旅の途中

旅の途中

エクボさんのカフェタイムより


      ~人に知られないようにひそかに行う善行~

人に知れるように良いことをしてありがとうと言ってもらえるのは当たり前のことです。

ここから先は自分自身の確認のために記しています。

この間、被災地のボランティアに積極的な杉良様が仰ってました。
本当に困っている人は『ありがとうとさえも言えない状態にあることをわかってあげて下さい』って・・

この人、よくわかっていらっしゃる。
祈りますよという言葉は人に力を与えますが、こちらが感謝されるために使う言葉ではないと思います。

ありがとうの言葉は心地よいです。どんどん使ってくださいねぇ~♪
ありがとうは魔法の言葉、人と人の心を通わせます。
ただし・・ありがとうを言われてしまう側にとっては
私にはある意味呪いの言葉のようにも聞こえます。
ありがとうは神様にコソッとお返ししましょうねぇ~、だってそういう行為を出来たのは神様のお陰ですもん。
この魂、与えてくれたのは神様ですもん。

徳を積みたいと思う人は・・密かに・・つ・ん・で・く・だ・さ・い・ね・・・

ちなみに・・私はご利益を頂くために徳を積もうとは思いません。
徳というものはおまけのように後から付いてくるものだと思います。
守って貰うためによいことをする。
救われたいから良いことをする。
ご利益有るから良いことをする。
こういうのは何処かちがうなぁ・・・と・・・祈ることも同じです。

はじめに愛ありき、それが物事を行うための動機付けでありたい。
祈る時の動機でありたい。
自然に祈ってしまう。それが愛だと思います。
わき上がってくる感情がその人の幸せを祈る。
それが愛だと思います。
愛されたいから愛するのではなく、愛したいから愛する。
無私の愛で奉仕する。
其れが出来るまで・・私・・自分を待っているんです。

もう一つ。
愛は押し売りするものでもなく、気づいてもらえなくても待つものだと考えています。
感じてもらえるまで待つ。

自然に涙が零れます。ありがとう・・やっと・・気づきました。
あなたはわたしの光りです。あなたは神であり、あなたこそ愛です。
私は・・そう信じます。

あなたが創られたもの、“人間”が大好きです。








最近、私は自分から人様に 手を差し伸べられるようになりました。

まずは人を愛する事から・・・。

その人の身になって考えてみるんです。

年寄りの方が ATMや電車の切符販売など 機械などで困っている姿を見かけます。

「何モタモタやってんだよ!!!」ではなく

「どうしましたか?」と、声をかけられる様になりました。

少し成長したのかな???

「EKUBOCHAN」さんに 教えられました。





ありがとう。エクボさん♪






© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: