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連続動画で青函トンネル越えをレポートしました。今回は函館到着からです。函館駅での撮影分です。手前が、私がお世話になったスーパー白鳥95号の789系電車です。奥の色違いみたいな車輌は281系特急気動車です。スーパー北斗として札幌まで行く列車です。同じく函館で見かけたオリジナル白鳥です。スーパー白鳥はJR北海道の789系特急電車で運行されていますが、普通の白鳥は普通の485系なんです。函館駅構内に留置されていたトワイライトエクスプレスの編成です。羽越線の不通で当分運休になっていました。函館駅に何日留置されたのかなあ。ドラえもん海底列車の発車表示板です。文字数の関係か「ドラえもん列車」になっていました。これが切符です。この切符を取るのにも苦労しました。この列車は道内限定発売なんです。東日本の窓口では原則買えません(函館フリー切符と同時購入に限り購入可)。釧路に行った時に「売り切れ」と言われて以来、JR北海道東京支店に日参して入手した切符なのです。ホームではのび太が出迎えてくれました。ここまでストイックな「乗り鉄」だったのが、突然デパートの屋上遊園の雰囲気になってしまいました。はい。今回は列車の車号だけご紹介して、車両のご案内は次回に持ち越します。781系特急電車で運行されました。 クハ780-7 モハ781-5 サハ780-5 モハ781-14 サハ780-14 クモハ781-7の6両編成でした。 良ければ一票お願いします。
2006/08/31
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動画もこれで最後にします。もう北海道側です。吉岡定点(吉岡海底駅)を通過するところです。ここにこの日に降り立った訳です。
2006/08/30
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青函トンネルの最も深い部分です。緑の色のランプと青色のランプが最深部を示しています。
2006/08/29
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青函トンネルの竜飛定点の通過の動画です。竜飛海底駅とも言います。
2006/08/29
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お待たせしました。これが青函トンネル進入の瞬間です。
2006/08/29
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青函トンネルに入るまでに、何回も短いトンネルを通過します。
2006/08/29
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青函トンネル進入前には何回もトンネルを潜ります(鉄子参照)。ちょっと思わせぶりなんですよね。7個目のトンネルが青函トンネルだそうです。
2006/08/29
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この駅が本州で最後の駅です。物凄くローカルな雰囲気です。周囲に人家も見えませんでした。
2006/08/28
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青函トンネルは新幹線が通過できる規格で設計されています。この辺りからはもう新幹線規格の雰囲気になってきています。
2006/08/28
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スーパー白鳥で津軽線を進んでいる時の動画です。まだローカル線の雰囲気です。
2006/08/28
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バンバンご報告を続けてまいります。前回は一ノ関駅で新幹線に乗り込むところまでレポートしました。今回は新幹線の終着駅の八戸駅からご報告を再開します。特急スーパー白鳥95号の発車案内表示です。当初予定では、寝台特急「あけぼの」で青森まで進み、青森からこの列車に乗り込む予定でしたが、前回までにご報告した通り「あけぼの」の大幅な遅延(結局青森到着は3時間25分の遅延)により、一ノ関から東北新幹線の「はやて95号」に乗り、この「スーパー白鳥95号」には始発の八戸から乗り込むことになりました。スーパー白鳥95号の車輌です。789系特急電車です。交流電車ですね。JR北海道の所有車両ですが、途中まで乗務員は東日本の社員が勤めます。エンブレムです。HEAT789と書かれています。Hokkaido Express Advanced Trainの頭文字だそうです。ちなみに車輌の塗色はJR北海道のコーポレートカラーの黄緑でした。昔の山手線みたいです。車輌前面の中央部が黒くなっていますが、実はここは窓なんです。この車輌は特急車輌なのに前を見ることが出来るのです。この特性を活かし、青函越えの動画を多数撮影しました。次回以降でご紹介します。789系にはこんなものも描かれています。青函越えの特急であることを誇っています。東北新幹線の八戸開業の際には、長野新幹線と同様に平行在来線の経営分離が行われました。八戸駅から盛岡まではJRから分離されています。手前の車輌がJR東北本線の普通電車です。奥側に停車しているのは青い森鉄道の車両です。始発の津軽が入線してきました。私が乗るスーパー白鳥95号に接続を行うために、こんな時間に入ってきます。つがるに使われているE751系電車です。青森県内でしか目にできない形式です。珍しいのか写真撮影を行っている観光客が居ました(小さなカメラを使っているので多分「鉄」ではありません)。JR北海道の車輌でしか目にしたことのない、チケットホルダーです。ここに切符を入れておくと、寝ていても検札が済むというものなのですが…。取り忘れリスク、盗難リスクが大き過ぎます。さて出発です。次回からしばらく青函走行の動画をご紹介し、函館レポートに進みます。 良ければ一票お願いします。
2006/08/28
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寝台特急「あけぼの」を一ノ関駅に臨時停車させて貰うまでの経緯を前回ご報告しました。今回は一ノ関からレポートを再開します。私を降ろした後に一ノ関駅を出発していく寝台特急「あけぼの」です。一ノ関駅は夏祭りの準備に入っていました。5月の連休(結局確定レポートは作れませんでした、ネタ過剰で)の時にも一ノ関駅で宿が取れずに途方に暮れたのを思い出していました。相性の良くない場所とか駅はあるものです。私の場合は、国内では一ノ関駅、外国ではサンパウロ空港が相性悪いです。一ノ関には何の責任もありません。完全に偶然なんですが。一ノ関の在来線駅で時間を潰し、始発の下り新幹線を待ちました。在来線駅から新幹線駅に移動中に撮影したものです。朝の普通電車が次々に出発していきます。5月の連休の時も一ノ関を早朝に出発し北上線に行ったのを思い出していました。東北新幹線「はやて」は通常は全車指定なのですが仙台始発の95号には自由席があります。新幹線ホームから撮り下ろしたものです。普通仙台行きが走っていきました。やっと来てくれました。この新幹線に乗ると、当初の予定に復帰できます。ただの新幹線乗車なのですが、感動してしまいました。始発の喫煙自由席の内部です。私以外のお客さんは一人だけでした。がらがらに空いておりました。こうして、東北新幹線で八戸まで進みました。次回は八戸駅(今回の三連休パスでは最初の下車です。東北新幹線と東北本線の接続駅なので、三連休パスを使うとやたらと降りるのが普通なのですが)の模様をレポートします。 良ければ一票お願いします。
2006/08/28
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上野駅に帰ってきたところからです。久しぶりに東北新幹線の上野駅で降りました。東京開業以来、上野は殆ど使わなくなってしまいました。この深い深い駅は何なんでしょうねえ。無意味な地下空間もたくさんあります。非常に妖しげな駅です。戦前の何かの地下施設の再利用のような気がします。夜の上野駅です。今回のスペイン旅行では英国航空のファーストクラスを使いました。その際に「ALWAYS三丁目の夕日」を見ましたが、往時の上野駅が再現されていました。この辺の風景は昭和30年代と大きくは変わっていませんですね。さて、この上野駅から寝台特急「あけぼの」に乗りました。この「あけぼの」が13分遅れると、スーパー白鳥95号に乗り継げなくなり、1時間30分遅れると、函館ターンを木古内ターンに改めても「この夏で閉鎖される吉岡海底駅」に行けなくなってしまいます。不安な気持ちを抑えつつ、車号の記録を採りました。青森方から、 EF81-138 カニ24-109(電源車) オハネフ24-7(普通車指定席ゴロンと) スロネ24-552(A個室寝台シングルDX) オハネ24-552(B個室寝台ソロ) オハネ24-553(B個室寝台ソロ) オハネフ24-2(開放B寝台) オハネ25-211(開放B寝台) オハネ25-218(開放B寝台) オハネフ24-27(普通車指定席レディスゴロンと) でした。何と言うことはない、この日の朝までお世話になった編成です。全く同じ車輌に連泊することになりました。流石の私も、寝台車で全く同じ車輌に連泊するのは初めての体験でした。前日に撮影できなかったB個室寝台「ソロ」を撮影して置きました。私が乗ったのはこれではなく、「ゴロンと」なんですが。不安を残しつつも「あけぼの」は上野を出発して行きました。出発時の車掌アナウンスをご紹介します。 下りあけぼの号秋田出発(音声)車掌さんまで、朝までの人と同じ人でした。全然感動がないです。この日のあけぼの号は羽越本線の不通の影響で経路が変更になり、東北線・北上線・奥羽線廻りでの運転となりました。秋田までの停車駅は大宮・横手・大曲・秋田とコールされています。遅れが予想されるという説明もありましたが、JR東日本のテレフォンセンターの「前日よりは遅れは少ない」という説明を受けていましたので、大したことはないだろうと思っておりました。これが飛んでもない間違いでした。はー。遅れました。黒磯くらいで就寝したのですが、この時までは全然遅れていませんでした。はい。目が醒めたのは午前4時頃でした。列車は走っていませんでした。寝ぼけた目で外を見ると…、まだ仙台でした。 おいっ。これは強烈な遅れです。楽勝で2時間は遅れています。慌てました。車掌を求めて車内を走り回るも居ません。おいっ。焦り狂いました。車掌室のまどから飛び降りようかとも思いました。結局車掌さんは女性専用者に居たのですけど。ダイヤを調べて建て直し策を検討しました。新幹線に乗れば当初予定に復帰できます。うんうん。早速車掌さんに、次の新幹線乗換駅の一ノ関に臨時停車して、私を降ろして欲しい旨強く申し出ました。車掌さんは仙台運輸指令に指示を仰ぎに機関車に行ってくれました。素晴らしい!!。10分くらいで「停車OKになりました」と言いに来てくれました。良かった!。その後はA個室寝台のデッキで鉄と無駄話をして時間を過ごしていました。6時前に車掌さんがやって来て、「一ノ関での切符の手配を連絡したいのでここまでの乗車券とこれからの乗車券を見せて欲しい」と言いに来ました。本来なら上越線・羽越線回りの乗車券を東北線回りの乗車券に変更するなど非常に複雑な救済発券が必要になるので当然のお申し出なのですが、今回は乗り放題の「三連休パス」でしたので何も手続きは必要ありません。車掌さんも安心して去っていきました。一ノ関到着10分前に再び車掌さんがやって来て「4号車から降ろすので一緒に来て下さい」と言いに来ました。一ノ関に到着すると、4号車の前に駅員さんが迎えに来ていました。営業開始前の時間なので当然の措置なのですが、これも鉄道では初体験でした。駅員さんに誘導されて、まだ開いていない改札を通り、無事に一ノ関駅前に立ったのでした。 良ければ一票お願いします。
2006/08/27
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海外旅行に行っていた一週間の遅れを取戻すために猛烈な勢いで更新を続けて参ります。続きです。前回は長野新幹線軽井沢駅までご報告しました。今回はその続きです。長野に行く必要は別になにも無かったのですが、上野から乗る夜行列車の発車までに時間的な余裕があったので、時間つぶしに乗ってみました。目的意識も薄いので、今回は駅撮りの車輌写真ばかりです。このデザイン、やはり美しくないなあ…。編成名はN11でした。以上は追いかけ撮りの分です。長野新幹線の便所と洗面所です。ここで携帯電話の充電を行いました。国内旅行をしている時には暫定レポートを書いたり、動画を撮影したりするので、やたらと携帯の電池を消耗してしまいます。このような電源のある特急電車は大変貴重な充電場所なのです。長野駅の様子です。この時長野市は豪雨になっていました。結局駅の外には一歩も出られませんでした。はー。結局長野では、信州そばを一杯食べただけに終わりました。うーん、無意味でした。次回は長野から上野に戻ったところから再開します。 良ければ一票お願いします。
2006/08/27
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「碓氷峠鉄道文化むら」を楽しんだ後に信越線の各駅停車で、再び高崎に戻ってきました。今回の旅行では高崎によくよく来たものです。書き忘れていましたが、「碓氷峠鉄道文化むら」では、入園券とトロッコ列車往復乗車券がセットになった「碓氷峠のトロッコ列車往復割引セット券」1300円を利用しました。晴れていればねえ…。満喫できたのですが。高崎駅の駅名板です。朝方は下に記載されている上越新幹線に乗りましたが、こんどは長野新幹線(北陸新幹線)に乗車しました。次の停車駅は安中榛名です。この安中榛名駅は新幹線駅のくせに「秘境駅」に指定された珍しい駅です。スペインに遊びに行ったりして時間が空いてしまったので、今回ご紹介している旅行の鳥瞰を行っておきたいと思います。ここまでは 東京→仙台 作並で交流電化50周年記念イベント参加 仙台→秋田 秋田から大宮まで「あけぼの」に宿泊 大宮→越後湯沢→直江津→長岡→高崎 碓氷峠鉄道文化むらを参観と進んで参りました。この後の予定は、 午後10時前に「あけぼの」に乗り込み宿泊 青森でスーパー白鳥95に乗換え 函館からドラえもん海底列車に乗車 この夏に閉鎖された吉岡海底駅参観 再びドラえもん海底列車で函館へ 函館から白鳥とはやてを乗り継いで帰宅としていました。しかし…、あけぼのが通過する羽越本線は土砂崩れのために不通になっておりました。あけぼのが遅れると、青森以北の乗り継ぎが不可能になり、悲惨なことに、旅行の主目的である、「この夏限りの吉岡海底駅」へいけなくなってしまいます。安全策を採るためにには、あけぼの乗車を避け、この日の17時前後のはやてに乗って、この日のうちに函館まで進んでしまい、翌朝は函館からスタートする必要がありました。この高崎駅で、決心時刻(安全策を採るか否かを決心しなければいけない時間)を迎えました。携帯電話でJR東日本の電話センターに「あけぼの」の運行状況を聞いたところ「遅れるかもしれないが大したことはない。乗り継げる」とのことでした。この電話で、安全策を採用せずに、当初予定通り「あけぼの」に乗車する決心をして、長野新幹線に乗り込んだのでした。結果は裏目に出ました。詳細は後日ご報告します。長野新幹線のエンブレムです。北陸新幹線開業を意識しているのか、長野色は全然ありません。そう言えば、このスペイン旅行でAVEという、スペイン版のTGVに乗ってきましたが、物凄く凝ったエンブレムでした。長野新幹線の乗車車輌の車号です。長野新幹線に乗車した目的の一つはこれです。峠の釜飯です。おぎのや謹製です。分かり難いですが、宮内庁御用達と書かれています。やっぱ美味しいです。軽井沢で下車しました。横川であれだけ碓氷峠を見せ付けられると、碓氷峠の逆サイドも見てみたくなったのです。軽井沢で見かけた「おぎのや」のマスコットです。余り可愛くないなあ。しなの鉄道です。軽井沢から篠ノ井までの信越本線は、長野新幹線開業時にJRから分離されて、しなの鉄道になってしまいました。軽井沢旧駅です。現在は記念館として保存されています。時間を調べずに来てしまいました。残念ながら営業時間が終了しており、内部には入れませんでした。今回はここまでにします。次回は軽井沢から長野をレポートします。 良ければ一票お願いします。
2006/08/27
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屋外展示車輌のご紹介は今回で最後にします。オシ17という食堂車です。あの忌まわしい北陸トンネル列車火災の火元車輌と同じ形式のようです。この車輌は数奇な歴史があるようなので案内プレートの説明文を引用します。<引用始め>第2次大戦後、進駐軍より返還された車輌台枠を改造した特急用食堂車である。軽量客車ナハ10系の車体構造を活かし、冷房装置・4人掛けテーブルなど以後作られた食堂車の基本となった。本車輌は昭和初期の2等寝台マロネ37に始まり、マハ47、マハネ37、マハネ29、マハ29等と実に7回も名称を変えている。食堂車として活躍した後、昭和49年に電気機関車用の教習車として改造されたオヤ17 1から復元され、その時の計器類が現在も車内に残っている。<引用終り>オハネ12です。10系客車の寝台車版です。この位の時代の車輌なら見たことがありそうですが、全然印象に残っていない形式です。スロフ12です。余剰12系客車を改造したお座敷列車でした。この車輌は内部に入れました。足の悪いお客用にサロンを用意するのは、現代のお座敷列車と共通ですね。ここで宴会をしたのでしょうね。揺れも手伝って割る酔いしそうです。もう1形式車掌車が留置されていました。まだ展示ではないようで、案内板は設けられていませんでした。SLは殆ど展示されていませんでした。これも時代の流れなんでしょう。SLの現役時代を知る人も少なくなっていますので。その数少ない一両です。D51の「ナメクジ」タイプです。D51は1000両以上製造された「標準貨物用蒸気機関車」でしたが、製作両数が多いので、微妙にタイプが異なります。このタイプはボイラーの上の機器を一体成形しています。この成形物がナメクジに似ているのでこのような呼ばれ方をします。以下は展示館の内部の様子です。余り大したものはありませんでした。暗かったので、カメラを置いて、タイムシャッター+スローシャッターで撮影しているので構図が制限されております。歯軌条入口という表示が凄いですね。いかにも国鉄らしい「お役所ちっく」な表現です。今回で碓氷峠関係のご紹介は終りです。この後に高崎に戻り、更に長野新幹線に乗車しました。次回は長野新幹線をレポートします。 良ければ一票お願いします。
2006/08/27
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続けます。今度は旧型客車を数両ご紹介します。スニ30という形式です。スというからにはちょっと重い客車だったようです。オハユニ61という形式です。木造客車からの改造車だそうです。ユという形式は現在では消滅していますが、郵便車という種別でした。その昔、郵便輸送(逓送)は鉄道で行われていました。鉄道で運びながら仕分け作業を行う形式が郵便車でした。多くの郵便車は当時の郵政省所有車であったようです。これも懐かしいお話になってしまいました。私は郵便の消印マニアでもあるのですが、昔は、大きな駅で投函すると、ポストから郵便物を回収する人が、一部の郵便物に消印を押さずに郵便車に持ち込み、郵便車で消印を押すケースがあったようです。これも珍しい消印としてマニアの間では有名でした。マイネ40です。白帯が巻かれていますが、これはその昔は一等車であることを示していました。イはいろはのイで一等車を指していました。ロが二等車、ハが三等車を示しておりました。 良ければ一票お願いします。
2006/08/27
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続けます。今度は動力車ではない車輌をご紹介しようと思ったのですが…。ソ300と言う貨車です。事業用貨車です。貨車なんで動力車ではないと思っていたのですが…、自走可能な形式だったようです。自重が154トンもあります。並みの機関車よりもよほど重い形式だったようです。こんなフォルムです。クレーン車みたいな形式だった訳ですね。強力そうな前照灯が取り付けられています。夜間工事のためなのかしら。軸重を減少させるためか、猛烈な数の車輪がついていました。そろばんのようです。橋桁架設用に全部で2両のみ製作されたという珍しい事業用の貨車でした。ナハフ11という10系客車も展示されていました。10系客車は20系客車に先立ち製作された鋼製軽量客車でした。車内は普通の急行型のようなアコモでした。10系客車が展示されているのは珍しいです。これは展示と言うよりも留置されているという状態のヨ3500です。汚いです。これから綺麗にするのかも知れません。 良ければ一票お願いします。
2006/08/26
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もう少し展示車輌のご紹介を続けます。電気機関車の展示が偉く充実していました。EF53の2号機です。EF59に改造され、瀬野八で使用されていた車輌を元の形式に戻して展示しているとのことでした。EF58です。かつての日本国有鉄道の標準電気機関車でした。EF65登場以降も寝台特急を引いているケースがありました。懐かしいです。EF80です。ヘッドマークは懐かしの「ゆうづる」でした。日本国有鉄道初の交直両用電気機関車でした。常磐線の直流区間と交流区間を通して走る列車に使用されていました。ゆうづる、はくつるとか、かつての東北方面の特急は、常磐線回りあり、奥羽線回りあり、バラエティに富んでいたものでした。EF70です。北陸本線用に投入された交流電気機関車です。余り印象は無い形式です。EF30です。関門専用に作られた交直両用電気機関車です。塩害腐食対策でステンレスボディの機関車でした。最後の画像は無残な状態の189系です。めがね橋のところに置かれていた車輌でしょうか…。 良ければ一票お願いします。
2006/08/26
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皆さんコメントありがとうございました。後でまとめてお返事します。マイスターさんからコメントいただきましたが、DD51の初号機はここで保存されているんですよね。結構有名なことではありますが、今でも日本中で使われている「標準DL」ですので、チーフデザイナーの方がご存知無くても不思議はないですよね…。さくさく続けて参ります。屋外に展示されていた車輌群レポートの続きです。今回は電気機関車群をご紹介します。左がEF62、右がEF15です。凄いヘッドマークをつけていますが、EF15です。EF15はEF58の兄弟分の形式で、かつての「標準貨物用直流電気機関車」でした。ヘッドマークはかつて運行されたミステリー列車のものなのかしら…。EF62の一号機です。EF63の兄弟分です。所属は高崎第二でした。EF60です。今は亡き「さくら」のヘッドマークが取り付けられていました。EF65の先祖に当たる形式で、デッキのないデザインの嚆矢になりました。最初は寝台特急に使用されていたようです、この形式の登場で瀬野八での補機使用が無くなったそうです。EF59の1号機です。瀬野八専用の補機です。碓氷峠に展示するのに相応しい形式です。全車EF53かEF56からの改造だったそうです。EF63と共に展示されていた謎の形式です。横川機関区所属だったのでしょうけど、どのような性格の車輌なんでしょうか…。 良ければ一票お願いします。
2006/08/26
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続きです。「碓氷峠鉄道文化むら」の屋外展示車輌をざらざらとご紹介して参ります。DD51の1号機です。量産型とは運転室の形状が違うのです。ちょっと丸みがかかっています。こんな塗装で運行していたのかは良く分かりません。もともとの横川機関区の留置線を用いているのか、線路が豊富で大量の車輌を置いてあるのですが、車輌の間隔がちょっと詰まりすぎでした。写真を撮りにくいのです。内燃機関車シリーズです。DD53です。ロータリー式の除雪車ですが、試作に留まり3両しか製作されなかった形式だそうです。日本国有鉄道の標準気動車の地位にあったキハ20です。今でも中小私鉄で走っています。先日茨城交通湊線で走っている姿をレポートした通りでございます。通勤型気動車という新境地を開こうとして製作されたキハ35です。これも、今ではJRでは殆ど走っていません(久留里線では走っている姿を見られるようです)。両開き3扉という通勤電車そのものの姿でした。行き先表示板には「日進」とありますが、川越線でも走っていました。私のキハ35のイメージは相模線です。私鉄では関東鉄道常総線で現役で走っています。簡単に見られました。5月の連休に見てきました。ちょっと短いですが、ここで切ります。 良ければ一票お願いします。
2006/08/26
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お久しぶりです。ご無沙汰しております。一週間ぶりの更新です。無事にヨーロッパから帰って参りました。背景色も通常色の黒に戻しました。ヨーロッパ滞在中は概ね一日一本の「暫定レポート」を作りましたが、通信費が高いので直接アップはしておりません。後日インターミッション代わりに東京からアップします。さて、前回の続きです。碓氷峠鉄道文化むらに展示されている、準鉄道記念物のDE42電気機関車です。昭和9年製の国産初の電気機関車でした。旧日本国有鉄道(鉄道省・鉄道院)の電化の最初は碓氷峠でした。強烈な勾配を制するために、電化が必要であったのです。このED42型電気機関車もアプト式時代の碓氷峠用に開発されたものです。昭和38年に碓氷峠のアプト式が廃止され粘着式の新線開業ともにこの形式は全車廃止されているそうです。その他の展示物です。この「碓氷峠鉄道文化むら」は横川機関区がそのまま残されています。機関区の諸設備を間近に目にすることが出来るのです。以上で機関庫内の展示物のレポートを終えます。次回以降は屋外展示車輌をレポートします。一週間のブランクを取戻すために猛然と進めます。でも、その前に床屋に行って来ます。 良ければ一票お願いします。
2006/08/26
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明朝の航空機で欧州方面に出動いたします。更新がしばらく停止いたしますけど、見捨てないで下さい。来週まで更新できませんのです。多分。ひょっとして海外携帯から更新するかも知れませんけど。ところで、☆・゜:*ひろ(☆0ω-`)りん*:゜・☆さんからコメントでご質問いただきました。《ご質問》あの 質問いいですか?青春18きっぷ等の事を教えてください例えば 金額 使用期間 使える範囲等色々聞かせて下さい《ご回答》発売期間や使用期間は限定されています。この夏の場合は、発売期間は平成18年7月1日~平成18年8月31日、利用期間は平成18年7月20日~平成18年9月10日に限定されています。お値段は、5回(人)分で11,500円です。分売不可です。子供料金もありません。その他の利用上の注意は以下の通りです。JR全線の普通列車(快速含む)の普通車自由席および宮島航路が利用可。1券片で5回(人)までご利用可。1回(人)分は乗車船当日に限り有効。グループでご利用の場合は同一行程が条件。集合駅まで(または解散駅から)は別に乗車券が必要。普通列車の普通車指定席をご利用時には別に座席指定券を、ライナー列車に乗車時は、別にライナー券または乗車整理券が必要。夜行列車など翌日にまたがる列車にご乗車の場合は0時を過ぎて最初に停車する駅まで有効。ただし東京および大阪近郊の電車特定区間内では終電車まで有効。特定区間外へのご乗車については、列車の停車駅パターンにかかわらず、特定区間内の最終駅から下車駅までの運賃が必要。IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道、北越急行などJR線以外の会社線を経由する列車に乗車時は、別に当該区間の運賃・料金が必要。津軽海峡線の蟹田~木古内間および石勝線の新得~新夕張間は普通列車が運行していないため、特例として当該区間内相互発着の場合に限り、「青春18きっぷ」のみで特急・急行列車の普通車自由席に乗車可。なお、特例区間外にまたがって乗車する場合は、乗車全区間の乗車券および特急・急行券等が必要。特急(新幹線を含む)・急行列車またはグリーン車等をご利用される場合は、乗車券と特急・急行券やグリーン券等を別購入要。なお、普通列車(快速含む)グリーン車自由席を利用時は、別にグリーン券を購入すれば利用可。グリーン車指定席は一切利用不可(ムーンライト高知やムーンライト信州81号のグリーンは使用不可)。さて、本編です。前回には「碓氷峠鉄道文化むら」に展示されていた碓氷峠越え(横軽)のスター列車であった「特急あさま・189系特急電車」をご紹介しました。今回はもう一形式のヒーロー形式のEF63機関車をご紹介します。これがEF63型電気機関車です。この機関車は碓氷峠専用に製作された電気機関車です。この横川機関区にのみ配置されていました。このような特定区間専用の形式としては、この「横軽=EF63」の他にも「瀬野八=EF67」があります。どっちも急勾配を制するために開発されました。新三菱重工製というのが、時代を感じさせますよね。運転台です。狭い。この電気機関車EF63は、電車や貨物列車の先頭に繋いで登坂力を補ったり、抑速力を強化したりしました。補助機関車(補機)と呼ばれていました。この機関車の運転台から、後に繋いだ編成全体の制御を行っていたのです。このような訳で非常に複雑な電線(ジャンパ線)を持っています。左下にたくさんの端子が見えると思います。特に下り勾配での暴走対策に腐心して設計されています。過速度検知装置や、特殊な回生ブレーキ、その他、ブレーキ圧低下時のためのロックシリンダ等の装備を持っています。ブレーキハンドルが2個着いています。電気機関車臭いマスコンです。細かなノッチが設定されています。運転台からの前方視界です。狭い…。無線機にも「横軽協調専用」と記入されたステッカーが貼られています。運転台から見た車体です。もう一形式ご紹介します。EF62です。走行性能的にはEF63と同じなんですが、本線走行用の機関車です。EF63と協調運転できる仕様になっています。電気機関車版の189系のような形式です。運転台です。EF63と違ってメーターが自車分しか無いのですっきりしています。運転台には小さな扇風機があるのみです。暑そうです。前方視界です。余り良くないですね。これが車体全景です。ヨーロッパに出発する前に碓氷峠を全部ご紹介したかったのですが、全然間に合いませんでした。碓氷峠では、ED42電気機関車を初め、珍しい保存車輌多数の写真撮影を行いました。続きは帰国後のレポートに致します。来週再開しますので、是非引続きお付き合いくださいませ。それでは行って参ります。背景色を不在モードに変更いたしました。 良ければ一票お願いします。
2006/08/25
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週末から再びファーストクラスで海外に出かけます。鉄路線からマイレージジャンキー路線に再び舵を戻しつつありますが、確定レポートはまだまだどっぷり「鉄」です。さて、続きです。まだまだ「碓氷峠鉄道文化むら」のレポートを続けます。初心に帰って入口からです。これが入口から見た園内です。正面の建物が、かつての横川機関区の工場施設です。この右側に留置されている車輌が189系特急電車です。入口に展示されている動輪です。アプト式の動輪です。アプト式とは何か?、次の画像をご覧下さい。こんなレールを走るのがアプト式です。レールの間に歯車のようなものが見えると思います。ここに歯車を差し込んで、ギリギリと急な坂を登っていく方式の鉄道です。これなら猛烈な勾配も何とかなりますが、弱点もあります。先ず、速度を出せません。次に、歯車が欠け易いのです。このような弱点もあるので流行しませんでした。現在では大井川鉄道の一部の路線でアプト式鉄道が運行されているのみです。旧碓氷線はアプト式で運行されていましたので、このような展示物があるようです。旧横川機関区の庁舎です。いかにも鉄道機関区という形状ですね。中は展示スペースになっていました。展示物は最後の方でご紹介します。漸く本題の列車にたどり着きました。189系特急電車です。碓氷峠は昭和38年にアプト式が廃止され粘着式の運行に改められました。しかし、それでも1000分の67という強烈な勾配が残りました。普通の電車が通過できる区間ではありませんでした。そこで、碓氷峠専用の補助機関車を用意し、電車特急の前に付けて、急勾配区間だけ牽引を行いました。電車を機関車が引くという形式ですので、機関車と電車を統括制御する必要が生じます。このような運転形式を協調運転というそうです。横軽通過のために電車の前に連結した補助機関車と統括制御を行う装備を積んだ車輌が製作されました。このような装備を積んだ形式は末尾を9とする系統に分離されました。 189系直流特急電車 169系直流急行電車 489系交直両用特急電車 EF63電気機関車などが、横軽通過用の形式です。車号表示です。クハ189-504でした。この特急電車の後には車掌車が置いて在りました。客室内です。普通の181系に近い印象です。この車輌は運転台にも上がれました。前面のスイッチパネルです。右下に「横軽」というスイッチがあります。何のためのスイッチなのでしょうか。速度計です。下りでは速度制限に気を使ったことでしょう。運転席の後方窓です。信号煙管が取り付けられていました。暴走事故対策に留意されている車輌なのです。運転席にも冷房装置がありました。後ほどご紹介するEF63とは大違いです。運転台です。電車の運転席にも灰皿が取り付けられているのが、時代を感じさせます。喫煙に寛容な時代だったのですね。外から見ると窓が小さいように見えますけど、前方視界はばっちりでした。この189系特急電車は、長野新幹線開業以降に大量に余剰を生じ、東日本各線で、快速列車や臨時特急として使用されています。この8月に乗り倒した「臨時快速ムーンライトながら91号」も「臨時快速ムーンライト信州81号」も189系でした。まだまだ現役の形式です。長野新幹線開業までは、このような特急電車が、ここ横川駅でEF63を連結し、軽井沢で切り離し、長野や北陸へ向っていったのでした。今は昔の物語でございます。次回は横軽のもう一つの象徴形式のEF63をねちーっとレポートします。 良ければ一票お願いします。
2006/08/24
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間もなく長期旅行に出発です。鉄道に乗れなくて寂しいです。出発までに碓氷峠関係のレポートを無理無理終えられないかしら…。続きです。前回はトロッコ列車の終着駅の「とうげのゆ」駅までレポートしました。この標識は「とうげのゆ」駅の近辺にあったものです。あと2キロメートル登るとめがね橋が見えるのですが、雨だったので止めました。これが「シェルパ君」の編成です。こんなディーゼルに押されていました。所属は横川と表示されています。最後尾の展望デッキです。往路の写真はこの展望デッキから撮影したものです。車内に飾られていたぬいぐるみです。何となく、JR北海道の「SL冬の湿原号」を思い出しました。客車のわき腹のエンブレムです。ポッポタウンと描いて在りました。復路もこの汽車で「ぶんかむら」駅まで帰ってきました。片道2キロ弱で900円です。結構高い運賃でした。線路終端部にはこのような水タンクを積んだトロッコが置いてありました。何に使うのかしら…。こんな感じで麓まで戻ってきました。次回は、礼儀みたいなものですが、「碓氷峠鉄道文化むら」入口に置いてある189系「特急あさま」をレポートして、更に横川機関区の模様をレポートして参ります。今回はちょっと短いですが、ここで切らせて頂きます。 良ければ一票お願いします。
2006/08/24
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トロッコ列車「シェルパ君」の続きです。非常にゆっくりした速度で坂を登っていきました。EF63です。非常に良い状態です。信越本線の旧本線の下り線を走っていきます。右に見えるのが旧上り本線です。上り本線は遊歩道になっています。この遊歩道でめがね橋までは少なくとも行けるみたいです。架線にかかる張力を表示する柱です。錘の位置で張力が適切かどうかを運転士が判断するそうです。やがて旧丸山変電所が見えてきます。この信越本線の横川=軽井沢間は国鉄で初めて電化運転が行われたところだそうです。強烈な勾配を力行し続けなければ行けなかった碓氷峠が最初の電化区間に選ばれたのは自然なお話です。丸山変電所は鉄道運行のために建設された変電所だったようです。明治45年の作品です。国の重要文化財です。「まるやま」駅です。ここで数分停車します。晴れていれば、ここで丸山変電所跡を撮影するのですが、大雨でした。車内からもう少しだけ撮影してみました。再び本線走行を再開しました。鉄道橋もこの通り、遊歩道に改装されています。この辺りから、日本国有鉄道の最大勾配区間に入ります。シェルパ君は楽々登って行きます。ちょっと驚きです。左側に勾配標識が見えてきます。66.7という数字が読めるでしょうか?。これが最大勾配の66.7パーミルの「証拠」です。ちなみにパーミルというのは1キロメートル進むごとにどれだけ高低差が生じるかを示す単位です。この場合は1キロ進むごとに66.7メートル登るという意味です。引続き雨が降っています。フィルタに着いた水滴が写っています。やがて線路が分岐します。右側が旧本線です。軽井沢まで続いています。シェルパ君は左に進みます。終点の「とうげのゆ」駅です。この駅の脇には温泉入浴施設が建設されていました。500円で入浴できるのですが、時間の関係で入浴は見送り、再び「ぶんかむら」駅を目指しました。今回はこの辺にしておきます。 良ければ一票お願いします。
2006/08/23
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凄い題名ですけど、今回は観光列車シェルパ君の車窓をレポートします。余り字は出てきません。大雨の中の撮影で、カメラのフィルタに水滴は付いてしまうし、そもそも暗いので余りよい絵ではありません。シェルパ君から見たEF63です。ここでは数両のEF63が動態保存されていて、時々本線走行しているみたいです。始発駅の駅名板です。「ぶんかむら」駅と言います。次の駅は「まるやま」です。国の重要文化財に指定されている、丸山変電所の近くの停車場です。「ぶんかむら」駅出発前に撮影した前方視界です。この観光列車「シェルパ君」は下りは客車を前にして機関車が押す形式で運行されます。そういう訳で前方視界をきっちり楽しめるのです。但し、雨の中の露天です。カメラが壊れないかと気が気ではありませんでした。出発直後です。この辺で、なにやら物が焦げる臭いが漂って来ました。蒸気機関車の香りです。なんでこんなところで…。トロッコ列車「シェルパ君」とは別にミニSLも運行されているのでした。このSLが、私が乗っていたトロッコ列車を軽快に追い越していきます。なお、このSLは「ミニ」ですが、ゲージは国鉄と同じ1067ミリのようでした。折角ですから連写してみました。間もなく、保存車輌展示地区が視界に入ってきます。この辺は急横川機関区関係の車輌のようです。左に目を転じると、一般保存車輌が目に入りました。保存車輌群は後の回で詳細にレポートします。今回はここまでにします。次回は「まるやま」停車場近辺と、碓氷峠旧本線の現状をレポートします。 良ければ一票お願いします。
2006/08/23
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皆さんコメントありがとうございました。横川=軽井沢は東日本の鉄道のある種の聖地でした(西日本の聖地は瀬野=八本松)。余りにも有名な鉄道スポット故、訪れたご経験のある方も多いと思います。レポートを続けます。これが現在の信越線横川駅です。昔と全然変わりません。横川駅は碓氷峠を越えるための専用機関車の連結と開放を行うための駅で、特に大きな町ではありませんでした。横川駅構内の横断幕です。この横川には、碓氷峠越え専門の機関車が配置されていた横川機関区が置かれていました。この機関区の跡地と碓氷峠の廃線を組み合わせた鉄道テーマパークがあるのです。横川駅前の「おぎのや」の店舗です。峠の釜飯はここでスタートしたようです。非常に人気のある弁当で、現在のおぎのやの拠点は別の場所に移動しています。なお、この日も釜飯を頂いたのですが、この時点では空腹ではありませんでした。後刻、軽井沢駅で食べました。釜飯画像のご紹介は後の回に致します。現在の横川駅前です。鄙びた雰囲気です。線路を挟んで駅舎の反対側にある「おぎのや」の建物です。ここで作っているのかしら…。更に、この近くにドライブインがあるそうで、このドライブインが現在の釜飯の拠点らしいです。でも行ってませんので写真はありません。横川駅から軽井沢方向にこのような線路が引いて在りました。線路沿いに進むとこんなものが目に入ってきます。これが「碓氷峠鉄道文化むら」の入口です。碓氷峠がアプト式で運行されていた頃の橋梁をイメージしているようです。テーマパーク入口付近に設置されていた記念碑です。刻苦70年…、凄い題名です。横川駅旧跨線橋の橋脚です。明治40年製だそうです。テーマパークに入りました。このテーマパークはいくつかの部分に分かれています。 (1)旧機関区の向上を利用した横軽関連車輌展示 (2)留置線を利用した一般車輌展示 (3)旧機関区庁舎を利用した鉄道関連展示 (4)ミニSLを運行する園内路線 (5)旧下り本線を利用した展望車運行 (6)旧上り本線を利用した遊歩道先ずは、旧下り本線を利用した展望列車に乗車しました。これが乗り場です。続きは次回にさせて頂きます。 良ければ一票お願いします。
2006/08/23
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今週末から遠出します。また更新が停止しますけど、見捨てないで下さい。さて、今回は信越線の高崎駅から横川駅までの移動をレポートします。信越線は高崎から軽井沢・長野・直江津を通って新潟に抜ける路線ですが、上越線が開通して以来分断されている状態でした。長野新幹線の開通で、平行在来線(軽井沢=長野 軽井沢=篠ノ井 )がJRから切り離されしなの鉄道になりました。また、横川=軽井沢の区間は廃止になりました。現在でもJRに残っているのは、高崎=横川と長野=新潟 篠ノ井駅=新潟駅 だけです。 →現在JRに残っている区間の記述に誤りがありました。 →ヒデオ1999さんご指摘ありがとうございました。高崎=横川間は長野新幹線開業以前は「はくさん」だとか「あさま」だとかの特急がガンガン行き交う幹線でしたが、今はド・ローカル線です。ちょっと古い115系で運行されていました。車内はこんな感じです。モケットは全部張り替えられていました。ちょっとは現代化されているわけです。ボックスシートをほぼ写界に収められているのは、FX01の広角28ミリの威力ですね。トイレの注意書きです。トイレが凄かったのでした。こんな改造を施されていました。大きなものを流せないように、口を小さくしてありました。安中駅周辺の車窓です。この辺りには大きな化学工場があるのでタンク車がたくさん留置されていました。こんなところを通りながら横川駅に到着しました。派手な駅名板です。横川駅の線路終端部です。旧信越本線はこのように「切断」されておりました。この横川駅の直ぐ近くに「碓氷峠鉄道文化むら」という鉄道文化施設というかテーマパークが開設されていました。今回の横川行きの目的はこのテーマパークでした。次回から、「鉄道文化むら」の模様をレポートします。雨中撮影で仕上がりは今一なんですが、展示物が非常に充実していたのでたくさんの写真をご紹介したいと思います。 良ければ一票お願いします。
2006/08/23
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いやあ、暑いです。暑すぎてブログの更新も遅れ気味になってきました。先週の急速更新ペースからは大きく遅れていますけど、続けます。快速「くびき野」で長岡駅に着いた所からです。長岡市は巨大な花火大会が開催されるので有名な街です。ここでも「あけぼの」関連の掲示がありました。長岡駅の新幹線ホームです。16両編成の車輌が発着できる巨大なホームです。この長岡駅で駅弁を購入しました。中越地震復興弁当です。渋い…。こんな内容でした。中々美味しい弁当でした。この長岡から高崎まで上越新幹線で南下しました。二階建て新幹線のMAXときに乗りました。一階席を確保しました。一階と二階の境目の階段部分です。この連休から新幹線のゴミ箱の使用が再開されていました。最後はMAXときの便所です。ちょっと没個性かなあ…。こんな感じで高崎まで移動しました。高崎からは信越本線に乗って横川駅に向いました。次回は信越線の今をレポートします。 良ければ一票お願いします。
2006/08/22
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前回は「はくたか」外観をご紹介しました。今回は車内をご紹介します。こんな車内です。いたって普通の683系なのです。160キロの走行はとてもスムーズでした。きつい揺れも無く、なんとなく普通の新幹線みたいでした。揺れないのでスピード感もありません。新幹線に目が慣れてしまっているので、車窓に恐怖感もありませんでした。この「はくたか」を直江津で降りて、こんどは快速「くびき野」に乗り換えました。この「くびき野」は信越線を走る快速で日中走行で485系で運転される定期快速です。ダイヤ的にも殆ど特急です。運転区間が「北越」と重なるのですが、表定速度も殆ど同じです。先ずは便所関係です485系ですが、アコモは改善されていました。和式大便器はそのままですけど、小便器とか洗面台は交換されているようです。客室はこんな感じです。床のかさ上げがなされていました。これははじめて見ました。特急運行では考えられない…。もともとは余り新しくは無い485系です。ステップを潰した跡がありました。オレンジに塗る必要も無かろうに…。485系とは言え、快速ですので、頭にあたる部分の布は取り付けられていませんでした。ここで特急と快速の差を出しているのでしょう。4週連続で乗ったムーンライトシリーズもこのような扱いになっていました。この列車で長岡駅まで進み、長岡からは再び上越新幹線に乗り換えます。私を降ろしたくびき野は新潟まで走ります。こんな列車でした。これで、特急料金不要の快速列車です。とても割安感のある列車です。青春18きっぷユーザーに是非お勧めしたい…。今回はここまでにさせて頂きます。 良ければ一票お願いします。
2006/08/22
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青春18きっぷに流されて、随分印象が薄くなってしまったかもしれませんけど、三連休パスのレポートを続けます。前回は初日の最後に寝台特急「あけぼの」に乗ったところまでレポートしました。あけぼのは57分の遅延で大宮に到着しました。今回は大宮到着以降をレポートします。notoshunの重大目的の列車は一日目と三日目に運行されました。二日目は特にやらねば成らぬことは無かったのです。いつでも乗れる定期列車に乗って過ごそうと思いました。大宮から高崎まで乗車した新幹線です。また200系でした。高崎で見かけた新MAXです。大宮から高崎に進み、ここで今後を悩んだのでした。この高崎駅は上越新幹線と長野新幹線の岐路に当たる駅です。この時点で選択可能なコースは、 (1)長野新幹線→篠ノ井線→中央本線 (2)長野新幹線→篠ノ井線→大糸線→信越線→上越新幹線 (3)上越新幹線→ほくほく線→信越線→上越新幹線でした。どのコースも魅力がありました。(1)は中央線の「あずさ」に始発から終着まで乗れます。(2)は大糸線でキハ52に乗れます。(3)はほくほく線で160キロ運転(在来最速)を味わえ、時間も余ります。あけぼのの延着が無ければ違う選択をしたかも知れませんが、今回は(3)を選んだのでした。高崎駅の掲示です。非常に心配でした。この日の晩も(二晩連続で)「あけぼの」に泊まるようにチケットを手配しておりました。「あけぼの」が遅れると、三日目の目玉の特急「ドラえもん海底列車」に乗り継げなくなってしまいます。上りは57分の延着でしたが、下りの遅延が1時間13分以内ならば、「ドラえもん海底列車」に乗れます。この高崎で朝食を頂いて、ほくほく線の運転上の始発駅の越後湯沢駅を目指しました。越後湯沢までは僅かに一駅でした。お世話になった車輌は旧MAXでした。「とき」での供用を考慮して朱鷺の絵が描かれておりました。あっという間に越後湯沢駅に到着です。これが越後湯沢駅のほくほく線の乗り場です。ほくほく線で乗った列車はこの「はくたか」です。越後湯沢から金沢まで疾走します。ほくほく線内では最高160キロで走ります。新幹線以外の鉄道では当然最速です。列車の横にはこのエンブレムがありました。JR東日本・東海・西日本の三社共同キャンペーンなのです。まあ、北陸は素晴らしい旅行先ですので、私はキャンペーン無しでも出かけますけど、東日本には北陸の素晴らしさを知らない方がまだたくさんいます。是非出かけてください。後悔しないと思いますよ。私の北陸レポートも参考にしていただければ幸甚です。 (3月実施)北陸二泊五日 (6月実施)北陸1泊4日これが先頭車両です。金沢での分割併合を考慮してこんな中間車です。和倉温泉に一部の車輌が向います。いよいよ出発です。 良ければ一票お願いします。
2006/08/21
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皆さん、ご声援コメントありがとうございました。夏の青春18きっぷの全行程を終えて、九州熊本から帰宅しました。あそ1962が大したこと無かったのが残念です。今までの全暫定レポートへのリンクを載せて置きます。確定レポートを書くのはいつ頃になることやら…。なお、自宅に戻りましたので背景色を通常のものに戻します。【第1弾】【出動】今晩のムーンライト信州で北に向います 【出動】今度こそ出発します。【暫定】ムーンライト信州81号 【暫定】信濃大町駅【暫定】トロリーバス 【暫定】黒部第四ダム 【暫定】アルペンルートの終端 【暫定】北陸本線普通電車 【暫定】快速くびき野1号新潟行【暫定】上越国境 【暫定】上越線湯檜曽駅 【暫定】上越線土合駅 【暫定】外房線長者町駅 【暫定】京葉線普通電車東京行き 【帰投】黒部方面より帰宅 【第2弾】【出動】青春18きっぷ第2弾です。【暫定】奈良駅【暫定】交通科学博物館 【暫定】大阪人権博物館 【暫定】京阪電車の二階建て車輛 【暫定】快速ムーンライト九州 【暫定】鹿児島本線門司港駅【暫定】下関市営索道檀ノ浦駅 【暫定】下関市営索道火の山駅【暫定】筑豊電気鉄道筑豊直方駅 【暫定】福岡空港さくらラウンジ 【帰投】福岡より無事に帰着しました。 【第3弾】【出撃】青春18きっぷ第3弾です!。 【暫定】ムーンライトながら91【暫定】紀勢本線津駅 【暫定】紀勢本線太地駅【暫定】快速きのくにシーサイド【暫定】和歌山線五條駅 【暫定】ムーンライト高知【暫定】土讃線琴平駅 【暫定】瀬戸大橋トロッコ号 【暫定】トロッコ車内 【暫定】東海道本線特別快速【暫定】東海道本線上り普通列車【帰投】快速と普通を600キロ乗り継いで帰ってきました。 【第4弾】【出撃】青春18きっぷ第4弾に出かけます。【暫定】根岸線山手駅【暫定】東海道線平塚・小田原間 【暫定】東海道線岐阜・西岐阜間 【暫定】梅小路蒸気機関車館【暫定】東海道線山科駅 【暫定】山陽本線岡山駅 【暫定】予讃線高松駅 【暫定】山陽本線下関駅 【暫定】鹿児島本線大牟田駅付近 【暫定】観光列車・あそ1962 【暫定】豊肥本線内牧駅 【暫定】豊肥本線宮地駅【暫定】鹿児島本線熊本駅【帰投】熊本から自宅に帰り着きました。
2006/08/21
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読者の皆さんには期待させてしまっていたのですが、熊本から自宅を目指して長い長い帰路に就きます。また、個室グリーンです。もちろん、東海道山陽新幹線の一般グリーンの比ではありません。超豪華です。4名個室を一人で占拠しております。寝そべっています。リレーつばめも有明も787系電車で、形式は一緒なんですが、有明の方がサービスレベルは断然下がります。レディは乗っていないし、ドリンクサービスはないし…。熊本でラーメンを食べたいばかりに、リレーつばめを有明に換えてしまいました。今回で夏の青春18きっぷを使った国内鉄道旅行はお終いにします。4週末連続の夜行ハザ連泊は疲れました。楽しかったですけどね。第1弾 ムーンライト信州⇒黒部アルペンルート⇒秘境駅2発第2弾 ムーンライトながら91⇒大阪交通科学館⇒ムーンライト九州⇒九州鉄道記念館⇒関門海峡徒歩横断⇒筑豊電気鉄道第3弾 ムーンライトながら91⇒紀伊半島大回り〈きのくにシーサイド〉⇒ムーンライト高知⇒瀬戸大橋トロッコ号往復⇒快速・普通を6百キロメートル乗り継ぎ第4弾 ムーンライトながら91⇒梅小路蒸気機関車館⇒ムーンライト九州⇒あそ1962〈往復〉流石に暫くは電車に乗らなくてもいいや、と言う気分になりました。この4週末で何キロメートル乗ったかなあ…。青春18きっぷですので、新幹線が入らないので、意外に乗車距離は伸びないのですけどね。4週末で4千キロメートルくらいかなあ…。三連休パス一回分くらいかなあ。写真枚数は膨大なものになりました。確定レポートを書くときは4つまとめて『夏の18きっぷ』というシリーズになりそうですが、回数の記録を更新するかも知れません。ちなみに、今のところの最高は、昨年の海外旅行3つをまとめた『notoshunの夏休み』でした。最後に、謝辞を。修理屋マイスターさん、昨日本日のたくさんのコメントをありがとうございました!。地元の方や土地勘のある方からのコメントはとてもありがたいのです〈釧路の時のmaman.mさんのコメントも有り難かったです〉。JRの皆さんにも御礼を申し上げたい。510円のムーンライトシリーズの指定券を発売日に確保してくれた駅員さん、ありがとうございました。皆さんのご協力なしには旅行は成立しませんでした。遅延時にわがままを聞いてくれた車掌さんたち、ありがとうございました。大阪交通科学館のツアーコンダクターをやってくれたお姉さん、ありがとうございました。あの車輛群に入れたのはとても感動しました。大阪に行って良かった。同行者にも感謝しています。土合で延々歩かせてごめんなさい。ちなみに土合の階段の脇のスペースはエスカレーターを設置するためのものだそうです。横見先生と菊地直江さんにも感謝しています。お二人の著作から実に多くの旅のヒントを得ました。快く写真撮影に応じてくれたつばめレディの皆さんもありがとうございました。後日皆さんの凛々しいユニフォームがblogを飾ることでしょう。そして、4週末50回の暫定レポートにコメントを付けて下さった皆さん〈特にmaman.mさん〉、読んで下さった皆さん、ありがとうございました。明日からは、マイレージジャンキーに戻ります。
2006/08/20
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軽い阿蘇観光を終えて往路と同様のあそ1962で熊本へ向かっています。画像は宮地駅構内の転車台です。あそBOYが運行されていた頃は、この転車台で86が方向を転換していたのでしょう。間もなく、立野駅です。
2006/08/20
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JR九州熊本支社がこの夏から投入した新しい観光列車『あそ1962』号には豊肥本線阿蘇駅までお世話になりました。コンセプトが不明確で、あせBOYの後継としては力不足感濃厚でした。云いにくいのですが、『しんぺい・いさぶろう』の敵ではありませんでした。恐らくこの列車は新幹線開通までのつなぎで、九州新幹線全通時に満をじして新たな観光列車を投入すると見ました。熊本支社さん、私の読みはどうですか?。さて、阿蘇駅からは、あそ1962号に合わせて運行される『あそ1962バス』に乗って内牧温泉に来ました。ここには9箇所の外湯があります。いい湯でした。温泉は良いですなあ。ふやけてます。夜行列車の疲労が溶けて行くようです。大浴場にお客さんは誰も居ません。貸切り温泉です。今まで温泉には不満がありました。それは浴槽も浴場も撮影出来ないことでした。流石に、見ず知らずの方々の裸体を撮影する訳には参りません。しかし…。貸切り状態の今なら!。私のブログ初の浴場写真です。
2006/08/20
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今回の熊本行きの目的は、この列車だったのです。これより阿蘇まで移動します。
2006/08/20
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皆さん、おはようございます。九州北部は快晴です。maman.mさんからは、いつも天候を気遣うコメントを頂戴しておりますが、正に想いが通じたと言う感じです。現在私はリレーつばめ号で鹿児島本線を南下しています。もう、青春18きっぷの貧乏旅行に飽きました。JR九州は貧乏旅行には似合わない会社なんです。九州では特急に乗らねば勿体ないのです。極端から極端に飛びますが、今までの鈍行列車を止めて、今後は個室グリーンに乗ることにしました。JR九州の重厚なサービスを満喫しています。
2006/08/20
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日記日付は19日ですが、書いているのは20日早朝です。画像はムーンライト九州の交換の様子です。ムーンライト九州は始発の新大阪から終点の博多に至るまで、3種類の機関車を使い分け、2回機関車の交換を行います。新大阪から下関まではEF65が牽引します。これを切り離すところでした。この後、関門専用のEF81を着けて門司まで走り、門司でもう一度機関車を交換します。私は熊本まで速く移動したいので、門司で鹿児島本線を先行する普通電車に乗り換えます。
2006/08/19
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修理屋マイスターさん、丁寧なフォローコメントありがとうございました。早く良くなって下さいね。maman.mさん、コメントありがとうございました。まだご報告していないのですが、今シーズンの青春18きっぷはこの週末でおしまいなのです。高校生の「鉄」みたいな旅行は明日までで、その後は毎年恒例の「ファーストクラスジャンキー」になります。さて、今は予讃線高松駅でマリンライナーの出発を待ってます。度重なる車中泊疲れからか、今日は「壊れて」ました。はー。早朝、ながら91号を終点大垣まで乗らず、岐阜で降りて、娼館街を撮影し、 更に西に進み「携帯国盗り合戦」目的で宝塚へ行き、ここでターンし、東へ。今度は京都へ向かいました。物凄い筋の悪さ…。京都では、梅小路蒸気機関車館に行ったものの、雨に降られ、ろくな写真を撮れずに撤退しました。思い付きで「北びわこ」と言うSL列車に乗ろうとしたものの、時間的に乗り継げないことに山科で気付き、山科駅でターンし、再び西を目指しました。大阪で降りるつもりだったのですが、寝過ごし姫路で下車しました。食事をした後に、更に西へ向かい、岡山へ。何となく、讃岐うどんを食べたくなり、高松まで来てしまいました。全然シャッター数が伸びません…。青春18きっぷ旅行もネタ切れになってます。乗っていないジョイフルトレインが少なくなっております〈SLやまぐち号がまだですが〉今晩は、またムーンライト九州で夜を明かすつもりです。明日は熊本経由で阿蘇まで行ってしまおうかなあ、と思っています。今晩はしっかり寝て、態勢を立て直します。〔備忘記載〕横浜⇒岐阜 ながら91岐阜⇒米原 普通電車米原⇒尼崎 新快速尼崎⇒宝塚 快速宝塚⇒尼崎 快速尼崎⇒京都 快速京都⇒山科 新快速山科⇒姫路 新快速姫路⇒岡山 普通岡山⇒高松 快速高松⇒ 乗車中
2006/08/19
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山科から大阪に向かうはずが、ついつい寝てしまい、姫路まで来てしまいました。毒くらわば皿までとそのまま西に向かい、岡山まで来てしまいました。画像は岡山の路面電車です。ここまで来たら、四国高松まで行こうと思います。今日の夕食は讃岐うどんなりそうです。いきあたりばったりも末期症状です。
2006/08/19
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だめだめです。臨機応変じゃなくて「いきあたりばったり」になってしまっています。今は山科にいます。梅小路蒸気機関車館で、今日は「SL北びわこ」が運転されることを知って、京都駅に戻り指定席を確保し、米原行きの電車に乗ったものの、山科駅で間に合わないことに気付いてしまいました。はー。だめですねえ。やることが無くなってしまいました。そのうえ、チケットを整理していて、更に深刻な事態が発覚しました。明日の九州での移動のために確保したチケットが…、間違っていました。20日を買うべきところで、19日のものを買っていました。とりあえず、大阪に戻り、態勢を立て直します。画像は本文と余り関係ありません。山科駅を通過していく「トワイライトエクスプレス」です。乗りたいなあ。
2006/08/19
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現在は京都市内におります。京都は日本一の観光都市です。金閣寺、清水寺、御所、仁和寺、京都大学、何でもあります。しかし、古い寺も偏差値の高い大学も、「鉄」にとっては何の価値もありません。古い駅舎なら価値はありますけどね。京都での目的は、梅小路蒸気機関車館しかありえないのです。詳細は次の日記でレポートします。 →追記です。 →雨に降られて追加報告することができませんでした。
2006/08/19
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日記日付は18日ですが、書いているのは19日早朝です。先ほど、ながら91号を岐阜駅で下車し、ちょっとだけ撮影を行い、再び東海道線に乗って、さらに西を目指しています。早朝の東海道線はなぜか、長距離風の旅装の人がたくさん乗っています。18きっぷユーザーなんでしょうね。画像は岐阜駅近くの娼館街です。特殊浴場と言うらしいです。営業中はとても撮影出来ませんが、6時前の早朝なので人気もなく、安全に撮影出来ました。残念なのは、面白い名前のお店が全然ないことです。札幌すすきのを撮影した時は面白い名前の店ばかりだったのですが…。
2006/08/18
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皆さん、ご声援ありがとうございました。日記日付は8月18日ですが、書いているのは19日です。夜行列車でばかり移動していると、だんだん日付が曖昧になって来ます。横浜駅から『ムーンライトながら91号』に乗り込みました。同じ長距離列車に3週連続で乗ると云うのも芸の無い話です。1回位、定期ながらを入れれば良かった。根岸線の赤羽行き最終電車で大船から横浜まで移動しましたが、混雑の変化が面白いと思いました。大船では座れませんでした。混んでいたのです。もちろん、この時間ですから「満員電車」と言う訳ではありません。これが洋光台でガバッと空きます。暫くは閑散電車になるんですけど、石川町くらいから混み始め、桜木町ではラッシュ時なみになりました。根岸線のような短い路線でも、分断されているのですねえ。勉強になりました。ところで画像は、横浜駅に停車中の普通電車小田原行きです。指定席を確保していない人は、「ながら」より数分早く小田原に着くこの普通電車で進み、小田原から「ながら」の自由席に乗れます〈ながらは小田原まで全車指定席〉。そういう訳で、長距離風の乗客がたくさん乗っている普通電車なのです。間もなく小田原です。
2006/08/18
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今晩の汽車は『ムーンライトながら』にしました。今は、ながらに乗るために根岸線を東に進んでいます。画像は根岸線の山手駅です。丁度日付が変わる頃に横浜に着く筈です。今週もたくさん電車に乗れます。楽しいなあ。次の悩みは、何処で降りるかですね。
2006/08/18
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今週も青春18きっぷで出かけます。手元には、 ムーンライトながら ムーンライト信州のきっぷがあります。どちらに乗るか最後まで悩みそうです。また東京を離れるので、デザインテーマを変更しました。(8/18 21:10 追記)今度こそホントに出発します。出発日に朝にフライングで背景を変えてしまっていましたけど。
2006/08/18
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さて、今回は寝台特急「あけぼの」の車内の様子をレポートします。先ずは、データ系から…。 DE10 1646 機関車 DE10 1759 機関車 オハネフ24 27 女性ゴロンと オハネ25 218 開放B寝台 オハネ25 211 開放B寝台 オハネフ24 2 開放B寝台 オハネ24 553 B個ソロ オハネ24 552 B個ソロ スロネ24 552 A個シングル → A個シングルDX 客室種類名に誤りがありました。 jiyma21さん、ご指摘ありがとうございました オハネフ24 7 ゴロンと カニ24 109 電源車という編成でした。いつもは結構埋まっている汽車なんですが、この時はガラガラでした。羽越本線の不通は皆知ってましたし(数日のことですから)、あけぼのが迂回で運転されることのアナウンスも急でしたので、全然きっぷは売れていない感じでした。こういう事情で、私がのったゴロンと以外の部分も写真を撮りたい放題と言う状況でした。先ずはA個室寝台「ソロ」 「シングルDX」 です。 客室種類名に誤りがありました。 jiyma21さん、ご指摘ありがとうございましたお値段は張ります。大きさは大体ビジネスホテルくらいでした。一応テレビがありますが、見られるのは車内で流している映画一種類のみです。室内照明もまあまあ高級感がありました。一回は泊まってみたい車輌でした。廊下も高級感がありました。B個室寝台「ソロ」です。ここも普段は満席確実な人気車輌の筈が…。ガラガラでした。大きさはカプセルホテル並みでした。車掌室です。この列車は車掌室が付いている車輌が3両も連結されていました。この車掌室の分散が、後日私の苦労に繋がるとは想像もしませんでした。私が宿泊した普通車指定席です。実質は開放B寝台です。普通の24系寝台車です。上段の大きな荷物置き場です。書き忘れていましたが、秋田駅で、無事に上段から下段への交換が出来ました。快適な下段で眠ることが出来ました。 上りあけぼの号秋田出発(音声)この日の迂回ルートが紹介されます。停車駅は僅かに大曲・大宮・上野のみです。大曲は本来ダイヤでは停まらない駅です。先ず乗降客はいないでしょうに…。このあけぼの号では、あっさりの寝付きました。しかし…、深夜目が醒めました。私は変わった体質で、寝台車が動いていると眠れるんですが、停まると起きてしまうのです。仙台で延々停まっていました。何故停まるかの理由に思いを馳せていれば、翌日もあけぼのに乗るなどと言うことはしなかったのですが…。まあ、もう一回寝まして、次に目が醒めたのは黒磯でした。黒磯通過の本来の時間など分かる訳がないのですけど。送れているなあ、という感じの時間でした。このあけぼのを大宮で下車し、新幹線に乗り換えるのですが、大宮駅到着は定刻よりも57分遅れでした。次回は二日目の朝をレポートします。 良ければ一票お願いします。
2006/08/18
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今週末も青春18切符です。いい加減なチケッティングで、ムーンライト信州とムーンライトながらと両方チケットを持っています。どちらに乗ろうかしら…。大糸線のJR西日本の非電化区間に乗るのも魅力的だし…。どうしようかしら…。さて、続きです。秋田駅からです。特急「あけぼの」は通常は青森のEF81が終点の上野まで列車を引っ張ります。この日は、羽越本線の不通で、通常の経路では運転できず、 奥羽本線 青森→横手 北上線 横手→北上 東北本線 北上→上野というルートでの運転となりました。本来あけぼのは緩いダイヤではありません(この辺りは金沢特急の緩いダイヤとは大違い)。しかし、迂回ルートは本来ルートよりも相当短いので、定刻到着は何とかなるかなあ、という感じがしました。この北上線(横手→北上)の区間は電化されていません。そこで、機関車の付け替えが必要になるのですが、横手で行わず、この秋田で機関車の付け替えを行いました。完全に日没となった後で、しかも大雨の中ですので、写真は辛いです…。この機関車に牽かれて青森から到着です。本来ダイヤでは、機関車の付け替えなんかありませんので、あっさり2分で発車なんですけど…。この機関車は直ぐに去っていきました。機関車が外れた客車です。ちょっと間抜けな感じです。「長く停まりますよん」というアナウンスがあったのでお客も降りてきて見物していました。なお、鉄比率は殆どゼロでした。10分近く待たされて、ディーゼル機関車登場です。連結直前です。なんとDE10の重連でした。所属は秋田でした。次回は「あけぼの」号の車内をレポートします。 良ければ一票お願いします。
2006/08/17
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前回まで、JR東日本仙台支社による交流電化50周年記念臨時列車2本「レトロ仙山」号と「583系仙山」号に乗車した際に見たり聞いたりしたものをレポートしました。作並温泉まで行って、仙台まで帰ってきたのです。この日の晩は、寝台特急「あけぼの」のゴロンとシート(B寝台を普通車指定席として販売するもの)で夜を明かす予定にしておりました。使いにくい上段しか開いていなかったので、まあ上段の指定席を確保していたのですが、当日になって下段の指定席が開いているかなあ、と考え、仙台駅でチケットの交換を申し出ました。仙台駅の駅員は機械をがちゃがちゃ弄っていましたが、「この列車は販売停止になっています。羽越線が不通で、昨日まで運休していたのですが、今晩から運行再開するらしいのです。しかし経路が変更になるみたいなんです。それで、列車が通過する駅でした販売できないように規制がかかっているのです」との由でした。「あけぼの」は正規のダイヤが生きていれば、青森→秋田→酒田→新津→長岡→大宮→東京と走行します。駅員さんのお話によれば、北上線を通るらしいとの由でした。もう秋田に出て判断するしかありません。幸い翌日は指定席は夜まで取ってませんのでフレキシブルに行動できます。多少の遅延はいいや、とにかく動けばいい、くらいの気持ちで、秋田に移動しました。東北新幹線で先ず盛岡駅に出ます。盛岡では、いつもの通り冷麺を頂きました。相変わらず美味しい…。秋田駅には夏祭りの飾りつけ状のものが展示されていました。秋田駅の「あけぼの」の迂回運行に関する掲示です。確かに北上線で運行するようです。早速駅員に状況を確認しました。駅員さんによれば「運行情報では定刻運行という『電報』が届いている。但し、初めての運行で定刻に上野に到着できない可能性は十分ある。経験的には20~30分の遅れは覚悟した方が良いだろう」とのことでした。羽越線を通る他の特急は当然のように運休になっていました。いなほの大半の区間は運休。日本海も運休。この日は運行日ではありませんでしたが、トワイライトエクスプレスも運休でした。発車案内板には定刻が表示されていました。駅員さんも「到着は定刻でしょう。青森から秋田までの奥羽線は全然問題ないですから」と言っておりました。ホームに下りて列車の到着を待ちました。「あけぼの」号は青森から東京まで延々と走る列車です。しかし、この列車には二つの性格があります。青森=秋田間にはそれなりの需要があり、「かもしか」という定期特急が走っています。「あけぼの」はこの需要の一部を背負っています。秋田=青森の区間では寝台客以外のお客も指定席特急券や立席特急券で載せます。車内販売も載せます。秋田=上野では寝台客(とゴロンとシート客)しか乗せません。車内販売もなくなります。こういう事情もあり、車掌さんも秋田駅で交代するのです。ホームでは秋田運輸区の車掌さんが列車の到着を待っていました。「遅れますかねえ」と聞いてみると「秋田発車は遅れます。機関車の付け替えを横手ではなく、ここで行いますから。北上線は電化されていません。ディーゼルに付け替えないと走れないのです。」とのことでした。うう…、遅れそうだなあ、と思いながら列車の到着を待ちました。続きは次回にさせていただきます。 良ければ一票お願いします。
2006/08/17
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