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ラバウルのエースたち・坂井三郎中尉
ラバウル航空隊のエースたち・坂井三郎中尉
坂井三郎
台南航空隊零戦操縦員
坂井三郎元海軍中尉は2000年9月22日午後6時開始の式典で「米国海軍西太平洋艦隊設立五十周年記念式典」出席中倒れられ、84歳で亡くなられました。「坂井三郎中尉、海軍航空隊を退隊されます。総員見送りの位置につけ!! 帽振れ!!帽振れ!!帽振れ!!帽振れ!!に送られラバウルの戦友の元へと旅立たれました。生前 わしが死んだら戦友の所に帰るんだ!皆待ってるんだ!と仰ってました。それは見事な引き際でした。ご冥福をお祈り致します。
「零戦の撃墜王」として名高い坂井三郎一飛曹(のち中尉)ラバウルから出撃した坂井はガダルカナル島攻防戦初日の空戦で瀕死の重傷を負うが、奇跡の生還を遂げる。
名作「大空のサムライ」をものす
「坂井三郎著「大空のサムライ・正続」はまぎれもなく、今次大戦が生んだ名作のひとつである。ここには、内村鑑三の「余は如何にして基督(キリスト)信徒となりし乎」が回心の経緯を語っているように、いかにして飛行機乗りになったかということが冷静的確な筆致で綴られる。
「冒頭いきなり、ガダルカナル上空で空戦の末瀕死の重傷を負いながら、ラバウルに帰りつくまでの悪戦苦闘ぶりが、驚くべき克明さで描かれる。評論家の桶谷英昭氏は、そのくだりを長く引用して「軍人といふより技術者の正確な文章である」と正しく指摘している。
たぶん、飛行機というものは、技術の理論にそって作られたものであり、それ以上の機能は動かないであろう。坂井自信、飛行機乗りには、本質的に天才も名人もいないと断言し、また操縦にこれでいいという到達点がないという意味のことをいっている。
しかし、そうかといって、ある程度いじょうの操縦テクニックが必要である事は言うまでもない。そこで坂井は、教官によって、白紙の状態から飛行機の操縦を叩き込まれ、会得する過程を詳しく書き込むことを忘れない。ここにこの作の特色があり、したがって前編にわたり、感傷、誇張、ハッタリなどは極力除かれている。
ここに描かれているのは、単なる解雇記録でもなければ、ましてや豪傑談義でもない。少年の頃から空を飛びたいと夢を実現し、その人生の途上で戦争に遭遇して、それが当然のことのように運命を受け入れ祖国のために戦った。その事実が、淡々と書かれている。
坂井の筆致が熱を帯びるのは、戦死した戦友の思い出に触れる時である。笹井醇一中尉(戦死後 全軍布告 二階級特進)西澤広義一飛曹、太田敏夫一飛曹、宮崎儀太郎飛曹長、半田亘理飛曹長等、開戦時の台南からラバウル基地までともに戦ったエース・パイロットの列伝が愛惜の念をもって書かれる。
坂井三郎(当時一飛曹)が所属した台南海軍航空隊(略称「台南空」指令斉藤正久大佐、副長兼飛行長小園安名中佐)は、昭和一七年(一九四二年)4月中旬一旦ラバウルを経て、ラエに進出した。そして東部ニューギニアのラエを基地として背中合わせの西海岸ポートモレスビー空襲に明け暮れする。この時ラエの台南空は自他共に認める世界最強の航空隊と謳われた。
死ななければ帰れない搭乗員
ニューブリテン島ラバウルをいわゆる「外南洋」の重大拠点として、オーストラリアを更に圧迫、孤立させようとニューギニアのラエ、サラモワなどを次々と攻略、さらにはソロモン諸島にも手を伸ばし、ツラギ、ガダルカナルに飛行場を設営しようとしていた。この大本営および連合艦隊の企図は、それまでは順調に進んだかに見えた。が、坂井ら台南空がラエに進出した頃から、連合軍の猛烈な反抗が開始される。
連日、激しい空戦がくり広げられようになった。敵も巻き返しに必死だったのであろう。ここで遭遇した相手は、従来の敵とは迫力が違った。それでも当初は、零戦の性能と同時にパイロットの技量に歴然とした差が有り、圧倒的な勝ちを収めていた。それでも、長い期間には人間、機械ともに疲労が重なったりで、物量に物をいわせる敵の前に、くしの歯を引くように一機二機と喪われていく。
開戦後、坂井たちはだんだんに航空機の重要性を認識していったのだが、この「外南洋」方面に進出してから、つくづくと航空機・・・つまり自分たちが戦争の主役だと思い知らされたのだといえる。昭和一七年八月三日、坂井たち台南空の大半は、新しく決戦場の様相を呈し始めたラバウルにに引き上げてきた。同時にこの頃からラバウル基地には、増員ならびに補充の戦闘機隊が、終結し始めていた。第三航空隊(略称「三空」、のち二〇四空に併合)、第六航空隊(のち二〇四空と改称)などが、それである。
ラバウルは文字どうり戦闘機の墓場と化したのである。当時、二〇四空飛行隊長横山保少佐は、「ラバウルのパイロットは死ななければ帰れない」という名言を残した。殆んど連日休み無しの出撃であれば、当然疲労が積もっていく。その上過酷な自然環境が加わり、パイロットばかりでなく整備員も蚊が媒介するマラリアに感染するケースが一番多かった。1方の敵といえば、豊富な物量に加え、交代で休養を取っては出撃してくるというシステムをとっていた。
彼らはいずれ死ななければ成らない運命に有った。その自覚の上に生きる日々というものは、平和時に生きる我々の想像を絶する世界である。その当時の心境を、二〇四空飛行隊長だった小福田晧文氏は、「だんだん虚無的、諦観的となっていく。極端な言い方をすれば、死刑囚と同じような心境に近づいていく」と回想している。そこを突き抜けると、達観、悟道の域にたっするのだろうが、なかなかそこまでいきつくことはできないともいっている。
いずれにしても、当時の彼らは、神に近い存在であったような気がする。生きている事を得た坂井三郎は、その列伝を書き、よくその責を果したというべきであろう。
ガ島上空から奇跡の生還
昭和一七年八月七日午前八時、中島正飛行長直率のもと、零戦一八機をもってニューギニアの東端ラビ基地にある敵戦闘機を撃破せんと出撃まぎわに、作戦はにわかに中止となった。ツラギ、ガダルカナルに敵が上陸したという報告が入ったためであった。坂井たちがガ島という名を聞いたのは、この朝が最初であった。
作戦は急ぎ変更され、同じメンバーのまま、そのガ島の敵兵力を攻撃する中攻二七機の制空隊として出発する事になった。坂井は三中隊の二小隊長として参加する事になったのだが、中島隊長から、五六〇浬(東京~屋久島間)というその距離を聞いて一瞬息を呑んだという。開戦劈頭不安を持たれつつ航空撃滅戦が実施された台南~比島クラークフィールド間より遠いくて、戦闘機が経験した事の無い遠距離であった。
中攻二七機を護衛する一八機の中の一機として、長駆五六〇浬を飛び続け、いざガ島上空に達した坂井は、再び大きな衝撃を受ける。眼下に展開しているのは、実におびただしい数の艦船の群れであった。アリのように見える上陸用舟艇の航跡が幾百条、幾千条もの白いしま模様となって海面を覆い尽くしている。予想とは、あまりにも違いすぎる圧倒的な物量であった。
中攻が爆弾を投下し始めるが、その戦火を確認するいとまもなく、迎撃の敵機の姿を視認する。発見参の米海軍機であった。開戦依頼戦ってきた米陸軍機を初め、オランダ、イギリス、オーストラリアの各パイロットに比べ技量は格段に上であった。
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坂井はまず、グラマンF4Fワイルドキャットとの一騎打ちでこれに勝ち、さらに一機を打ち落としたあと八機のSDBドーントレス急降下爆撃機の群れに突入、至近距離で打ち合って瀕死の重傷を負ってしまったのであった。意識も朦朧と成りながら、マボロシの母親の叱咤に励まされ、ついにラバウル基地まで奇跡の生還を遂げる。応急処置のあと、内地に後送された坂井は、視力が回復できず、ついに前線基地に復帰する事はなかった。
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