朝、叔母のお墓参りをしてきた。
例年のことだけど、
その子供たちは九州に定住しているからだ。
墓という場所の意味や宗教的なさまざまなことは僕は無知無関心だし、
神は各種宗教とは超えた者であると考えているし、
時間と空間そのものが神ではなかろうかと感じてもいる。
でもひとつの心の動きの状況を研ぎ澄ますには、
お墓参りも意味があると思っているからだ。
僕は自分の親のお墓は
今こうして過ごしている空間そのものの中にあると感じている。
いつも座っている僕の居場所であるここは実家であり、
父や母が生涯を生きたところであり、
母が旅立ったのはこのPCの50センチほど後ろだ。
今年僕は始めてといっていいぐらい年齢というものを感じた。
加齢の意識が芽生えたのだ。
自分にしか分からない微かで、しかし容赦なき失意が漂うのだ。
参ったな、と感じた。
でも、前進しているいうことでもある。
そういうことにした。
ことばは不思議な力があるものだ。
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今日ポストに2通の手紙があり、
失意の人である僕には何よりのプレゼントだった。
じゅうぶんだ。
じゅうぶん嬉しい大晦日になった。
さあ、
アンコールつきのこれを!!
I have a kind of disappointment this year,
but ! recieved heartwarming words at the end of the year.