「曖昧な現実」
始まり(1)
いつごろからだっただろう・・・
それまで、規則正しく刻まれていた心臓の鼓動が突然止まる
10秒、15秒・・・?
不安も手伝ってもっともっと長く
まるで永遠に止まってしまうかのように感じた
そして再び鼓動が始まると今まで動かなかった反動のように
大きく激しくドクドクと息苦しさを伴って心臓が波打つ
強い疲労感、脱力感
まだ一日の半分も終わっていないのに布団の中に沈みこむ
子どもたちのはしゃぐ声、夕焼け小焼けのメロディ
「起きて夕飯のしたくしなきゃ・・・」
重い身体を右手で支えて身を起こす
その右手が小刻みに震えている
なんだかわたし小動物みたい・・・ちょっと笑えた
それが、パニック障害の始まりだった
病気だと思いたくなかった
しっかりしなきゃ、ちゃんとしなきゃ
そんな気持ちだけで毎日を何とか乗り切った
新居での義理の両親との同居
自治での大きな役
子どもの通う学校での理事
次から次へ負担は大きくなっていった
何より三年前に手術して取り除いたはずの卵巣の腫瘍の再発
無機質で固く冷たい手術台
「採りきれなかった腫瘍を薬で出来るだけ小さくしておきましょう」
そんな医師の言葉で始まった投薬の強い副作用
蘇る痛みと恐怖と不安
腫瘍は全部取り除いたはずだった・・・・
都合のいい自分の記憶の中ではね(もう一人の意地悪な自分が哂う)
「今は、悪性ではないけれどいつ悪性に転化するかわからないので気をつけて下さい」
あの頃の記憶が一気によみがえる
再発を言い渡された帰り道の記憶は曖昧で今でもよく思い出せない
始まり(2)
それでも悪いことばかりではなかった
再発を言い渡され、まんじりともせずに次の日を迎えた朝
隣に寝ていた主人が
「しんどいな・・・」と言いながらそっと手を握ってくれた
眠れない私の横で息をひそめて同じようにい長い夜をやり過ごしてくれた
優しい人
まだ残暑の残るコスモス畑
白やピンクの群れの中、ひときわ目を引く黄色い花びらに心が釘付けになった
「あの黄色コスモスが欲しい」・・・はるか遠くを指差す
「あれ…? あれが欲しいんか」一瞬困ったような顔しながらも
胸の高さまで伸びた花群を出来るだけ傷つけないように
少しづつ、少しづつ進んでいく
そうして・・・
長い、長い時間をかけて彼は帰ってきた
その優しい手には優しい色のコスモス
その手を感じながあの日の事をぼんやり思い出した
ぁ・・・私はこの先何があっても一生この人と居られる
主人が私のことを嫌いになって離れていかない限り
自分からこの人と離れることはないだろうそんな確信さえ覚えた朝だった
それでもそんな思いとはウラハラに
心の病気はどんどん悪くなっていった
眠れない夜・・・寝返りばかり夜
パジャマの小さいよれが脇に当たるのさえ気になった
たとえ眠れても一時間ごとに目が覚める
どの血管を切ったら確実に死ねるだろう
起き上がって腕の血管を捜す
その頃から、どうやっていつ死ぬかそればかりを考える毎日が始まった
どんなに眠れなくても
朝はちゃんと起きて朝食とお弁当は作った
家族が出かけると抜け殻のようになって不安感がこみ上げてくる
何かに助けを求めたくて
メンヘル(メンタルヘルス)系のチャットルームによく行った
「アナタは?」部屋主さんに促され
顔や実名が明かされない気安さも手伝い
今の状態を隠すことなく伝る事ができた
そして、それをロムしながら聞いていた男性がいきなり
「今の君は完全に抑うつ状態、こんなところに居ないで
今すぐに病院に行きなさい、でないと死んでしまうよ!!」と言われた
まったくそのとおり、わたしは壊れておかしくなってきている
これはどうしようもない真実、もう逃げ切れない
始めて行った精神科・・・プライバシーもあるのだろう
窓のない待合室
風も入ってこない太陽の光も差さないその部屋は
息苦しさと不快感が充満していた
ここに来てよかったんだろうか・・・?
でも、もう保険証も出してるしいまさら逃げて帰ることも出来ない
それでも、何時間後には
「今まで大変でしたね、でももう大丈夫ですよ」こんな言葉をかけられて
穏やかに微笑む医師にちょっと涙ぐんだりする自分が居た
後に・・・「今まで大変でしたね、でももう大丈夫ですよ」の言葉は
こんなときに精神科の医師が患者にかける常套句だ言うことを知った時は
ちっと興ざめした
パニック障害からくるうつ病
これが私に下された診断だった
「曖昧な現実」
症状(1)パニック発作
その頃の症状と言えば
頻繁に起こるパニック発作
身体中の血が逆流して総毛立つような不快感と吐き気
立っているのも辛いようなふわふわ感
「あ、、、なんだか変おかしい・・・」
そんなことを考えているうちに身体が震えだす
発作が始まるともう動けない
震える身体を交差した両手で抱きしめ丸虫のように縮まる
恐怖や不安・不快のそんなものの入り混じった大きな感情の波に
押され、もまれ、流されながら
反撃することも出来ず
ただ、ただ、耐えるだけ
酷いときは
泣きながら自分の頭をこぶしで叩いたり
髪をかきむしったりしたこともあった
ただ、通院するようになって処方された{デパス}と言う薬は
私にとっては効果絶大だった
震える手で何とか薬を口の中に入れ噛み砕く
(緊急用の薬なので水無しでも飲めるようにチュアブル錠になっている)
効いてくるまで10分、15分・・・??
時計の長い針が一番下を向いた頃には絶対楽になってる
だから、もう少し・・・、もう少し・・・呪文のように繰り返す
実際、薬が効いてくると
これでもかと言うほど力を込めて肩を抱いていた腕が
自分の意思とは関係なく解けるようにストーンと布団の上に落ちる
まるで下手(ベタ)な役者のご臨終のシーンみたい
毎回起こるこのシーンに少し笑えた・・・
発作は身体も心も衰弱させる
そして、薬の影響もあるのだろう
強い睡魔のなかで
「ぁ・・・、やっとこれで楽になれる」と安心して眠りに付く
犬の散歩の時、楽しいはずのドライブの途中
悪夢で目が覚めたその直後
真夜中に何気なく寝返りをうったその後でさえ
時と場所を選ばず発作はやってきた
そして酷いときには、それを日に何度も繰り返した
「脳がね・・・」
ある日同じ病気の人が教えてくれた
「脳が、一番辛かったときの記憶をフラッシュバックさせて発作を起こさせるんだよ」
・・・そうか
それで時も場所も選ばず突然起きるんだ
脳が勝手にフラッシュバックするんだから
自分の意思なんてまったく関係ない
どうあがいても発作が起きる時には起きる
なるようになって行き着くところに行き着くまでは
これは終わらない
パニック発作=脳の誤作動
わたしの中でこんな定義が出来上がった
「曖昧な現実」
症状(2) 鬱症状
鬱に関しては「死にたい」という感情と闘うことが一番大変だった
鬱特有の落ち込み
いや、落ち込みなんて簡単なものじゃない
楽しいことや喜び、希望・・・
そんなものがわたしの感覚の中から全く無くなってしまった
心の中を占めるのは悲しみと怒りと絶望感
息をするのも苦痛だった
一日中泣いてたり、何もすることが出来ず眠ってばかりの自分
↓
もう以前の自分には戻れないんじゃないかと言う不安そして絶望感
↓
こんな自分は駄目な人間で生きている資格もない
↓
「いつ死のう、どうやって死のう」
↓
「死ぬ、死ぬって言ってるけど死ねないじゃないか 意気地なし!!」
「みんなお前に迷惑してるぞ」
全ての人が自分を嘲笑っているように感じ
そして、思考は矢印の上から下までを何度も行き来した
映画が好きだった
レディスデイ・水曜日 千円
元気なときは、一人でも見に行った
レンタルビデオも週末のロードショウも楽しみだった
だけどそれらのものを観ることが全く出来なくなってしまった
たとえ知っているストーリーでも
結末はハッピーエンドだと判っていても
そこに至るまでの主人公の心の動きや感情の起伏
そんなことを考えただけでも心が疲れた
同じようにニュースを見ることも出来なくなった
この人、こんな事件起こすまでどんな気持ちだったんだろう
そのときの被害者や加害者の気持ちを考えようとするだけで
心が重く低い悲鳴をあげた
身体が病気になったとき安静にしてじっとしてなさいと言われるけれど
心も同じだと思う
なるべく、感情を揺らさないように、心を動かさないように
・・・と言うより
そういうことが出来なくなってしまうのだろう
そのときずっとわたしの心の中に流れていたのは
ツ_____________________ッ と言う音
そう、あの受話器を耳に当てると流れてくる
ツ_____________________ッ
何も感じない感じたくない
あの無表情な
ツ_____________________ッ
永遠に続く
ツ_____________________ッ
もうこれ以上壊れないようにと鉄の鎧をまとい完全武装した心が鳴らす音
ツ__________________________________________ッ
「曖昧な現実」
症状(3) 自殺願望
こんなことばかりしてちゃいけない
そうだ!気分転換に部屋の模様替えをしよう
飾り棚を右にテレビを左に
それから・・・、それからと
ソファーにコロンと倒れ込む
それから・・・
それから・・・ どうやって死のう
部屋の模様替えと死に方を同列で考えてる自分が居た
全く異常な世界
飛び降りるマンションを探して寒い夕暮れの街をさ迷ったこともあった
ここは管理人が居て入れない
ここは高さが足りない
ここは知ってる人が住んでる
自宅では死ねない
そんなことをしたら建てたばかりの家の価値が下がってしまう
そんなことは妙に冷静に考えられた
歩きつかれて立ち寄ったスーパーの本屋
そこで始めて鬱の本を手にした
「鬱の一番厄介な症状は死にたくなること」と有った
全くその通り
だから、死にたいと言う気持ちはわたしの真意じゃない
もし誘惑に負けてしまったらすごく後悔するだろう
家族にだって大きな迷惑をかけてしまう
なんとか思いとどまらなければ・・・
だから「死なないためなら何でもやった」
精神科で貰った薬とお酒を大量に飲み
部屋の中をぐるぐる歩き回る
50周、100周・・・
つんのめるように倒れこみ意識が遠のいていく
「ぁ・・・やっとこれで死にたい地獄から逃れられる」心底ホッとする
死なないためとは言いながら
ひとつ間違えば死んでしまうようなことをやっている矛盾だらけの行動
そんな行動の裏にはある理由があった
「曖昧な現実」
身体の病気
他にわたしは身体の方にの大きな持病を抱えていた
流産をきっかけに20代後半で発病
それでもどうしてもその病気が受け入れられず
初期は自覚症状がほとんどなく
若さで何とかなっていたということもあってずっと治療を放置していた
けれど、お腹の腫瘍が発見されたときに
この病気もかなり進行していた
根治は望めない病気なので
死ぬまで食事制限や行動制限されることに将来の希望も持てなくて
何より母も同じ病気だったので(発病はわたしの方が25年以上も早かったけど)
その病気がどういう経過をたどっていくのかを身近で見てよく知っていた
椎間板ヘルニアで手術をしたのは19歳のとき
つぶれた椎間板が石のようになっていて手術が長引き途中で麻酔が切れて
痛みのあまりまた気を失った
手術の次の日の早朝、目が覚めるとベッドが血で染まっていた
慌しく出入りする看護士さん慌てて駆けつける主治医
「頭、痛いです・・・」朦朧とした状態で訴える
「そうやろな・・・」と先生
大量出血のショック状態だった
「今からすぐ輸血するから」
昨日から付き添っていた母が同意書にサイン
ただ、輸血の針を入れようとしても
身体に殆ど血が残っていないので血管が見つからない
「ごめんなぁ~、どうしても駄目なときは髪の毛そって頭から針入れてもいいかな?」
こんなとき嫌ですなんていう人はまず居ないだろう
それに、激烈な頭痛なんとか止めてもらいたかった
結局、輸血の針は足の甲から何とか入ったので
坊主は逃れられた
次の日の真夜中、手術着を着た主治医がやってきた
「今まで手術かかってたんや・・・ でも心配やからちょっと様子見に来た」
すごく疲れてる感じの先生を見て
「先生も大変ですねぇ。。。」って言ったら急に笑い出して
「人の心配できるぐらいやったらもう大丈夫やな」って
そんなに悪かったのか・・・とその時始めて自覚した
この時命を救ってもらった輸血だけれど
後に、同じ時期にこの大学病院で
輸血を受けた人がエイズや肝炎にかかったということを新聞で知って
慌てて検査したもらった
術後10年そのあいだに結婚、出産・・・
もし感染してたらわたしだけの問題じゃすまない
結果が出るまでの不安は相当なものだった
幸いなことに結果はどれも陰性・・・ホッと胸をなでおろした
でも、人間一度身体にメスを入れると身体が弱くなるというのは本当で
これ以降、色々な病気に苦しめられていくことになる
椎間板ヘルニアの後遺症で右足は常に痺れて感覚が遠く
基礎疾患のDMから始まって
貧血、メニエール病、酷い膀胱炎から腎盂腎炎、結石、喘息
自律神経失調症、果ては顎関節症
アレルギーも酷く、スギ・ヒノキ
一昨年からはカヤカモの花粉も加わり
1年の半分以上は花粉症の薬のお世話になっている(俗に言うトリプルアレルギー)
アナフィラキシーショックで呼吸が止まって死に掛けたことも
併せていつ悪性に転化するかわからない卵巣の腫瘍の再発
内膜症6期に伴う内臓の癒着・・・
手術をした時にはすでに末期で卵巣・子宮・腸・膀胱が
腹の右の方でガチガチの一塊になっていたそう
生理のときだけではなく普段でも頻繁に起こる強い痛み
なので、鬱という病気がなくても生きていくということに
希望を見出せないということが多分にあった
怖いのも痛いのもしんどいのももう嫌
腫瘍マーカーやAicの検査結果の数値に一喜一憂するのにも疲れた
食事制限も辛く食べては自己嫌悪に陥りトイレに行って戻す・・・摂食障害
だから「何もかも終わりにして楽になりたい」
心のどこかにその言葉が常にあって
もし、間違ってどうにかなってもそれはそれでいいかも…と投げやりな気持で
大量のお酒と薬を飲んで現実から逃げることを繰り返していた
「曖昧な現実」
悪夢 (1)
悪夢には3年以上悩まされ続けた
全く眠れないと言う日もあったけど
眠っても1時半・3時半・5時半・・・睡眠薬を飲んでも
この時間には決まって目が覚めた
だからたとえ眠れたとしても2時間単位
眠るたびごとに見る夢は殆どが悪夢だった
だから悪夢の3本立てなんていうのもざら
あまりにも夢の内容が恐ろしすぎて
目が覚めても暫くのあいだ動くことすら出来ない
そんな体験をしたのもこの時期だった
まず始めは虫の夢
「あぁ~疲れた」、と倒れこんだ布団の上には
ありとあらゆるおびただしいほどの虫がびっしり
叫びながら目を覚ます
虫が体中を這う夢
虫に食い尽くされる夢
自分の身体の穴という穴から虫が沸いてくる夢
とにかく大量のありとあらゆる虫が出てきた
これはまさに虫の夢にマックス悩まされていたときに書いたブログ
手足が凍りみたいに冷たい・・・。 2004.10.07 15:40:45
心の病気から来る極度の緊張状態のせい
胸がドキドキ、何かに追い立てられてるみたいで落ち着かない。
デパス飲みたいな。。。
でも、今日は夕方から子供の学校の役員の仕事で
出かけなきゃいけないからその時まで我慢・我慢。
今朝、洗濯干す時足許に小さな虫がいて
思わず踏みそうになっちゃった。
少しすると物干し竿の上にいた・・・。
そして、今まさに飛び出そうと羽を広げてる
その虫、体は真っ黒なのに羽は赤いんだ
「良かったね私に踏まれなくて、その綺麗な赤い羽根を広げてまた飛べるね...」
現実では全く平気な虫も、夢の中では絶対の恐怖だった
どうしてこんなに虫の夢ばかり見るんだろう
当然のように疑問が沸いてきた
「曖昧な現実」
悪夢 (2)
子どもの頃の生活環境はひどかった
パチンコや競馬に狂い
お酒を飲んでは暴力振るう
全く働かない父
幼い頃の遊び場はパチンコ屋
落ちている玉を拾って両親に持っていくととても喜んだ
それが嬉しくて一日中玉拾いをしていた
借金取りから逃げるために住むところを転々として
中学を卒業するまでの引越しは片手の指以上
行った事のないない見知らぬ土地の旅館に
何週間も身を隠したこともあった
同じ年頃の旅館の子が
毎日楽しそうに学校に行くのがとても羨ましかった
もちろん勉強など全くできる環境ではなかった
住むのはいつも日の当たらないじめじめとした古いアパート
夜中に寝返りをうつと足に冷たいぬるっとした感覚
ナメクジが布団の中に入り込んできてた
こんなことが何度も、何度も・・・
あるときゴキブリが異常発生した
母は働かない父に代わってお金を稼ぐ事に必死だったので
家事など殆どしていなかった
だから当然と言えば当然のことなんだけど
小さいわたしはどうすることも出来なくて
ただただ、怖くて汚くて不快で・・・
誰にも甘えられなくて不安で淋しくて
あの頃の幼かったわたしの身体は震えていなくても
いつも心はガタガタ震えていた
そう・・・
パニック発作を起こして身体震わせて
虫の悪夢に怯える今のわたしそのものなんだ
疑問が解けた気がした
虫の夢は一年以上続いた
そして、転機の夜は前ぶれもなくやってきた
壁一面に埋め尽くされた虫、虫、虫・・・
いつものように逃げようとするわたしの手には掃除機
「え!掃除機??」
「そうだ!この掃除機で吸い込めばいいんだ」
気持ちいいほど虫は掃除機の中に消えていった
その夜を境に殆ど虫の夢を見ることは無くなった
嘘みたいだけど本当の話
「曖昧な現実」
悪夢 (3)
次にわたしを悩ませたのは
突然身体の力が入らなくなって地面に倒れこみ
全く立ち上がれなくなるという夢
夢の中とは言え、地べたは汚いし
倒れて起き上がれなくてもがいているぶざまな自分を
人に見られるのが嫌だった
だから、ガードレールや電信柱にしがみつきながら
どうにかして起き上がろうとするんだけれど足に全く力が入らない
もがいて、もがいて、もがいて・・・
それでも全く立ち上がれない
この夢も一年近くは見続けた
どうしてこんな夢見るんだろう・・・?
それほど深く考えるまでも無く答えはすぐ思いあたった
身体も心も病気になってしまい自分のことだけでも精一杯なのに
義理の父が倒れて寝たきりになったり
実母がわたしも患っている病気が悪化して一時危篤状態になったりと
朝から晩まで病院のはしごで一日が終わるような日が続いていたからだ
「病人は一家に一人で十分、
わたしは絶対に寝込んだり倒れたりしちゃいけない何としてでも頑張らなきゃ」
あの頃のわたしはそんな思いだけでギリギリ頑張っていたように思う
「曖昧な現実」
悪夢 (4)
悪夢の中の虫を掃除機で吸い取って退治した時のように
夢の中で立ち上がれないわたしにも救世主がやってきた
スーパーで買い物をしていたとき
いつものように倒れこんで立ち上がれなくなった
いろいろなものにつかまりながら必死に立ち上がろうともがくわたし
でも、ふと考えた
立ち上がれなくて倒れたまま誰かに見つかっても
もう、それはそれでいいんじゃないかな・・・と
だってこんなにしんどいんだもの
それに、こんなに頑張って立ち上がろうをしても
駄目なんだから仕方ない
そう思ったわたしは無駄な抵抗をやめて静かに目を閉じた
どれぐらいの時間が経ったのだろうか
わたしの身体をゆっくり抱き起こしてくれる人がいた
「大丈夫ですからね」優しく声をかけてくれる・・・紫の服を着た人
その人は救急車の中でも病院についてからも
ずっとわたしの手を握っていてくれた
ぁ。。。倒れててもいいんだ
しんどくて倒れて動けないわたしでも
起き上がれなくて駄目で弱い自分でも
こんなに優しくしてくれる人がいるんだ
嬉しくて、嬉しくて涙が溢れた
虫の悪夢と同じようにこの夢を見た後
道に倒れこんでもがき苦しむわたしは居なくなった
ありがとう紫の服の人、貴方のおかげで救われました
きっと紫にもなにかキーワードがあるのだろうけど・・・
この謎もいつか何かの拍子に解けるかも知れない
「曖昧な現実」
悪夢 (5)
次の悪夢の共演者は実父
前に少し触れたけれど父は酷い人だった
パチンコに競馬に競輪、そしてお酒
そんなものに明け暮れて全く働かこうとしなかった
暴力と恐怖と悲しみと怒り・・・そして貧乏
父はそんなものしかわたしに与えてくれなかった
だから父が出てくる夢は
もう、それだけで悪夢だった
働かない父の代わりに必死に働いてきた母が病気で倒れた
病院に行くお金も無い
食べ物を買うお金も無い
もちろん高校の授業料も払えない
そんな時父がとった行動は
普段は全く興味のない政党の議員のコネのコネを使い
生活保護と奨学金の手続きをすることだった
そうして帰って来るなり、わたし達に言った言葉は
「おい!お前ら土下座して俺にお礼を言え」だった
19歳のとき椎間板ヘルニアで3ヶ月入院した
そんな娘の入院先にも平気で小遣いをせびりに来るような人
汚いボロアパート…母も嫌だったんだろう
小ぎれいな借家に引っ越そうという話になった
手付金100万
新しい生活のため一生懸命貯めた100万
夏のある日、家の中には妹と私と父・・・
母は働きに行って留守だった
理由は、妹と私のたわいのない姉妹げんか
突然父が怒り出した
いや、理由なんてどうでもよかったんだと思う
「お前らがケンカするからや!!」そう言いながら
家中のモノを手当たりしだい壊し
そして、私と妹をぼこぼこに殴り
その、100万持って出て行った
めちゃくちゃになった部屋に立ちつくし
「どうしよう、お金が無くなっちゃった
わたしたちがケンカしたからや・・・」
泣きじゃくる妹を責め、自分を責めた
今考えればわたしたちは何も悪くなかった
(お金を自分のものにして自由に使いたい)
父の心の中にはそれしか無かった
結論有きの行動
わたしたちには避けることも止めることも出来なかった
お金が無くなったので引越しは当然中止
夢の新生活はなくなった
それでも父の居ない生活はある意味
自由でのびのびした新生活だった
3ヵ月後にお金を使い果たした父は
ボロボロの浮浪者のような格好で帰って来た
「帰ってきても絶対に家には入れない」
そう言っていた母は何事もなかったように父を迎え入れた
「曖昧な現実」
悪夢 (6)
母も嫌いだった・・・
借金、暴力そのたびに
わたしと妹の手を引っ張って親戚の家へ逃げ出す
もう終電もとっくに行ってしまった真夜中
母の手に引かれトボトボ歩く真っ暗で不安定な道
その度、「もう絶対別れる」と口では言うくせに別れない
それどころか、父を喜ばせるために
父の大好きなお酒や刺身などを
嬉々として買っている姿を見ると吐き気さえ覚えた
病気に倒れ
寝込んでいる母に辛くあたる父
保険証もお金も無く病院にも行けず
ただただ、布団の中で眠り続ける母
実家での記憶は全てグレー
暗く押し殺したようなグレー
母と同じ病気になったと判ったとき辛かった・・・
主人と結婚してやっと解放されたはずのグレーの世界に
また引きずり込まれた気がして・・・落胆した
病気の治療を拒否するのは
母をそして実家に居た頃のわたしを苦しめ続けた病気
そんな病気になってしまったという事実を
受け入れなくないという私の抵抗
結婚してからも度々お金をせびりに来た父
長男と次男の間の子を
流産して入院・・・退院した数日後
「1万円貸してくれ」と父から電話があった
もちろん貸しても絶対返ってくることなんてお金
入院でたくさんお金がかかって心細い財布の中身
それでも・・・
それでも、何とか小銭をかき集めて渡したら
「小銭ばかり入れやがって!人を馬鹿にしてるのか!!」と逆切れされ
「お前の家庭をめちゃくちゃにしてやる」と言われたときの恐怖、悲しみ
こんな事を言う人が父親だなんて・・・恥ずかしくて主人にも言えなかった
何をされるんだろう、どうなるんだろう
幼い長男を抱きしめて恐怖で震えた
そしてそのストレスと流産のショックから
母と同じ病気DMを発病してしまった
この事は父も母も知らない・・・誰にもいえなかった
自分の内にただ抱え込むだけで
恨みやつらみをぶつける事さえ出来なかった不器用なわたし
そして心の病気とともに
悲しみや憤り、恨みや怒り・・・そんなものが
溢れるように流れ出してきて
それがカタチとなったのが父の悪夢
始めは言い争う夢から始まった
そして、回を重ねるごとに争いはエスカレートして行き
最後は命を奪い合うまでになった
実の父の命をどうやって奪おうかと試行錯誤する
ぼやぼやしてると自分が殺される
人を刃物で刺すときは
ただ、刺すだけじゃ効果は低い
刺した後手首を回転させるんだ
そうすれば殺傷力は格段に上がる
そんな確認事項を何回も心の中で繰り返す
心の中は ただ、ただ、憎しみと怒りでいっぱい
自分の中にこれほどの暗闇があったなんて
そんな自分に呆然とした
「曖昧な現実」
悪夢 (7)
今はもう父はこの世には居ない
人工透析・・・ 三年の入院を経て10年前にこの世を去った
なのに、死んでからもなおわたしを苦しめ続ける
眠れない夜
小刻みの睡眠
そして悪夢
死ぬまで続くであろう病気との共存
痛み
食事制限のストレス
食べてはいけないものを食べてしまったときの自己嫌悪
繰り返すパニック発作
落ち込む心
身体も心も悲鳴をあげていた
病気になったのは誰のせい?
誰のせいでもない
でも、強いて言うなら自分せいなのかも
悪いのは誰?
誰も悪くない
でも・・・ でも、強いて言うなら自分なのかも
誰もが拳銃と言う名のリスクを持っていたとするなら
引き金を引かないように懸命に努力をするだろう
わたしは努力が足りなかったのかも知れない
わたしじゃない誰かがこの人生を歩いたとしたなら
ここまで追い詰められなかったかもしれない
母と同じ病気も発症しないですんだかもしれない
やはり、行き着く先は自分を責めること