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トヨタを裏切ったイギリスが沈没寸前!とんでもない量の工場が大量倒産…トヨタが再び世界のトップに!【ゆっくり解説】私がロンドン駐在員だった時代に現地生産していた日本の自動車メーカーはホンダだけだったがそうか!その後、トヨタも英国生産をやっていたんだ
2023.06.17
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英語の冒険 Adventure of English 英語は悪魔のようにイングランドに現れた復刻日記である「英語の冒険 Adventure of English」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・メルヴィン・ブラッグ(Melvyn Bragg) 著アーチストハウス発行 角川書店発売 1,800円めちゃめちゃ面白い本だ! と言っても、まだ数ページを読み始めたばかりなんだが・・・・・・・・「英語」は、悪魔のようにイングランドに現れた5世紀に海を越えてやってきたゲルマン人の戦士(傭兵)によってもたらされ、激しい暴力のもと、この地に根づいた言語だったのだしかしその間も、ウェールズ、オランダ、インド、中国・・・ ・・・と英語は世界を一周し、その過程でラテン語、サンスクリット語、アラビア語、中国語をはじめ何十もの言語を次々と吸収し、世界一の言語へと発展していった!最初は15万人にしか話されていなかった英語が、どのようにして15億人が使う言語になったのか?「英語」が語る、スリルと興奮、波瀾万丈のドラマに彩られた冒険物語・・・・・・・・表紙の扉のところに書いてある上の言葉が、この本の内容を要領よく説明していると思うイギリスには、有史以前に原住民がいたらしいが、その人間がどんな民族だったかはよくわかっていない一説によると、イベリア人というイベリア半島にすむ民族が住んでいたというつまり今のスペイン人・ポルトガル人に近い人々だろうか?それから、ケルト人がやって来て、ローマ軍がやってきて、さらにローマ軍の傭兵だったゲルマン人がやって来て、やがてゲルマン人達はケルト人(ブリトン人など)を征服し、蹴散らし、海の彼方に蹴落としたイギリスの一番いい場所であるイングランドを自分のものにしたその一方でケルト人達はウェールズ・アイルランド・スコットランドなどに追いやられ、中でもブリトン人は海を隔てたフランスに逃げていって、ブルターニュ(ブリトン)という地域に定住し、昔、自分たちが居住していた英国を「グレイト・ブリトン(ブリテン)」と呼んだだから、ウェールズ・アイルランド・スコットランドの言葉は、ケルト系の言葉だ昔はウェールズの先端のコーンウォールにもケルト系のコーンウォール語というものがあったのだが、もう死語となっているゲルマン人は、サクソン人・アングル人・ジュート人・フリースランド人などがいて、それぞれのゲルマン方言を使用していたオランダの北海に面する今は工業地帯であるフリースランドから昔来た、フリースランド人の言葉が今の英語の起源になったようだ今でもフリースランドの基本語彙は英語に非常に酷似しているようだ私は欧州にいた頃、衛星テレビで北欧の映画を時々観ていて、デンマーク・ノールウェイ・スエーデンなどのゲルマン系北欧語の英語との語彙の近似ぶりに驚いたことがある英語は、ノルマン人に征服されてからフランス語などが混入して、洗練されているが、北欧語は、ヴァイキングの昔からの原始的?なゲルマン語といった語感英語の語彙を短くシンプルにしたような語彙が多いこれは、チェコ語とポーランド語との関係にも言えると思うチェコ語は長い間使用されないままだったので、ラテン語などを吸収する段階が無く、スラブ祖語の姿をより多く残していると思う犬のことをポーランド語で「ピエス」というが、チェコ語では「ピス」と無骨に発音するポーランド語は「i」の代わりに「ie」とダブる母音を入れて語感を柔らかにしている~~~~~~~~~この他に、8世紀頃からヴァイキングが英国を侵略し、特にデンマークからのデーン人が二・三世紀ほどの間に英国に居座り、英語にいろいろの影響を与えたこの頃の北欧語はまだあまり分化していなくて古北欧語(古ノルド語)と呼ばれていたこの古北欧語は英国の臣に東海岸の各地方の村々に入り込み、村々の独特の方言を作ったノルマンの英国征服もあったノルマン・フレンチはもともと北欧人・ヴァイキングだったのだがフランスに定着したその彼らが三世紀にわたって英国に君臨した法律・政治・戦争・食生活関係など1万ものフランス語が英語に入り込んだという以前書いたことだが、食生活での英語とフランス語に当時のノルマン人と被征服者のアングロサクソンの立場がうかがえる例えば英語話者は家畜の世話をしていたり、調理場で肉をさばいて料理を作る召使いであるox(雄牛)もcow(雌牛)も本来の英語であるまだ動物状態である(笑)フランス語話者であるノルマン貴族がテーブルで食べる段になると、調理された肉はノルマンによってノルマン語(フランス語)で、beef (boef) と呼ばれた同じように英語の sheep (羊)がフランス語の mutton (羊肉)になり、calf (子牛)が veal (子牛肉に)、deer (鹿)がvenison (鹿肉)に、pig (豚)が pork (豚肉)に・・・いずれも英語が動物を、フランス語がその調理された肉・料理を指しているイギリス人は働く人、フランス人は食べる人・・・である~~~~~~~~~1986年、東インド会社に英国人判事で、アマチュア言語学者のサー・ウィリアム・ジョーンズという人がいた彼は、在職中にインドのアーリア人の聖典ヴェーダの言葉、インドの古典語サンスクリットを詳細に研究したサンスクリットは少なくとも紀元前二千年までさかのぼることができる古い言葉だ研究の結果、彼はサンスクリット語がインド・ヨーロッパ語族(印欧語族)に属する原語であるという、当時としては驚嘆すべき事実を発見した(このサンスクリット語は当時、いわば文語で、パーリ語が口語にあたるようだが、仏教の経典などはこの両方で書かれていたようだ)欧州の言葉はほぼすべて印欧語だが、例外としてバスク語、エストニア語、フィンランド語、ハンガリー語があるバスク人は謎の民族と呼ばれるどうも今の欧州の民族が欧州に来る以前から、すでに欧州に入っていた欧州のいわば原住民らしい彼らはクロマニオン人の直系の子孫とも言われているエストニア語とフィンランド語は同じ語族に属するする印欧語ではないハンガリー語はフン族の一派であるマジャール族の言葉で、おおざっぱに言えばトルコ語に近いだから昔言われていたウラル・アルタイ語という系統の言葉であるハンガリーという名前自体、『ふんがりー』であり、フン族の背景を物語っている~~~~~~~~~この本では、英語の起源についてこういう説明がなされている【今から四千年以上前にインド平原のどこかで、その土地の言語が移動を始め、それがやがて英語となったのだ】これはちょっと粗っぽい、英語視点の表現で、せめて英語と言わず、印欧語と言うべきだしかし、要するに印欧語の祖語がインド平原にあって、それが拡散して印欧語族を作り上げた・・・、と言うこと以前、BBCの製作したある番組を見ていたら、こういう部分があった画面はアフガニスタンが舞台で、ポロ競技の原型となったという「ブスカシ」という競技を映しているこの競技は、子ヤギの死体を騎馬の2チームが奪い合い、自分のゴールに入れるというもの英国の貴族がプレイするチャールズ皇太子もすなりというポロという競技があるステッキ状のものを持った騎手達が、いわばサッカーのようなかたちで争うのだただしポロ競技では子ヤギがボールになった私の考えだが、このポロからホッケー競技も生まれたのではないだろうか?騎馬ではなく、徒歩でのポロがホッケーもちろん、ホッケーからまたアイス・ホッケーが生まれているこのアフガニスタンやカザフスタン、トルクメニスタンなど、【スタン】のつくユーラシア大陸中央部の国々は騎馬遊牧民の国で、名馬の産地千里を行く天馬としょうされた【汗血馬】もこの辺の産馬だという・・・・・・・・★ 『馬の世界史』本村凌二著 講談社現代新書1562 2001年 272頁こんな本を読んだ本書は馬が人類史に与えた影響、馬が人類に与えた速度と支配権の拡大を強調していて、私としては目からウロコだった馬は人類の交信スピード、統治範囲などに空前絶後の影響・変化をあたえ、馬なくしては、人類の発展は限定的だったかもしれないと説くもう一方は軍事面で、馬にひかせた戦車は革命的な兵器となり、これを取り入れた国々が覇権を握って世界帝国を建設したというもの・・・・・・・・【英語の冒険】の一部の記述、●【今から四千年以上前にインド平原のどこかで、その土地の言語が移動を始め、それがやがて英語(印欧語)となったのだ】それに【馬の世界史】の記述、●ユーラシアの騎馬遊牧民族の馬は、人類の交信・統治範囲を拡大したこの二つの相互関係にお気づきだろうか?BBCの番組で言われていたことは、この地域の言語、印欧語の祖語が、馬という革命的な交通機関、交信・統治範囲を拡大する手段にのって、世界に(主に欧州方面に)拡散して、今の印欧語族の優位性を築いた・・・、そう言う話だ ★ ★ ★ ★ ★ ★ここで新たに復刻日記に追加する事がある先日ケーブルテレビの番組で新説がある地質学者によって主張されていた上記の『馬が英語を世界語にした』という英語拡散説に対する異説として・・・であるこの地質学者によれば、以前、当時、地球上の海面は現在よりはるかに低かったその海面が温暖化にしたがって、どんどん上昇して、トルコのヨーロッパ部分(オチデント:Occident)とアジア部分(オリエント:Orient)を隔てる非常にせまい海峡、ボスポラス海峡(Bosporus)を乗り越えて、その奥にある当時はまだ内陸の湖だった黒海に流れ込み、黒海を海にしてしまったのだというこれにより、それまで黒海沿岸に住んでいた人たちは突然の水面上昇に住まいを追われて欧州方面に逃げたその人達の言語が印欧語祖語で、それが欧州に広範に分布したこういう話である黒海と「スタン」諸国とは、距離的にかなり離れている「スタン」諸国から西へカスピ海を経て、黒海に至るこの二説間同士の折り合いはつくのだろうか? ★ ★ ★ ★ ★ ★当時いただいたコメント and/or それへの私の解答をここにコピペしようalex99○ 二代続く世界の覇者が英語を母国語としている英国は初めこそローマの一属州でしたが、フランスが世界の覇者である時代が終わると、やがて数多くの植民地を持つ世界に冠たる大英帝国になり、文化的にもシェークスピアを初めとする偉大な文人を持った植民地を持つことは、その国の言語の普及に多大な効果があるインド・オーストラリア・ニュージーランド・アフリカ諸国・ハワイ・フィリピン・シンガポール・香港・カナダ・・・さらに英国の相続者である新大陸アメリカが、英国のあとを継いで、膨大な人口を持つ英語話者の国を構築して、単独覇者となったハリウッド映画・ジャズの影響、インターネットでの寡占状態みな英語に有利な状況ばかりです語学的に言えば、いろんな言語を吸収して非常に豊かな言語になったこと文法的に格変化を廃して、その代わりに前置詞を使用することによって、文法が非常に簡単になった語順と前置詞の知識があれば、(本当は熟語・成句が難しいが)外国人にとって習得が容易な言語でしょう
2021.05.22
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即位の礼の影響だろうか?この記事へのアクセスが異常に多いので古い記事ではあるがあらためて復刻記事とした ーーー 復刻記事 ーーーなぜ、英国の皇太子は『プリンス・オブ・ウェールズ』と呼ばれるのか? ■ そもそも英国は、イングランド、スコットランド、ウェールズおよび北アイルランドの四ヶ国から構成されている、連合王国(United Kingdom)です。 正式名称はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland =グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国。 略して『英国』、『イギリス』または『ブリテン』。 イングランドは北欧系・ゲルマン民族のアングロ・サクソンですが、その他の国はケルト系民族の国です。 日本ではこのケルト系の三ヶ国の人々をも『イングリッシュ』と呼び勝ちですが、これは間違いです。 『イングリッシュ』は、あくまで、イングランド人だけです。 ■ 日本には『堺はすべての始まり』という言葉がありますが、これは種子島に伝わった鉄砲の大量生産地にもなった自由都市・堺の先進性を指した言葉です。 世界規模で言うと、英国が、ある種すべての始まりとも言える。 産業革命・蒸気機関車その他の科学・産業・工業面は当然ながら、スポーツでもサッカー、ラグビー、テニス、バトミントン、卓球、ゴルフ、クリケット、ゲートボールの元になったクロッケー、・・・数え出すときりがありません(本当はここでちょっと止まってしまった)。 だから、もともと四カ国で始めたサッカー、ラグビーが国際的になった時にそのまま四カ国の International Match 国際試合として残った。 ラグビー・サッカーでのユニフォームの色・シンボルカラーは イングランド=白にバラの刺繍 スコットランド=紺 アイルランド=緑 ウェールズ=赤 ■ さて、英国のチャールズ皇太子は、『プリンス・オブ・ウェールズ』と呼ばれますね。 なぜでしょう? ウェールズは上に述べたように、四ヶ国から形成される連合王国の中の一つの国にすぎません。 連合王国の皇太子がウェールズのプリンスとは? なぜでしょう? 今日はこのことを書いてみます。 ■ 映画俳優で、絶世の美女(だった)エリザベス・テイラーと二度と結婚した英国の男優、リチャード・バートンはウェールズの出身です。 ウェールズの炭坑夫の息子です。 私は仕事でウェールズによく行ったし、秘書の一人がオックスフォード大学出身の才媛でしたが、ウェールズ人だった。 ウェールズは炭坑が中心産業だったんですが、もちろんさびれてしまって失業者だらけ、私のロンドン駐在時代は日本企業の工場誘致に必死でした。 『ウェールズの山』と言う映画がありましたが、英国は日本と違って高い山も険しい山も無くて、ウェールズの山とは、私に言わせれば若草山の大きいようなもの。 あそこではケルト語族のウェールズ語がまだ一部で現役。 英語を話しても訛りは強い。その点、バートンはよく訛りを矯正して、シェークスピア俳優になったもんだ。 エリザベス・テイラーの伝記を読んで、その中で彼の私生活を知って、人間的には嫌いな男だけれど。 彼のお爺さんはなんとユダヤ系のポーランド人です。 だから、バートンというのは、本名ではなくて、多分芸名でしょう。 ウェールズ出身の有名人というと、歌手のトム・ジョーンズ、それに映画俳優のアンソニー・ホプキンスがいます。 ■ 世界的に有名な『プリンス・オブ・ウェールズ』は皇太子だけではありません。 英国が世界に誇る巨大戦艦の艦名でもありました。 第二次世界大戦中、英国はシンガポールを基地とする強力な東洋艦隊を持っていました。 日本軍は石油欲しさにマレー侵攻作戦を進めましたがこの日本の動きを阻止するために英国の東洋艦隊は主力2戦艦、プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales 以下 POFW と称す)とレパルス(Repulse)をマレー沖に急行させました。 この動きを察知した日本海軍サイゴン航空基地では攻撃機を発進させ、昭和16年12月10日、急襲した攻撃機の魚雷・爆弾の命中の結果 POFW レパルス両艦は沈没しました。 これがいわゆる「マレー沖海戦」です。 マレー沖海戦は世界戦史上、エポック・メーキングなものでした。 POFW は東洋艦隊の旗艦のみならず、英国が「不沈艦」と誇った世界最新鋭の戦艦。 その不沈艦がレパルス共々撃沈された驚き(チャーチルは最大のショックだと嘆いた)もさることながら、それが戦艦同士の砲撃戦ではなく、航空機の雷撃でなされたことでした。 それまでの海戦は巨大戦艦の巨砲でポンポン撃ち合うもので、「大艦巨砲主義」と呼ばれていました。 それがこの海戦以来、各国は「航空勢力主力」へと転換しました。 せっかくこんな歴史的な成果を世界に先駆けて上げた日本海軍は、その後航空主力への転換には成功せず逆に「大和」「武蔵」の超巨大2艦を建造して大艦巨砲主義を継続、大和級第3艦「信濃」建造中にようやく航空母艦に艦種変更しました。 その上、大和級は第6艦まで建造中・または計画されていました。 狩猟・遊牧では激しい状況変化に対応せねばならないが、日本人のような農耕生活では十年一日、同じような農作の繰り返しで変化はありません。 「農民体質日本人」の「方向転換・意志決定の遅さ」はDNAレベルのものでしょうかね? ■ 炭坑町を舞台にしたジョン・フォードの名作「わが谷は緑なりき」もウェールズが舞台でした。 「ブラス」も炭坑町ということなので、今日までてっきりウェールズと思っていたんですが、ヨークシャーでした。 「ウェールズの山」と言う映画がありました。この山のモデルのガースの丘はウェールズの首都であるカーディフの近郊にあるが、実際のロケは中部ウェールズだったようです。 ガースの丘の頂上に登った人によれば、頂上に実際に人造の小さな丘があるそうです。 さて映画ではウェールズ人達がの丘を山にしようとしたのは「イングランドからウェールズに入る最初の丘だから誇らしい」としています。 しかし私は違う考えを持っていてこの丘がウェールズ人達にとっては、「ウェールズが国境でイングランド相手に幾度と無く激しく戦った象徴的な古戦場」であったからこそ、単なる丘では不足で山に昇格させたのだと思います。 イングランド(アングロ・サクソン)に対するウェールズ(ケルト)の敵意が長らく尾を引いていました。 山岳戦についてはイングランドがウェールズをついに征服したときも、ウェールズの人々はスノードン山に立てこもり抵抗しました。 ウェールズは平野のイングランドに比較すれば山地が多く、人々は「山岳民族」とされていたようです。しかし、日本人から見れば、山とは言いがたい高度で、我々から見れば「丘民族」とでも呼ぶところですが。 スコットランドをのぞいて英国の最高峰はウェールズにあるスノードン山です。 標高1085m。この山には山頂にまで至る狭軌のアブト式登山鉄道があり一両客車の豆蒸気機関車が走っています。 私も乗りましたが、走ると言うより「あえぎながら登っている」のです。 この蒸気機関車はいわゆるSLマニアの垂涎の的です。この蒸気機関車、約一時間で山頂まで登りましたが、私たちの眼下にはハイキング登山者が登山道を登っており約2・3時間で山頂に至るそうです。英国最高峰といえど、その程度の高さです。 ■ ウェールズはチューダー王朝のエドワード一世にに征服され、イングランドから過酷な統治を受けましたから、他のケルト人達、アイリッシュ・スコティッシュ同様、イングランドには強い反感を持っています。 その反感をなだめようとイングランドは歴代の英国皇太子を Prince of Wales と呼ぶ事にしています。 なんかウェールズを馬鹿にしているようですが、エドワード一世は身重の妻をウェールズで出産させて(エドワード二世)その子に Prince of Wales の称号を与え、つじつまを合わせています。 この時 「A Prince of Wales who could speak no English ! 」と補足したそうですが、赤ん坊ならいくらイングリッシュの血筋でもまだ英語がしゃべれるわけがありません。 しかし、またどうしたことか?ウェールズ人もこれを歓迎したと言います。 実際には歓迎と言うより妥協・迎合でしょうか? Prince of Wales これが英国皇太子の正式名称です。 Crown Prince だけでは、ただ単に「皇太子」という意味です。 それに Prince of England なる名称は存在しません。 もっとも Prince の語義を研究社新英和大辞典でひいてみると『 4. 帝王を上にいだかない小国の統治者。公』。KINGとまでは行かないようです 日本ではモナコの王様と言われるモナコ公ですが、正式呼称は 『The Prince of Monaco』 だそうです。 意外にも『公』どまりで、『王様 King』 じゃ無いんですね。また研究社新英和大辞典ですが 『5. ((古)) 王(King) 帝(Emperor) 君主(Sovereign)』。 このあたりも該当ですね。 それまでのウェールズの首長が『Prince of Wales』と呼ばれていたのは、つまり『ウェールズ王』だった訳です。 「Wales」 とは、一時英国を占領していたシーザーのローマ軍団が「よそもの」と呼んだことに由来するとのこと。 どっちがよそものでしょうか? それともアングロ・サクソンと区別してそう呼んだんでしょうか? もう逝去したマーガレット王女の離婚したカメラマンの前夫は「スノードン卿」という爵位をもらっています。 もちろん一代呼称でしょうが、このへんもウェールズに気を遣っている感じですね
2019.10.28
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過去ログ復刻 英国英語の表現法とイングランド人気質カテゴリ:【英国】での思い出 英国の歴史2006.03.08NHK教育テレビでよく見る番組がある。ピーター・バラカンという人の「Weekend Japanology」という英語番組である。バカラン氏と、もうひとり英語が堪能な女性が、ゲストを迎えて、テーマについて対談をする。NHKのサイトでの紹介文がある。これによると、もともとNHKのワールドサービス用の番組だったようで、今の放映はその再放送の様だ。 ~~~~~~~~ジャパノロジー”とは、『日本学』。これまで伝えられてきた紋切り型の「日本人」や「日本文化」の枠を壊し、そこにありながら語られることのなかった「これぞニッポン」を、新しい切り口で世界に発信する、英語と日本語の2か国語番組です。 テーマは、伝統文化から季節の風物や食、暮らし、そして最新のトレンドまで。幅広い分野から、国際的に活躍するゲストをスタジオに招き、経験を踏まえた視点で語ってもらいながら、日本の素顔を世界に向けて伝えます。ピーター・バラカン、菊地真美のコンビでお届けします。* 日本国内でも教育テレビで去年以降のラインナップから「再放送セレクション」をご覧いただけます。 ~~~~~~~~テーマとゲストは、知的で興味深いもので、ちょっと他の番組では取り上げないようなものばかりで、さすがはNHKだという番組だし(私はNHKの味方です)、それだけでも面白いのだが、このバカラン氏と、菊池真美さんという女性が、英国英語をしゃべるのだが、その英国英語が耳に快い。いまどき英国英語ばかりの番組などめったにないことでもあるし。ピーター・バラカン氏は、音楽のキャスターとして著名な人らしい。 ~~~~~~~~ピーター・バラカンさん(Peter Barakan)ブロードキャスター。1952年英国ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業。 '74年に来日。出版関連の仕事を経て、放送界に進出。以来、独自の選曲によるポピュラーミユージックの紹介者として活動。FM放送を中心に、数本のレギュラー番組を通して活躍が続いている。またテレビ「CBSドキュメント」では司会役も勤めている。 ~~~~~~~~バラカン氏の父親は、ユダヤ系のポーランド人、母親は、英国とミヤンマーの混血という。バラカン氏はロンドン大学卒。オックスフォードやケンブリッジにも日本語科があったが、自分が住んでいるロンドンで大学に通いたかったのでロンドン大学を選んだのだという。彼の英語は、RP(Received pronunciation)と言われる、南イングランド(ロンドンを含む)のインテリが使うもの。Oxbridge アクセントに近いように思われる。ついでだが、おなじNHKの英語番組で、英国英語の女性が二人いる。一人は、『いまから出直し英語塾』と言う番組でアシスタントをしている女性。もうひとりが、別の英語番組に出演している。この後者の彼女は、わずかながら、コックニー的な下町アクセントがあるそれはともかく私としては、この番組における対談におけるバラカン氏の質問や、彼のゲストの不十分な英語への補足などが、知的で、それにいかにも、英国人的なものだから面白い。英国英語と米国英語は、発音や多少の語彙が違っているだけではなくて、表現のスタイル、物言い、が異なっている。英国流表現は、クールで客観的で、過度に?正確であろうとする。それに、understatement つまり、控えめな表現であってバラカン氏の話し方は、正にこれであると思う。それらが、われわれが日頃聞き慣れている直裁でアグレッシヴとも言える米国英語と異なる点であって、 ~~~~~~~~ネット上で、イングランド人の性格について、検索してみたら下記のようなものがあった。 ~~~引用~~~~~まず、FT(FINANCIAL TIMES)紙の週末版に挟まれてくる雑誌[FT magazine](4月2日号)の最終ページにあるコラムでは、”Stale songs and warm ale(陳腐な歌とぬるいエール・ビール)”と題する文章が掲載されました。イングランド人の特徴(IDENTITY)を考えると、英国特有のぬるいエール・ビールを飲みながら陳腐な歌を大声でうたう姿くらいしか思い浮かばない、という皮肉な意味がこめられたタイトルです。このコラムで興味深かったのは、イングランド人自身が、諸外国(さらに、おそらく、スコットランドやウェールズなど)と違って、イングランド独自の文化を持っていないことを非常に気にしているという点です。コラムの筆者は、イングランド人に本来備わっている特有の気質(美徳)が控えめな態度であるため、自らの特色を自己顕示的にアピールするような共通の文化が形成されなかったのだと結論づけています。ちょっと開き直り的な感なきにしもあらずと思いますが。ちなみに、筆者が列挙しているイングランド人の気質は、以下の通りでした。Understatement(控えめな言葉)dryness(さりげなさ)ironic humour(皮肉をこめたユーモア)tolerance(寛容)coolness under pressure(困難な状況下での冷静)pragmatism(実用主義)humility(謙遜)straight talking(率直な言葉)intolerance of pretentious posturing(これ見よがしの気取った態度に対する嫌悪)a gentle sense of dissent(異論への寛大な感覚)a respect of individual choice(個人の自由の尊重) これらは、日本でもしばしば指摘される英国人気質ですが、私には本当にそうかどうかは判断つきかねます。 ―――― alex99 ――――そうかな~?私としては、まさにドンピシャ!正鵠を射ていると思うのだがさらにshynessと言うものも特質として追加してもいいのでは無いか?----ただ、英国人のセルフ・イメージや彼らの価値観を知る上では、参考になるように思いました。 ~~~~引用終わり~~~~このイングランド人とは、英国人の中でも、アングロサクソン系のイングランド人を指す。イングランド人=イングリッシュと共に連合王国を形成するケルト系のウェールズ人・アイルランド人・スコットランド人は、英国人ではあっても、イングリッシュではない。私は、私のロンドン生活を想い出すに、イングランド人には、上記の特徴が確かに、強くあると思う。特に、UPPER CLASSのイングランド人においては、である逆に、敢えて言えば、LOWER CLASSのイングランド人は、こう言う特質を共有していない、と私は経験的に思うのだがこれは、イングランド人の間に於いても、多重的な民族的な多様性が有って、英国特有の階級を形成しているのでは無かろうか?そうして、これらの性格が、アメリカ人とイングランド人とが、大いにちがう由縁だと思う。
2017.04.19
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1カ国語しか話せない人のこと何て言うか知ってる? こう言うジョークがある ----「2カ国語話せるのはバイリンガル、3カ国語はトリリンガル、 じゃあ1カ国語しか話せない人のこと何て言うか知ってる?」 「ブリティッシュだよ」 ---- このジョークは、察するところ英国産らしいが英国の他でよく聞くこのジョークの変形は「アメリカンだよ」というもの ---- このジョークで思い出すことがある 昔、欧州にいた頃、ヴァカンスということでイタリアのシチリア島に行った行ったのはいいが,シチリアの人間はどうも、アラブの血が混じっていて,しかもイタリアの田舎愛想が悪いそれに、ヴァカンスに来ている人間も英語をしゃべる人間が少なくて話し相手が少なくて,あまり面白くなかった ある日、ドヤドヤっと、到着したグループが英国人らしかった話しかけてみると,やはりそうだった これはありがたいと思って早速プールで出て来たグループの一団に話しかけた「あなた方、イタリア語はどうなんですか?」 私は,大学の第二外国語がスペイン語だったスペイン語とイタリア語は,大阪弁と名古屋弁みたいなもので(笑) イタリア語は、なんとなくわかるような、わからないような(笑)ただ、シチリア弁は,標準イタリア語からは、かなり、なまっているようでとにかく、苦労はしていたのだが、すこしずつしゃべるようにもなってはいた(今はもう、忘れているが)(念のため)(笑) だから、そう、尋ねたのだが すると、私から質問を受けた英国人の中高年の男性は非常に不愉快な表情を浮かべて「ノ~!」と吐き捨てた やや驚いて,この男の容貌を観察してみるととてもインテリというタイプでは無く頑迷な(笑)労働者階級,のようだった つまり、この労働者階級の男としては私から「イタリア語はしゃべれるか?』などという質問を受けることは外国語など,一つもしゃべれない労働者階級の人間として不愉快なことであった、ことがひとつ それに、 加えて外国語をしゃべるなどと言うよけいな教養の有無を言う前に私は、世界に冠たる大英帝国の国民であって英語という素晴らしい世界語をしゃべれる以上マイナーなイタリア語などを知っていようが、いまいがそんな事は問題では、無いだろうという自負とが激しく交錯して(笑)ということだったのだろう その後、私は、それも余計な事だったが「あなた方のここでの滞在期間は?」と聞いてしまったのだがなんと「一週間だ」と言うことだった 私は、二週間だったのだから二倍である (と威張るのもどうかと思うが)(笑) 一週間、これは、欧州人の,英国人だが、のヴァケーションの期間としては、非常に短い労働者階級としては,これが精一杯だったのだろう(労働者諸君をバカにしてはいけないな)(反省!) そう言えば、この労働者諸君の一団は仲間同士でくつろぐことはあっても七つの海を制覇した大英帝国の栄光を、固く守っているようで(笑)ホテル内や海岸で,他の国のグループと親しむ光景を見なかった こう言う頑迷で無知な(オイオイ)労働者諸君が,今回のEU離脱投票では離脱に投票したのだろうなとふと、昔の事を思いだした
2016.07.02
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今日「ひるおび」でボリス・ジョンソンを取り上げていた彼とキャメロンはイートン → オックスフォードという経歴ジョンソンの方が二年先輩イートンと言えば,パブリックスクールの中でもハーローと並んで、貴族の子弟が通う最高級オックスフォードと言えばケンブリッジと並んで,最高級つまりイートン・ハーロー → オックスブリッジ絵に描いたような英国の超エリートの経歴だ一度、ウィンザー城を訪問(非公式に)(笑)したとき眼下にハーローの生徒達があるいているのがみえたがシルクハットに燕尾服(笑)同じ中高一貫校と言っても灘や開成とはちがう世界(笑)オックスブリッジになると一般家庭の学生でも入学できるがイートン+ハーローは、mondatory ではないが貴族や名門の子弟が中心パブリックスクール・アクセントというものがあり一言話すと,こいつはパブリックスクール出身だなというのがわかってしまう私が、シティーで付き合っていた連中はこう言う連中(笑)やはり、英語がわかりやすいのがいい(笑)労働者階級と違って反日でもないしそういう連中が政界やシティーの金融界に進む----意外かも知れないが米国も似たりよったりパブリックスクールに匹敵するプレップスクールがありハーバードやイエール大学に進む成績が悪くとも親がそこの卒業生で、寄付などをしていると悠々入学できるあのブッシュもそのコネで・・・(笑)プレップスクールの生徒もアクセントがある私の姪も,小学生から通っていたので強いプレップ訛りだそうだ米国映画で,プレップの生徒が出てくるものがある「ある愛の詩」などもそう
2016.07.01
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英国の新聞は階級社会英国をそのまま反映しているインテリ・上流階級は,高級紙を労働者階級は,タブロイド大衆紙(夕刊) ―――― ◇ ――――○ 高級紙(Quality paper)デイリー・テレグラフ (The Daily Telegraph/ The Sunday Telegraph)タイムズ (The Times /The Sunday Times)インデペンデント (The Independent)ガーディアン (The Guardian) / オブザーバー (The Observer)フィナンシャル・タイムズ (The Financial Times)(日本の日経に相当)○ タブロイド(Tabloid newspaper)○ 中級紙("Middle-market" tabloid newspaper)デイリー・エクスプレス (Daily Express / Sunday Express)デイリー・メール (Daily Mail / Mail on Sunday)○ 大衆紙(Popular paper)ザ・サン (The Sun) / ニュース・オブ・ザ・ワールド (News of the World)デイリー・ミラー (Sunday Mirror)デイリースター (Daily Star Sunday)デイリー・スポーツ (The Daily Sport / Sunday Sport)ザ・モーニングスター (Morning Star) 社会主義紙ザ・ピープル (The People)○ 地方紙イブニングスタンダード (Evening Standard) ロンドンの夕刊紙(夕刊紙としては,レベルがある)デイリー・レコード (Daily Record) スコットランドのタブロイドサンダーランド・エコー(Sunderland Echo)リヴァプール・エコー (Liverpool Echo)
2016.06.27
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被災者の地獄への道は村上春樹の善意で舗装されている池田信夫2015年04月11日17:29キャプチャかつて私は村上春樹の小説の熱心なファンだったが、彼の社会的な発言は単なる平和ボケの団塊オヤジだ。いま話題になっている「原発NO!に疑問を持っています」という話でも、「交通事故で毎年5000人近くが亡くなっているのに、原発だけを取り上げてNO!というのはどうかと思う」という読者の質問に、村上はこう答える。福島の原発(核発電所)の事故によって、故郷の地を立ち退かなくてはならなかった人々の数はおおよそ15万人です。桁が違います。[…]もしあなたのご家族が突然の政府の通達で「明日から家を捨ててよそに移ってください」と言われたらどうしますか? そのことを少し考えてみてください。原発(核発電所)を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題なのです。まず彼はここで毎年5000人の死者と15万人の避難者を混同している。福島事故の放射線による死者は、5000人どころか1人も出ていない。さらに15万人は「明日から家を捨ててよそに移ってください」と命令されて、そこにいるわけではない。政府は年間20mSv以下の地域は帰宅するよう勧告しているが、帰るに帰れないのだ。なぜだろうか。それは村上のような人々が「被災地を除染して放射能を1mSvにしないと帰宅させてはいけない」と言い張っているからだ。そんなことを実現するには10兆円以上の予算が必要であり、それを条件にする限り、彼らは永遠に帰宅できない。この原因は民主党政権が、福島を法律の適用できない例外状態にしてしまったからで、安倍政権も手が出せない。法治国家で例外状態をつくると、官僚の裁量をチェックするしくみがないので、歯止めがきかなくなるのだ。そして官僚は「世論」に迎合して問題を先送りする。その世論をつくっているのが、村上のような(主観的には)善意の人々だ。「原発(核発電所)を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題」だというなら、累計で50万人以上の人命を奪った自動車や、毎年13万人の死者をもたらしているタバコを認めるか認めないかも、国家の基幹と人間性の尊厳にかかわる包括的な問題だ。原発だけが特権的な大問題だというのは、マスコミの作り出した錯覚である。このように日本では、例外状態で決断する主権者はヒトラーのような独裁者ではなく、村上のような「世論」だ。これは独裁より厄介である。ヒトラーを追放すれば独裁はなくなるが、村上のような善意の人々は無数にいて、しかも自分が主権者だと気づいていないからだ。 ―――― 私の感想 ――――私は、村上春樹が嫌いである彼が昔、北欧でやったスピーチを聞いてその内容にあきれた小説家としては、かなりな人物なのだろうけれど社会評論としてはお粗末だったそれなのに、自分が小説家として著名であるから自分の意見もその権威に裏打ちされているのだと言わんばかりの傲慢さがあった彼等は芸術という分野でこそ著名だろうが社会評論的な分野においては、自分のビッグネームがあるからと言ってその内容・質が素晴らしいものだとは限らないただの、素人なのである坂本龍一にしろ、芸術家という人種は知的であるためには左翼的でなければならないと思い込んで居るような気がする(笑)
2015.04.17
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まもなく、ロンドンオリンピックである私は、ロンドン駐在であったことがあるので他のオリンピックより、関心があるマラソンなどでは、懐かしいロンドンのシティーの街角が見られるだろうと思うまして、リオが出場して大活躍してスーパー・ヒロインになるのだ(まだ、期待の段階だが)(笑)これからできるだけ私の過去ログから英国関係の過去ログを復刻しようまず、下記の過去ログから ↓なぜ英国の皇太子は 『プリンス・オブ・ウェールズ』と呼ばれるのか?
2012.06.29
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過去ログを採録する省エネ・エントリー・シリーズ ―――― 過去ログ ――――2004/12/09◆ なぜ英国か? パックス・ブリタニカ私はなぜ英国について何度も日記に書くのか?私の「海外の想い出」カテゴリーではヴィエトナム中東英国東欧私は30数カ国ぐらいを訪問したと思うが、その中でもこういう国々に関して書くことが多い。それだけ、面白いとか、好きだとかの度合いが他の国より高いのだと思う。英国については、先ず、私にロンドン駐在の経験があり、英国には大いに興味を持っていること。と言っても、実際は仕事に追われて、英国を楽しむことはあまり出来なかった。仕事を終わってから、パブに行くことだけは律儀に実行したが。観光とか留学で行かれた方の方がそう言う意味では、もっと英国のいろんな事をご存じかも知れない。だから、他分野でもそうだが、私は英国に関しても、「遅れてきた学習者」というところ。次に、英国自体が面白い国だと思う。かってはパックス・ブリタニカ(ラテン語:Pax Britanica)(大英帝国の平和)(大英帝国の下の平和)(PAX とは英語で Pease 平和のこと)といって、世界に冠たる大英帝国だったわけで、世界を制覇し、世界中に植民地を持ち、世界の富を集積し(収奪したという見方もあります)、世界的な文化を持ち(特に科学者・文学者)、世界語である英語の母国でもある。いわば現代文明の母と言っても過言でない国である。パックス・ロマーナ(ラテン語:Pax Romana)は、「ローマの平和」を意味し、古代ローマ帝国時代の、「ローマの支配領域内における平和」を指す言葉。私は、個人的に、アレキサンダー大王の「パックス ヘレニズミカ?」(私の造語)「ヘレニズム帝国」も、ありだと思うのだがそれに、それ以前の、古代ギリシャによる地中海世界の支配「パックス・グレコ」もありだと思うのだがその内に、学会で発表しよう(笑)今はパックス・ブリタニカの息子(娘)の米国の時代になって、パックス・アメリカーナ(Pax Americana)の時代になっていますが、どうも「アメリカの平和」は、西欧社会とイスラム社会の抗争という構図を作り出してしまっているこの他のパックスにもいろいろある。いずれもローマ帝国に比較される世界的な帝国である。・パックス・イスラミカ(イスラムの平和) イスラム帝国・パックス・タタリカ(モンゴルの平和) チンギス・ハーンのモンゴル帝国私のリンク先の考古学者artaxerxesさんの日記「アルタクセルクセスの王宮」によれば、まだ下記があるというただし、これは彼の造語だという・ローマ帝国以前に複合文明からなる巨大帝国を作り上げたアケメネス朝ペルシア(紀元前550~330年)のパックス・ペルシカ。まあ、強力な帝国の領土内にはたしかに安定した平和があっただろうとは思う。ただ、その帝国の形成過程では、周辺諸国が平定された武力の歴史があるわけだから、単なる平和でもないパックス・イスラミカ(イスラムの平和)について検索したら、こういうサイトがあった。ユネスコ講座「いま、平和を考える」 2001年12月 1日(土) 中目黒青少年プラザ主催 目黒区教育委員会 主管 目黒ユネスコ協会 講師 服部英二先生(麗澤大学教授・目黒ユネスコ協会顧問) [テロと報復、憎しみの連鎖を断ち切れ-文明のひずみ是正を]その中にこういう一節があるので引用させていただこう。----------引用-----------イスラムは大文明だ。ちょうど奈良時代にパックス・イスラミカ(イスラムの平和)があった。東のバグダッドを中心とした巨大なイスラムの平和があり、それが中国に至りシルクロードの担い手になっている。シルクロードは唐時代( 7~ 8世紀)に最盛期を迎える。シルクロードの商人はペルシャ人で,イスラムは 8世紀初めには上海、広東、長安に至りイスラム寺院、モスクまで出来ている。東西文化交流をやったのはイスラム人(モスレム)なのだ。中国人が旅をしたのではなく、西から来たモスレムたちが旅をした。もう一つ、彼等は古代ギリシヤを発見した。アラビアにおける12世紀ルネッサンスだ。そこで、ピタゴラス、アリストテレスなどの教えが伝えられ、それが13世紀にラテン語に訳されることにより、やっとヨーロッパの学問がスタートした。このようにイスラムの人類史に果たした貢献は素晴らしいものなのだ。ところが、それらが教科書から抹殺されているという事実がある。このような歴史の歪曲がバックグラウンドにある。それに対する恨みがずっとイスラム社会の人々の中にある。アメリカのような巨大な価値が現れて世界を圧倒しようとする時、底辺にある恨みがテロに繋がったと言える。-------引用終わり-----イスラムはこの他にインド亞大陸に侵入して、イスラム・インド帝国(ムガール帝国)を作り上げている。ただし、この民族は、ジンギス・ハーンの末裔のモンゴル族であるそれ以前に、インドア大陸に侵入したアーリア民族ではないイスラムは左手にコーラン、右手に剣のイメージが強いが、一面、寛容な宗教という顔というか、歴史を持っている。植民地に、宗教・文化の独自性を許し、共存するのであるそれは、遠く離れたスペインやシチリア島の歴史を見てもわかる(話がどんどん英国から離れて行く~)== 続く (かも知れない)==
2010.12.09
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これからは省エネブログで行こう省エネブログとは、過去ログである私自身も読み直せるし ―――― ◇ ――――コーヒーハウスは新聞社のはじまりコーヒーに話が戻るが、コーヒーハウス、つまり喫茶店・コーヒー店は、実は西アジア起源だという。´アラビア語で、コーヒー店のことをマクハーmaqhというのだと言う。語源はカフワqahwa。これもコーヒー店の意味だという。そう言えば、ポーランド語でコーヒーのことをカヴァkawa(カワ)という。ルーマニア語は東欧の中の唯一ラテンの国だがkafea(カフェ ア)というらしい。フランスはカフェ Caf?。フィンランド語:kahvi(カービィ)。あるサイトでは、こんなことが書いてある。 □□□□□□□□マクハーには人が寄り集まるから、特にラジオが無かった頃はマクハーが情報源だったし、職業安定所でもあった。夕方になるとマクハーに出かけて、タバコを吹かし、茶やコーヒーを啜りながら、夜明けまで、シャーイルという講談語りがラバーブ(胡弓)を手にして英雄譚を語るのを聞いてた。 今でも、年金生活者がトウラー(西洋すごろく)やトランプ、ドミノ、チェスなんかをやっているそうです。歴史的に見ると、マクハーは、近代イスラムの改革思想家たちの舞台でもありました。今でも、エジプト文壇の第一人者、ナギーブ・マフフーズは金曜日の夜、カイロのリーシェというマクハーに必ず現れるそうです。フランスのカフェはトルコからの輸入物。1654年、マルセイユを経て普及したものです。パリ最初のはカフェは、1672年、アルメニア人パスカルが始めたと言われてます。一方イギリスのカフェ(コーヒーハウス)は、1650年ユダヤ人ジェーコブズがオックスフォードに開いたのが最初らしい。早くもローヤル・ソサエティ設立の場のひとつとなった、というから結構モダンな、おしゃれな高級なところだったんでしょう。 イギリスのコーヒー・ハウスは18世紀初頭にピークを迎える。ロンドンだけで2000~3000軒あったというから驚き。当時の人口を考えると大変な数だ。同時代のパリでも、300軒前後、18世紀末のフランス革命の頃合いでも700軒程度だったらしいから、今のコンビニ状態。イギリスの場合、コーヒーハウスは、暇つぶしの場所ではなかった。文化・政治・経済にわたって情報を交換し、世論を形成する場所だったのだ。新聞はもちろん、ジャーナリズム、文芸批評、証券・商品取引なんかはコーヒーハウスでやった。パリでもロンドンでも、初期の新聞って、人が喫茶店で読み上げるのを、みんなで聞くものだった。新聞は初め聞くものだった。それで、「新読」ではなくて「新聞」だったわけだ。ただ、喫茶店は反体制派のたまり場でもあった。1675年には、営業時間や内部での談論内容を規制した【コーヒー・ハウス禁止令】なんかが出されたんだけど、わずか11日で撤回。でも、隆盛を極めたイギリスのコーヒー・ハウスも、18世紀中ごろから衰退してしまいます。上流階級のクラブと都市下層民のパブにとって代わられてしまった。コーヒーに代わって紅茶が国民的飲料となり、おまけに、紅茶が家庭内で飲まれるようになった。大地主による支配体制が確立して社会の階層秩序が固定化しちゃったことも関係しているらしい。つまり、階層別に、飲みに行く場所が分かれるようになった。上流階級はクラブ。下層階級はパブ。おかげで19世紀になると、コーヒーハウスはロンドンからほとんど姿を消してしまいます。 □□□□□□□□コピペはここまでだけれど、これは私だけが知っていること?なのだが、本当はクラブとパブの昼間に、中産階級が飲みに行く【サルーン】というものが少し前まであった。高級なパブと言うところかな。パブと同じ棟で営業しているものも多かった。中には入り口が別だが中にはいると同じというものもあったらしい。現在は、このサルーンというのはほとんど姿を消している。中産階級もパブに行くようになった。英国の階級制でも少々崩壊しかけているのかもしれない。】クラブというのは会員制で、女性禁制という大峰山のような場所だ。(ちょっとちがうか?)大相撲の土俵のようなところだ。(これもちがう)ロンドンの中心街にある立派な建物で、上流階級の紳士達が集まって、飲んだり煙草を喫ったり、新聞を読んだり、スチームバスに入ったり、プールで泳いだり、スクォッシュをしたり、ゴルフをしたりして、おまけにこれらの設備がちゃんとそろったところだ。中にクリーニング店や郵便局もあるクラブもある。要するに上流階級の紳士がうるさい奥さん達から逃れる隠れ家であり、上流階級の紳士の情報交換の場でもある。実は私もある事情で、英国最大のRoyal Automobile Club と言うクラブの会員だったことがある。英国に行くこともなくなったので会費をおさめるのももったいないようで数年前退会してしまった。 □□□□□□□□知の巨人、松岡正剛氏が「千夜千冊」で、「コーヒー・ハウス」(小林章夫著)という本を紹介している。コピペのまたコピペをしてみよう。 □□□□□□□□ コーヒーハウスは、まず、(1)イギリスの都市の構造と風土が生んだクラブ文化である。すでにトルコに「コファ・ハウス」というものがあったが、そのどろどろの飲み物を薄め、2階建ての2階にのみ客を入れた。女は出入り禁止、すなわち(2)「紳士」をつくった場所でもあった。 またコーヒーハウスは、(3)ジャーナルの発生の場であって、(4)広告が誕生していった場であった。実はジョナサン・スウィフトやダニエル・デフォーが常連で「タトラー」「スペクテイター」「エグザミナー」などのパンフレット・ジャーナルをしょっちゅう書いていたのだから、コーヒーハウスは小説誕生の場とも言いたいが、小説にはいろいろな出自があるので(説教僧とか歴史語りとか)、そこまでは自慢できない。ただし、小説が「ノヴェル」という「新奇なもの」という意味をもつという点でいえば、コーヒーハウスはまさに"ニュースな場所"だった。だから広告も生まれた。ペスト予防薬や赤面恐怖症特効薬や探検隊募集の広告は、みんなコーヒーハウス育ちである。 それからコーヒーハウスからは、(5)政党が生まれ、(6)会社が生まれた。 政党はまさにコーヒーハウスごとに党派が結成されたといってよく、その代表がトーリー党のオズィング・コーヒーハウスとホイッグ党のセントジェームズ・コーヒーハウスだった。会社という形態はロイズ・コーヒーハウスが先駆者で、ロイズ保険はここが溜り場である。 まだ、ある。コーヒーハウスは(7)犯罪の巣窟で、喫煙所で、ギャンブルの発生装置でもあった。フリーメーソンのような秘密結社もここから派生したといっていい。つまり、これが最も重要なところだろうが、コーヒーハウスはようするに、(8)クラブ社会をつくったのだった。 クラブについてはここで紹介するとキリがないので詳しくは本書などを見てもらうことにするが、たとえばウォルター・ローリーの「マーメイド・クラブ」、ベン・ジョンソンの「アポロ・クラブ」、ジョナサン・スウィフトやアレキサンダー・ポープが屯した「スクリブリラス・クラブ」などは超有名で、そのほか太っちょが慰めあう「肥満クラブ」から怪しげな「骸骨クラブ」まで、まあ、ありとあらゆるクラブがコーヒーハウスを巣窟としてつくられた。 □□□□□□□□某サイトのコピペはここで終わりだが、本当は、コーヒーハウスはトルコからフランスへ直接渡ったものでは無いという説もある。ヤン3世ソビエスキは1674年に国王となり、83年にはウィーンでトルコ軍を撃退して、その名をとどろかせた。1683年、ウィーンはオスマントルコによって包囲されていたが、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の求めに応じて、ポーランド王、ヤン・ソビエスキがトルコ軍を粉砕、全ヨーロッパのキリスト教世界を救った。ヨーロッパの危機は、歴史上にもう一度ある。イベリア半島を支配していたムーア人(マグレブのアラブ人)がフランスに攻め入った時だ。某サイトのコピペ。 ~~~~■7~8世紀 サラセン人と闇の時代(Sarasins et Periode d'ombre)ローマ帝国の支配が弱まってきた頃、イベリア半島からサラセン人(SARRASINS)が地中海沿岸全域に侵攻して、フランス全土を1世紀に渡り占領していました。「サラセン人」とは、これ以降18世紀まで、アラブ人(ARABES)、ベルベル人(BERBERES)、ムーア人(MAURES)、トルコ人(TURCS)といった、フランス国土を侵略したイスラム教徒の総称として使われるようになりました。711年、イベリア半島の西ゴート王国を征服したイスラム帝国(ウマイア朝)がピレネー山脈を超え、フランク国内に侵入。732年、トゥール・ポワティエ間の戦いでフランク宮宰シャルル・マーテル(CHARLE-MARTEL,688?~741)がこれを撃破します。この敗戦によりサラセン人はフランス南東部まで撤退。サントロペ(St Tropez)近郊の山に立てこもり、周辺のプロヴァンスを侵略しました。そのため土地の者たちは、エズ(EZE)やヴァンス(VENCE)といった、攻めにくく守りやすい山岳部頂上付近に、いわゆる「鷹の巣 村(VILLAGES PERCHES)」をつくり、堅固な塀で囲んで要塞化しました。 ~~~ □□□□□□□□この二つの戦いでキリスト教・ヨーロッパ勢が敗北していたなら、今頃ヨーロッパもイスラムの領土になっていたのだろう。で、最後はコーヒーで話を締めなければいけない。ウィーンを包囲していたオスマントルコ軍を打ち破ったポーランド軍の一兵士が、トルコ兵が残していったコーヒー豆を使って、欧州で最初のコーヒーハウスを開いたという。それに、ウィーンのパン屋が戦勝記念にと、トルコの国旗の三日月をかたどったパンを焼いたのがクロワッサンの始まりだとか。
2010.11.29
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bonbonusさんから、ウェールズの歴史やウェールズ語についてのコメントがあったので、関連する私の過去ログを掲載する過去ログ 『まず、英国全般について』
2010.11.23
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英国のウィリアムズ王子がケイト・ミドルトンさんとの婚約を発表したウィリアムズ王子も、頭髪が急速に薄くなっているので、早く婚約できて良かったねしかし、ケイト・ミドルトンさん知的な美人ですが、鉛筆型の体型で、肉体的な魅力はちょっと・・・ただ、あのドレスはいいですねそれは、まあ、いいかということで、「英国の皇太子」というものについて書いた過去ログを復刻してみた ~~~~~~~~【復刻日記】なぜ英国の皇太子は 『プリンス・オブ・ウェールズ』と呼ばれるのか?■ そもそも英国は、「イングランド」「スコットランド」「ウェールズ」および「北アイルランド」の四ヶ国から構成されている、連合王国(United Kingdom)です。正式名称は「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland =グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」略して『英国』、『イギリス』または『ブリテン』または『UK』イングランドは北欧系・ゲルマン民族のアングロ・サクソンですが、その他の国はケルト系民族の国です。日本ではこのケルト系の三ヶ国の人々をも『イングリッシュ』と呼び勝ちですが、これは間違いです。『イングリッシュ』はイングランド人だけです。英国人は「British」「Briton」または「Brits」でしょうか■ 日本には『堺はすべての始まり』という言葉がありますが、これは種子島に伝わった鉄砲の大量生産地にもなった自由都市・堺の先進性を指した言葉です。世界規模で言うと、英国が、ある種すべての始まりとも言える。産業革命・蒸気機関車その他の科学・産業・工業面は当然ながら、スポーツでもサッカー、ラグビー、テニス、バトミントン、卓球、ゴルフ、クリケット、ゲートボールの元になったクロッケー、・・・数え出すときりがありません(本当はここでちょっと止まってしまった)。だから、もともと四カ国で始めたサッカー、ラグビーが国際的になった時にそのまま四カ国の International Match 国際試合として残った。ラグビー・サッカーでのユニフォームの色・シンボルカラーは イングランド=白にバラの刺繍 スコットランド=紺 アイルランド=緑 ウェールズ=赤 ■ 英国のチャールズ皇太子は、『プリンス・オブ・ウェールズ』と呼ばれますね。なぜでしょう?ウェールズは上に述べたように、四ヶ国から形成される連合王国の中の一つの国にすぎません。連合王国の皇太子がウェールズのプリンスとは? なぜでしょう?今日はこのことを書いてみます。■ 映画俳優で、絶世の美女(だった)エリザベス・テイラーと二度と結婚した英国の男優、リチャード・バートンはウェールズの出身です。ウェールズの炭坑夫の息子です。私は仕事でウェールズによく行ったし、秘書の一人がウェールズ人だった。彼女は、オックスフォード大学卒の才媛でしたがウェールズは炭坑が中心産業だったんですが、もちろんさびれてしまって失業者だらけ、私のロンドン駐在時代は日本企業の工場誘致に必死でした。『ウェールズの山』と言う映画がありましたが、英国は日本と違って高い山も険しい山も無くて、ウェールズの山とは、私に言わせれば若草山の大きいようなもの。あそこではケルト語族のウェールズ語がまだ一部で現役。英語を話しても訛りは強い。バートンはよく訛りを矯正して、シェークスピア俳優になったもんだ。エリザベス・テイラーの伝記を読んで、その中で彼の私生活を知って、人間的には嫌いな男だけれど。 彼のお爺さんはなんとユダヤ系のポーランド人です。だから、バートンというのは、本名ではなくて、多分芸名でしょう。ウェールズ出身の有名人というと、歌手のトム・ジョーンズ、映画俳優のアンソニー・ホプキンス,映画女優のキャサリン・ゼタ・ジョーンズがいます。彼女は、典型的なウェールズ顔です■ 世界的に有名な『プリンス・オブ・ウェールズ』は皇太子だけではありません。英国の戦艦の艦名でもありました。第二次世界大戦中、英国はシンガポールを基地とする強力な東洋艦隊を持っていました。日本軍は石油欲しさにマレー侵攻作戦を進め、これを阻止するために英国の東洋艦隊は主力2戦艦、プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales 以下 POFW と称す)とレパルス(Repulse)をマレー沖に急行させました。この動きを察知した日本海軍サイゴン航空基地では攻撃機を発進させ、昭和16年12月10日、急襲した攻撃機の魚雷・爆弾の命中の結果 POFW レパルス両艦は沈没しました。これがいわゆる「マレー沖海戦」です。マレー沖海戦は世界戦史上、エポック・メーキングなものでした。POFW は東洋艦隊の旗艦のみならず、英国が「不沈艦」と誇った世界最新鋭の戦艦。その不沈艦がレパルス共々撃沈された驚き(チャーチルは最大のショックだと嘆いた)もさることながら、それが戦艦同士の砲撃戦ではなく、航空機の雷撃でなされたことでした。それまでの海戦は巨大戦艦の巨砲でポンポン撃ち合うもので、「大艦巨砲主義」と呼ばれていました。それがこの海戦以来、各国は「航空勢力主力」へと転換しました。せっかくこんな歴史的な成果を世界に先駆けて上げた日本海軍は、その後航空主力への転換には成功せず逆に「大和」「武蔵」の超巨大2艦を建造して大艦巨砲主義を継続、大和級第3艦「信濃」建造中にようやく航空母艦に艦種変更しました。その上、大和級は第6艦まで建造中・または計画されていました。狩猟・遊牧では激しい状況変化に対応せねばならないが、農耕生活では十年一日、同じような農作の繰り返しで変化はありません。「農民体質日本人」の「方向転換・意志決定の遅さ」はDNAレベルのものでしょうかね?■ 炭坑町を舞台にしたジョン・フォードの名作「わが谷は緑なりき」もウェールズが舞台でした。「ブラス」も炭坑町ということなので、今日までてっきりウェールズと思っていたんですが、ヨークシャーでした。「ウェールズの山」と言う映画がありました。モデルのガースの丘はウェールズの首都であるカーディフの近郊にあるが、ロケは中部ウェールズだったようです。ガースの丘の頂上に登った人によれば頂上に実際に人造の小さな丘があるそうです。さて映画ではウェールズ人達がの丘を山にしようとしたのは「イングランドからウェールズに入る最初の丘だから誇らしい」としているようです。しかし私はこの丘が「ウェールズが国境でイングランド相手に幾度と無く激しく戦った象徴的な古戦場」であったからこそ、単なる丘では不足で山に昇格させようとしたのだと思います。イングランド(アングロ・サクソン)に対するウェールズ(ケルト)の敵意がいまだに尾を引いています。山岳戦についてはイングランドがウェールズをついに征服したときも、人々はスノードン山に立てこもり抵抗しました。ウェールズは平野のイングランドに比較すれば山地が多く、人々は「山岳民族」とされていたようです。我々から見れば「丘民族」とでも呼ぶところですが。スコットランドをのぞいて英国の最高峰はウェールズにあるスノードン山です。標高1085m。この山には山頂にまで至る狭軌のアブト式登山鉄道があり一両客車の豆蒸気機関車が走っています。私も乗りましたが、走ると言うより「あえぎながら登っている」のです。この蒸気機関車はいわゆるSLマニアの垂涎の的です。この蒸気機関車、約一時間で山頂まで登りましたが、私たちの眼下にはハイキング登山者が登山道を登っており約2・3時間で山頂に至るそうです。最高峰といえど、その程度の高さです。■ ウェールズはチューダー王朝のエドワード一世にに征服され過酷な統治を受けましたから、他のケルト人達、アイリッシュ・スコティッシュ同様、イングランドには強い反感を持っています。その反感をなだめようとイングランドは歴代の英国皇太子を Prince of Wales と呼ぶ事にしています。なんかウェールズを馬鹿にしているようですが、エドワード一世は身重の妻をウェールズで出産させて(エドワード二世)その子に Prince of Wales の称号を与え、つじつまを合わせています。この時 「A Prince of Wales who could speak no English ! 」と補足したそうですが、赤ん坊ならいくらイングリッシュの血筋でもまだ英語がしゃべれるわけがありません。しかし、またどうしたことか?ウェールズ人もこれを歓迎したと言います。実際には歓迎と言うより妥協・迎合でしょうか?Prince of Wales これが英国皇太子の正式名称です。Crown Prince というのはただ単に「皇太子」という意味です。それに Prince of England なる名称は存在しません。もっとも Prince の語義を研究社新英和大辞典でひいてみると『4. 帝王を上にいだかない小国の統治者。公』。 日本ではモナコの王様と言われるモナコ公は 『The Prince of Monaco』 だそうです。意外にも『公』どまりで、『王様 King』 じゃ無いんですね。『5. ((古)) 王(King) 帝(Emperor) 君主(Sovereign)』。このあたりも該当ですね。それまでのウェールズの首長が『Prince of Wales』と呼ばれていたのは、つまり『ウェールズ王』だった訳です。「Wales」 とは、一時英国を占領していたシーザーのローマ軍団が「よそもの」と呼んだことに由来するとのこと。どっちがよそものでしょうか?それともアングロ・サクソンと区別してそう呼んだんでしょうか?もう逝去したマーガレット王女の離婚したカメラマンの前夫は「スノードン卿」という爵位をもらっています。もちろん一代呼称でしょうが、このへんもウェールズに気を遣っている感じですね
2010.11.21
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感情を抑制してマナーを持って議論をするのが民主主義の根底だと思うこと【復刻日記】ただし、今回ちょっと書き直している個所がある ―――― ◇ ――――【復刻日記】英国に「マークス・アンド・スペンサー」(以下 M&S と称する)というスーパー・チェーンがある以前のダイエーの様な存在だろう三代目当主マイケル・マークス氏(Lord Marks of Broughton)は男爵の爵位を持っているしかし英国貴族と言っても代々の英国貴族では無いこのマークス家はポーランドからのユダヤ系移民戦前は、ユダヤ系でも商業的に成功すると爵位を受けるという例は英国以外にもあるウィーンでもそう言うことは多かったし、例えば有名なロスチャイルド家(フランスではロチルド家)が男爵家だ ~~~~~~~~私の元妻の実家も欧州のある国の貴族だったが、ある時、ウィーンから男爵家の令嬢が輿入れしてきたというが、その家もそんなユダヤ系の血筋だったらしい銀行と商船隊を持っていた有名な財閥だったとのこと(家系名は秘す)その令嬢は、六ヶ国から六ヶ国語の新聞を配達させて毎朝それを読んでいたというそう言えば、元妻も娘も遺伝なのか語学的才能があるもっとも、元妻の実家は、ハンガリー・ロシア・ドイツなどの家系と婚姻関係にあったという欧州の上流階級は国境を越えての婚姻が盛んだったようだ ―――― ◇ ――――このM&Sの3代目の当主 マイケル・マークス卿は、寿子さんという日本人と結婚していたが、その後離婚しているこのマークス寿子さんは現在日本に住んでいて大学教授であり作家でもあるある講演会の紹介ではこうだ ~~~~~~~~<略歴> 正式名はThe Right Honourable Toshiko Lady Marks of Broughton1936年、東京に生まれる早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京都立大学法学部博士課程を修了同大学非常勤講師をつとめたのち、71年にロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの研究員として渡英する76年、英国一のスーパー・マーケット・チェーンの三代目当主マイケル・マークス氏(Lord Marks of Broughton)と結婚、英国籍と男爵夫人の称号を持つエセックス大学現代日本研究所講師を経て、現在は秀明大学(もと八千代国際大学)教授とし日英間を行き来している又、『日英タイムス』を発行するなど、日英交流の場でも活躍中 ~~~~~~~~私はブックオフで彼女の5冊ほど著書を100円均一で買ったなぜ彼女の本を五冊も買ったかというと、彼女の経歴が特殊だから面白いことが書いてあるかな?と思ったからであるそれから、ブックオフで買った100円という安さだ私はこの五冊の内、昨晩『ひ弱な男とフワフワした女の国日本』(草思社)という本を昨日、ざっと読んでみた私の印象ではこのマークス寿子さんの著作には二つのメイン・ストリームがあると思う1) 1936年生まれという年令だけあって、この頃の日本に対する保守的な批判2) 海外の文化から見た日本への批判『ひ弱な男とフワフワした女の国日本』に限って言えば、私からすれば、特に瞠目するような鋭いユニークな意見でも無かったなぜなら、私は以前の商社マンという職業から、彼女が英国に比較して日本を批判しても、それは私にとってそれほど新味のある事ではなかったこの人は数年前に一時ブームのようなものがあり、テレビ・ラジオにもよく出演していたが、日本や若い世代を批判する、いわが「頑固爺さん」ならぬ「頑固婆さん」風だったただ、彼女の論法は「英国がすべての模範」的なもので、その点が引っかかった得てして、一ヶ国の外国体験がある人は、その国を崇拝する傾向がある私も英国に駐在したことがあって、いわゆる英国的なものはほとんど好きだイングランドに限って言えば、人々は性格的に穏やかでリーズナブルだし、自然は最高に美しくやさしいし、気候も穏和であるしかし、英国のすべてがいいというわけは無くて、私自身、英国人の隠れた嫌な部分をかいま見た経験がある ―――― ◇ ――――例えばその一つだが、ロンドン・ヒースロー空港の税関吏からひどい扱いを受けたことがあるこの空港の税関吏の一部はハッキリ言って、外国人の一部を狙い撃ちにしてサディスティックな喜びを感じている連中であることで国際的に悪名が高く、私だけが被害者ではないそれも個人が単発的にする行為ではない税関吏の一部(と信じたい)が連携したチームプレイだ例えば、歌手のダイアナ・ロスが全身裸にされて身体検査をされたことがあるその他にも色々トラブルがある私はある年の、年に一度の休暇で英国からのイタリア旅行のツアーに参加した英国に帰ってきて税関で、ローマで買った腕時計を申告したその時、担当した税関吏の目がギラリと光った有無を言わせず私を別室に連れ込んで、私のスーツケースの他、持ち物すべて、服のポケットまで強制的に調べられた時計を自主的に申告したのに、強制検査になった挙げ句の果てはビデオカメラを一年前に赴任してきた、入国時に申告していなかったとわめきだした確かにビデオカメラは英国の法律に沿えば、あの入国時に申告すべきアイテムだった日本国内での購入日から赴任時のロンドンでの入国日まで半年以内だったから申告すべきだったのだ半年以上経過したビデオカメラであれば申告不要となるしかし、普通はなかなかそこまで思いつかないビデオカメラを申告させられた空港は経験がない私を憎々しげに検査した係員は、今でも覚えているが金髪のディヴィスという男だが、(この姓名はウエールズ人に多い)その後、部屋を出て行ったままで私は一時間ほど、多分わざとそこで放置されたただ私を監視する意味か?若いインド系の女性係員が私の傍で椅子に座っている私は彼女に「あなた達はこんな風なサディスティックなやり方をいつもしているのか?」と聞いた彼女は黙ってうつむいただけだったまもなくデイヴィスが戻ってきた「ピンク・ペーパー野郎め!」とつぶやいているピンク・ペーパーというのは英国の日経新聞とでも言うべき「フィナンシャル・タイムズ FINANCIAL TIMES」という経済専門の新聞で、日本の駐在員は大抵読んでいる黄色っぽいピンク色の新聞なので、知識階級以外の人間からはピンク・ペーパーと呼ばれる英国はよく知られているように厳しい階級社会の国だ ―――― ◇ ――――英国ではアングロサクソンとケルトとの民族的対立に加えて、階級間の対立があるウェールズにスォンジーという都市があるが、ある本には「ウェールズのスォンジーという小さな都市にも、タマネギをむいた時のように幾層にも重なった階級がある」と書いてあったそんなものだと思う「イギリスでは音楽にも階級がある!!」これは「クラース イギリス人の階級」(ジリー・クーパー著)【サンケイ出版】という本の帯に書いてあったものだもっとこの帯を引用しよう○ 貴族階級は、ハイドン、モーツアルト、バーゼルを好み、上流・中流は、ブラームス、マーラー、シューベルト、ベートーベンを好み、下流・中流は、チャイコフスキー、グリーグ、メンデルスゾーンを好む○ 階級意識を見事に描いた英ベストセラーの完訳音楽にさえも階級があるのだからましてや新聞や言葉、つまり英国英語にはもっともっと階級がある以前ここの日記に書いたように英国では階級で読む新聞が、実にハッキリ分かれているこのピンク・ペーパーはイングランドでは上流・中流階級の人間の典型である株式取引人や銀行家の巣窟であるシティーに勤める人間が読む新聞だ私たち日本人の駐在員はもちろん英国の上流階級なんてものじゃないのだが、日本で日経を読む感覚でこのピンク・ペーパーを読んでいる駐在員としてビジネスに必要な情報がある新聞だから読んでいるだけなのだが、日本人駐在員一般を、彼らは憎むべき「U」と同族と見なしているようなのだ「U」とは「Upper Classアッパークラス 上流階級」のことこれに対して非上流階級は「Non-U」と称されるこの税関吏はあきらかに「Non-U」だから、有色人種のくせにピンク・ペーパーを読んでいる私を、一種の拷問ゲームの相手に選んだのだ私とこの税関吏との間には激しいやりとりがあった最後に、税関吏の方から「文句があるのなら、あんたは弁護士を呼んでもいいんだぜ」と言い出したが、私が仕事でつきあっている弁護士事務所は英国有数のもので、以前にプライベートで社宅のトラブルに一枚の手紙を書いてもらっただけで10万円近く取られたそんな高価な弁護士をしかも夜間に呼び出してはどれだけの出費になるかわからなかったから、それはがまんしたそれにもう夜も遅いし、旅行からの帰りで疲れていたからとりあえず早く帰宅したかったその内に開け放した部屋の外を、彼の上司らしい人間が通ったこの上司は私たちのやりとりの中身を知っているらしく、デイヴィスににやっと笑って見せて、ウィンクした彼らは示し合わせてこういう風に厳しい取り調べをして、みんなで楽しんでいるらしかった英国ならなんでも大好きという英国ファンが多い私がこの事実を楽天のある「英国大好き」女性のブログにコメントしたその時は、私はまだ楽天にブログを持っていなくて、bonbon さんのようにコメント専門だった同調してくれると思ったその女性の答えたるや、こういうものだった「どの国でもそんな人はいます」そ~ゆ~ことじゃないでしょ?優れて英国的なことでしょ?それに、紳士と言われる英国人の隠れた人種差別意識が露出した場面なのだその女性は私の大学の後輩で、その他の事では気があっていたのだが、それから私はそのブログへは二度と書かなくなった私も英国を懐かしむ気持ちは強いが、だからといって、英国の影の部分を隠蔽することなどしない ―――― ◇ ――――このマークス寿子さんの他の本も読んでみるつもりで、他の本では英国と日本の文化比較にやや面白い箇所がありそうだただ今回は『ひ弱な男とフワフワした女の国日本』の中から一部を引用してみたいマークス寿子さんは、この本の中で次のようなことを書いているがこの箇所には、私もなるほどと思った-------引用------第3章 しつけなんてもう必要ないのか議論のやりかたになれることこれまでの日本の社会では、議論というものがけんかと同じようにとらえられていれ、歓迎されることがあまりなかった(中略)しかし、互いに考えていることや感じていることを相手にはっきり伝えるときには、ヒステリックになってどなっていたずらに相手を傷つけたり罵倒したりせずに、毅然とした言葉で自分の意見を述べるというルールに慣れるようにべきである反対に、相手の意見を聞く時も、ヒステリックになったり高圧的な態度をとるのではなく、理性的に相手のいわんとするところを理解するように勤めるべきで、(以下略)-----引用終わり------まことにもっともで、文句のつけようがない私が日頃、実行していることでもある(ウソでしょ?) (笑) ―――― ◇ ――――この私の本文に対して当時 Kelly さんからコメントをいただいた■ Kelly さんのコメント彼女の著書を全部読んだわけではありませが、「男は~」とか「日本人は~」とかいう一括りにした高慢な姿勢にうんざりさせられました下記は、私からのレスである■alex99からのレス本当のことを言うと・・・、私もラジオなどでの彼女のしゃべりを聞きましたが、いかにも「私だけが賢い」という態度で、いやな感じがしました傲慢風だったし私の日記も初めはそういう批判的な書き方だったのですが、もう少し彼女の本を読んでからにしたほうがいいだろうと考え直して、このように柔らかい書き方に書き換えた・・・という事情有りやはり Kellyさんも、そう感じられたのですね
2009.06.04
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ハーフムーン・ストリート 【復刻日記】このところ、論争などをしたので疲れた【復刻日記】でごまかそう ―――― ◇ ――――ハーフムーン・ストリート 【復刻日記】私はこの一週間、ここ楽天広場でいろいろな日記を読ませていただいたけれど、興味がある分野は主にいわゆる読書日記風のもの毎日あたらしい日記を訪問しているが、実に充実した高度な日記があるものだと感心しているやはりあるところにはあるものだという思いだ特に思索系や社会派や読書日記風の日記などにはすごいものがあるただ書き手のみなさん、私に比べるとお読みになるスピードが速すぎる一日一善・・・じゃなかった、一日一冊、読んでしまわれる一日で読み切らないと読書日記にならないのかもしれないけれど書き手のみなさんはプロ級の方々なので咀嚼力がスーパーなのだろうけれど、この違いはどこからくるのだろうか私は特にこのごろ一冊の本に停滞?するのを楽しんでいるみたいにスピードが落ちているいや、このごろは急に本を仕入れたから目移りがしてあの本をちょっと、この本をちょっと、それに新着の本をちょっと、・・・というふうに、食事マナーでいうと「迷い箸」になっている私も以前は読むスピードには自信があった一日に本を二冊も三冊も読んでいた時があるしかし今になって反省してみると、流し読み・飛ばし読みで読んでいたので、じっくり精読したわけでは無かったとにかく必要とする知識を拾えばいいと言うものだったそれが、いざ精読、またはそれに近い読み方をしてみると、本を読むのにも実に時間がかかるものだと思ったもっとも精読する必要のある本と流し読みでいい本は違う一般的に小説類のようなフィクション系なら私でも一日で読めるたとえば昔は松本清張のミステリーが好きで、読み出したら止められないで、結果として一日で読んでしまうこれは誰でも経験することでは無かろうかしかし、今私が買っている本は精読が必要な種類の本が多くて、内容も深くて広範にわたり、私としては一日で読破するなんてもったいなくてたまらない同じ箇所を何度でも読みたい時もある ―――― ◇ ――――私は読書中に傍線を引くタイプである「三色ボールペンで読む日本語」というベストセラーも買って、一時はこれを実行しようとした○ 重要事項にはブルーのボールペンで傍線を○ もっと重要な箇所には赤、レッドの傍線○ 個人的興味の箇所にはグリーンの傍線こういう傍線の引き方をすれば読書が効率的に深く分析的に行え、再読の時の効率がまるでちがう・・・という理論私は原則的に、これを実行しているただ私の場合グリーンの傍線はめったに引かない引くときはフィクション、つまり文学書関係であるその文章や、表現法に、参考になる部分、リサイクル出来そうな個所にグリーン・ラインである普通の実用書や科学書、歴史書などではもっぱらその内容である新知識を吸収する受け身になって、私個人の意見・感じ方、反論などはほとんど浮かび上がらないから、グリーンの傍線を引くケースはほぼ文学関係に限られる興味ある小説などの中で、作者の観察眼やコメントに同感な箇所に引くのだけれど、ときどき引きまくりの小説もある ―――― ◇ ――――私は米国人ながら英国生活が長く英国人と言っても言いいポール・セローという作家の本が好きなのだが、この人の「ハーフムーン・ストリート」という小説を最近読んでグリーン・ラインが一杯になった特に前半部分であるこの小説の概要は次のようなもの :米国人の若い女性がロンドンの国際政治研究所で働く内に(だからインテリ女性)、あるきっかけから副業として、いわゆるエスコート・ガール(一種のコールガール)をするようになり、英国やアラブのお金持ちやインテリのお相手をするそのうちにハーフムーン・ストリートというロンドンのウエスト・エンド(高級地区)にあるある通りにあるフラットをパトロンのひとりからプレゼントされる話はまだそれから続くことにはなるのだが・・・この小説は、この若くて知的で魅力的で・・・それでいて、とても冒険好きな女性の目を通して色々なことが語られるわけだが、この女性の目というのは、性を超越して作者、ポール・セローの目でもあるのだ普通の小説ではそれほど主人公の思考が語られることが無いように思うけれど、このセローは実に鋭いしなやかな分析や観察をして、この女性に語らせているしかもなんていうか、実に私ごのみの思考なんだだからグリーンの傍線が増えることになる ―――― ◇ ――――このハーフムーン・ストリートは先に言ったようにウエスト・エンドという、まあ日本で言うと銀座のような高級商業地区にあるウェストエンドの中心にピッカディリー・サーカスと広場があるそこからまっすぐにハイド・パークに伸びる大通りがピッカディリーであるそのピッカディリーに対して直角に、いわば櫛の歯のように平行にいろいろなストリートが延びているたとえば有名なボンド・ストリートなどもそんなストリートの一つで、それこそ世界の一流ブランド、グッチとかシャネルとかカルティエだとかが軒を連ねているそれなのにボンド・ストリートの一つ隣のハーフムーン・ストリートという通りは、なぜかひっそりとした人目につかない、気配の無い通りである一流店などは目につかないだからこそ、あの主人公の女性のおしゃれな隠れ家、フラットなどがあってもおかしくない ーーーー ◇ ーーーー私は以前からこのハーフムーン・ストリートという通りの名前が、何となくロマンティックな気がして気にかかっていたこの通りを歩いてみると中程に通りの名前そのままのハーフムーン・ホテルというホテルがあったある時、日本からのお客の宿泊用に、このホテルを初めて予約してみた念のために下調べとして訪問してみると、決して大きなホテルではないむしろこじんまりしているしかし内部のインテリアなどにある種の古風な優雅さがあって、私としては気に入ったと言ってもいい日本からそのお客が到着してそのホテルに送り込んで、そのホテルから出てみると、ちょうど夕刻だったこのストリートからピッカディリー大通りをながめると、その上空あたりの空が赤く染まっているそうして、その低く沈んで行く、紅くて北国特有の大きな夕陽が、このストリート全体をあまねく照らしていて、まるで私の人生に、何か荘厳なことが起きたような、一種特別な気持ちがした
2009.01.14
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英語の冒険 Adventure of English 英語は悪魔のようにイングランドに現れたまた復刻日記であるそれに今日、ふたつめの日記である最初の復刻日記も「英語がらみ」と言うことでリンクしておこう一粒で二度おいしい(おいしくないか) 日本人のカタカナ英語● 「英語の冒険 Adventure of English」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・メルヴィン・ブラッグ(Melvyn Bragg) 著アーチストハウス発行 角川書店発売 1,800円めちゃめちゃ面白い本だ! と言っても、まだ数ページを読み始めたばかりなんだが・・・・・・・・「英語」は、悪魔のようにイングランドに現れた5世紀に海を越えてやってきたゲルマン人の戦士(傭兵)によってもたらされ、激しい暴力のもと、この地に根づいた言語だったのだしかしその間も、ウェールズ、オランダ、インド、中国・・・ ・・・と英語は世界を一周し、その過程でラテン語、サンスクリット語、アラビア語、中国語をはじめ何十もの言語を次々と吸収し、世界一の言語へと発展していった!最初は15万人にしか話されていなかった英語が、どのようにして15億人が使う言語になったのか?「英語」が語る、スリルと興奮、波瀾万丈のドラマに彩られた冒険物語・・・・・・・・表紙の扉のところに書いてある上の言葉が、この本の内容を要領よく説明していると思うイギリスには、有史以前に原住民がいたらしいが、その人間がどんな民族だったかはよくわかっていない一説によると、イベリア人というイベリア半島にすむ民族が住んでいたというつまり今のスペイン人・ポルトガル人に近い人々だろうか?それから、ケルト人がやって来て、ローマ軍がやってきて、さらにローマ軍の傭兵だったゲルマン人がやって来て、やがてゲルマン人達はケルト人(ブリトン人など)を征服し、蹴散らし、海の彼方に蹴落としたイギリスの一番いい場所であるイングランドを自分のものにしたその一方でケルト人達はウェールズ・アイルランド・スコットランドなどに追いやられ、中でもブリトン人は海を隔てたフランスに逃げていって、ブルターニュ(ブリトン)という地域に定住し、昔、自分たちが居住していた英国を「グレイト・ブリトン(ブリテン)」と呼んだだから、ウェールズ・アイルランド・スコットランドの言葉は、ケルト系の言葉だ昔はウェールズの先端のコーンウォールにもケルト系のコーンウォール語というものがあったのだが、もう死語となっているゲルマン人は、サクソン人・アングル人・ジュート人・フリースランド人などがいて、それぞれのゲルマン方言を使用していたオランダの北海に面する今は工業地帯であるフリースランドから昔来た、フリースランド人の言葉が今の英語の起源になったようだ今でもフリースランドの基本語彙は英語に非常に酷似しているようだ私は欧州にいた頃、衛星テレビで北欧の映画を時々観ていて、デンマーク・ノールウェイ・スエーデンなどのゲルマン系北欧語の英語との語彙の近似ぶりに驚いたことがある英語は、ノルマン人に征服されてからフランス語などが混入して、洗練されているが、北欧語は、ヴァイキングの昔からの原始的?なゲルマン語といった語感英語の語彙を短くシンプルにしたような語彙が多いこれは、チェコ語とポーランド語との関係にも言えると思うチェコ語は長い間使用されないままだったので、ラテン語などを吸収する段階が無く、スラブ祖語の姿をより多く残していると思う犬のことをポーランド語で「ピエス」というが、チェコ語では「ピス」と無骨に発音するポーランド語は「i」の代わりに「ie」とダブる母音を入れて語感を柔らかにしている~~~~~~~~~この他に、8世紀頃からヴァイキングが英国を侵略し、特にデンマークからのデーン人が二・三世紀ほどの間に英国に居座り、英語にいろいろの影響を与えたこの頃の北欧語はまだあまり分化していなくて古北欧語(古ノルド語)と呼ばれていたこの古北欧語は英国の臣に東海岸の各地方の村々に入り込み、村々の独特の方言を作ったノルマンの英国征服もあったノルマン・フレンチはもともと北欧人・ヴァイキングだったのだがフランスに定着したその彼らが三世紀にわたって英国に君臨した法律・政治・戦争・食生活関係など1万ものフランス語が英語に入り込んだという以前書いたことだが、食生活での英語とフランス語に当時のノルマン人と被征服者のアングロサクソンの立場がうかがえる例えば英語話者は家畜の世話をしていたり、調理場で肉をさばいて料理を作る召使いであるox(雄牛)もcow(雌牛)も本来の英語であるまだ動物状態である(笑)フランス語話者であるノルマン貴族がテーブルで食べる段になると、調理された肉はノルマンによってノルマン語(フランス語)で、beef (boef) と呼ばれた同じように英語の sheep (羊)がフランス語の mutton (羊肉)になり、calf (子牛)が veal (子牛肉に)、deer (鹿)がvenison (鹿肉)に、pig (豚)が pork (豚肉)に・・・いずれも英語が動物を、フランス語がその調理された肉・料理を指しているイギリス人は働く人、フランス人は食べる人・・・である~~~~~~~~~1986年、東インド会社に英国人判事で、アマチュア言語学者のサー・ウィリアム・ジョーンズという人がいた彼は、在職中にインドのアーリア人の聖典ヴェーダの言葉、インドの古典語サンスクリットを詳細に研究したサンスクリットは少なくとも紀元前二千年までさかのぼることができる古い言葉だ研究の結果、彼はサンスクリット語がインド・ヨーロッパ語族(印欧語族)に属する原語であるという、当時としては驚嘆すべき事実を発見した(このサンスクリット語は当時、いわば文語で、パーリ語が口語にあたるようだが、仏教の経典などはこの両方で書かれていたようだ)欧州の言葉はほぼすべて印欧語だが、例外としてバスク語、エストニア語、フィンランド語、ハンガリー語があるバスク人は謎の民族と呼ばれるどうも今の欧州の民族が欧州に来る以前から、すでに欧州に入っていた欧州のいわば原住民らしい彼らはクロマニオン人の直系の子孫とも言われているエストニア語とフィンランド語は同じ語族に属するする印欧語ではないハンガリー語はフン族の一派であるマジャール族の言葉で、おおざっぱに言えばトルコ語に近いだから昔言われていたウラル・アルタイ語という系統の言葉であるハンガリーという名前自体、『ふんがりー』であり、フン族の背景を物語っている~~~~~~~~~この本では、英語の起源についてこういう説明がなされている【今から四千年以上前にインド平原のどこかで、その土地の言語が移動を始め、それがやがて英語となったのだ】これはちょっと粗っぽい、英語視点の表現で、せめて英語と言わず、印欧語と言うべきだしかし、要するに印欧語の祖語がインド平原にあって、それが拡散して印欧語族を作り上げた・・・、と言うこと以前、BBCの製作したある番組を見ていたら、こういう部分があった画面はアフガニスタンが舞台で、ポロ競技の原型となったという「ブスカシ」という競技を映しているこの競技は、子ヤギの死体を騎馬の2チームが奪い合い、自分のゴールに入れるというもの英国の貴族がプレイするチャールズ皇太子もすなりというポロという競技があるステッキ状のものを持った騎手達が、いわばサッカーのようなかたちで争うのだただしポロ競技では子ヤギがボールになった私の考えだが、このポロからホッケー競技も生まれたのではないだろうか?騎馬ではなく、徒歩でのポロがホッケーもちろん、ホッケーからまたアイス・ホッケーが生まれているこのアフガニスタンやカザフスタン、トルクメニスタンなど、【スタン】のつくユーラシア大陸中央部の国々は騎馬遊牧民の国で、名馬の産地千里を行く天馬としょうされた【汗血馬】もこの辺の産馬だという・・・・・・・・★ 『馬の世界史』 本村凌二著 講談社現代新書1562 2001年 272頁 こんな本を読んだ本書は馬が人類史に与えた影響、馬が人類に与えた速度と支配権の拡大を強調していて、私としては目からウロコだった馬は人類の交信スピード、統治範囲などに空前絶後の影響・変化をあたえ、馬なくしては、人類の発展は限定的だったかもしれないと説くもう一方は軍事面で、馬にひかせた戦車は革命的な兵器となり、これを取り入れた国々が覇権を握って世界帝国を建設したというもの・・・・・・・・【英語の冒険】の一部の記述、●【今から四千年以上前にインド平原のどこかで、その土地の言語が移動を始め、それがやがて英語(印欧語)となったのだ】それに【馬の世界史】の記述、●ユーラシアの騎馬遊牧民族の馬は、人類の交信・統治範囲を拡大したこの二つの相互関係にお気づきだろうか?BBCの番組で言われていたことは、この地域の言語、印欧語の祖語が、馬という革命的な交通機関、交信・統治範囲を拡大する手段にのって、世界に(主に欧州方面に)拡散して、今の印欧語族の優位性を築いた・・・、そう言う話だ ★ ★ ★ ★ ★ ★ここで新たに復刻日記に追加する事がある先日ケーブルテレビの番組で新説がある地質学者によって主張されていた上記の『馬が英語を世界語にした』という英語拡散説に対する異説として・・・であるこの地質学者によれば、以前、当時、地球上の海面は現在よりはるかに低かったその海面が温暖化にしたがって、どんどん上昇して、トルコのヨーロッパ部分(オチデント:Occident)とアジア部分(オリエント:Orient)を隔てる非常にせまい海峡、ボスポラス海峡(Bosporus)を乗り越えて、その奥にある当時はまだ内陸の湖だった黒海に流れ込み、黒海を海にしてしまったのだというこれにより、それまで黒海沿岸に住んでいた人たちは突然の水面上昇に住まいを追われて欧州方面に逃げたその人達の言語が印欧語祖語で、それが欧州に広範に分布したこういう話である黒海と「スタン」諸国とは、距離的にかなり離れている「スタン」諸国から西へカスピ海を経て、黒海に至るこの二説間同士の折り合いはつくのだろうか? ★ ★ ★ ★ ★ ★当時いただいたコメント and/or それへの私の解答をここにコピペしようalex99○ 二代続く世界の覇者が英語を母国語としている 英国は初めこそローマの一属州でしたが、フランスが世界の覇者である時代が終わると、やがて数多くの植民地を持つ世界に冠たる大英帝国になり、文化的にもシェークスピアを初めとする偉大な文人を持った植民地を持つことは、その国の言語の普及に多大な効果があるインド・オーストラリア・ニュージーランド・アフリカ諸国・ハワイ・フィリピン・シンガポール・香港・カナダ・・・さらに英国の相続者である新大陸アメリカが、英国のあとを継いで、膨大な人口を持つ英語話者の国を構築して、単独覇者となったハリウッド映画・ジャズの影響、インターネットでの寡占状態みな英語に有利な状況ばかりです語学的に言えば、いろんな言語を吸収して非常に豊かな言語になったこと文法的に格変化を廃して、その代わりに前置詞を使用することによって、文法が非常に簡単になった語順と前置詞の知識があれば、(本当は熟語・成句が難しいが)外国人にとって習得が容易な言語でしょう
2008.09.01
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★★復刻日記】なぜ英国の皇太子は 『プリンス・オブ・ウェールズ』と呼ばれるのか?諸般の事情で今日も【復刻日記】【復刻日記】ばかりなのは、もちろん感心したことでは無いが、このところ時間が無いので、○ 「潔く書かないか」○ それとも、better than nothing ということで【復刻日記】この内、どちらかの選択となる ~~~~~~~~【復刻日記】なぜ英国の皇太子は 『プリンス・オブ・ウェールズ』と呼ばれるのか?■ そもそも英国は、イングランド、スコットランド、ウェールズおよび北アイルランドの四ヶ国から構成されている、連合王国(United Kingdom)です。正式名称はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland =グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国。略して『英国』、『イギリス』または『ブリテン』。イングランドは北欧系・ゲルマン民族のアングロ・サクソンですが、その他の国はケルト系民族の国です。日本ではこのケルト系の三ヶ国の人々をも『イングリッシュ』と呼び勝ちですが、これは間違いです。『イングリッシュ』はイングランド人だけです。■ 日本には『堺はすべての始まり』という言葉がありますが、これは種子島に伝わった鉄砲の大量生産地にもなった自由都市・堺の先進性を指した言葉です。世界規模で言うと、英国が、ある種すべての始まりとも言える。産業革命・蒸気機関車その他の科学・産業・工業面は当然ながら、スポーツでもサッカー、ラグビー、テニス、バトミントン、卓球、ゴルフ、クリケット、ゲートボールの元になったクロッケー、・・・数え出すときりがありません(本当はここでちょっと止まってしまった)。だから、もともと四カ国で始めたサッカー、ラグビーが国際的になった時にそのまま四カ国の International Match 国際試合として残った。ラグビー・サッカーでのユニフォームの色・シンボルカラーは イングランド=白にバラの刺繍 スコットランド=紺 アイルランド=緑 ウェールズ=赤 ■ 英国のチャールズ皇太子は、『プリンス・オブ・ウェールズ』と呼ばれますね。なぜでしょう?ウェールズは上に述べたように、四ヶ国から形成される連合王国の中の一つの国にすぎません。連合王国の皇太子がウェールズのプリンスとは? なぜでしょう?今日はこのことを書いてみます。■ 映画俳優で、絶世の美女(だった)エリザベス・テイラーと二度と結婚した英国の男優、リチャード・バートンはウェールズの出身です。ウェールズの炭坑夫の息子です。私は仕事でウェールズによく行ったし、秘書の一人がウェールズ人だった。ウェールズは炭坑が中心産業だったんですが、もちろんさびれてしまって失業者だらけ、私のロンドン駐在時代は日本企業の工場誘致に必死でした。『ウェールズの山』と言う映画がありましたが、英国は日本と違って高い山も険しい山も無くて、ウェールズの山とは、私に言わせれば若草山の大きいようなもの。あそこではケルト語族のウェールズ語がまだ一部で現役。英語を話しても訛りは強い。バートンはよく訛りを矯正して、シェークスピア俳優になったもんだ。エリザベス・テイラーの伝記を読んで、その中で彼の私生活を知って、人間的には嫌いな男だけれど。 彼のお爺さんはなんとユダヤ系のポーランド人です。だから、バートンというのは、本名ではなくて、多分芸名でしょう。ウェールズ出身の有名人というと、歌手のトム・ジョーンズ、それに映画俳優のアンソニー・ホプキンスがいます。■ 世界的に有名な『プリンス・オブ・ウェールズ』は皇太子だけではありません。英国の戦艦の艦名でもありました。第二次世界大戦中、英国はシンガポールを基地とする強力な東洋艦隊を持っていました。日本軍は石油欲しさにマレー侵攻作戦を進め、これを阻止するために英国の東洋艦隊は主力2戦艦、プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales 以下 POFW と称す)とレパルス(Repulse)をマレー沖に急行させました。この動きを察知した日本海軍サイゴン航空基地では攻撃機を発進させ、昭和16年12月10日、急襲した攻撃機の魚雷・爆弾の命中の結果 POFW レパルス両艦は沈没しました。これがいわゆる「マレー沖海戦」です。マレー沖海戦は世界戦史上、エポック・メーキングなものでした。POFW は東洋艦隊の旗艦のみならず、英国が「不沈艦」と誇った世界最新鋭の戦艦。その不沈艦がレパルス共々撃沈された驚き(チャーチルは最大のショックだと嘆いた)もさることながら、それが戦艦同士の砲撃戦ではなく、航空機の雷撃でなされたことでした。それまでの海戦は巨大戦艦の巨砲でポンポン撃ち合うもので、「大艦巨砲主義」と呼ばれていました。それがこの海戦以来、各国は「航空勢力主力」へと転換しました。せっかくこんな歴史的な成果を世界に先駆けて上げた日本海軍は、その後航空主力への転換には成功せず逆に「大和」「武蔵」の超巨大2艦を建造して大艦巨砲主義を継続、大和級第3艦「信濃」建造中にようやく航空母艦に艦種変更しました。その上、大和級は第6艦まで建造中・または計画されていました。狩猟・遊牧では激しい状況変化に対応せねばならないが、農耕生活では十年一日、同じような農作の繰り返しで変化はありません。「農民体質日本人」の「方向転換・意志決定の遅さ」はDNAレベルのものでしょうかね?■ 炭坑町を舞台にしたジョン・フォードの名作「わが谷は緑なりき」もウェールズが舞台でした。「ブラス」も炭坑町ということなので、今日までてっきりウェールズと思っていたんですが、ヨークシャーでした。「ウェールズの山」と言う映画がありました。モデルのガースの丘はウェールズの首都であるカーディフの近郊にあるが、ロケは中部ウェールズだったようです。ガースの丘の頂上に登った人によれば頂上に実際に人造の小さな丘があるそうです。さて映画ではウェールズ人達がの丘を山にしようとしたのは「イングランドからウェールズに入る最初の丘だから誇らしい」としているようです。しかし私はこの丘が「ウェールズが国境でイングランド相手に幾度と無く激しく戦った象徴的な古戦場」であったからこそ、単なる丘では不足で山に昇格させようとしたのだと思います。イングランド(アングロ・サクソン)に対するウェールズ(ケルト)の敵意がいまだに尾を引いています。山岳戦についてはイングランドがウェールズをついに征服したときも、人々はスノードン山に立てこもり抵抗しました。ウェールズは平野のイングランドに比較すれば山地が多く、人々は「山岳民族」とされていたようです。我々から見れば「丘民族」とでも呼ぶところですが。スコットランドをのぞいて英国の最高峰はウェールズにあるスノードン山です。標高1085m。この山には山頂にまで至る狭軌のアブト式登山鉄道があり一両客車の豆蒸気機関車が走っています。私も乗りましたが、走ると言うより「あえぎながら登っている」のです。この蒸気機関車はいわゆるSLマニアの垂涎の的です。この蒸気機関車、約一時間で山頂まで登りましたが、私たちの眼下にはハイキング登山者が登山道を登っており約2・3時間で山頂に至るそうです。最高峰といえど、その程度の高さです。■ ウェールズはチューダー王朝のエドワード一世にに征服され過酷な統治を受けましたから、他のケルト人達、アイリッシュ・スコティッシュ同様、イングランドには強い反感を持っています。その反感をなだめようとイングランドは歴代の英国皇太子を Prince of Wales と呼ぶ事にしています。なんかウェールズを馬鹿にしているようですが、エドワード一世は身重の妻をウェールズで出産させて(エドワード二世)その子に Prince of Wales の称号を与え、つじつまを合わせています。この時 「A Prince of Wales who could speak no English ! 」と補足したそうですが、赤ん坊ならいくらイングリッシュの血筋でもまだ英語がしゃべれるわけがありません。しかし、またどうしたことか?ウェールズ人もこれを歓迎したと言います。実際には歓迎と言うより妥協・迎合でしょうか?Prince of Wales これが英国皇太子の正式名称です。Crown Prince というのはただ単に「皇太子」という意味です。それに Prince of England なる名称は存在しません。もっとも Prince の語義を研究社新英和大辞典でひいてみると『 4. 帝王を上にいだかない小国の統治者。公』。 日本ではモナコの王様と言われるモナコ公は 『The Prince of Monaco』 だそうです。意外にも『公』どまりで、『王様 King』 じゃ無いんですね。『5. ((古)) 王(King) 帝(Emperor) 君主(Sovereign)』。このあたりも該当ですね。それまでのウェールズの首長が『Prince of Wales』と呼ばれていたのは、つまり『ウェールズ王』だった訳です。「Wales」 とは、一時英国を占領していたシーザーのローマ軍団が「よそもの」と呼んだことに由来するとのこと。どっちがよそものでしょうか?それともアングロ・サクソンと区別してそう呼んだんでしょうか?もう逝去したマーガレット王女の離婚したカメラマンの前夫は「スノードン卿」という爵位をもらっています。もちろん一代呼称でしょうが、このへんもウェールズに気を遣っている感じですね?
2008.01.20
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これから、更新のたびに【復刻日記】を付記することにした。楽天で自分のブログを始めて、ほぼ4年になるので、過去日記は、ほとんど忘れてしまっている。それを紐解いてみると(大層な言い方だが)、あらためて自分自身で「へ~ こんな事を書いていたんだ!」とか「こんな事を感じていたんだ!」「こんな主張をしていたんだ!」とかいう感想がわいてくる。特に【外国の想い出】というジャンルの日記を読み返すと、過去の栄光が(笑)まざまざとよみがえって、懐かしい思いをする。特に私は、おおよそ30ヶ国以上の国を旅したので、書くべき事が多いのだ。各国別・各地方別の日記を復刻してみたいが、今日は、とりあえず、英国・ロンドンである。2004年の初めごろの日記なので、私自身の事情が今と異なっている部分があるかもしれない。なおこのころは、まだ始めたばかりで、コメントをいただいていなかったので、リンクは張らずに本文をコピーすることにする。 ~~~~~~~~■ ハーフムーン・ストリート 【復刻日記】私はこの一週間、ここ楽天広場でいろいろな日記を読ませていただいたけれど、興味がある分野は主にいわゆる読書日記風のもの。毎日あたらしい日記を訪問しているが、実に充実した高度な日記があるものだと感心している。やはりあるところにはあるんだという思いだ。特に思索系や社会派や読書日記風の日記などにはすごいものがある。ただ書き手のみなさん、私に比べるとお読みになるスピードが速すぎる。一日一善・・・じゃなかった、一日一冊、読んでしまわれる。一日で読み切らないと読書日記にならないのかもしれないけれど。書き手のみなさんはプロか、プロ級の方々ばかりなので咀嚼力がスーパーなのだろうけれど、この違いはどこからくるのだろうか。私は特にこのごろ一冊の本に停滞?するのを楽しんでいるみたいにスピードが落ちている。いや、このごろは急に本を仕入れたから目移りがしてあの本をちょっと、この本をちょっと、それに新着の本をちょっと、・・・というふうに、食事マナーでいうと「迷い箸」になっているのだ。私も以前は読むスピードには自信があった。一日に本を二冊も三冊も読んでいた時がある。しかし今になって反省してみると、流し読み・飛ばし読みで読んでいたので、じっくり精読したわけでは無かった。いざ精読、またはそれに近い読み方をしてみると、本を読むのにも実に時間がかかるものだと思った。もっとも精読する必要のある本と流し読みでいい本というレベルというか、ジャンルというか、そういう本自体の性格の違いというものもある。一般的に小説類のようなフィクション系なら私でも一日で読める。たとえば昔は松本清張のミステリーが好きで、読み出したら止められないで、結果として一日で読んでしまう。これは誰でも経験することでは無かろうか。しかし、今私が買っている本はどちらかというと精読が必要な種類の本が多くて、内容も深くて広範にわたり、私としては一日で読破するなんてもったいなくてたまらないともいえる。同じ箇所を何度でも読みたいときもある。 ―――― ◇ ――――それに私は読書中に傍線を引くタイプである。「三色ボールペンで読む日本語」というベストセラーも買って、一時はこれを実行しようとした。重要事項にはブルーのボールペンで傍線を、もっと重要な箇所には赤、レッドの傍線、個人的興味の箇所にはグリーンの傍線・・・。こういう傍線の引き方をすれば読書が効率的に深く分析的に行え、再読の時の効率がまるでちがう・・・という理論。私は原則的にこれに賛成で実行している。ただ私の場合グリーンの傍線はめったに引かない。引くときはフィクション、つまり文学書関係である。その文章や、表現法に、参考になる部分にグリーン・ラインを引く。普通の実用書や科学書、歴史書などではもっぱらその内容である新知識を吸収するという形になって、私個人の意見・感じ方などはあまり浮かび上がらないから、グリーンの傍線を引くケースはほぼ文学関係に限られている。興味ある小説などのなかで、作者の観察眼やコメントに同感な箇所に引くのだけれど、ときどき引きまくりの小説もある。 ―――― ◇ ――――私は米国人ながら英国生活が長く英国人と言っても言いいポール・セローという作家の本が好きなのだが、この人の「ハーフムーン・ストリート」という小説を最近読んでグリーン・ラインが一杯になった。特に前半部分である。この小説の概要は次のようなもの :米国人の若い女性がロンドンの国際政治研究所ではたらく内に(だからインテリ女性)、あるきっかけから副業として、いわゆるエスコート・ガール(一種のコールガール)をするようになり、英国やアラブのお金持ちやインテリのお相手をする。そのうちにハーフムーン・ストリートというロンドンのウエスト・エンド(高級地区)にあるある通りにあるフラットをパトロンのひとりからプレゼントされる。話はまだそれから続くことにはなるのだが・・・。この小説はこの若くて知的で魅力的で・・・それでいてとても冒険好きな女性の目を通して色々なことが語られるわけだが、この女性の目というのはもちろん作者、ポール・セローの目。普通の小説ではそれほど主人公の思考が語られることが無いように思うけれど、このセローは実に鋭いしなやかな分析や観察をして、この女性に語らせている。しかもなんていうか、実に私ごのみの思考なんだ。だからグリーンの傍線が増えることになる。 ―――― ◇ ――――このハーフムーン・ストリートは先に言ったようにウエスト・エンドという、まあ日本で言うと銀座のような高級商業地区にある。ピッカディリー・サーカスというウエスト・エンドの中心からまっすぐにハイド・パークに伸びる大通りがピッカディリー。そのピッカディリーに対して直角に、いわば櫛の歯のように平行にいろいろなストリートが延びている。たとえば有名なボンド・ストリートなどもそんなストリートの一つで、それこそ世界の一流ブランド、グッチとかシャネルとかカルティエだとかが軒を連ねている。それなのにボンド・ストリートの一つ隣のハーフムーン・ストリートという通りは、むしろひっそりとした人目につかない気配がある。一流店などは目につかない。だからこそ、あの主人公の女性のおしゃれな隠れ家、フラットなどがあってもおかしくない。 ーーーー ◇ ーーーー私は以前からこのハーフムーン・ストリートという通りの名前が、何となくロマンティックな気がして気にかかっていた。この通りを歩いてみると中程に通りの名前そのままのハーフムーン・ホテルというホテルがあった。ある時、日本からのお客の宿泊用にこのホテルを初めて予約してみた。念のために下調べとして訪問してみると決して大きなホテルではない。むしろこじんまりしている。しかし内部のインテリアなどにある種の古風な優雅さがあって、私としては気に入ったと言ってもいい。日本からそのお客が到着してそのホテルに送り込んで、そのホテルから出てみると、ちょうど夕刻だった。このストリートから出たら、ピッカディリー大通りの上空あたりの空が赤く染まって、沈んで行く紅くて北国特有の低い大きい夕陽が、このストリート全体をあまねく照らして、まるで私の人生に、何か荘厳なことが起きたような、一種特別な気持ちがした。
2007.12.13
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金曜日の深夜には、私がすっかりはまってしまった韓国時代劇ドラマ「宮廷女官 チャングムの誓い」の再放送がある。深夜11時頃からだと思う。私は、レンタルショップからDVDを借りて、四日間ぶっ通しで、この「チャングム」、全54話を見てしまったので、もうあまりこの再放送を真剣には見ていないのだが、そのあとのNHK教育テレビでよく見る番組がある。ピーター・バラカンという人の「Weekend Japanology」という英語番組である。バカラン氏と、もうひとり英語が堪能な女性が、ゲストを迎えて、テーマについて対談をする。NHKのサイトでの紹介文がある。これによると、もともとNHKのワールドサービス用の番組だったようで、今の放映はその再放送の様だ。 ~~~~~~~~ジャパノロジー”とは、『日本学』。これまで伝えられてきた紋切り型の「日本人」や「日本文化」の枠を壊し、そこにありながら語られることのなかった「これぞニッポン」を、新しい切り口で世界に発信する、英語と日本語の2か国語番組です。 テーマは、伝統文化から季節の風物や食、暮らし、そして最新のトレンドまで。幅広い分野から、国際的に活躍するゲストをスタジオに招き、経験を踏まえた視点で語ってもらいながら、日本の素顔を世界に向けて伝えます。ピーター・バラカン、菊地真美のコンビでお届けします。* 日本国内でも教育テレビで去年以降のラインナップから「再放送セレクション」をご覧いただけます。 ~~~~~~~~ テーマとゲストは、知的で興味深いもので、ちょっと他の番組では取り上げないようなものばかりで、さすがはNHKだという番組だし(私はNHKの味方です)、それだけでも面白いのだが、このバカラン氏と、菊池真美さんという女性が、英国英語をしゃべるのだが、その英国英語が耳に快い。いまどき英国英語ばかりの番組などめったにない。ピーター・バラカン氏は、音楽のキャスターとして著名な人らしい。 ~~~~~~~~ピーター・バラカンさん(Peter Barakan)ブロードキャスター。1952年英国ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業。 '74年に来日。出版関連の仕事を経て、放送界に進出。以来、独自の選曲によるポピュラーミユージックの紹介者として活動。FM放送を中心に、数本のレギュラー番組を通して活躍が続いている。またテレビ「CBSドキュメント」では司会役も勤めている。 ~~~~~~~~バラカン氏の父親は、ユダヤ系のポーランド人、母親は、英国とミヤンマーの混血という。バラカン氏はロンドン大学卒。オックスフォードやケンブリッジにも日本語科があったが、自分が住んでいるロンドンで大学に通いたかったのでロンドン大学を選んだのだという。彼の英語は、基本的にRP(Received pronunciation)と言われる、南イングランドのインテリが使うものだ(と思う)。Oxbridge アクセントにも近いように思われる。しかし、BBC英語のアクセントに、一番近いように感じられる。私のカンで言うことだから、間違っているかも知れないが、いずれにしても、知的で綺麗な英語だと思う。ついでだが、おなじNHKの英語番組で、英国英語の女性が二人いる。一人は、『いまから出直し英語塾』と言う番組でアシスタントをしている女性。もうひとりが、別の英語番組に出演している。この彼女は明らかに英国英語なのだが、私の気のせいか?彼女には、ほんのわずかながら、母音がコックニー的な下町アクセントがあると思う。私としては、この番組における対談におけるバラカン氏の質問や、彼のゲストの不十分な英語への補足などが、知的で、それにいかにも、米国人的ではない、英国人的なものだから面白い。英国英語と米国英語は、発音や多少の語彙が違っているだけではなくて、表現のスタイル、物言い、が異なっている。英国流表現は、クールで客観的で、過度に?正確であろうとする。それに、understatement つまり、控えめな表現であると思う。それらが、われわれが日頃聞き慣れているアグレッシヴとも言える米国英語と異なる点であって、バラカン氏の話し方は、正にこれであると思う。 ~~~~~~~~ちょっと、イングランド人の性格を検索してみたら下記のようなものがあった。 ~~~引用~~~~~まず、フィナンシャル・タイムズ紙の週末版に挟まれてくる雑誌FT magazine(4月2日号)の最終ページにあるコラムでは、”Stale songs and warm ale(陳腐な歌とぬるいエール・ビール)”と題する文章が掲載されました。イングランド人の特徴(アイデンティティ)を考えると、英国特有のぬるいエール・ビールを飲みながら陳腐な歌を大声でうたう姿くらいしか思い浮かばない、という皮肉な意味がこめられたタイトルです。このコラムで興味深かったのは、イングランド人自身が、諸外国(さらに、おそらくスコットランドやウェールズなど)と違って、イングランド独自の文化を持っていないことを非常に気にしているという点です。コラムの筆者は、イングランド人に本来備わっている特有の気質(美徳)が控えめな態度であるため、自らの特色を自己顕示的にアピールするような共通の文化が形成されなかったのだと結論づけています。ちょっと開き直り的な感なきにしもあらずと思いますが。ちなみに、筆者が列挙しているイングランド人の気質は、以下の通りでした。Understatement(控えめな言葉)dryness(さりげなさ)ironic humour(皮肉をこめたユーモア)tolerance(寛容)coolness under pressure(困難な状況下での冷静)pragmatism(実用主義)humility(謙遜)straight talking(率直な言葉)intolerance of pretentious posturing(これ見よがしの気取った態度に対する嫌悪)a gentle sense of dissent(異論への寛大な感覚)a respect of individual choice(個人の自由の尊重)これらは、日本でもしばしば指摘される英国人気質ですが、私には本当にそうかどうかは判断つきかねます。ただ、英国人のセルフ・イメージや彼らの価値観を知る上では、参考になるように思いました。 ~~~~引用終わり~~~~このイングランド人とは、英国人の中でも、アングロサクソン系のイングランド人を指す。ケルト系のウェールズ人・アイルランド人・スコットランド人は、英国人ではあっても、イングリッシュではない。私としては、イングランド人には、上記の特徴が確かにあると思う。そうして、これらの性格が、アメリカ人とイングランド人とが、大いにちがう由縁だと思う。
2006.03.08
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庄内さんが「英国人の紅茶離れ」というテーマで書いている。失礼して、許可無く紹介させていただく。 □□□□□□□□英国人があまり紅茶を飲まなくなっているそうだ。コーヒー、炭酸飲料、ハーブ茶、フルーツ茶などに押されているらしい。調査によると、80%近くの英国人が紅茶を飲んでおり、65歳以上では 85%前後になるが、15-24歳では 72%に落ちる。若年層の紅茶離れが目立つ。(参照)ふーん、私は英国人は全員紅茶を飲むものと思っていたけれど、そうでもないのだな。意外な結果である。~~~庄内さんが参照した記事は下記。2005年05月18日(水) 「英国人のティー離れ進む」(時事通信) 【ロンドン17日】英国人は昔からティー(紅茶)とは切っても切れない民族だと言われてきたが、最近ではコーヒー、炭酸飲料、ハーブ茶、フルーツ茶などの飲み物、あるいはグリーンティーといったスペシャリティ・ティーに押され、伝統的なティーは肩身が狭くなった。市場アナリスト会社ミンテルが17日公表した統計によると、2002-04年の2年間に、標準的なティーバッグの販売は16%落ち込み、ティーバッグ入りでないティーも9%減少した。(写真はティーを飲むブレア英首相) 対照的に、ハーブ茶とフルーツ茶の売り上げは30%も伸びた。スペシャリティ・ティーに至っては50%も売り上げを伸ばした。 英国人は日々、イングリッシュ・カッパ(cuppa=1杯のティー)を飲み、争いごとなどがあった時にもティーをぐっと飲み干すのが伝統だったが、ティーは今ではコーヒー、フルーツジュース、ソフトドリンク、ボトル入り飲料水などの他の飲み物との厳しい競争にもさらされている。 ミンテルの上級市場アナリストのエレン・シールズ氏は「メーカーは伝統的なティーをもっと時代の流行に合った飲み物にする工夫が必要だ」と指摘している。 ミンテルが過去2年に消費者2万5000人を対象に調査したところでは、80%近くの英国人がティーを飲んでおり、65歳以上の人だけ見れば85%前後になるが、15-24歳では72%に低下する。〔AFP=時事〕 □□□□□□□□記事は以上。私は昔、ロンドンに駐在していたことがあったが、その時の経験から言えば、ロンドンの人間の大半はコーヒー党だと信じて疑わない。私達のオフィスでは、自分でキッチンで、紅茶かコーヒーを沸かすので、オフィス内のシェアがわかる。だから、いくら英国人と言っても、80%以上などと言う紅茶のシェアは、「英国帝国探偵社職員」?の私には信じられない。そういえば、インドネシアにトラジャ・コーヒーという有名なコーヒーがあって、独特の香りと味があった。インドネシアのコーヒーは、これだけではないらしいが、いずれにしても、昔、オランダの東インド会社がコーヒーの種をインドネシアに持ち込んで栽培したものが大当たりしたらしい。オランダが他にインドネシアで栽培て財をなしたものに、丁子(ちょうじ)がある。英語ではグローブ。通販サイトでこういう説明がある。~~~カレーやシチューのスパイスとして有名なインドネシア原産のハーブです。 形が釘に似ているため、日本では丁子と呼ばれますが、英語のクローブもフランス語の釘(クル)から転じたものです。 薬としてのクローブは健胃、鎮嘔、鎮痛、興奮剤としての腹痛、下痢、胃腸病の治療に使われる他、歯科での消毒、防腐、止痛剤として虫歯の治療に用いられます。また風邪薬としても用いられます。 日本では古くから日本刀の錆止めとしても使われてきました ~~~うっ!日本刀のさび止めとして用いられたのを知らなかったとは、武士の子孫として面目無いことだ。私は本場の味のインドカレーを作るが、丁子も入れる。それから、ホットウヰスキーの中に入れられる。私がインドネシアにいた頃、オフィスの現地社員は、丁子のタバコを吸っていた。強い芳香がして、味も舌がちょっとしびれるような、強いうぃきょうの様な味がする。一時、日本でもサーファーの間で流行った。多分、バリ島で覚えたものだろう。~~~ところで、私は、ずっとミルクティー派だったのに、最近コーヒーの美味しさに目覚めて、コーヒー党に変節してしまった。と言いながらも、私のコーヒーはちょっと変わっている。昔、インドのボンベイ(今はムンバイと地名が変わった)の支店で出てきた、濃くて砂糖一杯のコーヒーが(ひょっとしたらチャイだったかもしれないが)思い出されて、それを作って飲んでいる。そのコーヒーは、水を沸かしてお湯を作るのではなく、初めからミルクを沸かして、そこにコーヒー(または紅茶)に砂糖をたっぷり入れた濃厚なもの。薄いアメリカンも、凝った日本の喫茶店のブレンドコーヒーもいいが、このインド式もクセになるのである。~~~~~米国のオフィスでは、大きな瓶をひっくり返したようなコーヒーメーカーがあって、常時、薄目のアメリカンがグツグツ言っている。それをまた、大型のマグに入れて飲む。いかにもアメリカンである。それに比べると、私たちのロンドン・オフィスの方式はしょぼかった。まあ、私たちボスは、実際には飲み物をキッチンで作るということはほとんどしなくて、秘書やアシスタントの女性がつくってくれた。これは男女同権には反することなのかもしれないけれど、実態としてそうだった。それに、キッチンは女性同士のおしゃべりの場でもあったようだ。日本でもお茶くみ場は、男子禁制の talk of the town うわさ話の殿堂らしい。嫌いな上司に、ぞうきんの絞り汁を入れたお茶が用意されるのも、この現場らしい。私が英国の会社を訪問したり、会議に参加していると、飲み物が提供される。英国は、セルフ中心の米国と違って、専門のお茶くみおばさんがいることが多い。おばさんが入ってきて(秘書が来る時もあるが)、「How do you like it?」とたずねてくる。「With or without Sugar?」と聞いてくることもある。「With or without」と言う言い方が英国らしいと思う。頭の中での選択肢としてはまず、ティーか、コーヒーかを決めて、次の段階で、ミルクを入れるか、入れないかを、さらに次の段階で、砂糖を入れるか、入れないかを決める。もっとも、ミルクも砂糖も飲み物と一緒に、ポットに入って出てくる時もある この場合は、ミルクと砂糖はセルフとなる。決まったら、給仕のおばさんに、例えば「Coffee, White, NO-Sugar」、つまり「ミルク入りだが砂糖なしのコーヒー」となる。または「Tea, Black, Without sugar」、または「」などと言うように答える。White というのは英国独特の言い回しで、「ミルク入り」ということ。Blackはもちろん、「ミルクなし」である。ティーは、ティーカップに入ってくることもあるが、どちらかというと小さいながらもポットとティーカップがそろって入場してくることもある。やはり、給仕のおばさんの存在といい、ポットといい、英国の方が伝統と文化を感じさせる。機能の米国とは対照的である。なお、海外出張中の飛行機の中で、ティーが美味しかったのは、当たり前のようだが、BRITISH AIRWAYS同じくコーヒーが美味しかったのは、AIR FRANCEだった。ドライ・マティニーが一番美味しかったのは、米国国内線のユナイティッド航空だった。 ーーーー ◇ ーーーーなお、みんみんパイさんから、下記のような貴重な情報をいただいた。コーヒー大国のアメリカではコーヒーを頼むときはレギュラーor ディカフェになってミルクもwholehalf & halfor skimになって砂糖もsugaror sweetner
2006.02.27
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6/22 ロンドンの伝統的2階建てバス「ルートマスター」、今年のクリスマスまでに新型バスと交代 50年の歴史をもつロンドンの伝統的2階建てバス「ルートマスター」は、運転手と車掌が乗務し、後部乗車口にドアがないことから、乗客はたとえバス停でなくとも自由に乗り降りできるバスとしてロンドン市民から親しまれてきた。しかし、ケン・リヴィングストン市長が進める、「ハンディキャップがある人にも楽に利用できる交通機関」計画の一環として、ロンドン交通局では、今年の12月9日までをめどに、これらの旧型バスをすべて新型バスに代える予定であることを発表した。 ~~~~~~~~ロンドンの二階建てバスは「ダブルデッカー」と呼ばれるが(deckとは船だと甲板、バスだと床板かな?)、その中でも旧型の「ルートマスター」というのが引退するらしい。上にも説明があるように、運転手と車掌が乗務し、後部乗車口にドアがないことから、乗客はたとえバス停でなくとも自由に乗り降りできるバス・・・なのだ。後部は本当にドアが無くて開口になっていて、その代わりにつかまるための金属製のポールがある。その奥には二階への回り階段があって、このあたりに車掌がいて、停留所名を抑揚をつけた口調で告げる。日本のバス市電の車掌のように、車掌用のがま口型のバッグを前にかけて、制帽をちょっと横っちょに、またはあみだに、かぶっている。私はロンドンにいた時には、ほとんどバスには乗らなかった。通勤は地下鉄のノーザン・ラインという路線で、これは都心からある程度離れると、東京の丸ノ内線などと同じように地上に出て走る。私がバスに乗ったのは、ある日本食品店に行くために乗ってみたのだが、バスナンバーと停留所名をよく知らないと乗っていてもどうも不安だと知った。車掌が次の停留所名を告げるのだが、車掌には下町育ち・コックニーの人間もいるので、メロディアスな呼び声はいいのだが、停留所名が私にはよく聞き取れないことが多かったのだ。この後部が開いたバスに付いては、ロンドンに行く前から知識があった。戦後まもなく、日本の新聞にも連載された「ブロンディー」という漫画があった。40-50年代のアメリカの明るく豊かな絶頂期のある中流家庭の超美人でスタイル抜群の奥さん「ブロンディー」と、そのおっちょこちょいの夫、ダグウッドとの家庭生活が題材。当時の日本の家庭から見れば超豪華な部屋と家具、それに家電製品をうらやましくみたものだ。例えば電気掃除機・洗濯機・超大型の冷蔵庫。電気掃除機は、日本のそれのような、チマチマしたアタッチメントなど無しのシンプルなもの。超大型冷蔵庫の中には溢れんばかりの食品がずらりと並んでいる。我が家は父親が新しもの好きだったせいで、東芝が戦後初めて発売した攪拌式の電気洗濯機が家に来た。それにテレビも放送が始まった翌年には来た。ただし、電気冷蔵庫と掃除機はだいぶん遅れて我が家に入ってきた。畳の部屋にはそれほど電気掃除機のニーズが無かったのだと思う。夫のダグウッドは、確か普通のネクタイではなく、蝶ネクタイをしていたと思う。このダグウッドは日頃ブロンディーにお尻にひかれているのだが、食いしん坊で、夜中に腹が減ると、冷蔵庫の食材を取り出して、ダブルデッキどころか、10階建てぐらいの超大型サンドイッチをつくってかぶりつく。それが何とも美味しそうで、これもうらやましかった。このサンドイッチは、当時「ダグウッド・サンドイッチ」と呼ばれていた画、今はどうなのだろう?そういえば、「ちびまるこちゃん」も、夜中に起き出しては冷蔵庫の中をのぞく。「私は夜の女王だよ 女王様とお呼び!」といいながら、コーヒー牛乳を飲む。そこでナレーションが確か「貧しい女王様である」と突っ込むのだが。ダグウッドはアメリカ人のくせに車で出勤しない。今の話だが、NYへ隣州から通勤する人は、列車通勤する人がかなりいるが、それでも同じ地域から車通勤する人も多い。バスとは、かなり職住近接なのでは無いだろうか?とにかく、ダグウッドの家の前の道路にはバス停があって、この「ルートマスター」型のバスが通っている。ダグウッドはいつも朝食を食べながら一心に新聞を読んで、ブロンディーに怒られるのだが、バスの時間が来ると朝食もそこそこに、というか、トーストをくわえながら、もうバス停を出発しているこのバスに必死に走り寄り、この後部開口口びポールに飛びついてなんとかバスに乗れることになる。古い映画を観るときに時々思うのだが、昔のアメリカの、特に東部では、今よりよほど英国に近い生活風習があり、それにアメリカ英語も英国英語に近いものだった。古いアメリカ映画の英語(米語?)は、極めて聞き取りやすいものなのである。今のように崩れた発音のアメリカ語になったのはどういうことが影響しているのだろう?南部などの米語の影響がだんだん東部の米語をも変えていったのだろうか?二階建てバスと言えば、これは単にロンドンだけのものでもない。英国国内の大都市では、二階建てバスが走っている。ただし、その地方によって色がちがうようだ。意外と思われるかも知れないが、ドイツのベルリンにも二階建てバスが走っている。私はそれで通勤していたことがあるから確かだ。ただし、色は黄色。香港にも二階建てバスがあるし、驚くことには二階建ての市電がある。一般的に外国の市電というものは細身である。それに日本人のイメージする市電とは異なり、かなりのハイ・スピードで走る。この香港の二階建て市電ももちろん幅の細いもので、それが二階建てで、しかも急カーブをかなりのスピードで走るのを見ると、私は怖くなる。この香港の二階建ての市電は、土地柄か?どうも薄汚れた感じで、同じ二階建てでも、粋な赤いロンドンのバストは大違いである。全身に中国語の広告をベタベタ貼り付けられて、やけくそのように走り回っている香港の市電、なんとなく侘びしさを感じさせるものである。「欲望という名の電車」って、こんななの?違うか・・・。
2005.12.18
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昨日、ハリー・ポッターの第一作がテレビ放映された。私は、結構楽しみにしていて、近頃としては珍しくテレビ放映を鑑賞した。しかし、前評判にもかかわらず、私には全く面白くなかった!はじめから終わりまで、「おおっ!」というシーンも全く無く、早々に「この映画は子供向けの(子供さん 失礼!)、つまらない映画である」という結論を下してしまった。多分、テレビで紹介された一部をすでに見てしまった事も多少は影響しているのかも知れないが、それにしても、どの場面をとっても、なんの感興もわかなければ、なんの驚きも無かった。同じファンタジーでなら、「オズの魔法使い」とか「BACK TO THE FUTURE シリーズ」なんかは大好きなのだから、私はファンタジー映画を楽しめないという事でもないようなのだが・・・。そう言えば、スピルバーグでも「ET」も実につまらなかった。なんだい?あの安っぽいお涙ちょうだい調は?
2005.11.12
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娘と「にじ・よじ」をしていたら、というか、本当は「さんじ・よじ」をしていたら、その「さんじよじ」が「さんじ・じゅうにじ」になっちゃった。娘と近場の寿司屋に入った。杉浦日向子さんのいう「にじよじ」の時間である。娘はハーフなのに、日本食大好き、特に寿司なら毎日でも。友達関係でも、日本人とだったら、なごんでリラックスできるが、欧州にいると鬱々として楽しまない。要するに四文字熟語で言うと「不定愁訴」、カタカナで言う「ノイローゼ」、語源はドイツ語かな?それがあって、日本にいるとストレスが無いという、不思議人間である。この寿司屋さんは、入り口の雰囲気からして、「もうひとつ」で、寿司好きの娘も、入るのをちゅうちょしていた店だ。だから、寿司というと、今まで遠出して食べてきたのだが、今日は思い切って「あの怪しげな」寿司屋に入ってみようと言うことになった。私が東欧にいたころは、東欧の貧民が食べに来る貧民レストラン(ミルク・バーと言われている)の料理の味が大好きで、毎日のように通っていて、日本人のみならず、家族にも笑われていた。だけど・・・、厳冬の東欧で、暖かいスープや暖かい料理を食べるのって、至福。身体が冷え切っているだけ、あったかいスープが、おいしい!!!これは、私の好きなロシア!のゴーゴリの世界かな??娘とは反対に、私は、基本的に洋食が好き。商社員時代、長い海外出張から帰ってきて、同僚・部下達にプチ歓迎会を催され、「alexさん 今日はなに食べませうか?」と聞かれたら即答で「○○○のビフテキ鉄板焼き」と、答えて、寿司を期待していた彼等に驚かれた男である。今思いだしたが、NYのある有名日本鉄板焼きレストランで、不愉快なことがあった。私の妹は米国で国際結婚しているのだが、日本のビジネス社会は、国際結婚をしている日本女性を一段、下に見下げる風潮がある。戦後すぐの日本女性とGIの結婚、(戦争花嫁と呼ばれたりした)に対する偏見が、いまだに尾を引いているのだろうか?日本で生まれて、日本で育ち、日本人エリートと結婚して、たまたま夫の海外駐在という出来事で海外にいる・・・、そんな幸せ?な日流「セレブ奥様」が、日本のスタンダードで、そのご主人である日本企業の駐在員の社用接待がNYの日本料理屋のメインの顧客なのはわかる。日本人の女性と結婚している「現地人!が毎日の商用の接待で日本料理屋を利用するようなことは無い。日本企業のビジネス客以外は、リピーターではないし、金を落とす客だとは思われていないのだ。彼等はせいぜい、たまの休日に日本食の味わいを懐かしんで日本料理屋に立ち寄る、またはブロードウェイで観劇して、その帰りに、日本料理屋の看板を見て急にノスタルジアを感じて、日本料理屋に入るのである。予約を義理の弟の米国名で入れて、店内に入ったら、冷ための対応をされた。私の勤務先の商社名、それもNY支店の機械部あたりの名義で予約したら、ひょっとして対応がちがったかも知れない。おまけに、注文した「ミディアム・レア」のビフテキが、ウェルダウンに近かった。従業員を呼んで、ウェルダウンを引かせて、もう一度「ミディアム・レア」を作らせた。同席していた私のもうひとりの妹の主人が、あとで「あれは行き過ぎではないか 場の雰囲気を壊す」と言っていたらしいが、私から言わせればとんでもない。(彼はわれわれ家族とは異文化の、伝統的日本社会の人)注文通りのものを出さない店が悪いのである。「ミディアム・レア」で注文を受けておきながら「ウェルダウン」を出すのであれば、はじめから「お肉の焼き加減は、いかがいたしましょう?」などと聞くな!肉の焼き加減などどうでもいい客と、肉料理が売り物のはずの店。ビフテキではなく、「焼き肉」または「炭状に焦げた元牛肉」とでもしろ!ロンドンで同じようなめにあったことがある。英国には、エスニック料理(要するに外国料理)以外、うまいものはないが、それでもイングリッシュ・ブレークファーストとローストビーフは有名である。フランス人の朝食はベッドでのカフェだけらしいが、英国人はたっぷり量のある朝食をとって、それがイングリッシュ・ブレークファーストと呼ばれる。極めて美味であると紹介されることもあるが、日本人が同じ素材で料理すればきっともっと美味になるだろうという程度のものである。それでも、英国でうまい食事をしたければ、イングリッシュ・ブレークファーストを朝・昼・晩の三食食べろというジョークもある。フィッシュ・エンド・チップス(フィッシュェンチップス)というものがある。揚げた魚(コッド 鱈)とチップス(ジャガイモの揚げたの)(米国や日本でいうポテトチップス えびせんのようなものとは違って、短冊形に切ったジャガイモを揚げたもの)を新聞紙に包んで出してくれる。もともとこれなどは、下賤なたべものであるからして、包んでくれる新聞も、階級社会の英国の下層階級が読むセンセーショナルな記事満載のタブロイド誌で包んでもらうと味がひと味違うという説がある。特にタブロイド誌の三ページ目に定番としてのっている、見事な肉体のヌードのお嬢さんの写真あたりで包んでもらうと、もうひと味違うかも知れない。ところで、英国人は実質ほとんど料理をしない。ごく単純に揚げたり煮たりするだけで味付けなどはほとんどしない。味付けは、塩胡椒やソース類にたよることになる。このフィッシュ・エンド・チップスもそういう状態で出てくる。塩やソースをかけて食べるらしいが、その不味さがスゴイ。これが英国名物なんてお笑いだ。英国のマクドナルド的な「ウィンピー」というチェーン・レストランがある。よくもこれほどマズイものを作れるものだというほどすごい「料理」を出してくれる。まあ、英国人の舌には、味覚のセンサーがついていないのだからしょうがないが、それにしても・・・である。では、英国人の舌はなんのためにあるのだろう?不味い食い物を搬送して喉に放り込むためなのか?母音が世界一多い言語である英国英語を話す際に、多彩な母音を発音するための器官なのか?それとも、これも世界一多いといわれるゲイの人達が、フレンチキッスをするためにあるのだろうか?で、ローストビーフであるが。ロンドン案内を読むと必ず出てくるローストビーフの名店に行ってみた。店名は忘れた。ウェイターがちょっと慇懃無礼風に出してきたローストビーフ、これが見事にウェルダウンである。それも焦げて黒くなっている。もちろん肉はパサパサ・・・というより焦げてカリカリである。私もカリカリ来て、このカリカリビーフを突っ返した。いったい「ウェルダウン」で受けておいて、こんなカリカリ・ウェルダウン・・・というよりチャコール(炭)をどうして焼くことが出来るんだろう。この肉の焼き具合というのが、国によってちがうと思う。欧州はややよく焼く、つまりウェルダウン・サイドである。アメリカは、ちょっとレア・サイドかな?フランスもそうだと思う。話題がOBしてしまったので、寿司屋での二時四時の話は、明日書くことにする。
2005.08.02
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ロンドンで連続多発テロが発生。地下鉄の複数地点で爆発。現在(夜10時半)の情報では、45人が死亡という。■ その中の「地下鉄RUSSELL SQUARE STATION ラッセル・スクエアー駅」というのは、私がロンドンではじめて泊まったホテル「ラッセル・ホテル」や、大英博物館の最寄り駅でもある。スクエアーというのは、四角い広場のことで、これは哲学者として有名な「バートランド・ラッセル」の実家の名前を取った広場だ。米国英語だと「パーク」になるのかな?ロンドンで駐在だった頃に、ラッセル家の一族の人間と商売をする機会があった。その話は明日にでも書こう。■ テレビ朝日の「報道ステーション」では、「地下鉄 MOORGATE駅」のことを、モールゲイト駅と書いているが、これは大間違い!テレビ朝日のロンドン駐在員の英語力がわかるというものだ。(この駅は、私がロンドン駐在だった頃のオフィスの最寄り駅だった)ネットで検索すると「ムーアゲイト駅」と書いているものが多いが、これも間違いに近い。また、「モーアゲイト駅」と発音しても間違いではないけれど、正しくは、というか実勢では「モーゲイト駅」だ。ロンドンのシティーの人間やインテリ達は、「モーゲイト・ステイション」と呼ぶ。英国のロンドンおよびその周辺、南イングランドのインテリ階級の話す英語RP(Received Pronunciation)では,、「R」を発音しない傾向がある。例えば、sure という言葉を、米国人なら「シュアー」と言うだろうけれど、彼らは「ショー」に近く発音する。というわけで、MOORGATEから「R」を抜くと、MOOGATGE モーゲイトになるのだ。一方、ロンドンの下層というか、下町っ子というか、コックニーと呼ばれる人達がいる。テームズ河の東海岸に住んでいるので 「EAST ENDER イースト・エンダー」とも呼ばれている人達だ。彼らは、オーストラリア訛りの元祖となった、伝統的な独特の歌うようなメロディアスなアクセントを持っている。おそらく彼らなら、「モーガイト・スタイション」と発音するはずだ。 〓 〓 〓 〓 〓 〓こんなに、事件性を鑑みない、のんびりしたことを書いていると、今に叱られそうだ。ただね~。砲火と時限爆弾が、【毎日】(毎日24時間ですよ)、炸裂していた、ヴィエトナム戦争中のサイゴン(今のホーチミン)に、3年も駐在していた私から見れば、一過性のテロなんて、どうってこと無いのよ。全く怖いとも思わない。申し訳ないけれど・・・。それでもやはり、少しは怖がって見せなければいけないかな~?では、「怖い怖い!」~~~ 続く ~~~
2005.07.08
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今日は先に【復刻日記】を書いた(コピーしただけだが)が、今度は二本目の日記、【当日日記】である。【当日日記】庄内さんが「英国人の紅茶離れ」というテーマで書いている。http://d.hatena.ne.jp/tak-shonai/#check失礼して、許可無く紹介させていただく。 □□□□□□□□英国人があまり紅茶を飲まなくなっているそうだ。コーヒー、炭酸飲料、ハーブ茶、フルーツ茶などに押されているらしい。調査によると、80%近くの英国人が紅茶を飲んでおり、65歳以上では 85%前後になるが、15-24歳では 72%に落ちる。若年層の紅茶離れが目立つ。(参照)ふーん、私は英国人は全員紅茶を飲むものと思っていたけれど、そうでもないのだな。意外な結果である。~~~庄内さんが参照した記事は下記。2005年05月18日(水) 「英国人のティー離れ進む」(時事通信) 【ロンドン17日】英国人は昔からティー(紅茶)とは切っても切れない民族だと言われてきたが、最近ではコーヒー、炭酸飲料、ハーブ茶、フルーツ茶などの飲み物、あるいはグリーンティーといったスペシャリティ・ティーに押され、伝統的なティーは肩身が狭くなった。市場アナリスト会社ミンテルが17日公表した統計によると、2002-04年の2年間に、標準的なティーバッグの販売は16%落ち込み、ティーバッグ入りでないティーも9%減少した。(写真はティーを飲むブレア英首相) 対照的に、ハーブ茶とフルーツ茶の売り上げは30%も伸びた。スペシャリティ・ティーに至っては50%も売り上げを伸ばした。 英国人は日々、イングリッシュ・カッパ(cuppa=1杯のティー)を飲み、争いごとなどがあった時にもティーをぐっと飲み干すのが伝統だったが、ティーは今ではコーヒー、フルーツジュース、ソフトドリンク、ボトル入り飲料水などの他の飲み物との厳しい競争にもさらされている。 ミンテルの上級市場アナリストのエレン・シールズ氏は「メーカーは伝統的なティーをもっと時代の流行に合った飲み物にする工夫が必要だ」と指摘している。 ミンテルが過去2年に消費者2万5000人を対象に調査したところでは、80%近くの英国人がティーを飲んでおり、65歳以上の人だけ見れば85%前後になるが、15-24歳では72%に低下する。〔AFP=時事〕 □□□□□□□□記事は以上。私は昔、ロンドンに駐在していたことがあったが、その時の経験から言えば、ロンドンの人間の大半はコーヒー党だと信じて疑わない。私達のオフィスでは、自分でキッチンで、紅茶かコーヒーを沸かすので、オフィス内のシェアがわかる。だから、いくら英国人と言っても、80%以上などと言う紅茶のシェアは、「英国帝国探偵社職員」?の私には信じられない。そういえば、インドネシアにトラジャ・コーヒーという有名なコーヒーがあって、独特の香りと味があった。インドネシアのコーヒーは、これだけではないらしいが、いずれにしても、昔、オランダの東インド会社がコーヒーの種をインドネシアに持ち込んで栽培したものが大当たりしたらしい。オランダが他にインドネシアで栽培て財をなしたものに、丁子(ちょうじ)がある。英語ではグローブ。通販サイトでこういう説明がある。~~~カレーやシチューのスパイスとして有名なインドネシア原産のハーブです。 形が釘に似ているため、日本では丁子と呼ばれますが、英語のクローブもフランス語の釘(クル)から転じたものです。 薬としてのクローブは健胃、鎮嘔、鎮痛、興奮剤としての腹痛、下痢、胃腸病の治療に使われる他、歯科での消毒、防腐、止痛剤として虫歯の治療に用いられます。また風邪薬としても用いられます。 日本では古くから日本刀の錆止めとしても使われてきました ~~~うっ!日本刀のさび止めとして用いられたのを知らなかったとは、武士の子孫として面目無いことだ。私は本場の味のインドカレーを作るが、丁子も入れる。それから、ホットウヰスキーの中に入れられる。私がインドネシアにいた頃、オフィスの現地社員は、丁子のタバコを吸っていた。強い芳香がして、味も舌がちょっとしびれるような、強いうぃきょうの様な味がする。一時、日本でもサーファーの間で流行った。多分、バリ島で覚えたものだろう。~~~ところで、私は、ずっとミルクティー派だったのに、最近コーヒーの美味しさに目覚めて、コーヒー党に変節してしまった。と言いながらも、私のコーヒーはちょっと変わっている。昔、インドのボンベイ(今はムンバイと地名が変わった)の支店で出てきた、濃くて砂糖一杯のコーヒーが(ひょっとしたらチャイだったかもしれないが)思い出されて、それを作って飲んでいる。そのコーヒーは、水を沸かしてお湯を作るのではなく、初めからミルクを沸かして、そこにコーヒー(または紅茶)に砂糖をたっぷり入れた濃厚なもの。薄いアメリカンも、凝った日本の喫茶店のブレンドコーヒーもいいが、このインド式もクセになるのである。~~~~~米国のオフィスでは、大きな瓶をひっくり返したようなコーヒーメーカーがあって、常時、薄目のアメリカンがグツグツ言っている。それをまた、大型のマグに入れて飲む。いかにもアメリカンである。それに比べると、私たちのロンドン・オフィスの方式はしょぼかった。まあ、私たちボスは、実際には飲み物をキッチンで作るということはほとんどしなくて、秘書やアシスタントの女性がつくってくれた。これは男女同権には反することなのかもしれないけれど、実態としてそうだった。それに、キッチンは女性同士のおしゃべりの場でもあったようだ。日本でもお茶くみ場は、男子禁制の talk of the town うわさ話の殿堂らしい。嫌いな上司に、ぞうきんの絞り汁を入れたお茶が用意されるのも、この現場らしい。私が英国の会社を訪問したり、会議に参加していると、飲み物が提供される。英国は、セルフ中心の米国と違って、専門のお茶くみおばさんがいることが多い。おばさんが入ってきて(秘書が来る時もあるが)、「How do you like it?」とたずねてくる。「With or without Sugar?」と聞いてくることもある。「With or without」と言う言い方が英国らしいと思う。頭の中での選択肢としてはまず、ティーか、コーヒーかを決めて、次の段階で、ミルクを入れるか、入れないかを、さらに次の段階で、砂糖を入れるか、入れないかを決める。もっとも、ミルクも砂糖も飲み物と一緒に、ポットに入って出てくる時もある この場合は、ミルクと砂糖はセルフとなる。決まったら、給仕のおばさんに、例えば「Coffee, White, NO-Sugar」、つまり「ミルク入りだが砂糖なしのコーヒー」となる。または「Tea, Black, Without sugar」、または「」などと言うように答える。White というのは英国独特の言い回しで、「ミルク入り」ということ。Blackはもちろん、「ミルクなし」である。ティーは、ティーカップに入ってくることもあるが、どちらかというと小さいながらもポットとティーカップがそろって入場してくることもある。やはり、給仕のおばさんの存在といい、ポットといい、英国の方が伝統と文化を感じさせる。機能の米国とは対照的である。なお、海外出張中の飛行機の中で、ティーが美味しかったのは、当たり前のようだが、BRITISH AIRWAYS同じくコーヒーが美味しかったのは、AIR FRANCEだった。ドライ・マティニーが一番美味しかったのは、米国国内線のユナイティッド航空だった。
2005.05.25
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しばらく日記を書かなかったが、みなさん、元気かな?今日は、ゲール語という言葉の話題を書こうかな。 ~~~~~~~~~なお、英国の歴史の一部については下記の日記に書いていますので、興味のある方はお読み下さい。「なぜ英国の皇太子は 『プリンス・オブ・ウェールズ』と呼ばれるのか?」 ~~~~~~~~~英語の歴史について面白い本があります。その本について書いた日記です。「英語の冒険 Adventure of English」【「英語」は、悪魔のようにイングランドに現れた。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ 私は英国にいた時、ウェールズのイギリス本島の南西部の、そのまた南西のイギリス本島の最果ての【コーンウォール】という地域に旅行したことがある。ここはイングランドではあるがケルト族の土地で、昔、ケルト語の一派である【コーンウォール語】という、言葉が使用されていたが、今はもうその言語人口は絶えてしまっている。イギリスという国は、もともとケルト人達が住んでいた土地で、そこにゲルマン人(デーン人=ヴァイキング アングロ・サクソン族など フレンチ・ノルマン=フランスに定住したヴァイキング)が侵攻してきて、ケルト人を中央から、それぞれ、ウェールズ・スコットランド・北アイルランド・アイルランド・フランスのブルターニュの各地方に追い払ったという歴史がある。このコーンウォールという地方は、田舎で、避暑地としてのイメージが強い。コーンウォール語は、同じケルト族の土地であって、隣接しているウェールズの人たちが昔使用していたケルト系の言語であるウェールズ語に近いものだったのだろうと推測できる。このコーンウォールの最先端は切り立った断崖絶壁で、その名も「Land’s End」、地の果てという。確かにこの場所に立ってみると見渡すかぎりの大西洋で、ここが陸地の最後であるという実感がわく。今は、この際先端の部分がある企業に買い占められてしまっていると聞いたが。 ~~~~~~~~~つまり英国におけるケルト人達は負け組で、ケルト語もイギリス語とはならず、ゲール語というローカル言語として今に残っている。しかし、このゲール語は、現在しゃべれる人口が少なくなっている。そのゲール語も、アイリッシュのしゃべるゲール語と、スコットランド人のしゃべるゲール語は少しちがうようだが、ウェールズでだけは、ゲール語とは呼ばず「ウェールズ語」とよばれている。ウェールズ語も言語人口は少ない。しかし、最近は復活のきざしがあらわれて、学校でも授業があるそうだ。それにウェールズでは、道標の地名が英語とウェールズ語で併記されている。一般にウェールズ語の方が長い。北ウェールズのアングルジー(Anglesey)島に世界一といわれる長い地名の駅がある。短縮してスランフェアPGと呼ばれるが、正式には Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllanty siliogogogoch。これで一語なんだよ!これは「聖ティシリオ洞窟前の渦巻く早瀬のそばにある白いハシバミの木の近くの窪みにある聖メアリ教会」の意味だというが、オイオイ!普通は「聖メアリ教会」ぐらいで、手を打つんじゃないの?私はロンドンにいた時、一度このウェールズ語だけで話されるドラマをテレビで見た(聴いた)が、なんとも奇妙な言語に聞こえたと同時に、アイリッシュやスコティッシュの人たちの英語における特有のアクセントが、このウェールズ語・ゲール語のアクセントから来たのだということがわかった。 ~~~~~~~~~私がこのコーンウォールに避暑に出かけたのはもう、かなり昔の話になる。Land’ End を見学してから、そのPenzanceという地域の中の古代からの町だというMarazionという小さな町へ行き、その近くの民宿で泊まったのだが、そこに私はなんと、対岸のフランスのノルマンディー地方にある有名な寺院、モン・サン・ミシェル Mont Saint Michelとそっくりな島を見つけたのだ。このモン・サン・ミシェルには、私も行ったことがあるが、エジプトのピラミッド、ローマの円形闘技場に次ぐぐらいの感動を感じた。先ずはモン・サン・ミシェル Mont Saint Michelの方から見てください。モン・サン・ミシェルの地図次いで、英国版のモン・サン・ミシェルを見てください。こっちの方は、名前もそのまま英訳しただけの「聖ミカエル(マイケル)山 St Michael’s Mount」なのだ。聖ミカエル山 St Michael's Mount, MarazionSt Michael's Mount, Marazionの地図上のリンクで写真を見てもらえるとわかるのだが、島礁というか、細いコーズウェイ causeway という「巨大なあぜ道」の様な道路で陸地とつながった小島で、その小島一杯に円錐形の寺院が建っている。それもモン・サン・ミッシェルとそっくりなのだけれど、比較するとかなりしょぼい。スケールも劣るし品格や美しさも落ちる。モン・サン・ミシェルについては、みなさんご存じだろうと思う。Google の「イメージ」で検索すると画像が一杯出てくるはずだ。古代ケルトの神話では、神秘の船がこの島に死者の霊を運んでくると信じられていたという。また、昔は、Mont Tombe (墓の山)と呼ばれていたという。モンは、フランス語で『山』。サンは『セイント=聖』ミシェルは『ミカエル=マイケル』つまり、『聖ミカエルの山』で、ベネディクト派の壮大な寺院がある。すでに述べたように、このウェールズという国はケルト民族の国。アングロサクソンに追い落とされたブルトン族というケルト人が対岸のフランスに逃げて作った国が「ブルトン=ブルターニュ」。その「ブルターニュ」から見た対岸を「大ブルトンGreat Briton」と称して今の英国の国名になっている。だからフランス側に、モン・サン・ミシェルがあって、英国ウェールズ側には、聖ミカエル山があるのは不思議ではない。で、この近くにトリスタンとイゾルデの墓があるという。明日はこれについて書いてみたい。 ~~~~~~~~~これは先ほどあるサイトで読んだ事だが、この英国版モン・サン・ミシェル、聖ミカエル山は、17世紀に英国を征服したフレンチ・ノルマン(ヴァイキングの一派でフランスに定住した)が、モン・サン・ミシェルを模して築いたものだという。なるほど、そうだったのか!しかし、本家のモン・サン・ミシェルそのものは、なにか古代民族の信仰の場なのではなかっただろうか?
2004.12.06
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私の日記は現在、実際のカレンダーから一週間遅れとなっている。書かなかった日が一週間あったからだ。この一週間をジャンプして、カレンダー・デイから書き始める手もあるが、考えてみればその一週間分を空白にするのももったいない。・・・となると、やはり復刻版日記で埋めよう。自分でも、過去の日記を読み直すことが出来るし。といっても、わずか数ヶ月前の日記ではあるのだが。ではでは。 ~~~~~~~~~ ハーフムーン・ストリート 01月22日(木) ---------------- 私はこの一週間、ここ楽天広場でいろいろな日記を読ませていただいたけれど、興味がある分野は主にいわゆる読書日記風のもの。毎日あたらしい日記を訪問しているが、実に充実した高度な日記があるものだと感心している。やはりあるところにはあるんだという思いだ。特に思索系や社会派や読書日記風の日記などにはすごいものがある。ただ書き手のみなさん、私に比べるとお読みになるスピードが速すぎる。一日一善・・・じゃなかった、一日一冊、読んでしまわれる。一日で読み切らないと読書日記にならないのかもしれないけれど。書き手のみなさんはプロか、プロ級の方々ばかりなので咀嚼力がスーパーなのだろうけれど、この違いはどこからくるのだろうか。私は特にこのごろ一冊の本に停滞?するのを楽しんでいるみたいにスピードが落ちている。いや、このごろは急に本を仕入れたから目移りがしてあの本をちょっと、この本をちょっと、それに新着の本をちょっと、・・・というふうに、食事マナーでいうと「迷い箸」になっているのだ。私も以前は読むスピードには自信があった。一日に本を二冊も三冊も読んでいた時がある。しかし今になって反省してみると、流し読み・飛ばし読みで読んでいたので、じっくり精読したわけでは無かった。いざ精読、またはそれに近い読み方をしてみると、本を読むのにも実に時間がかかるものだと思った。もっとも精読する必要のある本と流し読みでいい本というレベルというか、ジャンルというか、そういう本自体の性格の違いというものもある。一般的に小説類のようなフィクション系なら私でも一日で読める。たとえば昔は松本清張のミステリーが好きで、読み出したら止められないで、結果として一日で読んでしまう。これは誰でも経験することでは無かろうか。しかし、今私が買っている本はどちらかというと精読が必要な種類の本が多くて、内容も深くて広範にわたり、私としては一日で読破するなんてもったいなくてたまらないともいえる。同じ箇所を何度でも読みたいときもある。 ―――― ◇ ――――それに私は読書中に傍線を引くタイプである。「三色ボールペンで読む日本語」というベストセラーも買って、一時はこれを実行しようとした。重要事項にはブルーのボールペンで傍線を、もっと重要な箇所には赤、レッドの傍線、個人的興味の箇所にはグリーンの傍線・・・。こういう傍線の引き方をすれば読書が効率的に深く分析的に行え、再読の時の効率がまるでちがう・・・という理論。私は原則的にこれに賛成で実行している。ただ私の場合グリーンの傍線はめったに引かない。引くときはフィクション、つまり文学書関係である。普通の実用書や科学書、歴史書などではもっぱらその内容である新知識を吸収するという形になって、私個人の意見・感じ方などはあまり浮かび上がらないから、グリーンの傍線を引くケースはほぼ文学関係に限られている。興味ある小説などのなかで、作者の観察眼やコメントに同感な箇所に引くのだけれど、ときどき引きまくりの小説もある。 ―――― ◇ ――――私は米国人ながら英国生活が長く英国人と言っても言いいポール・セローという作家の本が好きなのだが、この人の「ハーフムーン・ストリート」という小説を最近読んでグリーン・ラインが一杯になった。特に前半部分である。この小説の概要は次のようなもの :米国人の若い女性がロンドンの国際政治研究所ではたらく内に(だからインテリ女性)、あるきっかけから副業として、いわゆるエスコート・ガール(一種のコールガール)をするようになり、英国やアラブのお金持ちやインテリのお相手をする。そのうちにハーフムーン・ストリートというロンドンのウエスト・エンド(高級地区)にあるある通りにあるフラットをパトロンのひとりからプレゼントされる。話はまだそれから続くことにはなるのだが・・・。この小説はこの若くて知的で魅力的で・・・それでいてとても冒険好きな女性の目を通して色々なことが語られるわけだが、この女性の目というのはもちろん作者、ポール・セローの目。普通の小説ではそれほど主人公の思考が語られることが無いように思うけれど、このセローは実に鋭いしなやかな分析や観察をして、この女性に語らせている。しかもなんていうか、実に私ごのみの思考なんだ。だからグリーンの傍線が増えることになる。 ―――― ◇ ――――このハーフムーン・ストリートは先に言ったようにウエスト・エンドという、まあ日本で言うと銀座のような高級商業地区にある。ピッカディリー・サーカスというウエスト・エンドの中心からまっすぐにハイド・パークに伸びる大通りがピッカディリー。そのピッカディリーに対して直角に、いわば櫛の歯のように平行にいろいろなストリートが延びている。たとえば有名なボンド・ストリートなどもそんなストリートの一つで、それこそ世界の一流ブランド、グッチとかシャネルとかカルティエだとかが軒を連ねている。それなのにボンド・ストリートの一つ隣のハーフムーン・ストリートとは、むしろひっそりとした人目につかない気配がある。一流店などは目につかない。だからこそ、あの主人公の女性のおしゃれな隠れ家、フラットなどがあってもおかしくない。 ーーーー ◇ ーーーー私は以前からこのハーフムーン・ストリートという通りの名前が、何となくロマンティックな気がして気にかかっていた。この通りを歩いてみると中程に通りの名前そのままのハーフムーン・ホテルというホテルがあった。ある時、日本からのお客の宿泊用にこのホテルを初めて予約してみた。念のために下調べとして訪問してみると決して大きなホテルではない。むしろこじんまりしている。しかし内部のインテリアなどにある種の古風な優雅さがあって、私としては気に入ったと言ってもいい。日本からそのお客が到着してそのホテルに送り込んで、そのホテルから出てみると、ちょうど夕刻だった。このストリートから出るピッカディリー大通りの上空あたりの空が赤く染まって、沈んで行く紅くて大きい夕陽が、このストリート全体を照らしていて、まるで私の人生に何か荘厳なことが起きたような一種特別な気持ちがした。
2004.07.27
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私はこの一週間、ここ楽天広場でいろいろな日記を読ませていただいたけれど、興味がある分野は主にいわゆる読書日記風のもの。毎日あたらしい日記を訪問しているが、実に充実した高度な日記があるものだと感心している。やはりあるところにはあるんだという思いだ。特に思索系や社会派や読書日記風の日記などにはすごいものがある。ただ書き手のみなさん、私に比べるとお読みになるスピードが速すぎる。一日一善・・・じゃなかった、一日一冊、読んでしまわれる。一日で読み切らないと読書日記にならないのかもしれないけれど。書き手のみなさんはプロか、プロ級の方々ばかりなので咀嚼力がスーパーなのだろうけれど、この違いはどこからくるのだろうか。私は特にこのごろ一冊の本に停滞?するのを楽しんでいるみたいにスピードが落ちている。いや、このごろは急に本を仕入れたから目移りがしてあの本をちょっと、この本をちょっと、それに新着の本をちょっと、・・・というふうに、食事マナーでいうと「迷い箸」になっているのだ。私も以前は読むスピードには自信があった。一日に本を二冊も三冊も読んでいた時がある。しかし今になって反省してみると、流し読み・飛ばし読みで読んでいたので、じっくり精読したわけでは無かった。いざ精読、またはそれに近い読み方をしてみると、本を読むのにも実に時間がかかるものだと思った。もっとも精読する必要のある本と流し読みでいい本というレベルというか、ジャンルというか、そういう本自体の性格の違いというものもある。一般的に小説類のようなフィクション系なら私でも一日で読める。たとえば昔は松本清張のミステリーが好きで、読み出したら止められないで、結果として一日で読んでしまう。これは誰でも経験することでは無かろうか。しかし、今私が買っている本はどちらかというと精読が必要な種類の本が多くて、内容も深くて広範にわたり、私としては一日で読破するなんてもったいなくてたまらないともいえる。同じ箇所を何度でも読みたいときもある。 ―――― ◇ ――――それに私は読書中に傍線を引くタイプである。「三色ボールペンで読む日本語」というベストセラーも買って、一時はこれを実行しようとした。重要事項にはブルーのボールペンで傍線を、もっと重要な箇所には赤、レッドの傍線、個人的興味の箇所にはグリーンの傍線・・・。こういう傍線の引き方をすれば読書が効率的に深く分析的に行え、再読の時の効率がまるでちがう・・・という理論。私は原則的にこれに賛成で実行している。ただ私の場合グリーンの傍線はめったに引かない。引くときはフィクション、つまり文学書関係である。普通の実用書や科学書、歴史書などではもっぱらその内容である新知識を吸収するという形になって、私個人の意見・感じ方などはあまり浮かび上がらないから、グリーンの傍線を引くケースはほぼ文学関係に限られている。興味ある小説などのなかで、作者の観察眼やコメントに同感な箇所に引くのだけれど、ときどき引きまくりの小説もある。 ―――― ◇ ――――私は米国人ながら英国生活が長く英国人と言っても言いいポール・セローという作家の本が好きなのだが、この人の「ハーフムーン・ストリート」という小説を最近読んでグリーン・ラインが一杯になった。特に前半部分である。この小説の概要は次のようなもの :米国人の若い女性がロンドンの国際政治研究所ではたらく内に(だからインテリ女性)、あるきっかけから副業として、いわゆるエスコート・ガール(一種のコールガール)をするようになり、英国やアラブのお金持ちやインテリのお相手をする。そのうちにハーフムーン・ストリートというロンドンのウエスト・エンド(高級地区)にあるある通りにあるフラットをパトロンのひとりからプレゼントされる。話はまだそれから続くことにはなるのだが・・・。この小説はこの若くて知的で魅力的で・・・それでいてとても冒険好きな女性の目を通して色々なことが語られるわけだが、この女性の目というのはもちろん作者、ポール・セローの目。普通の小説ではそれほど主人公の思考が語られることが無いように思うけれど、このセローは実に鋭いしなやかな分析や観察をして、この女性に語らせている。しかもなんていうか、実に私ごのみの思考なんだ。だからグリーンの傍線が増えることになる。 ―――― ◇ ――――このハーフムーン・ストリートは先に言ったようにウエスト・エンドという、まあ日本で言うと銀座のような高級商業地区にある。ピッカディリー・サーカスというウエスト・エンドの中心からまっすぐにハイド・パークに伸びる大通りがピッカディリー。そのピッカディリーに対して直角に、いわば櫛の歯のように平行にいろいろなストリートが延びている。たとえば有名なボンド・ストリートなどもそんなストリートの一つで、それこそ世界の一流ブランド、グッチとかシャネルとかカルティエだとかが軒を連ねている。それなのにボンド・ストリートの一つ隣のハーフムーン・ストリートとは、むしろひっそりとした人目につかない気配がある。一流店などは目につかない。だからこそ、あの主人公の女性のおしゃれな隠れ家、フラットなどがあってもおかしくない。 ーーーー ◇ ーーーー私は以前からこのハーフムーン・ストリートという通りの名前が、何となくロマンティックな気がして気にかかっていた。この通りを歩いてみると中程に通りの名前そのままのハーフムーン・ホテルというホテルがあった。ある時、日本からのお客の宿泊用にこのホテルを初めて予約してみた。念のために下調べとして訪問してみると決して大きなホテルではない。むしろこじんまりしている。しかし内部のインテリアなどにある種の古風な優雅さがあって、私としては気に入ったと言ってもいい。日本からそのお客が到着してそのホテルに送り込んで、そのホテルから出てみると、ちょうど夕刻だった。このストリートから出るピッカディリー大通りの上空あたりの空が赤く染まって、沈んで行く紅くて大きい夕陽が、このストリート全体を照らしていて、まるで私の人生に何か荘厳なことが起きたような一種特別な気持ちがした。
2004.01.22
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