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前回の日記で予告した通り、今回はサンチャゴ市のセントロ地区(旧市街)の中心部に聳えるサンタルシアの丘に登った際の様子をレポートいたします。このサンタルシアの丘は大統領官邸(モネダ宮)の真東で1キロもありません。都心部にこういう緑の丘が残っていると言うのが凄いです。公園の入り口です。結構壮麗な建物風になっています。上の部分を寄せて撮影してみました。ちょっと横に行ってもう一枚撮影してみました。サンチャゴ市は創建300年か400年くらいの街でございます。その昔はこの山を砦にして現地の人々と戦ったと言います。最上部付近です。何となく砦っぽいですよね。この辺りは。山の斜面には、このように木が植えてありました。ここからシティビューです。中央に見えるのが最高裁判所です。この山の周囲はセントロといわれる旧市街です。昔は経済もこの辺りが中心だったそうですが、今は企業は東側に移ってしまい、この辺りは官庁街になっています。残りのパノラマを載せておきます。【本日の成果】ローソン(JCB) 4×1.5倍=6マイル(NH)AMPM(EDY) 3マイル(NH)【本日判明の成果】JL1016 札幌-羽田 J 434 冬のホットなキャンペーン(国際・国内ダブル) 434 eチケットレス割引ボーナスマイル 100 旅クラブ搭乗ボーナス 50 マイルUPボーナス 511
2006/01/31
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今回はサンクリストバルの丘からのビューをご紹介します。サンチャゴ市内のセントロ(旧市街)とプロビデンシア(新市街)の間にある丘です。この丘の頂上にマリア像があって、これがサンチャゴのシンボルになっています。ところで、表紙の写真を変えてみました。この週末に撮影した蒸気機関車のボイラーの中の様子です。撮影時に結構な熱気を感じました。カメラが壊れるんじゃないかとちょっと心配になりました。さて本題です。丘の登山口付近です。まあ、子供の多いこと。幼稚園の遠足でしょうか。この丘に動物園があるので子供連れに人気の場所らしいのです。この古城風の建物がケーブルカーの駅なんです。駅の内部ですね。ケーブルカーで出発したところです。このケーブルカーは20世紀の初めの開業です。凄く古いのです。標高が上がっていくとだんだん市街が見えてきます。もやっていますね。これは自動車の排気ガスによる大気汚染によるものです。サンチャゴ市は盆地になっているのでガスが溜まるのです。悲しい…。中間駅でございますね。普通はケーブルカーの中間駅は終点から4分の1のところに作るのですが…、このケーブルカーは中途半端な位置にあります。登りが停車する時と降りが停車するときに二回も停車します。なんだかなあ。動物園を建設したためにこのような設計になったのでしょうか。車輌はこんな感じですね。ケーブルカーのポイントです。詳しくは説明しませんが、通常の鉄道とは違う形状になっています。日本国内のケーブルカーもこんな感じになっています。切り替えを一切しないポイントなので、変な形にしています。ケーブルカーの山頂駅です。山頂側も古城風です。頂上には教会がございました。次回にご紹介しようと思っているサンタルシアの丘も頂上には教会がございました。高いところには教会を作るんですね。チリは余り宗教を感じさせない国なんですけれども(選挙で共産主義を選択してしまうような国です)、丘の上ではカソリックなんだなあ、と感じさせられます。頂上から市内を見下ろしました。見えないなあ。中ほどに丘が見えます。この丘がサンタルシアの丘です。セントロ(旧市街)の中心にあり、昔は砦だったそうです。次回ご紹介するビューは市内に近いので、こんなにもやりません。ご安心を。頂上の広場です。ここで絵葉書を買いました。これがサンチャゴのシンボルのマリア像です。リオのキリスト像に比べると知名度は今ひとつではございますがでかいです。次回は、セントロのサンタルシアの丘登山の様子をご紹介します。【本日の成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)本屋(JCB) 11×1.5倍≒約16マイル(NH)【本日判明分】JL1141 羽田-釧路 J 472 冬のホットなキャンペーン(国際・国内ダブル) 472 eチケットレス割引ボーナスマイル 100 旅クラブ搭乗ボーナス 50 マイルUPボーナス 555 JGC会員ボーナス 3,000 JALカード毎年初回搭乗ボーナス 2,000
2006/01/31
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冬の北海道レポートから再び南米レポートに戻ります。前回はサンチャゴ市の大雑把なところをレポートしました。今回は中央市場と自然史博物館をレポートします。この週末の北海道から暫定レポートを3本上げたのですが、結構事実誤認がございました。コメントで訂正させていただきました。寒さの余り頭が回らなくなっていたようです。さて、本題です。サンチャゴ中央市場の全景です。昔はここが中心だったらしいのですが、今は郊外の市場の方が規模が大きくなり、この都心部にある中央市場(メルカド・セントラルだったかな)は観光&レストランという佇まいです。市場内部のレストランでございますな。前回のレポート(僅かに二日前なんですが、北海道に行ったので随分前に感じます)でも触れましたが、地理は南米でも例外的に海産物を良く食べます。レストランもシーフード系ばかりです。全然市場っぽくないです。サンチャゴ新市街のレストラン街のお洒落なお店みたいなつくりです。味も値段も全然市場ではないです。付け合せと調味料です。日本人もよく来るのでしょうか?、何も言わないのに醤油が出てきました。中ほどにある薬味(名前がわかりません)が辛いのですが美味しい。生うにでございます。日本ほど精密な処理をしないせいか、液化している部分が多いです。すし屋の雲丹を作るのはそれはそれは高度な技術の手作業だそうです。伝統工芸の世界だそうです。アワビでございますな。こんな感じの料理になってきました。料理法が大雑把なんですね。こちらは。すぱっと蒸して出してきます。もう少し加工度を上げてもいいのかなあ。オオフジツボでございます。ピコロコとかそんな名前でした。味は蟹です。ひょっとしたら蟹の仲間かもしれません。お酒で煮て出されてきました。食いでがありました。この中央市場はアルマダ広場の北側にあります。割と簡単にいける場所です。お次はチリ自然史博物館でございます。本当はこの旅行で南極大陸に上陸したかったのですが、諸般の事情で不可能になり、自然史博物館で手を打ちました。外観はこんな感じです。中央駅の北側の公園の中にありました。入場料は200ペソだか400ペソくらいでした。安いです。チリもアルゼンチンも通貨単位はペソですが、アルゼンチン1ペソは40円前後で、チリ1ペソは0.2円前後です。チリはたった2年間とはいえ共産主義政権を経験しています。ロシアで起きたようなインフレがあったのですが、その名残ですね。内部でございます。鯨の骨格標本がございました。この辺りは東京の科博でも見たような感じです。建物の作りは宮殿風でした。チリ名物のペンギンでございますね。これの本物を見たかったのですけど…。博物館はこんな感じでございました。テーマ性がボケた旅行だったのですが、次回はサンチャゴ市街の見下ろす丘(二つあります)からのパノラマをご紹介して見ようかなと思っています。【一昨日・昨日の成果】JR北海道(JCB) 70×1.5倍=105マイル(NH)モノレール(SUICA) 9マイル(JL)サンクス(EDY) 2マイル(NH)ヨドバシカメラ(EDY) 1マイル(NH)ローソン(JCB) 2×1.5倍=3マイル(NH)E電(SUICA) 3マイル(JL)タクシー(JCB) 18×1.5倍=27マイル(NH)ショッピングマイル(Gキャブ) 18マイル(NH)ラーメン(EDY) 4マイル(NH)土産(JALC) 18マイル(JL)
2006/01/30
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結局札幌の天候は改善せずでして、あっさりと帰って参りました。札幌市電の乗り潰しと市電の車庫の撮影(敷地の外の道路から)、雪祭り建設現場をほんの数枚撮影してお終いに致しました。今回の搭乗区間は 羽田→釧路 新千歳→羽田の2区間でした。今回の鉄道乗車は 釧路→標茶(釧網線) 標茶→釧路(釧網線) 釧路→札幌(根室本線・石勝線・千歳線) すすきの→電車事業所前(市電) 電車事業所前→西四丁目(市電) 大通→さっぽろ(市営地下鉄) 札幌→千歳空港(千歳線)でございました。詳細は、次の次のシリーズものとしてご報告いたします。目玉はSL・丹頂鶴・特急「まりも」となる見込みでございます。以上、帰着報告でございました。追伸:デザインテーマを在京モードに戻しました。
2006/01/29
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notoshun@札幌でございます。今朝5時50分に釧路からの特急「まりも」で札幌に到着しました。この特急は5両編成(営業しない車両が2両入っていましたがこれはカウントしてません)ですが、そのうち2両がB寝台なのです。その代わりグリーン車は併結されていません。今回はB寝台を使わせていただきました。さくっと寝付けて、終着札幌の手前20分まで目が覚めませんでした。快適・快眠でした。素晴らしい。目覚めたときに「あれぇ地震だ。いやだなあ」などとぼけたことを考えてしまいました。寝台列車が揺れるのは当たり前のことです。この寝台の素晴らしい点がもう一つあります。安いのです。JRのB寝台は通常6300円です。JR西日本の「きたぐに」のような例外もありますが…。この「まりも」のB寝台はシーズンオフは半額の3150円まで下がるのです。素晴らしい。非常に割安感があります。ちなみに車両は14系が使われておりました。「まりも」や「オホーツク9・10」「利尻」は変わっていて、ディーゼルカーの間に客車寝台を入れて運転しています。パワーが苦しそうな編成ですが、その分余裕時分をたっぷり取ったダイヤで運行されており、定時性は大体大丈夫なようです。今回の列車行では何回か道産子の連れができました。この寝台でも向かいのおじさんと無駄話をしてしまいました。こういうのもいいですねえ。昔の青函連絡船を思い出させます。北海道の文化なんでしょうか。さて、もう夜が明けましたので、札幌の街に出て写真を撮ります。残念ながらここ札幌は雪でございます。環境があまりに厳しいようであれば、あきらめて早い便で新千歳から羽田に帰ります。
2006/01/29
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再び釧路市内に居ます。標茶から漸くのことで釧路迄戻って来ました。鉄道事故の影響で帰路の汽車が85分も遅れてシマイマシタ。私の乗った『SL冬の湿原』号ではなく、塘路駅ですれ違う予定だった各駅停車が踏切事故に遇ってしまったのでした。このため、SLは塘路駅に一時間以上停車することになったのです。冬の北海道は台湾人に人気のディスティネーションです。汽車には台湾人の団体や家族連れが沢山乗っていました。車内放送が日本語だけだったので、ちょっと混乱していました。飛行機に乗る予定のお客さんはやむなくタクシーを使って釧路へ向かっていましたが、私は乗り継ぎ時間に余裕が有ったので、事態をたっぷり楽しませて頂きました。発車待ちの間は暇だったので、機関士さんが運転室に入れてくれました。得しました。カメラを持つと、わざわざボイラーの蓋を全開にしてくれました。おかげで燃え盛る石炭をきっちり撮影できました。(^-^)vもう一つは、臨時の給水作業を見ることができました。蒸気機関車は石炭は割と持つのですが、水はあっさりと無くなってしまいます。長時間停車している間に水不足の可能性も出てきましたそこで、機関士さんが喫茶店からホースを借りて来て、水道水をタンクに入れていました。これも珍しい光景です。私的には『得してしまった』という感じでした。これから夕食を摂った後、夜行で札幌を目指します。待ち時間が余りそうでつらいです。画像は塘路駅で出発を待つ汽車です。
2006/01/28
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羽田空港に来るのも久しぶりです。最近は国際線ばかりでしたので、羽田の国際ターミナルには来ていましたが、国内線ターミナルは11月の奄美群島旅行以来です。飛行機は定刻より20分遅れで釧路空港に到着しました。空港の温度計によると外気温は+0度です。温かいです。東京と変わりません。楽勝です。釧路市街までバスで60分かかるそうです。距離は大したことなさそうなんですけど…。釧路駅に着いて気が変わりました。最初は根室に行って、ノサップ岬から北方領土を見て来ようと思っていたのですが、ホームにはC11型蒸気機関車が停車していました。SLを見た瞬間に旅程変更が頭に浮かびました。幸い指定券を確保できたので、根室は次回に回して、今回は『SL冬の湿原』で釧路湿原を目指すことにしました。この汽車は14系客車+スハ43の改造車+ヨ9000型車掌車と言う編成でした。旅客列車に車掌車を繋ぐと言うのは九州で見たことがありましたが、車掌車を展望車として使うというのは初めて見ました。丹頂鶴も撮影出来て満足しております。以上、標茶からの暫定レポートでした。なお、画像は緩急車〈展望車〉です。
2006/01/28
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この寒い中、これより道東方面に出動します。残念ながらあまり天気は良くないようです。写真を撮りやすい環境かよくわかりませんが…。トライして参ります。出動中はまたデザインを変えております。1月の新テンプレートでございます。帰宅した時点で元に戻します。今回もノートPCを持ってまいりますので、現地からレポートするかも知れません。
2006/01/28
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今回はサンチャゴ市に着いた頃のお話をレポートします。サンチャゴ市の緯度は東京と余り変わりません。但し北緯じゃなくて南緯ですけど。私がサンチャゴ市に来るのは3回目かな。ところで先ほど25万アクセスになったみたいです。25万回目を踏んでいただいたのは、getzakkajobさんでした。ありがとうございました。色々なところで宣伝して頂いているみたいで、楽天会員では無い方のアクセスが増えてきておりました。25万人目もゲストさんだったら悲しいなと思っていたのですが、楽天会員の方に踏んで頂いて嬉しいです。お宿はシェラトンフォーポインツにしました。一泊97米ドルもしますけど快適です。サンパウロは日本人街の安宿、アルゼンチンは夜行バスで宿泊でした。たまには良いところに泊まらないとね!。スターウッド(シェラトンなどを経営するグループ)の上級会員ですので差入れフルーツがつきます。サンチャゴには本家シェラトンもあるんですけど高いのでパスです。前回来た時にはワインの差入れがありました。サンチャゴ市の中心というか発祥の地のアルマダ広場ですね。中ほどに見えるのがクリスマスツリーでございます。ここも真夏のクリスマスでした。サンチャゴ大聖堂です。スペイン植民地は大体キリスト教会(もちろんカソリック)を先ず建てます。この街もそうなのです。無味乾燥な官庁ビルですね。大統領宮殿の向かい側です。大統領宮殿(モネダ宮殿)はチリクーデターの聖地でございます。ここは別の回でネチッとレポートします。私の大好きな本の「革命商人(深田祐介著)」の舞台です。サンチャゴ市の地下鉄のタイヤです。ゴムタイヤ式の地下鉄です。日本では札幌市営地下鉄がゴムタイヤ式ですね。何となく新交通システム風です。地下鉄駅にある緊急セットです。万一のときはこの斧で車輌の窓ガラスを破壊し脱出してください、という訳でしょう。サンチャゴ中央駅です。チリもご多分に漏れず鉄道は酷く衰退し、長距離路線は殆ど残っていないようです。通勤電車だけという感じです。前にご紹介したブエノスアイレスのレティーロ駅ほどではないにせよヨーロッパ風でございました。次回はチリ自然史博物館と中央市場の様子をレポートいたします。南米には余りシーフードが好きな国は無いのですけど、チリは良く食べます。市場のシーフードレストランの様子をレポートします。【本日の成果】AMPM(EDY) 1マイル(NH)
2006/01/28
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今回はサンパウロ~ブエノスアイレス~メンドーサ~サンチャゴの移動をレポートします。BUEまでは飛行機、そこから先はバスで移動しました。アンデス越えなんですが、バスの席が通路側だったので余り大したシーンはありません。帰路にねっとり撮りましたので、別の回にご紹介します。さて、本題に入る前にlongjiangさんからBBSで「こんなに奇麗な写真はどう登録しましたか?教えていただきませんか?」というご質問を頂きました。良くある手なんですけど、写真の画像ファイルは楽天ではない別のサーバに置いてあるのです。ブログ本文にはタグを書き込んでいます。<IMG SRC="http://gazou.net/xxx.jpg" alt="写真">というような感じのテキストを書いておくと、写真が表示されるのです。ちなみに<と>は半角です。いつも通りに書いてしまうと画像が表示されてしまいますので全角にして見ました。さて本題です。早朝のサンパウロ空港でございます。安いバリグのチケットを使うとトンデモない時間の便になります。行きは午前8時帰りは午前6時です。なんだかなあ。管制塔です。世界の管制塔を見てきましたけど、凡庸なデザイン(失礼!)です。今までではSINの管制塔が一番凄かったのでした。空港にあったUFJ銀行の広告です。ブラジルの銀行と提携して出稼ぎ日系人のブラジル向けの送金などを扱っているようです。今ごろは広告も三菱UFJ銀行になっているでしょうか…。空港で食った朝飯です。このくらいの量がないと納得できません。朝はガツンと食べないと。バリグのビジネスのシートです。前回のシリーズでレポートしたTG並ですね。ちなみに機材はMD11です。バリグは747を使わずMD11をたくさん持っています。変わった趣味です。Y飯です。不味い…。今回の旅行ではSAO=BUEの往復だけはYクラスでございました。ブエノスアイレスに到着です。中心部の繁華街のフロリダ通りです。3ヶ月ぶりでございました。南米の季節は真夏です。ブエノスアイレスの緯度は東京に近いので、大体東京の真夏だと思ってください。でもクリスマスなのです。真夏のサンタがそこら中でビラを配っていました。何故か衣装は青色です。撮影をお願いすると快く受けてくれました。遅い昼食です。アルゼンチン名物の1キロステーキです。タバコの箱との比較で、どの位の大きさか分かりますね。ちなみに厚さは3センチか4センチくらいありました。強烈です。何キロカロリーあるのやら。ブエノスアイレス中央駅(レティーロ駅)近くのバスターミナルです。中々の規模でプラットホームは70以上ありました。ここから寝台バスでメンドーサを目指します。ちなみに南米は国際バスがたくさん運行されていて、ウルグアイ行きだとか、パラグアイ行きだとかも出ています。今回はチリ行きの乗り継ぎ便をチョイスしました。上手く表現できていないのですが、バスの椅子です。カマスイートというクラスでフルフラット(リクライニング180度)になります。飛行機に例えると日本航空のFクラスみたいな感じです。通称「寝台バス」です。非常に快適ですっきり眠れました。車内食です。二食サーブされました。メンドーサ線らしくワインのみ放題でしたですね。メンドーサはアルゼンチンワインの名所なのです。食事の質はエコノミークラスかな。13時間乗車し1000キロちょっと移動します。目的地(バス乗継地)メンドーサに着いたところです。このバスが私が使った「寝台バス」です。こちらはメンドーサバスターミナルです。ここでバスを乗り換え、今度はチリのサンチャゴを目指しました。アンデス越えルートになります。出発1時間で森林限界点を越えてしまいました。岩ばかりになります。南米最高峰のアコンカグアだと思います。確信はありませんけど、形が似ていますので、多分アコンカグアです。もし違っていたらごめんなさい。国境が近くなってきました。チェックポイントが何回か出てきます。山岳国境ですのでそんなに緊張していないなあ、という感じでした。しばらくこんな感じの風景が続きました。国境のイミグレです。チリ側は非常に厳しくて荷物を検査しました。この国境にはイミグレが二ヶ所あって、アルゼンチン→チリの時にはチリの施設を使い、チリ→アルゼンチンの場合はアルゼンチンの施設を用いました。チリ領に入ると今度はアンデス下りです。強烈なヘアピンカーブでどんどん標高を下げて参ります。このようなルートでサンパウロから南米大陸を横断しチリの首都サンチャゴに到着いたしました。次回はサンチャゴ市内をうろうろした時の撮影分をご紹介いたします。【昨日の成果】Infoseekラッキーサーチ 5÷2=2.5マイル(NH)朝食(SUICA) 4マイル(JL)
2006/01/27
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今回はサンパウロ市にある移民博物館についてレポートいたします。言うまでも無くブラジルの人口の大半は移民の子孫でございますね。もちろん、少数派閥ながら日系人も150万人くらいいるそうです。最近「できるブログ」という本を買いました。その中で「新聞記事と一緒で一番最初にリード(つかみ)を入れたほうが読み安い」という教えがありました。確かにトラバやリンクなどでは最初しか引用されません。この教えに従って、冒頭にリードを入れるように致しました。博物館の正門でございますね。元々は移民検疫所兼鉄道駅だったそうです。こんな感じの本館です。移民船はサントス港に入港し、移民たちはサントス港で船から列車に乗り換えて、この検疫所まで案内されたそうです。ブラジルのエリス島という訳ですね。そういう用途でしたので、ちょっと病院臭いかなと思えば病院っぽく見えてまいります。博物館には小学生が見学に集団で連れてこられていました。どこの国に行ってもこの光景だけは変わりません。愛知万博ですらこの光景は見られました。なぞの高級車が展示されておりました。移民と関係あるのかしら。各国からの移民船の写真が展示されておりました。上の写真は我が国のサントス丸でございますね。移民船の写真が飾られている部屋です。この部屋にPC端末があって、移民登録DBを検索できるのです。ブラジル人がここを訪れると、先祖の名前を探すことが出来るのです。中庭側です。残念ながら建物の半分しか公開されていませんでした。鉄道駅側が工事中だったのです。残念。正面入り口の通路でございます。日系移民の方々はここを通ってブラジル国民になったわけですね。ちなみにブラジルの人口は1億以上と言われております。日系移民はその中で僅かに150万程度でございます。特別展示スペースです。何故か奈良県特別展をやっていました。この移民博物館は鉄道保存も担っているようで、外側に廃止されたサンパウロ市電が置いてありました。最近まで短い区間を保存運行されていたようです。市電の線路が地下鉄駅まで続いておりました。乗りたかったのですが…。だめですね。以上がサンパウロ移民博物館でございました。次回はアンデス越えをレポートいたします。【昨日の成果】楽天リサーチのアンケート 5÷2=2.5マイル(NH)朝食(SUICA) 4マイル(JL)
2006/01/26
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本日はブラジルのサンパウロ市にある「日本国外では世界最大の日本人街」であるリベルダーデ地区をレポートいたします。ところで、昨日から古いゲームをもう一度やりだしてしまいました。そういう訳で更新の時間が微妙にずれています。今週末は久しぶりに寒~いところに行くのですが、準備もまだだし、今晩はゲームは自粛しなければ…。さて、本題です。サンパウロ空港です。空港コードはGRUなんですが、読み方が分からないのです。スペイン語を使う国だと大体ローマ字読みでOKなんで凄く楽なんですが、ポルトガル語になると子音変化が激しくローマ字読みではだめなのです。サンパウロは南米最大の都会です。こんな地下鉄(郊外区間は高架)がガンガン走っています。セー広場付近です。多分ゼロと言う意味じゃないかな。この街の座標の原点です。ここから街が広がったと言うことのようです。地下鉄の乗換駅で交通の結節点です。治安も市内最悪だそうです。ガイドブックでも夜は出歩くな、高級ホテルの近くであっても絶対に出歩くなと強調されています。日航の客乗さんに聞いた話では(太平洋線で聞いたので古いかもしれませんが)サンパウロでは日中であってもホテルから外に出るなという指示になっているそうでした。そういう街なのです。うー、緊張感が高まります。いい感じです。地下鉄リベルダーデ駅付近ですな。この辺から日本モード爆裂です。客引きのおっさんが日本語で話し掛けてきます。「にーちゃん、日本に出稼ぎに行かないか?」と。いい雰囲気です。これが欲しかった。トロリーバスが走っているのですね。南米ではサンパウロ以外ではメンドーサでしか目にしなかったですね。謎のラジオ体操発祥の地の記念塔プレートです。まさか、ここでラジオ体操が始まったとも思えないですねえ。何だろう。大阪橋という橋です。日本人街の中心ですね。何故か鳥居がありました。でも神社は見つかりませんでした。参道と言うわけでは無いようです。当然のように日本庭園があったのです。しかし、営業していないようで、残念ながら中には入ることが出来ませんでした。残念。日本文化会館です。大きいでしょう!。この建物の上の方に日本移民資料館があるらしいのですが、営業時間が短くて入れませんでした。昼飯です。こんな飯以外にラーメン屋だの、定食屋だの、沖縄料理屋だのが林立しています。サラリーマンが昼飯を食っている姿は日常的過ぎて…。なんなんだ。という感じでした。地球を半周していつもの自分の生活と殆ど変わらない日常に遭遇してしまったのです。街並みでございますね。提灯型の該当が日本人街のシンボルのようです。私が宿泊した安宿です。1泊2000円くらいでした。2000円並みの安宿ですけど、シーツが洗濯されているのでまあ、OKです。汚い宿でも大丈夫な私ですが、シーツを変えないホテルは我慢できないのです。電話ボックスです。いかがわしいチラシが一杯です。まるで東京渋谷か仙台国分町のようです。こういうところも日本文化がきっちり輸出されていました。マクドナルドまで日本語です。日本国内とは微妙にロゴが違います。うーん。日常です。何でも屋という飲食店です。何と言うネーミングでしょうか。でも美味しかったのです。と、こんな感じの「日本」が地球の裏側にあったのです。ロスアンゼルスリトル東京とここしか日本人街はございません(まあ、日本人駐在員の町としてはバンコクハッポンなどもありますけど)。新鮮でした。行き方は、空港バスでバス会社の営業所(ヘプブリカ)まで行き、地下鉄で東西線でSE駅に行き、南北線に乗り換えて1駅のリベルダーデ下車です。旅行代理店も多く便利な街ではありますが、物価はちょっとお高めです。次回は移民博物館をレポートします。【昨日の成果】楽天ラッキーくじ 1÷2=0.5マイル(NH)ラッキーサーチ 5÷2=2.5マイル(NH)朝食(SUICA) 4マイル(JL)キオスク(SUICA) 2マイル(JL)
2006/01/25
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本日より前回の南米旅行をレポートします。どうも焦点が定まらず、相当な費用と時間をかけたものの成果が上がらないツアーでした。旅程が長いので、小さなテーマを設けてご報告して参ります。写真の整理ももう一つなのですが…。なお、この旅程の行動に関しては暫定レポートで概ねカバーしていますが、治安が悪いのでカメラを振り回しにくい場所も多く、全ての場所で撮影できているわけではございません。次回からレポートを開始します。最初はサンパウロの「世界最大の日本人街」リベルダーデ地区をレポートします。サンパウロ着陸直前の日航機のスカイナビです。【昨日の成果】本屋(JCB) 12マイル(NH)
2006/01/24
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今回は今週末に訪れた目黒寄生虫館をレポートします。以前から行かねばならないと思っていた場所なのですが、何を隠そう今回が初めてです。なお、極端にグロテスクな画像を掲載を見送りました。しかし、私の基準なので、ずれていたらごめんなさい。ここはデートスポットとしても有名です。なんで?と思っているのですけど、お化け屋敷に連れて行く感覚なのかしら。結構知られている施設ですので、色々な方が参観期をブログに書いていらっしゃいました。予習もばっちり出来ます。強烈な展示物が多数ございます。皆様がブログに書かれたご感想をご紹介します。行くか行かないかのご参考になさってください。なお、下にご紹介した日記には画像はありません。ご安心を。 <ぴろ156さん> 途中から、精神的に痒くなってしまったので、すぐに帰りました。 <やぎ6 さん> 衝撃的な場所でした。 <ととんと さん> 興味深く楽しい時間が過ごせました☆さて、notoshun版の寄生虫館レポートを始めます。自宅から同行者と待ち合わせをした秋葉原まで移動する途中で撮影しました。東京は「東京にしては大雪」で積雪は9センチでした。余り博物館日和ではなかったのです。こちらが目黒寄生虫館の外観です。普通のオフィスビルかマンション風です。後ほどご紹介しますが、この寄生虫館は3回建て直しをしているそうです。入り口です。展示スペースは2フロアで、そんなに広いわけではありません。名誉館長さんの顕彰プレートです。この寄生虫館は財団法人なのですが、公的な補助は一切無く、私財で運営されています。寄付を受け付けているので、訪れた際は寄付箱にお金を入れたいものです。標本がたくさんございます。条虫(サナダムシ)の標本でございます。寄生虫はあまり大きいものはありません(それはそうですよね)。その中で条虫は大きな方なので見栄えがします。風土病的寄生虫の展示プレートです。日本住血吸虫なんぞは簡単に死に至る恐ろしい寄生虫症でしたが、今では中間宿主が居なくなったので、ほぼ根絶されています。一方で、ギョウチュウ(漢字変換できない)は5~20%もの感染率だそうです。私が幼い頃は小学校でギョウチュウ検査や回虫検査があったものですが、今はどうなっているのでしょうね…。資料室です。寄生虫館の建物の変遷を示すプレートです。開館以来3回建物を建て直しているそうです。現在は鉄筋コンクリート7階建てになっています。沿革プレートでございますね。寄生虫症の説明プレートです。アニキサスでございますね。結構酷い症状の出る恐ろしい寄生虫です。大体の寄生虫症は人・人感染ではなく、中間宿主という別の生物経由で人の口に入って感染いたします。アニキサスの場合は海産物です。おーこわ。アニキサスの標本を一つだけ。他のはグロテスク過ぎるので掲載を見送ります。kininari_usagiのブログでもこの寄生虫館が紹介されていますが、「一寸やられてしまったようで」とのことでした。これが普通の方の反応かも知れません。私が一番反応したのは標本ではなく、患者の写真でした。怖かった…。上の写真の中ほどに青い標本があります。結構背が高い標本ですが、人の回虫の標本です。8メートルもあったそうです。自覚症状は無かったとの由…。館内にはミュージアムショップがあり、色々なものが売られていました。寄付金の要素もあるのでお値段は若干高めです。とりあえず、日本語ガイドブックを購入しました。これは廉価で300円でした。英語版は400円でした。寄生虫絵葉書です。1枚100円でした。他にも本物の寄生虫を使った、寄生虫キーホルダー@1200円なんかもありました。パンフレットでございます。記念スタンプもございました。日本らしいですね。以上で目黒寄生虫館のレポートを終わりにします。行き方は、JR目黒駅(地下鉄も来てます)から徒歩15分ほどです。バスでも行けるみたいです。駅前交番で道を聞いてから行くと迷いません。都内の道路をご存知の方なら、目黒通りと山手通りの交差点から直ぐの目黒通り沿いにあります。入館料は無料でございます。インターミッションの次は、新シリーズ「真夏の南米点描」をお送りいたします。長い旅行の割に大した内容が無いのであっさりと終わらせます。【昨日の成果】なし【本日の成果】インフォシークラッキーくじ 1÷2=0,5マイル(NH)Infoseekラッキーサーチくじ 5÷2=2.5マイル(NH)朝食(SUICA) 4マイル(JL)
2006/01/23
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昨日、maman.mさんにBBSへ書込み及びご自分のブログでのご紹介をして頂きました。maman.mさんの書込みの通り、密かに「日本ブログ大賞2006」にエントリしております。投票にはちょっと手間がかかるのですが、宜しければ、ご投票をお願いしたいのです。是非宜しくお願いしま~す♪。投票方法は、ブログ大賞のサイトで新規登録を行いログオンした後に、写真部門の下の方に「デジカメ・マイレージ日記」の投票ページがございますので…。
2006/01/22
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昨日は東京地方は、東京としては大雪でした。都内観光には良い気候とはとても言えないのでございますが、目黒寄生虫館に行って参りました。今回でシリーズを終わりにしますので、次のレポートに入る前にインターミッションとして明日レポートいたします。もう一つ。前回の日記に関してのごめさんからのコメントで、「あのビジ飯の茶色いぶつぶつは肉ですかね」というご質問を頂きました。実はあれは魚だったのです。あの搭乗の際のメニューが手元に残っておりましたので、コースの内容を掲載しておきます。 [A Savoury Note] Ham with romaine lettuce served with grated Parmesan cheese and creamy garic dressing [The Main Event] Pan fried Chilean bass in seafood coulis with zucchini, asparagus and steamed potatoes [A Sweet Note] Fresh fruit [A Connoisseur's Choice] Gourmet coffeeさて、続きです。前回まででバンコク出発直前までレポートいたしました。今回は帰路についてレポートいたします。最後の区間はジャルウェイズ(以下JO)704便です。バンコク発成田行きです。搭乗券とFクラスラウンジクーポンです。JLはFクラス就航地には大抵Fクラスラウンジを設けています(シンガは例外)。バンコクは変わっていて、Cクラスラウンジは自社ラウンジなのですが、Fクラスラウンジは共通ラウンジなのです。バンコクドムアン空港はCクラス以上の旅客のために、イミグレにFAST TRACKが設けられています。これがFクラスになると、グラホのお姉さんがFクラスラウンジまで誘導してくれました。イミグレは身体障害者用のレーンで優先で通してくれました。ここまでの特別扱いは久しぶりです。今までの経験ではSQのクアラルンプールで、Fクラスに搭乗した際に、赤いカードを渡されて外交レーンに並べと指示されたことがありました。クアラの出国は大体空いているので余り有り難味がありませんが(入国はいつも混んでます)、バンコクの出国は大体混んでいるので有り難味があります。搭乗ゲートです。ジャルウェイズ(以下JO)なので客乗さんのユニフォームがJLと違います。JOはバンコクベースのタイ人客室乗務員をたくさん抱えており、ホノルル線やグアム線などに就航しています。ホノルル編でも書きましたが、タイ人客乗は大変優秀でございました。今回はFクラスだったので、担当客室乗務員は全員日本人でした。残念。客室の様子です。バンコク線の703・704便にしては珍しくニューソロでした。普通はこの線はスカイスリーパーと言う古いFクラス設備の機材が投入されます。疲れていたので夜の食事はパスして朝食だけを頂きました。シンガ線で頂いた朝食に比べると、ちょっと見劣りがしました。このようにして、月曜日の早朝に東京に戻りました。このバスで、成田空港から都内に戻り、そのまま出勤したのでした。はい。もー、疲れました。以上で今回のアジア5カ国旅行のレポートはお終いに致します。次回にインターミッションを一回入れた後に、失敗に終わった南米旅行のレポートを掲載いたします。【昨日の成果】E電乗車(SUICA) 2マイル(JL)ベッカーズ(SUICA) 3マイル(JL)キオスク(SUICA) 2マイル(JL)
2006/01/22
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うー、今日は職場の元同僚(今は別の会社で働いている)と飯を食ったり足つぼマッサージにいったりして無茶な時間に帰ってきました。さて、本題です。シンガポール到着からです。シンガのイミグレです。列が出来てますけど、入国審査は実に迅速です。日本での帰国審査を除くと、このシンガより速いのはブエノスアイレス港くらいしか知りません。題名は真夏としましたが、別に「今が真夏」と言うわけでは無く、ただの乾季かもしれませんけど、シンガポールは暑いです。赤道直下でも回帰はありますので若干の季節感はあるようですが、日本人の私には「真夏」でございます。シンガポールチャンギ空港のクリスマスツリーでございますな。青色基調のデザインがユニークです。ここには5時間滞在したのですが、疲れてしまって外には出ませんでした。はー。元気ならば近くの刑務所博物館に行こうと思っていたのですが…。完全にクリスマスモードでした。長いんだなこれが。一ヶ月前からずっとクリスマスなんです。そう言えば、前の年も11月の連休をシンガで過ごしたのでした。売店もイケイケクリスマスモードです。このデコレーション結構おしゃれだなあ。悪くないですよ。羽田や成田とはトーンが違います。やっぱ異国風なんですね。チャンギの第二ターミナルの喫煙室です。第一の汚い部屋に比べて明確に快適です。JLさん、第2に移りませんか?。ちなみにこの建物もSHIMIZの作品でしょうか…。設計が良いのか施工が良いのか分かりませんけど、アジアの空港ナンバー1は大体の人がチャンギを押すのではないかしら。この後にSQの自社客Cクラス専用ラウンジで過ごしました。写真はありません。撮影できる雰囲気ではなかったのです。でも、触れねば。世界最強のCクラスラウンジです。設備はシャワー・飯・インターネット端末多数・喫煙席・日本語の新聞/雑誌です。暫定レポートの大半はここで書きました。実に素晴らしいラウンジです。スタアラゴールド用の他社客ラウンジとは雲泥の差です。SQさんはC客の掴み方を知ってはりますわ。ホンマに。チャンギのJLラウンジは広いけど、SQの他社客ラウンジにも遠く及びませんぞ。再びSQに搭乗しました。今度の区間はシンガ→バンコクです。機材は773のFCY編成でした。再びSQのビジ飯です。2回続けてSQなので感動もありませんでした。この便では隣に座ったインドネシア人(多分華僑)の商人と2時間無駄話をしました。日本株の銘柄の話ばかりでした。日本株式市場の活況はインドネシア商人も熱狂の渦に巻き込んでいたのでした。「ベルギーの歯医者」みたいな感じです。でも、英語での無駄話は疲れるのでした。あっという間にバンコク・ドムアン空港に到着です。この空港も便数は非常に豊富です。アセアンの交通の結節点はシンガポールとバンコクでございます。シンガポールの周りにマレーシアとインドネシアとブルネイが集まり、バンコクの周りにタイバーツ経済圏のラオス・カンボジア・ミャンマー・ベトナムが集まるという図式と思っています(フィリピンはちょっと外れる感じかなあ)。アセアン10でハードカレンシーを持っているのはタイとシンガポールだけなので仕方が無いのですね…。第一ターミナル側から第二ターミナルを撮影しました。ドムアン空港は二つのターミナルが連結されています。これなら別にナンバリングしなくても良いのに…。売店群でございますな。ドムアン空港もチャンギに近い設備があるのですけど、航空会社ラウンジが見劣るのです。TGのホームグラウンドなんですけど、大したことありません。SQですらシャビーなラウンジです。JLのCラウンジ・JGCラウンジなど論外です。混みすぎて満員のことすらあります。バンコクでの滞在時間は4時間でした。そこでタイ古式マッサージ2時間コースをお願いしました。ご存知の方も多いと思いますけど、タイのマッサージは中々評判が宜しいのです。マッサージ+ストレッチ+ヨガみたいな感じです。こればっかりは「やれば分かる」としか申し上げられないのです。空港内なのでちょっとお高いのが残念。市内ならうんと安いのですよ。ちなみに、この国にはえっちなマッサージもありますので、誤解されないように「トラディッショナル・マッサージ」と明確にオーダーするのが吉です。このシリーズも次回で最後にします。最終回はJOのFクラス初体験の模様をレポートいたします。【本日の成果】夕食など(JCB) 138×1.5倍=207マイル(NH)足つぼマッサージ(JCB) 36××1.5倍=48マイル(NH)朝食(SUICA) 4マイル(JL)
2006/01/21
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昨日掲載したインターミッションへのコメントで良いご質問を頂きました。本文でご回答させて頂きます。1.旅先でその土地の特産品などを購入されるのですか? (中堅ポチポチさん)時々購入しますけど、余り買わないほうです。割と旅先でよく買うのは、 切手 絵葉書(直ぐに発送します) 書籍(中国語圏に限る) 地図(日本の地図と国境線が違う場合) 登山などの証明書 インスタントラーメン(日本と味が違う) 現地のアイドルCD(下手な歌が快感) パソコンソフトなどです。データとして使えないと嬉しくないので、漢字圏や英語圏や韓国語圏ではざくざく買い込むことがあります。今までで一番買い物をしたのは北朝鮮の平壌市です。手書きのポスターが素晴らしかったです。 2.何年分くらいの写真記録があるのでしょう? (maman.mさん)デジカメに移行してからの写真が蓄積されています。2000年9月の北朝鮮旅行以降の写真については直ぐにブログに出せる状態になってます。そのうちご紹介したいなあ、と思ってます。でも、今のペースで旅行を続けていると、中々出番が無さそうです。ちなみに昨年1年間の総シャッター数は3万でした。そのうち1万は撮影地で消去してしまいました(要は一目でわかる失敗写真ということです)。3.宝箱(サーバー)」の容量でどのくらいなものか? (maman.mさん)現在は妖しいLINUXのNASをサーバにしています。容量は300ギガバイト用意しています。割と簡単に増設できるので容量は全然気にしていません。ログを取ると、一日の総転送量は3ギガバイト程度ですので、当分大丈夫です。アクセスが増えると、ちょっと苦しくなります。単純HTTPしか対応しない簡単お気軽サーバを使ってます。大きさは「ちょっと大きな外付けHDD」くらいです。さて、本文でございます。タンソンニャット空港からでございますね。とりあえずベトナム料理を一品でも食べたかったのでフォー・ガーを注文しました。おいちー!!。ベトナム料理は物凄~く種類が多いのに今回のベトナムではこんだけです。ショボーン。搭乗券です。ホーチミン市からシンガポール、シンガポールからバンコクまではシンガポール航空(以下SQ)です。SQではCクラスのことをラッフルズクラスと呼んでいます。搭乗券の色は青です。SQもJLも、Fクラスは赤、Cクラスは青、Yクラスは緑になっています。タンソンニャットのラウンジクーポンです。ファーストクラスラウンジインビテーションと書かれていますが、Cクラスでも入れてもらえます。中は結構混んでいて撮影しにくい雰囲気でしたが、喫煙スペースあり、インターネット端末あり(但し日本語表示不可)でした。料理台です。異常に充実しています。SQのシンガのシルバーラウンジ以上でした。こんなものが食べ放題でした。うーん、やるなあ。さて、搭乗致します。機材は772でCYの2クラス編成でした。座席でございます。前のTGとは大違いでございます。くどいようですが、機種は772です。つまり、TGと同じです。ここまで違うものか??。SQ偉い。もう絶叫したいです。「SQ最高!」座席に付いているノートPC用の電源と読書灯です。こういうものがあると随分便利なのですよ。久しぶりの機窓です。昼間飛行が久しぶりなので嬉しい…。機内エンタメのコントローラです。JLのマジック2と同じ感じですね。ちなみにSQの映画は充実してます。100以上もメニューがあるのです。SQのビジ飯でございます。いい感じでしょ。メニューが手元に残っているのでご紹介しましょう。 [A Savoury Note] Smoked red tuna salad with tomato dressing [The Main Event] Grilled tournedos of beef in green pepperdorn sauce with roasted vegetables and creamed potatoes [A Sweet Note] Tiramisu [A Connoisseur's Choice] Gourmet coffee 中々のものでございました。しかし…。デザートを一緒にサーブしてしまう…。別々にサーブすれば良いのに。目的地シンガポールが近づいてきます。これもSQの偉いところなんですけど、機内パーソナルTVに乗り換え機の搭乗口が表示されるのですよ。これは便利でかつ間違いがない。是非とも日系にも真似して欲しいのですよ。スルーチェックインで発券した搭乗券のゲートが変更になるのは良くある話です。これが辛いのですよね。でも、こういう風に教えてくれると安心です。シンガ付近の機窓です。便所です。TGもSQも蘭が好きでございますね。オーキッド…。流石はSQ、アメニティも充実しております。髭剃りまでありました。素晴らしい!。こんな感じでシンガポールに参りました。この時点でかなり疲労してしまい、この後はさくさく進んでしまいます。続きは次回にさせて頂きます。香港編で載せ忘れた写真です。同日往復切符(SAME DAY RETURN)でございます。値段は片道切符と同額の100HKドルでございました。最後にちょっと無駄話を。のごめさんのコメントで「今は全日空という呼び方しないんですね」というご指摘を頂きました。『全日空』は中国語では「一日中空席」と言う意味になります。中国線を増強する中で機材の横っ腹に全日空と書くわけにも行かなくなり、今では「全日空」という表記は徐々に消えております。「ANA」あるいは「全日本空輸」あるいは「ANA全日空」と表示することが多くなっております。【本日の成果】AMPM(EDY) 1マイル(NH)Infoseek検索くじ 5÷2=2.5マイル(NH)
2006/01/20
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すみません、インターミッションにこんなにコメントを頂いているのですが、お返事が書けておりません。今晩帰宅後に書かせていただきます。ホーチミン市博物館でございます。立派な建物なのですが、前歴はちょっと分かりません。裁判所風の建物でございますが…。古いプジョーです。展示物らしいものの説明がございません。北ベトナム軍が愛用した対空砲です。ベトナム戦争当時、米空軍は強力なエアパワーをベトナムに展開しました。米空軍や米陸軍の対地攻撃機(含む回転翼機)へ、対空砲の大量配備で対抗したのでした。南ベトナム軍のF5戦闘機です。60年代70年代の西側のお手軽戦闘機です。米軍は「高級戦闘機」と「お手軽戦闘機」を用意し、緊張が強い地域は高級戦闘機を、緊張が低い地域はお手軽戦闘機を配備するという戦略をとる時期がありました。こういう考え方をハイロー戦略と言います。我が国航空自衛隊が使っているF15は高級戦闘機に該当します。F16がお手軽戦闘機に該当します。このF5は韓国や南ベトナムで使われたお手軽戦闘機です。当時の日本航空自衛隊はF4という機材を使用していました。ベトナム戦争の際に米陸軍が愛用したヘリコプターです。映画「地獄の黙示録」に登場するあれですね。このヘリが何千機も使用されました。M41戦車です。米軍撤退から数年後に北ベトナム軍はベトナム統一を目指し、サイゴンを攻略しました。南ベトナム政府への最後の攻撃に参加した武勲輝く戦車だそうです。前回ベトナムに来たときには、この戦車は統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)にありましたが、移されたのですね。ベトコンの使用した自動車だそうです。普通の自動車にしか見えない…。米軍の地上攻撃機のようです。屋外展示物を見ているうちに開館時間になり、中に入りました。しかし、撮影禁止なので写真はございません。余りたいしたことはございません。観光はこれでお終いです。空港へ向かう途中で撮影した建物です。多分共産党地区委員会の建物だと思うのですが…。旧南ベトナム国会議事堂の直ぐ近くです。サイゴンタンソンニャット空港のチェックインカウンターでございます。現在は普通の空港になりました。ゲートロビーです。昔に比べると信じられないくらい立派になりました。タンソンニャットのエプロンです。この空港はベトナム戦争時には米空軍の基地でございました。ここからファントムが大量の爆弾を積んで飛び立ち、物凄い低空で北ベトナム軍やベトコンを攻撃したのでした。もちろん、低空爆撃ですので米空軍の被害も相当のものだったようです。両軍の犠牲者に合掌…。かまぼこ型の建造物がたくさんございますが、戦闘機用の掩体壕です。現在では使われておりません。ちなみに…。ベトナム戦争ではB52が通常爆弾で対地攻撃を行いました。このB52はベトナム国内の基地から出撃したのではないのです。B52重爆撃機はタイやグアムそして沖縄嘉手納や小録から出撃していきました。ベトナム戦争に我が国は無関係ではありませんでした。別の面からベトナム戦争を見ると、韓国が成長のきっかけを掴む戦争でもありました。韓国陸軍はベトナム戦争に派兵し、非常に高い評価を受けています。派兵と同時に米軍から軍需品や軍需サービスの受注を勝ち取り、経済成長の嚆矢となりました。日本は「朝鮮特需」が経済成長のきっかけになりました。ベトナム戦争は韓国にとっての「朝鮮戦争」でもあったのでした。次回はタンソンニャット空港のCクラスラウンジとSQのビジネスクラスの様子をレポートします。【昨日の成果】朝食(SUICA) 4マイル
2006/01/19
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ライブドア、めろめろですな。東証もめろめろですな。しっちゃかめっちゃかですね。まあ、数ヶ月もすれば忘れられていくのでしょうけれども…。さて、昨日の「日記」へのコメントで、ご質問を頂きました。本文でお答えしましょう。1.昨年の10大事件は何ですか? 1位 ブログ開始(生活変わる) -毎日続くとは思わなかった… 2位 ブログの写真無断商用利用される -写真が認められ嬉しかったです。 3位 FOMA購入 -ブログの書き方が変わりました。 4位 PCサーバ故障・全面入れ替え -復旧に2日かかりました。涙。 5位 ANAのSFCに入会 -もう修行しなくて済みます。 6位 石垣島で台風に遭遇 -あんなに怖いと思いませんでした。 7位 愛知万博 -あれほど盛り上がるとは! 8位 愛用のデジカメ日航機内で故障 -くっそー!。激怒。 9位 ブラジルで入国拒否 -ブラジルにはもう行かない 10位 Fクラスデビュー -ホントにたくさんのコメント ありがとうございました。2.特に印象に残った国とかありますか?国ベースでは、新たに訪問した国が少ないのです。国では印象は語りにくいのです(与那国島と稚内の印象をひとくくりにはできないのです)。今年訪れた国は北から順に 中華人民共和国 中華人民共和国香港特別行政区 大韓民国 ベトナム タイ マレーシア シンガポール 北マリアナ連邦 アメリカ合衆国 アルゼンチン共和国 ブラジル連邦 チリ共和国 ウルグアイ東方共和国(初)でした。初めて訪れた国はウルグアイだけでした。最も印象に残った旅先は、 テニアン島原爆基地 ニューヨークの空母イントレピッド(未掲載) ホノルルの戦艦ミズーリ 網走の流氷 愛知万博 韓国ソウル市の公開映画セットでございましょうか…。軍事関係が3つ並びましたけど、やはり、実物の重さを感じたものでございました。はい。戦跡地に行くと私のような単純で幼稚な人間でも色々と考えるものでございます。はい。とりあえず、インターミッションはこの位で。
2006/01/18
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ニュースを見てます。なんかなんだかなあ、という話ばかりでございますね。宮崎勤事件の死刑判決も、むべなるかな、と思いつつも、一橋文哉氏の本を読んでいましたので、事件を解明しきったのかなあ、と疑問が残りました。この事件で東雲(しののめ)の読み方を覚えたなあと関係の無いことも思い出してしまいました。阪神大震災も、感慨深いです。11年目でございますね。あの日、私は大阪府北部のある町におりました。大きな音がして数秒後に大きな揺れがやってきたのを覚えております。最初はガス爆発かと思いました。はい。あの日はたまたま起きていて、PCのモニタを抱えて(机から落ちることをケアしたのです)耐えていました。まわり中で絶叫が聞こえてきたのを覚えております。電話の発信規制が始まるまでの数分間に関東に住んでいた親に身体の無事を報告したのは我ながらヒットでした。さて、本題でございます。サイゴンの続きであります。ウィンギエム寺院でございます。この寺院は日本と関係が深いようで、昔は日本風の寺院だったとバイクタクシーの運転手は言っていました。境内全景です。伽藍配置は確かに日本風ですね。堂内のご本尊の配置です。これまた日本風です。ベトナムは日本植民地ではなかったのに、なんでこんな寺院があるのかしらん。本堂の入り口にはこんなものまで…。ベトナムの仏教は(そもそもタイと違ってベトナムでは仏教の勢力は余り強そうでもありませんけど)当然上座部仏教のはずで(小乗仏教と言わないで下さいね)、こんな像にはならないはずです。どう見ても日本から持ち込んだとしか思えない様式ですね。こんど経緯を調べてみます。この寺院を15分で切り上げ、次に、早朝から開いているホーチミン博物館に行きました。これが表札です。もともとフランスの船会社のオフィスだったようです。中にホーチミン主席(今は大統領と表現する場合もあるようですね)の歩みが展示されているのですが、撮影禁止でした。入り口のポスターです。すげえ、鎌トンカチ(旧ソビエトのマーク)です。こんなものが今でも見られるなんて…。余談ですが、旧共産主義諸国(の共産党)のマークにも特徴が出ていて、鎌(農民)とトンカチ(工場労働者)までは共通ですけど、旧東独は分度器(技術者)を追加しています。技術志向の強いドイツ人らしいですね。北朝鮮は筆(文人)が追加されています。中国文化の影響でしょうか…。建物全景です。確かに美しい建物です。サイゴンはフランス植民地の割には植民地時代の建物がシンガポールやヤンゴンほど残っておりません。庭園とセットで考えるとここがベストなのかしらん…。庭園です。完全にフランス風です。何となくベルサイユ宮殿の庭園に似ていると思いませんか?。国の歴史(革命の歴史・戦争の歴史)を学ぶ絶好のスポットのせいか、たくさんの高校生が見学に来ていました。ご苦労なことでございます。はい。結構礼儀正しそうな感じです。サイゴンで撮影した写真をもう少し紹介したいのですが、長くなったのでここで切ります。次回にサイゴン市博物館とタンソンニャット空港に残るベトナム戦争の遺跡をご紹介して、次の目的地のシンガポールに進みたいと思っております。【本日の成果】AMPM(EDY) 8マイル(NH)
2006/01/18
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本日で24万アクセスを超えました。意識していれば良かったのですが、皆さんのコメントを読んでいて24万回目は自分で踏みました。無様です。ショボーン。ちなみに前後賞は両方ともどらねこmさんでした。ありがとうございました。今回のアジア旅行は不作でした…。ご紹介できる写真が殆ど無いのです。機内食しかありません。こんなに外したのは久しぶりです。昨年はテニアンとか韓国とか南米とか大当たりの旅行の連発だったのに…。まあ、こういう時もございますか…。大体、飛行機の遅れなどで乗り継ぎがズタズタになってしまったのです。写真は無いのですが、一番の話題は空港ダッシュです。「20分前でも諦めるな、私はこうして飛行機に乗った」という名前にしようかしら(グラスタさんたちに殺される…、絶対に真似しないで下さい)。今朝のOZ1025なんぞ、ホントに20分前でしたから…。チェックインを受けてくれた金浦のOZアガッシには当分は足を向けて寝られませんな。香港での乗り継ぎはTGのディレイが原因ですけど、今日のソウルのOZは私のせい…。ちなみに、ゲートには若干の余裕を持って到着できました。私のせいで遅延しなくてよかた…。ほっ。さーて、続きです。前回はホーチミン市(以下サイゴンと記載します)・タンソンニャット空軍基地もとい国際空港に到着する直前までレポートしました。サイゴンで泊まったホテルでございます。ASIANという名前なんですが、ベトナム人は「アシアナ」と発音してました。そう言えば韓国のアシアナ航空の語源は何なんでしょうね。もうこの日はゲロゲロに疲れていたので即寝ました。ベトナム料理を楽しむと言う目的は胡散霧消してしまったのです。こういう展開が多いなあ。自分の体力の限界を過大評価しているケースが多いのです。一晩寝るとすっきりして、撮影モードです。空港に11時に行かねばならんので、ホテルで朝飯を食って、即出動しました。バイクタクシーを雇って、写真を撮れるところをさくさく周りました。最初の画像です。マラソン大会…。何故か街じゅうで高校生マラソン大会をやっていました。おかげでバイクが通れないのでした。ついてないなあ。最初は市場からです。早朝から開いている所と言えば、どの国でも市場ですよね。この国も肉屋には鶏ばかり釣られております。何とかインフルエンザがこの国で出るのもむべなるかな…。ちなみに東南アジア二大美食国家と言えば、タイとこのベトナムです。何でもうんまいですよ~。ここからは市場で売られていたものです。沢蟹かなあ…。シラス…?。何かの幼虫…?。まあ、色々なものが売られておりました。実際のところ、ベトナム旅行は大人気です。戦跡もさることながら、やっぱ目的は美食でしょう。良いですよ、ベト食は。中国の技法とフレンチの技法が混ざり合って独特のものになっています。都内のベトナム料理やでもそこそこ美味しいのではありますが、本国には敵いません。残念ながら。ほんと、凄いです。なんかの博物館です。開いてませんでした。市民劇場(あるいは市民オペラハウス)でございますね。旧南ベトナムの旧国会議事堂です。こちらは旧南ベトナム大統領官邸でございますね。早朝につき開いておりませんでした。1970年代には戦争関連で盛んに新聞紙面に登場したものですが…。ちょっと長くなったので、今回はここで切ります。ホントは南ベトナム観光を一回で済ませようと思っていたのでございまするが…。最後にリンクを一つだけ。日本アセアンセンターが公表しているベトナム観光案内です。コンパクトにまとまっていますので参考になると思います。このウェブで特に参考になるのは、ASEAN国境情報です。非常に良いウェブサイトです。でも、ラオス無視…(というか地図とは別のページに…)。
2006/01/17
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済みません。このレポートは確定レポートであるのですが、時間の関係で14日の深夜に日本航空・ジャルウェイズ703便の中で書いてしまいました。暫定レポートと時系列が前後してしまっております。分かりにくくて済みません。なお、今回(14日出発16日帰着)の行程は、東京成田→バンコク→香港→ソウル仁川→ソウル金浦→東京羽田、という行程でございました。確定レポートと殆ど同じ行程でますます、暫定報告と確定報告がごちゃごちゃになっております。済みません。=====(JL機内で作成した分)=====バンコクは遠いですな。飯を食い終わってもまだまだ着きません。当然か…。前回のニューヨーク→東京成田に引き続き、今回も和食をチョイスしてみました。今日の夕食のメニューをご紹介いたしましょう。 <前菜> 鉄皮煮こごり ズワイ蟹とろろ掛け柚子釜盛り 鱒かぶら寿司 数の子 <椀> 河豚しんじょ <向付> 河豚薄造り <小鉢> 河豚皮湯引き胡麻酢添え <煮物> 河豚黄身揚げ銀餡 <台の物> 河豚ちり 河豚雑炊 味噌汁 香の物 水菓子 和菓子 緑茶というコースでした。「日本の冬の味~河豚会席~」という名前のコースでございました。お味も素晴らしかった。後日ねちっと写真入でレポートいたします。さて、本題です。前回は中国から香港に帰ってくるところまでレポートいたしました(土曜日の夕方)。今回はその続きになります。土曜日の夜の香港国際空港でございます。車で来る人が少ないのか、ターミナルの玄関は空いていました。乗り合いバスは二階建てです。この辺も「元英国植民地」と感じさせますね。今度はユナイテッドで香港からサイゴン(現ホーチミン、但し、住民はホーチミン市という名前を嫌い、サイゴンと呼びたがる)へ移動いたしました。その際の搭乗券です。右下に「C-CABIN SSSS」という印字があるのです。このSSSSとは「Super Selected Suspected Someone」という意味で「危ないやつだから徹底的に身体検査したれ」という意味のようです。うーん、絶句しました。チェックインカウンターのグラスタの方は「機械が勝手に選んでいるので気にするな」と言ってましたがそうなのかなあ。変な発券をしているので「怪しい」ということになっているんじゃないかなあ。ユナイテッドのラウンジの中のシャワー室です。こういう施設があるとうれしいのですね。特に乗り換えの時にはありがたいのです。UA香港ラウンジの謎の食い物「きつねらあーめん」です。もちろん、試しました。不味いのでした。何なんだろう?、これは。日本語で書いてあるけれども、実は日本かぶれの中国人向けの商品なのかなあ…。台湾人とか上海人ならこういうあっさりし過ぎた味が好みかもしれない…。UAのCクラスの椅子です。可も不可も無しでした。夜の運行ですので、こんな感じで暗くした照明でした。眠くなーれ、って感じですね。トイレでございます。Cの割にはアメニティが乏しいのでした…。UAさん、大丈夫ですか。歯ブラシすら無いっすよ。飯はこんな感じでした。イーフー麺(玉子焼きで麺を作るという非常に高度な技巧を要求される麺です)でした。結構美味しかったかな。こういうところがUAの意外性ですね。アメニティでだめだめでも、こういうところで取り返してくるんだな。チャプターイレブンだけど、この会社は死なないで欲しいですね。ちなみに、この香港サイゴンフライトの印象は「UA恐るべし」です。客乗が有能です。「フレンドリースカイ」を体現するサービスでした。UA侮れない…。今回はここで切ります。次回はホーチミン市(旧サイゴン市)の市内観光写真をご紹介いたします。【本日の成果】バス代(JCB) 12×1.5倍=18マイル(NH)Infoseekラッキーくじ 30SP÷2=15マイル(NH)
2006/01/16
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羽田空港からバスで新宿に行きE電で自宅に到着しました。羽田からの帰りは、成田に比べ、ホントに楽ですけど、その分感慨が出ませんね。これより夕刻の宴会まで、ぼけーっとしています。追伸:帰宅しましたのでデザインを元に戻しました。
2006/01/16
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今朝は東京で用事があるので、予定を変更してアシアナの朝便に乗って帰って来ました。スタアラ特典航空券は出発以降は予約変更は一切不可というルールなので、当日空港での前便への変更も断られる可能性があったのでした。押さえでJLの昼便のC〈Yのノーマル+アップグレード券〉の予約を作って置いたのですが、使いませんでした。金浦空港のチェックインカウンターに着いたのが離陸の30分前の8時45分だったのですが、何とか乗せて貰えました。こういう所も国内線チックな羽田金浦線らしいですね。アシアナの飯は初めてコリアンをチョイスしました。ビビンバでしたが、韓国風に具と飯が別々に出されました。これで日本人に食べ方が分かるのかなあ、と思っていたら、『HOW TO ENJOY BIBIMBAP』と言うカードを配っていました。アシアナ、やるなあ…。この会社の昔の全日空みたいな雰囲気が大好きです。それにしても、今回は飛行機に乗るだけで終わってしまいました。反省…。
2006/01/16
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今朝バンコクを出発し、香港を経由し、ここまで来ました。TGのバンコク→香港が遅れてしまい、香港で降機したときは、乗り継ぎ便のソウル行きの出発20分前でした。チェックインもしていないし、もうだめかなあ、と思っていたら、キャセイのグラスタのお姉さんの先導で3キロほどのマラソンをさせられ、乗れました。すごい。キャセイのグラスタさん、ありがとう。感動しました。あれで乗れるんですね。今晩はこのソウルに泊まります。リフレッシュして来ます。
2006/01/15
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今は日本航空・ジャルウェイズ703便の中で書いています。古いファーストクラスなので残念ながらコンセントは無く貸し出しバッテリーで作業を行っています。はい。今日の成田空港周辺の天候は強い雨で気象条件は最悪です。フライトレベル330にしては良く揺れます。厳しい環境ですね。Fクラスも他のクラスと同様に飯が出るまでに1時間くらいかかります。その間に一回分を書いてしまおうという趣向でございますな。さて、本題です。前回で、香港島から九龍半島に上陸するところまでレポートしました。九龍半島より鉄道で北上し、中華人民共和国深せん(土へんに川)経済特別区を目指します。廣九鐵路(正確には廣九東鐵)の路線図です。車内の出入り口に掲示されていたものです。13駅で中華人民共和国に着きます。始発のチムサチョイイーストから30分強の距離になります。東京から横浜まで移動すると、もう(かつての)外国になるわけですね。列車の外観です。英国趣味丸出しのデザインです。シンガポールも香港も英国植民地の歴史を有しています。こういう列車のデザインは香港・シンガは殆ど同値ですね。普通車の車内です。モケットを張っていないロングシートです。シンガポールで見たような気がするデザインです。こちらは一等車ですな。運賃は普通車の2倍です。普通38ドルに対して一等車は76ドルだっとような気がします。イミグレへの道でございます。結構長いんですね、ここが。やっぱ国境越えという雰囲気が出ます。中華人民共和国側の風景です。何でもサイズが大きいのです。広場は広いし、ビルは背が高い…。なかなかの活気です。このビルの中に「羅湖商業城」という巨大ショッピングセンターがございます。その中に点心屋が4~5軒入っています。これがべらぼーに美味しいのですけど、時間の関係で今回は寄れませんでした。駅前広場の案内板です。簡字体です。中国本土って感じがしますでしょ?。ちなみに「火車」は汽車のことで、「站」は駅のことです。「汽車」は自動車のことを示しています。羅湖バスターミナルです。まあ、でかくて分かり難いこと…。駅前駐車場のビルです。ここも凄い規模です。中華人民共和国側の国境ビルです。結構前からある建物なんですが、大きいです。この羅湖は香港返還前から、ものすごい量の列車と人の通関をこなしてきましたので、前から大きな建物じゃなきゃだめだったのでしょう。マカオと中国本土の珠海の間の国境は昔は小さな規模でしたが、21世紀に入って巨大な建物に建て直されております。中華人民共和国の経済成長に伴って貿易とか通関量も大きく変わっているんでしょうね。今度は中国から香港へのイミグレの入り口です。ここから香港行きの列車を目指すのです。この羅湖国境とマカオに接する珠海国境は台湾人の中華人民共和国への観光旅行の主たるルートになっていました(最近は三不・三通とか何とか言ってとうとう直行便が飛ぶようになっておりますけど)。沢山の台湾パスポートを目にします。中華民国じゃないっすよ。今はパスポートにも「台湾」の二文字が入るようになったのです。これが境界線です。旧国境と言う訳ですね。意外かも知れませんが、旧英領香港と中華人民共和国の国境は自然国境だったのです。川の国境なんですね。手前が中国、奥が香港です。実際の越境は、こんな感じの橋を渡ることになりました。このまま電車に乗って終点のチムサアチョイへ向かい、地下鉄でアイランド側へ渡り(往路はフェリーでしたが)、中環で機場快線に乗り換えました。中環駅の乗り換え口付近です。ここを通って再び香港国際空港へ移動いたしました。今回はこんなところで切ります。次回はサイゴンへの移動と、サイゴンの朝をレポートいたします。
2006/01/15
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これより、タイ方面に出発します。変な旅程なのでいい写真は難しそうです。今写真入でレポートしているシリーズと同じような経路になってしまいます。マイレージ特典航空券のお尻を使いに参ります。なお、コメントにつけてしまいましたが、これからは、旅行中はデザインテーマを変えて、不在であることを表示することにしました。
2006/01/14
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前日アップが遅くなったので、今日の更新は正午になりました。申し訳ありません。機場快線の車内でございます。別の名をエアポートエクスプレスです。100ドルもします。同日往復運賃が設定されていて、これも何故か片道と同水準の100ドルです。日帰り香港の時だけはこの高価な列車を使えます。ちなみに乗客用のバスは40ドル、従業員用の整備地区とか貨物地区を回るバスは20ドルです。列車は香港島の中環に到着します。今度は広九鐵路で中国を目指しますので、九龍半島に渡らねばなりません。バスも鉄道もあるのですが、香港と言えばやはり…。これです。スターフェリーに乗らねば。改札近辺です。何時の間にかオクトパス(SUICAみたいなもんです)が使えるようになりました。片道一等2.2ドル、二等1.7ドルなんですね。お釣りがうざいので、便利になった感が強いです。船内でございますな。空港線のある中環のビル群ですね。後はシャッターを切りまくりです。かつての香港の象徴のジャンク船でございますな。もちろん、観光用でしょう。半島側です。やはり景色は圧倒的に島側の方が良いですね。半島側のピアでございます。古臭い感じが良いのです。再び出札口を通って九龍半島に上陸いたしました。そのまま、鉄道駅まで参ります。昔はホンハムターミナルに行くか、地下鉄でカオルントンまで行って乗換えが必要でしたが、今は廣九鐵路がフェリーターミナルの近くの尖沙咀(チムサチョイ)まで延伸されているので、徒歩で鉄道駅まで進みました。カオルーンホテルでございます。香港で一番格が(値段も)高いペニンシュラホテルの系列で、ペニンシュラの裏にありながらリーズナブルなお値段です(それでも一泊一万はしますけど)。よくお世話になりました。枚数が多くなったので今回はここまでに致します。次回は廣九東鐵で中華人民共和国本土へ行った時の画像をご紹介いたします。
2006/01/14
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明日から再びアセアンに出動します。今度こそ最後のFクラスになりそうです。はい。それと、昨晩は会社の後輩(転勤で今は別の会社に行ってしまった…)からの長電話があり、ブログ更新が23時になってしまいました。ごめんなさい。更に「のだめ」の14巻を読んでいて遅くなってしまいました。はい。さて、続きです。二日目の朝でございます。羽田からは金浦空港に着きましたけど、今度の出発は仁川空港からでございます。この画像は仁川空港行きのバスです。一番安いやつで市バス600系統です。高いのはKALリムジンでございます。運賃は2倍以上変わりますけど停留所の数を除くと殆ど差異はありません。朝ご飯です。13000ウォンくらいしました。仁川空港の中にウォーカーヒルズホテル(カジノで有名)直営レストランのコムタンでございますな。韓国の汁ご飯はどれも美味しいのですが、同じような見かけなので写真的にはつまらんですな。ソルロンタンもコムタンも同じに見えます。インチョン(仁川空港)のロビーですな。この空港も写真が撮りにくい空港です。この空港には2階に無料インターネットコーナーがあって、日本語入力が出来ます。暫定レポートはこの場所で書いていたのです。ソウルから香港まではタイ国際航空(以下TG)629便〔香港経由バンコク行き〕のCクラスを利用いたしました。TGはスタアラの原加盟航空会社ですが、ラウンジはSQのラウンジでした。写真は無いのですが、仁川のSQラウンジも素晴らしいですね。TGのCクラスです。機材は772でした。はっきり行ってだちゃい…。この椅子はエコノミーではないのですよ…。これがTGの「C飯」です。C飯と断らないとマジでY飯と思ってしまいます。TGさん、マジで頼みますよ、ほんと。これでOZと同じ運賃取ったら怒りまっせ、普通。メインとデザートが別にサーブされたのでかろうじて「間違えてY飯を配ったのではなく、これが本当にC飯」と判断できました。機窓を二発ほど載せました。ソウル→香港は台湾の上空を飛ぶので機窓はまあまあ楽しいところなんですが、残念ながら曇りです。こんな感じの飛行経路でございますね。約2時間で香港チェップラックコック空港に到着しました。この空港の名前も何とかして欲しいなあ。長すぎです。バカ正直に空港のある島の名前を使わずに、近くの島の名前を使えば良いのに。香港空港ターミナルはターミナルの中を地下鉄が走っています。新交通システムでターミナルを繋ぐ空港は数あれど、ターミナルの中に地下鉄を走らせている空港も珍しいです。この地下鉄が3分間隔でやってきます。漢字表記が「香港~!」と言う感じですね。開港時の人文字みたいです。97年開港でまだ新しい空港なのですよ。ここもアジアベスト候補ですね。いい空港です。続きは次回に。【本日の成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)
2006/01/13
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いやあ、寒いですね。今週末も出かけます。今度は暖かいところです。冬は南に行かなきゃね、って感じです。前のシリーズのハワイは戦争関係ばかりで重~い内容でしたが、今回のシリーズは、再び「飛行機バカ」チックな内容です。軽いタッチを再び取り戻せますでしょうか…。さて、時系列で旅行を追います。旅行と関係ないのですが、出発直前に実家の近くで頂いたラーメンです。はい。見て分かるとおり「家系」です。横浜市内ではないのですが、横浜文化圏の町でございます。ラーメン屋は半分以上「家系」でございます。実家のある町から都内の自宅に戻るときに乗った、某私鉄特急です。一時期流行ったコンパートメント車輌です。席が大きいのですよ。通常車輌の5割しか入らないと思います。これで普通車なのです。いいでしょ。すみません、載せる日記が無かったのでここに載せました。さて、旅行本番です。金曜日の羽田空港国際線ターミナルロビーです。羽田空港は国内線ターミナルが二つもある大きな空港ですが、国際線ターミナルは平屋建てです。ターミナルの建物自体は那覇空港国際線ターミナルくらいしか(しまった、こっちの方が無名か)ありません。昔は中華航空専用ターミナルでございました。現在は中華航空は成田空港に追いやられ、「羽田=金浦定期チャーター便」専用ターミナルになってます。今年から便数が増えて、4社が各2往復運行しています。合計8往復です。ちょっとした運用規模になっています。搭乗券でございます。この空港から、最初の搭乗便のアシアナ航空(以下OZ)1035便に乗って金浦を目指しました。先ずはOZのビジネスをご覧下さい。異常に充実した足元収納スペースです。これは良い。流石は最新鋭機です。A330-300を投入しています。日韓の首都路線ですからこれくらい張り込んで欲しいものです。>日系さん。大きな個人用テレビです。このくらい大きいと字幕も読みやすいのですよ。某日系の古いFクラスよりもはるかに良いです。Cクラスの客層は圧倒的に韓国人が多かったのでした。皆スーツ姿です。70年代の日本企業戦士みたいですね。ある意味で緊張感のあるキャビンでした。ビジネスマンも一人と言うケースは少なく、大抵上司部下チックな感じでした。おかわいそうに…。複雑怪奇な座席のコントローラーです。ここまでくると殆ど変身ロボットですな。それこそ、マクロスの変形みたいです(古い…、不味い年がばれる…)。当然フルフラットです。角度は167度。こうでなきゃ安眠できませんね。フルフラットにばかり目が行って、傾斜がきつい席は眠りにくいのです。この辺も踏まえておかないと「滑り台」と呼ばれてしまいます。>某日系キャリアさん一部で評判の悪い「notoshunのトイレ写真」です。しかし、乗り物トイレが好きで止められません。そのうちブログタイトルを変えるかもしれません。「notoshunの動くトイレ日記」というのはどうでしょうか?。マイレージに対する執着も薄れてきたし、真面目に変えようかな…。インパクトあるし。OZのアメニティです。Cクラス便所だけあって流石に充実してます。OZのC飯です。韓食と洋食のチョイスで、今回は洋食に致しました。ステーキでございます。外国系航空会社でも日本のケータリングが入れているせいか、日系キャリアのC飯と変わりないですね。美味しいです。ちなみに、韓国人ビジネスマン軍団(女性はホントにゼロでした)は殆ど全員韓食を選択し、ビビンバを召し上がっておりました。とこんな感じで金浦まで移動し、地下鉄で教化門の近くの安宿に移動いたしました。空港・地下鉄共に寂しい雰囲気で写真撮影は差し控えております。夜の鐘路三街付近です。寒かったですぅ。到着するまでは野宿しようと考えていたのですが、止めました。寒すぎます。安宿の内装です。値段に見合った安宿感です。でも、ここはお勧めです。宿のおっさんは親切で日本語を話せるし、ちょっと寂しいところにありますが、地下鉄で2駅で都心に出られます。今回最後の写真は、宿の近くのランドマークの教化門です。次回は、ソウルの朝からレポートを再開します。【本日の成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)キオスク(SUICA) 2マイル(JL)本屋(JCB) 10×1.5倍=15マイル(NH)
2006/01/12
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楽天様の表示遅延問題対応の公表から数時間でございます。深夜帯は調子が前よりは良くなっては居ます。クリックすれば表示はされるようになりました。しかし、依然としてリロード毎に時々古い画面が出てしまう事象は続いております。一刻も早い全快を祈っております。>楽天様ところで、今日は職場の先輩のYさんに「のだめカンタービレ」の1巻と2巻を貸してもらって、昼休みに読んでしまいました。素晴らしい作品です。抱腹絶倒…。でも職場で読むもんじゃありませんね…。馬鹿笑いをし過ぎて「あいつ何をよんでおるんじゃ」と思われたような気がします。さて、今回から新シリーズの「土日だけでアジア5カ国」をレポートいたします。この旅行の目的は以下の通りです(この始まりはいつもの通りですね)。 1.スタアラ特典航空券(スタアラ加盟各社に乗れる)を 利用してスタアラ加盟各社のCクラスの乗り比べを行う。 2.経済成長著しいベトナムの開発状況をチェックする (なんと硬貨が登場し、交通信号も出来ていました。 ベトナム5年訪れざれば括目せよ) 3.香港チムサチョイ付近の新たな鉄道をチェックする 4.久しぶりにベトナム料理を楽しむ 5.JOのファーストクラスをチェックする (JLには散々乗ってますがJOが運行する Fクラスは初体験)うーん、無意味です。我ながら何をしているのか…。今回の移動経路は、 羽田→金浦(OZのCクラス) 仁川→香港(TGのCクラス) 香港→羅湖(KCRの普通車) 羅湖→香港(同上) 香港→サイゴン(UAのCクラス) サイゴン→シンガ(SQのCクラス) シンガ→バンコク(SQのCクラス) バンコク→成田(JOのFクラス)でございました。という訳で、余り興が乗らないのでございますが(我ながらあほなことをしたと言う自己嫌悪感からでございますね)、次回から時系列でご紹介させていただきます。阿呆な行動の集積の搭乗券でございます。ちなみに発券はマイレージ特典発券で、二つの記録を組み合わせています。<スタアラ一万マイル>HND/xGMP//xICN/xHKG/xSGN/xSIN/BKK[今回ここまで]/xHKG/xICN//xGMP/HND<JL単純往復>BKK/NRT[今回ここまで]/xJFK/SAO/JFK/NRT/BKKちなみに、離着陸のし過ぎで、見事航空性中耳炎を発症いたしました。涙…。【本日の成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 4×1.5倍=6マイル(NH)
2006/01/11
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いやあ、この連休に色々むむっ、とか思っておりました。表示遅延問題でございますが、流石は楽天様、本日データベース増強の措置を行ったそうです。問題は解消しているのかな。わくわく。詳しくは楽天様のスタッフブログの日記の通りでございますが…。再びあの「さくさく動く楽天ブログ」が復活するでしょうか。データベース増強の他にも、この表示遅延への対策を検討しているとのことでございます。楽天様に期待しております。マジで。と、この記事は10時7分にUPします。ちゃんと表示されるか、早速実験させていただきます。
2006/01/10
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楽天ブログの調子の悪さ絶頂です。とうとう今日の22時頃には反応がなくなって見られないことすらありました。更新が反映されないどころの話じゃなくなってきました。クリティカルな事態なんじゃないですか??。この日記もいつ頃反映されるか全然めどが立たなさそうですね…。一旦サーバを停めて本格的なメンテをかけたほうが良いと思いますけどね。相当深刻な事態のように見えました。頑張れ!、楽天さん。さて、ちょっと長いシリーズ物の「パールハーバーでトラトラトラや」を終えたところで、直ぐに次のシリーズを始める気になれないので、インターミッションとして、単発の都内観光を入れさせていただきました(ハワイ旅行とアセアン旅行の間に行って来ました)。今年で閉鎖が確定しているところです。交通博物館でございます。交通博物館の本体は、こんな感じの古いレンガの高架鉄路の下にございます。まあ、交通博物館といっても内実は鉄道中心ですので高架下にあっても不思議はございません。大阪の交通科学博物館や、都内でも地下鉄博物館が高架下にありますね。秋葉原側から見た交通博物館全景でございます。ここは昔は駅でございました。万世橋という駅でございます。博物館の中に展示されている在りし日の万世橋駅の模型です。万世橋は大昔は中央線の始発駅でございました。ご多分に漏れず中央線も大昔は私鉄だったものが国有化されたという経緯の線です。甲武鉄道という私鉄であったようなのですが、言わばその会社の表玄関でした。別に私鉄の駅だからといって、廃止になる訳ではありません。上野駅も東北新幹線東京駅延伸で大きく衰えたとは言え、依然として主たるターミナルです。この万世橋駅は、東京駅開業に伴い中央線の始発が東京に移ってしまい大きく衰えました。戦時中にお茶の水に近すぎて無駄だ。そのくらい歩け。という雰囲気で廃止されて現在に至っています。また、万世橋駅も甲武鉄道の頃の駅舎が生きていれば結構な大駅でいられたのかも知れませんが、不幸にして上の模型の立派な駅は地震で壊れてしまいました。再建された万世橋駅の駅舎が交通博物館として再利用されているようです(駅と博物館を平行して営業していた時期もあるようですが)。万世橋と言えば、地下鉄の駅としても一時期営業されていた時期がありました。既に廃止されております。また、都電が走っていた頃には、須田町・万世橋はそれなりに大きな乗換所(死語?)だったようですが、私にはイメージが残っていません。屋外展示の1号機関車みたいです。輸入機関車は良く分かりません。守備範囲外でございます。私の守備範囲は大正期以降の国産車じゃないと…。同じく屋外展示の開拓使号です。もう車番も無くて漢字です。北海道で鉄道開業の頃に使われた貴賓車だそうです。アメリカ製丸出しのデザインです。開拓使号の台車です。ブレーキも発電機も何にもなしです。続いて屋内に入って参ります。ここの車輌コレクションは大したものです。特に、明治期の車輌は圧勝で日本一でしょう。大阪交通科学博物館は戦後の車輌は大したものですが、戦前のものはそんなにはありません(その代わり梅小路蒸気機関車館にあります)。屋内にもやえもんが居ます。館内中央に、カットモデルのSL2両が展示されております。9600型とC57でした。お約束のパノラマ模型です。子供が貼り付いていてとても撮影できませんでした。レールの断面や標識・信号なんかの展示も充実しています。この交通博物館は閉鎖及び大宮に新たな鉄道博物館の建設が決まっています。その関係で「蔵出し模型展示」をやっておりました。既に退役してしまった車輌の模型ですね。車輌が使われていた頃に展示されていたのでしょうか…。こんな模型もございました。日本航空のコンコルドです。仮発注までやったんですよね…。上層界には飛行機の展示もございました。国際線のジャンボの内装だそうですけど…。いつの時代なんでしょうね…。客乗さんの歴代制服でございます。パネルだけ。このヘリが渋いのです。機体に「日本ヘリコプター輸送株式会社」と書いてございます。社章はレオナルドダビンチのヘリコプターです。現在の全日本空輸と同じデザインです。ANA全日空はこの会社の後身なのです。だから全日空の2レターはNH(Nihon Heli)なんですね。そう言えば、全日空の747SRの3月の退役が決まりました。これも撮影しておかないと行けないなあ…。食堂は、こだま号の食堂車(形式サシ151)をそのまま建物に持ち込んで営業しております。こだま号が廃止になって既に40年以上です(知らない人のために…、こだま号とは東海道新幹線開業まで東海道線で東京=大阪を運行していた日本国有鉄道の看板昼間特急で、東海道新幹線開業時に廃止された)。流石に分かる人は少ないでしょうね。大阪では食堂車をそのまま留置線において営業してますが、こっちは車体のみです。最上階はその他の乗り物を展示してございます。一番笑わせてもらったのがこれです。籠です。失礼しました。次回より、昨年の11月に行った「有給なしでアジア5カ国」をレポートいたします。長期休暇を取得した関係で休暇が取れなくなり、無謀なスケジュールでアジア5カ国をファーストクラス・ビジネスクラスで回るという旅程でございました。ビジネスクラス乗り比べという側面もございます。写真的には大したことは無いので、あっさり終わると思います。
2006/01/10
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楽天ブログの更新遅延問題も取りあえずは、事務局が問題の所在を把握しているようですし、そのうち改善されることでございましょう。しかし、色々と機能を追加するのは良いのですけど、なんだか新機能が登場するたびに、ちょっとしたトラブルが発生しているような気がします。機能よりも、テンプレートを更に更に充実させて欲しいです(今も相当充実してますけど)。シャラポワデザインは破壊力がありました。あんな感じの「どきっとする」デザインがいいですね。さて本題でございます。今回でホノルル軍事観光報告をお終いに致します。飛行機の続きです。中華航空の成田空港経由台北中正機場行きでございます。ちょうど出発するところでした。このホノルル国際空港は渡り廊下がオープンエアなのです。素晴らしい。飛行機を撮るにはとってもやりやすい空港です。但し、滑走路は遠いので離着陸は撮影が難しいですけど…。JLのフリートです。この空港からはこの日は出発は10便でした。多いときでジャンボが5機並んでいたはずです。正にフリートという感じでございます。KEでございます。サイパン・グアムでは韓国人観光客は一大勢力でございますが、デイリーでKEが飛来する割にはホノルルでは韓国人はまだ大勢力には成長していません。韓国の旅行業者さんにはご健闘頂きたいものです。ハワイアン航空をもう一枚でございます。MDシリーズでございましょうか…。日本ではリアエンジンはどんどん少数派になってしまいました。旧JDのMDシリーズだけでしょうか(コミューター系は除く)。空港ロビーにはミズーリの模型が飾られておりました。そういえば、現在映画の「男たちの大和」が公開されておりますが、呉には巨大な大和の模型があるそうでございます。見に行かねば。また、同じ広島県の尾道市では男たちの大和のセットの公開が3月まで行われております。広島軍事観光にも行きたいですねえ。そろそろボーディングタイムが迫ってまいりました。ゲートに進みます。ゲートまでは歩いても進めるのですが、こんなバスも走っております。謎の2両編成です。ふーん。どこ製なのかしら…。ゲートとターミナルを鉄道で結ぶ空港は、香港とか関西とか成田とかチャンギ(チャンギはターミナル相互ですけど)とか色々ありますが、変な編成バスというのは珍しいです。まあ、ダレス空港の変態動くロビー(どの空港も真似しなかった)ほど珍しくはありませんけど。ボーディング致しました。席は2階席Cの足元の広い席です。この席は窓際がお勧めです。窓際の下にロッカーがあって、ふたを閉めるとベッドサイドテーブルになります。太平洋線のような長距離路線だと、このベッドサイドテーブルが大変便利になります。機内食の一食目です。このホノルルからはKSMLがありません。止む無くコンプリートベジタリアン(VSML)に致しました。不味い…。鳥の餌状の食事でした。JO運行の場合はKSMLは積まないのかしら。断られたのはサイパンからの帰路に引き続き2回目でした。 →食べ物記号はRichさんの日記参照機内食の二食目です。VSMLのコールドミールであります。不味いを通り越しております。普通の食事にすれば良かった。何とか食べる秘訣は、塩をぶちまけて味を付けることでございます。機内エンタメはMAGIC2でした。まあまあ新しい機材なのでしょうか。この前乗ったJFK→NRTは5便なのにMAGIC1でした。ニューソロでMAGIC1という変な席でございました。この路線では帰路にリゾッチャビンゴが行われました。まあ、往路は夜行ですからビンゴどころじゃありませんよね。しかし当たらない。普段の私の行いが悪いせいか当たった験しがございません。涙。沖縄線には生涯で100回以上乗ったのに当たりませんでした。客乗の皆さん、私は根に持つタイプです。はい。はずれ券10枚で当たりにしてください。2階C席のトイレでございます。モノクラス運行ですので、余計なものは置いてありません。げろ袋とサニタリーのみでした。航路図でございます。こんな感じの経路を9時間かけて成田に戻ってきたのでございました。ふー、疲れた。と、以上で「パールハーバーでトラトラトラや!」はお終いになります。長々お付き合いいただきありがとうございました。2005年の旅行の中では写真的にもっとも燃えた旅行でございました。このハワイの次が「休暇をとらずに亜細亜5カ国」なんですが写真的にはだめー、でした。その次の南米も酷くて、写真掲載を見送ろうかと思っているくらい、写真の収穫は少なかったのです。このハワイのようにアマチュアフォトグラファー根性が燃え上がるデスティネーションはありませんですかねえ…。【本日の成果】ありません。
2006/01/09
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楽天のスタッフブログにも更新遅延が生じている旨記載されておりました。事務局側も状況を認識しているのね…。まあ、改善する予定とかの記述は無いですけど、そのうち改善してくれることと思います。いったん入力すれば、入力が無視されたりすることは無く、そのうち反映されますよ、という症状らしいです。重複入力する必要は無いとのことです。症状が分かれば、何とかなりそうですね。ちなみに、直前にUPした、「トラトラトラ第30回」は1分で反映されました。昼間はすっきりと反映されるようです。はい。 notoshun@新宿某所
2006/01/09
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今も出先に居りまして、公衆無線LANを使って書いております。ふーむ、やっぱノートPCだと書きにくいですねぇ。まあ、仕方がございませんが。このノートPCは物書きをしている家族からただ同然で譲渡を受けた代物なのですが、プロユースで1年くらい使われたのでキートップがはげはげなのでした。慣れるまでちょっと辛い感じです。はい。今日は成人式だけあって振袖姿の若年女性がぽつぽつと目に入ってまいります。皆さん黒髪でした。東京新宿では茶髪では成人式に行かないのかなあ…。普段とおりでいいのに。さて、続きです。熱帯植物園の向こうには中国庭園がございました。現在のホノルルの基幹産業は観光と軍隊ですが、その昔は砂糖のプランテーションが盛んに行われていたようです。プランテーションといえば中国人苦力でございますので、当然中国人労働者も多かったのでしょうが、ホノルルはもう少し中国と縁がございます。中華人民共和国でも中華民国でも英雄の孫文先生がここに住んでいた時期がございます。という経緯で、この庭園の中心部には孫文先生の銅像が建てられておりました。この辺でちと腹が減ってきたので、軽い朝飯を頂きました。写真に撮るほどの価値のある飯でもないのですが、撮ってしまいましたのでご紹介いたします。この飯が7ドルもしました。やはり空港飯は全世界的に高いのでした。誰か、世界の空港の安い飯マップでも作ってもらえませんかね。従業員用の安い食堂の案内があれば便利だと思うのですが…。とりあえず私が知っているのは、バンコクドムアン空港(国際ターミナルと国内ターミナルの渡り廊下にぶら下がっている従業員食堂)と那覇空港(一階到着ロビーの不定期航空会社の事務所の間にある食堂)くらいなのです。せっかく空港に来ていますので、飛行機の写真も撮ってみました。そういえば、このブログを始めたころは飛行機の写真ばかりでございました。中華航空のジャンボです。懐かしいなあ…。中華航空は以遠権を使って東京=ホノルルを飛ばして居ります。昔は「羽田からハワイ」というキャッチでしたが、数年前に成田へ引越しさせられてしまいました。アメ系の雄、AAです。日本じゃNWとかUAをよく目にしますが、AAの方が輸送量は大きいのです。今度はJLがAAのアライアンスに加盟しますので、使うことも多くなりそうです。JLのクラシックジャンボでございます。JLさんは、JFK線とLHR線に最新機材をつぎ込む一方で、ハワイ線はちょっと古めの機材を投入してまいります。特に、ハワイホノルル線は東京以外の街からも飛ばしています。そういう路線は特に古い機材が出てくることが多いような気がします。乗ったことの無いキャリアです。ハワイアン航空でございます。オアフ島以外の島にいく場合にはお世話になりそうです。まあ、JLさんがコナ線を運行してますけど。米系のコンチでございます。南洋に強い会社というイメージです。ちょっと長くなりましたので、ここで切ります。今日中にハワイを終わらせてしまいます。続きは本日アップします。さて、これを入力してから何分でブログに反映されますか…。13時30分アップです。
2006/01/09
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ここ数日、日記記入からブログ反映までの時間がどんどん長くなってきましたが、今日は数時間も反映されていません。大丈夫かなあ…。<追記>この件は楽天ブログ全般に生じている事象であることが判明致しました。詳しいお話はこちらをご参照ください。なお、復旧のめどは立っていないようです。
2006/01/09
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「のだめカンタービレ」という漫画が面白いのです。以前に書評で紹介されていて読まねばならんなあ、と思っていたところに、連休前に会社の先輩が貸してくれました。Y先輩ありがとうございます。私の焼いた焼きそばを「不味い」なんておっしゃいましたけど(本当は美味しかったはず)、感謝しております。ただし、3巻から13巻までです。うーん、1・2巻が読みたいなあ。さて続きです。ホノルル国際空港の日本庭園でございます。池と橋と東屋という基本は押さえています。しかし、背景がターミナルビルのコンクリート壁なのがねえぇ…。つきやまはこんな感じでした。ここも基本は押さえています。流水つきでございますね。謎の五重塔がございました。逆サイドから見た日本庭園でございます。こっちからだと絵になりません…。むむ…。庭園の周りをこんな廊下が取り巻いております。一応回遊式庭園を意識したのでしょうか?。そして日本庭園の向こうには、このような熱帯植物園が作られていたのでした。ちょっと長くなったので一旦切ります。
2006/01/09
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今日も公衆無線LANが嬉しくてノートを片手に街を彷徨してしまいました。完全ただのところとしてはfreespotがあるものの、やはり少ないのですね。どこかに加入しないといけないかなあ…。ライブドアは街中の電柱にアクセスポイントを設置するやり方で近所にやたらとアクセスポイントがございますが…。やはり無線LANを道端で立って使うことも無いし…。私の場合は駅の待合室か空港のロビーで使えればOKなんですけど…。Mフレッツかなあ…。しばらく迷います。今日は他にもIDEハードディスクケースを買って参りました。昇天したPCの中に取り残された画像データをサルベージしております。割と簡単でした。速度は測ってませんけど、体感的にはNASよりも速い感じが致します。さて、続きでございます。ホノルル国際空港でございます。いよいよ帰路でございます。ご存知の方も多いかも知れませんが、ホノルル線は日本→ホノルルは大抵夜行で、ホノルル→日本は大抵昼間です。往路は疲れていて、よく見ていないのです。復路でねとっと探検します。先ずはターミナルの配置図からです。アメリカの空港にしては大したことはありません。オヘアだのLAXだのデンバーだのといった巨大空港に比べると、ターミナル2個分くらいしかありません。ゲートもバスゲート込みで40くらいでしょうか。注目すべきは5個あるチェックインロビーのうちの一個をJLが完全に占領していることでございます。アメリカの空港では日本航空のプレゼンスはホントに小さい事が多いのですけど、このホノルルでは大勢力です。臨時便込みで10便以上出発しますので当然と言えば当然ですけど…。続いてラウンジでございます。Cクラス以上の方あるいは上級会員の方が入れます。このデザインを見て思ったのは「羽田や那覇と全く同じ内装である」ことです。椅子まで同じです。丸々内装資材を日本から持ち込んだのかもしれません。羽田のお古かなあ…。こういうところがハワイらしいですね。成田じゃなくて羽田と相似形というのもハワイらしい…。一応マッサージチェアがございました。でも、最近は羽田のダイヤモンドプレミアムラウンジもマッサージあるしなあ。コーヒーを頂いて一息つきました。ちなみに、エコノミークラスの搭乗券ですけど、モノクラス運行の成田行きですので、当然のようにビジネス席が用意されました。この空港ターミナルには中庭があって、半分ずつ日本庭園と中国庭園になっておりました。お約束の鯉でございます。長くなりそうなので、ここで一旦切らせて頂きます。
2006/01/08
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最近の楽天ブログは日記とかプロフィールを更新しても直ぐには反映されないことがあります。どうもサーバが何台かあって、更新直後は一部のサーバにしか反映されないようです。F5(再読み込み)を叩くと、新しい画面と古い画面が入り混じって表示されるのです。更新されていないのかと誤解して、同じ記事をUPしたりしてしまいました(重複分はもう消してあります)。今はメカニズムをほぼ理解できたので混乱しませんけど…。えーと、前回はワイキキ浜をご報告いたしました。今回は前回飛ばしたランドルフ要塞(陸軍博物館)をレポートいたします。この要塞はハワイ・オアフ島に侵攻する上陸部隊を撃退するためにワイキキ海岸に設けられました。主たる兵装はこの写真の14インチ砲です。2門在ったそうですが、今はこれしか残っていません。これは砲の側面の様子です。この砲は半地下に据え付けられています。前にご紹介したダイヤモンド・ヘッド射撃統制所で標定・照準を行っていたようです。屋内に砲弾が蓄えられており、砲側まで揚弾器で運んでいたようです。給弾の様子を再現した場所です。暗い…。要塞の中の廊下でございます。20世紀の建築ですので、そんなに変わったものはございません。中学校の廊下みたい。内部の展示です。光ってしまってよく分からないのですが、ハワイ出身のシンセキ大将のプレートです。ハワイ出身の日系人の米陸軍将校で統参議長を勤めました。イラク戦争でラムズフェルドの派兵計画に噛み付いたので解任されたと言われている将軍です。これも内部の展示物です。99式艦上爆撃機(急降下爆撃機)の部品です。製造者の名前が書いてありますが、愛知時計電機株式会社製です。戦時国債募集のコーナーでございますね。ハワイ出身の叙勲者のコーナーです。軍事博物館には大抵こういうコーナーがございますね。日本には軍事博物館は少ないのですが(遊就館とか知覧とかしか行ったことがありません)、やはり、戦功者の部屋はございました。何故か、土木関係の展示がありました。工兵と関係あるのかしら…。続いて屋外展示物をご紹介します。こんな感じで車輌が並べてあります。帝国陸軍の軽戦車が展示されています。なんか弱そう…。砲身は短いし、口径は小さいし…。米軍も軽戦車が展示されておりました。M24です。米軍戦車と言うとM4シャーマンが有名ですが、ハワイでは何故かM24です。M24は生産台数があまり多くないので有名ではなのです。しかし、あまり有名ではないこのM24は非常に優れた設計で、その後の米軍主力戦車の設計ベースになっているようです。この前読んだ「戦車設計ノート(三菱重工で戦車設計をやっていた人の回想録)」という本の中で著者が安定性を絶賛していました。トーチカの砲塔なんかも展示されていました。屋上には現在の主力兵器の対戦車ヘリが置いてありました。あまり状態は良くないのでした…。これでハワイでの観光は完全のお終いになりました。あまり食い物に期待できそうも無いので、マクドナルドのハンバーガーで夕食を済ませ、就寝いたしました。次回は帰路のホノルル国際空港をレポートいたします。この空港はハワイの歴史を背景に、ターミナルの真中に日本庭園と中国庭園を備えております。外国の日本庭園(ブエノスアイレス編・シンガポール編参照)には出来れば寄りたい私にとって魅力的な空港でございました。それでは今回はこの辺で。
2006/01/08
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公衆LANのフィールドテストから帰ってくると、屋内LANのルータが死んでいました。合掌。享年2歳でした。カスケードしていてポートが若干余ってましたので、やりくりして運転再開しました。数時間画像が出なかったと思います。大変ご心配及びご迷惑をおかけいたしました。失礼致しました。さて、続きです。イオラニ宮殿見物を終えて、再びワイキキに戻りました。ワイキキは、もう日本の一部のような感じです。すばらしい。天下一品という割と有名なラーメンチェーンです。味も都内の店と変わりません。値段はちょっと高いです。こういうバスがワイキキを巡回しています。何とJTBのお客様専用バスと近畿日本ツーリストのお客様専用バスの二種類があります。胸にツアーバッジを付けて置かないと乗れません。謎の像です。何なんでしょうか?。ワイキキ郵便局でございます。ここでたくさん絵葉書を出しました。はい。さて、ワイキキにはかつては沿岸防衛用の砲台というか要塞がございました。日本の真珠湾攻撃で、沿岸防衛用の砲台は一気に古臭いものになってしまいましたので、戦後は次々に取り壊されたようです。その中の一つが陸軍博物館として保存公開されております。正面から見た全景です。入り口でございます。この博物館の内部並びに展示物については次回ご紹介させていただきます。この陸軍博物館は正にワイキキ海岸に面しております(沿岸防衛砲台なんですから当たり前ですが)。ワイキキ浜で少しだけ撮影しました。ダイヤモンド・ヘッドもすっきり見えます。得意の大望遠ズームをやってみました。ちょっと空気がにごっていて白っぽくなってしまいました。ホテルを構図に入れようとしたのですが、ダイヤモンド・ヘッドが切れてしまいました。未熟…。浜辺のホテルです。なんか、熱海みたいですね。えーと、今日はこの辺にしておきます。次回はワイキキの旧ランドルフ要塞・現陸軍博物館の内部をご紹介いたします。【本日の成果】E電乗車(SUICA) 3マイル(JL)昼食(JCB) 10×1.5倍=15マイル(NH)ヨドカメ(EDY) 10マイル(NH)プロント(EDY) 1マイル(NH)
2006/01/07
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どうもルータにトラブルがあるみたいです。原因特定のためにネットワークを断続的に閉じます。画像が見られないことがあると思いますがお許しください。
2006/01/07
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うー、つらいです。予定では本日は今頃日本海沿岸を羽越線で北上しているはずでした。はい。JR東日本の三連休パスが久しぶりに出てますので…(年末にも出てたので久しぶりでもないか…)。しかし、秋田新幹線の雪による不通、羽越線の事故による不通、という事情もございましたので、旅行はキャンセルしました。JRだとキャンセル代が630円だけなんで、割と気軽にキャンセルできます。これが飛行機になると…。で、今は新宿の公衆LANが使える喫茶店におります。年末に家族から格安で、無線LAN内臓のノートの譲渡を受けました。今日、初めてこのノートを抱えて街に出ました。公衆無線LANを使うためです。いやー、快適でございますな。割と軽いし、外国にも持って行けそうです。これさえあれば、暫定レポートを携帯電話で書かなくてもOKです。うんうん。うれぴー!。ノートをただ同然で譲ってくれたYさん、ありがとうございました。
2006/01/07
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イスラエルのシャロン首相が重篤になってしまいましたですね。長くなるので、あまり深入りしませんけど、パレスチナ和平が後退してしまいそうで心配でございます。はい。全然話は変わりますが、今週末はJR東日本の「三連休きっぷ」を握り締めて雪国に行こうと思っていましたのですが、秋田新幹線も羽越線もだめっぽいです。旅行をキャンセルしなければいけないのかしら…。涙。さて、続きです。今度はダウンタウンにイオラニ宮殿に向かったのですが、その前に数枚の画像をご紹介させていただきます。ダウンタウンにある公園の中に植えてあった木でございます。一番下の木は、土曜日の夜にやっているテレビ番組「世界不思議発見」に出てくる日立のコマーシャルの「このー木何の木気になる木ぃ」の木にそっくりでございました。失礼しました。先ずは門を潜りました。宮殿の敷地に入って参ります。宮殿正門に掲げられているハワイ王家の紋章でございますね。ハワイは、アメリカに併合される以前は独立した王国でございました。独立王国時代の宮殿だったのが、このイオラニ宮殿でございます。1882年の建築でございます。宮殿と言う割には割と新しい建物でございます。1893年にアメリカがハワイで政権転覆工作を行い、この結果ハワイ王朝は崩壊いたします。19世紀から、外国政府転覆工作に取組み成功させている訳ですから、アメリカも大したものです。真横から見た宮殿です。この元宮殿は、内部に入るにはガイドツアーでしか入れません。その上、内部では撮影禁止なので写真はございません。うー。撮りたかった。宮殿に隣接する建物です。ここでガイドツアーの受付とブリーフィングを受けました。この「隣接建屋」の続きです。王朝時代の大砲かなあ。撮影地不詳の2枚…。宮殿の向かいが州政庁のようでした。記念撮影の定番のカメハメハ大王の銅像が設置してありました。はい。こちらはワイキキにあるカラアウア王の銅像です。衣装は西欧風になってますし、名前もデビッドだったようです。今回はここまでにさせて頂きます。次回はワイキキに残る旧ランドルフ砲台をレポートさせていただきます。ハワイレポートもあと2回くらいでお終いにできそうです。【昨日の成果】ローソン(JCB) 4×1.5倍~6マイル(NH)
2006/01/06
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なんか十国峠みたいな表題ですが、ダイヤモンド・ヘッドの山頂からの撮影分をご紹介します。家族の意見を採り入れペースをガンガン上げております。しばらく一日二回UPするつもりです。その上、一回当たりの枚数がちょっと多くて重くなっていますがお許しください。何か南米編の最後の方を書いていたときの気分に似てきました…。最初に言い訳からです。とにかく、展望台が狭いのです。ほんと。いい撮影場所の確保が大変なのでした。ついでに、私も登山でひーひー言っておりました。つまり、下の写真の品質に関する言い訳です。あはは。今、見直すと、改善の余地ありの構図ばかりですね。疲れていなければ腰を据えてもっと枚数を撮ったのですが…。ここからは説明なしでございます。よーく見えます。ついつい二百三高地を思い出しました。これならワイキキ海岸を目指す上陸船団を一望のもとに見下ろせます。今度はズームを効かせて色々試しました。出来はいまいちなんですけど。と、こんな感じの景色でございました。はい。なかなか良いものでした。お勧めです。疲れますけど。以上でダイヤモンド・ヘッド関係はお終いです。上の画像は帰路のバス停周辺です。この後に今度はイオラニ宮殿周辺に移動いたしました。次回はこの「アメリカ合衆国領土唯一の宮殿」をレポートします。このツアーで唯一の非軍事施設です。
2006/01/05
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初出勤は疲れまする。そんでもってこんな時間にブログを書いているのですから世話ないですわな…。さて、続きです。今回はダイヤモンド・ヘッドの旧要塞設備に入って参ります。これが要塞の入り口の階段です。この階段を抜けた後にトンネルを通るのですが、殆ど真っ暗で写真になりません。上から見た階段でございます。結構段数在るのですよ。上るだけで結構息が上がりました。私も体力なくなっています。続いてこんな感じの螺旋階段を四回分登ります。うー、疲れる。ここが最上階です。いかにも着弾観測所という雰囲気の防弾設備です。直撃弾でも喰わない限りは機能を続けそうです。ここで土産物を売っていました。<meneaterさん売っていたのはペナントでは無く、ダイヤモンドヘッド登山証明書でございました。与那国島の日本最西端証明書みたいな感じですね。あまり売れていませんでした。とりあえず、のぞき窓から撮って見ました。海の色が目にまぶしいのでした。こののぞき窓から外に出ます。ちょっと無理な構造です。高所恐怖症の方は大変でございましょう…。<soul-nana77さん 防弾壁の厚さでございます。コンクリートで1メートル以上ありそうな感じでした。外に出てからもまだ登るのですけど、とりあえず一枚撮って見ました。ちょっと海が光りすぎでございました。下を見るとこんな感じです。こえー。ワイキキ浜も見えてまいります。大体こんな感じでした。この後に更に山頂に上がって展望台からも撮影を行いました。この分は次回にさせて頂きます。とにかく、運動量が結構なものなのです。疲れる行程ではありますが、しかし、山頂からの風景を考えれば、ハワイに行った際には一度は訪れてもよいかな、と感じております。はい。【昨日の成果】ローソン(JCB) 2×1.5倍=3マイル(NH)
2006/01/05
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家族から、早くハワイを終わらせて次に行け、という意見を貰いました。ハワイレポートの最中に二週間更新が停まったりしたので一ヶ月くらいハワイになっています。今回からペースを上げて掲載して参ります。はい。宿からダイヤモンド・ヘッドにはバスで参りました。先ずはバス停からご紹介します。何の変哲もないバス停でございます。ダイヤモンドヘッドのハイキングはこんな経路になります。楽勝で2時間はかかります。気を抜くと3時間かかるかもしれません。バス停から案内板に沿って進みました。何と6時から開いています。思いっきり早く来ても良いかもしれませんね。涼しいし。このバス停は観光用のバスが止まるものらしいです。普通の路線バスはここまで参りません。ゲートです。ここで入場料を支払います。金額は失念してしまいました。1ドルか2ドルだったような気が致します。観光地らしく、でかいプレートが掲示されておりました。記念写真はここがお勧めです。レストハウスです。ここが最後の便所にして、水の入手ポイントです。自動販売機がございました。小銭が無いと水を買えません。強烈な運動量になりますので、水は必須です。こんな感じの登山道を攀じ登ってまいります。疲れます。ひーひー言いました。岩肌剥き出しで、いかにも火山です、という地形です。植物もまばらでございました。ところどころにこんな感じの展望台がありました。登山道はまだまだ続きます。こんな感じで延々と山登りを致しました。上ること40分ほどで、ダイヤモンド・ヘッド射撃統制所に着きます。軍事要塞の内部は次回にさせていただきます。
2006/01/04
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前回の日記にちょっとディープなコメントを頂戴いたしました。戦争は「悪いこと」に決まっています。たくさんの人が死ぬし、財産が破壊されます。ろくなもんじゃない。戦争が無い方が良いに決まってます。幸いにして、日本人は60年間殆ど戦争に無縁でした。「日本は戦争と無縁」じゃありませんよ。ベトナムにせよ湾岸戦争にせよイラク戦争にせよ、米軍は日本の基地から出撃しました。日本に用意してあった兵器や燃料を使って他の国を攻めたのです。攻められた側から日本がどのように見えるかは忘れてはならない。また、アメリカから見て日米同盟がいかに重要かがこの点からも分かりますね。アメリカは日本無くして東半球で戦争を行いのは難しいのです。これは余談ですけど。では、戦争はどのようにして起きるのか…。起こさないためにはどのような措置を採れば良いのか…。短期的には戦力の均衡を作ることでございますね。戦力の不均衡は割に簡単に戦争を誘発してしまいます。戦力の均衡を保ち、お互いに開示する(ある程度開示しないと意味がありません、大和級は存在自体を秘密にしたので戦争抑止には無意味になってしまいました)。戦争に訴えれば自国も手ひどい被害を受けることが分かる、だから、軍事力の行使に躊躇う。このような「軍事力があるので戦争が起きない」という状態を「抑止が効いている」と表現することがあります。軍事力のことを「抑止力」と表現することもあります。この極端な例が冷戦時代のMAD(Mutual Assured Destruction / 相互確証破壊戦略)であります。米ソのどちらかが先に核戦争に訴えても、やられた方が確実に反撃し、両陣営とも必ず破滅してしまう状態(あるいはそのような状態を作り出す戦略)のことです。冷戦時代の抑止力に求められるのは「相手側の核兵器による第一撃に生き残り確実に反撃する能力」でした。これに最もふさわしかったのが、このシリーズの最初の方でご紹介したポラリスミサイルのような潜水艦搭載戦略ミサイルです。深海をうろつくミサイル原潜を確実に全部しとめるのは非常に難しかったと言われています。但し、このような相互確証破壊を確保するためには(TMD関係で再び注目を浴びたABM制限条約などもMADを維持するためのものでした)、対立する陣営が、お互いの攻撃行動を完全にモニターしなければなりません。冷戦時代には米ソは衛星からスパイからモニター施設からを総動員してお互いの弾道ミサイルの発射を相互に監視していました。新しい核保有国であるインドとパキスタンはお互いを監視しあう能力を持たないと言われています。この二カ国は結構怖い状態にあると思っています。冷戦期はこの抑止が効いていたので、先進国同士の全面戦争は発生しませんでした。また、現在では、核兵器を使用した国はアメリカが確実に核攻撃を行うと言明しているので、高いレベルの軍事力行使は行いにくい状態にあります。例えば、お隣の将軍様の国は報復が無ければ軍事力を行使することを躊躇いそうもないですね。しかし、普通の感覚ならば、我が国に対して軍事力を行使は出来ない。日本に手を出せば、アメリカがお得意のトマホーク(短期間に三千発くらい極東に持ってこられるみたいです)のつるべ打ちを始めるに決まっているからです。これは、かの国がまともな判断をできることが前提です。民主主義国家であれば、無謀な軍事的な冒険をしようとする指導者に抑止が効きます。次の選挙で落とされると思えば戦争には訴えられない。ブッシュがイラクに手を出すことは通っても、ロシアと全面核戦争を始めるのは通らないでしょう。ところが将軍様の国には民主主義が無いし、指導者が無茶な判断をしても通ってしまう可能性がある。民主化と民主主義を担保する報道の自由は、戦争抑止のための重要な要素であると思っています。第一次世界大戦が始まった際は民衆は戦争を支持したではないか、と思った読者の方。あなたは鋭い。なんで、第一次大戦を民衆は支持したのでしょうか。被害の大きさを全く理解していなかったからです。開戦時は数週間で戦争は終わると思われていましたが、実際には4年の戦争となり1000万単位の死傷者を出すことになりました。戦争が終わった後には、勝者も敗者もボロボロになってしまいました(アメリカと日本を除いて)。ヨーロッパは戦争反対一色になりました。でも、第二次大戦が20年後に発生したではないか、と思ったあなた。鋭いです。皆が戦争反対だったら戦争は起きないのか?。むしろ、戦争を誘発してしまうというのが、第二次大戦の反省なのでした。1933年にヒトラーが政権を掌握しました。ヒトラーはベルサイユ条約を踏みにじり次々に軍事力を再建し、近隣諸国の侵略を開始します。しかし、ヒトラー政権はこの時点では非常に脆弱でした。ベルサイユ条約違反を口実に英仏が軍事力を行使すれば(あるいは行使するそぶりを見せただけで)、ヒトラー政権は瓦解した可能性が高い。ところが、第一次大戦後の平和主義(パシフィズムと言います)が蔓延する英仏は軍事力行使だなんでトンでもないという世論です。チャーチルなんて戦争屋が政権を執るなんで想像も出来ない状態でした。ヒトラーはここに付けこみます。空軍再建宣言・陸軍戦力制限の無視・チェコ解体(ミュンヘン会談)…。ここまで来ても英仏は軍事力を行使できなかった訳です。英仏が事態を放置するうちに、第三帝国は着々と軍事力を強化し、気が付くと手がつけられない状態になってしまいます。早い段階で英仏が第三帝国を軍事力をもって恫喝すれば、ヒトラーの跳梁跋扈は恐らくは抑えられたと思われます。これをチャーチルは著書の中で「第二次大戦は不必要な戦争であった」と表現している訳です。つまり、小さな戦争で大きな戦争を防ぐということが出来なかった訳です。軍事力を保有するだけでは不十分で、行使するガッツをもった政権と練れた世論が必要と言うわけです。戦争がもたらす被害と、戦争を避けることによる被害を冷静に比較する世論が必要という訳です。戦争の悲惨さを知ることも重要ですし、何よりも正確な報道が重要になります。今日的にはカビの生えた議論にも聞こえますが、米英ではこの教訓はどうも生きているようです。ヒトラーのチェコ解体を許したミュンヘン会談は、今でも、手痛い失敗として英米では認識されているようです。イラクはさておき、先の湾岸戦争の時なども、この反省を活かしていたと想像しています。随分長くなってしまいました。このお話を始めると延々と続いてしまうので、今回はここで切ります。次回は20世紀後半から始まった"緊張度の低い紛争"についてご説明させて頂きます。いつになるか分かりませんけど…。本題に入れませんでした。ダイヤモンド・ヘッドのご紹介文だけ掲げさせていただきます。観光地ではありますが、ダイヤモンド・ヘッドはもともとは軍事要塞でございました。いらした方はもうご存知の通りですが、要塞ののぞき窓を潜って山頂に行かねばならない造りになっています。写真が一枚も無いのは寂しすぎるので、山頂からの眺めを一枚だけ掲げます。【資料】軍事上の歴史(パンフレットより) ココヘッドからワイアナエまでの全景を一望できるダイヤモンド・ヘッドの山頂はオアフ島の沿岸防衛には理想的な場所です。 1904年にダイヤモンド・ヘッドは連邦政府に買い上げられて限定された軍用地に指定されました。1908年には大砲の砲台とカパフル・トンネルとして知られているルーガー砦から火口北壁をつらぬいて火口内に通じるトンネルの建設によりダイヤモンド・ヘッドの要塞化がはじめられたのでした。 全部で五箇所の沿岸防御用の大砲を設置する砲台がダイヤモンド・ヘッド噴火口に建設されました。それらは1910年に北側の外壁に設けられたハーロー(Harlow)砲台、1913年に火口の東側の壁をつらぬいて造られたドッジ(Dodge)砲台とヒューリングス(Hulings)砲台、1916年、火口内の地下深くに造られたバークハイム(Birkhimer)砲台、及び1943年に火口南壁をつらぬいて作られた407砲台です。 ダイヤモンド・ヘッド砲撃統制所は1908年から1909年にわたり山頂に建設され、そこには数箇所にある砲台からの大砲射撃を指揮するための器械や計画室を内載しています。 この観察所から監視人が射撃目標を三角測量で測定して、ワイキキにあるデルーシー砦のランドルフ及びダドレー砲台、火口外壁にあるルーガー砦のハーロー砲台からの砲撃を指揮できるのです。四階層からなる攻撃統制所はその外部を砕石を埋め込んだコンクリートでカムフラージュされています。各階にある細長い窓から海側を望めて海と空からの敵襲にそなえることができるようになっています。砲撃統制所の四階各層と山頂の間はらせん階段と梯子で連結されています。 1915年頃、長距離砲が火口外壁斜面に設置されたことにより沿岸防衛が更に強化されました。ダイヤモンド・ヘッドにはオアフ島を外部からの攻撃から守るための準備がされましたが、戦時中、一度もここから砲撃することはありませんでした。 ダイヤモンド・ヘッドの軍事施設は”ルーガー砦歴史地区”の一部です。 これ以上の情報を知りたい方はハワイ州土地・自然資源局州公園部に問い合わせてください。【昨日の成果】通勤定期(JCB) 240×1.5倍=360マイル(NH)JR北海道(JCB) 60×1.5倍=90マイル(NH)
2006/01/04
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今回でミズーリのレポートは終わりにします。ミズーリ関連で撮影したその他の画像をご紹介いたします。ミズーリ号の入り口にある絨毯です。自由のための強さ…。戦った敵が日本と中朝連合軍とイラクですので、こんな感じになりますか…。ミズーリ艦内で売られていた水です。ミズーリデザインです。一本1ドルでした。安いです。ミズーリの脇に展示されていた機雷でございます。ここから先は退艦後に撮影した分です。艦橋でございますね。結構大きいです。外から見ると舷側が高いのです。ミズーリの脇のかまぼこ兵舎です。ここでお茶を飲めます。リメンバーパールハーバーねえ…。飛行機のシミュレーターがありました。同じモノを昨年12月にイントレピッド艦内でも目にしました。こうして初日のディープな軍事観光を終えました。ワイキキに入って参りました。上の画像はワイキキに掃いて捨てるほどあるABCマートです。宿泊したホテルですね。キチネットタイプのベランダ付きでございました。夜行便でハワイに上陸している関係もあり、あっさりと眠らせていただき、翌日に備えたのでした…。二日目は米陸軍関係の施設を回るのでございますが、次回に回させていただきます。【資料】戦艦ミズーリの概要(パンフレットから)全長 270.4メートル最大幅 33メートル喫水 11.6メートル排水量 58000トン(満載時) 45000トン(非満載時)速力 33ノット造船所 ニューヨーク海軍造船所 ニューヨーク州ブルックリンクラス アイオワ級起工日 昭和16年1月6日進水 昭和19年1月29日就役 昭和19年6月11日初出動 昭和19年12月14日退役 昭和30年2月26日復役 昭和61年5月10日再退役 平成4年3月31日主砲 口径40.6センチ(3砲塔9門) 射程距離37キロ 機関砲 近接防御火器(4基)ミサイル トマホーク巡航ミサイル(32基) ハーブーン対艦ミサイル(16基)
2006/01/03
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