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2代目タイガース非公式サイトです
猛虎異人伝も再開します 今回は暗黒時代の被害者マット・キーオ投手だよ 2回に分けて2日連続で掲載しますね
列伝30 マット・キーオ①
Matthew. L. Keough (1987 ~ 1990)
生年月日: 1955 年 7 月 3 日
背番号45 右投右打・投手
出身地:アメリカ合衆国カリフォルニア州ポモナ
球 団:阪神 (87 ~ 90)
表彰等:なし
阪神在籍:4年 107 試合 45 勝 44 敗 678 回 1/3 398 奪三振 自責点 281 防御率 3.73
(1)父親は日本でプレー、兄もメジャーリーガー
1986 (
昭和61 )
年12月20日、阪神は、ゲイルに代わる新外国人選手として、ヒューストン・アストロズのマシュー・キーオ投手の獲得を発表した。キーオは、アスレチックス~ヤンキース~カージナルスを経て、86年にはカブス~アストロズに在籍した先発完投型の右投手である。背番号は「4」、登録名はマット・キーオ。
アスレチックス時代のフォームを見ると、バックスイングで腕を真後ろへまっすぐ伸ばして大きく腕を振る感じで、2025年から在籍するデュプランティエに似ている。
1968 (
昭和43 )
年、内野手として南海ホークスで1年間プレーしたマーティ・キーオは実の父親、兄のジョー・キーオもメジャーの外野手という野球ファミリーに育った。
マーティ・キーオ(父親
も背番号4だった)
キーオは、メジャー通算で215試合に登板し、58勝84敗、防御率 4.17
の成績を残している。大きく負け越してはいるが、アスレチックス時代は、1980年の16勝に始まり、10勝、11勝と、3年連続で2桁勝利を記録したこともある実力派で、1978年にはオールスターゲームに出場した実績もあった。
(2)キャンプ・オープン戦で評価が高まる
1987 (
昭和62 )
年2月9日に来日したキーオは、翌10日、安芸キャンプに合流した。発表では187㎝、80㎏の均整のとれた体格。ストレートは140キロ前後と平凡だが、インコースへの攻めのピッチングと多彩な変化球が持ち味で、特にカーブ系には自信を持っていた。
1987年春季キャンプのキーオの様子を伝える記事
キーオは「2~3週間でベストに仕上げる。」と公約し、急ピッチで調整。2月18日に行なわれた紅白戦で先発すると、カーブ・シュート・SFFなどを駆使して、2回を無失点に抑え、潜在能力の高さを感じさせている。
(
自責点2 )
ではあったが、変化球のコントロールは合格点だった。
19日のロッテ戦は、4回打者17人に対し無安打に抑える快投を演じ、「打てそうで打てない」とロッテ打線を嘆かせている。特に大きなカーブが有効で、打者が思わず腰を引く場面がしばしばあった。
オープン戦はその後も絶好調で、通算5試合に登板して計21回を投げ、自責点は2。防御率0 .
86は投手成績第2位だった。崩壊気味の投手陣に困り果てていた吉田監督は、オープン戦でのキーオの好投を見て、開幕投手に抜擢。ローテーションの中心に据える決断をしている。
(3)いきなりのリーグ最下位 「話が違う!」
4月10日、甲子園での開幕ゲームのヤクルト1回戦で先発したキーオは、やる気が空回りしたのか制球に苦しみ、6回2 /
3を投げて失点5。試合は1対7で、敗戦投手となり、吉田監督の期待を裏切った。しかし、15日の大洋2回戦で2度目の先発に起用されると、10安打を浴びながらも自責点2。落ち着いた投球で来日初勝利を無四球完投で飾っている。
ところが、22日の広島1回戦以降、キーオは「非情な現実」に直面することになった。この試合、7回までに11奪三振の好投も、味方の援護は1点。28日の広島2回戦でも自責点2でありながら、またしても援護は1点。連続して敗戦投手となり、黒星が先行していくことになる。「話が違う」というのがキーオの感想だろう。
そもそも、キーオが来日を決断する決め手として、阪神が強打のチームであることが大きな要素であったことは間違いない。2年前には猛打を振るって日本一に輝いているし、前年もバースが連続三冠王になるなど、12球団でもナンバーワンの強力な援護を背にして悠々と投げられるはずだった。ところがどうも様子が違う。5月に入ってそれがはっきりしてきた。
5月3日の大洋5回戦は、9回にレスカーノのソロを許したものの1失点、9日の中日5回戦も5回1失点で、ともに勝利投手になったが、両方とも味方の得点は2点だった。
続く15日のヤクルト7回戦に至っては、7回2失点の好投も報われず、打線が沈黙して0-2の完封負けを喫し、敗戦投手にされた。2年前の猛打も、今となっては遠い伝説であり、もはや並以下のチームに成り下がってしまったという現実を思い知らされている。
このあたりを境にして、キーオの投球には常にイライラした様子が感じられるようになり、好投するかと思えば、簡単にノックアウトされたりと、波が激しくなってきた。5月31日の巨人9回戦で初完封勝利を挙げたが、この時点で阪神は借金16を抱え、最下位独走態勢を築いていた。
泥沼に落ちたかのように負けつづける阪神の中で、キーオは辛抱強く投げたと言っていいだろう。6月は3連敗だったが、7月以降7勝を挙げて来日1年目で11勝を記録している。キーオ以外で規定投球回数に達したのは仲田幸司だけであり、二けた勝利に達した投手はキーオだけという惨状だった。防御率3 .
80という数字も我慢強く投げた結果として一定の評価をしていいだろう。
現実の数字を見ても、首位打者の篠塚利夫(巨人)は 13
打数 2
安打、正田耕三(広島)は 11
打数 2
安打、本塁打王のリチャード・ランス(広島)は 9
打数 1
安打、打点王のカルロス・ポンセ(大洋)は 21
打数 5
安打と、タイトルホルダー達を苦しめている。
彼の長所である負けん気の強さは、同時に危険と隣り合わせでもあり、被本塁打は24本と「一発病」に泣く場面も多かった。それでも、向かって行く投球は魅力的だし、内容的には優勝時のゲイルより信頼感があった。防御率も3 . 80ならギリギリ合格点である。もう少し援護があれば15勝以上できたかもしれない。
阪神は1978(昭和53)年以来の最下位でシーズンを終了。吉田監督が成績不振の責任をとって辞任し、村山実が新監督に就任、1年目に11勝を挙げたキーオの残留も決まった。このとき、キーオはすでに次期村山阪神のエース格にのし上がっていた。
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