ゆうきまさみの”非日常的”日常生活
”機動警察・パトレーバー” だったのね。
アニメの導入部分が、なんか斬新で、”カッコエ~ナァ”などと思っちゃったのが、
ホントのゆうきまさみさんの作家としての目をつけ始めたきっかけだった気がするのね。
ちょっとこれまでのものとちゃうでぇこのロボットアニメはぁ!
だいたいロボットとは、最近じゃ全然、云わないしねぇ。
それまでの”機動戦士ガンダム”を筆頭とするような
引きずり込まれた運命の中で、やむなく戦っちゃうとか、
あるいは、生きるために戦うとか云うものが、少し希有な気がするのね。
つまり戦いは、けっしてお話のメインじゃないのね。
あくまでも、事件としての非日常なわけね。
他のお話と違って、警察というお仕事上の話と
ごくふつうの生活をしている社会が、ちゃんとあって、
けっして時代が、戦争だったとか、
漂流して日常生活社会と完全に隔絶されてしまったとかってことがないのね。
だから他のお話と違って、
その中で動いているキャラクター達の行動を決める背景の中には、
”この非常時に”って云うような考え方は、ほとんど出てこないのね。
非日常的な事件の起こる仕事場以外の周りは、
ごくごくふつうの生活をしているごくふつうの平和な日常だもんね。
ちょっと似た形式のお話としては、
ちょっとシリアス系だけどあの”ウルトラセブン”シリーズなんかが、
近い気がするのね。
なんか、本編の中にもそのパロディぽい話なんかもあるしぃ、
あるいは、TVドラマでやってた”ニューヨーク87分署”シリーズとかね。
警察モノの映画では、”ポリス・アカデミー”シリーズとかね。
基本的には、1話ないし数話、完結のオムニバス形式で全体が流れてるのね。
ところが、あのグリフォンが出てきてから、その流れが変わっちゃったのね。だから、一連の流れなんだけど、
それまでのパトレーバーとグリフォン登場以後のパトレーバーは、
ある意味で異質のモノなのね。
なぜか?
ただ、これはあとで知ったんだけど、
このパトレーバー・シリーズっていうものが、
これまでの出版、映画、TVの形態を
ある意味で大きく変えてしまった存在だったのね。
原作だけど原作じゃない、あるいは、どっちも原作みたいな作品群なのね。
最初から、まんがとTV、映画とOVAのいずれもが同時並行して、
企画、開始、進行した初めての作品群としての”作品”なのね。
だから、最初からまんがでありながら
アニメの制作みたいな分業制があったりしてるのね。
だから、漫画の中でも、
それまでにない、アニメを意識した構図があったりしてるわけね。
だけどその弊害として、
視聴率という怪物を相手にしているTVシリーズの中から
”グリフォン”は、誕生し、
まんがの方を引っ張って行っちゃったのね。”グリフォン”のほうにね。
そのおかげで、”グリフォン事件”が収束してしまったところで、
まんがを終わらせちゃうしかなかったわけね。
だから、そういう意味では、グリフォンの出てくるモノは、
番外編みたいな感じで
”グリフォン”登場編みたいな、別枠で考えたほうがいいのかもしれないね。
ゆうきまさみさんの作家としての本質が出ているのは、
”グリフォン”がらみでないまんが、TVシリーズの部分とOVAシリーズなんじゃないかな、
もちろん”グリフォン”シリーズもおもしろいんだけども
これはそれ以前のアニメものと本質は一緒なのね。
淡々と平凡に過ぎていく日常生活、
ここに絡んでくる”事件”としての物語の起伏を上手に読ませる。
言い換えれば、非日常的な世界にからんだこの淡々と過ぎてゆく
日常生活を読ませてるわけね。
だから、本来は延々と続くような話だったりしたはずなのね。
”グリフォン”が出てこなければね。
あまりに”グリフォン”のインパクトが大きすぎたが故に終わっちゃったわけね。
話を続けるためには、”野明”が、見た夢のように
”イングラム”が、空を飛ばなくちゃならなくなるのね。
それじゃぁ!”ガンダム”になっちゃうわけだからね。
だから、終わったのね。
でも、レーバーは、今だにないけども、最近、レーバー犯罪みたいな事件あるよね。
キャッシュ・ディスペンサーを工事用の重機(パワーショベルとか云うやつ)で建物ごとぶち壊して盗んでくやつね。
警察もよぉ~捕まえられなくて、ど~にかしとるけど、
ほんとパト・レーバー要るんでないのぉ!
”じゃじゃ馬、グルーミン・Up!” が、それね!