神風特別攻撃隊・Ⅱ 製作中

神風特別攻撃隊・Ⅱ




野中五郎少佐


神雷部隊飛行隊長


桜花と呼ばれる海軍の航空特攻兵器有った。一.二トンの爆弾と火薬ロケットを備え、全重量は二.一トンで魚雷二本分に当る。長さ六メートル,翼長五メートル。小型飛行機の型で陸上攻撃機の胴体の真下に吊るす。操縦員一人が乗り組み、敵艦に近ずくと母機の一式陸攻から放たれ、機体もろとも艦にに突入する。配色濃い昭和19年に開発された必死、必殺の人間爆弾である。



この桜花隊を率いる陸攻隊長として、野中五郎少佐は九州沖に向かった。が、多数の敵戦闘機に迎撃され、野中隊は全滅した。特攻出撃に効果無しと、強い批判を抱きながらも野中は任務遂行に命を燃やしたのであった。攻撃即必死を待つ生身の隊員たち。自らも死を待つ身でありながら、彼は彼は独特のべらんめ調で隊員の心をなごませ、揺ぎ無い闘魂を生育した。部下思いの彼にふさわしい見事な統率であったという。



「けさ厠の台石を見るに落花狼籍」



中野五郎は明治43年11月18日、陸軍少将中野勝明と妻タカの五男二女の末っ子として東京・四谷に生まれた。勝明は岡山市船頭町出身、タカは新潟県糸魚川市出身、四男と五郎の間に女子が二人いて、幼い頃の五郎は2歳違いの次姉千代とよく遊んだ。子供の頃から突拍子も無い事を言っては千代を笑わせた。闊達な性格である。



千代と結婚した海軍士官安藤憲栄(後に少将、比島沖戦死)が部下思いの優しい人だったので、野中は安藤を尊敬し、海軍を志す。といっても東京府立四中時代、三角寛の小説に読みふけって成績が下がり、巻き返して上位に戻るといった状態を繰り返す。「頭は良いんです」と、現在、福岡市城南区に住む
千代は語る。江田島の海軍兵学校(61期)時代、同じ分隊にいた生徒の話によると、彼は勉強が苦手であったらしい、その代わり剣道、跳び箱などスポーツに優れていた。しかし、偏平足を理由に島内の古鷹山の登山訓練には加わらず、水泳などをして時間を潰していたという。



最上級生の四号生徒になったときは、自習時間には(最下級生)に対するお達し文は練るのに腐心している。また旅物も台本の一つだった。名調子で、彼のお達しを聞こうと教官たち間で顔を出した。「けさ厠の台石を見るに落花狼藉。誠にもって言語道断である。あの放尿のしずく跡に心当たりある者の無い者、全てすべて今夜自習室前に集まれ」きりりと引き締まった表情で
宣言する。色白の野中が紅潮すると赤鬼のようであった様である。四号の六四期生徒たちは、殴られながらも、野中の動作に都会人らしい繊細さが宿っているのを感じていた。野中節は以後、お達しの模範となる。兵学校の夏休みで帰省の際、野中は必ず銀座通りに立ち寄り。クラシックレコードを買い求める音楽青年でもあった。当時としては珍しい事だと思う。



昭和八年六一期生として卒業。闊達な正確は更に磨かれ、少年時代、二七期飛行学生として三五人中三五番と逆トップで卒業した様である。戦闘機志望が果たせず艦上攻撃機に回されたため、憤然として卒業式を欠席している。艦攻時代、魚雷攻撃と爆撃を兼ねた中型攻撃機の操縦の大ベテラン入佐利家にあこがれ、昭和一二年頃中攻に移る。此れで彼の目標は定まり、中攻操縦員として腕を磨いて行く。



だが、中野の海軍生活は平坦ではなかった。中攻入り前の昭和一一年、陸軍の青年将校による二.二六事件が発生した。兄の四郎大尉が参加したのである。政治腐敗を憎むことからでた行動とはいえ、要路の大官を殺害したこの事件に世論は厳しかったようである。野中のショックも大きく、進退伺いを
出したと言う親族の間に伝わっている。当時霞ヶ浦航空隊で野中は、術科講習員として受講中だった一期後輩の高橋勝作に、「兄貴の奴がとんだ不始末をして」と、沈んだ様子で話している。千代は、「四郎兄は正義感の強い人で、字も上手。私も五郎も尊敬していました。五郎とも仲が良かったのですが、事件を起すなんて、素振りにも見せませんでした。」と語る。四郎は事件後拳銃自殺して、帰宅した。「みんな安らかな死に顔だと言ってたけど、違うよ。四郎兄さんは悔しそうな顔をしてたじゃないか」野中はあとで千代にそう言って唇を噛み締めていたという。野中はこの事件依頼、四郎の写真を内ポケットにしまい、肌身離さず大事に持ち歩いた。千代は、「いずれ自分も後を追うだという思いが心の奥底にあったのでしょう」と、筆者に語っている。


「車がかり竜巻戦法」



「太平洋戦争開戦と同時に野中大尉は中攻の花形一式陸攻に乗り、第一航空隊(後の七五二空)分隊長としてフィリピンのアメリカ軍基地を攻撃した。
翌昭和一七年にはケンダリー、アンボン、ラバウルと転戦。この間ジャワ沖で米、蘭艦隊を爆撃したり、ポートダーウィンの発攻撃に参加、チモール島クーパンに落下傘部隊を降下させたりした。昭和一八年八月一五日には七五二空雷撃中隊長として2個中隊を率い、ソロモン諸島のガッカイ島沖で大輸送船団を捕捉、攻撃した。この時の模様を部下の分隊長伊藤福三郎大尉は「指揮官席の野中隊長は一言も発しない。此れはその後数回に及ぶマーシャルの雷撃戦でも同様でした。敵弾雨飛のなかで攻撃終了まで一言も発しない度胸のよさは天性というか、修練の致すところか、とにかく大し


© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: