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皆さん、前回の日記にコメントをありがとうございました。南諏訪夜行に対して鉄道趣味人の方々からコメントいただけるだろうと期待はしていたのですが、梅宮辰夫さんの漬物店に対して、複数のご反応をいただけるとは予想しておりませんでした。修理屋マイスターさんからは「確か梅辰の漬物店は、鎌倉が一号店でしたね」と言う有益情報を頂きました。へええ、です。あの漬物店はチェーン店だったのですな…。さて、今回からは二日目のレポートです。「風林火山・諏訪フリーきっぷ」のフリー区間には小海線が一部含まれておりました。二日目は小海線をちょっと乗って、大河ドラマ「風林火山」のオープンセットを訪れたのでした。最初の画像は中央本線(中央東線)の小淵沢駅です。この駅から小海線が分岐しているのです。明治37年の開業の古い駅です。駅舎は開業時のままと言うお話です。かつては小淵沢町と言う自治体でしたが、市町村合併で、現在は北杜市になっております。駅前広場には「ようこそ北杜市こぶちざわ」の看板です。看板の向こうに見える稜線が美しい…。信州に来たんだなあという感じです。八ヶ岳の入口でもあります。中央線のホームです。小海線への乗換え階段のところに改札が設けられています。小海線の各駅は殆どが無人駅なのです。そんな訳で、この改札が必要になるんでしょうね。小淵沢駅の小海線のホームです。中央線のホームは、長大編成の特急電車を止めるために結構長く作ってありますけど、小海線ホームは短いのでした。小海線の車輌です。JR東日本のローカル線でやたらと目にする100&110系気動車でございますね。ちょっと「おチープ」な造りですが、走行性能は大したものがあります。短いキハ100シリーズで330馬力、長いキハ110シリーズでは420馬力の発動機を積んでいます。ちょっと前にご紹介した、JR東海のキハ75よりも強力な発動機を積んでいるのです。もう20系や40系とは比べ物になりません。JR東日本のローカル線は山岳路線や勾配路線が多いので、こんな強力気動車にしたのでしょうか。この100&110系気動車についても、水郡線に新しいE130系気動車が入り、トコロテン式に転属が生じています(水郡線は混雑が厳しい路線でして、2扉のキハ110系では厳しいので3扉の形式に置き換えるそうです)。水郡線の余剰110系気動車が東北各地に散って、キハ58やキハ52に取って代わってます。ちょっと憎らしい形式でもあるのです。小海線のエンブレムです。はっきり言ってセンスないです。所属表示は「長コミ(長野支社小海線運輸営業所)」です。その昔は中込運輸区と言ってました。さて、この小海線は中央本線の小淵沢駅から信越本線の小諸駅までを結ぶ78.9キロの短絡線でした。結構長い区間なのです。しかしながら、長野新幹線(北陸新幹線)開業時に信越本線の平行区間がしなの鉄道に分離されてしまいました。小諸駅は現在はしなの鉄道の駅なのです…。車号表示です。キハ111-111…。なんだか、可笑しいです。「小淵沢の名物は駅弁です」、と書いてありました。看板に偽りはありません。この規模の駅にしては種類が多くて、どれも美味しいという評判です。早朝に訪れたので、私は食べておりませんけど。小海線の前方視界です。非電化単線で急勾配が連続します。山岳路線色満載なのです。ちなみに、JRで最も標高が高いところを走る路線が小海線であり、最も標高が高い駅は小海線の野辺山駅でございます。今回は大河ドラマ「風林火山」のオープンセットを訪れるのが目的でございましたので、小海線は一駅しか乗りませんでした。甲斐小泉駅で下車いたします。この甲斐小泉駅周辺には「風林火山オープンセット」以外にも武田信玄ゆかりの遺跡がぽつぽつと残っております。何とも開放感がある駅でした。空の青さが眩しい…。単線本線が分岐していく線路群が美しい…。甲斐小泉駅の隣には、何故か、シルクロード博物館がありました。博物館の向こうには、美しい山並みが望めました。晴れている時の山間部は本当にいい風景がゴロゴロしています。駅の近くは銃猟禁止区域に指定されているので安心でした。今回はここまでにします。次回は甲斐小泉駅周辺の景色をご紹介いたします。信州は素晴らしい…。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/31
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8月の旅行の手配を精力的に行っています。実は鉄道旅行に飽きてきた(ジョイフルトレインに乗りすぎて、乗るものが無くなってきた)ので、再び飛行機で海外へと言う路線に戻します。先ずは手始めにベトナムを攻めます。さて、本題に戻ります。ここから先はフリー区間の乗り潰しです。最初に訪れたのは石和温泉駅です。今では特急がガンガン止まる(かいじですけど)立派な駅でございます。石和温泉駅の前にある、梅宮辰夫さんのお店です。人形が恐い…。それにしても漬物店というのが梅宮さんらしいです。石和温泉駅から再び甲府に戻りました。この画像は、長野色の115系です。中央本線には八王子支社の115系と長野支社の115系が走っています。支社によって色が違うのです。これまた中央東線の顔でございますね。E257系です。非貫通タイプです。房総半島のE257系とは全然印象が違うのです。房総のE257系にはグリーン車がないのですが、中央東線のE257系には半室ですけど、グリーン車が付いております。こっちは貫通タイプのE257系です。印象は房総半島の物に似ていますけど、色が違うので全然違うかな…。甲府駅構内に置いてあった鐘です。「かふふ駅の鐘」だそうな…。随分和風のデザインです。ミニチュア梵鐘みたいです。これも甲府駅構内での撮影分です。JR東海の313系です。甲府駅には身延線が乗り入れておりますので、JR東海の車輌を目にすることが出来ます。山梨・長野はJR東海との会社境界が目白押しです。これも甲府駅構内です。キオスクなんですが、看板が凄いのでした。「身延線内には車内販売はありません。当店が最終の売店です。是非ご利用ください。」……。インパクトがありますね。この画像も甲府駅構内での撮影です。EF640番台のツーショットです。茶釜がこんなところにもあるんですね。ちょっと前に高崎の茶釜(EF64-1001)を見ましたけど、雰囲気は大分違いました。甲府から特急で下諏訪駅まで来ました。下諏訪は諏訪神社でも有名ですし、精密機械工業でも有名です。後日、三角八丁をレポートする際に触れますが、諏訪神社のお祭りに用いるご神木のミニチュアみたいでした。この下諏訪駅には、駅構内に街中博物館が設置されていました。これです。鉄道関係の街中博物館なのです。展示品に統一感が乏しいのはご愛嬌ということで…。札幌、なんという文字が見えます。あまりご当地にはこだわっていない感じのサボ群でございます。車掌長とか専務車掌の腕章です。何だか懐かしいです。カレチも死語か…。下諏訪駅の駅名由来案内板です。長野支社管内の駅はこのデザインのケースが多かったです。以前に大糸線の白馬駅をレポートした際に駅名由来案内板をご紹介しましたけど、同じデザインですね。この当時は「風林火山号」が運行されていました。新宿を出て、中央東線を西に向かい、篠ノ井線を通って、長野に出るという経路なのです。隣の上諏訪駅です。その昔、中央東線には、新宿発0時10分の快速上諏訪行きがありました。青春18キッパーに愛されていた列車なのですが、これに乗って上諏訪では結構過ごしたものでございます。当時はホームに温泉がありました。ちなみに現在の季節列車の「ムーンライト信州」はこの快速の後身ではなく、かつての「急行アルプス」の後身です。速いのです。現在の上諏訪駅構内の温泉です。足湯になってしまいました。上諏訪まで来たところで、少し疲れてしまいました。弱虫なのですが、一旦東京に戻ることにしたのです。上りの「はまかいじ」号の自由席です。ガラガラでした。それにしても185系の車内は独特の雰囲気がありますね。初日分最後の画像は、切符券面です。横浜から甲府まで乗った、「はまかいじ」の指定席券です。検札印にご注目ください。東神奈川車掌区の検札印です。横浜線を通るので、横浜線を担当する東神奈川車掌区の車掌が、横浜駅から八王子駅まで乗務するのです。この検札印は私も初めてでした。次回から二日目の撮影分をご紹介いたします。二日目のターゲットは小海線です。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/31
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さて、今回は甲府駅で下車した後の撮影分をご紹介します。甲府駅の直ぐ脇に甲府城があります。この城郭は江戸時代に建設されたもので、武田信玄とは関係ありません。この建物は山梨県庁の旧庁舎です。県庁の建物は結構古いケースが多くて魅力的です。石川県庁旧庁舎や、愛媛県庁、山口県庁旧庁舎なんかはとっても良かった…。東京都庁は古いのは残ってません。グスン。ここからが甲府城です。天守閣の上に記念碑が見えますよね。その昔、山梨県が災害に襲われた際に、御用林の下げ渡しがあったそうな。それを記念して建設した記念碑だそうです。ご多分に漏れず天守閣はありません。城内では何故か、労働者の祭典「メーデー」をやっていました。もちろん、主催は連合でした。メーデーの司会者です。このメーデーが凄い。出し物は…。仮面ライダーショーでした。労働者の祭典と言うよりは、悪の秘密結社の祭典でございますね。これが、悪の秘密結社(名前は忘れました。私はショッカーしか知らないのです)の大幹部です。まあ、この種のお話で悪が栄えたためしはありません。仮面ライダーに成敗されておりました。勧善懲悪が貫徹でございますね。少しは政治色を出してくれると面白いのですが、もうデパートの屋上と何ら変わりはありません。メーデーも大衆娯楽の時代になっている訳です。シュプレヒコールくらい聞きたかった…。山梨の労働者の皆さんです。見上げれば、天守閣に記念碑でございました。せっかくですので天守閣に登ることにしました。天守閣の近くには、演武堂がございました。武家の施設らしいですね。山梨の少年が柔道の稽古をしておりました。演武堂と天守閣の記念碑です。狙った構図なのですが、逆光で台無しでした。天守閣から見下ろした山梨県庁旧庁舎でございます。このようなものを見ながら、甲府城を後にしたのでございました。甲府城の石垣を外から見た構図です。こちらは天守閣を城壁越しに望んだ構図でございますね。甲府にはこのくらいで飽きてしまい、フリー区間の乗り潰しに着手することにしました。とりあえずは、フリー区間の西端の下諏訪駅を目指したのでございます。今回はここまでに致します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH)JL0507 羽田-札幌 434+128=562マイル(JL) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/30
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北海道から帰ってきました。マニ30レポートにたくさんのコメントをありがとうございました。修理屋マイスターさんには「鉄道公安官」に触れて頂きました。懐かしいですね。鉄道ブロガーの大御所ibukino-johさんからは「銀河によく連結されていた」と言う情報を頂きました。はたとひざを打つ感じです。そうでしたか…。私は、現役時代のマニ30の走行シーンを一回も見た経験がないのです。そうか銀河か…。残念。もっと注意深く編成を見ていればよかったです。頻繁にご声援を頂いているheike-sakura-iseさんからは、称号に関するコメントを頂きました。旧日本国有鉄道の称号規定では、客車の形式は以下のルールで付与されることになってました。客車の場合は、最初に重量記号を付することになっていました。極端に軽量な客車の場合には重量記号なしのケースもあるみたいですけど、基準は不明確です。JR北海道にハテ8000と言う形式があります。 コ 22.5t未満 ホ 22.5~27.5t ナ 27.5~32.5t オ 32.5~37.5t ス 37.5~42.5t マ 42.5~47.5t カ 47.5t以上重量記号の後には用途記号を付します。 イネ 一等寝台(消滅) ロネ A寝台(かつては二等寝台) ハネ B寝台(かつては三等寝台) イ 一等座席車(消滅) ロ グリーン車(かつては二等座席車) ハ 普通車(かつては三等座席車) ミ 軍務車 ヘ 病客車 ヘセ 精神疾患の患者搬送車 シ 食堂車・ビュッフェ(客車ビュッフェってありましたっけ) テ 展望車 ユ 郵便車 ニ 荷物車(貨物車ではないのです、客車の一種です、消滅) ヤ 職用車 エ 救援車 ヌ 暖房車 ル 配給車 フ 緩急車カナ記号の後に二桁の数字を振ります。三軸台車装備車と二軸台車装備車で使い分けていたようですが、詳細は不詳です(私が不勉強なだけですな)。他にもあるかも知れませんけど、客車に関してはざっとこんなものです。このルールから、マニ30は「かなり重量がある荷物車」ということが分かります。ブルートレイン用の電源車には用途記号が振られていませんので、荷物車としてカニとかマニがたくさんあります。このようなケースは重い編成全体向けの発動機と発電機を積んでいるので重いのは当然なのですが、自車輌用の発電機しか積んでいないのに「マニ」となっているマニ30は警備や防護のためにかなりの装甲を施しているのかなあ…。ちなみに、気動車の称号に関しては、以前の日記で既に触れています。宜しければご覧下さい。話は戻りますが、ちょっと前の「湘南電車型キオスクをご紹介した回」にたくさんのコメントを頂きありがとうございました。ワブ!さん、maman.mさん、ゆきさん1122さん、MoToDAMMさん、heike-sakura-iseさん、しゅう_shuさん、マービンガーデンさん、のごめさん、はりきゅう884さん、mama-gooseさん、ひでわくさんさん、ありがとうございました。中でも、mama-gooseさんからは「常磐線水戸駅のフレッシュひたちもどきのキオスクも有名です!」と言うコメントを頂きました。そうなんです。水戸駅にも素晴らしいキオスクが存在するのです(1・2番ホームの上です)。これです。これが、水戸駅にある「フレッシュひたち型キオスク」です。湘南電車キオスクの親戚も居るのでした。さて、ここからが本題です。前回は藤沢での撮影分をご紹介しましたが、藤沢から横浜に出て、特急「はまかいじ号」に乗ります。この特急は特定日運転で、一往復設定されます。横浜駅の京浜東北線のホームから出発します。各駅停車大宮行きの次が特急松本行きなのです。物凄く頻繁に列車が到着するホームです。乗降に時間を要さない185系の面目躍如です。こちらがヘッドマークです。葡萄とカモメです。甲斐と横浜でございますね。この特急電車は非常に変わった経路を辿ります。横浜駅から東神奈川駅までは京浜東北線(正式な線名は東海道本線ですけど)を通り、東神奈川から八王子までは横浜線を通ります。横浜線を通る特急は普段はこれだけです。ちなみに車掌は東神奈川車掌区でした。八王子から、塩尻までは中央東線を通り、さらに篠ノ井線に入って松本まで抜けます。時期に拠っては鎌倉始発になることもあります。この場合は、更に横須賀線と根岸線を通るのです。結構沢山の線区を走る列車なのです。車輌は185系です。確認してませんけど、多分、東チタ所属です。中央本線を通る185系列車はこれだけの筈です。勾配線区ですけど、大丈夫なんですね。185系と言えば、普通電車への供用を視野に入れていたので、窓が開くのです。特急電車でこの表示(窓から手や顔を出さないで下さい)は非常に珍しい…。こんな列車で先ずは甲府に向いました。大河ドラマ「風林火山」でもうノリノリでございますね。そこら中で「風林火山」関連の展示を行っておりました。せっかくですので、県民情報プラザで開催されていた「風林火山博」に行って見ました。武田信玄公の石像が出迎えてくれました。ここが「風林火山博」の入口です。残念ながら内部は撮影できませんでした…。今回はここまでに致します。次回は甲府城周辺をレポートします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) →新千歳往復の獲得マイルは火曜日に確定します。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/30
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皆さん、マニ30にコメントありがとうございました。maman.mさん、ご指摘の通り、あれは手宮にあります。場所は不変です。車両の保存状態にはかなり酷いものがありました。後何年展示できるのか…。さて、本日は札幌市交通局が開設している交通資料館に来ました。古いバスや路面電車などを展示しています。画像は明治期に製造された木造二軸車です。明治村の「京都市電」や函館の「はいから号」みたいな感じでした。この交通資料館は常時営業ではなく、特定日にしか開かないのです。ずっと来たかったのです。満足しました。今回のプチ北海道ツアーはある種の「予備日程」でして、これで完了です。これから東京方面に向かいます。当初アップ日時:2007/07/29 11:16:07 AM【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/29
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小樽を訪れた目的はただ一つでした。この車両を見に来たのです。マニ30と言う車両です。形式から客車の一種とわかりますが、なかなか変わった車両です。つい数年前までは鉄道マニアはみんな知っているけど、活字にしてはいけない車両でした。この車両は、郵政省所有車ならぬ、日本銀行所有車でした。現金輸送専用車両でした。秘密のベールに包まれた謎の車両だったのです。現金の鉄道輸送は数年前に廃止され、マニ30も、全車廃車となりました。そして一両だけ小樽に保存されたのでした。中にも入れました。詳細は確定レポートでご紹介します。当初アップ日時:2007/07/28 01:19:30 PM【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/28
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皆さん、湘南電車型キオスクへたくさんのコメントをありがとうございました。水戸駅にはフレッシュひたち型キオスクがあります。帰宅したら再掲します。さて、今は、JLの株優で久しぶりに北海道に来ています。飛行機自体久しぶりですね。これから小樽に向かいます。当初アップ日時:2007/07/28 09:56:34 AM
2007/07/27
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皆さん、コメントありがとうございました。やっと、長大シリーズが終わって新しいシリーズに入る訳です。その前に、前のシリーズにお寄せいただいたコメントをご紹介してまいります。のごめさんからは、今度の旅行に関して「豪華ですね。反応せずにいられませんでした。南米Fクラスは遠いので高いと思われるのですが、こういうチケットでも混んでいるものなのでしょうか。想像つきません。マイルもたまりそうですね。レポート楽しみにしてます。伊勢も情緒がありますね。」と頂きました。南米は遠いのです。24時間飛行します。エコノミークラスで移動するのには遠すぎるのです。Fクラスは直ぐに売り切れです。北米を旅行中のMERIDIANさんからも南米に関して「数年前に伊勢神宮、(外宮、内宮、おかげ横丁)鳥羽水族館など行ったので懐かしく拝見しました、伊勢湾では小船で島巡り、島内で真珠の加工、販売をしていました、処で南米旅行なさるようで、私は今北米旅行の最中ですので北と南に正反対の旅ですね、カナダより、ナイヤガラ、ホォールズの写真ブログに掲載してみました、お互いに体には気を付けての旅にしましょう。」とコメントを頂きました。ご声援ありがとうございます。どうかご無事な北米道中となりますように。常連さんのmaman.mさんからは「タップリと楽しませていただきましたが、それでもあと1回と聞くと、名残惜しくてなりません。津にも鳥羽にも、真珠養殖の場所にも昔行ったのに、「お伊勢参り」はしていません。ダムに行ったのは覚えているのですが・・・何というダムだったのか覚えていなくて残念です。「まっさか牛」も沢山いただいて美味しかったのですが、もっと味わうべきだったと後になって思ったりで、今行くと、若い頃とは違った楽しみ方が出来そうだなぁと、とても楽しく見せていただきました。」と頂きました。そうなんです。鳥羽周辺には素晴らしい観光ポイントが山盛りなんですが、前回の旅程では目標を鉄道に絞り、一切観光ポイントには参りませんでした。伊勢は一般的な旅行先としても素晴らしいです。juny4141さんからは、うどんに関して「そうですか・・美味しいと聞いては食べてみたい! 私は、鉄子さんになって鉄男さんと足を運んでみたいです。(2007/07/25 04:07:01 PM)」と頂きました。鉄子への道は開かれております。是非電車で出かけてください。日本には魅力的な食べ物や風景がたくさんあります。中三階級ユキさんからは、ヤフー動画に関する情報を頂きました。「あいかわらず「さすが!」って感じのステキなレポートですね。そういえばヤフー動画の鉄道遺産みたいののシリーズご覧になりましたか? 今はありませんが私、軽便鉄道っぽいのにとても惹かれます。」 まだ見ていないのです。今度のぞいてまいります。ゆきさん1122さんからご挨拶を頂きました。これに懲りずに是非またお越しください。55032さんからは丁寧なご挨拶を頂きました。「初めてお邪魔します。訪問ありがとうございます。」 こちらこそ、ありがとうございます。自己満足的な旅行写真ブログですが、宜しければまたお越しください。このシリーズはこの期間限定フリー切符を用いた旅行をご紹介します。その名も「風林火山 諏訪フリーきっぷ」でございます。三日間有効で9000円、安いです。出発地は何故か横浜市内に設定しました。後で触れますが、「はまかいじ」という特急に乗りたかったからです。フリー区間は中央東線の西側終端部です。東は勝沼ぶどう園駅、西は下諏訪駅までがフリー区間です。この中央東線に加え、小海線の小淵沢から野辺山までもフリー区間に入っています。この切符を握り締めて、NHK大河ドラマ「風林火山」に沸く甲斐信濃を走り回った訳です。最初の画像です。やはり出発が横浜(東海道本線を代表する駅ですね)なので、最初の画像は湘南電車にしてみました。お若い方はご存知ないかもしれませんけど、80系電車と言われる形式です。初代「湘南電車」でございました。日本国有鉄道初の長距離走行用の電車です。旧性能電車のラストランナーとして登場しました。登場は昭和25年でございました。車号表示です。クハ86023でした。この電車は近代的に見えますけど、旧性能電車でございます。吊掛駆動式だったのです。1983年まで現役で走っていました。所属表示は「東チタ」です。田町電車区でございます。東海道本線の長距離電車多数を擁した名門中の名門電車区です。皇室専用車のクロ157も田町の所属です。この建物は東海道本線藤沢駅のホームにあるキオスクでございます。湘南電車が偉大な歴史を作った藤沢駅にはこんなキオスクが設置されていたのでした。この後に東海道本線を東上し、横浜駅に参りました。次回から本格的にレポートをはじめます。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 元帥卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 62日 1時間 6分延びた寿命: 9日と11時間30分節約できた金額: 37227円(節税分 23473円)節煙本数: 2481本 248.18m 東京ミッドタウン【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/26
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長大シリーズ目次のその2です。写真的な成果では(94)の蒸気機関車が煙を吐いているショットがベストです。列車的には(98)以降の「花回廊オープニング号」がお勧めです。(75)第7旅程の出発(76)燕三条(77)F19編成入線(78)地震直後(79)F19編成車内(80)月潟駅跡(81)モワ51など(82)新潟交通の除雪車「キ116」(83)ナマズ(84)ブルドック(85)第7旅程の終り(86)外山恒一とE電(87)EL&SL奥利根号(88)D51蒸気機関車(89)SLで上越線(90)SLは水上駅へ(91)水上駅から(92)185系(93)SLはケム吐いてナンボ(94)第8旅程の終り(95)第9旅程の概要(96)新宿から新潟へ(97)新津駅(98)「こがね」車内(99)関川村観光協会(100)米坂線小国駅(101)小国駅から今泉駅(102)閑話休題/久間発言(103)米坂線羽前小松駅(104)米沢駅到着(105)山形花回廊キャンペーンの開始(106)羽前小松駅と今泉駅(107)第9旅程の終り(108)第10旅程(109)風っ子ビューコースター(110)たぬき(111)證誠寺(112)八剱八幡神社(113)風っ子くるり号(114)君津市長(115)久留里線上総亀山駅(116)亀山湖周辺(117)亀山湖(118)上総亀山駅での併結作業(119)第10旅程の終りに(120)最終第11旅程の概要(121)ムーンライトながら91号(122)関西本線(123)キハ11(124)護国神社(125)キハ75(126)名松線伊勢奥津駅(127)名松線・伊勢竹原まで(128)名松線家城駅(129)名松線・松阪駅まで(130)参宮線(131/終)大団円以上です。
2007/07/25
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長大シリーズを終えたので、早速ですが、リンク付きの目次を作りました。我ながらとんでもない分量になってしまいました。お勧めは(71)と(72)の藻谷浩介氏の講演です。これがこのシリーズの見所かも知れません。(1)プロローグ(2)先ずは木更津へ(3)入換作業(4)風っ子南房総81号(5)風っ子南房総1号(6)勝浦まで(7)ひな祭りメイン会場(8)勝浦市役所(9)勝浦集会所(10)遠見岬神社(11)安房鴨川駅(12)583系(13)583系の車内(14)朝の583系(番外)福島交通(15)こがね(16)455系急行電車(17)第一旅程の終りに(18)373系特急電車(19)身延線115系最後の日々(20)クモハ123-5043(21)西富士宮駅での撮影分(22)音声(23)身延線(24)クモハ123-601(25)閑話休題(備忘メモ)身延線のクモハ123(26)夜明け前の錦糸町(27)久留里線(28)風っ子南房総の入線(29)和田浦駅・太海駅(30)安房鴨川駅と風っ子南房総2号(31)第3旅程の終り(32)「ムーンライトえちご」のグリーン車(33)信越本線終端部(34)白新線(35)村上駅(36)おしゃぎり(37)後向き回送(38)坂町駅の転車台(39)村上駅の餅つき(40)キヤE193系(41)上りSL村上ひな街道号(42)喫煙車の最期(43)「あけぼの」の車号(44)「あけぼの」の車内(45)いなほ2号(46)吹雪(47)キラキラうえつ(48)酒田駅手前(49)酒田駅(50)陸羽西線(51)新庄駅(52)第4旅程の終り(53)石岡駅へ(54)鹿島鉄道石岡機関区(55)鹿島鉄道常陸小川駅(56)鹿島鉄道鉾田駅(57)鹿島鉄道石岡駅(58)茨城交通湊線勝田駅(59)茨城交通湊線那珂湊駅(60)常磐線東海駅(61)アトムワールド(62)第5旅程の終り(63)第6旅程のプラン(64)発動機故障(65)米坂線(66)米沢駅(67)利用拡大フォーラム(68)長井駅へ(69)長井駅から荒砥駅まで(70)車輌基地(71)藻谷浩介氏(72)藻谷浩介氏の続き(73)荒砥から今泉まで(74)第6旅程の終り
2007/07/25
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うひー、長かった。この長い長い旅行にお付き合いいただきありがとうございました。「JRグループ発足20周年記念・青春18きっぷ」を用いた大旅行も今回で最終回です。先ずは、軽く帰路をなぞり、感想などを書いてまいります。先ず、最初に帰路のレポートです。名古屋から熱海までは東海道新幹線にしてしまいました。青春18きっぷで普通電車に乗り過ぎて、特急欠乏症になっていたのです。新幹線の便所でございますな。こちらが新幹線特急券です。乗車記念印がN700系新幹線でございました。新幹線の中で食べた駅弁です。ちょっと狙いすぎが痛い感じです。熱海から先は特急「踊り子」で東京を目指しました。新幹線乗り継ぎ割引き狙いです。特急「東海」がある頃は使いでがあったのですが…。131回に亘るシリーズ最後の画像は185系特急の便所でございました。実は185系特急電車に乗ったのは、この時が生涯で初めての経験でございました。こうして東京に戻ったのでございます…。ちなみに、このシリーズで2734枚目の画像でございました…。お終いです。めでたし、めでたし。いやー、長い長いシリーズにお付き合いを頂き誠にありがとうございました。余りに大量の路線に乗ったので、乗車記録を掲載する元気もありません。あはは。このシリーズの第一回でご紹介した見出しというか、各旅程の紹介を再掲します。第一旅程:3月3~4日実施。千葉デスティネーションキャンペーンに沸く房総方面の快速列車を攻めました。目玉列車は、「風っ子南房総81号(初日)」、「風っ子南房総1号(初日)」、「ゴロンとなのはな」の3本でした。全部快速です。まさに青春18キッパー向けの旅程でした。第二旅程:3月11日実施。3月17日限りで運用が終了する、JR東海のクモハ123に別れを告げるべく、普通電車で富士駅に行って、身延線に乗りました。東海道を走る115系・113系もこの旅程が最後でした。第三旅程:3月12日実施。再び房総を訪れ、「風っ子南房総1号・2号・82号」を味わいました。第四旅程:3月17~18日実施。ムーンライトえちごを使って新潟方面に出動し、「SL村上ひな街道」を味わいました。この列車はD51-498という蒸気機関車で運行されました。車輌も素晴らしいのですが、村上市の相当血圧の上がった観光キャンペーンも味わえました。特別列車と観光キャンペーンのセットの神髄を味わったのでございます。天候には恵まれなかったですが、素晴らしい旅程でした。第五旅程:3月21日実施。3月18日のダイヤ改正後初の旅程。3月限りで廃止になる鹿島鉄道を味わいました。ついで、と言っては失礼ですが、茨城交通湊線にも乗ってきました。第六旅程:3月24日実施。山形キャンペーンの開始に先立ち実施された、国鉄急行塗装のキハ28+キハ58が、山形鉄道に乗り入れると言う団臨に乗ってきました。山形鉄道の車輌基地見学と記念公園付きでした。これまた満足感のある旅程に仕上がりました。ちなみに、非常に遠回りで山形鉄道に入りました。新宿から夜行で新潟に出て、新潟から坂町を通って米坂線で山形県に入りました。第七旅程:3月25日実施。燕三条駅で開催された「上越新幹線旧塗装F19編成車輌展示会」及び「新潟交通のクラシックバス引退記念車輌見学会」に参加しました。どちらもJR東日本の主催旅行でした。第八旅程:3月31日実施。第四旅程でもお世話になった、D51-498で運行された「SL&EL奥利根」号を味わいました。第九旅程:4月1日実施。山形キャンペーンの初日にたった一日のみ運行された特別列車「花回廊オープニング」号に往復乗車。この列車がこのシリーズでもっとも指定券確保に苦労した列車でした。乗客も濃かった…。日本の鉄道マニアの最高峰が集まった列車でした。乗客のほぼ全員が顔見知りでした。恐ろしい列車でした。沿線各地の観光協会が全力でバックアップしてくれたので、異常に盛り上がった旅程になりました。第十旅程:4月7日実施。久方ぶりに房総半島に出動し、「風っ子くるり(初日)」を味わいました。久留里線というローカル線に特別列車が走ると言うなかなか珍しいシチュエーションでした。君津市長が乗り込んできたりで、これまた盛り上がりました。第十一旅程:4月8日実施。本来は予備日程でした。予備日程を使わずに標的とした列車を全て制覇できていたので、最後はムーンライトながらで名古屋経由で三重県にでて、名松線を攻めました。振り返ってみると、遠くに行ってませんね。北は、酒田・新庄、西で鳥羽が最大到達点です。春のシーズンはダイヤ改正期に当たるので、消滅車輌を攻めたことも原因ですが、基本として、青春18きっぷで北海道九州は苦しいと言うのがあります。昨年夏は、ムーンライトながら+ムーンライト九州かムーンライト高知で延々と西に向ったのですけど、やっぱ疲れる訳です。更に、この春の青春18きっぷシリーズの感想として「日本のトップティアの鉄道マニアと交歓できたこと」がございます。JR東日本千葉支社のプラチナチケットを入手し、エリート「鉄」しか乗れない列車に乗れたことが大きい…。鉄道趣味の深さを目の当たりにしたシーズンでもありました。まあ、非常に充実し、楽しい日々ではあったのですが、消耗しました。一昨年は「ファーストクラスジャンキー」の日々であった訳ですけど、飛行機に飽きて、鉄道に回帰して約2年、流石に飽きてきました。飽きたと言うよりも、乗るものが無くなってきたのです。乗っていないジョイフルトレインが無くなってしまったのです。そんな事情で、しばらくは鉄道旅行を控えようかと思ってます。感動がなくなってきたのです。この次に、信州とか、福井の私鉄を攻めたりもしているので、当然レポートを上げて行きますけど、再び、海外旅行への情熱が帰ってきているので、リアルタイムは海外にシフトさせるつもりです。先ずは手始めに、夏の北米・南米をやりますけど、その後も海外が続きそうな予感がします。とまれかくまれ、皆さん、長期間のお付き合い、誠にありがとうございました。次回と次々回で目次付き見出しをアップして次のシリーズに進みます。次のシリーズは「風林火山 諏訪フリーきっぷ」での信州旅行をご紹介するつもりです。この旅行がまた充実してしまっていて写真が多いのです。何回費やすことになりますやら…。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/25
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皆さん、コメントありがとうございました。夏の旅行のチケッティングで興奮してまして、全然お返事がかけてません(太平洋線Fクラスを確保できました)。すみません。今年の夏休みは久しぶりに南米を訪れる積りになっております。2005年以来の凄まじい旅程になりそうです。後日レポートを作るのが楽しみです。いつもいつもご声援を送ってくださる、heike-sakura-iseさんからは「のーんびりと単線の旅。いいですね~~。」とコメント頂きました。単線旅行はいいものです。列車交換の待ち時間で写真が撮れるのが非常にありがたいのです。遅いですけど。お馴染みさんのマイスターさんにはキロ283についてコメント頂きましたが、あれが北海道流なんでしょうね。もう少し工夫すると、JR九州の787系並みの水準になるのですが…。セレブスタイルな旅・豪華客船クルーズさんからは「新お召し列車」のロールアウト情報をいただきました。いやあ、見てみたいですねえ。話題は変わりますが、今年も航空機のファーストクラスでの海外旅行になってしまいました。いつになったら大西洋航路に乗れるのか…。鉄道レポートを時々公開なさっているmama-gooseさんからは「ホントに地名(駅名)の読み方は難しいです・・・」と言うコメントを頂きました。何を隠そうレポートを書いている私も「まつざか」や「いせき」で変換を書けていました。お恥ずかしい…。yoチャンさんからは「松阪では焼肉を食べましたか?」と頂きました。青春18きっぷ使用中は、ついつい吝嗇になってしまいます。この時には松阪牛は見送りました。あれは凄い食べ物です。肉とは別の何かです。素晴らしいものでした。生涯で2回しか食べたことがありませんけど…。さて、今回は参宮線をレポートします。最終旅程である第11旅程は名松線をしゃぶり尽くすことでございました。名松線が終わってしまうと、もう、後はおまけです。さくさく行きます。このnotoshunにしては超長大シリーズとなってしまった「春の18きっぷシリーズ」も後2回で終了する予定です。3ヶ月もかかるとは思いませんでした。まあ、旅程が充実していましたから、写真が多くなるのは当然と言えましょう。プラチナチケットを次々に確保できるとは思ってませんでした。鉄の団結力は素晴らしい…。最初の画像はキハ75でございます。もちろん「快速みえ」です。鳥羽行きです。これに終点まで乗るわけです。松阪駅から先は流石に空いていました。このようにアコモデーションを撮影してもOKでございました。それにしても、気動車に見えない内装です。新特急風の気動車なのです。この「快速みえ」には指定席と自由席があるのです。近鉄とが賃子勝負をしていますので、このような措置になったのでございましょうね。公衆電話もついています。しかし、もう使えません。3月のダイヤ改正で使用が終わっています。そのうち取り外されるでしょう。携帯電話の普及で車載公衆電話も減少してきましたよね。トイレでございます。革命的な走行性能を誇るキハ75気動車ですけど、トイレは昔風です。天はニ物を与えず…。さて、もう参宮線に入っています。多気駅で紀勢本線から分岐して参宮線に入っております。快速「みえ」は、名古屋を出発し、しばらくは関西本線を走り、伊勢鉄道(関西本線と紀勢本線をショートカットする三セクです)を通って、紀勢本線に入ります。最後に多気駅で参宮線に入るという走行経路です。画像は伊勢市に到着したところです。この伊勢市には伊勢車輌区が隣接しています。「海イセ」はここのことです。こちらが車輌区です。日中の割には車輌が少ないです(ラッシュ時から帰ってきた車輌がもう少しいるかと思ってました)。キハ11と40系気動車ばかりでした。二見浦駅でございますね。妙に長いベンチが印象的でした。この辺りから伊勢湾沿いを走り始めます。絶景絶景。観光路線だよね、と言う感じの車窓でございましょ。この参宮線は戦前は大幹線でした。伊勢神宮参拝ルートだったのでございます。終点の鳥羽駅に到着したところです。参宮線は戦前は大幹線だったのですが、戦後は近鉄が電化による輸送力を背景に伸して行き、だんだん競争力を失っていきました。そんな中での「快速みえ」の投入だった訳です。「快速みえ」は大した列車ではありますが、近鉄特急が相手では中々辛そうです。鳥羽駅で見かけたキハ11です。参宮線も、普通電車はキハ11なのですね。JR東海の「標準気動車」の地位を確保してしまっています。JR東日本のキハ110よりは遥かに鉄道車両臭い形式ですので、まあ、嫌いではありません。JR東海の鳥羽駅です。かなり立派な駅舎です。JR東海の駅舎と繋がっているのですが、近畿日本鉄道の鳥羽駅でございます。名古屋からも大阪からも特急電車がガンガンやってきます。こちらも大した駅でした。駅前には鳥羽水族館の案内所がありました。この水族館も大したものらしいのですが、時間の関係で訪れることは出来ませんでした。鳥羽駅構内食堂の前に積み上げられていた、牡蠣の貝殻です。伊勢湾でも牡蠣が取れるんですね。東京では、東北北海道ものが多いのですが…。こちらは私の二回目の昼食です。名物の伊勢うどんです。太い…、汁が少ない…。そして、美味しいのでした。うんうん。鳥羽駅(近鉄側)で売られていた駅弁です。「牛ヘレ肉弁当」と記載されています。東日本の方には馴染みがないかも知れませんけど、関西では「フィレ肉」のことを「ヘレ肉」と表記するのです。この鳥羽が最大到達点になりました。ここから、再び「快速みえ」で北上し名古屋を目指しました。伊勢湾でございます。何かを養殖していました。牡蠣なのか、真珠(あこや貝)なのか…。長い間お付き合い頂きありがとうございました。次回の日記で「春の18きっぷシリーズ」を終了します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/25
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この「春の18きっぷ」シリーズもふと気が付くと129回目になってしまいました。もう最終旅程に入っているので、間もなく終わりますけど、既に今までの最長シリーズであった「夏の18きっぷ」シリーズの121回を超えております。一体何文字打ち込んだのかしら…。さて、今回も名松線の車窓レポートを続けてまいります。今回は最後の区間の家城駅から松阪駅までです。関ノ宮駅です。単線片面の小さな駅でした。伊勢川口駅です。この駅も単線片面でした。まあ、家城駅以外では列車交換も行いませんので、こんなものでしょう。道路橋の下を潜ります。高速道路かなあ。伊勢大井駅です。伊勢大井駅の線路とバラストです。長期間バラスト交換を行っていないようです。この薄いダイヤでここまでになるには何年かかったことか…。伊勢大井駅のホームです。単線片面ですけど、待合スペースがあるだけ、近隣の駅よりも立派でした。この周辺から平坦地路線色がいよいよ濃くなってきます。延々と直線が続きました。敷設時には人口密度が薄かったのでしょうね。井関駅でございます。この駅も単線片面ですけど、廃止された交換線とホームが残ってます。この点が近隣各駅と雰囲気を違えておりました。一志駅です。この辺りの駅は全部三重県津市になってしまいました。かなり大規模な市町村合併を2006年にやってます。一志駅周辺です。ちょっと人口密度がある感じです。近郊臭い風景になってきました。伊勢八太駅です。駅の周りに民家があります。伊勢八太駅周辺です。片面単線ではありますが、駅の周囲に民家があります。もう松阪市近郊なんですね(行政区分は津市ですけど)。松阪もさほど大きな街と言う訳でもないのですが、山間部のローカル線の雰囲気はもうありません。しばらく平穏な風景が続きました。眠くなりそう…。権現前駅です。ここから松阪市です。権現前駅のホームです。単線片面ですけど、ちょっと広い。権現前駅前後の線路の形状にご注目ください。昔は交換駅だったのでしょうね。妙な曲がり方をしています。建物が目に入る車窓が続きます。都市部が近いのです。上ノ庄駅です。この駅の次が終点松阪です。上ノ庄駅のホームです。日除けが大きいけど、やはり単線片面です。しばらく農村風景が続きます。右手のほうから紀勢本線の線路が近づいて参りました。特急がガンガン走る紀勢本線ですが、非電化単線なので、線路そのものはローカル線代表の名松線とあまり変わりないです。かなり長い間、紀勢本線と名松線が平行して走っておりました。途中で、キハ75の4連で運行される「快速みえ」とすれ違いました。今度は近畿日本鉄道の線路が平行し始めます。近鉄は電化複線です。もう全然都会的な雰囲気なのです。途中で、二階建ての特急電車(今でもビスタカーって言うのかな)とすれ違いました。ようやくのことで松阪駅に到着でございます。名松線は、運行されている車輌が新しいので、ローカル線の旅情はいま一つ不足気味ではありましたが、車窓をねっちり撮影できたので満足でした。三重県北部は観光資源が結構あるのですが、名松線では行き難いのですよね…。近鉄を使いたくなってしまいます。名松線の線名の由来についてご説明していませんでしたが、本来は松阪と名張を結ぶつもりだったのです。この区間は近鉄が結んでしまったので、名松線は伊勢奥津から先は建設されませんでした。このキハ11とも松阪でお別れでございます。松阪についてもまだまだ時間がありましたので、松阪から紀勢本線を更に南下し、参宮線を乗り潰すことに致しました。次回は参宮線をレポートします。【おまけ:過去レポート】青函海峡 (1)カメラの突然死 (2)函館市中心部への帰還 (3)函館駅周辺 (4)メモリアルシップ摩周丸 (5)朝市編 (6)市内散策編 (7)箱館ハイカラ號編 (8)市営谷地頭温泉編 (9)江差線編 (10)竜飛海底駅編 (11)竜飛海底駅編 その2 (12)体験坑道編 (13)青函トンネル記念館編 (14/終)青森編【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/24
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ちょっと古い話題ですけど、楽天ブログにフッタ広告が付くようになりましたですね。コメントにお返事を書こうとすると目に入る位置です。この広告で開発コストが出るのかも知れません。良ければ、クリックして上げてください。最近の私のブログのアクセス記録を読んでいると、何故か出版関係の会社から、ちょっと前に掲げた「機動隊観閲式」レポートにアクセスしているケースが多いです。何であんなものが注目を集めているのか…。喜界島レポートにもアクセスが多い一方、自信作の南米レポートは全然だったりもします。検索エンジン上の競争相手の強さに影響されているのでしょうか…。早速今回のレポートをはじめて参ります。今回も名松線レポートでございます。前回までで、名松線の末端駅の伊勢奥津駅を出発して伊勢竹原駅までをレポートしております。今回は伊勢竹原駅を出発して以降の画像でございます。伊勢竹原駅出発直後の車窓です。見事な水田です。このような地形だと耕作作業は大変でしょうなあ…。さすがです。伊勢竹原駅の次の家城駅に到着でございます。この家城駅は名松線で唯一の(紀勢本線の駅でもある松阪駅は除きます)有人駅です。この駅で車輌は夜を明かすそうです。この画像は家城駅到着直後です。駅員さんがやってきて、タブレットを受け取り走り去っていくところです。私がお世話になったキハ11-4号機です。しばらく家城駅で停車します。ここで列車交換を行うのでございます。岩泉線は全線一閉塞区間という寒い状態(列車交換は出来ません)でしたが、名松線は遥かにいい状態でした。同じ「特定地方交通線OB」であっても現状は結構差が出ているのでした。こちらが家城駅の駅舎です。古びていていい感じです。名松線はこれだけスーパーローカル線でありながら、ホームが新しい駅が多いのです。駅舎がある駅は少ない。家城駅くらいしか、ローカル線チックな駅がないのでした。別のアングルから撮影した家城駅の駅舎です。桜がきれいでした。うんうん。駅の前に大きな桜と言うのは絵になるもんですが、以外に少ない構図なのです。桜は雑踏に弱そうです。桜に見とれている間に交換列車が到着しました。交換列車もキハ11です。名松線はキハ11で塗りつぶされてしまった線区なのです。今一つ旅情に欠けるのも無理はありません。大糸線のキハ20国鉄標準色と比べると…(真冬に撮影した大糸線のキハ20でございます)。交換列車(こっちはキハ11-8でした)に早速駅員が駆け寄りタブレットを交換していきます。タブレット交換を二週連続で目にすると言うのも中々ない経験でしょうか…。キハ11の車内です。往路はハイキング客で一杯で、座れない方もたくさん居たのですが、復路はこの通りです。遠ざかる交換列車です。このまま伊勢奥津駅まで行くわけですね。マイ・デジカメのズーム能力で、思い切り引き寄せて撮影してみました。かげろうが立ってます。暑い日だった訳です。線形が昔風の家城駅でした。一線スルーにすらなっておりませんでした。速度を要求されないローカル線臭いショットです。今回はここまでに致します。名松線の車窓紹介も次回でお終いに致します。次回は家城駅から松阪駅までをレポート致します。【おまけ:過去レポート】釧路湿原(1)発端(2)往路(3)釧路空港(4)釧路駅(5)車掌車(6)客車(7)丹頂鶴(8)C11 (9)標茶駅(10)標茶駅構内(11)旧客(12)塘路駅(13)運転室(14)機関士席(15)釧路市内(16)まりも(17)寝台車(18)札幌市電(19・終)帰路【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/24
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今回も名松線レポートを続けます。名松線はやはり、ローカル線のエリートです。色々な方がブログで取り上げられています。凄いのが名松線専門ブログをやってる方が居ました。totoro2totoro2004さんと言う方で、「不撓不屈『名松線』」と言う名前のブログです。全然更新されていませんけど、迫力があります。もう一本ご紹介します。こちらも割と新しいレポートです。bosscoさんという方の作品でございます。「ローカル列車の旅@名松線」と言うお題でした。これも中々の力作でした。ところで、また楽天でトラブルだそうです。動画アップが出来ないみたいです。ううむ。速く復旧してくださいね!。今回は画像ばっかになります。名松線で松阪に戻る間中車窓をひたすら撮影しました。天下の「元特定地方交通線」である名松線の車窓をお楽しみください。復路(伊勢奥津駅→松阪)で最初に撮影した画像です。単行気動車の最後尾に陣取ってひたすらシャッターを切りました。山岳路線と言うほどのことはありませんけど、起伏に富んだ線形です。線区の最高速度は65キロに設定されているそうです。この辺りは杉の名産地だそうです。いかにも人工林という感じの杉林が続きます。美杉村という地名にも納得感がありました。落石覆いの中を通過中に撮影したものです。スピード感が出ていて、お気の入りの一枚です。伊勢八知(いせやち)駅に到着でございます。デカイ駅舎ですけど、無人駅のようでした。だんだん平地っぽい風景に変わってきました。伊勢鎌倉(いせかまくら)駅に到着です。単線片面の小さな駅でした。ローカル線にしては(ローカル線だからこそ)トンネルの多い線区なのでございました。線路はしばらく川沿いに走りました。またトンネル。平穏で長閑な区間が続きます。桜が美しい…。伊勢竹原(いせたけはら)駅に到着でございます。この駅も単線片面の簡素な駅でございました。今回はとりあえずココで切ります。まだまだ名松線の車窓を続けます。次回は唯一の有人駅の家城(いえき)駅から再開します。【おまけ:過去レポート】流氷見物(1)JR北海道「流氷ノロッコ号」(2)網走駅から知床斜里駅(3)網走駅と宿泊先(4)能取岬へ(5)網走監獄(6)天都山(7)涛沸湖と「オーロラ」ターミナル(8)観光砕氷船「オーロラ」(9)臨時特急「オホーツクの風」と北見市(10/終)北見薄荷記念館と帰路【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/23
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いやあ、参りました。職業上の理由で夏休みの予定が全然立っていなかったのですが、今更ながらJLの特典航空券を確保しようとすると、これが全然入らないのです。ううむ…。参ったなあ…。色々とJLにはきな臭い噂がありますので、早くマイルを使い切ってしまいたいのですけど…。さて、皆さん、たくさんのコメントをありがとうございました。キハ75は大馬力気動車として、電車並みのダイヤを実現した、パイオニア的な形式ですので、まあ、ファンも多いのでございましょうか…。さて、今回からいよいよ名松線に入ってまいります。今まで車輌をネチッとレポートしたことは何回かありますけど、路線をネチーっとレポートするのは初めてです。上手くいきますように。ちなみにほぼ同じ時期に名松線をレポートしていらっしゃるブログ記事もありました。マスター☆さんという方の作品です。下にリンクを貼っておきます。中々の力作ですので、こちらもお勧めです。 【18名古屋シリーズ・2】名松線ってご存知ですか?路線のご紹介と言いつつ最初の画像は車輌です。キハ11です。名松線もこの形式が走っているのです。行先は伊勢奥津でございます。名松線を全線走る列車と言う訳です。この名松線はローカル線の聖地の一つと以前の日記に書きました。日本国有鉄道時代の第二次特定地方交通線(廃止候補路線)に、輸送密度が余りに薄いとして、ノミネートされながらも生き残った線なのです。その理由は「代替輸送道路が未整備」だったそうな…。道路も整備されないようなところを走っていた訳です。木次線・三江線・予土線・岩泉線が同じ理由で廃止を免れています。そんな訳で、ダイヤも薄ければ、乗車人員も凄く少ない筈の名松線であったのですが…。私が乗車した時に限って、大混雑であったのです。涙。現在の伊勢奥津駅は津市の一部になっていますけど、昔は美杉村でした。聞いた事がある人も多いかも知れません。結構有名な観光地なんです。普通は近鉄で行くものですが、たまたま、この日は伊勢奥津駅集合でハイキング大会があったみたいです。ううむ…。そのような理由で車内が混雑していたことより、残念ながら、往路では撮影は殆ど無理でした。復路でねっちり撮影してますので、後日ご紹介します。これが終着伊勢奥津駅の駅舎です。もちろん無人駅です。立派な建物であるのは、駅が地元のコミュニティセンターの一部に取り込まれているからでありました。ここで、名松線の全駅をご紹介しておきましょう。松阪駅-上ノ庄駅-権現前駅-伊勢八太駅-一志駅-井関駅-伊勢大井駅-伊勢川口駅-関ノ宮駅-家城駅-伊勢竹原駅-伊勢鎌倉駅-伊勢八知駅-比津駅-伊勢奥津駅15駅43.5キロのちょっとした線なのです。一日8本往復の運行で、そのうち6往復は全線運行です。只見線よりも濃いダイヤです。ちょうど桜が満開の時期でした。たしかに桜とハイキングは食い合わせが良いですね。人気になるのもむべなるかな。駅舎をあわせた造りのコミュニティセンターです。美杉村のものでした。美杉村が消滅したこと自体に感慨がございますねえ。コンクリートの塊です。給水施設か、給炭施設か何かと思います。SL時代の施設の残骸だと思います。SL運行用の給水塔です。SL時代には転車台か、機関車線が用意されていたはずですけど、痕跡は見つけられませんでした。給水塔の足にはこのような川柳と言うか俳句が掲げられておりました。さびさびの給水塔がいい雰囲気を醸しておりました。もう一発、給水塔です。蒸気機関車というものは大量に水を消費します(予期せぬ長時間停車で水不足になって急遽給水を始めたのを見たことがあります)。石炭よりも頻繁に水を補給しないと走れなくなってしまうものなのでした。これが全景です。今度は駅舎や車輌を撮影してみました。車止めと車輌でございます。駅舎と車輌。花がきれいでした。車輌側から見た給水塔です。これも花がきれいでした。キハ11がいまいち似合わないですねえ。今は亡き美杉村の表示です。駅の近くの消防団の倉庫と火の見櫓です。コミュニティセンターの全景です。駅舎の正面です。やっぱ小さいですね。この日の昼食でございます。ハイキング大会に合わせて売られていたおこわ弁当です。結構美味しいものでした。そろそろ折り返しの時刻でございました。これがお世話になった列車です。「海イセ」所属のキハ11-4でした。伊勢奥津駅での撮影分は以上でお終いです。再び1時間ちょっとかけて松阪を目指す訳でございます。次回は復路の途上で撮影した車窓写真をねちーっとご紹介して参ります。美杉村forever!【資料:第9旅程】(95)第9旅程の概要(96)新宿から新潟へ(97)新津駅(98)「こがね」車内(99)関川村観光協会(100)米坂線小国駅(101)小国駅から今泉駅(102)閑話休題/久間発言(103)米坂線羽前小松駅(104)米沢駅到着(105)山形花回廊キャンペーンの開始(106)羽前小松駅と今泉駅(107)第9旅程の終り【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/23
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皆さんコメントありがとうございました。ANCIENT MARINERさんは熊野方面にいらっしゃるのですね!。熊野から那智へ抜けるルートは数年前に行ってしまったのです。和歌山県内は魅力的な観光地で一杯です。太地よし、白浜よし、和歌山市もよし、高野山もよしです。鉄道趣味人のibukino-johさんからは、またまた重大情報入りのコメントを頂きました。引用します。「ちなみに「まりも」は、今年10月のダイヤ改正で「利尻」「大雪」に引き続き、定期列車から臨時列車に格下げされることになってしまいました…」とのコメントでございます。チェック漏れでした。知りませんでした。これで道内完結の定期夜行列車は全滅ですね。号泣…。気動車に14系客車を挟むという強引な運用も、今後は臨時列車でしか見られなくなるのですねえ。同じく鉄道趣味人である、喜多山栄さんからは大糸線のトイレに館して追加情報を頂きました。これも引用させていただきます。「大糸線のキハ52からトイレが撤去された問題が本文中で紹介されていますが、これは「垂れ流し」式トイレを解決する対策が現地にないということなんでしょうね。素人目に考えてもローカル線で利用者も限られているのだから、車両基地に「バキュームカー」を横付けしてし尿を回収できないものかと考えてしまいます。」とコメントして頂きました。むべなるかな…。前の旅程のビューコースター風っ子のトイレ使用禁止に似たような事情なんですねえ。地上側の設備の問題…。確かに糸魚川ではしんどいかも知れませんけど、ちょっと高岡まで回送すれば何とかなりそうな気もするんですけどねえ…。常連さんのmaman.mさんにはまたまたタイプミスを発見していただきました。前回の日記で気動車の車号を説明した際に、誤った形式を引いておりました。あはは。ありがとうございました。これで、また少し、完成度が高まりました。さて、そろそろ本題に入ってまいります。前回は三重県の津駅周辺で時間調整中に撮影した画像をご紹介いたしました。「ムーンライトながら」紀勢本線で南下する経路を普通と快速だけで移動すると非常に負荷の大きな移動になるのですが、今回は名松線ですので、時間が余ってしまう訳です。名松線は紀勢本線から松阪で分岐します。先ずは津駅から松阪駅に向わねばなりませんでした。この区間の移動は、キハ75で運行されている「快速みえ」のお世話になりました。キハ75はJR東海がキハ58&キハ65の置き換えように投入した気動車です。登場から10年以上経過していますけど、まだまだ目新しい。この気動車は先ず馬力が違います。350馬力の発動機を1両に2台も積んでいるのです。2両編成で1400馬力と言う訳です。キハ28&キハ58は180馬力のエンジンでした。殆ど倍力で運行すると言う訳です。大変たくさんの乗客が居ましたので、車内のアコモは撮影できませんでした。車号表示だけです。初号機でした。画像がないのですが、車内は転換クロスシートで構成されております。2両編成のうち1両には便所が設置されております。311系や313系の内装に近い感じです。ローカル線をゆっくり走るという気動車の面影はありません。津駅を出発してまだそんなに走っていないところです。平行して近畿日本鉄道が走っております。近鉄は電化複線、JR紀勢本線は非電化単線なのです。普通ならば競争にならない(事実長い間近鉄の圧倒的な優位が続きました)のですが、JR東海側はこの大馬力気動車キハ75を投入して近鉄に競争を仕掛けた訳です。画像の左側に速度規制標識があります。95・85・80と表示されていますよね。非電化複線にしては高速度で運行できる訳です。ちなみに、このキハ75の最高速度は120キロに設定されています。近鉄ともいい勝負になっているかも知れません。いつ乗っても混んでおります。そんな事情から、この「快速みえ」には指定席が設定されております。松阪駅の手前です。流石にここまで南下すると、紀勢本線も鄙びた雰囲気を醸すようになってまいります。仕業ダイヤと運転台です。登場後10年以上経過している車輌ですので、運転台は余り今風ではありません。E231系以降の関東の車輌は「グラスコクピットの電車版」みたいな運転台が多いですが、キハ75はまだアナログ制御チックな運転台でした。こういう運転台は嫌いではありません。松阪駅到着時に撮影したものです。キハ75は「海ナコ」所属なのでございました。松阪駅でございます。時間(と金)があれば、和田金で松阪牛を食するところなのですが、名松線は運転本数が少なく、松阪牛を頂くことはできませんでした。次回からいよいよ目的の名松線に入ってまいります。引続きお付き合いいただければ幸甚です。【資料:第10旅程】(108)第10旅程(109)風っ子ビューコースター(110)たぬき(111)證誠寺(112)八剱八幡神社(113)風っ子くるり号(114)君津市長(115)久留里線上総亀山駅(116)亀山湖周辺(117)亀山湖(118)上総亀山駅での併結作業(119)第10旅程の終りに【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/22
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皆さん、沢山のコメントありがとうございました。juny4141さん、何回もご声援コメントをありがとうございました。前回の日記で称号規定に触れましたが、鉄道趣味人の大家ibukino-johさん(「鉄道雑談」の主宰者)から称号規定に関してコメントを頂戴しました。引用させていただきます。『称号規定に沿った形式命名。』気動車特急に関しても「ワイドビュー南紀・ひだ」に投入されている「キハ85」のように、2桁を使っています。他のJRグループの気動車特急を見てみると、北海道が261、263系で3桁、四国は2000系といった民鉄のような4桁を用いてます。JR東海の主力路線と言える、東海道新幹線でも国鉄時代からの番号・称号規定を踏襲し、300系はJR東の200系の次に採番、400系がJR東で山形新幹線車両で使われ、500系がJR西の新幹線で使われたので、なぜか600を飛ばして700系に至ってます。700系の次は800を使いたいのですが九州新幹線が800系を名乗っており、次の900は事業用車両で使っているので、700系をフルモデルチェンジした際には、どのような形式番号となるのかが考えものです。 (2007/07/22 06:18:43 AM)称号規定は、現在では死んでいます。もう有効ではないし、強制力もないのですけ。現在はJR各社が独自の称号規定を持っています。JR東海は大体国鉄時代に従ってます。JR東日本や西日本は概ね踏襲するものの一部変えてきています(特に電車は番号が足りないので)。また、JR東日本は全形式にEと言う文字を追加し、自社の形式であることを主張しています。鉄道ブログを続ける以上、称号(形式名)に触れない訳にも行きません。鉄道ファンにとっては常識なんですが、一般の読者のために、一部ご紹介して置きます。最初は今回話題にした気動車でございますね。かつて国鉄時代(181系気動車以前)は、気動車の形式名はカナ文字+数字2桁で示すことになっていました。最初に気動車関連の文字が出てきます。 キ 気動車(駆動用発動機を積んでいる) キク 駆動用発動機を積まず運転台がある キサ 駆動用発動機も運転台もないその次に、やはりカナ文字で用途や客室構造を示す文字を付けることになっています。気動車の場合は余りバリエーションがありません。全部カバーしている訳ではありませんけど、大体下のような感じになっています。 ロ グリーン車(座席車) ハ 普通車(座席車) シ 食堂車(含むビュッフェ、消滅してます) ニ 荷物車(消滅してます) ユ 郵便車(消滅してます) ヤ 事業用(営業運転用ではないもの全部) 他にありましたっけ…。気動車は寝台はなかったし、占領軍専用気動車もなかったし、展望車もなかった(かな?)し…。抜けているものがあればご指摘ください。カナ文字の後には数字二桁を付番することになってました。この数字の10の位は以下の意味を持っていました。 0 雑形式(他車種からの改造気動車等) 1~4 発動機を1台搭載している特急用ではない気動車 5 発動機を2台搭載している特急用ではない気動車 6~7 200馬力以上の強力な発動機を搭載している気動車 8 特急用気動車 9 試作車あるいは事業用気動車1の位は運転台の数を示していました(特急用は違いますけど)。 0~4 両運転台 5~7 片運転台まあ、気動車は基本的にローカル線で使用されるものですので、大編成は予定されていなかったのでございます。特急用気動車は別ですが、中間車(運転台がない車輌)は殆ど作られなかったのでございますね。このようなルールで採番されていましたので、このブログでも何回かご紹介した、 キハ52 → キハ58 は「発動機を2台積んでいる片運転台の気動車である」ことが分かりますし、夕張シリーズでご紹介したキハ40は「発動機を1台積んでいる両運転台の気動車」であることが分かる訳でございました。 →タイプミスです。発見者はmaman.mさんでした。 →ご指摘に感謝です!。もう一本ご紹介しておきたいコメントがあります。鉄道趣味人の喜多山栄さんからキハ11のトイレに関してコメントを頂きました。『トイレ問題』こんばんは。紀勢本線(多気~新宮)はJR東海におけるキハ58の最後の牙城でした。車両更新をするときにキハ11を紀勢本線に投入する際。問題になったのがトイレの問題だったんですね。当初、参宮線や名松線に投入されていた鋼製車にはトイレがついていませんでした。多気から新宮まで137.7キロ、各駅停車だと3~4時間かけて走っています。トイレなしではきついですね。トイレつきのステンレス車を併結することによって解決していますね。(2007/07/22 12:41:36 AM)トイレ問題をご指摘いただきました。これは実際に深刻な問題なのです。長時間運行する車輌で、しかも、気動車でございます。運転間隔は非常に薄いのです。トイレのために途中で降りたら、次の列車は2時間後、などと言うシチュエーションも普通に出てきてしまうのでございますね。そんな訳でトイレがない編成は不評なのです。飯田線は非常に長い区間を走るのですが、一部トイレがない車輌がございます。あんまり評判が良くないです。大糸線のJR西日本側の区間(南小谷~糸魚川)はキハ52で運行されているのですが、何を考えたのかトイレを撤去してしまいました。沿線には「大糸線にトイレを!」と言う立て看板が何箇所かに設置されて下りました。さて、ここからが本題です。前回の日記では紀勢本線の普通列車(キハ11の4両編成)で、亀山から津まで移動するところまでレポートしています。今回は津駅周辺をご紹介します。津駅の直ぐ近くに、三重県護国神社がございました。以前の日記で靖国神社をレポートしたことがございます(よろしければこちらをご覧下さい)。靖国神社は言うまでもなく、日本の軍人として戦い(正確には戦死だけではなく、戦病死や法務死も含まれてますが)亡くなられた方々を祀る神社でございますね。この靖国神社が東京本部とすると、全国のほぼ全県に支店に該当する神社が建立されています。多くの場合は「護国神社」と名乗っています。言わば「靖国神社三重県支部」みたいな神社でございます。こちらが本殿です。早朝と言うこともあり、人影はありません。いつ頃の建築かは不詳ですが、昭和期の作品のようですね。コンクリートが使われております。何となく荘厳な雰囲気がありました。三重県の戦死者はここに集まっている訳ですね。境内には慰霊碑は少なく、歩兵第133連隊のものくらいしか目に入りませんでした。慰霊碑ではありませんけど、石灯籠の足には「陸軍少年飛行兵戦没者為慰霊」とありました。靖国神社との関係からか、このような「総理大臣の靖国神社参拝を」という表示もありました。靖国神社については、国論が一致しませんねえ…。見るものを見てしまったので、三重県護国神社を後に致しました。こちらは三重県立博物館です。時間の関係で入館できませんでした。津駅に戻る途中で目にしたマンホールの蓋です。中部電力のものでございます。穴を穿ってあるマンホールの蓋です。雨水用かしら…。中央部のマークは津市のものか三重県のものか…。よく分かりません。一回りして津駅に戻って参りました。JRの駅名板です。こっちは近鉄の駅名板です。近鉄津駅は、名阪特急や名古屋賢島特急がガンガン通過します。一方のJRは、1~2時間に一本の「南紀」が通過する以外は、ローカルな気動車での運行です。まあ、キハ75による快速「みえ」も走ってはおりますが、やはり、名古屋=津間の輸送は近鉄のほうが強そうですね。今回はここまでに致します。この後、快速「みえ」に乗って松坂駅まで進み、いよいよローカル線の聖地の一つ、名松線に入ってまいります。宜しければ、引続き、お付き合いくださいませ。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH)過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/22
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前回は亀山までレポートしました。今回はその先です。早速始めます。最初の画像です。紀勢本線でお世話になった車輌です。キハ11系気動車です。日本国有鉄道の標準気動車は、キハ10系(今回乗ったものではないです)→キハ20系→キハ40系と入れ替わってくるのですが、民営分割の時点では、キハ20系もまだ残っていましたし、40系の中でも経年劣化が進んだものがそれなりにありました。そんな中で、JR各社は民営化直後に新系列の気動車群を投入せざるを得なかったのでした。東はキハ110、西はキハ120、そして東海は新キハ10系でございますね。JR東海は、割と、日本国有鉄道の称号規定に沿った形式命名が好きな会社でございました。国鉄では気動車は二桁ナンバーを付ける事になっていたのです。民営分割の時点でも非電化であった区間の各駅停車は当然輸送量は薄い訳です。当然のようにワンマン対応工事がなされていました。デフォルトでワンマンです。シート配置は、こんな感じです。両側に二つの方開きの扉が配置されており、両端部はかなり長いロングシートです。中央部に僅かなクロスシートが配置されている形式のセミクロスシートでした。この座席配置は、40系気動車や50系客車でよく見られたものです。こんなところも、伝統墨守のJR東海らしいです。トイレです。水を流して撮影してみました。所属は「海イセ」です。伊勢市駅のちかくの基地(伊勢車輌区)が本籍のようです。製造銘板です。気動車製造の名門、新潟鉄工所の作品でございました。新潟鉄工所は残念ながら経営破綻し、現在は新潟トランシスと言う名前になっているみたいです。4両編成での運行でした。ローカル用の気動車にしては大編成でございました。一番後ろの車輌がちょっと大きいですが、これもキハ11です。平成11年増備車はかなり外観が違うのでございました。こんな車輌で、紀勢本線を亀山から津まで進んだのでございました。津駅ですれ違ったキハ75です。強力なエンジンを積んで、平行する近鉄と競争するために投入した形式です。気動車ですが、電車並みの加速力があると言われています。こっちがJR側の津駅です。県庁所在地駅にしては、割と小ぶりです。こっちは近畿日本鉄道の津駅本屋です。名古屋と津の間の輸送は、JRと近鉄がほぼ平行して走っており、民営分割まではやや近鉄優位で推移してきました。やはり電化複線と非電化単線では競争力に差がある訳でした。現在ではキハ75で運行する「快速みえ」の投入等で結構差が詰まってきています。今回の旅程では名松線が目的でして、どこかで時間調整をする必要がありました。松坂で待っても良かったのですが、空腹でしたので、この津で朝食を食べて時間調整を行うことにしました。次回は津駅周辺での撮影分をご紹介いたします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/21
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また、更新の間隔が開いてしまいました。前々回まででご紹介してまいりました第10旅程に対してたくさんのコメントをありがとうございました。いくつかご紹介させていただきます。常連さんのmaman.mさんからはタブレット閉塞に関して「タブレット閉塞も、こちらを拝見するようになってからはじめて仕組みを調べてぼんやりわかったものの、以前は菊池さんと同様、ワッカをやりとりしてそれがどう面白いの?という認識でした。やはり分かると、より面白くなるものですね、一度「現場」を見てみたいものだと思ってしまいます。(多分さんざん目にしながら何も気づかずにいたのだと思うとちょっと悔しいです)」というコメントを頂きました。鉄道の保安設備と言うものは、事故の経験を積み上げて築き上げて来たものでございます。中でも閉塞は明治以来ずっと行われている保安措置です。線路を区切って小さな単位を作り(この小さな単位を閉塞区間と言います)、この単位に列車が居る時には他の列車の進入を許さない、と言う考え方ですね。タブレットと言うのは一種の通行証で、閉塞区間の入口で、この通行証を受け取らないと閉塞区間に入れないと言う閉塞の仕方です。閉塞区間の境界にタブレット閉塞器(通行証読み取り器兼通信機と思ってください)と操作員の配置が必須になってしまいます。現在では少数派です。現在の主流は、自動閉塞です。絶対停止方式に加え、予告減速方式も取り入れられています。列車の前方の閉塞区間に別の列車が要る場合に、減速信号(45キロ信号とか25キロ信号)を現示し、予め減速させる方式です。列車間隔を詰めるためには閉塞区間を細かく切って行きますので、こんな措置も必要になってくるわけです。先ずは各種閉塞の仕組みをご理解いただき、現地をご覧頂くといいですね。タブレット交換は懐かしいですが、速度規制の考え方がなく、とにかく停めるやり方なので、高速運転には全然向きません。いずれは消えていくやり方です。やはり見るなら今のうちです。記念スタンプについて、mama-gooseさんからコメントを頂きました。「「乗車記念スタンプ」初めて見ました。いろいろあるんですねー!」と言う内容です。JRではどの駅にも「無効印」はあります。使用済の切符を持ち帰りたいと申し出れば、この「無効印」を押印して渡してくれます。一部の駅にのみ「無効印」に加えて乗車記念印が配備されています。効果は無効印と同様で、使用済みであることを示していますけど、乗車記念印の方が旅情がありますよね。乗車記念印の配置は支社単位で考える見たいです。JR東日本で言えば、千葉支社に加え、長野支社の駅も持ってます。長野支社の乗車記念印は各駅の観光名所などの絵が入っていてきれいです。次々のシリーズでご紹介できると思います。「風っ子くるり」の車内設備関係でもコメントを頂きました。頻繁に応援コメントを頂いているheike-sakura-iseさんから「ストーブ周りの「仕事」の良さに惚れ惚れ・・ 据付金具の一つから、柵のステンレス・・ 良い仕事しているな~・・・」というコメントを頂きました。無造作に見えて、結構作りこんでいるのですよね。やはり、ストーブ自体が危険だし、幼児の乗車も多いですから…。そろそろ本題に入ってまいります。前回の日記では青春18きっぷ&「ムーンライトながら」で名古屋に入るところまでレポートしました。今回の日記では、名古屋から先をレポートします。名古屋到着です。定期列車の「ムーンライトながら号」は6時台の到着ですけど、私が乗った臨時の「ムーンライトながら91号」は5時台の到着でした。まだ暗いですよね。早朝の名古屋駅を通過していく貨物列車です。東海道本線は貨物でも大幹線です。でも、東京近辺では余り貨物を見られません。旅客線と貨物線が分離されてしまっているからです。神奈川県中部から西では、旅客列車と貨物列車が同じ線路を使うので、特急貨物(死語)がガンガン通過していきます。ムーンライトながらの次に乗車した列車は、関西本線の普通電車の亀山行きです。この前の旅程では上総亀山を訪れた訳ですが、この旅程では本家「亀山駅」を通過することになりました。5時41分と早いです。名古屋駅構内のライナー券販売機です。JR東日本ではライナー線用車輌は殆どありませんけど(E215系は不人気で3編成しか作られませんでした)、JR東海はライナー専用列車があります。いつか乗ってみたいものでございます。名古屋駅の駅名板です。JR東海の場合は駅名板に自治体の名前が入ります。風景印コレクターとしては大変ありがたい情報なのですが、JR東海以外では入らないケースが多いのです。隣駅表示も微妙ですよね。片側にしか表示がありません。この日の早朝の天候は濃霧でした。関西本線でお世話になった車輌です。213系の5000番台です。211系は大ベストセラーですけど、213系は仲間がそんなに多くはありません。民営分割直前の形式でして、名古屋近辺の他には、瀬戸大橋用に高松・岡山近辺に生息しています。車内はこんな感じです。転換クロスシートに両開き扉が片側に二つという配置です。出入口が二つでは苦しい、というのが最近の考え方みたいです。関西本線をひたすら西に進みました。終点亀山まで乗車し、ここで乗換えです。亀山駅で見かけたJR西日本の気動車です(キハ120)。関西本線は名古屋から(正確には)大阪のJR難波駅まで走っています。殆どの区間は電化されていますが、JR西日本の亀山と加茂の間は非電化なのです。亀山駅で紀勢本線の普通列車に乗り換えて、南を目指しました。今度は10系気動車の4両編成です。こんな感じの車内でした。今回はここまでにさせて頂きます。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/20
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みなさん、たくさんのコメントをありがとうございました。後ほどお返事させていただきます。今日は衝動買いしたDVD(Gガール)を見ていて更新が遅れてしまいました。あはは。さて、今日のお題はおなじみの列車です。「ムーンライトながら91号」です。何を隠そう、昨年は夏の青春きっぷシーズンに4週連続で乗った列車です。余り感動はないけど、安心感があります。この列車は、日本でいちばん有名な快速電車かも知れません。まあ、北海道の快速エアポートとか、他にも著名快速はありますけど。歴史もありますしね。ムーンライトながらになる前から、375Mとして青春18きっぷユーザーには有名でしたが…。臨時列車の「ムーンライトながら91号」は189系での運行です。定期列車の「ムーンライトながら号」は373系運行です。私、373系での夜行列車は嫌いなんです。非常に。デッキがないからうるさいのです。昼行なら許せますけど。こんな事情で189系で運行される「ムーンライトながら91号」の方がベターです。先頭列車種別表示幕はただの「快速」です。この辺りは臨時列車の扱いなんですねえ。ちなみに定期列車の「ムーンライトながら号」は立派な絵入り列車名入りの種別表示幕です。所属は「東チタ」です。昔の田町電車区でございますな。名門中の名門と言う訳です。今の名前は何だったか…。東京総合車輌センターじゃないし…。お馴染みの便所と洗面所です。出荷時からそんなに変わりません。でも少しは更新されている感じでした。3月18日のダイヤ改正以降は出発時刻が繰り上がって、23時26分になってしまいました。この電車で横浜に行っても…。23時57分出発になってしまうのです。ちなみに横浜の次の停車駅は小田原です。青春18きっぷを二日分使わないとだめなんですね。あるいは小田原までの普通乗車券を買うか…。まあ、色々事情はあるんでしょうけど、18きっぷユーザーにとっては厳しい変更でした。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/19
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今回から第11旅程のレポートを開始いたします。長い長い「春の18きっぷ」シリーズの最終旅程です。この旅程では、ムーンライトながら91号で名古屋に向かい、名松線を訪れます。「春の18きっぷ」シリーズでは、珍しい臨時列車を確実に乗り潰していく旅程を組みましたが、トラブル等で旅程が狂うのは良くあることです(特に私は)。そこで、1日分予備日程を設けてあったのです。ところが、春の18きっぷシーズンにはノートラブルで旅程を乗り切れましたので、余ってしまったのです。そこで、指定席の要らない、でも、中々乗り難いローカル線を攻めることにしました(木更津から東京に帰るグリーン車の中で旅程を決めました)。経路は簡単です。東京から名古屋まで東海道本線で西に進み、関西本線で亀山、紀勢本線で松坂に進み、ここから名松線に乗りました。名松線は単純往復で済ませ、再び松坂に戻り、紀勢本線で南下し、更に参宮線で鳥羽まで進み、ここでターン、名古屋に戻り、東海道新幹線で東京に戻ったのでございました。次回から本格的にレポートを始めますけど、前回の積み残し画像を一枚だけ掲げます。久留里駅で出発を待つ、普通列車「風っ子くるり号」でございます。キハ38側から撮影すると、普通列車という感じが致します。はい。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/18
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さて、皆さん、沢山のコメントをありがとうございました。房総半島の中ほどの上総亀山を訪れる第10旅程も今回で最後です。早速始めます。最初の画像は「風っ子くるり号」の乗車証明書です。鉄道マニアの中には乗車証明書マニア何と言うセクトもあったりします。notoshunは乗り鉄ですけど余り重視しません。続いて車内設備のご紹介です。これも北国の列車らしい演出です。達磨ストーブです。私の世代だと余り実体験がない代物なのですが(かつかつで石油世代です)、昔の鉄道を知る方には懐かしい代物でしょう。ビューコースター風っこの便所使用中知らせ灯です。このビューコースター風っ子にはトイレが付いていますけど、使用禁止になっておりました。理由は、汲み取り施設が木更津にないからだそうです。如何にもありそうな話です。幕張まで持っていかないとトイレの汚物を取り出せないので使用禁止にしているそうな。そんな訳で知らせ灯は張り紙で覆い隠してありました。はー。トイレの鍵の部分ですね。これもステッカーで貼り潰されておりました。動くトイレ専門写真家のnotoshunとしては悔しい限りでございます。こちらは「洗面所」と言う表示を貼り潰したものでございますね。ビューコースター風っこの運転台です。まあ、40系の運転台に殆ど手が加えられていない印象でした。客室内です。硬い椅子が余りグッドじゃありません。正直、この椅子で二時間乗れと言われたらひるみます。途中駅の久留里駅の駅舎でございます。クラシックでいい雰囲気です。久留里線は今でもタブレット閉塞を行っていることでも有名な線区でございます。実際の話、タブレット閉塞は減少しましたですねえ。駅名板です。対向列車が入線してきました。鉄道ファン垂涎の編成です。キハ37+キハ30の編成なのです。マニア以外には何の意味もないことですが、非常に珍しくなってしまった形式で、両者とも定期仕業では久留里線以外では見ることの出来ない形式なのです。だんだん終着の木更津駅が近づいて参りました。横田駅でございますね。そして、終着の木更津駅でございます。しつこく留置線に入ったところまで撮影しました。よく考えると、朝撮影したのと全く同じ構図でございました。木更津からは、快速のグリーン車で東京へと向ったのでございました。もちろん形式はE217系でございます。E231系に先行する形式で、余り仲間は多くはありません。最後は券面です。木更津車掌区とありますが、3月のダイヤ改正で登場した新しい所属でございます。こちらはホリデーグリーン券でございますね。C制の乗変でございました。以上で、第10旅程の「風っ子くるり号」初日レポートをお終いにいたします。次回から最終旅程の第11旅程をレポート致します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/17
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おはようございます。晴れましたですね、久しぶりに。どっかに出かけますけど、その前に、日記だけ更新して置きます。今回は、亀山湖から久留里線上総亀山駅に戻ってから撮影したものをご紹介します。上総亀山で出発待機中の「ビューコースター風っ子」でございます。貫通扉を開け放しにしておりました。暑さ対策のためと思われます。ビューコースター風っ子には冷房は無さそうです。夏場の運行では巨大な窓を開け放しにしてしまうので冷房不要なのでしょうけど、この時には巨大な窓は閉鎖されておりました。そんな訳で貫通扉を開放したのだと思います。上総亀山駅構内の花かごです。千葉県は花卉栽培で有名でございます。季節に応じて色々な花を楽しめる県なのです。別アングルからの「ビューコースター風っ子」でございます。トロッコ列車と名乗るだけあって、窓は巨大でございましょ。この日は、上り列車に入る定期列車が踏み切り事故のせいで遅れておりました。中々来ないのです。定期列車を待っている間にシャッターを切りつづけ、枚数が増えてしまいました。それにしてもヘッドマーク付きの状態で、貫通扉を開放している姿も珍しいですね。やっと定期列車が到着しました。一時間近い遅れでした。この定期列車の後に風っ子ビューコースターを繋がねばなりませんでした。風っ子ビューコースターが、線路の末端部に向けて進んで参ります。この後に折り返してキハ38で構成される定期列車の上総亀山方に連結される訳でした。こっちが定期列車です。ヘッドマークが取り付けられていました。定期列車の車号とエンブレムです。木更津・君津・袖ヶ浦と久留里線の沿線自治体の名前がありますよね。線路末端部からビューコースター風っ子が近づいて参りました。連結完了です。編成が完成しました。これで「風っ子くるり号」の出発準備は完了です。この第10旅程も次回でお終いに致します。次回は上総亀山からの帰路での撮影分をご紹介し、第11旅程に進みます。第11旅程では名松線と参宮線をレポート致します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/16
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検索サイトに拾ってもらうために、リンク付き目次を再掲しています。この回はそのうち消しますので、コメントはオリジナルの方にお願いします。この日記にコメントを付けて頂いても、コメントごと消すことになりますので…。=====================(1) 発端(2) ムーンライト信州81号(3) アルペンルートの始まり(4) 関西電力トロリーバス(5) 黒部第四ダム(6) 黒部湖遊覧船ガルベ(7) 殉職者慰霊碑(8) 黒部ケーブルカー(9) 黒部平(10) 立山トロリーバス(11) 室堂のみくりが池(12) 室堂の高山植物(13) 室堂の地獄谷(14) アルペンルートの終りに(15) 鉄子旅の始まり(16) 上越線湯檜曽駅への到着(17) 上越線湯檜曽駅下りホーム(18) 上越線湯檜曽駅から土合駅へ出発!(19) 上越線土合駅下り本線(地下ホーム)(20) 上越線土合駅の長い長い階段(21) 上越線土合駅の駅本屋関連の画像(22) 上越線土合駅の地上ホーム(上り本線)(23) 第1旅程の終盤移動 ~新宿へ~(24) 第1旅程の蛇足~外房線~(25) 第2旅程の始まり ~ムーンライトながら91号~(26) JR西日本の奈良線(27) 交通科学博物館の常設展示から(28) 交通科学博物館の常設展示の続き(29) 交通科学博物館の探検ツアーその1~キハ81特急気動車(30) 交通科学博物館の探検ツアーその2~80系湘南電車(31) 交通科学博物館の探検ツアーその3~スシ28食堂車(32) 交通科学博物館の探検ツアーその4~マロネフ59寝台車(33) 大阪人権博物館(34) 大阪人権博物館の続き(35) 関西彷徨(36) 夜の京都駅(37) 夜の新大阪駅のムーンライト九州(38) ムーンライト九州@下関駅~EF65の切り離し~(39) ムーンライト九州@下関駅~EF81の連結~(40) ムーンライト九州@門司駅~EF81の開放とED76の連結~(41) 鹿児島本線小倉駅(42) 鹿児島本線門司港駅(43) 鹿児島本線門司港駅の続き(44) 門司港レトロ~その1~旧門司三井倶楽部(45) 門司港レトロ~その2~水辺の風景(46) 門司港レトロ~その3~その他の洋館(47) 門司港レトロ~その4~国際友好記念図書館(48) 門司港~ノーフォーク公園~(49) 門司港~布刈公園~(50) 門司~関門人道トンネル入口~(51) 下関~関門人道トンネル出口~(52) 下関~火の山ロープウェイ乗り場へ~(53) 下関火の山ロープウェイのGIFアニメ (54) 下関火の山ロープウェイの案内放送の音声データ (55) 下関の火の山展望台の絶景(56) 下関~火の山から唐戸へ(57) 下関→門司のフェリーの入港(58) 関門フェリー「海大号」(59) 関門フェリー「海大号」の関門海峡航海(60) 門司~九州鉄道記念館~(61) 門司~九州鉄道記念館~(62) 門司~九州鉄道記念館の続き~ (63) 門司~九州鉄道記念館の続き~481系(64) 門司~九州鉄道記念館の続き~581系(65) 門司~九州鉄道記念館の続き~キハ07 (66) 門司~九州鉄道記念館の続き~セラ1型貨車と九州鉄道本社(67) 門司~九州鉄道記念館の続き~館内展示物(68) 黒崎から直方までの筑豊電気鉄道乗車レポート(69) 第2旅程の終り (70) 第3旅程の始まり(71) 名古屋から関西本線で亀山へ(72) 津駅で列車を待つ間に撮影した画像(73) 紀勢本線津駅から多気駅まで(74) 紀勢本線特急ワイドビュー南紀で多気から新宮まで(75) 紀勢本線の車窓(76) 紀勢本線関係の切符の券面のご紹介(77) 紀勢本線関係の続き~JR西日本の各駅停車~(78) 紀勢本線関係~太地駅その1~(79) 紀勢本線関係~太地駅その2~(80) 紀勢本線関係~105系電車の車内~(81) 紀勢本線関係~太地駅から串本駅までの車窓その1~(82) 紀勢本線関係~太地駅から串本駅までの車窓その2~(83) 紀勢本線関係~太地駅から串本駅までの車窓その3~(84) 紀勢本線関係~串本駅と白浜駅~(85) 紀勢本線関係~白浜駅での昼食~(86) 紀勢本線関係~きのくにシーサイドの外観~(87) 紀勢本線関係~きのくにシーサイドの豪華な内装~(88) 紀勢本線関係~きのくにシーサイドの豪華な客席など~(89) 紀勢本線関係~きのくにシーサイドとのお別れと和歌山駅~(90) 奈良県内の移動~和歌山線・関西本線・奈良線~
2007/07/15
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何だか、最近携帯からのアクセスが多いです。前にも書きましたが、私のブログの写真は携帯からは見えません。画像データを楽天サーバに置いていないからです(容量の上限が50メガしかないので…)。携帯からご覧頂いている方にお願いです。是非PCからも見てください。全然印象が違うはずです。このブログは写真がメインディッシュで、文章は写真の解説に過ぎないのでございます。それと、今日のちょっと前なのですが、海外からと思われる猛烈な迷惑コメントが参りました。その昔に書いた、ニューヨーク港に係留されている空母イントレピッドのレポートなのですが、何故か外国からの迷惑コメントを引き寄せます。カウンタの上限が255なので、今どの位累積しているかわかりませんけど…。さて、本題に入ります。前回の日記では、亀山やすらぎ館とか、特別弁当などをご紹介しました。今回は亀山湖に焦点を当ててまいります。亀山ダムは小櫃川をせき止めて作られた多目的ダムでございます。昭和50年に工事が始まり昭和56年から稼動しているとのことでございます。ダムとしては割りと新しい方でございましょうか…。この日はまだ菜の花が咲いておりました。今年の千葉の菜の花は、冬の青春18きっぷシーズンからずっと見ています。何ヶ月の寿命があるんでしょうねえ…。表紙用に何枚も撮影してみたのですけど、出来栄えはいまいちです。曇っているからでしょうか…。亀山湖畔での撮影分はこのくらいにしまして、早速亀山湖クルーズでの撮影分をご紹介します。湖はいいものです。撮影対象としてばっちりです。でも、曇っているとしんどいです。亀山湖はバス釣りの名所としても有名でございます。バス釣りのためのボートがたくさんあるのです。そんなボートのうちの数隻が観光クルージングをやっておりました。もちろん、「風っ子くるり号」の運行に呼応してのものです。普段の年は秋の紅葉シーズンのみの運行だそうな。亀山湖は谷川を堰き止めて作られた人造湖です。湖畔はもう山肌がぐいぐい迫ってます。こんな感じです。木の種類もバラバラでした。原生林と言う感じです。これなら紅葉シーズンは素晴らしい眺望になるでしょうなあ。こんな湖が千葉の山の中にあったんですねえ。知りませんでした。千葉県は奥が深いです。東京からこんなに近いのに。この辺が最大到達点です。港に戻ってくるところですね。クルーズから戻ってもまだ時間が余ったので、さっきの「亀山さすらぎ館」で売られていた巻き寿司を買って頂きました。農家のおばちゃんの手作りでございます。昔は行商のおばちゃんが野菜を売りにやって来たものですが、この辺からも来ていたのかも知れませんね。そろそろ上総亀山駅に戻ることに致しました。次回は上総亀山駅で出発までに撮影した画像をご紹介いたします。この第10旅程レポートも残り2回で終了させるつもりです。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/15
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さくさく続けてしまいます。前回の日記までで、臨時列車「風っ子くるり号」に乗って木更津から上総亀山までの移動をレポートしました。今回は鉄道から離れ、上総亀山周辺をレポートします。いきなりこの看板でした。「ヤマヒル注意」でございました。ううむ…。上総亀山の近くには亀山湖という人造湖がございました。「風っ子くるり号」運転に絡めていくつか小イベントが開催されていましたが、その一つです。エンジンボートの同好会の皆さんが展示を行ってました。亀山湖畔に聳える「亀山やすらぎ館」です。よくある多目的施設のようでした。ここでは竹の子汁を振舞ってました。「風っ子くるり号」運転記念弁当です。地元の産品で作ったお弁当だそうです。駅弁とはちょっとカテゴリーが異なりますけど、とりあえず購入してみました。1000円でした。何と言う食べ物なのか不明です。千葉県は海辺の県と言う印象が強いのですけど、房総半島の真中は温暖な山地です。海辺の千葉とは文化も食べ物も異なりました。亀山湖はダム湖です。割りと新しいダムみたいです。70年代の多目的ダムだそうです。こっちは下流側でございますね。ダムの管理庁舎です。カタカナで「カメヤマダム」と作ってありました。花文字も最近は目にしなくなってきました。何となく70年代っぽい風景です。亀山湖の近くの釣堀で、さっきのエンジンボートの同好会の方々が展示運行を行ってました。どれもラジコンボートなのですが、色々な種類があるものでした。今回はここまでにします。まだまだ時間が余ったので、亀山湖クルーズに参加しました。次回は船上から撮影した亀山湖をご紹介します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/15
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ふと気が付くと118万アクセスになってました。118万アクセスを踏んでいただいたのは、nobu3papaさんでした。キリ番レポートが楽天から来ないので、余りアクセス数に気が行かなくなっておりましたです。それでは続きでございます。前回の日記では、臨時列車(普通列車)「風っ子くるり号」で木更津から上総亀山駅までの車内の模様をレポートしました。今回は上総亀山駅で撮影した画像をご紹介いたします。上総亀山駅に到着したばかりの下りの「風っ子くるり号」でございますね。4両編成なのですが、ホームに収まりきらない様子が分かると思います。上総亀山方の先頭車両です。キハ38にヘッドマークをつけていたのでした。自由席と指定席がある普通列車として運行されていた訳ですねえ。それにしてもキハ38にヘッドマークと言うのは中々珍しい絵になってました。キハ38の所属表示です。真新しい「千マリ」でございました。3月17日までは「千キサ」だったのですが、木更津が千葉に吸収されたので、このような表示変更になっているようでした。切り離しでございます。非常に複雑なことをするのですけど、キハ38で構成されている定期列車の編成は、「風っ子ビューコースター」を切り離して、木更津に戻っていきます。でも、順番が、上総亀山方にキハ38、木更津方にキハ40がついているので、順序を入れ替える操作が必要になるのでした。先ず4両編成を全部を上総亀山方向にずらして行きました。。キハ38のエンジンですね。風っ子ビューコースターだけを上総亀山駅のホームに残して置きます。切り離し直前の「風っ子くるり号」4両編成でございます。切り離し直後です。切り離された「風っ子ビューコースター」は一旦木更津方向に本線を走り、方向転換して、上総亀山駅の1番ホームに入りました。1番ホームに入った直後の「風っ子ビューコースター」です。まだこの段階では、ヘッドマークは付いておりません。停止すると直ちにヘッドマークが取り付けられました。最終形です。1番ホームに「風っ子ビューコースター」が停車し、2番ホームに定期列車のキハ38が停車しています。この後に定期列車は木更津に戻っていくのでございました。「風っ子くるり号」は上総亀山に11時11分に到着し、折り返しの出発は16時01分とかなり時間がございました。この時間を活かし、上総亀山駅の周辺を撮影することにしたのでございました。次回は上総亀山駅周辺の亀山湖や亀山やすらぎ館をレポート致します。【資料】この旅程の暫定レポートへのリンク【出動】春の青春18きっぷ最後の旅程に出発致します。 【実況】総武本線稲毛駅【実況】外房線普通電車成東行き 【実況】内房線普通電車君津行き 【実況】Seattle's Best 木更津店 【実況】久留里線俵田駅 【実況】久留里線上総亀山駅【暫定】久留里線上総亀山駅(続)【実況】久留里線踏切事故で遅延【実況】久留里線上総松丘駅 【実況】久留里線久留里駅【実況】久留里線祗園駅【実況】内房線五井駅 【帰投】風っ子くるりから帰ってまいりました。 【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/15
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台風が来ましたですね。旅行を急遽キャンセルして大正解でした。台風旅行は一昨年の石垣島でもうたくさんでございます。はい。ところで、今回から、「風っ子くるり号」の乗車レポートを載せるのですが、その前に、また本文でご紹介しておきたいコメントを頂きました。鉄道趣味人の喜多山栄さんからお寄せいただいたコメントです。『布教の困難性について』こんばんは。少しだけ補足のコメントをします。仏教は江戸時代に体制に組み込まれ、明治・大正・昭和にかけてその体制の一部として国家神道まで持ち上げ、戦時下、僧侶たちは率先して伊勢神宮にお参りするほどにもなったそうです。さすがに今では総理大臣の靖国神社公式参拝に反対する立場をとっているようですが。我が家が世話になっている寺(浄土真宗)のご住職はお寺の行事でお経をあげた後の法話で、お経や親鸞の著書から引用した資料などを印刷して配ったりして「お盆にお施餓鬼をしない理由」や「本宗が特別な修行をしない理由」など熱心に話されます。また別の寺のご住職は「お経に武器は不要と書いてあるから」という理由で熱心に平和運動に取り組まれています。2つ例を挙げましたが、体制に組み込まれてしまい保守化したり、「家の中に仏壇と神棚の両方がある」というように地域の風習などに混ざりこんでしまった世間(檀家)に対して現代の宗教家が必死になって「布教」をしているように感じてならないのです。よしあしについては述べませんが、これも対世間に対する挑戦なのかもしれません。法事の場などでも若手の僧侶が率先してお話をされますね。(2007/07/14 07:16:46 PM)コメントありがとうございました。私も同じような経験をしています。私の家も浄土真宗のお世話になっているのですが、法事の後には教義の説明や焼香の意義などの解説が入ります。形骸的な葬式仏教から何とか脱却しようと言う意気込みがありありと感じられます。一方で、やはり、迫力不足も否めません。戦後日本の宗教で最も布教に成功したのは創価学会でございましょう(私の親戚にも学会員がおりました。友人葬の迫力に圧倒された思い出がございます)。彼らの現世救済と来世救済をミックスした教義が、戦後の日本の悩める個人に受入れられた理由は何だったのか…。既存の仏教と比較して眺めて見ると面白いかも知れないなあ、と思っております。で、早速ですが本題です。今回のお題はこの車輌(風っ子ビューコースター)で運行された臨時列車「風っ子くるり号」でございます。正面の表示が「普通」です。快速ではないのでございます。はい。現在ご紹介している第10旅程の前の第9旅程では「花回廊オープニング号」をご紹介しました。この「花回廊オープニング号」はたった一日しか運行されなかった特別列車でしたので、まあ、イベント色が濃かったのです。これに対し「風っ子くるり号」は8日間も運行されました。こういう何日も運行される列車は、とにかく初日に乗ることでございます。気合が全然違うからです。日本のトップティアの鉄の皆さんも私と同じような感覚の方が多いみたいです。やっぱ一番列車に集まってきます。いつものメンバーがまた集合しておりました。「風っ子ビューコースター」の内装です。一応トロッコ列車と言う触れ込みなので、このような骨組み丸出しの内装にしておりました。とは言え、40系気動車からの改造ですので、シートは別にして乗り心地はまあまあなのです。貨物からの改造車だと揺れが全然違います。途中駅で(駅名は失念しました)観光協会の広報団が乗車してきました。ここからイベント列車色がぐんと強くなりました。車内を練り歩く広報団です。色々と配り物がありました。こういうお得感が好きなのです。広報団の中核をなす、君津市長と君津市観光協会会長さんです。君津市というと、新日本製鐵君津製鐵所の印象しかなかったのですが、観光もしっかり組織化されているのでした。市長さんから配り物をもらう鉄の人たちです。君津市長もこのような特別列車の経験は少ない筈です。前週の「花回廊オープニング号」と同様に、乗客の半数以上が「鉄」とは想像もしていなかったでしょうな…。市長さんたちにお願いして、写真を撮らせて頂きました。こんなことをしているうちに、終点の上総亀山駅に到着致しました。房総半島の真中の山の中の静かな駅です。小さな駅舎ですけど、有人駅でした。マルスもありました。ここで一旦降車です。この後に、上総亀山駅で「風っ子ビューコースター」を撮り倒します。次回は、上総亀山駅での撮影分をご紹介いたします。【資料】この旅程の暫定レポートへのリンク【出動】春の青春18きっぷ最後の旅程に出発致します。 【実況】総武本線稲毛駅【実況】外房線普通電車成東行き 【実況】内房線普通電車君津行き 【実況】Seattle's Best 木更津店 【実況】久留里線俵田駅 【実況】久留里線上総亀山駅【暫定】久留里線上総亀山駅(続)【実況】久留里線踏切事故で遅延【実況】久留里線上総松丘駅 【実況】久留里線久留里駅【実況】久留里線祗園駅【実況】内房線五井駅 【帰投】風っ子くるりから帰ってまいりました。 【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/15
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今回から鉄道レポートに戻ります。なお、今回の日記では、車輌形式はこの色で、列車名はこの色で表示します。この第10旅程の目的列車である「風っ子くるり号」でございます。この風っ子くるり号は、木更津から上総亀山まで久留里線を走行する臨時列車でした。久留里線は32.2kmの比較的短いローカル線でございます。首都圏に20世紀の雰囲気を残した路線は鶴見線とか、銚子電鉄とか、いくつかありますが、この久留里線もそうなのです。キハ30形がJR路線で使われている最後の路線だったりするのです。 サボでございます。久留里線はやっぱりローカル線です。昔からローカル線でした。そんな訳で輸送力は乏しいのです。この路線は一時間に一本しか定期列車は走らないのです。でも臨時列車を引く筋がない…。そんな訳で、この「風っ子くるり号」は定期列車の気動車に併結されて運行されました。ヘッドマークでございます。前の日記で、木更津運転区じゃなかった千葉運転区木更津支区で、出動待ちの「風っ子ビューコースター」をご紹介しました。あの時はまだヘッドマークが付いておりませんでしたが、営業運転時にはしっかり取り付けられておりました。「風っ子くるり号」の自由席です。ただのキハ38です。普通の久留里線の定期列車です。この列車に「風っ子ビューコースター」を繋いで、「風っ子くるり号」になる訳です。定期列車の久留里線用のキハ38に、「風っ子ビューコースター」を連結する作業が木更津駅のホームで実行されておりました。凄い人気です。連結直前の「風っ子ビューコースター」です。貫通扉を開けての連結作業でございました。数メートル手前で一旦停止します。そして、連結でございます。「風っ子くるり号」の指定席券でございます。久留里線はローカルな線区でございまして、指定席を繋ぐことはまずありません。特別列車が走るのは極めて珍しい路線なのであります。運行は異例尽くめでした。定期列車に併結するために、各駅停車なのです。イベント列車で各駅停車と言うのは極めて珍しいのです。停車駅は以下の通りでした。 木更津駅 祇園駅 上総清川駅 東清川駅 横田駅 東横田駅 馬来田駅 下郡駅 小櫃駅 俵田駅 久留里駅 平山駅 上総松丘駅 上総亀山駅うーん、多いです。以前の日記でご紹介した「風っ子南房総1・2・82・81」号に比べても断然多いのでした。更に異例だったのは、扉の扱いです。久留里線はローカルな線区ですので4両編成での運用を考慮しておりません。今回の「風っ子くるり号」は定期列車のキハ38×2両+「風っ子ビューコースター」2両の4両編成でした。ありていに言えば、木更津駅以外の駅ではホームに収まらないのです。そこで、前を進む定期列車2両の扉のみを開け閉めして、「風っ子ビューコースター」の扉は〆切にしていたのです。と言うことは、途中駅で下車する指定席旅客は、自由席車に移動する必要がありました。そんな訳で、キハ38と「風っ子ビューコースター」の間を通り抜けることが出来るようにされておりました。こんなところも、「風っ子南房総号」とは大きく違っておりました。今回はここまでに致します。次回の日記で、「風っ子くるり号」ぼ車内の模様をレポート致します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/14
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木更津レポートの続きです。その前にご紹介しておきたいコメントがあります。鉄道趣味人の喜多山栄さんからお寄せいただいたコメントです。『宗派の地域性』こんばんは。我々日本人は意図的に改宗したり、「無宗教」を宣言しない限り、亡くなったときには大多数が仏教(お寺)の世話になることが多いですね。我が家がお世話になっている寺の住職の話によると江戸時代のキリシタン禁令で檀家制度が発達して「仏教が体制の一部に組み込まれた」ことが大きいからだそうです。私が生活の拠点にしている中京地区も真宗(「浄土真宗」と名乗るのは西本願寺を本山とする「浄土真宗本願寺派」のみ。ほかの真宗諸派は「真宗○○派」と名乗る、例・真宗大谷派、東本願寺が本山)が強い地域です。親戚の法事に呼ばれたようなときにお経(厳密に言えば親鸞上人が書いた「正信偈(しょうしんげ)」という漢詩」を読めないと恥をかきます。住職は「暗記しなくてもよい。書いてあるのを読めばいい。これが真宗の考え方」といってくれるので助かりますが。ブログという場で宗教・思想に深入りするのは避けますが、地域によって宗派が偏在しているという事実は興味深いところですね。最初に移住した人たちはお葬式をあげるのに自分の宗派のお寺を探すのに苦労したことでしょうね。今では所属するお寺を持たなくても「○○宗」といえば葬儀社がすぐに該当のお寺を紹介してくれますが…。(2007/07/14 12:26:38 AM)ブログで政治や宗教を話題にするのはやや危険なのです。極力中立的な記述とするように務めておりますが、一方で、政治や宗教の話はまあ、面白いのです。かつて戦国時代には宗教勢力は物凄い影響力を発揮しました。ヨーロッパの歴史を読めば感じられるかも知れませんけど、宗教が世俗権力を掌握すると恐ろしいシチュエーションを現出することがございます。宗教戦争でございますね。ヨーロッパでのカソリックとプロテスタントの戦争もそうですし、日本における一向宗やキリシタンと世俗権力の戦いもそうでございますが、宗教戦争は「引くに引けない」戦争になってしまいます。教義が来世救済だったりすると、もう大変です。「戦死イコール殉教(救済)」と言う図式になりますので、犠牲を厭わない絶滅戦争になってしまうのでございます。日本の歴史においては、織豊政権から江戸時代にかけて、政教分離が強烈に進められていきました。比叡山を焼いたり、一向宗への殲滅戦争、キリシタンの絶滅戦争を経て、江戸時代に、檀家制度が確立されて参ります。この檀家制度と言うのがまあ効果的であったのではないかなと思ってます。世俗権力の末端として寺を活用していく訳です。宗教と言うものは「世の中間違ってるから糾すのじゃあ」的な性格があると反権力色が出てきて、まかり間違うと革命勢力になってしまう訳ですけど、権力の下側に宗教がもぐりこむと、社会改革色を徐々に失い、利権集団化してしまうことが多いようです。江戸時代の檀家制度の確立は、色々な仏教勢力へ、生活手段を提供し利権集団にさせてしまいました。こうなると、宗教勢力は布教の努力を怠るようになってまいります。檀家制度で、生活基盤となる信徒集団基盤を世俗権力によって保証され、また、世俗権力のリードで宗派間の異動は極めて困難になる訳です。つまり、自由競争(布教)も消滅していきました。こうして、我が国は一応宗教は存在するものの、誰も(大多数は)信じていない、と言う不可思議な状況が生じているような気がします。notoshunは思うのですが、アメリカ人や西欧人は宗教への依存が非常に強い。行動や思考に対する宗教の影響が強いよね、と思うのです。東南アジアの上座部仏教諸国もまた宗教が人々の思考に強い影響を与えていると思うのです。これらに比して、日本人の思考や行動は宗教ではない教義(例えば石田心学や、ダグラスマッカーサーが持ち込んだありもしない「理想のアメリカ」)の影響の方が強いと思うのです。良い面も悪い面もありますけど、日本人の考え方が世界の他の国々に比べてユニークであるのはこんなところも要因の一つなのかなあ、と思ってます。日本の極めて特殊な鉄道システム(異常な運行密度や偏執的なダイヤ厳守)が生まれた要因も宗教にあったりするかも知れません。さて、今回のお題に入ります。八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)です。木更津駅の近くにある神社です。前回ご紹介した証誠時よりも遥かに規模は大きいのでございます。本殿でございますね。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀った神社のようです。日本がいつできたか、は、謎が多いテーマです。最初に大和で政権が生まれ、北海道を除く現在の日本列島を徐々に征服して行ったらしいことは分かってますけど。その征服の過程で日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が木更津に立ち寄ったことがあるみたいです。頭上を旅客機が通過していきます。木更津には色々な顔があります。東京湾岸の主要な工業地帯という顔もあれば、江戸時代には海運の拠点でした。鉄道の結節点でもありました。東京湾横断道路の揚陸点として、神奈川県へのルートにもなってますね。現在でも木更津は交通の拠点です。羽田空港への進入ルートなのでございますね。羽田へのアプローチにはドリームサウスとか色々なルートが設定されていますけど、風向きの関係もあって、一番使われるルートはキサラズサウスアプローチのようです。到着便がバンバン頭上を通過していきます。木更津の歴史を表示した案内板です。徳川家康が豊臣家を攻めた大阪夏の陣には、木更津の水夫も動員されたとのことでした。そして、戦死者を出したようです。戦後、保障と戦功行賞の意味も兼ねて、徳川政権は南総の物資輸送に関して木更津に独占免許を与えたのでした。この独占免許で木更津は東京湾内の海運の中心地になっていく訳でした。もう栄まくったらしいです。案内人の言によれば、如何わしい繁華街もたくさんあったみたいです。もう一つ、歴史展示です。本物か否かは分かりませんけど、源頼朝が自ら植えたと言う蘇鉄でございます。鎌倉武家政権の成立は日本の歴史のターニングポイントでございますけど、現時勢力は最初のうちは脆弱でした。一旦は平氏勢力に追われ神奈川から千葉に逃れます。その時に植えたもののようです。以前にも書いたことがありますが、現時勢力は神奈川→千葉→神奈川と遷移しました。その関係からか、神奈川と千葉には同じ地名が結構あります。さて、「風っ子くるり」の出発時刻が迫って参りました。そろそろ木更津駅へ戻らねばなりません。この画像は木更津市のマンホールの蓋でございます。マンホールの蓋も童謡「證誠寺の狸ばやし」をモチーフとしたデザインになっておりました。最後の画像です。木更津駅前のモニュメントです。「月とタヌキ」でございました。もちろん、これも童謡「證誠寺の狸ばやし」をモチーフとしたものです。以上で、木更津レポートを終りにします。次回から「風っ子くるり」レポートに入ります。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/14
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今回は、木更津見物の続きの證誠寺をレポートします。ところで、前回のタヌキのレポートに沢山のコメントをありがとうございました。本物のタヌキは肉食であんまり可愛くないのですけど、人間が擬人化したタヌキは可愛いものでございます。常連さんのmaman.mさんに信楽焼との類似性をご指摘いただきましたけど、確かに強い影響を受けている感じです。また、前回の日記で修理屋マイスターさんにご紹介いただいた、石井氏の件、続きがあるんですねえ。納富キャスターさんですか…。福岡県内に多いお名前ですね。大昔、地下鉄工事の取材に出かけたものの、女性はトンネル工事に不吉と理由で取材を断られたRKBの女性記者で納富さんと言う人が居ましたけど、同一人物でしょうか…。最初の画像は證誠寺とは関係ない画像です。木更津駅前商店街の一軒なんですが、映画「木更津キャッツアイ」の部隊になった店舗なんです。證誠寺の正門でございますね。割りとこじんまりしたお寺なのでした。浄土真宗のお寺でございます。千葉県は日蓮上人生誕の土地ですので、日蓮宗が多数派でございます。蓮如上人により室町・戦国時代に北陸でブレイクした浄土真宗は少数派でした。ところが、新日鐵君津製鉄所が出来ると、九州から浄土真宗の方が大挙千葉に引っ越してきたので檀家が急増したそうです。お寺も色々ですねえ。境内と鐘楼です。割りと普通のお寺の感じです。大規模寺院ではなく、ごくごく普通の街のお寺と言う感じでございました。童謡「證誠寺の狸ばやし」を説明するプレートです。童謡「證誠寺の狸ばやし」の記念碑みたいです。非常に流行した童謡でしたので、こんなものも作られたのでした。こちらは狸碑です。狭い境内に機能的?に石碑が建てられておりました。本堂でございます。古い建物なのです。大正時代には倒れかけたこともあるそうです。本当かどうか知りませんけど、関東大震災の揺れで倒れかけた本堂がしゃんとしたという伝説があるそうです。本当かしら。鐘楼の脇に一つだけ大きなお墓がありました。素封家のものでしょうか。以上で、證誠寺レポートをお終いにします。次回も木更津駅周辺をレポートします。八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)をご紹介します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/13
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ちょっと鉄道から離れます。今回は、木更津の狸です。でも、本題に入る前に…。いつもコメントを下さる九州の鉄道趣味人の修理屋マイスターさんが、あるテレビをご紹介なさってました。JR九州の元社長の石井さんが出てます。JR九州の素晴らしい在来線特急の哲学を垣間見ることができます。お勧めです。約8分の動画です。修理屋マイスターさん、有益情報をありがとうございました。さて、今回は妙な画像をご紹介します。前回に日記に対して常連さんのmaman.mさんからコメントを頂きました。「証城寺のご説明が無ければ何故タヌキか分からず、「ゴロンと」の熊にでも対抗したのかと思ってしまうところでした^^;」そうなのです。木更津と言えば証城寺。たぬきで有名なのでございました。これを記念してかどうか分かりませんが、木更津駅前商店街には一種異様な光景がございます。これが商店街の入口なんですが、全ての商店は店先にあるものを置いています。それは狸の石像なのでした。このように割りと普通なデザインの狸もございますけど…。変わった意匠のタヌキも沢山居ました。コーヒーを飲むタヌキ。福の神タヌキ。相合傘タヌキ。海の幸タヌキ。カラオケたぬき。理髪タヌキ。算盤タヌキ。謎のタヌキ。和装タヌキ。そして千両箱タヌキでございました。と、このように、木更津駅前商店街の各店舗は自らの商売に合わせたタヌキの石像を店先の置いているのでございました。実に個性的な商店街でございました。次回はタヌキの総本山「證誠寺」をレポートします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/12
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すみません、完調には程遠いのです。ゲホッ。皆さんのご声援コメントが非常に嬉しいです。本当にありがとうございます。ゲホッ。heike-sakura-iseさん、ご心配いただきサンキューです。錦糸町のドーナッツモニュメントは不気味でした。修理屋マイスターさん、石井さんの雄姿を拝見しました。「元気ばい、福岡」という番組名もいいですね。8分28秒楽しませていただきました。ツェップさん、暑くて暑くて、なかなか体調が戻らないです。千葉駅もスーツを着ないで降りると旅行先です。スーツを着ていくと、ただの営業です。涙。さて、本題です。やっぱ、体力がエンプティなので、今回は、木更津到着直後の画像をガサガサっと載せてお茶を濁してしまいます。駅名と潮干狩りの案内です。こうして見ると木更津は観光先ですよね。本当は大工業地帯だったりするのですけど。木更津駅の近くのいかがわしいホテルです。この裏に童謡「証城寺のたぬきばやし」で有名な証城寺があります。これは次回ご紹介します。今は亡き木更津運輸区のキハ37、38、30です。現在は幕張車輌センターに編入されています。そして、目的の車輌はちんまりと待ってました。これです。風っ子ビューコースターです。今回は「風っ子くるり」として運行されます。前々週に「風っ子南房総」として載りましたが、やはり、久留里線を走ることに意義有りです。サボは「木更津⇔上総亀山」に既になってました。でもヘッドマークはまだです。出発まで2時間もあります。まあ、とりあえず写真を撮っておきました。こんな感じで車輌の存在を確認できましたので、「風っ子くるり号」出発までの間、木更津駅周辺のミニ観光に出かけることにしたのです。次回は、木更津観光をレポートします。元気に戻っていたらねっちりと、体調が悪いままならあっさりと、木更津キャッツアイ&証城寺ミニツアーをご報告いたします。ううっ…、ゲホゲホ。週末の撮影の成果整理もままなりませぬ…。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/11
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体調が今日も優れず、今回も薄いレポートですけど、お許しください。皆さんから暖かいコメントを頂いているにも関わらずお返事が激しく滞ってます。お許しください。maman.mさん、heike-sakura-iseさん、リネンフラワーさん、MERIDIANさん、ご声援ありがとうございました。さて、前回までで、「春の青春18きっぷ」シリーズの第9旅程をご紹介しました。「花回廊オープニング号」と言う飛びっきりのイベント列車をご紹介しました。今回もそれに類する旅程です。第10旅程もたった一本の列車が目的なのです。その列車の名は「風っ子くるり号」です。最初の画像は錦糸町です。今回の目的列車「風っ子くるり号」の運転区間は木更津から上総亀山の往復であります。先ずは木更津に行かねばなりません。スタートから木更津までは、第1旅程や第3旅程に近い行程なのです。続いて千葉です。この悲惨な発車案内板をご覧下さい。かつて、千葉駅は千葉県の中心駅であると同時に、千葉県を通る特急急行が必ず停車する重要駅でした。しかし、現在では京葉線から内房線のルートに房総特急が移り(停車駅は千葉から蘇我に変わりました)、また総武特急の大半は廃止され、成田エクスプレスになってしまいました。成田エクスプレスの大半は千葉駅には停車いたしません。こうして、特急が殆ど止まらない千葉駅と言う状態になったのです。涙。千葉駅の著名駅弁店の万葉軒でございます。千葉DC弁当を売っておりました。このDC(デスティネーションキャンペーン)は本当に萌えました。キャンペーンも終盤に差し掛かってしまい、既に千葉駅ですら新幹線の広告になってました。先ほど「特急が止まらない千葉」と言う書き方をしましたが、千葉駅の規模は相変わらずです。巨大な駅なのでした。首都圏では横浜に準じる存在と言ったら言い過ぎでしょうか…。長距離列車の停車は減りましたが、通勤乗換駅として大繁盛している駅でありました。千葉からは、何故か成東行きに乗車しました。千葉から先は、総武本線、内房線、外房線と分かれてまいりますが、本千葉辺りまでは全部同じ線路を走るのです。本来の目的地木更津へ行くのは内房線なのですが、最初に総武本線に乗ったのでした。本千葉駅でございます。ここから内房線の普通電車に乗り換えて木更津を目指しました。内房線五井駅の車窓です。小湊鉄道が見えました。体調がぐずぐずなんで、今回はココまでにさせて下さい。次回は木更津到着から再開します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/10
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皆さん、健康へのお気遣いコメントありがとうございました。どうもまだ調子が出ませんけど、更新は再開いたします。今泉から、帰宅までです。今泉からは「どぶろく娘」が再び乗り込んできました。往路と同様に小国までどぶろくを振舞ってくれました。越後下関では、また女将さん達と「大したもん蛇」でした。坂町到着直前です。この線路は羽越本線の線路です。旧坂町機関区です。転車台も給水塔も健在なのでした。そして、坂町駅です。ここからは羽越本線です。新発田を通って新潟に到着です。以上で、第9旅程のレポートを終えます。すみません、体調が万全ではないので、今回はここまでにさせて下さい。
2007/07/09
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すんません、体調が優れないので、8日分の日記更新を見送ります。過去日記への見出しを付けて置きます。【第1旅程】(1)プロローグ(2)先ずは木更津へ(3)入換作業(4)風っ子南房総81号(5)風っ子南房総1号(6)勝浦まで(7)ひな祭りメイン会場(8)勝浦市役所(9)勝浦集会所(10)遠見岬神社(11)安房鴨川駅(12)583系(13)583系の車内(14)朝の583系(番外)福島交通(15)こがね(16)455系急行電車(17)第一旅程の終りに【第2旅程】(18)373系特急電車(19)身延線115系最後の日々(20)クモハ123-5043(21)西富士宮駅での撮影分(22)音声(23)身延線(24)クモハ123-601(25)閑話休題(備忘メモ)身延線のクモハ123【第3旅程】(26)夜明け前の錦糸町(27)久留里線(28)風っ子南房総の入線(29)和田浦駅・太海駅(30)安房鴨川駅と風っ子南房総2号(31)第3旅程の終り【第4旅程】(32)「ムーンライトえちご」のグリーン車(33)信越本線終端部(34)白新線(35)村上駅(36)おしゃぎり(37)後向き回送(38)坂町駅の転車台(39)村上駅の餅つき(40)キヤE193系(41)上りSL村上ひな街道号(42)喫煙車の最期(43)「あけぼの」の車号(44)「あけぼの」の車内(45)いなほ2号(46)吹雪(47)キラキラうえつ(48)酒田駅手前(49)酒田駅(50)陸羽西線(51)新庄駅(52)第4旅程の終り【第5旅程】(53)石岡駅へ(54)鹿島鉄道石岡機関区(55)鹿島鉄道常陸小川駅(56)鹿島鉄道鉾田駅(57)鹿島鉄道石岡駅(58)茨城交通湊線勝田駅(59)茨城交通湊線那珂湊駅(60)常磐線東海駅(61)アトムワールド(62)第5旅程の終り【第6旅程】(63)第6旅程のプラン(64)発動機故障(65)米坂線(66)米沢駅(67)利用拡大フォーラム(68)長井駅へ(69)長井駅から荒砥駅まで(70)車輌基地(71)藻谷浩介氏(72)藻谷浩介氏の続き(73)荒砥から今泉まで(74)第6旅程の終り【第7旅程】(75)第7旅程の出発(76)燕三条(77)F19編成入線(78)地震直後(79)F19編成車内(80)月潟駅跡(81)モワ51など(82)新潟交通の除雪車「キ116」(83)ナマズ(84)ブルドック(85)第7旅程の終り【第8旅程】(86)外山恒一とE電(87)EL&SL奥利根号(88)D51蒸気機関車(89)SLで上越線(90)SLは水上駅へ(91)水上駅から(92)185系(93)SLはケム吐いてナンボ(94)第8旅程の終り
2007/07/08
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今回は「花回廊オープニング号」の帰路での撮影分をご紹介します。ちょっと文章は少なめになってまいります。米沢の次の停車駅は羽前小松駅です。この辺りは平坦地で直線ですので、割と速度が出せます。85キロで進んでいました。米坂線の最初の停車駅の羽前小松駅です。駅員さんらしい女性2名です。左の人形は「ひょっこりひょうたん島」のものらしいです。クラシックな駅名板。山形県立置賜農業高等学校の皆さんです。桜で作ったお茶みたいなものを配っておりました。羽前小松駅の待合室です。昭和のものを展示していました。何とも…。羽前小松駅の表玄関です。割りと古臭くていい感じの駅でした。これも置賜農業高等学校の皆さんです。何を売っていたのかは思い出せない…。「花回廊オープニング号」として運行された「こがね」の椅子です。グリーン車並みでございました。羽前小松駅の次の停車駅の今泉です。山形鉄道のフラワー長井線の車輌です。こっちは「こがね」です。金ぴかでございます。うんうん。ある意味香港流かも知れません。今泉駅では、謎の舞踏集団が踊っておりました。結構長いこと踊っていました。どんな性格のグループだったのか…。今泉駅ですれ違ったキハ52です。「新津=新発田=坂町=米坂」というサボでした。で、今泉駅を出発します。「花回廊オープニング号」レポートは次回でお終いにして、次の旅程に進みます。次の旅程は「風っ子くるり」の初日でございます。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 大将卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 43日 1時間 15分延びた寿命: 6日と13時間51分節約できた金額: 25831円(節税分 16287円)節煙本数: 1722本 172.21m フリーダイビング最高深度節煙本数: 1658本 165.84m 国連ビル(NY)【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/07
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皆さん、前々々回の日記にコメントをありがとうございました。喜多山栄さんからのご指摘「軍が広島、長崎で原爆を使用した理由は「対ソ連」対策のための先制攻撃そのもので、決して「敗色濃厚な日本を楽にする」様なものではないことは明らかです。」は全く的を射たご指摘です。アメリカ様のご好意ではなく、対ソビエト連邦の威嚇として、日本への核攻撃が実施された。多分事実でしょう(ルーズベルトではなくチャーチルが攻撃対象を選定したならば、満州の新京市を攻撃したでしょうね。赤軍兵士を巻き添えにした方がブラフの効果があがるからです)。この「(一種の)悪意から行われた核攻撃」が「意図せざる結果(米軍による単独占領)」をもたらした訳です。割りと良くあるストーリーではありますが、皮肉なものです。戦争終結直前、米ソとも日本の早期降伏は難しいと踏んでいました。太平洋の島嶼防衛戦闘での日本軍の狂信的な抵抗、自国側の人的犠牲を全く厭わない態度を見て、半ば絶滅戦争を覚悟していました(誠に痛ましいことながら、サイパンをはじめとする太平洋の島々では、日本軍将兵はもとよりシビリアンも殆ど生き残ることはなかったのでした)。アメリカ側は、ドイツ分割占領に近い、日本分割占領を覚悟し、ソビエト地域として福島以北を割り当てる計画を作っていました(ちなみに東京はベルリンと同様に分割)。一方、ソビエト連邦は自国の国力の限界を知っていましたので、留萌=旭川=釧路以北を占領する計画を持っていました。核実験の成功により、この計画は全てチャラになる訳なんですけど…。結果的に広島長崎への核攻撃が日本の戦後の進路を全然違う方向に変えた可能性が高い。なんとも皮肉な話です。このストーリーに善意を持った登場人物はおりません。全てのプレーヤーは悪意で行動したのでございます。もちろん、この時点では、日本が西欧的な民主主義国家に変身できると考えている列強は一つもなく、日本を徹底的に押さえ込むつもりであったと思います。その風向きが変わるのは、東西冷戦であったのは、皆さんもよくよくご存知の通りです。東西冷戦が、アメリカをして、日本を有力な同盟国に仕立て上げざるを得なくし、朝鮮特需を経て高度成長期へと進んでいく訳です。歴史の機微でございます。広島・長崎への核攻撃がなければ、日本本土地上戦(ダウンフォール作戦)、分割占領、二つの国家という、ドイツと殆ど同じ歴史を辿った可能性が結構あった訳です。こんな状況を想定していくつか小説が書かれています。豊田有恒さんの『日本分断』なんか、結構面白かったです。と、雑感を述べた後に本題に入ってまいります。今回ご紹介するのは「花回廊オープニング号」の出発式でございます。同時に「山形花回廊キャンペーン」の開会式でもありました。開会直前のスタッフの皆さんです。左側は「上杉小町」のお二人、右側の女性は、テープカットのはさみ配布係兼回収係の3名です。司会の女性です。昨年の夏に参加した仙山線交流電化試験50周年記念運転の際には、仙台支社の営業部員が司会をやっておりましたが、今回はプロの司会者を雇ったようです。私としては、鉄道員に司会をやって欲しいのですけど。警備担当は「上杉謙信軍」でした。テープカッターの皆さんです。一日駅長・観光関係者・米沢駅長・仙台支社営業部長です。仙台支社の営業部長のお顔を拝見するのは久しぶりです。相変わらず動きが素早いのでした。このテープを皆さんで切るわけです。妙に盛り上がるのです。「撮り鉄系」はおおはしゃぎでした。「乗り鉄系」は余り関心がないのか、さっさと列車に入ってました。駅員とカメラマンです。鉄道ファンにはアマチュアカメラマンみたいな格好をしている人が多いので、報道関係だかなんだか区別が付き難いのでした(私もそうですけど)。最初は米沢駅長のスピーチです。「JR発足後おかげさまで20年」みたいなお話でした。観光協会の偉い方みたいです。米坂線沿線の魅力を延々語っておりました。お話はある程度説得力があったのですが、所詮は百聞は一見にしかずでございます。既に坂町→米沢を走破してきた鉄道ファンにとっては「知ってるよん」という感じでした。ごめんなさい。このオジサンも、まさか、聴衆の90%以上がディープな鉄道ファンとは想定していなかったでしょうね。司会の女性から「それでは続いてテープカット…」とコールが入りました。はさみが配布されました。テープカットというものは、せーの、で一撃で決めないと絵になりません。司会の女性が「テープにはさみを当ててそのままご待機ください」と案内しました。皆さん、準備完了です。カットの瞬間と直後です。一旦着席です。この後に太鼓の演奏がまた始まりました。そして、列車は出発時刻を迎えるのでございました。見送りの駅員です。一日駅長と本物の米沢駅長によるフォトサービスです。営業部員です。ちょっと表情が険しいですね。何を警戒していたのでしょうか…。再び「上杉小町」です。気軽に撮影に応じてくれました。偉い。そろそろ出発です。「花回廊オープニング号」は再び新潟を目指して疾走するのでした。今回はここまでにします。次回は帰路をご紹介します。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 大将卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 41日 3時間 43分延びた寿命: 6日と6時間54分節約できた金額: 24692円(節税分 15569円)節煙本数: 1646本 164.62m ムササビ公式滑空距離【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/06
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何だか中年性無気力症が毎日酷くなっています。まずいなあ…。何にもやる気がおきません。「抑うつ気分」が毎日酷くなっております。ううむ…。政治に関するエッセイをブログに載せるというのは結構危険な兆候なのです。はい。ところで、ゴマ書房から再販されていた「こちら大阪社会部」の最終巻を入手しました。やっぱ面白い漫画です。もうこれでお終いなんですけど。この巻の目玉はグリコ森永事件でございます。被害に遭われた方には大変失礼ながら、ああいうワクワクする事件がないのですよねぇぇぇぇぇ。ニュースがつまらん。(お若い人はご存知ないかも知れませんけど)かい人21面相が著作権を主張するとも思えないので、彼らの挑戦状を引用します。全国の おかあちゃんえしょくよくの 秋や かしが うまいで かしやったら なんとゆうても 森永やで わしらが とくべつに あじ つけたった 青さんソーダの あじついて すこし からくちや むしばに ならへんよって お子たちえ こおたりや はかた から 東京までの 店に 20個 おいてある 青さん0.2グラムと 0.5グラムの 2しゅるい ある 10日したら どくいり かいとらんのを 30こ 全国の 店に おく そのあとも ぎょうさん よおい してるで たのしみに まっとれや 森永乳業は せいかと ちがう あんぜん やで かい人21面相 かあちゃん たち しってるか 警さつちょうの すずきと 大さか婦警の しかたと 兵ご犬警の よしのが わしら つかまえられへんと やめなあかんのやて きのどく やな 【相々傘の絵】 すずき しかた そろそろ やめまひょか しかた ありまへんな グリコ森永事件が進行していた84年から85年は、阪神が優勝したりして大変な年でした。その後、ニュースが面白い年だったのは95年でございました。あの年は凄かったですよねえ。阪神大震災で始まり(その頃私は吹田市に住んでいて、それなりに被害を受けました。もちろん阪神間の諸都市に比べれば全然大したことはなかったのですが)ました。職場の同僚も大量に被災しており、もう会社どころではなく、被災した同僚へ暖かい食物を運ぶ日々でした。地震発生後3日目に神戸に入った時の衝撃は忘れることができません。3月に入るとオウム真理教でした。もう毎日テレビが面白くって仕方がない。ワイドショーが楽しくて仕方がないのでした。職場に行っている場合じゃない、って感じでした。まあ、そろそろ本題に入ります。強烈な観光キャンペーン列車「花回廊オープニング号」での移動もそろそろお終いでございます。今回は終点の米沢でございます。「花回廊オープニング号」が米沢についたところです。このステージは出発式の会場なのです。この列車「花回廊オープニング号」は仙台支社の設定した列車です。出発式は往路出発の新潟駅ではなく、仙台支社管内の復路出発駅の米沢駅で開催されるのでした。リハに励む司会の女性です。お出迎えです。仙台支社の営業部員は「花回廊オープニング号」に同乗しておりましたので、お出迎えは米沢駅のスタッフでした。下のほうの写真に写っているのは、米沢駅長と一日駅長の子供でした。風林火山の影響か、上杉謙信の兵士がお出迎えでした。小国駅に引続き、米沢駅でも太鼓でした。たっぱ太鼓はいい。勇壮です。小国駅、羽前小松駅に引続き、またまた、玉こんにゃくです。すばらしい…。何回食べても美味しいのです。米沢駅でも旅館の女将さんのお出迎えでした。妙に美人が多くて…。凄いですなあ、米沢は。あはは。無料甘酒の配布です。この列車は停まる駅、停まる駅で無料の振る舞いが多くて…、非常にお得感がありました。尊敬する横見先生が同乗していたらどれだけ喜ぶことか…。「上杉小町」のお二人です。清楚な感じで、良いですなあ。盛り上がります。あはは。上杉謙信の軍勢は、「山形花回廊キャンペーン」の幟を抱えておりました。米沢でも高校生が参加してました。山形県立米沢工業高校の皆さんのSL運転です。こちらは山形県立米沢商業高校の皆さんです。露店をやっておりました。以上で、「花回廊オープニング号」の米沢駅到着レポートを終りにします。次回は、復路の開始です。「花回廊オープニング号」の出発式をレポートします。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 大将卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 41日 3時間 43分延びた寿命: 6日と6時間54分節約できた金額: 24692円(節税分 15569円)節煙本数: 1646本 164.62m ムササビ公式滑空距離【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/05
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昨日、私のお気に入りブログ作者のAZURE0702さんが6万アクセスの回顧を日記にしていらっしゃいました。ふと気が付くと、私の場合も間もなく1000日目になります。我ながら良く続くなあ、と感じます。よく旅するなあ、とも。さて、続きでございます。写真は米沢牛です。前々回の日記では、米坂線を坂町から米沢に向けて進む「花回廊オープニング号」で今泉駅を出発するところまで来ました。残る停車駅は、羽前小松駅と終点米沢駅のみでございます。それにしてもこの列車への歓迎振りは凄かった…。もちろん、羽前小松でも歓迎式典です。先ずは羽前小松駅到着直前の車内です。山形川西ダリア園の方々です。ダリアを見せて回ってました。確かに大したものでした。羽前小松駅に到着した直後です。JR東日本仙台支社営業部員が妙にうれしそうに走り回ってました。山形県立置賜農業高等学校からやって来た米沢牛です。この山形県立置賜農業高等学校の最寄駅が羽前小松駅でして、全面的に応援してくれた感じでした。変な人形が展示されていました。往年の人気テレビ番組の「ひょっこりひょうたん島」の人形だそうです。人形デザイナーがこの近くの人だったようです。小国とか、越後下関では、観光関係者の姿が多かったのですが、ここ羽前小松駅では、近所のおばさんと地元の農業高校の皆さんが出迎えてくれました。踊り狂う女子高生の皆さんです。元気です。ホント。鉄道マニアの皆さんは全く反応を示しておりませんでした。むしろ、無料で食品を配布する男子高校生のほうに人気が集まってました。ここでも玉こんにゃくを頂きました。農業高校で作ったジュースを売っている皆さんでした。売れてなかったですねえ。羽前小松駅を出発した直後です。米沢まで余り時間がないのですが、このおばちゃんたちが赤飯を配ってくれました。頻繁に無料の食品が供される列車でしたですねえ。赤飯です。結構美味しかったのです。こんな感じで、往路の「花回廊オープニング号」は終着駅の米沢駅に到着いたします。次回は米沢駅での歓迎の様子をレポートします。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 大将卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 40日 11時間 12分延びた寿命: 6日と4時間22分節約できた金額: 24280円(節税分 15309円)節煙本数: 1618本 161.87m シャトル組立工場【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/05
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うみぃ、何だか消耗しております。(鉄道)マニアにありがちなんですが、私も躁鬱が繰り返しやってくるタイプなのです、久しぶりに鈍くて長い欝サイクルに突入しました。ううむ…。コメントへのお返事も遅れております。すみません。ところで、久間章生前防衛相の発言について色々と思うところがあります。心はちぢに乱れております。彼の発言の前段部の「広島・長崎への核攻撃(それにより発生した20万以上の無辜の市民の殺害)が戦後日本の分割統治を避け(同時に朝鮮半島の分断を生じせしめ)、米国の(実質的な)単独占領をもたらした。米国の単独占領が戦後日本の幸福に大きく貢献した」という認識は大筋で合意できます。苦い事実です。私たちの幸福は悪意を持って殺害された同胞数十万の屍の上に立っている訳です。殺害された(および、傷付けられた)犠牲者の不幸で私たちの幸福が成立している面が確かにあると思うのです。だからこそ、8月6日を日本国民は忘れてはならないし、忘れることは出来ない。久間章生前防衛相は長崎について触れていたので8月9日のことかも知れませんが、あの日あの街の地上で何が起きたのかを知るのは、全国民の半ば義務だと思うのです。毎年8月6日の式典をNHKが朝の連続テレビドラマを休んで中継し、首相が出席するのは極々当たり前のことであると思うのです。前にも書きましたが、日本の最小額面紙幣(つまり最もよく使われる紙幣)の裏面には原爆ドームを使って欲しいと思っているのです。日本の戦後の出発点はどこかと言う議論には色々な意見がありますが、私は昭和20年8月6日がそれだと思っているのです。私は「念仏平和主義」には反感を覚えます。前にも書きましたが、平和主義が戦争を、しかも特大の戦争を引き起こした例があるからです。犯罪よ無くなれ、と念じても犯罪が消滅しないのと同様に、戦争が無くなれと念じても、戦争は無くならないでしょう。実効的に戦争の発生を抑制する仕組みを作り、効果が失われぬよう常に磨きつづける努力が必要だと思うのです。短期的には、抑止力の均衡を維持し、侵略の誘惑を作らない(周辺国よりも強すぎず、弱すぎず、戦争に訴えても所期の目的を達成し得ないという状態を維持する)ことだと思うのです。「周辺国に戦争を仕掛けるのが得だ」という状態が最悪です。長期的には周辺国から貧困を追放することです。近くの国々を、皆「失うものが多過ぎる」状態にすることです。横道にそれますが、同じ地域で軍拡に走る国があると、抑止力を維持するために、他の国も軍拡に走らざるを得なくなってしまいます。日本の隣国の中には強烈なスピードで軍拡に走る国が二つあります。また、自衛隊が高い買い物をせざるを得なくあるのかと思うと、ちょっと悲しくなります。「観念的平和主義&軍備なんでも反対主義」に反感を覚える一方で、都市への核攻撃が何をもたらすかについて、日本はもっともっと情報を発信しなかればならないと思うのです。核攻撃のもたらす惨禍は通常攻撃とは全く異質なものです。私たち日本人にとっては常識ですが、意外に知られていないのです、これホントです。ドイツにとって忘れられない爆撃はドレスデンでしょう。私の感覚では、ドレスデン攻撃はただの「快楽殺人」です。軍事的に何の意味もない。ただ多くの人間を殺すことだけが目的でした。東欧の占領地から命からがら逃げ出してきた、着の身着のまま避難民が何を出来たのでしょう。ドレスデンは地上戦の戦場から遠く、有力な地上部隊もいませんでした。だからこそ避難民が集結したのでした。鉄道で逃げてきて、ドレスデン駅の周囲でたむろしていた避難民を、逃げられないように周囲を焼夷攻撃し、その後、炸裂弾でミンチにする。ベルリン空襲や、ハンブルグの完全破壊や、ケルンへの1000機爆撃や、ダム破壊爆撃や、ルール工業地帯を灰にするのとは全く意味が違う。ドイツの戦争遂行能力を減じる意味は殆どゼロです。これは犯罪です。カチンの森やアウシュビッツと殆ど変わりはない。血に酔った(それも泥酔です)爆撃部隊の暴走であったと思います。しかし、ドレスデン攻撃は通常兵器による攻撃です。その犯罪性は非常に強いものの。広島と長崎が被った惨禍は全く異質なものでした。数千度の熱線と放射能(放射線)が、地上にどのような地獄絵をもたらすかを、私たちはかなり知っています(幼い頃から8月には原爆の被害について教えられ、高校では黒い雨を読まされます)。広島への核攻撃と、東京大空襲の死亡者数はニアリーイコールです。しかし、街と人に与えた打撃は全くレベルが違うものでした。このことを先進国の国民は意外に知りません。唯一の被曝国である日本が情報を発信するしかないのです。核攻撃の被害に関する知識の伝播が核戦争の抑止に貢献するであろうことは間違いない。もちろん、知識の伝播だけで完全に抑止できる訳はありません。しかし、効果はゼロではないのです。原子爆弾が与える被害について世界に訴えることは、ある意味では日本および日本国民の義務と思います。多数派ではないかも知れないけれど、現代日本の豊かな生活(大分損なわれてますけど)の犠牲となって死んでいった数十万の同胞への哀悼の気持ちと感謝の気持ちを抱きつづけることと、都市への核攻撃がもたらす被害について世界に訴えることは、ある意味では、日本人及び当時日本に居住していた人々の義務だと思うのですよね。我が国の「国防大臣」に「しょうがない」と云われたら、これはもうどうしようもない。感情的には全く許し難いと思います。しかし、現在の日本政府の国防方針と鋭角に矛盾する発言とは言いがたい面もあります(この矛盾が悲しい…、全世界で唯一の核攻撃を受けた国でありながら、その核攻撃を実施した国の核の傘によって安全保障を確保しているという微妙な立場…)。罷免ではなく辞任という対応には納得感があります。だからと言って、通常兵器・核兵器を問わず軍備に反対する訳ではありませんですよ。戦力の均衡を壊すような一方的な軍備廃棄は戦争を誘発しかねないのです。もう戦争はしたくない、してはならないと思うがこそ、戦力の均衡を維持しなければならないと思うのです。今時は「非武装中立」は死語になりましたが、非武装と中立は全く両立しないのです。古い例で恐縮ですが、ベルギーという国があります。この国は大国に挟まれた位置にあります。ドイツとフランスの間に位置している訳です。現在のドイツとフランスが干戈を交えることは非常に考え難いのですが、ナポレオン戦争から第二次世界大戦まで、ヨーロッパの列強であるドイツとフランスは対立を続け、何度も戦火を交えます。その中間に位置していたのがベルギーでございました。米中の間に位置する日本に何となく似ていますね。ベルギー一国ではドイツにもフランスにも本格的な抵抗は難しい。非武装でかつ中立は可能か?。ドイツがフランスに攻め込むためにはベルギーを通らざるを得ない、このような状況の下で、私たちは非武装ですから抵抗できません、ドイツ軍さん、どうぞ無害通行して下さい、と云ったらどうなるか?。中立ではなくなってしまうのです。ドイツの侵略兵団の無害通行を許すということは、フランスに対する明確な敵対行為なのでございますね。無害通行を撥ね付けてドイツと戦うか、無害通行を認めてフランスと戦うかしか選択がなくなってしまうのです。ベルギー自身の力で戦争から離れていることはできないのでした。大国の狭間の小国というものは、大国が軍事行動を決意したら、選択肢が殆どなくなってしまうという宿命があるのでした。ちなみに史実(第一次大戦)では、ドイツ軍の無害通行要求をベルギー政府瞬時に撥ね付けました。 →追記ですけど、今では独仏の戦いは想像の外にあります。 →この状態をどのように作ったのかをよく理解して置きたい →今の状態では難しいけれども、真似するチャンスが →生じないとも限りません。軍備というものは、商売に似ています。全てが相対的なのです。現在の韓国陸軍の兵力がアフリカ中央部に存在したら、物凄い圧迫力を持つでしょう。兵力・兵器ともレベルの低い地域ですから。一方で、東アジアでは大した圧迫力には見えません。中華人民共和国の強力な戦力と、アメリカ合衆国の巨大なパワープロジェクション能力が均衡を作っている地域にいるからです。周辺諸国との相対的な優位劣位がポイントなのです。大陸周縁部に位置する日本は、色々な面で物凄く得をしている一方で、安全保障面ではかなりのレベルのコストを支払わざるを得ないのです。もし、日本がニュージーランドの位置にいれば、安全保障コストはどの位減るだろうか、と妄想してしまいます。私たちの選択肢は、残念ながら非常に狭いのでございますねえ。ホントに残念です。本日、小池防衛大臣の記者会見がありました。「現実問題として多くの方が亡くなられ、今も後遺症に苦しんでいる方が大勢いる事実を直視すべきだ。歴史的評価は人類にとって挑戦、人道的には認められないことは明らかだ」と、明確に米国を名指ししないながらもその判断を批判する一方で、「日米安保条約の下、米国との関係を引き続き堅持し、現実的な抑止力は確保すべきだ」と述べたと伝えられています。色々と言われてはおりますが、今日の記者会見については、合格だと思いました。旅行レポートを書く隙間が無くなってしまいました。旅行レポートは次回の日記から再開します。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 大将卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 40日 3時間 25分延びた寿命: 6日と3時間11分節約できた金額: 24085円(節税分 15186円)節煙本数: 1605本 160.57m シャトル組立工場節煙本数: 1566本 156.63m 霞ヶ関ビル【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/04
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さくさく続けてしまいます。今日は眠いのでやや軽めに流して参ります。ところで、前回の日記にたくさんのコメントをありがとうございました。SHIZUKAGOZENさんから「こういう催し物の予定を知るにはどうしたらいいのですか?」というご質問を頂きました。お答えします。一つは、ibukino-johさんのブログをこまめに見ることです。楽しい列車の運行情報が良く載ります。二つ目は時刻表の黄色のページを毎号読むことです。三つ目は、JR各社の支社のウェブサイトをこまめに覗くことでございます。前回は米坂線の小国駅を出発するところまでレポートしました。今回はその続きです。小国からしばらくは山間部を走ります。県境越えの醍醐味です。険しい地形を楽しめます。このような雪景色を走っているうちに、車内では再びイベントモードに入って参ります。今回の主役は小国町観光協会の皆さんです。マタギと熊が練り歩いております。図々しくポーズをお願いしてしまいました。相変わらず外は雪景色です。マタギに似合っております。続いてどぶろく娘でございます。看板に偽りなくどぶろくを配布しておりました。お代わり自由でした。恐ろしい…。どぶろくです。これがさくさく入ってしまうのです。旅先でアルコールに手をつけるのは非常に稀です。一昨年の石垣島以来でございますね。そんなことをやっているうちに、平野部に入ってきました。もう置賜地方の中心部は直ぐそこです。今泉駅に到着です。一週間ぶりの今泉駅です。連続二週で今泉に来るとは思いませんでした。前週の藻谷浩介講演会で、藻谷氏が絶賛していた、単線が4つの線に分かれる部分です。単線区間で4本とも日常的に使われているケースは確かに珍しいのです。「花回廊オープニング号」の「こがね」と山形鉄道フラワー長井線の並びです。これも珍しい絵柄です。今泉では結構停まりました。古びていて感じのある駅なのでした。山形鉄道の駅名板でございます。列車交換が済むと出発です。今泉でもお見送りがありました。とりあえずは、さよなら今泉駅です。数時間後に戻ってくるんですけど。次回は、羽前小松駅での歓迎振りをレポートします。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 大将卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 39日 3時間 46分延びた寿命: 5日と23時間34分節約できた金額: 23494円(節税分 14813円)節煙本数: 1566本 156.63m 霞ヶ関ビル【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/03
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★またやってしまいました。今回の間違いは、山形の食べ物の呼称を間違いました。正しくは、「玉こんにゃく」というべきところを、誤って「こんにゃく団子」と書いてしまいました。すんません。今回のご指摘は、鉄道趣味者の喜多山栄さんからでした。喜多山栄さん、ありがとうございました。今回で「春の青春18きっぷシリーズ」も100回目になりました。シリーズで100回に達したのは、昨年夏の「夏の青春18切符」シリーズ以来です。なんだか感慨があります。皆さん、コメントありがとうございました。マイスターさん、笑っていただき感謝です。九州で青春18きっぷに飽きて個室グリーンに乗った実況レポート以来でございますね。あの時は腰を痛めていらっしゃいましたですよね。全快なさってなによりでございます。さて、全快は臨時快速「花回廊オープニング号」で越後下関を出発するところまでご報告しました。前回の日記までが新潟県内での撮影でございました。今回ご紹介するのは山形県内でございます。米坂線の小国駅でございます。臨時快速「花回廊オープニング号」はこの小国駅で30分以上停車致します。この駅でかなりの規模の歓迎セレモニーが開催されました。さっきの「大したもん蛇ミニ」には冷淡であった鉄道ファンの皆さんも小国駅では結構楽しんでいるように見えました。それにしても…、乗客全員が鉄道ファンという列車はシュールです。生涯二度目の経験でした。以前に乗ったオール鉄の列車は「臨時快速秘境駅号」でした。結局確定レポートを作れなかった列車です。暫定レポートへのリンクを貼って置きます。ご関心のある向きはご覧下さいませ。 【暫定】臨時列車『秘境駅』号 【暫定】『秘境駅』号の実相この駅舎でこんにゃく団子 → 玉こんにゃくを売っていました。一本100円でした。リーズナブルです。空腹だったので、写真撮影を失念して完食してしまいました。ショボーン。山形の郷土食なんですねえ、こんにゃく団子は。美味しかったです。米沢近くでも再び食することが出来ました。小国駅の待合室で特産品を販売する小国町地域産業公社の皆さんです。これが結構魅力的なんですな。もう即買いました。「おこわ」です。鄙びていて風情があるんです。こういうものを食したいですねえ、山里では。ちなみにお値段は僅かに200円。割安感ありでした。バリューフォーマネーです。「おはぎ」も買いました。「牡丹餅」だったかな…。これで300円です。非常にボリュームがありました。この組合せで私のこの日の昼食になったのでした。続いて、小国駅のプラットホームの模様をレポートします。小国町観光協会の渾身の歓迎セレモニーです。ボスンボスン太鼓を叩いておりました。勇壮でした。うんうん。やっぱ太鼓は迫力があっていいですよねえ…。「花回廊オープニング号」として停車中の「こがね」をバックにしてみました。ちょっと厳しいですね。こっちは休憩中に撮影したものです。こんな組合せのコスプレもやってました。マタギと熊です。なんだかなあ…。仇同志ではないのですか…。本屋側のホームはこんな感じになってました。対面のホームは…。関川村の青年団の方々が休憩してました。あの「大したもん蛇」を担いでずっと列車の中を行ったり来たりしていたので当然お疲れだったのでしょう。「大したもん蛇」(正確には大したもん蛇ミニ)もホームに寝そべって休憩しておりました。と思っていたら、関川村青年団の方々は再び「大したもん蛇」を担いで走り始めました。若いです。さすがです。恐るべし関川村パワーでありました。再び小国町観光協会プレゼンツです。「どぶろく娘」という方々です。列車をバックにした撮影に気軽に応じてもらえました。ありがとうございました。VIVAどぶろく娘!。喰ったり撮ったりしているうちに出発時刻が近づいてまいりました。うんうん、こういう歓迎セレモニーはいいですね。時間が30分とコンパクトで飽きる間もなく出発になるのが良いです。考えなくてよいですから。この前の「SL村上ひな街道号」では色々選択肢があって悩みました。悩むのも楽しいのですが…。さあ、出発進行でございます。始業ダイヤを撮影しておきました。羽越本線と米坂線で乗務員が交代しているみたいで、仕業ダイヤは坂町から米沢までの記載でした。出発時の車窓です。ドンドコ太鼓を叩いて送ってくれました。ありがとうございます、小国町の皆さん!。これも出発時の車窓でございます。この次の停車駅は米坂線と山形鉄道フラワー長井線の乗換駅(線路も共有しています)である今泉駅でございます。同乗観光案内員さんは、新潟県岩船郡関川村から、山形県西置賜郡小国町に交代致しました。次回の日記では、小国駅から今泉駅までの行程を軽ーくご紹介いたします。はい。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 大将卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 38日 2時間 41分延びた寿命: 5日と19時間44分節約できた金額: 22867円(節税分 14417円)節煙本数: 1524本 152.45m 東京タワー展望台【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/02
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気が付けば、この「春の青春18きっぷ」シリーズも99回目になりました。「春の青春18きっぷ」シーズンの写真的な成果が大きく、ついつい長くなってしまいました。現時点でこのシリーズの掲載写真点数も2000枚を超えております。でも、もう少しでレポート作成もお終いになりますが…。さて、今回も「花回廊オープニング号」の乗車レポートをお送りいたします。前回の日記では「こがね」編成の車内の様子と新潟を出発するところまでをご報告しました。新潟駅から白新線を通って新発田駅に出て、更に羽越本線で坂町に出るまでは、車内には新潟支社(新津運輸区)の車掌さんと、仙台支社営業部員しか居ません。つまり普通の鉄道運行なのです。坂町からはがらりと趣向が変化してイベント列車色を強くしました。イベント列車に付き物の「乗車証明書」です。妙な形状をしておりました。何を象ったのでございましょうか…。多分山形県南部置賜地方の人形を象ったものだと踏んでおりますけど…。タイムテーブルも載っていました。 新潟駅 9時41分発 新発田駅 10時06分着 10時07分発 坂町駅 10時26分着 10時38分発 越後下関駅 10時50分着 10時52分発 小国駅 11時17分着 11時55分発 今泉駅 12時39分着 12時47分発 羽前小松駅 12時53分着 12時54分発 米沢駅 13時12分着結構長時間停車が多いのです。羽越本線から分岐して米坂線に入る坂町駅、列車交換を行う小国駅、線路を山形鉄道フラワー長井線と共有しており閉塞の関係上長時間停車が不可避な今泉駅でねっちりと停車致しました。坂町駅からは関川村観光協会の方々が乗車してきました。この「花回廊オープニング号」は米坂線沿線の自治体が各々歓迎イベントを行うという趣向なのでした。こちらは関川村青年団の皆さんです。村のお祭りに使用する巨大蛇人形のミニチュアを担いでの登場でございました。この蛇は「えちごせきかわ 大したもん蛇 mini」というみたいです。坂町駅で出発を待つ臨時快速「花回廊オープニング号」のジョイフルトレイン「こがね」です。JR東日本に限らず、列車名と編成愛称がもう無茶苦茶に区分けし難いです。改造プレートです。平成元年の「グラシア」への改造しか改造記録がないみたいです。「グラシア」から「こがね」へのトランスフォーメーションは改造ではなく、ただの整備みたいですね。こちらは米坂線の普通列車に入っている気動車です。40系ですけど、塗色が国鉄色でございますね。かつて「首都圏色」とか「たらこ」と呼ばれた色でございますねぇ。最近は国鉄色の復活が多いです。坂町駅を出発直後の車内です。何故か、旅館の女将さんの会の皆さんと武者姿の若者でした。武者姿は何だったのかなあ…。疑問に思いつつも、写真を撮影させていただきました。イベント列車だと、スタッフさんは気軽に撮影に応じてくれるのが嬉しいですね。この「花回廊オープニング号」では殆どのスタッフさんにお願いして写真を撮らせて頂きました。先ほど、坂町駅で乗り込んできた「大したもん蛇ミニ」が車内を練り歩いておりました。ううむ…、イマイチ浮いておりましたですね。こういうところには同情です。だって、地元観光関係者も、まさかキャンペーンのスタートを切る特別列車が鉄道ファンに完全占拠されているとは想像もしていなかったでしょう…。この山形花回廊キャンペーンに対して、千葉県の千葉デスティネーションキャンペーンはこの辺を良く分かってました。どうせ鉄道ファンしか来ないなら、出来るだけ大量の鉄道ファンを引き込んでリピーターになってもらうと云わんばかりに、鉄道関連の展示や、鉄道関係の街中博物館、果ては鉄道グッズの配布までやってましたですね。ブログに書くと混乱すると思って、リアルタイムでは書きませんでしたが、館山の某所では時刻表のバックナンバーの無料配布までやってました。昭和39年の時刻表を貰いました。涙が出るほど素晴らしかった…。「大したもん蛇ミニ」が折り返してきました。「担いでもいいですよ」とか「触ってください」と云う声がかかりましたが、鉄道ファンは冷淡でした。「花回廊オープニング号」は新潟県内の山間部を県境に向けて走行していました。この辺りの車窓はなかなかの魅力なんですが、外を見ている余裕がありません。そう言えば、この「花回廊オープニング号」の前の週に車輌故障に遭遇したのはこの辺でございました。「えちごせきかわ 温泉郷 おかみの会」の皆さんでした。車内で何かを配ってました。食べ物だったと思いますが、即食べてしまったので、何を受け取ったのか思い出せませんでした。意地汚く、余っていたものをもう一度貰って食べました。でも、何を食べたか思い出せない私…。この列車では配り物の連続でした。この次の旅程(第10旅程)で乗車する臨時快速「風っ子くるり号」もそうなんですけど、地元観光協会の血圧の上がり具合が凄いのです。こういう列車は楽しめますね。越後下関駅です。新潟県岩船郡関川村の中心駅です。「大したもん蛇」が見送ってくれました。うんうん。なお、関川村の人々は、ここでは下車せずに、次の小国駅まで乗車してくれました。県境を越えた最初の駅の小国駅で、山形県西置賜郡小国町の人々と交代することになります。新潟県と山形県の県境付近です。この旅程の前の週に通った時には、気動車の発動機故障で、どうなるんだろう、と思いながらの通過でしたが、この週は、小国ではどんな楽しいイベントがあるのかなあ、と思いながらの通過でございました。今回はここまでに致します。次回は米坂線小国駅での長時間停車の模様をお伝えします。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 大将卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 37日 6時間 57分延びた寿命: 5日と16時間43分節約できた金額: 22373円(節税分 14107円)節煙本数: 1491本 149.16m 札幌テレビ塔【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/02
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続きでございます。前回の日記では、「こがね」編成で運行される「花回廊オープニング号」が新潟駅に入線するまでをご報告いたしました。今回は「こがね」編成の車内をご紹介いたします。こいつが「こがね」です。顔立ちは西武旧レッドアローみたいな感じでございますね。でも内部は全然違います。ジョイフルトレインなのです。早速ですが、JR東日本によるこの「こがね」に関する自己紹介を引用します。<JR東日本の自己紹介>ジョイフルトレイン「こがね」は、これまで「グラシア」として親しまれてきた車両が登場から15年を経過したため、更なるリニューアル改造を行なって登場した。東北地方の気仙沼線、石巻線、陸羽東線や一ノ関・平泉地区は、豊かな自然や歴史的文化遺産が点在する「黄金海道エリア」と位置づけられており、「こがね」はこれらにちなんで車体塗色をアイボリー、オレンジ、ゴールドの3色塗り分けとしてイメージを一新した。客室内装についても、腰掛けモケットの貼替や絨毯の貼替、カーテンの取替を行なったほか、車椅子スペースや身障者対応大型洋式トイレの新設によりバリアフリー化が図られている。(引用終り)エンブレムでございますな。ここのところ20年くらいは鉄道車両いエンブレムを付けるのが流行しております。その昔は、お召し列車の菊のご紋章くらいしかなかったのでございますけどね。「こがね」の客室内です。かなり特殊な座席配置になっています。1-2シートと2-1シートが交互に入っています。シートピッチもかなりスカスカです。各座席は、斜めに固定することも可能にしてありました。展望車的な運用も視野に入れた設計と言えるでしょう。座席番号表示です。3列なので、通路と反対の窓の上にこのような3列分がまとめて表記されています。続いて運転台です。もはやキハ58(28)の面影はありません。全面更新されていました。半室運転室にされていました。マスコンがクラシックです。ひょっとしたら再利用かも知れませんね。一般トイレの便器です。こちらは多目的室を兼ねたバリアフリー便所です。異常に広いのです。多目的室にはこのような洗面台がしつらえてありました。一両だけはこのような、ワインレッドを基調にしたデザインで更新されていました。なんで統一しないのかなあ…。編成の両端部はこのような展望室になっていました。パブリックスペースとして開放されるのが普通なのですが、今回の「花回廊オープニング号」としての運用では、車内でやたらとイベントをやるので、その控え室として使われ、片側は開放されませんでした。号車表示です。裏返しにすると指定席になる、という仕組みでした。この日の運行は全車全席指定での運行だったのですが、撮影のために短時間裏返しにして見ました。キハ59の諸表示です。定員の少なさにご注目下さい。僅かに27名です。二段B寝台客車でも定員は24名あります。一人あたりスペースが非常に贅沢に割り振られた車輌であることが分かりますよね。また、この「こがね」はキハ58からの改造なのですが、改番してキハ59になってました。出発間際の「花回廊オープニング号」でございますね。このような横断幕で送ってくれました。この「花回廊オープニング号」はJR東日本仙台支社と山形県観光協会などのタイアップキャンペーンである「山形花回廊キャンペーン」開始として運行されたものでございます(JR東日本は山形には支社を置いておりませんので仙台支社の管轄になるのです)。横断幕を持っているのはJR東日本新潟支社の営業部員ではなく、JR東日本仙台支社の営業部員さん達でした。前の週に長井で見かけた顔もありました。営業部員さんも毎週出張で大変ですね。このような感じでやってました。やっぱ、ただの列車ではない、という雰囲気です。とは言え、新潟駅ではこれだけでした。仙台支社の列車ですので、本格的な出発式は、復路始発の米沢での開催となりました。やはり、他支社で大騒ぎするのは気が引けたのでございましょうか…。やがて、「花回廊オープニング号」は新潟駅を出発し、白新線を東に進みました。検札は車掌ではなく、JR東日本仙台支社の営業部員によって行われたのでございました。白新線・羽越本線で坂町に進むまでは、普通の列車運行です。次回は坂町駅からレポートを再開します。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 大将卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 37日 1時間 24分延びた寿命: 5日と15時間52分節約できた金額: 22235円(節税分 14019円)節煙本数: 1482本 148.23m 札幌テレビ塔【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/01
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続きでございます。前回は暇つぶしのために、新潟駅から信越本線に乗って新津駅に向う途中までご紹介しました。今回は新津駅での撮影分をざっくりご紹介するところから再開します。新津駅周辺の留置線に停車中の気動車群です。新津は、羽越本線の始発駅、磐越西線の始発駅(終着駅)でもありまして、日本海側の交通の要衝でした。交通の要衝というのであれば、直江津なんかもそうなんですが、巨大な車輌基地があるのでございます。その上、巨大な鉄道車両工場なんかもあります。いつか見学してみたいものです。新造も結構やってますので。もうちょっと手前に引き寄せて撮影しました。手前の方が40系気動車、ちょっと奥にキハ52、その向こうに「こがね」が見えますね。やはり、新津で待機していたのでした。いっそのこと新津始発にしてしまえば良いのに…。でも、実際は新津→新潟間は回送運転になっておりました。更に立ち位置を微妙に変えて撮影してみました。「こがね」を除くとキハ58とかキハ28は居ないようでした。新潟支社は、何となくですが、気動車は新ニツに所属させて、電車は新ニイに所属させる分担にしているような感じでした。直流電化でローカル色が濃い場所は東日本ではこの辺と長野くらいしかないですねえ。更に立ち位置を変えてみました。キハ52を先頭にした3両編成です。奥の2両は40系気動車ですね。架線が邪魔ですけど、これが「こがね」です。新津で出発準備中です。まだ発動機を始動していないですね。所属は仙ココです。かなり頻繁に運行されており、車輌自体は割りと簡単に乗れます(人気がない列車も多いです)。今回の「花回廊オープニング号」の人気の原因は、走行区間が米坂線であることに加え、キャンペーンの最初の列車ということで、かなり手厚い歓迎式典が開催されることでした。この辺りは後でじっくりご報告します。新津から新潟に戻る時に利用した、115系電車の方向幕の見出しみたいな張り紙です。新潟経由とか、新津経由とか、吉田経由とか、長岡経由なんという表示が沢山あります。新潟県内の新潟周辺は、越後線・白新線と信越本線・羽越本線が東西に平行して走っています。そして、南北を弥彦線と信越本線が繋いでいるのです。このような事情から、かなり複雑な運転系統が残されています。再び新潟駅です。この日は新潟市が政令指定都市に昇格した日でございました。この「花回廊オープニング号」の運行がなければ、新潟市内で式典を追ったのですけど…。新潟駅で、「花回廊オープニング号」を待ち受けている間に撮影したものです。快速「べにばな」でございますね。新潟から坂町を経由して米坂線を米沢まで走ります。昔は急行「べにばな」でしたが、現在は快速です。「花回廊オープニング号」と走行区間が完全に重なります。キハ52国鉄色での運行でした。新潟駅の出発案内板に「花回廊オープニング号」の表示が入りました。そろそろ到着です。入線シーンを撮影するために位置に付きました。練習で撮影した110系気動車です。新津に回送される列車ですね。新潟新津間にはかなり頻繁に回送列車が設定されていますですね。時刻表だけでは把握できない区間でございます。この時の新潟駅ホームの高崎側の端には鉄が集結していました。またしても、知り合いが全国から集合という状態でした。皆さんの話題は、前日の3月31日で廃止された「くりでん(栗駒田園鉄道)」か「かしてつ(鹿島鉄道)」の模様ばかりでした。私もSLにかまけずに「かしてつ」に行くべきだったかも知れませんですね。いよいよ、「花回廊オープニング号」の入線でございます。この「花回廊オープニング号」で延々と3時間かけて米沢まで移動することになります。恐ろしいことにこの列車の乗客はほぼ全員が鉄でした。しかも、8割方が顔見知りでした。恐るべし…。チケッティングが厳しい列車だったのでこのようなことになってしまったのでしょうか…。地元の観光協会の方には申し訳ないのですが、「全員鉄」で、しかも大量の空席が…。次回は出発までをご紹介します。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 大将卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 36日 23時間 34分延びた寿命: 5日と15時間36分節約できた金額: 22189円(節税分 13990円)節煙本数: 1479本 147.93m 札幌テレビ塔節煙本数: 1468本 146.8m クフ王のピラミッド【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/01
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皆さん、ご声援コメント&メッセージありがとうございました。大事を取ったので、多分大丈夫です。はい。ところで、ここ数日しょうもないものにはまっております。先週に放映が終了してしまった子供向けのテレビ番組なのですが、「美少女戦麗舞パンシャーヌ 奥様はスーパーヒロイン!」という番組です。テレビ東京系で平日夕方の放送ですので、当然リアルタイムでは見ることが出来ないのですが…。本気だか、90年代のポワトリンのパロディーだか、よく分からん作りです。主演は矢吹春奈というグラビアアイドルの方だそうです。無茶苦茶な設定でして…。今までのスーパーヒロインものにはない、既婚女性が主人公という設定です。作りは超低予算みたいです。WIKIには、「史上最も低予算かもしれない」とまで書かれておりました。残念ながら、この番組の存在を知ったのが、放映終了後でしたので、YOUTUBEで見てしまいました。なんでもかんでもYOUTUBEで見られる時代になりました。便利な世の中でございます。はい。ところで、前回に日記に、鉄道ファンの重鎮ibukino-johさんからコメントを頂きました。ご紹介しておきたい内容ですので、引用します。<引用始め>定期列車は、MV系のマルス普及で、自分で券売機を操作して発券出来るようになり、窓口に並ぶことなく楽に入手できるようになりました。しかし、この花回廊はじめ、風っこ列車などの臨時列車はMV端末では扱ってなく、えきねっとでもダメ。結局、みどりの窓口に行かざるを得ず、しかも最近は営業時間の短縮で行くことすらままならない場合もあります。(明日から栗橋駅の「みどりの窓口」は、21時までの営業が18時までとなってしまいます。MVが1台あるので、買う場合はいいのですが、乗変や取消・払戻なんかの場合は大変です) 「JR北海道二日間乗り放題のチケット」というのは知りませんでした。食指が動きそうです… <引用終り>JR北海道は、スーパー前売りきっぷという切符を出しています。「利用の2週間前までに購入すると道内の特急列車普通車自由席を乗り降り自由。指定席も4回まで利用可能」で1万円です。但し、利用可能期間が限定されており、土日で使用可能なケースが少ないのです。ううん…。そんな訳で今回は行きたかったのですけど…。身体のことを考え自重しました。MV端末についても触れていただいております。JR各社で呼称が異なるのですが、JR東日本の場合は指定券販売機と呼んでます。この販売機だと、駅員が居ない時間でも指定券を買えるし、乗車券なら全駅分を購入可能なのです。なんですが、このMV端末は指定券を買える区間が端末機ごとにプリセットされていて、臨時列車で余り一般的ではない筋(指定席を繋いでいる列車が設定されていない区間)の指定券は買えないのです。風っ子シリーズでも、木更津=上総亀山を走る「風っ子くるり」は購入できませんけど、房総特急が設定されている区間を走る「風っ子南房総81号」(木更津→館山)は買えます。微妙なんです。このシリーズでご紹介した列車では、「SL村上ひな街道号」や「キラキラうえつ号」や「EL&SL奥利根号」は購入できますけど、「花回廊オープニング号」や「ゴロンとなのはな」は購入できません。この販売機で凄く重宝するのはムーライトシリーズです。ムーンライトシリーズは青春18きっぷシーズンは発売開始日に蒸発してしまうのですが、結構キャンセルが出ます。指定券販売機で丹念にキャンセルを探すと、相当の確率で確保できます。はい。また、「みどりの窓口」の営業時間の短縮にも触れて頂いております。これも指定券確保に変化をもたらしています。現在のマルスは9時57分から10時までの数分を除いては、殆ど24時間稼動しています。各駅の「みどりの窓口」の営業時間は短縮されては居ますが、都心部の深夜帯まで特急列車が出発する、上野や東京や新宿は23時台まで窓口は開いています。私の経験では、企画枠の開放は21時以降に行われるケースが多く、大半のみどりの窓口が閉鎖されている21~23時に指定券を確保できたケースが多いのです。さて、本題でございます。今回から第9旅程をご紹介してまいります。第8旅程と第9旅程は殆ど連続しております。水上から蒸気機関車牽引の列車で東京に戻り、自宅でデジカメの画像データをPCに移し、直ぐに出発いたしました。3月31日の23時頃の新宿駅周辺です。この第9旅程の目的である臨時快速「花回廊オープニング号」は新潟→米沢→新潟と運行されます。先ずは新潟に行かねばなりません。青春18きっぷシーズンに新潟と云えば、この「ムーンライトえちご」でございます。もう飽きました。この「春の青春18きっぷ」シリーズで、「ムーライトえちご」に乗るのは3回目でございます。「夏の青春18切符」シリーズの際に4回連続で「ムーンライトながら91号」に乗りましたが、これに次いで居ります。23時09分が定刻です。この列車が定刻通りの運行になることは殆どありません。新宿発着の列車の遅延がほぼ毎回発生し、接続を取るために発車抑止をかけるのです。今回は、赤羽で防護無線発報にひっかかり、大宮で20分くらいの遅れになっていました。はい。この前の週に乗った時には新潟色の485系が入ってましたが、この時は再び国鉄色の485系に戻っていました。で、新潟駅には定刻の4時50分の到着になっていました。ムーンライトえちごは夜行列車なので、やたらと余裕時分が長いのです。30分くらいの遅延は楽に回復してしまいます。新潟駅構内の花文字です。新潟市が政令指定都市に昇格したことを祝って飾られておりました。新潟市のマンホールの蓋です。もちろん、汚水です。あまりに頻繁に来ているので、もう感動はありません。下手をすると、3月は新宿や池袋に行くよりも、新潟に頻繁に行ったような気がします。新潟駅構内の保安施設です。もちろんP型です。JR東日本はこういう所には手厚いのです。新潟駅に展示されていた佐渡の金鉱石です。かつての日本は貴金属が物凄く採れた国でした。佐渡の金山とか石見の銀山でございますね。江戸時代前後に掘り尽してしまうのですけど。「ムーンライトえちご」の新潟駅到着は4時50分で、「花回廊オープニング号」の新潟駅出発は9時41分でした。大分時間が余るので、信越本線を新津方向に移動することに致しました。E127系の6連です。この電車で新津駅に行って、「こがね」の所在を確認に行きました。今回はここまでに致します。次回から「こがね」をレポートします。【現在の卒煙式の表示】 ステータス: 大将卒煙日: 2007年 5月 25日卒煙からの日数: 36日 3時間 51分延びた寿命: 5日と12時間35分節約できた金額: 21696円(節税分 13680円)節煙本数: 1446本 144.64m 大鳴門橋主塔【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/07/01
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