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バスケットボールシューズビジネスは、大人の世界である。巨大な資本を持った企業のみが参入を許され、高額なマーケッティングを行なえる者だけが勝利の切符を手にできるような雰囲気がそこにある。しかし、2002年、小さな会社が新たに参入した。Kickz。持たざる者が武器として用意していたのは、バスケットボールへの愛だった。彼らに巨大な資本は必要なかった。物作りの伝統を持つクラフトマンが世に放った新しいシューズ、Chiefglider、には、バスケットボールをする者の心を捉えるスピリットが宿る。
あまりにも巨大な競争相手が蠢く市場で、彼らはどのようにして奇跡的な偉業を成し遂げる事ができたのか?
この単純な好奇心を抑える事はできない。
本日のジョーダンマニアでは、BMW、シーメンズが本社を構えるサッカーの街、ドイツ、ミュンヘンに生まれたバスケットボールアパレル会社Kickzの創業者、クリスチャン・グロッセ氏にインタビューし、そのユニークな創業秘話と将来への展望を聞いてみた。
JORDANS:
始めまして。今回はJORDANSのインタビューにお答えしていただき、本当にありがとうございます。このインタビューでは、Kickzの創業の秘話から始まり、Chiefglider誕生についてお聞きし、最後に今後の展望なんかをお聞かせいただければと思います。少々長いインタビューになりますが、宜しくお願いします。
JORDANS:
まず始めに、バスケットボール、Kickzの前職など、クリスチャンさんのバックグラウンドについてお聞かせください。
クリスチャン:
始めまして。クリス・グロッセです。身長は6’7(約200cm)なのであまり特別なバスケットボール選手というわけではありません。ポジションはパワーフォワードをやっています。1993年にケープタウン大学でMBAを取得して、Kickzの前にはAND1やRIDE
SNOWBOARDSという会社で働きました。
JORDANS:
2mと言えば、かなり大きいですよ。その身長で日本にきたら、確実に全国レベルです。
さて、1993年にKickzを創業していますが、創業の経緯や、どうしてバスケットボールにフォーカスしたのかをお聞かせください。
クリスチャン:
1993年、私と親友でKickzを始めました。最初は、ただ単に楽しいと思ったからです。当初は、今とは異なり、バスケットボールだけに集中したわけではないんです。信じられないかもしれませんが、創業当時の1993年には、Kickzがミュンヘンでは唯一のスニーカーショップだったんです。もちろん、フットロッカーもありませんでした。今では、街角の至る所にショップがオープンしましたが。
バスケットボールに集中しはじめたのは、創業からしばらくしてからになります。単純にバスケットボールが個人的に好きだからです。バスケットボールが身近にある生活って最高ですよね。バスケットは、ヒップホップやスノーボーディングにも繋がるところがあって、私はその全てに興味があります。なので現在の仕事は、私にとって最高の仕事という事になります。(※このヒップホップなどのストリートファッションとバスケットボールとの類似性に目をつけたことが、kickzの躍進の秘密に思える)
JORDANS:
私もバスケットボールが大好きなので、その感じ分かります。
では、もう少し、創業について聞かせてもらえますか? Kicksology.net によると、創業当時は、レア物を中心に扱うシューズショップだったとありますが、レア物の発掘は、クリスチャンさんが自分で行なっていたのですか?もしそうなら、どんな感じで、そのハンティングを行なっていたか教えてもらえますか?
クリスチャン:
確かにそうです。当時は、自分でヨーロッパやアメリカ中を旅して周り、小さなショップを探し回っていました。例えば、紫色のAIR FORCE 1 HIの売れ残りを、あるウェアハウスから全部買い取り、一瞬で売った事があります。他のヒット商品には、銀色のAIR
FORCE 1 MIDなんかがあります。銀のAIR FORCEは今も大切にしています。

JORDANS:
創業秘話ってドラマですよね。
では、Kickzはそこからどう発展していったのでしょうか?1993年からこれまでの沿革を教えてください。
クリスチャン:
創業から数年はあまり本腰を入れていなかったので、それほど特別な成長はありませんでした。当時の私の興味がスノーボードにあった事も理由にあります。転機は1996年に、通販を始めたあたりになります。注文を受けた品をお店の裏で梱包して送りはじめたのです。通販は思ったよりも上手くいき、すぐに倉庫用のガレージ、車2台分を借りました。それと同時に、パナソニック製の電話システムも購入しました。将来的に必ずヒットすると確信があったからです。でも、その10台の電話からなる電話システムは、車2台分のガレージ(50平方メートル)には大きすぎたので、システム業者は、私達が計算ができない人達と思っていたようです。
しかし、私達の狙いは的中し、1年間の間に2度も手広な場所に引越しました。その大きすぎた電話システムも物足りない位に成長しました。不思議なものです。数年前までは、週末になると、母親の手を借りて小さなガレージで梱包作業をしていたのに、今ではこんなです。当時は、コンピューターなんてなかったので、全て手書きで納品書を作っていたのに。母親も、こんな手伝いさせるなんてバカ息子だと思っていたようです。
JORDANS:
心のどこかで信頼があったから、協力できたんでしょうね。そこから、ドイツ1のバスケットボールショップ(2001年)に成長するわけですね。それにしても、レアシューズショップから、ドイツ1のショップはあまりにも大きな成長です。その成功には、どんな秘密が隠されているのでしょうか?
クリスチャン:
今でも、レアなシューズは事業の中心にあります。ナイキ、アディダス、リーボックの限定品を取得するルートがありますので(例:レーザーダンク)ドイツにおけるAND1ビジネスを軌道に乗せた当時、AND1よりも都会的で、特別で、ヒップホップなバスケットボールブランドの可能性を強く感じました。今日、k1x(Kickzのブランド)はドイツで最もホットなバスケットボールアパレルです。3年前には、k1xのバスケットボールをリリースして、スポルディングやモルテンの持つマーケットシェアを勝ち取る事に成功しています。今では、フルラインアップを揃えるまでになり、品質とデザインでユーザーの熱烈な指示を得ることに成功しています。
その過程の結果、k1x Chiefgliderのリリースにたどり着き、すぐに成功に結びついています。バスケットボール専門サイトの Kicksology.net 、 Kicksguide.com 、 Crookedtongues.com からも良い評価を貰っています。Chiefgliderは、現在マーケットに存在するシューズの中でも最も高いレベルのパフォーマンスを持つシューズです。無駄なものを極力省き、シンプルに押さえた上でのパフォーマンスです。あなたも知っていると思いますが、ドイツ人の技術者とは、物作りを分かっているんです。良質の商品には、無駄な装飾は不要です。

JORDANS:
バスケットボールシューズ市場では、激しい競争が繰り広げられています。ナイキ、リーボック、アディダスなどの巨大資本を相手に、Kickzのような小さな会社がどうして競争できると信じる事ができたのでしょうか?
クリスチャン:
確かにそうです。こんなに多くのモデルが市場に出回っている中、新たにバスケットボールシューズを作る事を考えるなんて、かなりクレージーな事です。なので、全く異なるアプローチを考え出さなくてはいけませんでした。私達は、最高レベルのシューズになるようにChiefgliderを開発しました。そして、改善し続ける事に決めたのです。新しいカラーバリエーションを追加するごとに、新しい工夫を追加していき、最高レベルを保つのです。もし3ヶ月しか時間がなければ、Chiefgliderのような洗練されたシューズを開発する事は不可能です。事実、最初のプロトタイプは実に30ヶ月以上も前にできあがったものです。世の中に出回っている沢山の“イタイ”シューズを見れば、私が何を言おうとしているか分かりますよね?
JORDANS:
確かに。私達もChiefgliderの品質の高さに驚かされた事が、今回のインタビューの動機になっています。でも、これがKickzの最初のシューズという事が信じられないんです。それというのも、2001年の秋にDaDaが初めてリリースしたバスケットボールシューズと比べてしまうからです。個人的な恨みがあるわけではないんですが、DaDaの最初のSupremeを見た時、正直、「バスケットボールシューズを開発するのは大変なことなんだ」としみじみ思ったものです。しかし、1年後にリリースされたChiefgliderを見ればどうでしょう。どこの会社よりも高品質のバスケットボールシューズがそこにあります。しかも、低資本の会社がリリースした最初のシューズです。どうして、ここまでの品質のシューズを最初から開発する事が可能だったんでしょうか?クリスチャンさんは、開発で大きな役割を担っていたんですか?最初からこんなに良いシューズを作れるなら、今後が楽しみ、というのが正直な気持ちです。
クリスチャン:
Dadaが最初のシューズをリリースした時、その品質からかなり叩かれました。AND1の最初のシューズも完全なジョークでした。(これらの2社が悪いというのではなく、)高品質のシューズに仕上げる事は、本当に忍耐の必要なプロセスが関わってきます。事実、私達は運が良かったのです。ドイツには、良質のスポーツシューズを作る伝統があります。プーマもアディダスもドイツで創業しています。なので、ドイツ人が工場に足を運べば、工場のほうでも品質が追求される事を覚悟しなくてはいけないのです。
JORDANS:
その全てが上手く化学変化を起こして、1993年の創業から9年後に自分のシューズをリリースする事になったんですね。自分のシューズをリリースする。これって、ほとんどのバスケットボールプレーヤーにとっては、願ってもかなわない夢ですよね。自分のシューズを持つ事ってどんな感じですか?
クリスチャン:
私もいまだに信じきれていませんよ。私は、自分のシューズができたら、それ以降は .....文字数制限により、続きは JORDANS.JP
で
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