秋乱-АΚΙЯА-

[wreckage]



MASTER_CALL-B.B.D 


wreckage 残骸

役に立たないほどに破壊されて残っている物。
殺されて捨て置かれた死体。



 ふと思った。俺はこの処理方法を知らない。どうすれば良いんだ…?

 真っ直ぐ伸びる廊下をただ一定の速さで歩く。斜め後ろにいるのは眼鏡を掛けたアンドロイドの男。俺に勝る程の無表情男と言ったところだろう。コイツは何も言わず頭の上に銀の箱を乗せている。

 それにしても、なぜ眼鏡を掛ける必要がある?これは変装なのか?それだけが疑問だ。

 何も言わずひたすら歩き、やっと資料保管庫に着いた。だが目の前にはあの時とは少し違い、暗くいかにも人が居なさそうな部屋のドアがそこに在った。

梅咲:「……本当にココで良いのか」

サンキエムZ:「はい。こちらが資料保管庫です」

 そう答えて先に〈サンキエム〉がドアを開ける。とりあえずその後を追うしかなかった。

 明かりは付いているものの人の気配が無い。その空気が異様だったせいか、いつの間にか俺は〈ブラック・ホース〉に手を伸ばしていた。

男:「…使用時間ギリギリだったね。…っと、君は?」

 奥から男が現れた。川田だ。この前見た時よりヒゲが濃いだけで、後はあまり変わっていないようだ。だが次の瞬間、鼻を潰されたような痛みが襲った。

川田:「あ―ぁ…ははは。ゴメンゴメン。この匂い強烈だよね」

梅咲:「な、何の臭いだ、コレ…」

 思わず鼻を塞ぐ。そしてこもった声で川田に尋ねた。

川田:「あ、コレね。旅行先で貰った香水。…やっぱ強烈だったか」

 それどころの話ではない。ただでさえ俺は鼻が利くんだ。何があってこんな気色悪い臭いが出来る!?と言うか、何でこの男はこんなえげつない香水をつけていられる!?俺はもう少しで意識が途絶えそうになった。

川田:「直ぐに換気するから、まぁゆっくりしていきな」

 換気してないだと!?馬鹿か?こんな反吐が出そうな所で長居が出来るかってんだ!

 俺は半分我を忘れていた。

 しばらくして機械音が耳に届く。恐らく川田が換気を始めたのだろう。まぁ、換気出来なくとも俺が空気の通る穴を開けてやるがな…。だが後々気付いた。ココは地下室だったのだ。

サンキエムZ:「では資料の分別を行いましょうか」

梅咲:「…分けるのか?コレを?」

サンキエムZ:「ええ。そうです。あちらの棚に分けるのです」

 有り得ない…。なぜこんな面倒な事を俺がしなければならない?こんな事してる間に何人サクれると思ってるんだ…。

 そんな事を考えているうちに、〈サンキエム〉がリスト表の半分を処理していた。言ってしまえば、俺がココに居る意味は無い、という事だ。なぜか惨めな気持ちになった。アホらしい…。

川田:「…君、確か工場に吉海君と来た」

梅咲:「梅咲だ」

 川田の言葉を最後まで聞かず、ぶっきら棒に答える。あまり自己紹介は好まない。名前なんてどうでも良い。

川田:「あぁそうでしたね。あの時はどうも」

 社交的な男だ。だがなぜココではため口なんだ?工場では敬語のくせに。まぁ、そんな事どうでも良いか…。

川田:「…『ブラック・ホース』の方は問題ないですかね?」

梅咲:「あ?あぁ…」

 なぜこの男が〈ブラック・ホース〉の具合を聞く?その前に、こんな所でそんな話して良いものか。疑問が疑問を呼ぶ。それがただひたすら繰り返された。

 微妙に気まずい空気になる。元々喋りが苦手な俺にとっては苦痛としか言い様がない。だがそんな風に考えすぎるのもアホらしいと思い始めた。

梅咲:「……何、してるんだ?」

 黙々とリスト表を処理する〈サンキエム〉は気にせず、ごそごそと奥で何かしている川田に尋ねる。内職とはまた違うようだ。

川田:「あ、コレですか?私も良く分からないんですけど、何か壁にこびり付いてるみたいで…今剥がしてるところなんです」

 それは間違いなくあの時の〈痕跡〉だった。川田はココで何が起こったかを詳しくは知らない。だから普通の顔でそんな事が言える。

梅咲:「…俺がやる」

川田:「え?」

 川田を押しのけ壁に向かった。「俺がやる」と言うより、「俺にしか出来ない」と言うべきだったろうか。

川田:「何をするんです?」

梅咲:「…この黒ずみを取りたいんだろ?」

川田:「え、えぇまぁ…」

 川田が後ろから何をするのか不思議そうに覗き込んでいるのが分かる。

梅咲:「それならコレを使った方が良いだろ…」

 左腰に常に付けている小さい革鞄から半透明の小瓶を取り出す。コレには特殊な灰色の粉が入っている。

 俺は同時に取り出した黒い手袋をはめ、粉を左手の平に少量塗した。粉は空気に触れると、ジュクジュクと泡を出し熱を帯び始める。俺はそれをギュッと握り締め直ぐに例の〈痕跡〉へその手をあてた。

 少々時間はかかる。しかし、〈痕跡〉を消し去るためなのだから仕方ないだろう。

 こうやって〈痕跡〉に手をあてていると、あの時の記憶が薄っすらと蘇ってくる。まだあの黒血が脳裏に焼きついていた。なぜか口の端が緩んでしまう。なぜか…?いや、理由は分かっている。



川田:「…おぉ!凄いですね!」

 背後の驚嘆の声で我に返る。いつの間にか〈痕跡〉は綺麗さっぱり無くなっていた。

川田:「どういう仕組みなんです?ソレ」

 刃物専門博士と言えど、奇怪なものには目を輝かせる。川田は眼鏡を人差し指で上げると即座に尋ねてきた。

梅咲:「あ、いやコレは…」

 だが俺は何も知らない。この粉はMASTERに渡されたもので、「きっと役に立ちますよ」としか言われていなかった。ゆえにその原理は全く知らないし、興味もない。使えればそれで良いだろう。

 無言のまま立ち上がり、川田の視界から消えようとそそくさとその場を後にする。そう、長居は無用だ。

梅咲:「…処理は終わったか?サンキエム」

サンキエムZ:「はい。終了いたしました」

梅咲:「ご苦労だったな。もうお前は戻って良いぞ」

 〈サンキエム〉は一礼すると音もなく部屋を出ていった。その後を追うように俺も外に出ようとした。だが川田の奇声でその期を逃す。

梅咲:「…今度は何だ」

 少しイラつきながらも声の元へと舞い戻る。そこには〈資料〉達の下敷きとなってもがいている川田の姿があった。思わずため息が出る。

 何なんだ、この男。真面目なのかボケなのか分からない…。再びため息が出た。

川田:「『彼』を取ろうと無理に引っ張ったら、『皆』落っこっちゃいまして…。すみませんね、何度も」

 全くだ。ただの紙切れを擬人化するこの男の気が知れん…。

梅咲:「…もう何も起こすなよ?」

川田:「はい。すみません」

 川田は頭をかきながら答えた。

 振り返り一歩踏み出したところで何かを蹴飛ばした。多分〈資料〉の一部だろう。気にせずまたいで行こうと思ったが、なぜかソレが気になった。そして無意識のうちに拾っていた。

 『情報保護整備会社調査書(2099/6)』

 ファイルの表に書かれている。

 〈情報保護整備会社〉?凄い名前の会社もあったものだ。こんな会社が存在するとは…。

 今時会社と言っても世界に名の通ったものしかそう呼ばない。小さい会社は直ぐに潰れるし、そんな会社が在ったのかどうかさえ知らずに消されているのだ。

 だが子校の〈資料〉になっているのだからそれなりの事はしているに違いない。それに〈調査書〉と書いてある。コレに記されているのは精々〈裏情報〉と言ったところだろう。

 ファイルを開いてみる。見るとびっしり英単語の刻まれた白い紙が数十枚挟まれていた。「またかよ」と再びキレる。だが、これでも教育は受けている。それなりに読めるはずだ。

 川田はひたすら〈資料〉達を棚に戻していた。当分終わりそうにないだろう。これを期に読んでみるか…。そう思い、始めから読み始める。

 『開発チーム〈ラスト・インフォーマ〉(2080)』

 『主催者:M』

 『協力者:情報学者M・H他』

 『科学者、技術者、エージェント:未詳』

 『開発:新型アンドロイドHAD‐BAAL45……』

川田:「あ、ソレ読んじゃいましたか…?」

 突然の声で現実に戻った。まだ〈資料〉の半分以上は床に散らばっている。だが、どうやらもう川田に気付かれてしまったようだ。

梅咲:「あ、いや…」

川田:「すみません。その『資料』は閲覧禁止極秘情報なんですよ…Mに叱られます」

 川田が少々強引に俺の手から〈資料〉を取った。しかし続きが気になる。「MASTERに叱られる」だと?

梅咲:「…どういう事だ。それ程のものなのか?」

川田:「あ、いえ。…この事は内密にお願います」

 そう言って、言葉足らずのまま作業に戻ってしまった。ますます俺は〈資料〉の続きが気になった。川田のこの態度。何かを隠そうと必死になっているに違いない。

 なぜここまであの〈資料〉が気になるのかは、俺にも分からない。だが、〈何か〉を感じるのだ。だから続きを読みたいと思った。

梅咲:「…あんたは『情報保護整備会社』がどういう所なのか知ってるのか」

 川田の作業をする手が止まった。そしてゆっくりとこちらに視線を向ける。

川田:「……それ程大した所ではありませんよ…」

梅咲:「じゃぁ今の『資料』は?大した所じゃないんなら、何でそこまでして内容を隠す?」

 川田の目が泳ぐ。だがその口は開かなかった。

 こうなったら機会をうかがって自分で続きを読むしかない。おそらくこの事はMASTERの耳に入るだろう。そうすればより読むのが難しくなる…。

 強引過ぎる…?仕方あるまい。欲しいものが在ればどんな手を使ってでも手に入れる性格だからな。逆に言えば、「気に喰わなければ潰すのみ」だ。



 とある子校の一室。そこに一人の青年が入ってきた。すると部屋の奥からもう一人の青年が現れる。

青年:「…待たせたな」

 来客者の青年が言う。青年は左手にスーツケースを持っていた。それを床に置き、部屋の主が用意していた椅子に腰掛ける。

青年:「いいえ、こちらこそ。出掛けていた事をお話してなくて申し訳なかったです」

 優しい口調の青年はテーブルの上に来客者の紅茶を置いた。ホットのレモンティーだ。

青年:「確か、話したい事があるって言ってましたよね」

青年:「……杉谷のあの『事件』、覚えてるか」

 先程まで優しい瞳をしていた青年の顔が曇った。そして来客者の目を見る。

青年:「はい。…でも、待って下さい。今回の話はその事に関係しているんですか」

 来客者は無言のままティーカップに口をつける。そして静かにゆっくりと飲んだ。

 空気が重苦しくなる。

青年:「……林藤君?」

 青年が林藤惷の顔を覗き込む。林藤は何もなかったかように椅子から立ち上がり、床に置いていたスーツケースを開けた。

青年:「…何か思い出したんですか」

林藤:「いや。…話すよりもコレを見せた方が早いと思ってな」

 スーツケースの中には資料らしきものがぎっしりと詰まっていた。林藤はその中から二つ折りにされた紙を取り出す。そしてテーブルの上に置く。

青年:「…何ですか、コレ」

林藤:「とりあえず読め」

 半強制的だが、青年はその紙を開いた。

 読み進めていくうちに青年の眉間にシワがよる。そして動揺の色を隠せず林藤に尋ねた。

青年:「…コレって、杉谷さんの『手紙』ですよね」

林藤:「あぁ。…この前杉谷の実家を訪ねた。その時『あの人』に貰ってくれと凄まれたんだ」

青年:「杉谷さんのお母さんが?」

 青年はそう聞き返して再び〈手紙〉に視線を落とす。

青年:「…『あの人』って確か、林藤君の育ての親でもありますよね」

林藤:「…それとこれとは関係ない。俺が言いたいのはその『手紙』の内容だ」

 林藤はズボンのポケットから煙草を取り出し吸い始めた。そして口を閉ざす。

 『母さんへ』

 『お元気ですか。』

 『また下らない事をしているのだと思われるでしょう。』

 『それでも私は構いません。母さんが元気でいればそれで良いんです。』

 『この手紙を手にしてくれている事が、何よりもの救いです。』

 『母さん。私は或る人物の〈情報〉を手にしてしまいました。』

 『許して下さい。そして、逃げて下さい。』

 『もう私は逃げる事は出来ません。ですが、貴方だけは逃げ延びて下さい。』

 『最後に伝えてほしい事があります、惷に。』

 『…未練はないよ。ただ…』

 『惷、真実は思わぬところに在る。だから常に周りを警戒しろ』

 『と…』

 『PS』

 『帰れない…』

 『もうここには、帰れない…。』

 『さようなら。』

 『杉谷之彦』

青年:「……杉谷さんは事故じゃなく、『削除』されて亡くなったって事ですか?」

 林藤は何も言わずに首を横に振った。そして白煙を吐く。

林藤:「…『或る人物』って誰だ」

青年:「え…?」

 青年はもう一度〈手紙〉に目を通す。

 『私は或る人物の〈情報〉を手にしてしまいました。』

青年:「…何か『意味』が在ると?」

林藤:「…それが『あの人』に気を配って書いた文とは思えない。どうせ『あの人』も『削除』される運命だった…」



青年:「どういう事です?」

 林藤は遠くを見つめたまま、再び煙草の先を赤く染め白煙を吐いた。そして少し間を空けて話し出す。

林藤:「…杉谷は『ムルタ』だった。『情報』に関わるって言っても、授業内での話だ。それに、今の俺達みたいに直接『手に』する事は出来ない。…なのに、その『手紙』が正しいとすれば、何の為にそんな事をする必要が在る?…あの杉谷が『アルデヴィル』だったとは思えない。アイツは小さい頃から虫一匹も殺せなかったヤツだからな。……何か伝えたかったのか?」

 林藤は独り言のように呟いた。そしてふと我に返り、煙草を手持ちの吸殻入れに捨てた。一度咳払いをする。

林藤:「とにかく…俺が話したかった事は、全部話した」

青年:「本当ですか」

 青年の返答に林藤が眉を潜める。

青年:「本当にそれで全部ですか」

林藤:「何が言いたい?」

青年:「他に何か言いたい事が在るのでは?」

 まるで心を見透かすように青年は林藤の瞳を見つめた。そしてゆっくりと〈手紙〉に視線を移す。

青年:「…杉谷さんは林藤君の兄弟のようなものでしょう?なのに、それだけですか?」

 いつもと何か違う、と林藤は思った。青年の瞳が、心の中を土足で踏みにじられている様な感覚を思わせた。

林藤:「…じゃぁ聞くが。俺の言いたい事が何なのか、お前には分かるって言うのか?上江」

 賭けをしているような言葉の掛け合い。互いの瞳は相手を探ろうと必死だった。

 そしてしばらくしてから上江幸空が口を開く。

上江:「……この『手紙』をMASTERに渡すつもりでしょう?そして、杉谷さんの本当の『死因』を解明したいのでは…?」

 眉一つ動かさず林藤に尋ねる。

 ほぼ確定だった。しかし林藤は心がすっとしたように思えた。そして再び煙草に火をつけ、静かに話し始めた。

林藤:「……本来、子校内での『削除』は内密にされる。だが死体はいつもソトで処理され、その代わりその『情報』は全て抜き取られる手筈になっている。…だが今回の場合、死体の名前つまり『杉谷之彦』という『情報』が公にされていた。そして子校に関する『情報』だけは、抜き取られていた」

上江:「何か裏が在りますね」

林藤:「あぁ…」

 上江が立ち上がり、冷めたレモンティーにもう一杯ホットを入れた。そして再び林藤の前に腰を下ろすと暗い面持ちで切り出した。

上江:「…こんな事を言うのもなんですが、この手紙はMASTERに渡さない方が良いと思います」

林藤:「理由は?」

上江:「……杉谷さんの『削除』から考えますと、MASTERが特に深く関連しているのではないでしょうか」

林藤:「それは当然の事だろ。『削除』命令はMASTER自身が出すんだからな」

 林藤が熱々のティーカップを冷まそうと息を吹きかける。すると上江がスプーンを手渡し、鋭い瞳で言った。

上江:「いえ、違いますよ。僕が言いたいのは、先程林藤君が言ったように『情報削除』とは公には出せないような、言ってしまえば『犯罪行為』です。それなのに“あえて”名前を公の場にさらした…。という事は、どうにかしてそれを『事故』に“見せ掛け”たかった、という事になりませんか?では、なぜMASTERはそんな事をしたんです?」

 林藤はレモンティーをスプーンでゆっくりとかき混ぜながら上江の話を聞いている。そして少量口に注ぐと椅子にもたれかかった。

上江:「…信じてもらえるか分かりませんが、僕は『何か』の予兆を感じると気分が悪くなるんです。最悪の場合が特に多いんですけど…」

 林藤の顔を伺いながら恥ずかしそうに言う。そして上江もティーカップに手を伸ばした。

林藤:「……信じるさ。だが、まだ分からんな。MASTERと杉谷には何らかの関係があるって言うのか?」

上江:「ええ、恐らく…。逆に言えば、MASTERがそこまでしなければならないような『情報』を、杉谷さんが『手にしてしま』ったんじゃないでしょうか」

 何をそんなに必要としてたんだ?杉谷…。林藤は心の中で尋ねた。そして頬杖をついたまま〈手紙〉を手に取る。

 『惷、真実は思わぬところに在る。だから常に周りを警戒しろ』

林藤:「『常に周りを警戒しろ』か…」

 少し寂しげな笑みが林藤の顔に表れた。そして〈手紙〉を元通りに折り、レモンティーを飲み干す。

上江:「…とりあえず、その『手紙』は大事に保管しておくべきです。それに」

林藤:「あぁ、分かってる。この事は俺等だけの秘密だ。誰にも言わないさ」

 そう言って立ち上がり林藤は背伸びをした。

 スーツケースに〈手紙〉を戻し部屋のドアまで歩いていく。そしてふと立ち止まり肩越しに微笑んで言った。

林藤:「今日の上江は『警官』みたいだったな…」

 カチャリとドアの閉まる音が静かな部屋に響く。

 上江は何も言えなかった。林藤の話を聞いたら、自分も〈あの事〉を話そうと考えていた。だが機会がなかった。

 ティーカップを洗浄器に入れる。そして部屋の片隅に置いていた例の茶封筒に視線を移した。

 そこでやっと気付く。上江の唯一の相談相手、安心して話せる相手は、林藤惷だった。



 どうすれば良い…?俺に何が出来る?

 林藤は悩んだ。

男:「…こんばんは、林藤君」

林藤:「どうも…MASTER」

 自分の部屋に戻る途中、偶然林藤はMASTERと出くわした。先程上江と話をしたばかりなので、タイミングが悪過ぎると彼は思った。

MASTER:「…今晩少々付き合って頂きたい用事があるのですが、宜しいですか」

林藤:「えぇ、構いません」

 林藤はMASTERの後について行く。何てことない、いつもの仕事話だ。だがMASTER直々に任命しに来る事はあまりなかった。

MASTER:「今回の仕事は、この『人』です」

 そう言って、MASTERはいつの間にか手に持っていた黒いファイルを林藤に差し出した。

MASTER:「只今『人』が増えてきてましてね。君にも頼もうかと思ったのですよ…」

 林藤はファイルを開き〈削除ネーム〉を確認する。

 『松岡愛美』

 情報はこれだけだ。その他の情報は自分で調べなければならない事になっている。

 本来、MASTERからの電話でその〈名〉が教えられる。しかし、その〈アルデヴィル〉が子校内にいる場合は直接MASTERの口から伝えられる事もあるのだ。

MASTER:「…それと、林藤君。もう一つ仕事を頼んでも宜しいですか」

 林藤からファイルを受け取り静かに切り出す。

林藤:「…何でしょうか」

MASTER:「この『人』と関わっている方の情報も欲しいんです。出来るだけ詳しくね」

 ニコリと笑って林藤の顔を覗き込む。そして漆黒に揺れる髪を耳に掛ける。

MASTER:「安心して下さい。君の他にもこの『任務』に就いている人はいますから」

林藤:「…誰ですか」

MASTER:「いいえ。それは教えられないと言ったはずですよ?」

 それを聞いて林藤はぎこちなく頷いた。

 たとえ〈削除〉が重なっていても、それは各自で解決しなければならない。また、〈削除ネーム〉が同じ場合でも、同姓同名はいるのだから同様である。

 林藤はMASTERと分かれ自分の部屋に入った。そして小さく深呼吸をする。

林藤:「…コレの保管場所を考えんとな」

 スーツケースの中から例の〈手紙〉を取り出し、とりあえずベッドの上に置く。林藤はソレを眺めたまま服を着替え始めた。

 『常に周りを警戒しろ』か…。そう思ってふと林藤は何か引っ掛かるものを感じた。

林藤:「……『真実は思わぬところに在る』…」

 呟き頭を回転させる。

 何だ?何かが引っ掛かる…。でも、何だ?

 ワイシャツのボタンを途中まで閉めたまま、部屋の中央に置いているテーブルの上から煙草を取った。林藤には苛付いている時に煙草を吸う癖がある。

 煙草を加え〈手紙〉に手を伸ばす。

 ガチャッ…………………………………………

 だがその時部屋の扉が突然開いた。咄嗟に〈手紙〉をズボンの後ろポケットに隠す。

青年:「…初めまして、林藤さんはこちらに」

 青年と言うべきなのか林藤には分からないほどの小さな青年が入ってきた。恐らく150センチもないだろう。だが顔見知りなのは確かだ。

林藤:「お前…この前のガキ?」

青年:「あ、貴方が林藤さん!?」

 そこに現れたのは紛れもなく乃牧翔陽だった。思わず林藤は煙草を口から落としそうになった。

林藤:「な、何でお前みたいなガキが俺の名前知ってんだよ…」

乃牧:「ガキ、ガキと…失敬な。私はこれでも十五(才)ですよ?貴方とあまり変わらない」

林藤:「馬鹿を言うな。俺は十八(歳)だ。お前なんかと一緒にされては困る」

乃牧:「…十八?大して変わらないじゃないですか。ねぇ、朝山さん」

 なんと乃牧の後ろに朝山が現れた。いや、正確には彼似の〈アンドロイド〉だ。勿論朝山本人は死んでいる。

 今のところ朝山が死んだ事を知っているのは、MASTERと梅咲、吉海だけだ。だからこの二人にとって不自然に感じることは全くなかった。

 だが、林藤は少し疑問になった。朝山は〈アルデヴィル〉だったか…?

 顔を合わせられないよう〈アルデヴィル〉と〈ムルタ〉の部屋は完全に離されており、同じ〈人間〉でないと互いの部屋へは出入り出来ないことになっている。だから、顔を合わすのが初めてな朝山が〈アルデヴィル〉でない事は直ぐに分かった。

 そして、疑問に思う第二の理由は、林藤が〈アルデヴィル〉のメンバーの名前をほぼ全て暗記しているからだ。と言っても、〈ムルタ〉と違い〈アルデヴィル〉は人数が少ないため直ぐに顔も覚えられる。だが、朝山の名前を前々から知っていたのは事実だ。

 林藤は少しの間黙っていたが我に返り、とにかく二人を部屋に入れた。

林藤:「……で、何の用だ」

 ワイシャツのボタンを第二まで閉め、開けっ放しだったスーツケースを閉める。そしてベッドの上に腰掛けた。

乃牧:「MASTERに言われたんだ。貴方と一緒に行くようにと」

林藤:「…何の話だ?」

乃牧:「今回の『任務』だよ。忘れたのか?」

 林藤が忘れるわけがない。しかしその前に、乃牧が生意気な餓鬼に見えて仕方がないようだ。

乃牧:「駄目ですね。仕方ない、朝山さんに説明してもらいましょう」

林藤:「…ふざけるな!ガキのお守りなんざ御免だ!!」

 林藤は煙草をテーブルの吸殻入れに投げ捨てた。そしてスーツケースを持って部屋を出ようとする。

乃牧:「ちょっと、困ります!私まだ新入りですよ?」

林藤:「だったらそこの朝山に聞けば良いだろ。俺は足手まといなんか要らねーんだよ!」

乃牧:「彼は、無理だ…」

 林藤の背後で乃牧が力なく言った。

乃牧:「…貴方も知っているように、私は彼の元部下だった。しかし、なぜか彼は私に何も話してくれない。声も掛けてくれない…言葉さえ発してくれないんだ」

 うつむきながら乃牧は小さく言った。だが直ぐに顔を上げると真剣な眼差しでゆっくりと朝山に視線を移す。

乃牧:「まるで別人だよ。…この子校は、ここまで人を変えられるのか…?」

 立ち止まったまま林藤は何も言わず、寂しそうに呟く乃牧を見ていた。そしてしばらくしてからため息をつくと、スーツケースから拳銃を取り出し彼にそれを渡した。

林藤:「…使い方まで教える気はねぇからな。あと、そこの『無口』」

 林藤は朝山を〈無口〉と呼び、彼を指差して言った。

林藤:「お前は乃牧の護衛だ。コイツを全力で守れ」

乃牧:「ま、守られるほど私は弱くないぞ!」

 咄嗟に乃牧が言う。少し頬が赤くなっている。

林藤:「馬鹿野郎。てめぇはMASTER御指名だろうが。そんな奴に死なれ
ちゃこっちが困るからな。…分かったか?無口」

 林藤の問いに朝山似の〈アンドロイド〉はコクリと頷いた。それを見て林藤は納得すると、さっさと部屋を出てしまった。その後を慌てて乃牧達が追う。



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