もう20年以上前だけど、
当時の仕事の関係でボストンに寄ったとき、
もう名前も忘れてしまったアメリカ人女性マネージャの世話になった。
夕食に連れていっていただくことになって、
あまりにも寒いので車のトランクにあった古い女性用コートを借りて、
ご主人の運転で2時間ほど走って
アイダホ州にまで入った湖畔のレストランで素敵なディナータイムを過ごした
のだけど、
その車の中で忘れられないことがふたつあった。
そのひとつは、
僕が生理現象でガスを洩らしてしまったのだけど
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どうしていっていいか分からずにいたら、
運転中のご主人が
どうもスカンクがいるようだ、と言った。
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そのリアクションも思いつかないままにうやむやになったのだけど、
きまりわるくて未だによく思い出すんだ。
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でももうひとつよく思い出すことがあって、
それは運転中のご主人がふと呟いたことがあった。
会話の前後関係は思い出せないけれど、
会話が途切れて不意に呟いたような気がする。
I have a cancer.
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夫妻の写真は持ってるはずなのだけど、
何度も事務所を移転してるうちに
海外関係資料をそっくり僕は見失ってしまっている。
アメリカン人としては静かな人だったけれど、
ときどきどうしてるかなあと思うのだ。
僕はその
I have a cancer という表現がどういう感覚なのか
よく分からないけれど、
なぜかその言い方は気に入っている。
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今年はもちろん3月11日以来のことが人生最大の試練だけど、
秋に妻のポリープに懸念が生じて、
いろいろ紆余曲折のすえに
今日が最終的な診断結果が説明される日だった。
医師の結論は手術であり、
医師ならそう言うということなので、
セカンドオピニオンも同じ気がする。
妻は追求型なのでとても詳しくなり、
医師の勧告には従わない方向だったのだけど、
今日の診断結果でもその意思は変わっていない。
I have a cancer でいく、というのだ。
手術自体を恐れる人ではないので、
それなりの考えと解釈があってのことなのだ。
そして僕もかなり迷ったけれど、
そうしようかと思っている。
最初聞いたときはなんともいえない怯えが自分の中に生じたし、
本人はもちろんそうだろう。
でも僕は自分がそうであるほうがまだラクだという気がした。
二ヶ月という時間の流れがクッションになっている面はある。
経過観察という先送りのようなことでもあるけれど、
生きるということはそういうことでもあるというのが
僕の考えでもある。
日本を襲った悲劇がまだこれから何年も続く現実と
家族の心配事という現実と共存しながら、
年を越すこととなった。
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夏に咲いていたように冬にもまだ咲いている。
