同居介護

11月2日 金曜日  異例の退院

なんと今日義母が退院してうちにきた!うをーーー!!^^;
手術してから8日目。もちろん抜糸もまだ。
年寄りで、糖尿病で(傷が治りにくい)のこの退院は
異例もいいところだろうな。

本当ならまだ入院してやる処置は抜糸も含めて通院で。
昨日管をとったけど、脇のとこの血がまだ抜けきれてなく
それも通院で直接注射で抜くらしい。

義母のキチガイになってまでの執念で勝ち取った退院。すごすぎ。
でも、これから大変だぞぉぉ^^;

というわけで、とりあえず普通ならまだ入院してるだろう期間は
ということで、わたしのうちでみることにした。
ってゆうか、うちじゃなきゃ見てやらねえ、って気分。

夕方まではどうも不安定なとこもあって、やばいかなぁ、
と思ったけど、その後は大分落ち着いていた。
不機嫌そうなときはこっちもムカついてくる。
「なんでここにいるの」
じゃぁ、好きにしろよ。自分ち行けよ。
その変わり、わたしは知らんよ。って言いたくなる。

今ひとつ気がかりは義母の介護認定調査。
病院でどさくさにまぎれて済ますつもりだった作戦がぁ。
まいったなぁ。今のとこまだ機嫌は不安定でただでさえひやひや。
どうしようかなあ。んー。

11月3日 土曜日 文化の日  義母はターミネーター

義母は大分落ち着いている。
一日に一度くらい「こんな注射してくれなんて頼んでない」
と怒ったりするけど。(義父にね)
その流れで消毒も拒否。午後したけどね。

義母はいまいち今居るうちや自分の家のことがよくわからず
少し混乱していて、不安になったりするようだ。
「(義弟)はどこにいるんだねえ」
「今日はどこにいくの」「明日はどこにいくの」
ダンナが「明日(義弟)のいる家に行ってみようか?
入院前にいたとこだよ」と言っていた。
「そうだねえ。それもいいねえ」と言っていた。

それから義母は自分のことを「わたし」か「ばば」と
言っていたのだけど、入院中から自分のことを
「おかあさん」と言うようになった。
わたしは初めて聞くのでちょっと変な感じ。

今日は「わたしなんだかおかしくなっちゃってやんなっちゃうわ」と
いうセリフを初めて聞いた。大分精神的には落ち着いてきている。

リハビリの先生に初めて会って趣旨を初めて聞いた。
病名や薬のことは関係なく、日常生活を送る上で困ることを
改善出来ることは改善し、改善できないところはどうしたら
より困らないよう生活が出来るかを考え訓練していく、ということ。
それで今はまだ様子を伺っているところで、
言葉や記憶の訓練をしているとのこと。

手術をしたから外科からリハビリに行くことになったのだけど、
リハビリセンターでは手術個所以外も含めて見てくれるというのが
今回のひとつ収穫。実際外科のリハビリは2日で終わってしまった。
あとは「言語」のリハビリに通院し、落ち着いたら近くの病院か
デイサービスに行くのもいいと思うと、先生が言っていた。

そう義母はほんとに我慢強い。ってゆうかすごすぎ。
痛み止めも飲まず一度も家族にも「痛い」と言わなかった。
先生や看護婦に「いかがですか」聞かれても
「なんともないです」しか言わない。

手術後4日目から腕を肩までからはじめて、少しずつ
頭まであがるようにリハビリ予定だったのだけど、
なんと手術翌日にはすでに肩まであがってた。
そしてリハビリ初日には頭まであがってた。
びっくりというか、これはもうターミネーターでしょう。

11月4日 日曜日  あああぁぁぁーーー!叫びたい!!!

朝からの一日の日課をカレンダーの裏にマジックで書いて張り出した。
1日4回の血糖値測定、2回注射、消毒、飲み薬、目薬。
義父はすぐ勘違いしたり、忘れたりするし、
何度も聞くのがうざいので。
これでわかりやすくなったね♪

義母、夜最後の血糖値測定の拒否。
それから義母切れる。退院後危ない時もあったけど、初だ。
ダンナが初めて少し怒って説教していた。
でも、義母はおさまらない。
もう勝手にしろ。全部やめちまえ。って叫びたくなる。
ってそうすれば、そのうちどこかがおかしくなり
例えば人工透析になれば、きっと拒否し、狂い、死ぬだけだ。

わたしだって、なんでやりたくもないことを、
嫌がられてまでやらなければならないのさ。
なんでこんな息苦しいやってらんないようなことばかりの生活を
我慢して付き合ってやってんのさ。
息が苦しくて胸が痛いぞバカヤロウ。

11月5日 月曜日  息を吸うと胸が痛いのですけど

退院した病院から転院ということで糖尿病専門クリニックに行った。

買い物行ってもひとつぐらいは義母の買いたいものを買うことになる。
ひとつで済めばよい方なのだけど。菓子パンを2つと柿を買う。
帰宅してすぐに義父が「今柿食べさせちゃだめか?」と言う。
「…そんなこと聞かれても困るよ」
ほんと知らねえよ。わたしに断らないと食べられないから
言うんだろうけど。
「今食べてどうするのよ…ボソッ」と本音。

介護保険の認定調査については、
ダンナの鶴の一声で予定通りすることにした。
義父とだけ話す隙というのがなかなかないし、
義母にわからないように外から携帯で電話しようと思ってたんだけど、
めんどくさくなってしまったし、
義父と義母の前で予約票を出し「これ電話しなくちゃ」と。

義父「あー断るのか(小声で)」
わたし「断らないよ。今断ったっていつやるのよ」
と言って、場所を病院→自宅→わたしのうちということで
連絡を済ます。

わたし「65歳以上になったら、保険の認定をもらわないと
いけないからね」
義母「それでお金が戻ってくるのかい」
わたし「そうだよ」

義父「介護の調査に市役所の人が来て、いろいろ聞いてくんだよ」
義母「ただなの?」
義父「ただだよ」
わたし「義父さんは義母さんが病院に居る間に終わっちゃったからね」
わたし「そろそろ保険証が戻ってくるころだね」

ってな具合。敏感な義母のことだから、
なんかやな感じはするだろうけど
こっちは毅然とした態度でいることにした。

夜は義母をお風呂に入れてあげたいと思って、工夫して、
なんとか下半身だけお風呂、上半身は拭いてあげることに成功。
義母も喜び、みんなして喜ぶ。苦笑

11月6日 火曜日  修羅場泥沼

って書くほどじゃないと思うけど、現在レベルではこれ。
義母狂う。すごくつらい。どうしていいかわからない。

乳がんと糖尿病。そして痴呆。被害妄想。
今日抜糸は出来なかった。また1週間伸びた。
義母は病院の帰りに切れて、暴れる。一人でずんずん歩いていく。
けど、道がわからず戻ってくる。
わたしは追っかけるも途中から沈黙するしかなく、
後ろについて歩いていた。
義父とはぐれてしまって、義父も大慌てだったようだ。
無事に合流して、義母はわたしの車に乗るのか?乗ったので、発車。

でも車の中で暴れ始める。
「危ないからやめて」と初めて怒鳴った。
そしたら義母が義父のセカンドバッグを破った。(すごい怪力)
車を停めて、「危ないから運転できない」と言った。
「義母さんはどうしたいの。今わたしはどうすればよいの」
と聞いたけど、らちがあかない。
しまいに「またそうういことを言う」と殴りかかられた。
「とにかく一旦帰ってそれから考えてもいいから。
それまでおとなしくしてて」と発車。右足がガクガクしていた。

帰宅して、当然注射拒否。もういいよ、ほんと。
あとたぶんうちじゃなくて自分ちへ帰って、誰の世話にもならず
自分の意思で今まで通りの生活したいんだと思う。
義母が出来ないことは義父がやればいいと思ってるんだと思う。

誰かが気になって電話かけてきても、
下手なことを言えずテキトーに話して切る。
強盗が入って、電話がかかってきても
「助けて」って言えないのと似てる。
ほんとは心の中で「助けて」と叫んでいる。

もう限界。もうだめ。怒鳴ってしまったし。ぶたれたし。
夫婦や親子姉妹とは違うわたし。
義母がトイレに入ってる時に、義父が「死にたい」と。
わたしは両手をあげて首を振るしかなかった。
明日はどうなるんだろう。想像も出来ない。

11月7日 水曜日  介護認定調査レポ

不安でいっぱいだった介護保険の認定調査。
もう発狂ついでで、どうぞ好きなように発狂してください
というつもりで待つ。

病院もすべてキャンセルしたので、
義父としてはこれもキャンセルしたかっただろう。
でもそうは問屋が卸さない。
こんな時だからこそ、ワラをもつかむ想いで臨もうじゃないかさ。

忘れてる振りをして、時間前に携帯がスケジュールありの音楽。
「あ、今日市役所の人が来るんじゃん」(超しらじらしく)
義父とは目を合わせないようにした。
それで隙をみて、「大丈夫と思うよ」
「市の人だからいろいろ聞いてみればいいじゃん」と言っておいた。
その前に義父が病院もだめで、もうどうしていいかわからない
こういうことはどこに相談したらいいんだろう、と言っていたので。

義母はその前に散歩に連れていったのがよかったようで、
少し落ち着いてきていた。(でも注射は拒否)
そして介護認定の人は義父の時と同じ人で、
電話でもよくよく話してあったし、感じのすごくよい人だったし、
そして義母は「市役所の人」ということで安心感があったようで、
大成功だった。

痴呆関連は後でわたしが報告するということで、
それ以外の質問事項を順次こなしていく。
基本的には義母へ質問する。
しかし、どの質問も質問じたいの意味が通じず。
ここまで通じないとはちょっとびっくり。超とんちんかん。

言語のリハビリにいってるという話しのついでで
ひとつだけ痴呆関連の「今の季節はなんですか?」の質問を出された。
でも「季節」という言葉がわからないようだ。
紙に「春夏秋冬」と書いて「この中で今の季節はどれですかー」
と聞いても「『春夏秋冬』だねえ」と書いてある字をそのまま読む。
「で、今は夏かなあ、秋かなあ。それとも冬かなあ?」
と聞いても「『春夏秋冬』と違う?」(だめだこりゃ)
それでわたしが「この4つの中からひとつだけ選ぶんだって」
と言ったら「どれにしようかねえ。これにしようかしら」と夏を指す。

義父が今の自分の困っていること(義母の治療拒否)を話していた。
訪問看護を勧められた。
その後わたしは外に出て、調査員の人の車の中で30分くらい
話しをして終了。

11月8日 木曜日  おまえたちにはわからない

引き続き血糖値測定とインスリン注射と病院を拒否。
義父とふたりでお手上げ。手がつけられない状態。
この状態をダンナと義弟にもっとわかってもらいたい。
もっとわたしたちの立場に立ってわかろうとしてもらいたい。
もうほんとになんともいえないダンナと義弟への想いがふつふつと。

わかってるよ。そうだろうよ。しょうがないよ。
だけど、だめ。許せない、とまで思う。

キミたちの言うことはまだきくんだよ。
義母が「やだ」と言えるのは義父だけなんだよ。
それで切れたときに、そのキミたちが簡単に言うことをきかせたときの
我慢の分をぶつけられるのはこっちなんだよ。
それわかる?わかるかい?わかれバカヤロウ。

前日の夜に切羽詰って義弟に「いちおう報告しとこうと思って」
と電話した。
こんなに大変だったんだってことを知ってもらいたかったし。
でも義弟は簡単になんでも知ったような口ぶりで
的のはずれたことばかりエラそうに言うだけ。
ほんとに殴り殺したいほどに憎かった。
電話しなきゃよかったと思った。

夜ダンナが早く帰宅してくれ、義弟も様子を見にきて
全員集合となった。
ダンナがいとも簡単に注射を済ます。(イヤな顔はしてたけど)
義弟が「健康のためにやったほうがいいよ~」
とか簡単に言ってくれる。

でもすでに義母は2回行った散歩がよかったようで、
機嫌がよくなってきていた。
散歩のときのことを話したり「女の人がきたりよ」(認定調査の人)
とか何度も機嫌よく話していた。(でも話しの内容はすべて意味不明)

長時間かけてわたしも押したり引いたりして、
一生懸命説得していたし、
義父も機嫌よいかな?と思っては誘って、玉砕したりしながらも、
やっとやっと血糖値の測定に応じてくれたところだった。
その仕上げをダンナや義弟に簡単に持ってかれた感じで、
すごく腹ただしかった。
わたしらがどんだけ辛く苦しい想いをしたのか。
この持久戦を必死に戦ったのはわたしらだ。

11月9日 金曜日  病院拒否症

糖尿病クリニックへ。この帰り道から義母狂う。24時間治療拒否。

11月10日 土曜日  てめえはうせろ

義弟が来る。
言うこと言うことことごとくムカつく。
わたし「(義母さん)機嫌悪いよ」
義弟「大丈夫大丈夫」
誰がどう大丈夫なんだよ!

スーパーのレジで大根の葉を捨ててもらおうとすれば
「刻んでごま油で炒めるとおいしいよ」
りんごがいっぱいあるのを見ては
「りんごをとろとろにしてジャムにすればいいよ」
自分が買ってきたキウィについては
「キウィ食った?細く刻んで油であげてもいいんだよ」

てめえが作れ

11月12日 月曜日  生理休暇作戦

まあ、薬飲んでなんとかだけど、こういうときぐらい
手を抜かせてもらいたいなとか。
でも「生理休暇」とは言えないので、「今日は体調悪い」だけだと、
ちょっと強行しづらかったりもするんだけどね。

銀行に行くっていうから、朝義父母を車で駅まで乗せてって、
そのまま(と言っても全然逆方向なんだけど)
わたしは糖尿クリニックに血糖値センサーをもらいに。
これって「タダ」なのね。知らなかった。
ま、他でその分払ってるんだろうけど。
「インスリン指導料」に含まれてるので、ということ。
後で報告すると義母には「それも気味悪いねえ」と言われてしまった。

んで一足先に帰宅して束の間でもほっとしようとしたら、
とっとと帰ってきた。
バスで帰ってきな、って言ったのにタクシーで来たからだ。
それを聞いて脱力。(なんだよ。なんでタクシーなんだよ)って感じ。
根性ねえやつらだなあ。義父がだけど。

それから夕方「買い物いくべ?」と言いながら
義父が義母に金を渡して、義母は「いこ」と動き出す。
義父が動きそうもないから「義父さんはいかねえのかよ」と言ったら、
「オレは相撲見るから」だと。「なんだよそれ」と言ったけど、
「ふざけんな」とぶっとばしたかった。
今日はわたしは生理休暇なんだぞ。 笑い

少し間を置いてから「わたしかったるいから二人でいってきてよ」と言った。
別に買い物するものもなかったし「好きなもん買ってきな」と。
しぶしぶ義父は義母と行きました。やれやれ。

義父さんもほんとはかったるいのかなあ。
よくわからんから厄介だ。
でも嫌いだからこんな対応でも仕方あるまい。汗

11月13日 火曜日  なんとか抜糸(術後19日目)

だりーーー。
りんごむくのがだりい。
風呂つくるのがだりい。
3食つくるのがだりい。

あーむいてもむいても果物があ。
(義母が喰っても喰っても買ってくるから)
普段うちではわたしがめんどくさいから、
包丁で皮をむかなければならない果物は買ってこないのです。^^;
それに風呂も毎日作らないし、食事も1食まともに作るかどうか。

この差はなんなんだーー!^^;そんな突然無理があるんだよ…

あ、今日やっと抜糸できました。(乳がんの手術の)
10cmくらいぱっくり傷開いてます。(汗)
血も溢れてました。注射器で中の液も抜きました。
でも大丈夫だそうです。
んで今日からシャワーでざぶざぶ洗ってくださいって。
それで塗り薬を傷の開いてるとこにうめこんでガーゼ。って感じ。

11月14日 水曜日  頭痛胃痛だるう

頭痛と胃痛でだるいです。
夜はもうへとへとって感じ。
今日は言語のリハビリと神経内科へ。
言語のリハビリは2回目なのだけど、痴呆の面接検査って感じだった。
次々といろんなテストをされて、
なにがどのくらい出来るか出来ないかを調べられた。
お見事なまでに全部出来なかったけど^^;

「なにか言葉や物忘れすることで日常生活で困ってることありますか」
という問いには「ないです」…をい
「家族の方は困ってることありますか」
義父が「ものを置いた場所を忘れたりする」って答えてたけど
「それはじいちゃんもそうだけどね」と言ってしまった。
そんな当たり前のことじゃなく、
生活全てに困ってるのですけど?^^;

午後は友達の美容院へ連れてってあげた。
片道30分くらい歩いて。散歩が一番よい。
糖尿病にもよいし、痴呆にもよいし、夜の不眠にもよいし、
発狂防止になる。

そうそう、リハビリの先生に
「例えば食事の支度とかで困ることはありませんか?」
と聞かれて「いや、最近は嫁さんと一緒にやってますけど」
と義父は答えてたけど
一緒に作るのすげえ大変なんだけど、わかってる?義父さんよ。

いつも最初にきゅーりを2本出して、切らせてる間に
次になにさせるか考える。
切るのと盛り付けるのは出来るけど、油断すると切ったものは
その時火がかかってる鍋に全部入れられちゃう。
「あー入れない入れない」ってセリフとかあまり言わないで済むように
先まわりして切り終わるのを横目で見張ってないといけない。

11月15日 木曜日  離れるときがなくてうんざり

抜糸が済んだということで、早速快気祝いを買いに駅にバスで行く。
そんなに大急ぎでやらなくたってよいのに、まったくなんていうか
いちいち大騒ぎって感じでご苦労様。
ってゆうかそれにしっかり付き合わされるわけで。

んでしまいに義父が「なんだかわけわかんなくなってきた」
とか言うから、まったくうざいやつだなあ、と思いながら、
「無駄なことに頭を使わないようにすることに頭を使いなさい」
と言ってあげました。

来週公園の花壇の植え替えがあるので(今年度会長なもんで)
その花の注文に花屋にも寄ってきた。
花の名前すらわからんのに、まったくもうめんどくさいなあ。汗
そしてそのお知らせの回覧とポスターを作った。
前回作ったものを日付だけ差し替えてすぐ出来たからいいけど。

さてはて、義父母さんたちはいつまでうちに居るのでしょうか。
だんだん慣れてはきている。
でも、疲れもたまってきてるし、なにしろうんざりしてきてる。
いつでもどこでも一緒。家でも外でもどこへ行くにも。

んーーちょっとまってよー。
こっちは一時的と思ってるから仕方なしに我慢してやってるんだけど、
あなたたちはどおなの?
誰が一番我慢してる?誰が一番楽でない?誰が一番無理してる?
どうなのよ。さっぱりわからんよ。教えてよ。

義父が土曜にお通夜が入った。なんかわたしが送迎するような流れ。
もうわたしってなに?あなたたちってなにさま?
おとうさまおかあさまよね。
ほんとにもういや。

11月16日 金曜日  ダンナへの報告日記

  ダンナが帰ってきてから、こそこそあまり話せないので
  このような報告書を書いたりしてる。タイプは速いしね。
  今日はそれをそのまま日記としよう。(別に手抜きではない。笑)
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今日はじじばばを実家に置いて一人で
糖尿クリニックと大学病院婦人科腫瘍外来行ったけど、
糖尿クリニックは朝のインスリン18単位から16単位に。
血糖値は2日に1回1日4回でよいという指示。
次回は3週後、血液検査と尿検査と栄養指導があるとのこと。

大学病院婦人科が超待たされた。
3時間です。ただの検査結果のために3時間。
異常なし。でも乳がんをした人は子宮がんになる確率が高いので、
1年に1回は検診してください、と伝えるようにとのこと。
そのまま伝えました。

わたしは昨日から目が赤くて、今日はコンタクトを自粛して
我慢の眼鏡にしたんだけど、そのせいか
ものすごくものすごく今日は疲れてしまった。
眼鏡って家の中ではいいけど、外だとすごい疲れるのよね。
耳も痛くなるし。

そして帰り、実家に迎えに行ったら、
すげえいっぱい荷物を持って出てきたんですけど。をいをい
その足で(義叔母さん)とこに寄ってくれないかと寄って、
お返しを置いてきた。
4時頃帰宅して、ぐったりだったので、ちょっと休ませてもらった。

その間ばばが買い物に行こうとじりじりしていた。
じじがなに買っていいかわからないから、
とか言ってるのが聞こえてきた。

別にわたし関係なく買い物でもどこでも行けばよいのに、
ってすごく思った。
辛くて泣きたかった。ほんとにもし許されるなら
今日はもうなーーーーーーんにもしない!ハイおわり 
って感じ100%だった。
それくらい疲れてた。

とうとう買い物へ行こうとして、
わたしに「買い物いくべ」と誘うので、
「疲れちゃってだめだ」と二人で行ってもらった。
「なに買ってきても買ってこなくてもなんでもよいよ」と言って。

今日は神経痛だあ。今は右耳と右太股だあ。昨日は左頭。
耳とももは薬塗ったけど、頭はぬれないわね。
これ結構辛いものあるわあ。やだなあ。

夜さっさと仕事終わらせたいのに、
(次男)と(長男)が将棋をはじめて、
じじが子供のように手を出してきて、大騒ぎ。
泣き出す(次男)をうまく連れだして
(長男)とじじでやってもらった。
なかなか終わらなくて、わたしがじりじりしてきた。
もう疲れてるんだから、やることやってさっさと寝てくれ、頼むから。
って感じ。

わたしが自分の目薬さすので、
「ばばも目ぐすりやってやんな」「もう風呂はいんなよ」
(ガーゼ交換するし、寝る前の血糖値もあるし)
などと言って9時ころようやく。まったくもう。

そうそうその前にわたしと(長男)が言いあいしてるときに
じじが(長男)に説教したら(長男)が切れて
「じじは口出しするな」「我慢してたのに」「じじはもうやだ」
とかってひどい態度をじじにとった。

じじがマジに怒って「誰に向かっていってるんだ」
「それをお父さんがいるときに同じこと言ってみろ」
とか怒ってた。なんだかなあ。

まあその後にケロっとして将棋始めたわけだけどね。

11月17日 土曜日  ひとりになりたい

学校の行事でダンナは朝から一日役員。
わたしもクラスのお手伝いで昼から。
義父と義母と義弟がからみ、なんかとにかくめんどっちい。
義父母を連れて学校へ行ったわけだけど、
昼の時間(12時)には昼を食う時間がとれないってのが
義母にどうしても通じない。

早い昼食をとろうと思ったのに、カーテンの洗濯やスリッパを探したり
なんかわたしのペースじゃないこと(義父母のことということ)
をやってるうちに時間が足りなくなってしまった。

自分一人ならそんなのどうとでもなるのに。もうやんなるなあ。
もうわたしには時間がないというのに、
「まあいいからその辺で食べればいいじゃない」
「ほら行こうよ」ととにかく外食をしたい義母。

もう知らなーーーい!と叫びたくなるような、
もう好きにして、と口もききたくないような。
まあ、この話しの結論としては、
つまりわたしひとりだけ昼食を食い損ねたということだ。くそ。笑
しかも、「ラーメンおいしかったよ~~」だって。あっそおめでとう。

義母はそんな悪い人でなく、気持ちのよい人なのだけど、
でもね。やっぱり毎日毎日、意味通じない人を上手に相手するのって
どうしたって疲れます。はい、ものすごく疲れるってば。
これはもうボランティアです。
労働条件悪すぎで、組合に訴えたいわけです。

なんでよ。義母のこと嫌いじゃないよ。でも疲れるでしょ?疲れるよ。
好きなこと夢中にやっててもずっとやってればさすがに疲れるでしょ?
だから疲れるんだってば。
え、そんな何回も言わなくてもいいって?
なに言ってんの。まだ言い足りないくらいだわよ。

あぁ、ひとりになりたい。ひとりにしてよぉぉ。

11月18日 日曜日  あけちゃん切れる

義弟がじじばばを買い物に連れてってくれた。
気がきくじゃん。って思うわけだが、
そうは問屋が卸さない(なんだよそれ)
すぐ帰ってきたし。どうせならごゆーーっくりしてきてよっての。

そして義父のズボンを買ってきたんだけど、
義弟「裾あげできるべ?アイロンでつけるテープ買ってきたから」と。
「裾あげー?やったことないよ」と顔がひきつるわたし。
ダンナのでさえやりたくないってのに、
なんで義父のをわたしがやらなきゃいかんのよ。

結局仕立て屋に頼みに行くことになった。
義弟が知ったら(なんだよ)と思うことだろう。
でも知ったこっちゃない。できるべ?って言うならおまえがやれ。
なに勘違いしてんだよ。
「そこまで面倒みれないよ」と後で義父母に言ったけど、
義弟に直接言うべきなんだろうけど。ってゆうか口ききたくない。

そしてその後、みんなで昼を食おうと、カニ屋へ行く。
義弟のおごりということで、義弟はさぞかし自己満足?
まあ、ここまで義弟の精一杯の気遣いをこう言ってしまっては
可愛そうだけど、だって、こいつ全然わかってないんだもーーん。

義弟は車だったのだけど、なんかわたしも車を出すことに。
店が実家寄りだからだ。昼を食ったら別々に帰るってわけね。

わたしは車に絶対乗りたくない、というのを今徹底的に頑張っている。
平日せっかく頑張ってるというのに(病院は車だけど)、
肝心の休日に車のある義弟の一声で、簡単に車を出させられたことに、
ひそかにわたしはひどく憤慨。

義父母を朝買い物に連れだしてくれたことが、
全然意味ないじゃん!でした。
ちょっとの間だし、面倒持ってきたし(裾あげ)
結局車出させられるし。
それで本人やまわりは「よくしてあげた」「よくやってくれる」
になるわけで、なんなんだ一体。

この一連のことでわたしは機嫌が悪くなり、
帰宅後は自室にひきこもった。
でも結局ご飯の炊き方が誰もわからなくて、ひきだされたんだけど。

夜ダンナが「まったくずっとひっこんでいやがって」と言ったので
「なんか文句あんの」「ない」
「ないならなんでそんなセリフが出るのよ」
と半ばケンカっぽくなる。

わたしは気が狂いそうになっていて、ガバっと起き上がって
「もういやだ」と言った。
「じゃやめれば」「どうやめるのよ」
「明日帰ってもらえばいいじゃん」
「誰がどう言って帰ってもらうのよ」

結局話しはほとんど出来なかったのだけど、最後に
「(実家)に1週間くらい行ってれば」と言われた。
え、それって実家へ帰れってこと?え、あそこ?
まあ、今の状態のここよりマシかもだけど、
「非現実的なこと言わないでよ」でこの日は終了。

11月19日 月曜日  そんなにわたしが好きですか?

義父母と束の間でも離れるチャンスがあっても、
なぜか予定より大幅にその束の間はほんとにつかの間になる。
(意味不明)

1.11月12日。義父母を駅に置いて、
わたしは義母の病院へ血糖値センサーをもらいに。
ふたりで駅でぷらぷらして昼も食ってバスで帰ってきな、
と言ったのに、昼も食わずにタクシーでさっさと帰ってきた。

2.11月13日。義父母を義父の病院へ行かせて、
わたしは義母の病院へ。
この日の義母の病院は3時間待ちものだったので、
義父の病院で昼も済ませてゆっくり来な、と言ったのに、
「大学病院で嫁を待たせてるから早くしてもらえないか」と
とっとと診察を済ませ、昼も食わずにさっさとわたしのとこにきた。

3、そして今日11月19日。ズボンの直しを頼みに行くというから、
わたしは駅の花屋で打ち合わせがあるから、別行動にしましょう、と
わたしはひとりで久々の自転車で駅に出ていった。
先に他の店に寄り道してから、花屋で話していると、
なんと義父母登場。
な、なんでここにあなたたちがいるの。(悲鳴)

この時ばかりはすげえビックリした。マジ悲鳴をあげそうだった。
義父母はうちからバスで駅に出て、駅で乗り換えて仕立て屋へ行き、
(ってゆうか最初は散歩がてら歩いて行くってことだった)
そこから帰りは歩いてくるって話しだったのに、
歩いて帰らず、また駅にバスで戻ってきたらしい。

そんなにわたしに1秒でも早く会いたいのですか。
なんでわたしの束の間の時間を奪うのですか。
わたしはなんなのですか。
わたしの時間はあなたの時間?ノー。

あ、そうそう。義父の介護保険証がようやく戻ってきました。
「要支援」でした。「自立」に近いと思ってたので、ほっ。
あとは義母のが来ればまずはひと安心。
その先(サービス利用)の壁があるけど、まずはね。

11月20日 火曜日  やはりまずは体調命ではある

朝から頭痛で最悪。
頭痛薬を飲んだけど、効かず。頭痛が続いて気分もげんなり。
病院に着いて義父母を降ろして、駐車場に止めてむかう道で、
「頭痛がひどいから今日は帰らせてもらうわ」と言おうと決める。
でも病院の入り口近くになって、やっぱり診察に立ちあおうと決める。
リハビリ言語療法と眼科だったのだけど、
どちらも転院の可能性もあったので。

どちらも今回は転院の話しは医者からもこちらからも出ず終了。
言語療法の先生は義母の一番のお気に入りなので、
もう少しこのまま行って、先生の方から転院なり終了なりの話しが
出るのを少し待ってみようと思う。
前の「デイサービスなどの形にしてってもいいと思います」
という言葉がわたしにとっての救いの神だったので、
是非義父母にそう勧めてもらえないかと、かすかな期待をしている、
けど果たしてどうなるかな。

昼にもう1回頭痛薬を飲んで、頭痛が収まってくると、
わたしの気分もよくなってきた。

夜はぎょうざを作ってみようと盛り上がって挑戦。
しかーーし、無謀な挑戦だった。
材料をボールに入れて、調味料を入れてる合間に
義母がボールに水を入れてしまった。
水気はとれず、べちゃべちゃしるしるしたタネの完成。

でもなんとかなるかなあ、と文句言いたいのを我慢して、包み始める。
中身を多く入れると汁が邪魔して閉じれない。
皮のが余る予定がタネのが余ってしまった。

義母は「わたしやったことないから出来ないわ」と手を出さなかった。
あーもう、逆(タネ作りに手を出さず包む方を手伝う)
だったらよかったのに、
ってゆうか子供と一緒に作る感覚でいたので、
子供ならそうだからねえ。子供相手のがよっぽど楽だわ…。あうー。

そして、全部包み終わる頃には最初に包んだぎょうざの中身の汁気が
皮に浸透してきて、皮もべちゃべちゃになってきていた。
慌てて粉をまぶしながら即効で焼き始める。
皮は茶色いし、粉が多すぎてなんかいつもと違う気に入らない
ぎょうざの完成。

食ったら味はまあ、OKだったのでよいけど、
なんとも調子の超狂うぎょうざ作りで、悔しかった。
いつもの倍(50個)、せっかくの久々のひと仕事をしたというのに、
このありさま。
なんだよ、もう。がっくし。

11月21日 水曜日  脱走計画小手始め

気分は日替わり。
朝から義母のわけわからない発言に耳を塞ぎたくなる。
思わず家を飛びだし、前日メールをくれた友人に電話。
プチ脱走計画発動。
2時間ばかし、友達んちへ駆け込みました。
義母はぎりぎりまでわたしに付いてこようとしたけど、
なんとか振り払い脱走成功。
あー無断脱走したい。

同居介護後半へつづく



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