へっぽこのととほでくだらなな生活録

へっぽこのととほでくだらなな生活録

第十話


わー! 怒らないでくださいな~

~第十話~

 こいれがはっとりの練習部屋から出てぼ~としていると、どん、とぶつかって来た人物がいた。「ぎゃ!」のめりそうになったなんとか体を保って振り返る。と、相手もまた黙ったままこいれを振り返った。
 大きな体格の男である。上下灰色の作業着。手には道具箱。
 男の名はみやけ。日野家の電気技師である。彼は視力が悪くないのに、何故か常に目を薄黒い布のようなもので覆っており、これは奉公人の中で日野家七不思議とされている。(他の不思議はまたおいおい話すとしよう)
 こいれは初めて見る顔にあわてて
「ず、ずいません。あのぉおらぁこねぇだへぇった野口ごいれと言いますだ。おめさんの名めぇも聞がせでぐれです」と頭を下げた。
「・・・」
「あ、あのう~、どうして目ぇかぐししでるだ?」
「・・・」
「お、おらのごど、みえでるだが?」
「・・・」
 反応がない。
 こいれは手をうさぎの耳のようにして振ってみた。「びょんびょん」
 反応がない。
 鶏の真似で辺りを一周してみる。「くぇ~っくぇ~っ」
 みやけはそんなこいれを一瞥すると、回れ右をしてもと来た廊下を真っ直ぐ去って行った。
「あん人、本当に人だべか?」
 初めてみやけに会った誰もが持つ疑問をこいれがぼんやりとつぶやき考えていると
「あ、あの、大丈夫ですか?」
 震えたようにか細い声がした。「なにか、変な奇声が聞こえたのですが」
 こうさぎのごとく怯えながら立っていたのは、木村こいけ嬢であった。体の線が細く小柄で長い髪を桃色のリボンで結わえている。
 日野隣家にある木村家の一人娘であり、うめつ、はっとりのもとに遊びに来ているのだった。
 こいれはこいけの愛らしさにぼうっとなり返事ができないでいた。
 すると
「こいけさん。どうなさったの」
 と、うめつが部屋からすっとその美しい顔を出した。
「うめつ様! 先程恐ろしい鳴き声がしましたの。一体なんだったのかしら」
 こいけは恐る恐る辺りを見回している。
「まあ、そんな声したかしら」と、うめつは首を傾げるとこいれを見て「あなた、聞こえまして」と聞いた。
 うめつの可憐さにぼうっとしていたこいれは答えることができず、只、首を振ってその場から離れたのであった。
 はっとりといい、うめつといい、こいけといい、自分とそう年齢も変わらない娘達の美しく華やかな振るまいに圧倒され、こいれは腰が抜けそうであった。
 見たことのない花のような服、聞いたことのない歌のような言葉。
 こいれは、はっとりの踊る姿を思い出して真似をしてみたが窓ガラスに映った自分の姿とはっとりとの差に愕然として立ちすくんだ。
 どうしてこんなに違うのか……。
 こいれはこの時初めて憧れと羨望の気持で日野家を見始めたのだった。
 そして、ある日、事件は起こったのである。

「無い!」
 悲痛な叫び声が部屋に響き渡った。
「無いわ! 無いわ! どこにも無い! 確かにここに置いたはずなのに!」
 はっとりは血相を変えていた。
「どこ?どこにあるの? ああ、どうしましょう。ここにあったはずの、お父様が遠く仏蘭西から取り寄せてくだすった空色のトゥシューズが無くなってしまったわ!!」
 大きな瞳に涙を浮かべ、あちこちを必死に探すはっとり。
 一体、仏蘭西製超高級舞踊用紐靴は、何処に行ってしまったのだろうか!? 再び手にすることはもう無理なのであろうか………!!

(火曜さすぺんす劇場のテーマが鳴り響く室内!!)
ちゃちゃちゃちゃ!ちゃちゃちゃ!ちゃ~ら~

~つづく~


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