重な同点タイムリーを放ち、2勝1引き分けで巨人を返り討ちにした。この結果ゲーム差は8に広がり、巨人は優勝争いから完全に脱落。ライバル巨人に引導を渡したソロムコの大活躍に、つめかけた甲子園の阪神ファンの熱狂はすごいものだったという。ただしシーズンを通してみると、ソロムコらしい勝負強さを見せた場面は少なく、どちらかというと一発狙いの強引な大振りが目立った。そのため三振は前年の93個から121個に急増、逆に本塁打は21本が14本に減っており、阪神在籍中では最低の成績に終わっている。10月13日甲子園で始まった東映フライヤーズとの日本シリーズは、幸先良く阪神が2連勝する。ところが16日の第3戦、勝てそうなゲームを延長13回の末に、日没引き分けとし、これが勝負の別れ目となってしまった。その後はズルズルと4連敗し、惜しくも日本一にはなれなかった。ソロムコはシリーズ7試合で25打数5安打2打点3四球9三振とやや精彩を欠いておりホームランも出ていない。第1戦から第4戦までは6番、第5戦は2番とスタメンに入っていたが、正念場となった第6戦と第7戦ではスタメンを外されている。マイク・ソロムコ②へつづく 次はこちらです よろしくね!(猛虎異人伝1 マイク・ソロムコ② | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ)
2025年02月24日
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背番号29(その5)みなさんこんにちは 背番号29の第5回目です前回ご紹介した2名は 江本さんが「ベンチがアホ発言」で電撃引退してしまったし 福家さんは7年間在籍して1勝もできずにトレードされてしまったので「29」は少し扱いにくい背番号になった感じがするのね 新人の投手に着けさせるのを躊躇しないといけない番号になっちゃったわけよ現在なら一軍選手・・・それも投手が着けるというイメージがあるんだけど今回紹介する4名はすべて野手または捕手なのよ 皆さんはだれだか分かりますか? すぐには名前が浮かんでこないとおもうよ タイガースでは大きな実績が残せなかった選手 順を追ってみていきましょう渡真利 克則 内野手・外野手沖縄県平良市出身。少年時代からスポーツは万能で、中学では陸上にも駆り出されて走高跳で県大会優勝の実績がある。高校は興南高校で、最初は投手だったがすぐにサードへ転向した。3年の夏に甲子園に出場しベスト8に進出している。5番サードの渡真利は2回戦でランニングホームランを記録するなど俊足のスラッガーとしてプロのスカウトから注目される。1980(昭和55)年のドラフト会議ではタイガースから2位指名されプロ入りしている。最初にもらった背番号は「39」で7年間着けた。「29」に変えるのは1987(昭和62)年で、福家から譲られて3年間着けている。 球団もファンも渡真利に対して大きな期待を持っていたが、プロ入り後の渡真利は伸び悩んだ。プロ入りから3年間はずっとファームで過ごし、一度も一軍へは上がっていない。 初めて一軍に上がったのがプロ4年目の1984(昭和59)年でこの当時は外野手登録になっていた。9試合しか出番はなく、ほとんどが代走。3打数0安打だが2得点を記録している。 1985(昭和60)年、吉田監督が就任すると体格に目を付けファーストにコンバートされている。当時のファーストはバースがいたのでおもに試合終盤での守備要因として使われている。ゆえに打席は少なく38試合31打数8安打の数字だった。日本シリーズでも1打席の記録が残っている。 背番号を「29」に変えた1987(昭和62)年、佐野仙好の衰えから後半戦でレフトのレギュラーとなって43試合に出場し、137打数37安打17打点5本塁打というキャリアハイの成績を残したことから、ようやく大器が花開くかと注目された。 しかし1988(昭和63)年から1989(平成元)年には村山監督が「少年隊」を売り出したことで出番は制限されレギュラーを取れずに終わっている。数字自体も87年を超えることはできなかった。 1990(平成2)年、中村監督が就任すると出場が28試合に激減し、同年オフにダイエー・ホークスへトレードされてしまった。 1991(平成3)年はダイエーでも19試合の出場に甘んじ、1992(平成4)年は出場機会の無いままオフに引退している。 通算成績は268試合494打数126安打47打点14本塁打4盗塁11四球95三振、打率.255だった。 引退後はセ・リーグ審判部に入り、審判員として実績を積む。2003年9月の試合中に不整脈で倒れ、その後も原因不明の病気で復帰とリタイアを繰り返していたが2007年で審判員継続を断念している。 2010(平成22)年から阪神園芸に就職し、鳴尾浜球場のグラウンド整備などをしている。吉田 博之 捕手神奈川県横浜市出身で横浜高校。1学年上には中田良弘、2学年下に愛甲猛がいた時代だった。もともとショートだったが、1年生でエースになった愛甲の球を捕球できる捕手がいなかったため夏の大会直前の6月に3年の吉田が急きょコンバートされている。この夏の甲子園ではベスト16。1978(昭和53)年のドラフト会議では南海ホークスから4位指名されプロ入りしたが、1979(昭和54)年のドラフトで浪商から鳴り物入りで入団してきた「ドカベン」こと香川信行とのポジション争いをしていくことになる。正捕手・黒田正宏を中心とした三つ巴のポジション争いは1982(昭和57)年に香川が勝ち残る。しかし香川も安定感に欠け、吉田は1985(昭和60)年に124試合、1988(昭和63)年に121試合とレギュラー捕手をつかんだ時期もあった。ところが1990(平成2)年に監督に就任した田淵幸一とリード面をめぐって激しく対立したため同年オフにタイガースへトレードされている。背番号はトレード相手だった渡真利が着けていた「29」を継承した。タイガース移籍1年目の1991(平成3)年、吉田は30歳を超えたばかりだったが、ちょうど嶋田宗彦から山田勝彦への移行期に当たっており、山田の成長が著しくなって吉田の出番は限られてしまった。この年はまだ40試合に出場できたが、1992(平成4)年はわずか3試合、1993(平成5)年はついに一軍出場ができないまま終わり引退に追い込まれた。通算成績は687試合1637打数395安打167打点40本塁打150四球248三振、打率.241である。石嶺 和彦 捕手・外野手沖縄県那覇市出身。栽弘義監督が指導する豊見城高校では4番打者として2年時に選抜大会に出場、夏にはベスト8まで進む。3年時も春・夏連続で甲子園に出ており、夏は再びベスト8まで勝ち上がって、高校生捕手ではナンバーワンの評価を得るまでになった。1978(昭和53)年のドラフト会議では2巡目で阪急と広島が競合し、抽選で阪急が引き当てる。しかし高校時代の試合中に痛めた半月板が感知しておらず、栽監督が社会人入りを進めたために交渉が難航し、最終的に12月になってようやくプロ入りを決断している。この半月板損傷は引退まで石嶺を苦しめる結果になった。 石嶺はは捕手として入団したが、実際にポジションについたのは通算68試合に過ぎない。1984(昭和59)年には外野手に転向し、さらにその翌年1985(昭和60)年の後半から指名打者専門へと変わっていった。 守備の負担がなくなるとひざの故障の影響が薄れ、持ち前の打撃の才能が開花することになる。 1986(昭和61)年には初の二けた本塁打17本を記録。1989(平成元)年から1993(平成5)年まで5年連続で全130試合に出場しており、この間1990(平成4)年には自己最多の37本塁打で106打点を挙げて打点王のタイトルを獲得している。 石嶺は1993年から導入されたフリーエージェント制度のFA権を取得したことからオフになると権利行使を宣言する。一方タイガースはこのオフに松永浩美とジム・パチョレックが退団しており、来季の打線に不安を抱えていたこともあり、足の爆弾に目をつぶって石嶺の獲得に乗り出した。 もともと石嶺は阪急・オリックス時代に宝塚に家を建てて住んでおり、関西を離れずに済むということと、タイガースファンの大声援の中、甲子園で野球ができる魅力にも惹かれ、タイガースとの契約に合意することとなった。 1994(平成6)年をタイガースで迎えた石嶺は打線では5番を担い、指名打者がないため守りではレフトに入った。天然芝ではあっても甲子園は広い守備範囲が要求されるため、終盤では守備固めと交代するという措置ををとることによって全130試合に出場することができ、オリックス時代からの全試合出場を6年連続まで延ばした。 成績は467打数115安打77打点17本塁打で打率は.246と低かったが、チーム最多打点で好く貢献したと言えるだろう。 しかし1995(平成7)年は34歳となり、古傷だけでなく体力的な衰えも加わって大きく成績が落ちる。連続出場も894で止まり、97試合の出場にとどまった。 1996(平成8)年の開幕を迎えるにあたりタイガースはオリックスから平塚克洋を獲得しているが、これは石嶺の衰えに備えたものだった。 終わってみれば石嶺は26試合にしか出場できず、平塚が105試合に出て11本塁打をマークするなどレギュラーにとって代わっている。シーズン中に限界を感じていた石嶺は10月5日の試合後に引退を表明した。 通算成績は1556試合5189打数1419安打875打点269本塁打、456四球776三振、打率.273。 高校時代の怪我が最後まで足を引っ張ってしまったが、インコースの捌きは抜群にうまく体の軸回転で打ち返す打撃はホームランも生み出した。膝が万全であったらおそらく2000本安打を超える選手だったのではないか。 2004(平成16)年から8年間を中日、2012(平成24)年には横浜DeNA、2013(平成25)年にはオリックスでコーチなどを務めている。吉田 康夫 捕手福島県岩瀬郡鏡岩町の出身。日大東北高校では甲子園経験はなく、卒業して社会人の三菱重工川崎に進んで頭角を現した。都市対抗本戦で活躍を続け1984(昭和59)年のロサンゼルス五輪代表チームの正捕手として出場し金メダルを獲得するまでになる。ところが同年のドラフト会議では指名されていない。ウィキペディアによると読売は吉田に対し1位ないしは2位での指名を約束していたが現実には指名せず、「ドラフト外」で入団させようとした。これに激怒した吉田は、入団を断って1985(昭和60)年も社会人に身を置いたということらしい。 1985年のドラフト会議ではタイガースが5位で指名し入団が決まる。背番号は「39」を着けることになる。吉田は12年在籍しているが入団から11年間は「39」、最後の1997(平成9)年だけ「29」を着けた。 入団当時は木戸克彦と嶋田宗彦が正捕手を争っていたが、木戸が衰えるにつれて吉田も出番が回ってくることが増える。1989(平成元)年に58試合、1990(平成2)年に42試合に出たことは出たが両年とも打率は1割台、敗戦処理捕手のような役割に甘んじている。 その後も山田勝彦の成長により出番は阻まれ、1997年に戦力外を宣告されて引退した。 通算成績は132試合126打数21安打1打点13四球25三振、打率.167だったが、指導者としてのほうが長いキャリアがある。 引退後もタイガースに残り、1998(平成10)年から育成コーチ、2002(平成14年)からニ軍バッテリーコーチ、2004(平成16)年から一軍ブルペンコーチ、2007(平成19)年から一軍バッテリーコーチを務め2015(平成17)年に退団した。まとめいかがでしたか? みなさん今回の4人の選手ご存じでしたか? ここからは同時期を実際に見てきた先代の言葉を借りてみるね「渡真利はほんとに期待されてた。いずれ掛布のあとのサードを守るだろうくらいの期待感で入ってきたけどあかんかったなあ。意外と体が弱かったみたいだな」「悪いけど吉田博之はほぼ記憶にない。吉田康夫も出てくるから余計に分からん。吉田浩ならまだ覚えてるぞ」「石嶺は好いバッターだった。くるっとその場でコマが回るような打ち方で力を入れないのに遠くへ飛んだ。フォームは岡田彰布とも似ていたな。体格も175センチ無かったんじゃないか?よく頑張ったしタイガースでの1年目は大したもんだとおもった」「吉田康夫の現役時代は全く覚えがない。のちになって確かにブルペンコーチにそういう名の人がいたなあというのは記憶してる。でもどの吉田さんかは知らなかった」ということだそうです前回の江本さんがかなりインパクトが強かっただけにすっかりかすんじゃったね ここにきて「29」は漂浪している感じになってきたよ ではクイズね!次回29-6では大物投手が登場します もう皆さんわかるよね うなづいてる人はコメント欄に答え書いてみてね背番号29-6に続く
2025年02月22日
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小惑星「2024 YR4」2代目タイガース非公式サイトです 皆さんこんにちは 小惑星「2024YR4」のニュースをチラ見しても 2代目のようなごく一般人にとって「遠い話」だろうなって感覚だった ところが大変な事態にもなりかねない代物だってNASAが発表してにわかにショックを受けたところなのねこの小惑星は2024年12月に発見されたって言うから2ヶ月くらい前かな それから進路や速度などが「計算されて公表されたんだけど・・・ 地球に衝突すると予想される確率が2.2パーセントから3.1パーセントに上方修正されたのよ 宇宙という途方もない規模の話としたら相当高い確率じゃない? そしてその時期は2032年ってことだから7年後じゃないの!NASAが示した危険度の高い地域には 太平洋東部 南米北部 大西洋 アフリカ アラビア海 南アジアなどが含まれているよ 下の図の赤い線!「小惑星」って言うからどんな大きさかなとおもったら直径40~90メートルくらいってことなので「な~んだ小さいじゃん」となったのよところが衝突の速度が時速6万キロ! なんと1秒間に17キロという想像できないスピードです 通常の隕石だと大気圏で空気摩擦で燃え尽きて小さなものになっちゃうわけだけど 成層圏が地上11キロ程度だから抜けてくるのに1秒かかりません この大きさだと燃え尽きないうちにぶつかるのよ大都市圏で「TNT火薬800万トン、すなわち広島に投下された原爆の約500倍相当」というエネルギーが放出されればとてつもないクレーターができるよ その後何が起きるか分からない地球に届くまでに破壊する方法ってあるのかな?とにかく3.1パーセントの方にならないよう祈るしかないようね 1908年には、ロシアのポドカメンナヤ・ツングースカ川上流の上空で「ツングースカ大爆発」が発生しました。 直径50m~60mの小天体が大気中で爆発したために、強烈な振動が発生し、爆心地から半径約30~50㎞にわたって森林が炎上し、東京都とほぼ同じ面積の約2,150平方㎞の範囲の樹木がなぎ倒されたと記録されています。
2025年02月21日
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複数ポジションの練習ってどんな意味があるのかな2代目タイガース非公式サイトですタイガースは2月20日、今キャンプ初の「シャッフルノック」を実施しました 野手に複数ポジションを守れるようにするって矢野監督時代にもやってたようだけどどうなのかな?うまくいった?プロ野球レベルになると各ポジションの専門性が高くて 自分のもっとも得意なポジションで習練していくだけでも大変だとおもうのよ 故吉田監督だって晩年セカンドを守ったけど「自分のセカンドは失格ですわ」って言ってたんだよいくつものポジションの練習するのは2代目には時間の無駄に思えるんだけど皆さんはどうなのかな?いろんな意見があるだろうねかつて真弓元監督は外野・ショート・セカンドと守ったポジション3つすべてでベストナインになったけど稀有なケースだよね オールラウンドにやるには類稀れな素質とものすごい練習があってできることで みんなができることじゃないわ もう一つの例だと関本さんも内野すべて守れるようになってレギュラーになったわよね でも関本さんは「そうしないとレギュラーになれない」「試合に出られない」って突き詰めて考えて自分で判断した結果だった 【シャッフルノック配置】 (一塁)大山、前川、糸原 (二塁)山田、島田 (三塁)木浪、井坪 (遊撃)豊田、中野 (左翼)原口、中川 (中堅)植田、近本(右翼)小幡、佐藤輝 第5クールになって適性を見てるっていうのも何だし 吉田監督が真弓さんをセカンドから外野にコンバートした年は秋季キャンプの時に言い渡して翌年の開幕に間に合わせたのよ それだけ意識して取り組まないとできないし時間もかかるってこと今回のシャッフルノックはちょっと2代目には不可解に映るのね どういう方針でやってるのか選手が理解しながらだったら好いんだけど・・・ 小幡さんのセカンドならあり得るだろうけど外野をやる気や覚悟があるかなあ? 報道から監督さんの談話を載せておくね なんかはぐらかしているようで意図がよく伝わってこない・・・ -シャッフルノックの意図は 「可能性があるということですね」 -複数ポジションを守らせることで1人1人の可能性を広げてる意味も 「いろんな景色が見えてくるのでね。シーズンは長いですからね。準備をしていく意味では、佐藤(輝)にしても右翼ですごくアグレッシブに動いていたし、チャージをしっかりと仕掛けたりとか。みんな、(別ポジションの)グラブも使ってありますからね。初めてではない、(革が)ガチガチではないですからね。それが何を意味しているかは、選手たちはしっかりと理解しています」 -前川の一塁守備も軽快だった 「グラブを見たら……わかるでしょ、使っているんで。それは彼らが準備をしてきているということですから。準備をしていないことを急にやったというわけではないです」 -今後、実戦でも佐藤輝が右翼を守ることは 「どうでしょうね」 -内野手が外野手の気持ちを理解する狙いも 「そのあたりは分からないですけど、豊田と島田の内野手はないでしょうね(笑い)」 -起用法が増えるのは監督としてはプラスか「どの球団もやっていることですから。今日がタイミング的にもちょうどいいタイミングだったので、2日間、オープン戦まであるので。体はほんとキツい状態ですけど、少し景色を変えるという意味でも十分に必要だったんじゃないかと思います」最後のところが本音かもしれないけど キツい状態なら休養を取ることも大切だとおもうよ こんなので怪我するのも困るからね 写真では 練習する選手も「そのポジション獲ってやろう」という意気込みが感じられないしちょっと緩んでるように見える たまたまそういうシーンを切り取っただけかもしれないけど・・・2代目は岡田監督のようにしっかりポジションを固定して責任を持たせるのが本筋だと感じてる そのポジションのスペシャリストって必要だとおもうなあテル君は「まずはしっかりサードを守れるようになって、というところですね」前川君も「やっぱレフトでちゃんとやらないといけないと思っている」それぞれ語ってる これが筋ってものよ 参考に関本さんの記事も載せておきますね【関本賢太郎 CHECK】私の現役時代にはシャッフルノックの経験はなかった。サインプレーも含めて、不測の事態を想定することもキャンプの目的。いつもとは違うポジションで気づく点もあるはずだ。 長いシーズンを固定したメンバーだけで戦うことは難しい。故障者は出てくるし、2軍で再調整する選手もいる。試合の中でも勝負どころで代走などを送ったり、延長12回で選手を使い切ってしまう場面もある。阪神の右翼・佐藤輝、一塁・前川という形は可能性がある。しかも、そうなるのは終盤のサヨナラのピンチなどだ。準備をしておく必要はある。 さらに言えば、今回だけで十分とは言えない。実戦でも入れてほしい。オープン戦なら試すこともできる。第2ポジションデーも検討に値する。 練習前のウオーミングアップをベンチ前で行うなど、キャンプでは藤川監督のカラーが出ている。全体練習前に個人で体は動かしている、との判断だ。選手個々が自分の練習に「没頭」できるように合理的に練習の流れを作っていると感じた。 やっぱり関本さんの時代にはやってなかったのね 関本さんはプロで生き抜くために自分でユーティリティプレイヤーの道を選んだってことなんだろうね関本さんの記事も今の段階では藤川監督をバックアップしようという内容になってるけど何となく説得力が弱いと感じちゃうのは2代目だけかな 終わりのほうなんて変に持ち上げすぎ
2025年02月21日
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背番号29(その4)みなさんこんにちは 背番号29の第4回目ですここまで8名の選手を紹介したけど一流という選手は出てないよね 今回は投手2名です まず江本さん そして福家さん「29」は着けた人数が少ないし タイガースではちょっとはずれの番号という印象になってる 知名度の高い選手はこれから出てくるわけね江本 孟紀 投手高知県香美郡土佐山田町(現香美市)の出身。高知商業では3年春の選抜出場を決めるが部員の不祥事により出場辞退に追い込まれる。対外試合自粛の影響は夏にも及び甲子園には縁がなかった。1965(昭和40)年のドラフト会議では西鉄ライオンズから4位指名されたが、チームメイトで3番の浜村孝が同1位に対し、エースで4番の自分が4位とは納得できず拒否。卒業後は法政大学に進学している。法政では1学年上に田淵幸一、山本浩二、富田勲の「三羽烏」がおり、同期には絶対的エース山中正竹(リーグ戦48勝、のち法政大監督)がいたため、エースどころかあまり目立たない存在で通算14試合6勝1敗、4年時はベンチ入りメンバーからも外れていた。卒業後は社会人熊谷組に入部してからも目立った実績を残せず、1970(昭和45)年のドラフトでも指名されていない。しかし年が明けた1月、ドラフト2位で指名した井上圭一(のちロッテ)に入団拒否された東映フライヤーズから声がかかり、ドラフト外で入団することになった。1971(昭和46)年、東映では26試合(先発4)に登板したが0勝4敗、防御率も5.04という寂しい結果しか残せなかった。ところが南海ホークスの現役監督だった野村克也が「面白い素材」と目を付けトレードを打診する。同年オフには話がまとまり、高橋博士との交換で佐野嘉幸と共に南海へ移籍することになる。これが人生の転機になった。1972(昭和47)年、移籍するとすぐ野村から「ワシが受ければ10勝以上できる」と言われ半信半疑だったが、実際に38試合(先発32)に登板して16勝13敗、237回1/3で防御率3.03の好成績を挙げることができた。江本は翌1973(昭和48)年以降も、12勝、13勝、11勝と安定した成績を残しエースと呼ばれるまでになった。ところが1975(手話50)年のオフ、前年ごろから野村夫人の佐知代が「陰の監督」として選手の起用やスタメンにまで介入するようになっており、これに業を煮やした江本、西岡三四郎、藤原満の3名が監督に抗議したことで対立関係になってしまう。12月にはトレードを通告され、1976(昭和51)年1月に、南海の江本、島野育夫、長谷川勉、池内豊に対し阪神が江夏豊、望月充という大型トレードが成立、タイガースへの移籍が決まった。背番号は江夏の「28」を選ばず、望月の「29」を着けることになった。1976年、当時の吉田義男監督は江本をローテーションの柱に据えて38試合(先発36)に登板させる。江本は15勝9敗、239回2/3で防御率3.76という数字で応え、移籍した江夏が6勝どまりだったため「トレードは大成功だった」と称賛された。1977(昭和52)年も先発ローテを担って11勝14敗だった。ところが吉田監督が退任して1978(昭和53)年に後藤次男が監督になるとリリーフに転向させられる。この年は10試合の先発もこなしながらリリーフでも奮闘し、56試合に登板11勝13敗11セーブ、防御率3.11の数字が示すように大きな負担がかかる起用によく耐えている。しかしチームが最下位になって後藤監督は解任、オフには法政大の1年先輩でプロでもバッテリーを組んだ田淵が西武ライオンズへトレードされてしまう。選手会長に選ばれた江本はチームの風通しを良くしようと新任の小津正次郎球団社長に直談判する。「私情を入れない実力評価をしてくれる監督」を強く希望したところ、小津もドン・ブレイザーの招致で応えたというエピソードが残る。 江本選手会長のほか竹ノ内・小林・若菜・掛布・真弓という顔ぶれの歓迎会ブレイザー監督に代わった1979(昭和54)年も、江本は先発・リリーフの両方をこなし、12勝12敗6セーブの成績で江川騒動に巻き込まれて移籍してきた小林繫とともに投手陣の屋台骨を支えた。ところが翌1980(昭和55)年になるとブレイザー監督は選手起用で「岡田問題」を引き起こし球団と対立したためシーズン途中で退団してしまう。 そのあとを受けて中西太が監督代行になり、翌1981(昭和56)年には正式監督に就任する。ブレイザーの就任によってチームの体質が良い方向へ変わりつつあると実感していた江本は、後任の中西監督とは考え方が合わず、ブレイザーを半ば解任した小津社長や球団へ不信感を抱くようになった。1981年8月26日の対ヤクルトスワローズ戦(甲子園)で事件は起きる。7回を終わってタイガースが4-1とリード。江本は1失点の好投だったがすでに127球を投げており、8回も続投したが体力的にアップアップの状態になっていた。 一死を取ったものの4番大杉にヒットを許すと5番杉浦には2ベースを打たれ2・3塁に走者を背負う。ここで6番の渡辺にタイムリーが出て4-2となり、なおも一死1・3塁とピンチが続いた。江本はマウンドに来た藤江コーチに「限界」を告げたが、「次の八重樫を抑えろ」と続投させられる。 八重樫を三振に仕留め二死2・3塁となったところで左打者の8番水谷が打席に入った。タイガースの内野陣はマウンド上に集まり、ベンチを見て「勝負か歩かすか」の指示を仰いだ。ところがベンチからはだれも指示を出さないばかりか中西監督はベンチ裏へ入ってしまった。 仕方なくバッテリーは水谷との勝負を選んだわけだが、水谷に同点タイムリーを浴びてしまう。次の投手西井を打ち取るところまで投げさせられた江本の怒りは頂点に達していた。と言うよりブレイザー解任以来くすぶっていたマグマが一気に噴出したのかもしれない。マウンドからベンチに戻る途中でグラブをベンチに向かって投げつけ、そのままロッカールームに向かう通路を歩きながら途中で「アホやから」と叫んだという。これをスポーツ紙の記者が聴いており、翌日の新聞で「ベンチがアホやから野球がでけへん」の見出しで記事となり、球団から事情を聴かれた江本は即引退を表明することになる。 この辺りのいきさつなどは本人の著書やウィキペディア等に詳しく紹介されているので参照していただきたい。(江本孟紀 - Wikipedia) その後は解説などを経て政治家に転身するなどマルチな才能を発揮して活躍しており、著書も多く3冊の共著も含め70冊もの書籍を出版している。技術論より裏話が多いのが特徴。 女優沢田亜矢子との仲が取りざたされたこともあった。シングルマザーとして出産した沢田さんは父親が誰かを明かしていないが娘さんは恐ろしいほど江本そっくり。などなど引退後のほうが話題が多いが詳細は他に譲る。 投手としては長身でありながらスリークォーターでボールの質は重かった。プロではどちらかと言えば軟投型と言われているが、決して器用でコントロールがよかったわけではなく、フォアボール・デッドボール・ワイルドピッチは多い。ボークも1シーズン10回を記録したこともある。 しかし長い腕が横から出てくるうえに荒れ球のため右打者には恐怖感があった。特筆すべきは左打者では王貞治にめっぽう強くカモにしており、67打数9安打3本塁打で打率.134に抑え込んでいる。その秘訣は?「研究したんですよ一応。野村克也さんがね真面目な話、欠点が見つからない時は長所を探せと。あの一本足打法でしょ?どうもそこに弱点があるのではと。だから王さんが構えて足を上げる瞬間に、投球フォームをワザと止めるんですよ。すると王さんが何してんのお前?ってなる。その一瞬のスキに投げるんです。これが意外と打たれなかった」 ということらしい。ただし打たれた3本塁打はいずれも満塁弾である。 通算成績は395試合(先発267)113勝126敗19セーブ、1978回2/3、822四球1130奪三振、自責点774防御率3.52。 今季(2025年)は高校の後輩である藤川球児が監督に就任したこともあり、タイガースの躍進とV奪還を楽しみにしているだろう。福家 雅明 投手兵庫県津名郡一宮町(現淡路市)出身で高校は強豪天理高校。エースとなった2年春の選抜は2回戦敗退、夏の選手権は3回戦まで進むが星稜高校に敗れる。3年の選抜ではベスト8、夏は予選で智辯学園に敗れた。卒業後は社会人野球の三菱重工川崎へ入部。1981(昭和56)年の都市対抗ではベスト8まですすみ好投を見せたことで、同年のドラフト会議でタイガースの4位指名を受けて入団している。 1年目の1982(昭和57)年は17試合に登板しているが、当初4試合は先発で起用され結果が出ず、リリーフに回っている。結局0勝1敗でこれという特徴を見せることができないままシーズンを終えた。 福家は7年間在籍しているが、実のところ2年目以降も白星を挙げることができなかった。背番号「29」は1987(昭和62)年まで着け、タイガースで最後の年となる1988(昭和63)年だけ「45」に変えている。 結局タイガース時代は通算0勝5敗。1984(昭和59)年に30試合61回1/3を投げたのが最多だった。1985(昭和60)年の日本一の年も在籍していたわけだが8試合の登板しかなく、これという働きはない。187センチで細身の体格は江本とよく似ており、投球フォームもスリークォーター気味だった。フォークボールなどいい変化球も持っていたようだが、球質が軽く打者を威圧するようなすごみは無かったようだ。1988年のオフに近鉄バファローズへトレードされたが1989(平成元)年は一軍公式戦で投げる機会はなく、同年に引退している。 現在はスカイAでディレクター兼リポーターとしてタイガースを見守る。 通算成績は95試合(先発14)0勝5敗、175回を投げ奪三振121、自責点107で防御率は5.50で終わっている。まとめ江本さんは個性派なのね 納得がいかないと相手が誰であろうと抵抗するから厄介者とかひねくれ者とみられていたみたい 野村監督も「南海の三悪人」の一人に挙げてたしね 実際は実直で言うべきことははっきり言ってしまうために煙たい存在になってしまったんじゃないかな 人を裏切らない正直な人なんだとおもうプロでは変化球を多投するようになったようだけど もともと球威がありストレートはかなり速かったようね ゴタゴタや早期引退が無ければ150勝くらいできる投手だったんじゃないかなあ福家さんはプロで1勝もできなかったんだね 昔の写真を見るとすらりとした長身で好い投手に見えるんだけど 総合的にみてプロのレベルではなかったのかな背番号29-5に続く
2025年02月20日
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門別投手が劇的変化?2代目タイガース非公式サイトです元タイガースの捕手だった評論家の野口寿浩さんが 2025年の門別啓人投手の変化を分析してるね それは投球で踏み出す右足のステップ 記事を引用してみたよ 2/19(水) 7:20配信「もともと球威が魅力の投手ですが、昨年に比べてボールの強さ、コントロールともに向上しています」と野口氏。「要因は、もの凄いクロスステップで投げていたのが修正されたことだと思います。直そうとして直したのか、自然に直ったのかはわかりませんが、ほぼ真っすぐか、ちょっとクロスステップ程度に収まっています。そのお陰で体を縦に使えるようになり、腕も縦振りになって、ボールを上から叩けるようになりました」と指摘する。投球フォームを“横振り”から“縦振り”に修正するのは、復活を期す巨人・田中将大投手も取り組んでいるテーマだ。野口氏は「投手はいろいろな理由で横振りのフォームになってしまうことがあるのですが、サイドスローでない限り、やはりオーバースローの投手は体を縦に使わないと、うまくいかないと思います」と解説する。1軍の壁に跳ね返された昨年を経て成長を遂げた門別。だからといって、先発ローテ入りが即確定するほど阪神の投手陣は甘くない。昨年13勝3敗の才木浩人投手をはじめ、村上頌樹投手、大竹耕太郎投手、ジェレミー・ビーズリー投手、西勇輝投手、伊藤将司投手ら実績のある顔ぶれが並び、新外国人ジョン・デュプランティエ投手、ドラフト1位ルーキー・伊原陵人投手らもローテ入りを狙う。2軍キャンプで調整中の高橋遥人投手もいずれ戻ってくるはずだ。野口氏は「ちょっとハードルは高いですが、それでもフィリーズとマイナー契約を結んだ青柳(晃洋投手)の分が空いたので、みんながそこを狙っている。門別はチャンスさえもらえたら、昨年より結果を出せそうです」と期待を寄せる。一方で「気がついたらクロスステップに戻っていた、などということがないように、試合の中で固めていくことが大切だと思います。癖を直しても、それを定着させるのは結構難しい作業ですよ」と釘を刺した。実績十分な阪神投手陣にフレッシュな新風を吹き込むか。 2代目もファームの試合で門別君は何度か見たことがあるけど いつも左投手の時は一塁側から見るようにしてるから 正直どうステップしてるかなんて気が付かなかったなあ ネット裏から正面の姿を見たことないんだよ確かに高校の頃の画像を見るとかなり極端に一塁側に踏み出してる 目線を見ればわかるよね 踏み出した足先の方向より門別君から見て右方向を見てるから プレートも一番一塁よりを踏んで さらにクロスステップから右打者の内角へ投げると好いクロスファイヤーになるからそうしてたんじゃない? でも上の今年のキャンプでの画像でもそんなに変わってるかな?って・・・ 足元が写ってないけどこの画像のセカンドベースの位置からするとクロスステップしてるように見えるよ キャンプは順調に調整が進んでるみたいで 本人も「本当に順調だなって感じはしてるので、これからもっと出力を上げていけたら」って言ってるので心配はしてないけど一つの答えはオープン戦になって出てくるとおもうし もう少し気を付けて観察してみたい ホント沖縄行きたいんだけどねえ・・・
2025年02月19日
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2代目タイガース非公式サイトですこのところずっと表題のガールズバンドとは違って女性のみがフロント(ヴォーカル)という編成のバンドが続いてて恐縮なんだけど・・・今回ご紹介するのはさらに異例で そもそもバンドではなく なんとソロの女性ギタリストなのよ!お名前はニタ・ストラウスさんと言います 1986年12月生まれの38歳です ローティーンのころから「リア・フェイル」という自身のバンドを結成してツアーを行っていたほどの筋金入りだわ ハイスクールに進んですぐに中退し演奏活動一筋なのよ もともとは文字通りガールズバンドを組んでいたんだけど2014年にアリス・クーパーのツアーギタリストに選ばれてからメジャーな存在になったのね 2018年にデビューアルバム『Controlled Chaos』を発表して本格的にソロアーティストとして活動してるんだよ このデビューアルバムは内容的にも衝撃的で 全部で11曲が収録されててその全てがインストゥルメンタル・・・つまり全曲が演奏のみで歌は入ってないの ニタさんはひたすらギターを弾きまくってるだけっていうアルバム ギターテクニックは強烈な速弾きと緩やかな曲とを自在に操り あっという間に聞き終わるよ たとえて言えば速弾きではイングヴェイ・マルムスティーンに似た感じにも聞こえるんだけどインギーみたいなこれ見よがしって嫌味さは無いわね 緩やかな曲での「泣き」はゲイリー・ムーアのような粘りっけは無く しなやかでストレートな引っ張りという感じ こう書いてもピンと来ないかもしれないけどギター好きの人はなんとなくわかってくれるとおもう 愛器は自身の希望を入れて設計されたIbanezのモデル「JIVA10」 とても愛着を持っていて「ギターを弾き始めてから、頭の中でシグネチャーギターをデザインしてきました。そして、JIVAはその夢が叶ったものです。トーンウッドから洗練されたデザイン、信じられないほど用途の広いサウンドまで、このギターは私が今まで欲しかったすべてです!」と語っているよ現在ツアーを組んでる自身のバンドメンバーはつぎのとおり ジョシュ・ビラルタ - ドラムス ジョニー・D・ヤング – リズムギター カット・スカーレット – キーボード ケイシー・カールセン – ボーカル 「百聞は一見に如かず」 彼女を知らなかったという人は聴いてみて!コーフンしちゃうバカテクだよホントに リリースしてるアルバムでアマゾンミュージックで聴けるものを以下に紹介しておくからね 絶対聴いて損はないよ 凄いから 2018年11月16日Controlled Chaos (アルバム11曲・再生可)2023年7月7日The Call of the Void (アルバム22曲・再生可) いろいろなミュージシャンとのセッションで作った曲がたっぷり22曲も入ってるよ 他に上記アルバムの中の曲などシングル8曲が聴けます また女性ギタリストばかりをヒューチャーしたコンピレーションアルバム『She Rocks, Vol. 1』も聴きごたえがあるよ 全11曲が収録されててニタさんは7曲目の「Pandemonium」という曲で参加してます 2017年1月20日She Rocks, Vol. 1 (アルバム11曲・再生可) なんだかガールズメタルバンドというカテゴリーからズレてきてるようだけど 女性のロックアーティストを応援したいっていうことでご理解くださいねニタ・ストラウスさんは掛け値なしのメタル系ギタリスト 他のアーティストのアルバムにもたくさん参加してるよ 詳しく知りたい方は次を参照してみてねニタ・シュトラウス - Wikipedia
2025年02月18日
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「これが育成選手なのか」2代目タイガース非公式サイトです2月16日 「練習試合、阪神0-11広島」宜野座で行われた練習試合は広島相手に大敗だったね 開幕のカードであたるだけに できれば痛め付けておきたかったけど今の時点ではそれほど気にする必要はないよねその中で 今季育成ドラフト1位で入団した工藤泰成投手(背番号127)がポテンシャルの一端を披露して注目されたんだって!観戦したデイリースポーツ評論家の井川慶さんが「これが育成選手なのか」って驚きの声を挙げてるから 工藤投手の凄いところを記事から抜き出してみるよ「わずか6球ではありましたが、工藤投手のボールには、これが育成選手なのかと驚かされました。魅力は何と言っても、剛球といった感じの威力ある真っすぐ。腕の振りがしっかりしていて、すごく生きのいいボールでしたね。」「球速だけを見ればベタンセス投手も同じようなスピードのボールを投げていましたが、そこで結果として工藤投手が抑えられたのは、ストライク先行で投げられていたところでしょう。そういった意味では、対外試合初登板という中でも堂々と自分のボールを投げて、ヒットは1本打たれたものの、自分のペースを崩さなかったところも評価できるところだと思います。」「しかも、それまでも真っすぐに対して強さを見せていた広島の打者が、ある程度真っすぐに絞ったような打ち方をしてきた中で、結果を残せたところにも価値がありますね。どういった起用をされていくのかは分からないですが、この日のような短いイニングだけでなく、先発でも見てみたい投手です。」「今後もチャンスはもらえるでしょうし、大事なのは次の登板になるでしょう。この日のパフォーマンスで首脳陣には間違いなく良い印象を与えたと思うので、これをある程度コンスタントに続けられるのであれば、支配下登録も近いのかなと思います。」藤川監督は「球の強さはありましたよね」と評価。安藤投手チーフコーチは具志川からの推薦があったことを明かし、「初めてにしてはいいものを見せてくれた。球速は彼の一番の魅力。あれだけの投球をしてくれたら可能性はある」と次回登板も示唆した。巨人の真田スコアラーは「球が強いですし、支配下になる可能性は十分にあると思います」と警戒した。この日の投球内容は次のとおり先頭は末包。「意識して投げた打者の一人」。初球は156キロの直球で空振り。そして2球目。球威で押し込み、右飛に仕留めた。スコアボードのスピードガンは「158」を表示。「おぉ」とファンをうならせた。続く仲田に中前打こそ浴びたが、二俣は155キロで遊飛。渡辺にはカットボールを見せて、154キロで中飛と真っすぐで押して押して押しまくった。 四国アイランドリーグの徳島からのプロ入りでストレートの力強さを買われて入団した工藤投手 これから総合的なレベルアップが加わってきたらこのスピードなら圧倒的なパフォーマンスを見せるかもしれないね!期待して見守っていきましょう
2025年02月17日
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猛虎異人伝の掲載について2025年2月15日2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは現在「タイガース背番号史」を不定期で連載中なんだけど 並行して「猛虎異人伝」の掲載を開始したいとおもってるのねこれは先代が苦労して集めた資料を基にかなり書き込んであるタイガースに在籍した外国人選手を時系列でまとめた列伝です 紹介する選手たちは「背番号史」にも当然登場してるんだけど 「異人伝」は中身が凄く詳細なのよ 先代は「背番号史」より「異人伝」の方に愛着があって原稿は完成したものが50人分くらい それ以外は書きかけのままになってるから内容を補充しないといけないんだけど先代はいずれ公開していくつもりだったのがブログをやめちゃったから後悔してるんだよねということで2代目が引き継いで2年を経過したってこともあるし 段落など体裁を整えたうえで近いうちに公開を始めたいとおもってるの この度予告をしておきますなお 日系の選手は除いてあるから第1号はソロムコさんということになるよ 皆様ご期待ください!(猛虎異人伝1 マイク・ソロムコ① | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ)
2025年02月15日
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侍ジャパンメンバー発表!2代目タイガース非公式サイトです 2月14日 日本野球機構とNPBエンタープライズは3月5日と6日に京セラドーム大阪で行われる「ラグザス 侍ジャパンシリーズ2025 日本 vs オランダ」のメンバー28人を発表したね来年3月に控えるWBCを念頭にした選考で 初めてWBCトップチームに入る選手が28人中20人というフレッシュなものになったわ早速見てみよう 青字で示したのがタイガースの選手よ 【侍ジャパンメンバー】 ■投手 宮城大弥(23、オリックス) 曽谷龍平(24、オリックス)※初 種市篤暉(26、ロッテ) 常廣羽也斗(23、広島)※初 斎藤友貴哉(30、日本ハム)※初 橋本侑樹(27、中日)※初 大津亮介(26、ソフトバンク)※初 河野竜生(26、日本ハム)※初 塹江敦哉(27、広島)※初 杉山一樹(27、ソフトバンク)※初 今井達也(26、西武) 石井大智(27、阪神)※初 ■捕手 岸田行倫(28、巨人)※初 山本祐大(26、DeNA) 海野隆司(27、ソフトバンク)※初 ■内野手 大山悠輔(30、阪神) 吉川尚輝(30、巨人) 森敬斗(23、DeNA)※初 長岡秀樹(23、ヤクルト)※初 佐藤輝明(25、阪神) 太田椋(24、オリックス) ※初 廣瀨隆太(23、ソフトバンク)※初 矢野雅哉(26、広島)※初 ■外野手 髙部瑛斗(27、ロッテ)※初 水谷瞬(23、日本ハム)※初 細川成也(26、中日)※初 梶原昂希(25、DeNA)※初 万波中正(24、日本ハム) タイガースからは3名が入ってるね 近本さんも入るかなとおもってたけど今回んも選からは外れました 大山さんは6年ぶりの侍ジャパン入りなんだけど このメンバーの顔ぶれから見ればキャプテンのような位置づけかもしれないねタイガース選手のコメント石井大智投手 「代表に選出していただき、光栄に思います。今後においても非常に貴重な経験になると思いますし、まずは自分の今の最大限の力を発揮できるよう、全力で頑張ります」大山悠輔内野手 「すごく光栄なことですし、なかなかこういう機会はないと思うので、1試合1試合無駄にせず、自分にとってプラスにできるように、色んなことを他の選手から学びながら良い時間にしたいなと思います」佐藤輝明内野手「素直に身が引き締まる思いですし、日の丸を背負うことなので、すごく光栄に思います。 普段対戦できないような投手と対戦できるのは楽しみですし、自分の強みを活かして頑張りたいと思います」せっかく出るんだから活躍してね とくに井端監督はテル君に対してホームランを期待してるとおもうんだよね 世界を相手に通用する選手だという姿を見せてほしいってね もちろん2代目も期待してます
2025年02月14日
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背番号29(その3)みなさんこんにちは 背番号29の第3回目ですっここまで5名の選手を紹介してきたんだけど非常に知名度が低いのね 何しろ監督の背番号が「30」で支配下選手の人数が少なかった時代だから「29」ともなると 初期の頃は二軍選手の番号みたいなものだったってこともあるんだよなあ今回登場する最初の選手はタイガースでは有名な人なのよね でもそのあとの2名は再び知名度が下がるわねというわけで 読んでみてください辻 佳紀 捕手福井県敦賀市出身。家業は地元駅前商店街の鮮魚店で「魚辻」。中学時代は投手だったが県立敦賀商業高校に進むと捕手に転向している。2年の春(1回戦敗退)と3年の夏(3回戦敗退)と2度の甲子園出場経験がある。 1959(昭和34)年に明治大学に進学し4年時には主将になったが、島岡総監督と栗崎監督のいざこざの渦中となって不本意なシーズンを送っている。(この件についてはウィキペディア等を参照してください) 当時就職予定も決まっていたがタイガースの佐川スカウトの熱心な誘いもあってプロ入りを決断、1963(昭和38)年にタイガースと契約して背番号「29」を継承した。入団した年は二軍のバッテリーコーチに大物OBの土井垣武がいたこともあってその指導を受け、シーズン終盤には一軍でよく使われるようになる。38試合71打数13安打2本塁打4打点、打率.183というのが1年目の打撃成績だった。 2年目の1964(昭和39)年には開幕から使われて93試合に出場して第一捕手の地位へ近づく。この年のタイガースはリーグ優勝。辻は日本シリーズでも7戦中5試合でマスクをかぶり第5戦ではホームランを放つなど活躍したが南海ホークスに敗れ日本一は逃している。 翌1965(昭和40)年には114試合と出場が3桁になり完全にレギュラー捕手となった。とくに藤本定義監督は村山登板には必ず辻に受けさせており看板捕手と認められるようになる。 1966(昭和41)年から1968(昭和43)年までレギュラー捕手の座を維持しており、この3年間は毎年二桁本塁打も記録して打撃も向上、3年連続でオールスターにも選ばれている。 また1966年には10月から11月にかけて行われた日米野球にも出場しており、対戦相手のドジャースの捕手だったジョン・ローズボロ選手の熱血プレーに感動して翌年から同じような口ひげを蓄えたため「ヒゲ辻」が愛称になった。ところが順風は続かない。1968年のドラフト会議でタイガースが田淵幸一を獲得したために、翌1969(昭和44)年の辻の出場数というは37試合と激減してしまう。田淵という壁はいかにも大きい。レギュラーどころか出場すらあきらめるしかなかった辻はトレードを希望し近鉄バファローズに移籍することになる。 近鉄1年目の1970(昭和45)年は107試合に出場して自己最多の19本塁打をマークするなどレギュラーを奪い取った。翌1971(昭和46)年も108試合に出場し、移籍は大成功だったと言えるだろう。 しかし移籍3年目、4年目は梨田昌崇や有田修三などに押される形でそれぞれ50試合、70試合にとどまり、1973(昭和48)年オフに自由契約となり、大洋ホエールズに拾われる。 1974(昭和49)年は大洋で1年プレーしたが56試合に終わり、オフにタイガースの新監督に就任した吉田義男の計らいにより「ダンプ辻」との交換トレードでタイガースへ戻ってきた。 1975(昭和50)年、選手兼一軍バッテリーコーチとして現役を続けたが出場は4試合。どちらかと言うとサードベースコーチとして目立っていた。現役はこの年で引退する。 1976(昭和51)年、吉田監督にヘッドコーチに抜擢されるも、田淵の起用法で激しく対立し、シーズン終了後に退団している。 通算成績は960試合2340打数486安打231打点87本塁打、130四球483三振、打率.208だった。 退団後は野球解説のほかテレビやラジオでタレントとしても活躍していたが、1989年4月25日に病気のため死去。まだ48歳の若さだった。植木 一智 投手(再掲)植木は背番号5-4で紹介済みだが改訂し再掲する。京都府出身。高校は平安高校ではエースとして同級生の衣笠祥雄とバッテリーを組んでいた。3年時の春夏甲子園に出場しており、いずれもベスト8まで勝ち進んでいる。 卒業後は龍谷大学へ進学、リーグ通算64試合登板、26勝17敗、防御率1.47、313奪三振の好成績を残している。2年時春のリーグ戦では近畿大学戦でノーヒットノーランも記録、落ちる球を武器にするサウスポーとしてドラフト候補になっている。1968(昭和43)年のドラフト会議でタイガースの2位指名を受けて入団し、1年目は背番号「5」を着けている。この年のドラフト会議は今でも空前の大豊作と言われており、1位のメンバーは次表の顔ぶれだった。 2位以下とは実力がかけ離れた素材がずらりと名を連ねており、タイガースの1位は田淵幸一。2位の植木は投手としては珍しい「5」をもらっているが、当時は江夏豊とベテラン権藤正利しか左の先発がいなかったため、大きな期待をもって迎えられたと言っていいだろう。 ルーキーイヤーの1969(昭和44)年は12試合(先発3)に登板して0勝2敗、防御率4.32という期待外れの結果に終わっているが、実はこれが植木のキャリアハイになる。 2年目以降の登板は、4試合0勝0敗、11試合1勝1敗、4試合1勝0敗、3試合0勝0敗で、一軍戦力にはなれなかった。 背番号「29」を着けたのは2年目の1970(昭和45)から2年間、その後の2年間は「36」を着けている。 大学では活躍できたが結局プロで通用する力はなく1973(昭和48)年のシーズンを最後に引退している。 通算成績は34試合(先発7)2勝3敗、74回2/3を投げて39奪三振、自責点41で防御率は4.92という数字しか残せなかった。望月 充 外野手(再掲)静岡県富士市出身。静岡高校では投手だったが甲子園には出場できなかった。立教大学に進むと投手をあきらめ外野手に転向し2年秋からレギュラーになって打線の中軸を担った。リーグ通算では63試合出場、207打数44安打、打率.213、7本塁打、20打点の成績を残している。大学を卒業した1971(昭和46)年には社会人の大昭和製紙に入部。秋の産業対抗では優勝を飾り、望月は11打数6安打で首位打者、優秀選手賞に輝いた。同年のドラフト会議でタイガースから3位指名されて入団。植木の着けていた「29」を譲られた。即戦力として期待のかかったルーキーイヤーの1972(昭和47)年はオープン戦でクリーンアップを打ち3本塁打をマーク。シーズンに入ってもレギュラーに近い92試合に出場して7本塁打21打点とパンチ力を見せ、オールスターにはファン投票で選ばれている。 しかし「左殺し」と異名をとったようにサウスポーには強いが、右投手が打てず、打率は2割1分そこそこと確実性に欠けるためレギュラーを勝ち取るところまでいかない。以降の成績は次のようなものだ。 1973 95試合7本25打点 .214 1974 88試合9本32打点 .231 1975 76試合4本12打点 .214 2割5分程度まで打率が上がればレギュラーもとれたかもしれないが、ここに見える数字が限界だったのかもしれない。 1975年のオフには契約更改を済ませたが、そこで巻き起こった江夏豊のトレードに巻き込まれてしまう。年が明けた1976(昭和51)年1月に南海ホークスとの2対4のトレードが成立し、その一人となって移籍することになった。 南海に移った1976年は、もはやモチベーションがなくなってしまったのか33試合の出場に終わると、翌1977(昭和52)年にはわずか14試合になってしまう。故障も重なっておりここで現役をあきらめ引退している。 その後はホークスに残りスコアラーなどを経て、1990(平成2)年にかつての同僚田淵幸一が監督に就任すると一軍守備走塁コーチなどに抜擢されている。その後もスコアラーとして残っており、2000(平成12)年のシドニー五輪代表チームにも派遣されてスコアラーを務めたりした。 通算成績は398試合1025打数216安打100打点30本塁打65四球180三振、打率.211である。まとめどうでした? ヒゲ辻さんは名前は結構有名らしいんだけど成績をみると驚くような選手じゃないね まあ個性的っていう意味で当時のファンの記憶に残ってる選手なんだろうね植木さんについては「5」でも書いてるんだけど 書いた2代目がすでに忘れちゃってる・・・そんな感じなのよ 当時を知ってるファンの人も覚えてないかもしれないね 残念だけど写真はみつからなかった望月さんは惜しい選手だったんだね 長打力はあるからもう一歩 右投手がしっかり攻略できればレギュラーとれたんだろうけどからっきし打てずダメだったヒロくんさん!またまた立教大ですが 望月さんって覚えてらっしゃいますか?感想聞かせてね ということで 背番号「29」には今だ大物出ず でも次は江本さんだよ背番号29-4に続く
2025年02月14日
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「正座」の謎はよく判んなかったね2代目タイガース非公式サイトです12日のブログでテル君や村上様との「不思議な正座での会話」について今日のスポニチさんに短い記事が出てたけど なんかはぐらかされて終わったようなのよ 結局深い意味はないってことらしいけど 意味もなく正座するかねえ・・・ 「野球の話じゃなくて雑談ね雑談」▼朝に佐藤輝や村上とコミュニケーション 雑談ね雑談。野球の話じゃなくて雑談があるからこそ、さあ行こうかの一言が言える。彼らの表情も見てるし。 何のことやら こんな短いそっけないコメントで一件落着ってこと? まあお叱りとかじゃないから良しとしよう とおもってたら13日10時半ころ次のような記事が配信されました ▼今度は大山悠輔が正座…藤川球児監督が2日続けて主力と正座対談 笑顔あふれる第3クール最終日の13日、早出練習が行われていた室内練習場で、大山悠輔内野手(30)のもとへ。正座する背番号3の前で、自身も座り込み、笑顔を交えながら話し込んだ。前日には同じシチュエーションで佐藤輝明内野手(25)、村上頌樹投手(26)とも対話していた。 ということなので 本当に深い意味は無さそう 紛らわしいね💢2代目としてはこっちの記事のほうが気になるかな「せっかく具志川から来たのにもったいないよ」第3クール2日目となったこの日は、キャンプ初のケース打撃が行われ、川原、二軍・具志川組の椎葉、津田が打撃投手を務めた。しかし、序盤はバントを容易に決められるなどピリッとしない内容。見かねた藤川監督は若手投手たちに声をかけ、奮起を促していた。「せっかく具志川から来たのにもったいないよって。消耗品の肩肘を使ってやってるんだから、『見てるぞ』と言いました。そこからボールが変わって、ファウルが取れるようになったので、何のための練習かと。練習台として呼んだわけじゃないのでね」。「僕にとっては試合のための練習なんで。横から見ると分かるので、キレがあるかないか。みんながやるべきことがあるはず」 これは監督さん自身がなかなか芽が出ず一軍に定着するまで苦労した経験があるから余計に今の若手が気になるのかもしれないね まだまだこれから上を目指していく過程の若手投手たちが結局は「やらされてる練習」という受けとめ方になってるように見えて歯がゆいんだろうね こういう感覚で練習してても伸びない 「せっかく一軍のキャンプの中で観てもらえてるんだから課題をもって取り組み 積極的にアピールしなさい」ってことだとおもう キャンプ中盤に入っても何を目標にしていくかを 自分でしっかりつかめていない選手もいるんだよね そのあたりを意識的に変えていこうという監督さんのおもいは当人たちに伝わるかな? キャンプ後半で答えは出てくるよ
2025年02月13日
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藤田監督の再現?!2代目タイガース非公式サイトですネット上を色々確認してら異様な写真が目に飛び込んできたんだよね 写真を見た瞬間は鬼平」と呼ばれた藤田平監督の「新庄正座事件」を思い浮かべたけど 今回は向き合って藤川監督も座ってるから単なるペナルティじゃなさそうだね まず最初がテル君だけど 記事によれば次のような感じだったんだって 第3クール2日目の12日、早出練習が行われていた室内練習場。監督はまず佐藤輝明内野手(25)のもとに近寄り、ともに座って笑顔で対話がスタート。佐藤輝はなぜか正座で、指揮官の話に耳を傾けた。続いて、村上頌樹投手(26)とも同じスタイルでコミュニケーション。村上も正座だった。前日11日にはブルペンで投球の助言を行っていた。 日刊スポーツさんの記事は12日10:01の配信だから内容もこれだけしか出てません その後は監督への直接の取材ができなかったのかなあ「なぜ正座なのか」「どんな話をしたのか」「監督は怒ってるのか単なるアドバイスなのか」という疑問が18:30現在でも何一つ解明できてないようね 真相は13日の報道までお預けかな? 高橋遥人投手が初ブルペン! 高橋遥人投手(29)が今キャンプで初めてブルペン投球を行った。第3クール2日目となったこの日、捕手を立たせて10球を投じた。 左腕は昨年11月に左尺骨短縮術後に対する骨内異物除去術を受けており、完全復活に向けリハビリを続けている。これは少し嬉しいニュースだわ 2代目は今季のタイガースのカギを握る一人だとおもってるのよ でもまだ回復がどういうレベルまで来てるのかはっきりわかんないね 何しろ投げたのがたった10球だもんね・・・
2025年02月12日
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岡田監督最後の言葉の意味2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは 2月11日 あまりネタがないのでネット上をうろうろしてると 1週間前の中日スポーツさんの記事に興味深いものがあったので残しておくね2025/02/04(火) 12:00配信今年の阪神の注目選手はやはり…なーんだ平凡と思われても彼の活躍が大きなカギとなるコラム「田所龍一の『虎カルテ』」2025年の藤川阪神。1年目の沖縄キャンプで最大の注目選手は誰だろう。「新4番」を指名された森下? 「三塁」「一塁」「外野」とマルチ守備に挑戦する新3番の佐藤輝? それともFA残留を決めた大山? 実は筆者が一番注目しているのは「2番・二塁手」2年目の選手会長を務める中野拓夢内野手(28)である。なーんだ、平凡…とガッカリしないでほしい。実は岡田阪神が2023年に「日本一」になれたもの、そして24年に「連覇」を逸したのも、中野の成績の浮沈が大きく関わっている。23年、沖縄キャンプに臨んだ岡田はまず、「遊撃」だった中野を「二塁」に固定した。これは岡田前監督が野球解説者時代、記者席から見た中野の守備位置が前、前になっていることに気づいたからだ。岡田氏は著書の中でこう語っている。「中野はそんなに肩の強い選手やない。だから遊撃を守ると、前に、前に出てきてしまう。だからオレは、東北福祉大で二塁を守っていた彼を二塁に《戻した》んよ。当たり前のことやんか」送球に不安のなくなった中野の守備範囲は広がり、岡田阪神の《守りの要》になった。当然、打撃も打ってよし、送ってよし。164安打、打率・285、40打点。1番近本とのコンビは《最強の1、2番コンビ》と言われた。だが、そんな中野が24年、大きく崩れた。127安打、打率・232、32打点。期待していた岡田監督の落胆も大きかった。「ことし近本の二塁打のあと、中野のレフトフライ何本あった? あれ全部《進塁打》のサインよ。バッティングを良くさせよう、自分のスイングを確立させてやろうと思って打たせたんよ。崩れても、どこに打たなアカンかアイツには分かると思った」「素振りのスイングなんか打席ででけへんよ。相手は崩しにくるんやから。崩されたときにどういうバッティング、打ち方ができるか―よ。崩されたから空振り三振しました―じゃぁ、どうしようもない。何も起きひんよ」これが岡田監督の《最後の言葉》だった。もちろん中野自身が一番悔しい思いでいる。決して油断したからではない。さらに成長しようと思ってやったことが裏目に出た。「打球のスピードを上げたり、もっと強い打球を飛ばそう、強く振らねば―と考えて、結局、自分の打撃スタイルを変えてしまった。チャレンジしたのがよくない方向にいったんです。バットを下から振り上げる様なスイングが染みついてなかなか取れなかった」と中野は反省した。でもなぜ、善かれと思った挑戦がこんな結果になったのだろう。 ある阪神OBはこう解説した。 「もっと成長したいという思いは決して悪くない。向上心は絶対に必要。だけど、そのために《いいもの》まで変えてしまうのは危険。昨年の中野がそれ。もっと強く、遠くへ飛ばそうとするのではく、確実性を高める方向へ目を向けていれば…。現状の技術を磨く。それも大きな成長なんですよ」キャンプに臨んでいる中野にはもう迷いはないだろう。下から出ていたスイングも、自主トレからの調整ですでに《上から》に戻っている。「最強の1、2番コンビ」復活が、佐藤輝以下の新クリーンアップを生かすことにもつながる。 中野選手会長、頼むよ!以上のような記事なんだけど どうですか? 確かに去年の中野選手は期待されたバッティングも進塁打も盗塁もポテンシャルの半分くらいしかできてなかった気がするのよ 今年(2025年)のキャプでも中野選手の話題は少ないようね 記事を見ると岡田監督は打線の中での役割だけでなく 中野選手の成長のことまで念頭に置いてサイン出してたんだね 中野君は小力があるからときにホームランや長打が出ます でも監督さんはそこを追い求めるのではなく どういう立場で何を求められているかを自分で考えて実践の中で応えられる選手になってほしいという思いがあったんでしょう記事ではスイング軌道も23年のように転がすことを意識した形にもどってきてるようだから自覚をもって地味に取り組んでるのよ 2代目も安心しましたというわけで今季キーマンは中野選手記事の最後にもあるけど2代目も同じ言葉を贈りたいわ中野選手会長、頼むよ!
2025年02月11日
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2代目タイガース非公式サイトですガールズメタルバンド紹介の10回目になります今回は2013年にアメリカ・ミズーリ州スプリングフィールドで結成された「PARALANDRA」(パラランドラ)を紹介するよ 聴きなれない名前?結成されて12年だけど日本ではほぼ知名度は無いといえるかな?2代目も2024年に初めて聴いて そのしっかりしたサウンドに驚いたわまだWikipediaにも載ってないんだけど2代目が今いちばん推したいバンドなのよ ライヴも観れるといいなと思ってる とにかく目を通してみて! バンドの中心になっているのはヴォーカル兼ギターのカサンドラ・カーソン 物心ついたときから父であるポール・カーソンと一緒に音楽を作っていたのね彼女が子供の頃父親と一緒にリビングルームでギターを弾いていたんだけど いつしかギターを自分でチューニングし始めたんだって これがギタリストへの第一歩ね2013年の夏 カサンドラが彼女が書き始めた曲を演奏するバンドを作ることを思い立ったことから始まり 高校時代の友人でオリジナルのロックバンドで演奏したいと思っていたギターのニック・グレイと再会してバンド結成が現実味を持ちます2ヶ月も経たないうちに新バンドが結成されてライヴとレコーディングを始め、2014年6月にパラランドラ初の12曲入りCD「Rise Up」を自作リリースしますパラランドラのステージはエネルギッシュでありながら意図的であり組織化されているのよ だから慎重に考え抜かれ設計されたエンターテインメントとして高い評価を受けることになりました 事実上のデビューと言えるEP盤アルバム「All Fall Down」を聴いてみると 以外にも緩やかなテンポの曲が多くてヴォーカルがなめらか その後の作品ははハードなものも交えながら洗練された曲が多いわ 埋もれるには惜しいバンドですでも結成して2年ほどは地元の観客の前で演奏する程度の活動範囲に過ぎなかったのよね その後もどちらかと言えばツアー・バンドで地方でのライヴ活動とその情報発信が中心かな アマゾンミュージックのようなストリーミング再生では人気が高いバンドなんだけどね現在のメンバーは次のとおり 結成時の相棒だったニック・グレイは既にいません(ヴォーカル・ギター)カサンドラ・カーソン(ギター)ポール・カーソン(ベース)ソーヤー・リカード(ドラムス)ダコタ・ワトソン ではこれまでにリリースしたアルバムを紹介します 2025年1月現在でアマゾンミュージックで再生できるものかどうかわかるように掲載しておくね 2014年 「Rise Up」(自作アルバム) 再生不可 2016年 「All Fall Down」(EP盤5曲) 再生可 2018年 「Ascension」(EP盤5曲)再生可2021年 「Street Magic」(スタジオアルバム8曲)再生可2024年 「The Body Electric」(スタジオアルバム10曲)再生可 今はストリーミング再生での評価が先行してるけどこれはある意味で現代的と言えるね バンドの紹介や情報などは主にインスタグラムやエックスを活用してる日本の音楽メディアはほとんど取り上げてこなかったけど 2代目はこれからまだまだ伸びるバンドだとおもってる パラランドラはライヴでの演出がすばらしいバンドだよ オーディエンスを沸かせることができる強みを持ってるから来日すれば絶対支持されるとおもうんだけどなあ・・・興味が湧いた人はこちらも参照してみてねParalandra | Exclusive Music And BTS Content From A Touring Rock Band | Patreon
2025年02月10日
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畠世周投手 使えるぞ!2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは キャンプでは紅白戦たけなわだね2月9日 宜野座で行われた紅白戦で 今年現役ドラフトで巨人から加入した畠世周投手(背番号36)が実力のほどを見せてくれたよ お名前は「はたけ せいしゅう」と読むそうよ 皆さんしっかり覚えましょう現役ドラフトで浜地真澄投手を出したタイガースが代わりに獲得したのがこの畠投手で背番号は浜地さんから引き継いだものね 本人も「チャンスだと思っているので、生まれ変わったと思って一生懸命頑張りたい」と言ってるように今年にかける意気込みは違ってるテル君に2ランは浴びたんだけど その打席でもストレートを試すかのように投げ続け 4球連続ファウルを打たせてるのは球威があったからよ 打たれたボールも150キロ出てたそうだから今の時期としては仕上がりがいいよね 使える感触が大きくなってきた!2代目が昨年12月10日のブログで紹介した時は 故障歴や手術歴が多いことにちょっと疑問符を付けてたんだよね 2年目に156キロを計測して以来期待されてたのに まともに1年間働いたのは2021年だけみたいな感じになってしまって現役ドラフト名簿に載っちゃったのよ30歳での移籍だから本人にも「もう後がない」という覚悟もあるでしょう 今日は最初からストレートでグイグイ押すピッチングだったわ だからテル君も打てたというのおもうわおもうわ もう少し実戦的な配球されたら三振だったかもしれないよ 最初だから近大の後輩に花を持たせたってわけじゃないでしょうね今日は1イニングのみで打者5人に対して2安打2失点だったけど スピードや球威は好い時に近づいてるようだし なによりも気持ちがしっかり入ってるのが買えるね! 藤川監督は中継ぎでの起用を想定してるみたい このスピードがあればいい感じだし先発もしてたから複数イニングもいけそうね 開幕まで体をいたわりながら順調に調整してほしいわ 決して無理は禁物よ
2025年02月09日
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改めてよっさんの凄さを知る2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは 今日は2月9日 吉田義男さんが2月3日に亡くなってもうすぐ1週間が経とうとしてますねご逝去以来 どなたか吉田さんと同時期にプレーした方がエピソードを語っていないかを探していたんだけど 先代から引き継いだ資料ファイルの中から一つ見つかったので紹介しておくよそれはデイリースポーツ電子版で2009年から2010年にかけて連載された「猛虎豪傑列伝」というもので15年くらい前のコラムなのね 語っているのは吉田さんとともに戦った当時のエース小山正明さんなのよ しかもほぼ自分の語りそのままで掲載された貴重なもの吉田さんの凄さを知るため全文を載せます(内容は掲載当時のまま 写真は2代目が挿入したも)猛虎豪傑列伝語り:小山正明吉田義男編 神業プレー「そんなアホな!!」現役時代は“今牛若丸”との異名を持つ名プレーヤーで、指揮官としては、球団唯一の“日本一監督”でもある吉田義男氏(76)。本紙評論家・小山正明氏が語る「猛虎豪傑列伝」の4回目は、今なお異色の解説者として輝きを放ち続けている“ヨッさん”の登場。小山氏から見た伝説の名人芸とは‐。■トラ唯一の「日本一監督」まあヨッさん(吉田義男氏=阪神元監督、現野球評論家)の現役時代のプレーなんか、ここ近年ではありえないね。そらもう見事なもんやった。例えば、1死一塁で打者が二ゴロを打ったとせんかいな。二塁手から併殺狙いの球が転送され、遊撃のヨッさんがこれを捕ったか思うたら、もう一塁で併殺完成や。球が来た‐と同時に投げるんやもんなあ。ホンマやで。僕ら登板がないとき、ベンチでよお渡辺の省さん(渡辺省三氏=1953~65年、元阪神スカウト)と話したもんや。「ヨッさんはどないしてあんなプレーできるんやろな」って。そんで、じかに聞いてみたことがあった。「ボールをつかまないと放れられしまへんやろ。一体どないしまんのや?」。そうしたらヨッさんの返事はこうや。「いや、できるで」。味も素っ気もない。それだけや。企業秘密いうんか、お前に教えたところでできへんやろ‐って感じやな。そらできるわけあらへんよ(苦笑)。僕はピッチャーやし、たとえ内野手であったとしてもできん。あんなもん神業としか言えん。藤村さん(富美男氏)が監督やったとき、自分で試合前のシートノックをしとった。このノックがまたうまいんよ。遊撃のヨッさんの番になったとき、捕れるか捕れんかという微妙なところに打つんやな。ところがこれを必死に追いかけて捕ってしまう。藤村さんは苦笑いや。これだけで、試合前の甲子園がドッと沸いとった。試合の中身よりも、あのシートノックが1つの“見せ場”やったわけや。■次元が違う僕がプロに入って初めて三振を獲ったのは、プロ野球界初の3冠王になった小鶴誠さん(元松竹=1942~58年)やけど、その小鶴さんが、ヨッさんの神業にあ然とグラウンドに立ちすくんだことがあった。小鶴さんが広島に在籍していたときのことや。マウンドには藤村隆男さん。小鶴さんが放ったライナー性の打球が、藤村さんの足元を抜けていった。小鶴さんにすれば「よし、センター前や」てなもんやったやろ。抜けた!!っていう打球やから、ゆっくりと一塁へ向かった。そしたら、何でか球が一塁に送られてきた。一塁塁審のコールは「アウト!」よ。ヨッさんが例の神業で捕って一塁に矢のような送球をしたんやな。「そんなアホな!!」。小鶴さんは一塁手前でそんな顔をしとった。そらそうやろ。あんな打球、普通の選手やったら捕れっこないんやから…。鳥谷が入団して間もないころ、僕がテレビの解説をしているときに美技を見せ、ときのアナウンサー氏が「今牛若丸・吉田さんのようです!!」となぞらえた。とんでもない話やね!!「比べたらあかん」とはっきり言うたんや。次元が違う、とな。■〈WHO’S WHO〉▽吉田義男(よしだ・よしお)1933年7月26日生まれ、76歳。京都府出身。現役時代は内野手。山城高から立命館大(中退)を経て、53年に阪神入団。最多安打1回(55年)、盗塁王2回(54、56年)、ベストナイン9回(55~60、62、64~65年)。69年に現役引退。通算成績は2007試合1864安打、66本塁打、434打点、350盗塁、打率・267。阪神監督を3度(75~77、85~87、97~98年)務め、85年には21年ぶりのリーグ制覇と球団史上初の日本一に導いた。同年、正力賞獲得。現役時代の背番号23はタイガース3人目の永久欠番。監督通算成績は1051試合484勝511敗56分け、勝率・486。92年に野球殿堂入り。現在は野球評論家。 いかがですかみなさん? 短いコラムだけど 読んでて吉田さんのプレーが目に見えるような気がしたよ同じプロ野球の選手から見ても まねのできない次元が違うプレーだったのよね 吉田さんをバックに投げていた小山さんの生の声の証言だから信憑性があるわほかの人もいろんな証言があるけど 中には「吉田さんはグラブの土手に当ててボールの勢いを消し その瞬間に右手に持ち替えて送球していた 手に握るときまだボールが回転していた」って言うのもあったわねとにかく自分で創意工夫して 捕球~持ちかえ~送球の動作をいかに無駄なく素早くするかばかり考えて練習してたんだって 教えられることに慣れてしまった今の子たちには無理な気がするなあ もう吉田さんのようなプレイヤーは出てこないんじゃないっておもうよホントに 最後にとってもすごい記事を発見したので付け加えさせていただきます これは全く知らなかった!吉田義男…縦縞一筋70年! 巨人軍・馬場正平一軍初登板の第一打者 (前略)プロレス界との接点がある。それは1957年8月25日、甲子園球場でおこなわれた読売ジャイアンツとの公式戦。一軍初登板となった馬場正平投手(のちのジャイアント馬場)の相手、それも第一打者として打席に立ったのだ。「(阪神が)ボロ勝ちしてて、巨人の水原茂監督が8回に登板させたんですわ。2メートルを超える大きな男と、165cmの小柄な私。まあ、試合の大勢が決まってるので、ファンサービスだったんでしょうな。2階からやなくて、それこそ天井から投げてくるって感じで、球も速かった。2球で2-0(今でいう0ボール2ストライク)に追い込まれて。セカンド正面にいい当たりのゴロを打ったの覚えてる。その回、三者凡退やったんちゃうかな」と当時のことを述懐した。 (後略) いかがですかみなさん? さすが90周年という長い歴史だけに驚きの事実があるものね 週刊プロレス編集部の皆さん! 素敵な歴史を発掘してくれて感謝です! 馬場さんの写真もすごい!まだ子供だね ホントにタイムリーなスクープ記事だよこれ ありがとう!
2025年02月09日
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2代目のアイテム紹介💕 その82代目タイガース非公式サイトです このカテゴリーでは2代目が手に入れたいろんなアイテムを紹介してます 前回のアイテム紹介はなんと2024年2月1日だったのよ 1年たってしまったけど忘れたわけじゃありません 久しぶりに更新するから心して読んでね!これ意外と効いたわ! 2月に入って早くも1週間過ぎたわけで あちこち痒みがでてきたのよね大体毎年そんな感じなんだ 多分少しづつ花粉が舞い始めているからだとおもう この時期になると2代目は特におでこのかぶれと耳の中の痒みから始まるのよ いわゆる露出してるとこからやられるんだわこのごろ室内から外に出るとくしゃみの連発ってのも始まってるし 突然水っぽい鼻水が止まらなくなったりもあるよ2月の終わりから5月の連休過ぎまでは花粉と黄砂がダブルで襲ってくるから洗濯物を外で干すなんてできません 濡れた状態のところへアレルゲンの粒子がくっついてきて 乾いて着用しようものなら背中もお腹もお尻もかぶれてしまってどうにもならないわ 4~5カ月は地獄を味わうことになります そこで近年頼りにしてるのが次の2つなの その1 ㈱池田模範堂さん「ムヒER」 これは耳の中の痒みを抑える唯一の商品で 液体を綿棒にしみこませて耳の穴の中を掃除する感じで塗っていくとあっという間に痒みが引きます 3時間くらいで効き目が薄れてくるとまた繰り返して かなり緩和されるので助かってます 同じ症状のある人にはこれお奨めよ その2 ㈱バスクリンさん「バスクリンメディカルAD」2020年に発売された㈱バスクリンと㈱池田模範堂のコラボ商品なのね もちろん入浴剤よお肌のトラブル全般に効いてなおかつ保湿してくれる しかも一般的なバスクリンと同様に身体が温まって湯冷めしにくいわ かなり効果あるよ 2代目は2~4月にかけてお世話になってるけど特に冬場には超お奨めただし通常のバスクリンの倍以上のお値段でドラッグストアではまずおかれてないから通販で取り寄せてます 5本セットで買うと2割くらいお得になるしね 効能は次のとおり 最後にお断りですが ほかにも色々使ってみて2代目が試したなかでの感想です すべての人に有効かどうかは保証できないんだけど 試してみるってことは好いことだとおもうからあえてご紹介したものです もし「なんだ効かないじゃん」となったときはご容赦くださいね
2025年02月08日
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キャンプリアタイア第1号は西純也投手2代目タイガース非公式サイトです出ちゃったねえ 右ひじの「違和感」で2月7日から別メニューでの調整になったんだよ 2月4日のシート打撃に登板してたようだけどいつからおかしかったのかなあ「違和感」と言うのも「張り」と同じでニュアンスがあいまいだから深刻なのか軽いのかよく判らない 痛いほどではないってことなのか?痛いけど外向けには「違和感」ということにしているのか? 実際の状態は本人以外にはわかんないわ とにかくデュプランティエ投手のような「体調不良」とは違うんだなとは感じるけどね2022年に14試合6勝3敗・防御率2.68とブレイクし 2023年も17試合5勝2敗 そして飛躍を期した2024年が4試合0勝1敗となってしまって 今シーズンでの巻き返しを目指してる矢先にこれは心配だよキャンプに入るまでに10キロも減量してやる気満々だっただけに重傷でなければいいんだけど 続報が待たれるわね
2025年02月07日
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今年も行ってきました2代目タイガース非公式サイトです 毎年欠かさず行ってるJRナゴヤタカシマヤの「アムール・デュ・ショコラ」今年も行ってきました 出店するバティシエが名誉に感じるほど どんどんイベントが大きくなって ランキングによって来年のテナントの位置が決められるって厳しい競争が繰り広げられるのよつぎのがランキングの中間発表で2回ぐらい発表されるのかな?これを見て各出展者はさらに気合が入るってことね 2代目が好きな「トシ・ヨロイヅカ」が8位に食い込んでるよ ランキング1位の「クラブハリエ」さんの代表作「ハートブラウニー」 5種類くらいあるんだけど 開店1時間で完売するから買ったことがないなあ クラブハリエさんは「たねや」さんと言う和菓子屋さんの洋菓子部門で 滋賀県近江八幡市に本店があって 同じ滋賀県の彦根城のすぐそばに支店があるのよ 2代目の住んでるところから車で1時間くらいなので結構買いに行ってるんだよ ランキング2位の「ディヴァン」さんの「ピスタチオドバイチョコレート」 濃厚なピスタチオクリームとサクサクしたカダユフの食感が楽しめすユニークな板チョコレートとして話題になってる あっという間に売り切れてしまうわね 10年位前までは パティシエたちもイベント中に2~3日顔を出す程度だったけど 期間も伸びて約1ヶ月になり ランキング競争も激しくなるにつれて期間中ほぼ泊まり込みで毎日ブースに出てるよ 何しろ今では期間全体で50億円くらい売り上げる日本一のバレンタインイベントに成長したから 参入したいっていうパティシエも後を絶たないのよ 海外のパティシエも結構来てるんだよね 今年注目の人が「カタログで紹介されてる これは初めのほうのページを飾るから ここに載りたい人はひしめいてるそうよ 一方で2代目のような消費者もぐんぐん増えて かつては土日以外ならめちゃくちゃ混んでるようなことはなかったのに 今はみんな仕事休んで殺到してくるから 今回も木曜日に行ったのに「今日って何曜日なの?」と驚かされる大盛況でしたでは会場の様子をちょっとだけ公開します 今2月6日だから終了までまだ1週間ちょっとあるよ ぜひ行ってみてね
2025年02月06日
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背番号29(その2)みなさんこんにちは 背番号29の第2回目です1952(昭和27)年まで9年間も空き番になっていたことは1回目でお伝えしたよね1953(昭和28)年にこの番号を復活させたのは石垣一夫さん この選手はタイガース在籍の6年間着けてますが皆さん知ってた?今回は3名紹介するんだけど タイガースファンといえどもほとんどの人は3名ともご存じないとおもうよ 2代目も全く知らなかったというわけで 読んでみてください石垣 一夫 捕手和歌山県新宮市出身。県立新宮高校時代はとくに目立った記録は残っておらず甲子園とも無縁だった。卒業後は社会人の常磐炭鉱に入り、1952(昭和27)年の都市対抗本戦でベスト8になっている。並外れた強肩が魅力で、社会人野球時代には一度も盗塁をされていないと言われるほどだった。 1953(昭和28)年にタイガースへ入団し背番号「29」を着ける。この年のシーズン開幕前に行われた日米野球のメンバーに抜擢され、第5戦ではルーキーながらいきなり先発出場しているところを見ても 相当な期待をされた選手だったのは間違いないだろう。 持ち前の強肩に加えて捕手でありながら俊足でもあったが、半面バッティングの確実性が低くルーキーからの3年間は50~70試合程度に出場しているが打席数は少ない。正捕手だった徳綱茂の壁も厚かった。 4年目の1956(昭和31)年にようやく103試合に出場して248打数51安打18打点、自己最多の5本塁打をマークしてレギュラーの座をつかんだ。 しかし1957(昭和32)年には、同期入団の山本哲也が台頭してきたため わずか1年でレギュラーを奪われてしまう。山本はバッティングの面では石垣と大差なかったが、リード面での洞察力や投手からの信頼が厚いなど、捕手としての特性に優っていたようだ。 1958(昭和33)年、石垣は36試合の出場に終わり、オフに南海ホークスへ移籍することになる。 しかし、すでに南海には野村克也という強打のレギュラー捕手がいたため出場機会はごく限られていた。結局3年間プレーしたが1960(昭和35)年のオフに現役を引退している。 石垣はそのまま南海に残り、1961(昭和36)年から4年間ファームのコーチを務めたのち退団した。その後は政治家に転じ、市議、府議を経て公明党から1996年の衆院選に当選したが、2000年の衆院選では新進党から立候補して落選。2004年7月23日に亡くなっている。 通算成績は448試合821打数180安打63打点7本塁打20盗塁32四球119三振、打率.219だった。谷車 明(たにぐるまあきら) 捕手奈良県吉野郡下市町幸町出身。県立高田高校3年時には1955(昭和30)年の選抜大会で主将として甲子園の土を踏みベスト4まで勝ち上がった。高校を卒業後近畿大学へ進んだが1年で中退し、1957(昭和32)年に社会人野球の全鐘紡へ入部している。1958(昭和33)年末にタイガースと契約、1959(昭和34)年がルーキーシーズンとなる。背番号は南海へ移籍した石垣が着けていた「29」を受け継いだ。入団後の2年間は一軍の試合には出場がなく、1961(昭和36)年に3試合の出場が記録されている。そのうち2試合ではマスクもかぶったが捕手としてのセンスはプロレベルで通用しなかったようだ。そのため打撃は悪くなかったにもかかわらず出場機会が与えられない状況が続き、翌1962(昭和37)年も一軍公式戦へ出場がないまま過ごし、シーズン途中で退団している。通算成績は3試合0打数0安打0打点1四球というものだった。鈴村 充男 投手愛知県出身で高校は中京商業(現中京大中京)から中京大学へ進んでいる。速球派の投手ということだが詳しい資料などは見つからない。1962(昭和37)中京大を1学年の途中で退学してタイガースに入団し、背番号は退団した谷車の「29」を引き継いでいる。1年目はまだ試合が残っていたが登板する機会はなかった。1963(昭和38)年には背番号を「57」に変えたため「29」は数カ月背負っただけである。2年目も公式戦に登場することはなく、この年限りで引退してしまった。まとめ石垣さんは選手としてレギュラーになれなかったけど引退後は政治家に転じて国会議員にまでなってるのね だからそれなりの知名度はある?かな?でも残りの2人は名前を知ってる人はまずいないんだろうなっておもう 谷車明さんなんてそもそも読めなかったわね 2代目は初め台湾出身かとおもって「たにしゃめい」と読んじゃったよ それでも3試合出てるんだ鈴村さんは全く試合に出てないしほぼ1年しか在籍してないから 当時のタイガースファンでも存在すらわからなかったとおもうというわけで「29」はどん底状態だね 次はどうなっていくのかな背番号29-3に続く
2025年02月05日
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牛若丸 吉田義男さんが逝去2代目タイガース非公式サイトですみなさん とても残念なニュースが飛び込んできたね吉田さんは2月3日午前5時16分 兵庫・西宮市の病院で脳梗塞のため亡くなりました 享年は91歳でした現役時代は軽快華麗な守備と俊足の好打者として「牛若丸」の異名をとり2回のリーグ優勝に貢献 第2次監督時代の1985年には3度目のリーグ優勝から日本シリーズも制したんだよね現役時代の背番号23は永久欠番になってます 2代目ブログの「タイガース背番号史」でもご紹介させてもらってるからぜひ読んでみてください(タイガース背番号史 23-3 よっさん伝説 | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ) 鉄壁の内野陣と呼ばれて一世を風靡した人たち みんな逝っちゃったよ 当時の投手陣もご存命は小山正明さんくらいじゃない? 時代は移り変わっていくから仕方ないんだけど みんな伝説の世界になってしまったんだね・・・バッキーさんももういないしちょうど春季キャンプが始まったばかり 去年連覇できなかっただけに吉田さんも今年の巻き返しを期待してたとおもうタイガースの選手・関係者のみなさん 今年は特別な年になりそうよ 絶対優勝目指して気合入れてほしいということで長々と書くのはやめておくねもう吉田さんの笑顔が見れないのは寂しいし悲しいけど前を向いてタイガースを応援していきます吉田さん長い間ありがとう!ご冥福をお祈りします
2025年02月04日
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まさに“カリブの怪人”ヘルナンデスが5連発…34スイング中13発2代目タイガース非公式サイトです 2025年2月3日 宜野座思わずスポーツ報知さんの見出しを拝借しちゃったよ 初日から3日連続でランチ特打に登場したラモン・ヘルナンデス選手(背番号95)が5連発を含む13本の柵越えでギャラリーをどよめかせたんだって! 34スイングでの13本ってすごくない 3スイングに1本以上のハイペースでぼこぼこ打っちゃってるんだよもちろん バッティング投手が打者に気持ちよく打ってもらおうと投げてる球だから打って当たり前って声もあるだろうけど 簡単にはこれだけ飛ばないよ自分のポイントでしっかりとらえれば「飛距離は出る」ということは3日間で証明できたとおもうのね問題は実戦の投手が投げてくる球を打たなきゃならないってことです これは紅白戦やオープン戦になったときに壁に当たるとおもう それを乗り切れるかはコーチの手腕も問われるねもう一つ問題があるんだけど 他の選手が順調に開幕を迎えることができればヘルナンデス選手は控えになるわけよね ところがそのヘルちゃん(そう呼んでいいのかな?)がオープン戦で5本も10本もスタンドに運んだとしたら ファンからも「使え」の声が出てくる スタメン候補が過剰になってしまう恐れもあるのよまあ簡単にはそんなことは起きないわよねえ・・・ こういうこと考えてると「DH」があるのとないのでは大きな違いがあるとつくづくおもう もちろん2代目はDHには基本的に反対だけどね
2025年02月03日
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ブルペンで際立つ球威!2代目タイガース非公式サイトです 2025年2月2日 宜野座のブルペンに衝撃が走った…とは大袈裟かな?ドラフト3位で今シーズンの新戦力になった木下里都投手(背番号54)が周囲を唸らせる投球を見せたんだって!中日スポーツさんが伝えるところを載せますね 中日スコアラー警戒感「球が強いし、速い」156キロ右腕の球威、ブルペンでひときわ目立つ阪神のドラフト3位ルーキー・木下里都(りと)投手(24)=KMGホールディングス=がキャンプで初めてブルペン入りし、抜群の球威が注目を集めた。MAX156キロ右腕のお披露目。重そうな速球が栄枝のミットを激しく鳴らし、プロの先輩が居並ぶブルペンでもひときわ目立った。「球が強いし、速い。真っすぐにすごく魅力のある投手」。こう評したのは中日の加藤スコアラーだ。他球団の偵察員を早くも警戒させていた。受けた栄枝は「すごく手元で強い」と速球の球威を証言。さらに「動く。打者の手元近くに来るまでどんな動きをするかわからない。ちょっと予測できない」と、とらえにくそうな独特の球質を説明した。藤川監督や多くの関係者が注目したブルペン。プレッシャーがかかる中でも、木下は「いいときのフォームで投げられているんじゃないかなと感じながら投げていた」と落ち着いていた。栄枝からは球威に合格点をもらい、動く球についても「『なんか不気味だけどいい感じ』って言ってもらえた」とにこやかに高評価を明かした。木下は福岡舞鶴高から進んだ福岡大で投手に転向。社会人で183センチ、90キロの体格を生かした豪腕として頭角を現した。キャンプ第2クール以降の実戦で力を発揮していけば、投手陣に新しい武器が加わる。まあライバル球団の親会社の記事だし 中日さんは今ヨイショしてオーバーワークを誘おうということかもしれないけど ほかのスポーツ紙もこぞって持ち上げちゃってるわね 藤川監督も「剛腕という言葉がピッタリ」と評価してる本格的に投手に転向したのが大学1年からというのはある意味驚異的なセンス それもあって大卒で社会人を経てるからすでに24歳になってます 木下投手の出身・社会人KMGホールディングスとは 九州北部で三菱自動車やスズキ自動車の車を販売をする会社グループの元締めという感じの企業で 木下投手は所属した2年間 野球をやりながら自動車販売の営業もこなしてたんだよ木下投手にとってはルーキーという甘い考えはないとおもう 1年目からが勝負! その意味で初ブルペンでの強烈な印象は好かったね これから大事なのは実戦形式へ移っていく中でバテないことかな 休養もしっかりとりながらキャンプを乗り切ってほしい
2025年02月03日
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刺激的な春季キャンプ2代目タイガース非公式サイトです 糸井嘉男スペシャルアドバイザーが参戦2月2日 糸井嘉男臨時コーチが指導を開始したね 大谷選手も使ってたクリケットのバットや 「超人ボール」と名付けた通常より重いボールを使って「押し込む感覚」の大事さを教えているようです井上君も「重いので、ヘッドを返して打つより右手で押し込む感じ。普通の球に戻した時に打つと、つかまるのがわかる感じです」と体感しているようねテル君は自主トレからすでに取り入れてやってたそうだから 昨日のランチ特打ではその変化や効果が見られたんだよテル君 ランチ特打で16/66の柵越え!日曜日ということもあって子供たちでいっぱいのなか ランチ特打に登場したテル君は16本の柵越えを放ってスタンドを沸かせたんだけど そのうち11本がセンターから左に飛んでるのが大きな変化なのよもともと掛布さんなどから「浜風とは喧嘩するな」と言われてきたテル君 でも飛ばす能力は掛布さんをはるかに凌駕してるから テル君としてはそれほど深刻な意識はしてなかったのかもしれないでも4年間やって最多が24本 去年はプロ入り最低の16本に終わったことで意識が変わったとおもう 「(右翼から左翼まで)90度あるので、しっかり使えたら。もちろん引っ張りもいるけどそっちばかりじゃダメなので」こんな言葉が出てくるようになったのは好いことよね というかファンはこれを待ってたのよ 今季の目標を問われ「30本100打点くらいですかね」と具体的な数字できっぱり言ったのもうれしいわよねヘルナンデス選手がサードでノック一方 ヘルナンデス選手がシートノックでサードの守備に就いたんだよ もともとサード・ファースト・外野が守れるユーティリティプレイヤーという触れ込みだったんだけど サードは相当上手いみたいなのね元監督の真弓明信さんが言うには「サードの守備に関してはまったく問題ない。フットワーク、グラブのハンドリング(使い方)、それにスローイングもいい。このまま試合に出ても、すぐ守れると思う。」 さらにバッティングに関しても 「「後ろが小さく前が大きい。球をとらえるポイントが投手寄りなら左後方、自分よりなら右方向、その間ならセンター方向に打球を飛ばすことができる。このタイプの打者は安打数を残すことが多い。このまま続けていければ打てると思う。」というように太鼓判押してるよ藤川監督がテル君に「外野用グラブも持ってこい」って言ってたのはこういうことかっておもうね テル君でも大山さんでも外野陣でも何かあればどこのポジションもこなせるヘルナンデス選手が入ったからよオープン戦の状態次第ではレギュラーに割って入るかもしれないというのは日本人選手にとって脅威だよ そういう意味で刺激を受けながらのキャンプがどういう効果をもたらすのか?結果が楽しみね
2025年02月03日
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戦力外の片山選手が引退を報告2代目タイガース非公式サイトです 2024年10月1日付けで戦力外となった5名のうち ただ一人去就が決まっていなかった片山雄哉さんが現役引退を報告したよ 2025年2月2日片山雄哉が現役引退を発表「恩返ししていきたい」昨年阪神から戦力外通告を受けた片山雄哉捕手(30)が2日、自身のインスタグラムで現役引退を発表した。 直筆の文章を画像で投稿。「現役を引退いたします」とつづった。「これからは、皆様から教えていただいた応援の力、支えていただいた時の心強さ、感謝の気持ちを違った形で微力ではございますが、恩返ししていきたいと思っています」と思いを明かした。片山はBC・福井から2018年育成ドラフト1位で阪神入団。2019年途中に支配下登録され、2022年に1軍デビューし、2試合に出場。昨年2軍戦では90試合に出場。210打数65安打2本塁打21打点で打率3割1分をマークしていた。 1軍公式戦の出場が通算2試合、今年は31歳になるだけに厳しかったかもしれないね 第2の人生は普通の会社員として民間で働くんだそうよじつは2代目は 衆議院愛知13区選出のおおにし健介衆議院議員が2025年1月5日の自身のブログのなかで片山さんが帰省した際に立ち寄ってくれたことを伝えつつ 「大阪の民間企業に就職する」ということも紹介してたのを見てたから 今思えばその時すでに引退決めてたんだと気が付いてたはずなのよね ボーっとしてたわ・・・片山さんの出身は愛知県安城市で高校は刈谷市の刈谷工業 どちらもおおにし議員の選挙区内なのね お知り合いみたい 戦力外で退団の5名その後 片山さんが民間人に戻ると決まったことで 2024年10月1日に戦力外通告を受けて退団した5名の新しい道のりが決定したんだよね 加治屋 蓮 (投手)2024年11月16日、東北楽天ゴールデンイーグルスと合意 背番号41で現役続行 高浜 祐仁 (外野手)現役引退 2025年から阪神アカデミーのコーチに就任 岩田将貴 (投手)2024年11月16日、横浜DeNAベイスターズが獲得を発表 背番号68で現役続行 遠藤 成 (内野手)2024年11月18日に、オリックス・バファローズが育成選手として獲得を発表 片山 雄哉 (捕手)2025年2月2日 自身のインスタグラムを更新し現役引退を発表 それぞれ新しいステージで頑張っていってほしい
2025年02月02日
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先発候補デュプランティエ投手2代目タイガース非公式サイトです 2025/02/01ひとつ前のブログが中継ぎ候補のネルソン投手 この回では先発ローテ候補と目されているジョン・デュプランティエ投手を取り上げますこちらもキャンプ初日からブルペンに入って20球 やっぱりタイガース投手陣の層が厚いという情報は聞いてるんだろうね そういう中で食い込んでいくために積極的にアピールを開始したって感じがするわ 「準備できてるとアピールしたかった」来日後初マウンドで20球を投じ「感触は良かったですし、初日から入れるように準備していましたし、初日の自分の体の感覚や感触を確かめたかったのでそういう意味でも良かった」と、納得の表情で振り返った。「もし自分が選手じゃなくてコーチの立場で新しい選手が来たときに早く見たいのでそういう意味でも自分を見せたい、健康な自分でこれだけ準備できてるんだよとアピールしたいと思ったので初日に入りました」と、初日にブルペン入りした意図を説明、首脳陣にアピールした。先発ローテ入りへ優等生キャンプイン見守った藤川監督とは投球後に笑顔で握手。「初日が無事に終わって、何も問題なかったので監督から“おめでとう”と言われた」と表情を崩した。指揮官と同様に「姿勢」を重んじる助っ人が、実戦デビューに向けてピッチを上げる。 ネルソン投手はナックルと言う武器があるけど デュプランティエ投手については現段階では詳しい情報は伝えられていないわ でも一応ローテ候補という方針ではあるんだよね タイガースは先発投手も豊富だから簡単には食い込めないとおもうよ そのために1日目から監督や首脳陣に見てもらおうと一生懸命やってるのはわかるなあ ビーズリー投手もブルペン入りして2人の新戦力にアドバイス! 実は藤川監督から「2人にタイガースのキャンプ中のブルペンのメディアの多さとか、力が入りすぎないようにとちゃんと説明してやってほしい」とお願いされてたそうです
2025年02月02日
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ネルソン投手“危険”な魔球2代目タイガース非公式サイトです 2025/02/01 キャンプ初日からいろいろあったみたいだけど 「バッキー2世」の前評判で期待されるニック・ネルソン投手(背番号42)がブルペンで魔球を披露したんだってね今年のキャンプは「1つの日記に1人」というかんじで書いていこうかな ということで今回はネルソン投手1962年から1968年まで7年間タイガースに在籍して通算100勝を挙げたジーン・バッキー投手が操っていた「ナックル」を得意としていることでマスコミの皆さんが「2世」なんて付けちゃったけど実際凄いみたいよ坂本誠志郎 新助っ人ネルソンの“魔球”に衝撃 阪神の新外国人・ニック・ネルソン投手(29)が、2月1日に始動した春季キャンプ(沖縄・宜野座村野球場)に参加。キャッチボールや投内連携、ブルペン投球で汗を流し「すごく楽しかったよ。練習もうまくいったし、チームメートとも話すことができた。投内連携もしっかりやることができてよかったよ」と笑顔で振り返った。ブルペンではNPB投手では珍しい変化球「ナックルボール」を披露。前夜には、この日女房役を務めた坂本誠志郎捕手(31)から〝ぜひナックルボールを受けたい〟と言われていたというが、想定外の魔球っぷりに坂本も驚いた様子を見せていた。 ネルソンは「驚いていた球? ナックルだよ」とニヤリと笑いながら「サカモト選手から見たボールの感覚を伝えてもらったよ。シーズンが近づくにつれてバッターに対してのことだったり、コミュニケーションとっていきたいよ」と振り返っていた。 捕手を務めた坂本は、前夜、虎3年目助っ人・ビーズリーから〝ミットを2つつけろ〟と言われていたことを明かしつつ「野球的にも危ないし、キャッチャーも危ないぐらい揺れてました。やばいなと思いました」とびっくりした様子。それでも「打者も投手も捕手もどう変化するか予測できないボール。難しいボールではあるけど、ちゃんと使えたら一番強いボールになる、こっち次第。取れるか当てて前に落とすことができれば、武器になると思います」と話した。 プロの捕手の坂本さんが「危ない」と言うほどだから相当な魔球らしいわね ほかの報道でも「サッカーの無回転シュート」に似ていてどっちへ変化するか予測できないようなイメージなんだって 坂本さんが言うようにキャッチャー次第という難しさはあるんだけどね 上の写真はバッキーさんなんだけど リリース後の右手指の開き方の感じを見ると「ナックル」を投げたところじゃないかな バッキーさんは多投はしてないけど要所でこの魔球を効果的に使ってたそうよ バッキーさんのことを調べてみると最初ナックルは持ち球にはなく配球は単調だったのね なので入団1年目は未勝利に終わってる 1963年のフロリダキャンプで覚えて2年目のシーズンが8勝 そして完全にマスターした3年目に29勝で最多勝・最優秀防御率・沢村賞へと躍進したのよ ネルソン投手最初から持ち球にあるから キャッチャーがしっかり捕球出来れば配球の中に組み込める ということは1年目から活躍できる可能性があるわけよMAX158キロのストレートを軸にカーブ・スライダー・チェンジアップなどを交えていく投手で今のところ中継ぎ候補になってる でもビーズリー投手がそうだったように先発転向も可能性あるかもね ランナーがいるときにナックルは危険だけど先発なら十分使っていけるんじゃないかな
2025年02月02日
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2025年春季キャンプがスタート!2代目タイガース非公式サイトですまたこの日がやってきたね!みんな自主トレでしっかり基礎体力付けてきたかな? いまは伸び盛りの若い選手が多いから練習した分だけ結果に表れると期待してるよ やっぱりユニフォームの前面にも背番号が欲しいなとおもうのは2代目だけ?現時点で開幕の布陣を占う2日ほど前に日刊スポーツさんが2025年の予想オーダーと布陣を記事にしてたので参考にしてみよう あくまで去年の戦力に新戦力を足した中での予想に過ぎないので どんどん若い選手が成長することで変わっていってほしいまずポジションだけど 正直なとこ昨年の後半戦の状況と変わってないわ キャンプやオープン戦で大化けする選手が出てくるとか レギュラーに故障者がでるとかがなければこの布陣で今年の開幕戦を迎えるとおもっていいんじゃない?控えも含めて日刊スポーツさんは次のように予想してます今季から指揮を執る藤川監督が組んだ3番佐藤輝、4番森下、5番大山の新クリーンアップが相手の脅威。激しい定位置争いとなるのは、若手が台頭中の左翼。前川、井上、急上昇中の井坪らに、内野も守れる新外国人ヘルナンデスが競争を激化させる。遊撃は木浪、小幡、捕手は梅野、坂本の2人が中心となる。 【予想布陣】 捕 梅野、坂本 一 大山、ヘルナンデス 二 中野、熊谷 三 佐藤輝、渡辺 遊 木浪、小幡 左 前川、井上 中 近本、島田 右 森下、小野寺そして この布陣から導かれる開幕のオーダーは次のように書いてるわ おおむね評論家の皆さんのご意見に従ってテル君を3番 4番に森下君 5番が大山さんだね 【予想オーダー】 1番(中)近本 2番(二)中野 3番(三)佐藤輝 4番(右)森下 5番(一)大山 6番(左)前川 7番(捕)坂本 8番(遊)木浪 大半のタイガースファンのみなさんもこう組むしかないって感じてるでしょ?あとは投手によって坂本さんと梅野さんを振り分けて併用するのか それともしばらくはどちらかをレギュラーに据えて使うのか その辺だけは不透明な部分だけどね もう一つ課題として次世代の中川君を一軍帯同で育ててほしいというのもあるよクリーンアップが3人でホームラン80本ぐらい打ってくれないとオーダー全体では脅威を与えられないよ いやな打線と思ってもらうには前川君に二けた欲しいところかな 宜野座組になった井坪君と山田君の成長も楽しみ投手陣は厚みが増して頼もしい?次は投手陣のほうね こちらはあっさりしてるなあ 先発とブルペンでほぼ配置が確実かなって選手しか挙げてないね ブルペンなんて4人だよ【予想投手陣】 先発=才木、大竹、西勇、村上 中継ぎ&抑え=岩崎、ゲラ、桐敷、石井 先発ローテーションは昨季13勝の才木を筆頭に大竹、西勇、村上、ビーズリーと豊富。昨季途中から救世主的存在となった高橋、新加入のデュプランティエも加わり層は厚い。リリーフ陣は今季も岩崎が守護神となる見込み。セットアッパーは桐敷、石井、ゲラが中心。成長中の若手に新たにネルソンも加わり、自慢のブルペンは今季も武器となる。なんと解説ではデュプランティエ投手やネルソン投手も頭数に入れてるね 結構評価高いんだ!岩崎さんに勤続疲労がないかが心配なところかなここでは名前が挙がってないけど門別投手には出てきてほしいよね 伊藤さんも忘れてほしくない この左2人は貴重だとおもうよ 個人的には及川投手の先発も観たいなあタイガースの場合 相手チームから見ると投手陣のほうが脅威なのよね だからこそいかにして打線が先手先手で得点していくかがカギになると感じますその意味では去年の近本さんの19盗塁は少ないとおもうよ この数字で盗塁王だったのが不思議 優勝した2023年は28個決めてたんだから ことしは30個くらい決めて相手バッテリーを苦しめてほしいな 期待してます!大きな課題は失策王のテル君藤川監督は一応「複数ポジションを守れるように」と言ってるようだけどちょっと疑問に思うのね2023年には岡田監督がサードに固定してそこそこの結果を残したわ ところが2024年は打撃不振が長引いたうえに単純な失策も多くなった気がする今年のキャンプには藤川監督からの指示で外野グラブも持参しているみたいだけど「練習はするけどまず三塁をしっかりやることから入る。レベルアップのために秋からの継続が第一」と本人が言ってます実は2代目としては外野手一本というのをお勧めしたいんだけどチーム事情からいうと伸びてきそうな若手の芽を摘むことにもなるので悩むわ このへんは藤川監督がどこでどんな結論を出すか注目したいな ヘルナンデスさん初日から全開!さてキャンプ初日の宜野座ではランチ特打で早くもヘルナンデス選手が注目されたね 53スイングで6本のさく越え そのうちの1本は130メートル級だって! 2代目も契約の決まった時の記事で書いてたんだけど 去年はメキシカンリーグで22本打ってるんだよね どういうレベルのリーグにせよまともに当たったら飛ぶというのは間違いないのよ ミエちゃんもそうだったから確実性の問題ね どっちにしてもしばらく注視しないといけないわ ネルソン投手やデュプランティエ投手も初日からブルペン入りしてるようだし 外国人選手の考え方も昔と変わったなあと感じるよね ちっちゃく載せておくけど これどうなるのかな?
2025年02月01日
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ブログを引き継いで2年経過!2代目タイガース非公式サイトです改めまして みなさんこんにちは昨日のブログでも申し上げた通り 本日から2代目にとって3年目が始まりますそこでちょっと振り返ってどれだけの発信ができたのか日記の数を調べてみたら 最初の1年間が427本 2年目が409本 2年間で836本の記事を書いていたのが分かったのね 特に始めたころは 追い立てられてるみたいに焦って書いてたから 最初の2ヶ月で84本! 今は1ヶ月に33~35くらいのペースで安定してきてるよアクセス数は正確に覚えてないけど引き継いだ時は187万ちょっとだったとおもう 今朝見てみたら2121809となってたから2年間で約25万回のアクセスをいただいたことになるね これは予想をはるかに上回ってて ご訪問いただいてる皆さんに感謝したいのよ! ホントにありがとうございます 2代目が自分の文章については句読点を使わないってことにお気づきだと思うんだけど慣れてくれたかなあ 引用文だったり背番号史で使ってるのは他の人の書いた文章が多く含まれるからなのね シーズンオフの間はガールズメタルバンドの紹介に力を入れてきたんだけどこれという反響は無いわ このまま続けていっていいものかと迷うけど しつこく続けていくよ 記事の間隔は開いていくかもしれないけどね このところ1日のアクセス数はばらつきが出てきて250~550の間で変動してます よりおおくの方に来ていただきたいので 記事は絶え間なく書いていこうとおもってますお城めぐりやアイテム紹介も書きたいんだけどなかなか機会がなくって難しいわ シーズンが始まってしまうと試合の記事だけで手いっぱいだしね それではみなさん引き続き2代目タイガース非公式サイトを応援してね!よろしくお願いします いつもコメントを入れてくださってるヒロくん2010さんとマリーさんこの場を借りてお礼申し上げます 3年目も変わらぬご支援を!
2025年02月01日
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