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ある日土井は山口工場長に呼び出された。また、何かお叱りを受けるのかと内心ひやひやしていた。工場長の部屋のドアを開けると晴れやかな顔をした山口が部屋の奥の窓際の机の前で待っていた。「君、飛行機の設計をやってみないか」土井は驚いた、職工上がりの自分には手に余る仕事だと思ったからだ。「私には無理です」土井はきっぱりと断った。山口はにやりと笑い、「いや、君には出来る」と答えた。東京帝国大学卒の山口はかねてより土井を設計主任に抜擢しようと計画していたのだ。そして、工学系の理論を深く理解している山口には土井の底知れぬ能力が分かっていたのだ。同盟国にナチスドイツ軍があるがメッサーシュミットBF109のようなスマートな機体を作ってくれ。土井はもちろんBF109のことは知っておりドイツ空軍の主力戦闘機として大きな成果を上げているのも知っていた。「あれは液冷ですよね」「そうだ、だれもやったことがないスマートで速度の出るやつを作ってくれ」山口工場長は川崎重工のなかでそれを完成させられるのは土井しかいないと確信していた。「既存の理論に固守する奴じゃ駄目なんだ」面白そうですね、土井はそう答えた。
2020.07.31
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土井いわゆるエリートではなかった、工業高校の機械工学を専攻し川崎重工には職工として入社した。航空機を作る工場でもくもくと同じ作業を繰り返していたが、いつも疑問を抱えている男だった。工業高校時代は勉強をするより実験や、実際に飛ぶ鳥を捕まえてはその翼の構造を細かく研究していた。鳥の翼は二つの要素から構成されている空気を後ろに押しやる羽ばたく翼と胴体に近い羽ばたかない翼である。航空機は鳥の翼を研究することにより実現できた乗り物である。羽ばたく翼は航空機でいえばプロペラを動かすエンジン(内燃機関と)空気を圧縮して燃料を注入し爆発力を推進力に替えるジェットエンジン(外燃機関)に当たる。一方、羽ばたかない翼は上昇力(揚力)を生む。これは流体力学上ベルヌーイの定理で説明される、同じ空間において翼の上を通る空気の圧力と速度を乗じたものと翼の下を通るそれは一定であるので翼の上面の流速は下より速くなり結果的に空気の圧力は翼の下のそれより小さくなる。つまり、結果的に下から持ち上げられることになりこれが揚力となる。こうして鳥は空を飛べるのでありこれは鳥が考えたのか神が考えたのかさすがの土井にもわからない。土井は工場でよく作業を中断する、あまり良い職工ではなかった。中断しては上長に提案するのだ「ここはこう変えたほうが空気の流れが良くなるのではないでしょうか」そればかりか、自分の持ち場を離れ様々な作業工程に首を突っ込んでくるのでかなり煙たがれていた。工場長は山口と言って東大出のエリートである、しかし、問題児とされいろいろ質問してくる土井には好感を持っていた。「なるほど、そうだね」工学系の理論をしっかり身に着けていた山口工場長には土井の指摘が理にかなっているものだとすぐに飲み込めた。
2020.07.30
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太平洋戦争での勝敗が見えてきた頃。土井は自分が手掛けてきた三式戦 飛燕の評判がすこぶる悪いことに心を痛めていた。始動性が悪い、いざという時使えないなど飛行士や整備士からの批判は直接言われなくても伝わってきた。同盟を結んでいるナチスドイツ軍のメッサーシュミットを参考に川崎重工で開発したのだがその完成度の低いのには理由があった。自動車を何十年も前から作り続けているドイツとその経験が浅い日本では水冷エンジンの構造の細部の部分まではまねができないのだ。メルセデスなどは何十年も前から水冷エンジンを作り続け不具合の原因を改良し続けているのでほぼ完ぺきなものが出来ている。ドイツから設計図を持ち込み見様見真似で作った日本初の戦闘機の水冷エンジンとは埋めることが出来ない大きな溝があった。かくして頭のない飛燕が飛行場に並びエンジンの不具合を調整中の機体ばかりが飛行場の隅に並べられていた。土井はその解決策が頭の中には浮かんではいた、飛燕の水冷エンジンを空冷にしたらどうか?そんな突拍子もない秘策があった。しかし、お堅い上層部にこんな案を提案しても受け入れてもらえないのは分かっていた。一度決めてやってきたことを否定されることを何よりも嫌がる人たちである。しかし、物資のない日本陸軍にとって使えない戦闘機は資源の無駄であり開発者としては居ても立っても居られないほど悔しかった。
2020.07.19
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東京を出港して2週間、嵐のような台風も東に逃げてしまって太平洋はその名の通りとても穏やかな海へと姿を変えた。通信工学科の配慮だろうか船内にはホノルルのエフエム局KIKIが流れ始めた。長い航海ももうすぐ終わると思うと自然とワクワクしてくる。海保大卒業生の遠洋航海では僕らはアメリカ合衆国の国賓扱いとなるのでいくつかのスケジュールは決められていた。ホノルルではパールハーバーのアリゾナ記念館とオールドファッションのロコモーションでパイナップル畑のツアー、そしてコースとガードの太平洋地区司令官宅への訪問、シアトルではボーイング社の工場見学、シアトル日本人会との交流、レーニエ山への登山、などだ。海の色がエメラルドグリーンに変わるとイルカたちが練習船を先導してくれる。ダイヤモンドヘッドが見えると僕たちは不思議な感覚になる、当たり前といえばそれまでだが東京の汚い晴海ふ頭とワイキキビーチがつながっているなんていう感覚は飛行機の旅行では味わえない感覚だ。そして、実感するのだ地球は本当に丸いのだと。勘違いの国際感覚練習船こじまがアロハタワーの近くのふ頭に停泊すると上から下まで白のダブルの第一種制服はどこから見ても日本海軍に見える。そんな姿で49人全員がアリゾナ記念館を見学するという感覚はわれら海保大としては間違っていると思う。アメリカ人にとってアリゾナ記念館は旧日本海軍に奇襲攻撃をかけられ何千人もなくなった悲しい記憶の記念館なのに、そこへどう見ても日本海軍にしか見えない我々がのこのこと行くところではないのだ。花束を持ちながら慰霊に行くならともかくただ、ここへきて当時の写真を見て帰るというのはどうか?やはり、我々をみるアメリカ人の目は冷たかった。とても恥ずかしかった、肩身が狭かったのだ。みながWe were sorryという感覚でないと国際感覚どころか常識を疑われる。
2020.07.14
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昭和50年代の東京晴海ふ頭の海水は茶色く濁り1メートル下さえも見えなかった。遠洋航海の前に呉市から東京まで来たのは海上保安庁の観閲式に参加するためだ。全国から各型式の巡視船や航空機が集められ披露される。関越船には国土交通大臣と抽選で選ばれた一般人が乗り込み観閲船が沈むのではと思うくらい前後部のデッキやブリッジの周辺に500人ぐらい乗り込んでいただろうか、海保大の練習船こじまが遠洋航海に出発するときは最後尾につき真名に見送られてアメリカ西海岸へと旅立つ。遠洋航海の寄港地はまずオアフ島のホノルル(ここで給油)経由でシアトルかサンフランシスコ、またサンディエゴのどこかに向かう。(現在は練習船が大きくなったため世界一周)僕個人的にはサンディエゴに行ってみたかった(理由は米国海軍の士官養成校 Naval Academy)がサンディエゴ近郊のアナポリスにありそこの見学があるからだ。毎年行われる海保大の遠洋航海は初級士官としての最高の舞台であり士官としてのプライドをくすぐられる一大イベントだ。25期生の寄港地はシアトルと決まった。今でこそシアトルはマイクロソフトやスターバックスの発祥の地として有名だが当時はこれらの会社はちょうど産声を上げたころだっただろうか。海保大卒業生の遠洋航海で我々は米国の国賓として扱われる、うそのようだがそのためパスポートも必要ない。通常5月の終わりごろに出発するのだが東京を出港したとたん大きな台風に見舞われた、しかもその勢いはすさまじく当時は千トン程度しかなかった練習船は片玄30度、ピッチング10メートルという遊園地のアトラクション並みの動揺に見舞われ三日三晩これが続いた、当然何も口に入らないし食べる気もおこらない、さすがの乗組員(学生上がりと違って毎年渡航しているつわもの)の主計課(コックさん)の職員も料理が作れないのでおかゆをバケツに入れて食べれるものなら食べてくれと学生教室の入り口に2缶ほど置かれていた。僕はそれを見てますます気が失せて自室に帰り食パンをちぎりリンゴと一緒に口に流し込んだ。台風が過ぎると太平洋はうそのようにないで青インクをこぼしたような青色の水面が延々と続いた。(ああ、これがNavy Blueなんだ)やっとご飯が食えるようになったところで唯一の洋上訓練である防火訓練が始まった。僕は何故か総合指揮官に任命され後部デッキの前にある高いところから拡声器を持って拡販に指示を出すことになる。さて、訓練の内容だが最初と最後は決まっていてどこかから出火して最後は総員退船で救命ボートを下ろして船をあきらめることになる。昨年の訓練の様子を聞くため教官のところへ行き教え欲しいと頼んだら「君が作り給え」と言われた。実は、僕はこういう創作的な事は好きだし得意なのだ。さすがに船長室から出火させるわけにはいかないので無難なところで後部甲板の真下にある学生教室兼食堂から出火させることにした。3班に分かれており、航海科、機関工学科、通信工学科の班長にタイムスケジュールを配ってこの通りにやってくれと頼んだ。訓練の内容を大まかにいうとこうだ。学生教室から出火すれば当然その真上にある後部甲板は熱くなる。後部甲板が船の中では一番広い場所でここが使えないと初夏活動ができないので第一班は海水ポンプで海水をくみ上げ後部甲板に流し作業領域を確保せよ。第二班には後部甲板を使ってげん窓を突き破り消化ホースを突っ込み消火活動をさせた(船は一区画が水没しても沈むことはない)そして、第三班は総員退船もあり得るので救命ボートの位置で待機させいつでも下せるように用意させた。こうして、2時間の訓練は無事終わり船長からお褒めの言葉をいただいた。(卒業生が訓練内容を作ったのは初めてだったようだった)
2020.07.09
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