I look up when I walk

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ファイターズ・フライヤーズ編



だいぶ間が開いてしまいましたが、第3弾はM26号先輩のリクエストにお応えして、ファイターズ・フライヤーズ編

ファイターズのユニホームで印象深いものと言えば、自分の同世代の方は80年代のオレンジのユニホームを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?
昭和20年にセネターズとして誕生しましたが、戦後の物質難でユニホームを作ることができず、阪急軍(現オリックス)が戦前に使っていた物を一式譲ってもらうとこからこの球団のユニホームの歴史は始まります。ちなみにこの時、胸の「H」マークを外し、肩に「S」マークを付けたそうです。
その後、東急フライヤーズ、急映フライヤーズ、東映フライヤーズと歴史を重ねていきますが、ロゴやラインは赤か紺、もしくはそのツートン(紺に赤の縁取り)のユニホームが入れ替わり採用されます。これは戦前に存在した東京セネターズ(後に消滅)の関係者がこの球団に関わることが関係しているみたいで、創立時の球団名がセネターズだったのもそのためだそうです。
変り種は昭和36年から42年まで使用された限りなく黒に近いこげ茶にオレンジの縁取りのロゴとラインが入ったタイプ。かなりジャイアンツのユニホームに近いデザインです。しかも、ビジター用胸マークが「TOEI」ではなく「TOKYO」だったのでさらにまぎらわしい。さらに当時の水原監督はその前年までジャイアンツの監督だっため、オープン戦でセリーグのチームはジャイアンツかと錯覚したそうです。
また、昭和29年のビジター用ユニホームには熊のマスコットがついていたそうです。何故このマスコットが採用されたかはわからないそうですが、B.B.の55年前にも熊のマスコットが存在したんですね。
しかし、この球団のユニホームを語る上でさけて通れないのは昭和48年後期に日拓ホームフライヤーズが採用した7種類のユニホームでしょう。リアルタイムでの記憶がない(当時2歳ですから。)自分にとって、かなり気になるユニホームでしたが、「ユニホーム物語」を購入して初めて知ることができました。
7つあるだけでも凄いのにデザインも奇抜だったりしますが、シーズンオフに日本ハムに球団譲渡されたため、半年しか使われなかったそうです。

さて、皆さんは現在12球団のユニホームでどこのユニホームが1番かっこ良いと思いますか?自分はファイターズだと思います。
実はこれにはちゃんと納得のいく理由がありました。
このユニホームをデザインしたのはアメリカのSME社で、この会社はMLBのマリナーズ、アスレチックス、カージナルス等のユニホームのデザインやマリナーズの本拠地セーフコフィールドやセーフコフィールドで開催された2001年オールスターのプロデュースも手がけたそうです。
なるほど、監督やオーナーの趣味でデザインされたこれまでのユニホームとは訳が違うはずです。餅は餅屋って訳ですね。
ファイターズはユニホームだけでなく、球団イメージ作りでもSME社の協力を得ているそうです。
メジャー以上に地域密着が重要視されるマイナーリーグで監督経験のあるヒルマン監督を招聘し、北海道に移転。さらにプロによる球団のイメージ作り。
ファイターズの球団運営の姿勢を他球団は見習うべきでは。



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