【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

2007/07/14
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鉄道趣味人の喜多山栄さん からお寄せいただいたコメントです。

『宗派の地域性』

こんばんは。我々日本人は意図的に改宗したり、「無宗教」を宣言しない限り、亡くなったときには大多数が仏教(お寺)の世話になることが多いですね。我が家がお世話になっている寺の住職の話によると江戸時代のキリシタン禁令で檀家制度が発達して「仏教が体制の一部に組み込まれた」ことが大きいからだそうです。私が生活の拠点にしている中京地区も真宗(「浄土真宗」と名乗るのは西本願寺を本山とする「浄土真宗本願寺派」のみ。ほかの真宗諸派は「真宗○○派」と名乗る、例・真宗大谷派、東本願寺が本山)が強い地域です。親戚の法事に呼ばれたようなときにお経(厳密に言えば親鸞上人が書いた「正信偈(しょうしんげ)」という漢詩」を読めないと恥をかきます。住職は「暗記しなくてもよい。書いてあるのを読めばいい。これが真宗の考え方」といってくれるので助かりますが。ブログという場で宗教・思想に深入りするのは避けますが、地域によって宗派が偏在しているという事実は興味深いところですね。最初に移住した人たちはお葬式をあげるのに自分の宗派のお寺を探すのに苦労したことでしょうね。今では所属するお寺を持たなくても「○○宗」といえば葬儀社がすぐに該当のお寺を紹介してくれますが…。(2007/07/14 12:26:38 AM)

ブログで政治や宗教を話題にするのはやや危険なのです。極力中立的な記述とするように務めておりますが、一方で、政治や宗教の話はまあ、面白いのです。かつて戦国時代には宗教勢力は物凄い影響力を発揮しました。ヨーロッパの歴史を読めば感じられるかも知れませんけど、宗教が世俗権力を掌握すると恐ろしいシチュエーションを現出することがございます。宗教戦争でございますね。ヨーロッパでのカソリックとプロテスタントの戦争もそうですし、日本における一向宗やキリシタンと世俗権力の戦いもそうでございますが、宗教戦争は「引くに引けない」戦争になってしまいます。教義が来世救済だったりすると、もう大変です。「戦死イコール殉教(救済)」と言う図式になりますので、犠牲を厭わない絶滅戦争になってしまうのでございます。

日本の歴史においては、織豊政権から江戸時代にかけて、政教分離が強烈に進められていきました。比叡山を焼いたり、一向宗への殲滅戦争、キリシタンの絶滅戦争を経て、江戸時代に、檀家制度が確立されて参ります。この檀家制度と言うのがまあ効果的であったのではないかなと思ってます。世俗権力の末端として寺を活用していく訳です。宗教と言うものは「世の中間違ってるから糾すのじゃあ」的な性格があると反権力色が出てきて、まかり間違うと革命勢力になってしまう訳ですけど、権力の下側に宗教がもぐりこむと、社会改革色を徐々に失い、利権集団化してしまうことが多いようです。江戸時代の檀家制度の確立は、色々な仏教勢力へ、生活手段を提供し利権集団にさせてしまいました。こうなると、宗教勢力は布教の努力を怠るようになってまいります。檀家制度で、生活基盤となる信徒集団基盤を世俗権力によって保証され、また、世俗権力のリードで宗派間の異動は極めて困難になる訳です。つまり、自由競争(布教)も消滅していきました。こうして、我が国は一応宗教は存在するものの、誰も(大多数は)信じていない、と言う不可思議な状況が生じているような気がします。

notoshunは思うのですが、アメリカ人や西欧人は宗教への依存が非常に強い。行動や思考に対する宗教の影響が強いよね、と思うのです。東南アジアの上座部仏教諸国もまた宗教が人々の思考に強い影響を与えていると思うのです。これらに比して、日本人の思考や行動は宗教ではない教義(例えば石田心学や、ダグラスマッカーサーが持ち込んだありもしない「理想のアメリカ」)の影響の方が強いと思うのです。良い面も悪い面もありますけど、日本人の考え方が世界の他の国々に比べてユニークであるのはこんなところも要因の一つなのかなあ、と思ってます。日本の極めて特殊な鉄道システム(異常な運行密度や偏執的なダイヤ厳守)が生まれた要因も宗教にあったりするかも知れません。





さて、今回のお題に入ります。八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)です。木更津駅の近くにある神社です。前回ご紹介した証誠時よりも遥かに規模は大きいのでございます。







本殿でございますね。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀った神社のようです。日本がいつできたか、は、謎が多いテーマです。最初に大和で政権が生まれ、北海道を除く現在の日本列島を徐々に征服して行ったらしいことは分かってますけど。その征服の過程で日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が木更津に立ち寄ったことがあるみたいです。







頭上を旅客機が通過していきます。木更津には色々な顔があります。東京湾岸の主要な工業地帯という顔もあれば、江戸時代には海運の拠点でした。鉄道の結節点でもありました。東京湾横断道路の揚陸点として、神奈川県へのルートにもなってますね。現在でも木更津は交通の拠点です。羽田空港への進入ルートなのでございますね。羽田へのアプローチにはドリームサウスとか色々なルートが設定されていますけど、風向きの関係もあって、一番使われるルートはキサラズサウスアプローチのようです。到着便がバンバン頭上を通過していきます。







木更津の歴史を表示した案内板です。徳川家康が豊臣家を攻めた大阪夏の陣には、木更津の水夫も動員されたとのことでした。そして、戦死者を出したようです。戦後、保障と戦功行賞の意味も兼ねて、徳川政権は南総の物資輸送に関して木更津に独占免許を与えたのでした。この独占免許で木更津は東京湾内の海運の中心地になっていく訳でした。もう栄まくったらしいです。案内人の言によれば、如何わしい繁華街もたくさんあったみたいです。









さて、「風っ子くるり」の出発時刻が迫って参りました。そろそろ木更津駅へ戻らねばなりません。この画像は木更津市のマンホールの蓋でございます。マンホールの蓋も童謡「證誠寺の狸ばやし」をモチーフとしたデザインになっておりました。







最後の画像です。木更津駅前のモニュメントです。「月とタヌキ」でございました。もちろん、これも童謡「證誠寺の狸ばやし」をモチーフとしたものです。

以上で、木更津レポートを終りにします。次回から「風っ子くるり」レポートに入ります。

【昨日のマイレージジャンキー的な成果】

朝食(SUICA) 4マイル(JL)
ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH)

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Last updated  2007/07/14 04:36:41 PM
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