かつて、かいじゅうたちの本棚があった。

2025年09月17日
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親が自分の人生を送るにあたって、大事にしている信条があるとき、それは、ともに生活しているこどもにも自然と伝わるものだろうか。信仰じゃないですよ?生活信条です。今すこし調べたら、就職面接で聞かれることがあるようですね。だからといって、白々しく取ってつけたようなものを並べるのは愚かしい(し、恥ずかしい)。
まあ、私が考えていたのは、風さんの評判が上がると、待っていたようにまた、宗教、宗教と騒ぎ出す人がいるので、いつも、あれは、生活信条であって、信仰の決まりではないんじゃないかなと思うんです。お父さんが大事にしていた言葉って、風さんもいつも言ってますね。偏見と思い込みに振り回されたくないんだよ。
例えばうちでは、風さんのご両親ほどに、物を考えていない私にも(三兄弟の母親)決まった考え方があったけれども、それを教え込んだつもりも覚えもありません。ただ思い返せば事あるごとに私がこどもたちに話すことは、確実に彼らの考え方に影響を与えてきたのではないかと思うのですね。
 ひとつ思い出したんです。今、小学校での縦割り活動が減っているという話を聞いて。縦割りというのは、
高学年から低学年までをひとつのグループにして、学年を超えて協働することを学ぼうという形態ですけれど、我が子らの小学校でも、当然のように行われていました。ある校内行事でのこと、「ネコ、縦割り斑どう?」
縦割り斑でのオリエンテーリング(クイズマラソン)みたいな行事の事前準備の段階。「う~ん、班長がイマイチかなあ」「うん?班長か、六年生だね?女子?」「そう」「うん、あのね、六年生だからってみんなが班長をやりたいわけじゃないよね。仕方なくやってるのかもねえ?性格的に向いてない子もいるし。副班長もいるね?」「うん、五年生の男子。いい人だよ!」ネコスケはこのとき四年生。「そしたら、ネコ、ネコが副班長と力を合わせてもりあげればいいよ。小さい子たちを助けて。そしたら、班長も気楽になる。ネコならできるよ」「うん、そうだね」「大丈夫。頑張ろう!」誰かを責めて「できないできない」と不平不満を言うだけではなく、自分にできることをするというのは、私がずっとしてきたことです。ネコスケの言うことを理解して信頼して、背中を押すことができたと思います。万事がこんな感じですから、兄弟三人とも文句を言っているヒマがあったら、自分にできることを考える習慣がついています。そして私は彼らの判断を信頼している。班長をすることに乗り気でない子の気持ちもわかる。そしたら、抵抗のない子が代わりの役割を果たせばいい。みんながそれぞれにできることをすればいいんだよ。「自分にできることをする」という考え方がしっかり根付いていることを信じているので、子らの姿が見えなくても心配しない。それができる彼らは、たくさんの人たちのなかでも必要とされる存在になるだろう。あの子たちが周りの人たちを助けられる存在になれますように。そう願って応援しています。





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Last updated  2025年09月17日 13時51分07秒
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