秋乱-АΚΙЯА-

[omen]



MASTER_CALL-B.B.D


omen 前兆

何かが起ころうとするきざし。前ぶれ。予兆。虫の知らせ。
一切の事物は固定的な実体をもたず、さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているということ。因縁。因果。



 嵐谷から雅山に入る。雰囲気はがらりと変わり、きちんと整備された住宅街を通り過ぎる。バイクが停車したのは雅山エース学園の裏門前。梅咲玲瑠はゴーグルを外し鋭い瞳で睨んだ。

 監視カメラがこちらを見ている。だが気にすることなく門の向こう側を覗き込んだ。

梅咲:「…賑やかなもんだな」

 カンカン照りの太陽が正午を知らせる。遠くの方で子供達の遊ぶ声が微かに聞こえた。恐らく昼休みだろう。

 鍵を壊すことなく門を簡単に飛び越え、梅咲は何事もなくするりと敷地内に侵入した。監視カメラに映る中、堂々たる態度で彼は口の端をつり上げた。

 校舎に入り廊下を突き進む。空間から空間へ生温い風が通り抜け淡く甘ったるい香りを残す。そして辿り着いた学園長室。ガチャリと音を立てて扉を開くと男が一人居た。

男:「……何だね君は!?」

 まさに学園長という顔だ。梅咲はコートの内からお決まりのブラック・ホースを取り出した。

学園長:「なっ………!!」

梅咲:「茂木はどこだ」

 冷徹な瞳が男を見る。睨んではいないがその鋭い眼光は息を呑むものだった。

学園長:「もも、茂木さん?も、茂木さんなら、さっき学生と話しているのを見かけたました!…ひっ!こ、殺さないでぇ!!」

 情けない悲鳴を出す。それを聞いて今度はギロリと男を睨んだ。

梅咲:「どこでだ?」

学園長:「な、中庭の方です!」

 それを聞いて不気味にニヤリと梅咲が笑う。男は苦笑いで返した。

学園長:「あ、あの私、本当は学園長なんかじゃないんです。正確には学園長『代理』なんです」

梅咲:「それで?殺すなってか?」

学園長代理:「は、はい。出来れば」

 再び苦笑いで返した学園長代理に対し、梅咲は「お前にやる弾なんかねぇよ」と言い残し部屋を出た。

 中庭へ向かう。すると確かに茂木の姿があった。高校生くらいの青年一人と何か話している。だが梅咲は気にせず近付いた。

梅咲:「…茂木だな」

茂木:「……そうですが、どなたでしょう?」

 梅咲はブラック・ホースを持ったままだ。当然相手は驚いた。そして青年も驚き後ろに少し身を引いた。

梅咲:「アンタに話を聞きたい」

茂木:「…貴方は警察官ではなさそうですね」

梅咲:「そんな事どうでも良い。その餓鬼が死んでほしくなかったら言う事を聞くんだな」

 梅咲はそう言いながら銃口で青年を指した。さすがの茂木もその脅しには勝てず、青年をかばい後ろに隠す。

茂木:「彼は関係ないですから、危害を加えないで下さい」

 だが驚くことに、青年が一歩前に出た。

青年:「…関係ないなんて言わないで下さい。僕も同じです。こんなもの、怖くも何ともありません」

 眼鏡を掛けた青年。いかにも真面目そうな顔立ちだ。梅咲はそれを見て何故か苛立ちを覚えた。

梅咲:「餓鬼が粋がってんじゃねーよ!死にてぇのか?あぁ?」

 青年の眉間に銃口を当て、梅咲は怒鳴った。だが一息置いて静かに言葉を発した。

梅咲:「…お前が『生身の人間』じゃない事ぐらい知ってる。辻岡青年」

 辻岡正輝、ラスト・インフォーマーの科学者グレゴリオ・ハーキンスにより造られたアンドロイドの青年。正輝は梅咲の言葉に驚きの表情を見せた。そして茂木も正輝の行動に驚いたが、梅咲が彼の正体を知っているということに再び驚いた。

辻岡:「…何故、僕の事を?」

梅咲:「そんな事教えてやる時間なんてねーんだ。ジジィが潰れてほしくなけりゃ、お前は引っ込んでろ」

茂木:「……なるほど。ワシの事も分かってるということですな。…という事は、あの連続殺人事件は貴方の仕業ですか」

 茂木が真剣な面持ちで梅咲を見据えた。

茂木:「…ワシの生みの親を殺しに来たと。ですが、彼もまたワシと同じ『生身の人間』じゃないですよ?」

 その事実を初めて聞いた梅咲だったが、新たな情報を得たことで彼の冷笑は更に続いた。

梅咲:「そりゃ面白い。ココにはそんな奴ばっか集まってんのか?…居るんだろ?ココに」

 意味有り気な口調で近くの低い塀に視線をやった。すると、なんとそこには林藤惷の姿があったのだ。しかも茂木にそっくりな男を一人連れている。

 梅咲の視線につられて茂木と正輝は塀の向こうを見た。そして驚きの顔を見せる。

茂木:「お前は…!?」

 林藤に連れられた男、彼こそがラスト・インフォーマーの技術者、茂木貞治であった。

梅咲:「…おい、ふざけんな。そいつは俺の獲物だ」

 相変わらず梅咲は機嫌が悪い。だが同時に林藤も機嫌を損ねていた。

林藤:「…知るか。とりあえずそのガラクタ潰せよ、梅咲」

梅咲:「俺に命令すんじゃねぇ。オロスぞ貴様」

 今にも撃ち合いになりそうな様子を、捕えられた者達はどうしたものかと少し困っていた。だがそれに気付いたのは林藤だった。

林藤:「…オロシ話は後だ」

 そう言ったが最後、林藤は茂木貞治を撃ち殺した。まるでただ単に人差し指を動かしただけ、という自然な動きで。サイレンサー付きだったため小音で済み、まさに機械に小さな穴が空く状態になった。茂木貞治の瞳は一瞬真っ黒になり光を失ったかと思えば、そのまま全身が麻痺したようにビクビクと震えだしそのまま地面に音を立てて倒れた。

梅咲:「…ったく、面どくせー」

 梅咲も迷うことなく引き金を引いた。しかし銃弾は辻岡青年の眉間を貫いた。

茂木:「ま、正輝君!!」

 悲鳴なんか出ない。痛みをほとんど感じないのだから。正輝は中枢を完全に撃ち抜かれたため、一言も言わずに静止してしまった。

茂木:「な、なんてことを!!」

 茂木は静止した正輝と向き合ったまま梅咲に背を向けた。彼の肩は怒りに震えていた。

茂木:「に、人間なのに、情というものがないのかね君には!!」

梅咲:「…機械がウダウダ言ってんじゃねーよ。アンタにゃ話を聞かなきゃならん。これなら話したくなるだろ?」

 梅咲は冷笑で言葉を返した。

茂木:「くっ……」

 茂木がもし人間であったら、恐らく涙を流していただろう。それほどに彼は〈心〉を痛めていた。

 しばらくの沈黙の後、梅咲が口を開いた。

梅咲:「…質問だ。アンタは」

 だがそこまで言って梅咲は言葉を飲み込んだ。

林藤:「何だ」

 林藤が近づいてくると梅咲の異変に直ぐに気付いた。

梅咲:「…コイツ、自決しやがった」

林藤:「自決…?」

 いつの間にか茂木は先程の格好のまま静止していたのだ。まるで〈人形〉だ。

林藤:「…自決なんて出来るのか」

 林藤は感心しながら苦笑した。そして携帯電話を取り出すとさっさと報告を済ませた。

林藤:「…はぁ」

 電話を切って直ぐため息を吐き林藤は背伸びをすると、梅咲に背を向けその場から立ち去った。梅咲はというと、かかってきた電話で誰かと話していた。

梅咲:「…もしもし、梅咲です。…はい。………『手紙』、ですか?……はい。了解しました…」

 電話を切り直ぐに歩き出す。その時に何か小さなものが地面に落ちた。落ちたと言うより落としたのだろうか。彼は気にすることなくその場から姿を消した。

 地面に落ちたのはビー玉のような小さな銀色の球だった。それは10秒ほど経った後、小さな機械音を発しながら緑色に点滅をし始めた。だがしばらくすると、どこからか大きな機械の塊のような物が飛んできて、球の直ぐ近くに在った二体の〈人形〉を回収してしまった。その後、球は赤い点滅に変わり、なんと自ら溶け始めたのだ。その姿は30秒もしない内に消えてなくなり、その場に何の痕跡も残さぬまま何もなかったかのように生温い風が通り抜けた。



 その頃、例の男に呼び出されていた上江幸空は秘密警察組織本部のとある部屋に居た。西村香夏子と一緒に。

上江:「…子校から逃げるのは不可能です。直にココの居場所も分かってしまう。その前にどこか遠くへ逃げて下さい」

西村:「殺されるからですか?」

 香夏子は上江に背を向けたまま小さく言った。

上江:「…そうです。僕がココに居る時点でもう居場所は割れている。だから」

西村:「上江さんが殺して下さい」

上江:「……え?」

 香夏子は振り返り、上江を一直線に見つめた。その眼差しは何か妙なものを感じさせた。

西村:「…他の誰かに殺されるなら、貴方に殺された方が良い。意味の無い死を選ぶより、少しは意味の有る死を選びたい。…貴方の、貴方達の秘密を知ってしまったのなら謝ります。でも、後から仕打ちがくるのは分かって下さい。貴方達のやっている事に私は口出し出来ません。私は貴方達のことを全て知らないから。…でも、上江さん。私、もう生きた心地がしません。どうしたら良いですか?」

 上江は何か異変を感じた。〈嫌な予感〉と言えばそうかも知れないが、予感ではなく何か別のもののようにも思えた。

上江:「…香夏子さん、ココに来るまでどこに居たんですか」

 上江の知らない真実。香夏子がどこで何をしていたのか、どこで何をされていたのか。

上江:「香夏子さん?」

 何も答えない香夏子に更に違和感を覚える。そしてゆっくりと彼女に近づき、ふと彼女の項(うなじ)に手を当てた。

上江:「…そんな……」

 咄嗟に手を放す。上江は香夏子を見つめ返し、彼女の手を取った。

上江:「…子校に、行ってしまったんですね…?」

 涙を堪えながら上江は彼女の掌を自分の頬に当てた。

上江:「…はは…冷たいや……香夏子さん。…もう、亡くなっていたんですね……?」

 死は呆気ないと聞く。だがこれはいくらなんでも酷過ぎる…。

 上江は今はもう何も言えなくなってしまった香夏子に、力無い笑顔を見せた。そして、その瞬間涙が頬を伝う。

 香夏子の瞳からはもう精気が感じ取れなかった。恐らく子校に行って何かされてしまったのだろうと、上江は冷静に今の状況を理解した。

上江:「…大丈夫。必ず仇は討ちますから」

 そう言って香夏子の頬に手を当て、真剣な眼差しで語りかけた。そして振り返ると、いつの間にか例の男が立っていた。

男:「……君に色々と話す事がある」

上江:「…全て、話して下さい。嘘は入りません。…『真実』だけを、教えて下さい」

 涙はもう枯れ果てた。上江は己の意思で生きることを決心し、もう何も恐れないと腹をくくった。



 翌日、9月11日。時刻は朝の6時を回る頃。

 吉海冰悟が情報保護整備会社の社長室から出たところだった。吉海は廊下を少し歩いた所で夢路青年に出くわした。

吉海:「……嫌なら逃げれば良い。だが、一生逃げることになる。…それとも、自分で自分の頭を撃つのか?」

 見ると夢路青年の右手には拳銃が握られていた。そして直ぐにその銃口は吉海に向けられた。

夢路:「…お前と話がしたい、冰悟」

 この前と同じようにいつもと違う真剣な眼差しで、だが落ち着いた表情で彼は言った。

吉海:「…良いよ。丁度退屈してたから」

 吉海はといえば、笑顔はないが何か〈余裕〉のようなものが見て取れた。

 二人は無言のまま廊下を進み階段を最上階まで上り、非常出入り口の扉を開いて外に出た。勿論それまでに何人もの人とすれ違った。周りは夢路が持つ拳銃に驚き身を引いた。その後ろを歩く吉海も、何かいつもと様子が変だということに数人が気付いた。だが誰一人として声をかけようとはしなかった。

 そこは小さな屋上。朝日が遠くの方で輝き、眼下には雲海が広がっている。吉海は黙ったまま煙草を取り出し火を付けた。夢路も無言のまま、少し吉海と距離をとり朝日に背を向けてフェンスにもたれかかった。

 お互い何も言わぬまま時が過ぎようとしていた。だが、ついに夢路が口を開いた。

夢路:「……俺は5歳の時、例の開発グループ『ラスト・インフォーマー』に作られた保護施設に預けられた。そこには開発に協力してる科学者とかの子供が預けられとった。まぁ当時5歳やし、そんな事知らんかったけどな…。勉強させられて、勝手に友達作らされて…。結局手が付けられんからって、その後雅山のエース校に入れられた。んで、10歳の時、ある男に出会った。子校の」

吉海:「MASTERは色んな所から子供を引き取っている。孤児院もあれば、エース校もある。皆、大概は心に傷を負った奴だ。MASTERはそういう見分けが出来るんだよ…」

 煙を吐きながら吉海は小さく言った。だが目線は眼下に向いたままだ。

夢路:「…それから俺はMASTERに救われた。何か分からんもんに引かれた。…俺がお前と初めて会ったんは16ん時や。親父が突然会いに来よって、お前を連れて来た」

吉海:「そーだっけ?」

 そう言って吉海は煙を吸うだけだった。

夢路:「…今思えば、あん時もう既にお前、MASTERのこと知っとってんな。…もぉ、色んな事に手ぇ染めとってんな…」

 夢路青年はそう言い終わると、その場に座り込み再びフェンスにもたれた。

夢路:「……なぁ、親父、最期に何か言っとったか?」

吉海:「…聞いてねーよ、そんな事」

 夢路はそこで初めて吉海の横顔を見た。彼は相変わらず眼下を見下ろしていた。

夢路:「…親父、俺とお前のこと」

吉海:「俺に聞かずに、自分で聞けば?一々答えるの面ど臭い」

 夢路はその後何も言えずに吉海の横顔を見続けた。

 何だ…?コイツ、親父を殺しに来たんじゃないのか……?

吉海:「…俺の最後の仕事、お前が社長を殺したのを見届けて、お前を消すことだ」

 その言葉によって、一つの望みが一瞬にして粉砕した。音もなく、静かに。

 夢路青年は歯を食いしばり心の底で暴れている怒りを必死に抑え込んだ。そして葛藤の後、彼は立ち上がり吉海に近づくと、何を思ったのか左手を差し出した。

夢路:「…これで終わりや。もぉ会うことはないやろ。…MASTERに言ってくれ、『会わんかったら良かった』ってな」

 そこで初めて彼は笑顔を見せた。そして吉海の手を取り握手をした。

 夢路はまるで何事もなかったかのように笑顔でその場を去った。吉海は何も言わず煙草を吹かすだけ。その瞳には何の感情もなく、ただ夢路の背中を見つめるだけだった。



 昼の11時頃。林藤惷は車でとある場所に向かっていた。だが運転中、携帯電話が鳴った。

林藤:「…もしもし。…はい……『手紙』ですか?……そんなもの」

 だが次の瞬間、急ブレーキを踏んだ。そして目の前に立ちはだかる人物に目がとまった。

林藤:「…梅咲?」

 電話はつながったままだ。すると電話の向こうから何か言葉が聞こえる。

林藤:「……在りもしない『手紙』を奴に渡せと?」

 目の前に居るのは確かに梅咲玲瑠だ。彼はマシン・バイクから降り運転席に近づいてきた。

林藤:「……ちょっと待って下さい。何の『手紙』ですか…」

 そう電話の向こう側に問い質したが、こちらでは梅咲が「渡せ」という手を差し出していた。林藤は訳も分からず電話の相手の話を聞きながら、鋭い瞳を梅咲に向けていた。だが次の瞬間、彼の瞳は驚きの色へと変わった。

林藤:「……杉谷の母親から預かった『手紙』……?」

 ずっと待っている梅咲は面倒臭くなったのかブラック・ホースを取り出し銃口を林藤に向けた。

林藤:「…はい。…確かにその『手紙』は今持ってます。それが、何か…?…」

 林藤はそう言いながら梅咲を睨み返す。

林藤:「……分かりました。奴に渡します…」

 ついに林藤が折れた。そして電話を切り、助手席に置いていたスーツケースの中から〈手紙〉を取り出した。しばらくそれに視線を落としていた。だが業を煮やした梅咲がブラック・ホースの引き金を引いた。

林藤:「…せっかちな奴だ」

 車は全て防弾素材でできているため弾は林藤には届かなかった。しかしそれは互いに承知のこと。ただ単に梅咲がそれだけ苛立っているだけのことだ。

 林藤はようやく車から外へ出た。

林藤:「…弾の無駄だ」

梅咲:「うるせぇ。テメェが早く渡さねぇからだ」

 梅咲は林藤の手から〈手紙〉を奪い取り、コートの内ポケットにさっさと仕舞い込んだ。そしてそのまま林藤に背を向けようとして途中で肩越しに尋ねた。

梅咲:「…中身、読んだのか」

 林藤は少し間をおいて、煙草に火をつけ車体にもたれかかった。

林藤:「……読んだが、大した情報もなかった。それが何か?」

梅咲:「…別に」

 表情も見せぬまま、彼はバイクにまたがり騒音と共にその場から消え去った。林藤はその背中を睨んでいたがそれも少しの間だけ。直ぐに車に乗り込み、携帯電話で誰かに電話をかけ始めた。

林藤:「…上江、今どこに居る?……なら外に出て来い。話がある」

 林藤は早々と電話を切り、車のアクセルを思いっきり踏みどこかへ向かった。



 その頃、電話を勝手に切られた上江は、とりあえず〈外〉に出る支度をしていた。今彼が居るのは情報学園子校だ。だがその瞳には色々な〈迷い〉があった。

 彼が例の男から〈真実〉を聞かされたのはあれから直ぐのことだった。

男:「……君に色々と話す事がある」

上江:「…全て、話して下さい。嘘は入りません。…『真実』だけを、教えて下さい」

 真剣な眼差しで覚悟を決めた上江に男は少しばかり驚き、しかし厳しい言葉で彼に念を押した。

男:「…これから話す事は全て『真実』だ。だから君も心して聞くように。一歩間違えれば君も、私も命はない」

 そう言って男は椅子に腰掛け背もたれにもたれかかると、小さく切りだした。

男:「……事の始まりはある男の『死』だ。2065年、彼は自分の造ったアンドロイドにより殺された。アンドロイドは失敗作となり最終的に処分されたが、勿論死んだ男は生き返ることはなかった。そうして残された彼の親友が考えたのが、彼を『蘇らせる』ことだった」

上江:「…『蘇らせる』?」

 上江は立ったまま男の話に聞き入った。

男:「彼をアンドロイドとして『蘇らせる』ことだ。…その開発は翌年から始められた。母体は彼の体を使い、ほとんど人間に近い細胞で造り上げた。見た目は勿論アンドロイドであるから人間そのものだが、中身はスーパーコンピューター『マスクスB-84』だ。そして彼は世の『情報』を正すために造られた唯一の情報メーカー『メフィストフェレス(MEPHISTOPHELES)』となった」

 そこまで言うと男は上江に視線を向けた。一方の上江は、何か妙な胸騒ぎを覚えていた。

上江:「…マスクス、B-84…?」

男:「聞いたことがあるだろう?」

 上江は冷や汗が背中を伝うのが分かった。〈嫌な予感〉が次々と押し寄せる。

上江:「…『マスクスB-84』は、子校の中枢コンピュータと聞いています。『B-84』は『情報』を書き換え、次の世代の脳に埋め込むと…」

男:「そうだ。……そして『彼』は次から次へと『情報の塊』を造り出し、世に広め続けた。だがそれも数年、2072年には『彼』は己の意思で動くようになった。『意思』を持ち始めたのだ」

 上江は〈真実〉がこんなにも心に重いものなのかと思わされた。そしてまた一つ、〈真実〉が彼に伸しかかる。

男:「…その後、『彼』は己の意思で世を生きた。そして15年後、情報戦争勃発と共に『彼』はとある建物を完成させた」

上江:「…それが、情報学園子校だと言うんですね?」

 男は何も言わずにゆっくりと上江の言葉に頷いた。

上江:「……質問、しても良いですか。…なぜ、貴方がそんな事を知ってるんです?」

 その問いに対し、男は上江から視線をそらし、再び語りだした。

男:「…我々秘密警察はある男を追っている。その男は今まさに世界を手中に収めようと企んでいる。『世界情報化』を目論み、徐々にその手を世界に伸ばし始めている。……その男は私が造り出した『失敗作』なのだ。私が処分しないで誰がする?私が造りたかったのは、そんなものじゃないんだ…」

 上江は徐々に、この男が一体何者なのかを理解し始めた。そしてゆっくりと〈真実〉を口に出す。

上江:「……貴方が、『MASTER』の生みの親なんですね?」



 その頃、吉海冰悟は情報保護整備会社の社長室に向かっていた。彼の最後の仕事を完了させるために。

 そして、その社長室には夢路親子が居た。

夢路青年:「…じゃぁ死んでもエェゆうんか?」

 夢路周士は何も言わない父親の胸倉を掴み怒りを露わにした。

夢路青年:「冰悟の秘密なんかどーでもエェ!けどな、実の親父を目の前で殺されてたまるか!!…いくら親父が俺よりもアイツのこと思とっても…!」

 そして静かに部屋の扉が開いた。もう時間はないようだ。案の定、扉を開けたのは吉海だった。

吉海:「……なんだ、まだなのか」

夢路青年:「来んな!!」

夢路社長:「…息子には、周士には手を出さないと約束してくれたのは嘘だったのか」

 吉海を見て夢路親子がそれぞれの思いを口にする。一方、吉海は部屋の扉をゆっくり閉じながら静かに口を開く。

吉海:「……周士、俺はお前のことを兄貴と思っている。だが血のつながりはない。まぁ、あるはずは無いがな。…これだけ言わせてくれ。俺がMASTERのために動いてるのは、俺の本当の『存在の意味』を知るためだ。MASTERと交わした『約束』は絶対だ。たとえ今それが分かったとしても、この思いを曲げるつもりはない」

夢路青年:「…なんでや。なんでそんなに簡単に言い切れるんや!」

 父親の胸倉を掴んだまま夢路青年は吉海に言い返した。だがその手を夢路周平が止める。

夢路社長:「…周士、悪かった。これは全て私が悪いんだ。私がまいた種なんだよ」

夢路青年:「なんやねん!なんで親父がアイツの味方すんねん!!」

夢路社長:「…それは、私が彼の『生みの親』だからだ」

夢路青年:「は…?」

吉海:「話はそこまでだ」

 吉海が彼等の話の間に入るのと同時に、ある物が彼の背後に現れた。彼の愛用する〈凶器〉、メカ達だ。

吉海:「最終警告だ、夢路周士。ラスト・インフォーマーの開発リーダー、夢路周平を『削除』しろ。さもないとお前を消す」

 彼の瞳に情など無かった。ただ夢路周士を見るだけで、だがそこには威圧的な何かがあった。それに対し夢路青年も静かに、それでいて何か余裕あり気な表情で答えた。

夢路周士:「……吉海冰悟、お前に一言だけ言う。…『MASTERなんか糞食らえ』だ」

 その途端、風が切れる音と共にメカ達は吉海の〈期待〉に答えた。

 それは一瞬だった。夢路周平の目の前から一瞬にして息子が消え去ったのだ。彼もその勢いで床に倒れた。夢路青年は壁に張り付けにされ、何も言わぬまま息絶えた。

夢路社長:「…周士?…おい!周士!!周士!!」

 メカ達は夢路周士の体を解放せず、まるで血を絞り出すように食い込んだままだ。壁伝いに彼の赤い血が流れる。その量は半端なく、もう彼は死んでいるということが一目で分かるほどだった。

吉海:「……あぁ、可哀想な事をした。悪かったなぁ、周士」

 全く気持ちのこもっていない言葉を吉海が言った。夢路社長は実の息子を見上げながら壁に爪を立て、そして無念の涙を流し渾身の力を込めて尋ねた。

夢路:「…なぜだ…なぜ君はそんな育ち方をした?……私は、こんな事のために君を造ったわけじゃない!!」



 なぜこんなことになった…?

 林藤は車にもたれながら星空を見上げた。不気味にも夜空は澄み、辺りはしんと静まり返っていた。

 しばらくすると、遠くの方から二つの明かりが近付いてきた。よく見ると車のヘッドライトだ。

林藤:「…やっと来たか」

 車は林藤の車の後ろで停止し、運転席から誰かが出てきた。

林藤:「遅かったな。…何かあったのか」

 車から出てきたのは上江だった。

上江:「……林藤君」

林藤:「何だ」

 上江はこれまでに聞かされた〈真実〉の全てを林藤に伝えようと決心していた。

上江:「……君を信じています」

林藤:「…だから、何なんだ」

 少し苛立ちを見せたが、林藤は何か妙なものを上江から感じ取った。

上江:「…これから僕が知っている『真実』を話します。でも、その前に、林藤君が僕の『味方』だという事を証明してほしいんです」

林藤:「…『味方』?」

 林藤は眉間にシワを寄せながら聞き返した。そして彼のいつもとは違う表情に気付く。

林藤:「……証明すると言っても、どうすれば良いんだ?」

上江:「…もう、MASTERの指示は受けないと、誓って下さい」

林藤:「お前……!?」

 上江からは一生聞けないだろうと思っていた言葉が今、はっきりと林藤の耳に届いた。林藤は驚きのあまり言葉を失った。

上江:「…お願いです、林藤君」

 そしていつもの上江の力無い笑顔を見た。

 いつからだろう…。

 林藤は思った。

 いつから俺はコイツを信じ始めたんだろう…。

 上江と出会ったのは孤児院に入れられて直ぐだった。触れたら今にも崩れそうで、危なっかしいとは思っていた。だが何か俺と似たような雰囲気を持っていた。確かに似た者同士なのかも知れない。上江は裕福な家に生まれ、そして捨てられた。俺も、どこにでもあるごく普通の家庭に生まれ、そして不要だと言って捨てられたのだ。

 今の世の中、親と呼ばれなくとも大人と言う人間はただの屑だ。少なくとも俺に言わせればそんなものだった。恐らく上江もそう思っていたに違いない。

 ただ隣に座っているだけで、ただ同じ境遇でそこに座っているだけで、俺達は共感していた。この世は自分達の手で変えなければならないのだと。だから俺はあの時のMASTERの言葉に惹かれたのかも知れない。

 そして、林藤は静かに口を開いた。

林藤:「……もう、MASTERの指示は受けない」

 それを聞いて上江は小さく安堵の表情を浮かべた。そして再び真剣な眼差しで言う。

上江:「…それでは、お話します」



 9月12日。時計の針は午前10時を指していた。その頃、梅咲は嵐谷の地をマシン・バイクで走っているところだった。向かう先は、嵐谷最大の病院、嵐谷総合病院。

コンピューター:「ラット・ナンバーM40の生存位置を確認」

梅咲:「マークしろ」

コンピューター:「…ラット・ナンバーM40のマーク完了。これより最短ルートに入ります」

 マシン・バイクが静かに減速する。そして一定のスピードで最短距離を行く。

 梅咲の最後のターゲットはラスト・インフォーマーの協力者、ミッシェル・ホーカーだ。彼女は嵐谷総合病院で療養中だった。

 しばらくして病院の裏門前に到着する。マシン・バイクを停止させ、梅咲は門を開けて中に入った。従業員の駐車場を抜け、裏口から入って廊下に靴音を響かせる。人気もなく、静かな空間に彼の靴音が反響した。

 少し行った突き当りに人の居る受付があった。

梅咲:「ミッシェル・ホーカー氏の病室は?」

受付:「…1025号室です」

梅咲:「どうも」

 営業スマイルといったように梅咲は偽笑顔を受付の女に見せつけ、黒いコートをひるがえしながらエレベーターに乗り込んだ。

 10階に到着すると、少し賑やかな声が聞こえ始めた。だが梅咲は気にすることなく1025号室へ歩を進める。そこは10階の一番奥の病室だった。賑やかな声は階の中央広場から聞こえるようだったが、この病室までは少ししか届いていない。まるで蚊帳(かや)の外だ。

 スライド・ドアをノックし、病室に入る。病室は個人用のものだったが、他の病室より明らかに広く思われた。殺風景な病室には一定のリズムで空気の抜けるような音だけが鳴っている。ベッドを囲むカーテンを開けると、そこには何本ものチューブを繋がれた老婆が眠っていた。

 梅咲が調べたところによると、ミッシェル・ホーカーは50歳のはずだった。だが今、彼の目の前に眠るのは70代とも見て取れるほど老化した女性だ。

 彼は少し驚いたが、直ぐに仕事にとりかかった。と言っても、ブラック・ホースを取り出すだけだ。梅咲はサイレンサーを取り付け、銃口を眠る彼女の眉間に当てる。だがその時、老婆の瞼がゆっくりと開いた。

梅咲:「…これまた、タイミングが悪いな。マダム」

ホーカー:「……カオル…さん、か…?」

 途端に梅咲の表情が凍りついた。そして何を思ったのか、銃口を下げてしまったのだ。かすれた声を絞り出し、シワシワな顔を更に柔らかく崩して続ける。

ホーカー:「……あぁ、カオルさん…お元気そうで…」

梅咲:「……なぜ、その名を知っている…?」

 ミッシェル・ホーカーは動揺する梅咲の手にそっと触れた。そして老婆は彼を見上げる。

ホーカー:「…カオルさん。…レイさんはお元気ですか?」

 それを聞いて咄嗟に梅咲は彼女の傍から離れた。そして複雑な眼差しで見返す。

梅咲:「……なぜ、その名を知っている?…なんでだ…なんでお前が、俺の親の名を知ってる?!」



 昼の11時。吉海はまだ情報保護整備会社の社長室に居た。そして目の前には社長の夢路も居る。だが彼の生気は消えつつあった。

夢路:「……まさか、こんな事になるとはな…」

 ソファーに座った彼の体からは大量の赤黒い血が流れ出ていた。だが目の前に座る吉海は冷淡な笑顔を浮かべながらリラックスしている。

夢路:「…あの時、君が捨てられたあの日に、私が引き取っていれば、こんな事にはならなかったのかも知れん。まさか、あの夫婦が捨てるとは思っていなかった…」

吉海:「……今さら何を言っても無駄だよ。もう過去の話なんだから、後悔しても何もならない。それに、今こうして俺が生きてられるのも、あの時MASTERが拾ってくれたお蔭なんだから」

夢路:「…あの男に感謝している、と言いたいのか」

吉海:「『あの男』なんて、無礼だな。…MASTERは良い人だよ。俺のことをよく理解してくれる」

夢路:「…君の『正体』も知っているのか…?」

吉海:「さぁ、それは知らない。…別に、知っててもおかしくないと思うよ。だって、MASTERだもん」

 まるで自分のことのように嬉しそうに言い、吉海は満面の笑顔を見せた。そして再び冷徹な眼差しで夢路を見る。

吉海:「…アンタがたとえ『生みの親』だろうと、俺は何とも思わない。俺にとって『育ての親』の方が大事だからね」

夢路:「…そうか、それは仕方ないな…」

 夢路の苦笑いによって普段と変わらぬ会話がふと戻ったように思えた。

夢路:「…ところで、聞きたい事があるんだ。今度は『生みの親』としではなく、ただの男として」

吉海:「良いよ、別に。どーせ死ぬしね」

夢路:「まぁな…」

 再び苦笑いで吉海に言葉を返し、そして静かに切りだす。

夢路:「……君の目的は何だ?」

吉海:「ずばり聞くね。……俺の目的はMASTERの目的と同じ『世界情報化』。コレに変わりない」

夢路:「…それはまた大きく出たな。…だがそんな事、可能なのか」

吉海:「もともとMASTERはお偉いさん方と繋がりがあるから、それは簡単な事だと思うよ」

夢路:「あぁ、そんな事が…。それは心強いな」

 じんわりと血の滲む腕を押えながら夢路は諦めたように長いため息を吐いた。

夢路:「…それで、その後どうするんだ?」

吉海:「その後?」

 夢路は額を流れる汗を拭きもせず、ゆっくりと彼の言葉に対し頷いた。

吉海:「うーん…そんなの考えたことないな。…まぁ、また暇な時に考えるよ」

夢路:「そうか…考え付いたら、教えてくれ……」

 そう言ったっきり、夢路は目を閉じてしまった。そしてしばらくすると、呼吸が止まる。先程まで苦しそうにしていたが、そんなこともなかったかのように死に顔は穏やかなものだった。

吉海:「……なんだ、もう逝っちゃったの?面白くないなぁ…」

 吉海はいかにもつまらなさそうに「あ~ぁ」とその場で伸びをした。そしてゆっくり立ち上がり、夢路の最期に笑顔で別れを言う。

吉海:「…せいぜい『向こう』で楽しむんだな、親父」



 同じ頃、上江は林藤と別れて子校へと向かっていた。そこにはもう〈迷い〉はなかった。己の意思で彼は子校に向かっている。その表情には恐れも不安もなく、何か〈希望〉のようなものが微かに見て取れた。

 苦しむのも、悲しむのも、もうたくさんだ…!

 ぐんぐんと車は加速し、ほとんど一直線で道を走る。上江はただただ前を見つめるだけだった。

 林藤君が誓ってくれた…。

 『もう、MASTERの指示は受けない』

 そして、教えてくれた…。

 『梅咲だ。梅咲の行動がヒントなんだ。…何かをアイツは企んでいる』

 梅咲君の企み。それはつまり、MASTERの企み。

上江:「…正直、梅咲君には敵わないけど、どうにかして『手紙』を取り返さないと…」

 『あの「手紙」をMASTERが欲しがっているということは、何かがあの「手紙」に書かれていたということだ』

 …あの『手紙』。…アレには杉谷君の最期の言葉しか書かれていなかった。

上江:「…アレには、何か他の意味があるのかも知れない…」

 上江の頭の中は色んな物事が混在し過ぎて、ずっと前彼が読んだその〈手紙〉の内容など全くと言って良いほど覚えていなかった。

 思い出さなければ…!!

 上江ははやる気持ちも抑えきれず、ただアクセルを踏み続けるだけだった。そして気持ちはもう既に子校に向いていた。子校への思い、そしてMASTERへの思い…。それらが再び頭の中を混乱させる。

 1時間と少し、上江が子校に到着したのは正午を過ぎた頃だった。門が開くと同時に急発進し、いつもと同じ木陰に車を停止する。だがいつもと違ってそれは荒々しく、砂埃が舞うほどのものだった。運転席から出てくると上江は心を落ち着かせ、〈いつも通り〉を装い先程の〈勢い〉とは違ってゆっくりと歩き始めた。

 子校の中に入り真っ先に向かったのは、梅咲の部屋だった。迷うことなくしっかりと床を踏みしめ部屋の前まで辿り着くと、一息置いて扉をノックしようとした。だがその時、ゆっくりと扉が開かれた。

上江:「……君は…?」

 中から出て来たのは梅咲ではなく、小さな青年だった。驚く素振りを隠しつつ相手に尋ねる。

青年:「…貴方が上江さん?どうも、乃牧と申します」

上江:「…乃牧、君?」

 確か彼は…。

 上江はじっと乃牧を見下ろしながら記憶を辿っていた。

乃牧:「…失敬。急用があるので、また」

上江:「あ…!えっと……」

 思い出した…。彼は、あの秘密警察組織の一人だったんだ。

 声をかけようと上江は一歩踏み出したが、そこで踏みとどまった。そしてゆっくりと部屋の中に視線を戻す。

上江:「……梅咲君。彼と何か話をされていたんですか」

 一部始終を見ていたかのように、梅咲は椅子に座ったままこちらに冷たい視線を向けていた。だが言葉を返すこともなく、ただ上江を睨むばかりで、まるで彼の次の言葉を待っているようだった。

上江:「…なぜ黙っているんです?」

 そして、梅咲が口を開いた。

梅咲:「……ココに『手紙』はありませんよ」

 それは明らかに梅咲とは違う声だった。そう、別の〈誰か〉…。



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(2011.09.02)



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