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1920 年代の魅力的なパリをカラーで見る
2023.09.04
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複刻記事パリのマダムとの想い出 PART TWO 怖い女性の話の続き。 私はその魅力的なバーのマダムに、思い切って、「私は、あなたが欲しい」と直裁に言ってみた。そうしたら、「I’m not for sale 私は売り物じゃないのよ」と言って、プイと横を向いた。そうキッパリ言われると、逆にどうしても彼女をものにしたい!、という、強い男の意気が、私の心の中に芽ばえた。 昔から、私はシャイなくせに、難攻不落な、日露戦争における陥落不能な旅順203高地のような女性を見ると、攻撃本能がうずき出す。 相手にとっては迷惑な話だが。 年上の女性が好きという、私の弱点も作用したのかも知れない。 「私のこの純な想いをぶつければ、必ず彼女は私を受け入れる。」そういう、不条理な確信があった。 日本人の女性には極めて臆病な私だが、不思議なことに、外人の女性には、恥を知らないのだ。 日本人の女性の好意には極めて鈍感な私だが、外人女性の好意は鋭敏に感じ取るアンテナも持っているのだ。 日本では、恋人も満足に出来なかった私だが、海外では、女性とは、ほとんど、いいことばっかりだったし。 (オイオイ)それから私の口から、「私はいつまでもここに座って待っているから」とか、「今夜、私はあなたのフラットに泊まりたい!」などと言う普段の紳士的な?いや、臆病な私からは考えられない、大胆不敵というか、馬鹿というか、そういう言葉がなめらかに出て来た。これはアラブでの修行僧のような生活からの環境の激変と、旅の恥はかき捨て、という健全な思想がベースになっていたと思う。しかし・・・、せっかくそういう言葉をかけても、彼女は顔色も変えず私を無視し続ける。 私は店のママが、店の女性の邪魔をしたとなると、店の女性に対して、しめしがつかない・・・ということだろう・・・と、都合のいいように考えた。だから、普段から女性にマメでない私だから、そんな屈辱的な状況なら席を立つはずなのに、その時はなぜか、いつまでもグズグズとカウンターに座っていた。 一方、私の後輩の方はバーガール達と、不自由な英語同士で(笑)、楽しげに歓談していたが、そのうちに、その一人についに陥落して、シャンペンをおごった。バケツに入った氷の中にナプキンにくるまれたシャンペンが出て来て、私も少し頂戴した。このシャンペンは、結局、両性の合意を示すものらしいが、もちろん「男性は女性を、女性は男性を、永遠に愛します」というものではなく、一期一会の合意で、まもなく、彼はどこかに消えて、それからしばらくして、どこからか、あらわれた。 末代までのちぎりを交わすことはなかったようだ。そうして満足そうにビールを飲んでいる。 以心伝心、魚心あれば水心。 私は何も言わず、彼の健闘を祝した。ところが、そういう私の好意にもかかわらず彼は、「alexさん 私、もうそろそろ失礼します」と、冷たいことを言うではないか。 仕方がない。いつまでもここで、私のお供をさせるわけにもゆかない。 一期一会のちぎりはすんでしまったらしいし、自由な空に飛び立たせてやらなければいけない。 「そうか。 私は今晩はホテルに帰らないつもりだ 私のスーツケースよろしくね」と言ったら、こころよく、「わかりました 私はこれから自分でいろいろ廻ってみます」と、買ったばかりのパリの地図をかざした。 残った私も、そのうちに空腹になったので、店の外に出て、食事をしてまたバーにもどった。 店にはジュークボックスがあって、客やバーガールがコインを入れて、当時のヒット曲を聴いている。ときどき、バーガールが私に「ジュークボックス用のコインちょうだい」とねだるので、あげる。 彼女たちも、ママにお熱の私のことは、商売的にはすっかりあきらめているのだ。そのうち私は、ジュークボックスで、昔好きだったプラターズの「Only You オンリー・ユー」と言う曲をかけて、静かに聴いていた。そうすると、それまでずっと仏頂面だったマダムが私を見て、一瞬、ほほえみを浮かべた。 私の彼女への「想いの曲」だと思ったようだ。これはラッキー。これで、なんとなく、このブロンドの旅順要塞攻撃の戦勝が見えてきた気がした。 彼女も、もう私に「帰れ」とは言わなくなったし・・・。ついに夜も深くふけて、ていうか、丑三つ時の二時近くになった。このバーの女性達はもうみんな帰宅してしまっていて、店にいるのは私とマダムと、もうひとり、店の女性の中ではチーフ格らしい女性との、三人だけとなっていた。マダムは店を閉めて、灯りをほとんど消して、今日の売り上げを彼女と数えだした。 難しい顔をして、電卓を片手に計算を繰り返している。 外人はこういう計算は苦手だと聞いている。 私は数学(代数・幾何)は苦手だが、足し算は得意だ。 「計算を手伝おうか?」と親切で言ったが、「必要なし」とピシャリと言われてしまった。それもそうだ。そのうちにマダムとチーママ?が、私に「シー!」と、静かにしろと言う。 「ポリスが巡回して来たから」と言う。しばらく、私も物陰に身を潜めた。どうも深夜二時頃以降は、営業をしてはいけないらしい。すっかり店の人間のような気持ちになっている私は、「もしポリスが踏み込んできたら、私は客じゃない・・・と言えばいいよ!」とマダムに提案したが、あっさり無視された。 私が客じゃないって、それ、私だけが思っているだけじゃない? 確かに。 思いこみはいけない。 計算を終えたマダムは、わくわくしている私と、チーママとの三人でタクシーを拾い、モンマルトルの高台のアパルトマンに帰った。エレベーターはあの古いフランス映画に出てくるスケルトン・タイプのもの。つまり動物園の動物の檻(おり)のような鉄製の黒いエレベーターで、ドアは手動。 動き出すと「ウォ~~ン」と言うモーターのうなりが聞こえ、檻は上昇して行く。 目的の階に着くと「ゴトン!」と止まる。 折りたたみ式のドアを、ガシャンと手動で開く。パリだな~!チーママは、まだついてくる。おじゃま虫なのに、わからないかな~。 部屋で、三人でしばらく酒を飲んだ。その時やっと気がついたが、マダムは英語を流ちょうに話すのだ。おかげで、会話を通じて私が何者かも、徐々に理解したらしい。そのうちに、マダムは私を、さして危険ではない男と判断したらしく、チーママに「帰ってもいい」と言い、私に、「彼女にチップを上げて」と、ささやいた。タクシー代、それに時間外勤務と納得して、かなりの額のチップをわたした。ケチだと思われてはいけない。・・・というわけで、警護役を兼ねていた憎いチーママは、とうとう帰宅していった。これはうれしかった。 ーーーー マダムが引き詰めた金髪を解いたら、髪は腰まであった。それに、2人になってはじめて気がついたが、彼女はスカートじゃなくて、スラックスをはいていた。ていうか、アフリカ探検隊のようなサファリ的な服装だった。 典型的なフランス女性は丸い体型をしているが、彼女はラテンよりゲルマン系の血が濃いらしくて、脚の長い、ヒップの位置が高い、引き締まった肉体美だったので、その方が似合っている気がした。 最後にもう一度ウィスキーを飲んでから、彼女はキングサイズのベッドのシーツをめくり、2人でベッドに入った。ブロンドの旅順203高地要塞に砲撃を加えていたら、とつぜん、私の身体の下にいた彼女が、まるで獣のような大きな叫び声をあげて、あわてて、自分の手の平で自分の口をふさいだ。その瞬間、私は、彼女の声はあのエレベーターの空間を伝って、このアパルトマンの全館にひびいるのかな? 明日帰って行く時に、このアパルトマンの他の住人と出会うと、恥ずかしいな~などと、場違いな、日本人的なつまらないことを一瞬考えた。ブロンドの203高地が陥落してしばらくして、彼女がシーツをめくると、一部が大きく濡れている。 「ラメール(海)」と彼女がつぶやいた。・・・と、私は思ったのだが。 後に知ったのだが、これは「メルドゥ」というフランス語で、英語で言えば「shit ! シット!」、つまり「クソッ!」とか、「最低!」という言葉だった。シーツを替えて眠りについた。 私はずぶといところもあって・・・というか、冒険的な、危険と紙一重の状況が好きな人間なのででも、アルコールのせいもあったかな? こういう状況でも、不安感も無く、ぐっすり深く眠ってしまった。 翌朝、彼女は、ベッドの下に置いてある黒い電話機を取り出してチーママに少し遅れて行くと電話して、私の隣でもういちど眠りについた。シーツをそっと上げてシーツの下の彼女の肉体を眺めてみた。 部屋に溢れる陽光がシーツを透して差し込んで、彼女の身体がバラ色に輝いていて、長いブロンドが背中を覆っていた。 窓のカーテンが微風にひるがえって、鳥のさえずりもパティオから聞こえる。これで、やっと芸術の都、花の都を征服した気分になって、またウトウトとした。 文化・文明の違いを乗り越えるには、やはりまず女性を乗り越えなければいけない。 昼すぎに、本来宿泊しているべきホテルに帰って、後輩の部屋をノックした。 「あれからどうしたのか?」と聞いてみたら、パリ見物はそこそこに、名画?を見たらしい。 「セックス・エアラインズ」という題名のポルノ映画で、その機内では、スチュワーデス達が半裸の制服で(半裸の制服という前例のない、イレギュラーなものを、なかなか想像できないのだが)、機内の通路を歩きながら、各乗客にそれぞれ、非常なセクシー・サービスをしてまわるのだという。 「いいな~! その映画を見に行こうか? セクシー・サービスって、具体的にはどんなものなんだ?」 「alexさん、私はもう見に行きませんよ それより、あの鬼瓦(おにがわら)どうでした?」この後輩は、私のガールフレンドをかならず「鬼瓦」と呼ぶ、先輩思いで、礼儀正しい後輩だ。 「君も女性と消えたじゃないか? どうだった?」そう聞いてみたら、 「混血らしいですよ パパ・エジプト、ママ・スペインと言っていました」 ーーーー 私は翌日も、あのバーへ行き、前夜と同じようにマダムのアパルトマンに泊まった。 昼間は体力を温存するために(笑)賢明にも、本来の目的である文化と美術の都の観光は敢えて避けて、ホテルで安静に?過ごした。その夜、マダムに、「あの女性はエジプト+スペインの混血らしいね?」、と聞いたら、「彼女はアルジェリアよ」と軽蔑したように言い放った。パリではアルジェリア人が溢れていて、しかも昔植民地だったアルジェリアから流入してきたアラブ人ということで、ヨーロッパ人より格下に見られる傾向があるようだ。 勉強になった。その日ホテルにもどったら、後輩が、「alexさん、私はスーツケースの一時預かり係りじゃありませんよ いい加減にして下さい! それに、あなたは、まだ、パリで一度も、ホテルに泊まっていないじゃありませんか?」とズケズケ言って来る。確かに、パリのホテルにはまだ一泊もしていないと言っても、この後輩とは同じ大学の先輩後輩でもあり、いつも冗談ばかり言い合っている仲なので、彼が私に対して怒っているわけでは無くて、じゃれ合いのようなものだ。せっかくなので? 昼間は彼とパリをちょっと見物した。それにオフィスにも顔を出したが、こちらは中東プロジェクトの出張者で、パリ店と直接関係のある商売を担当しているわけでもないお邪魔虫なので、中東の話題などの雑談をサービス的に話して、それから日本レストランで駐在員と夕食を共にした。 駐在員は後輩から私のご乱行を聞いていて、「alexさんのような出張者は、初めてですよ」とあきれている。確かに、パリはまったく初めてなのにいきなり、ホテルに帰らない人間は、あまりいないだろうし海千山千のピガールのバーのマダムのアパルトマンに連日泊まり込むという日本人の出張者も、前例は無いだろうとは思う彼があきれるのも、もっとも、とは言えるただ、彼には、サウジというしょうれいの地(厳しい生活の土地)での、言語に絶する苦難に耐えてきた私に対する同情と理解それが不足しているようだ。とは言え、彼の情報によると、最近ある出張者がナイトクラブへ入ったら、睡眠薬入りの飲み物を飲まされて、気がついたらリュクサンブール公園に裸で寝ていたという。もちろん、金品などめぼしいものも全部盗られていたという。 「alexさんも、そういう目に会わないように気をつけて下さいよ」と、親切めかして、おどかしてくれる。 今のところ、私には冷たく接して愛情を示さないが、肉体的には私に愛情をしめしてくれる?マダムが、そういう恐ろしい女性だとは思わなかったから、余裕で笑っておいた。 == まだ続く ==
2018.03.06
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複刻記事 パリのマダムとの想い出 PART ONE (前略)さて、パリに行ったことがある人も多いと思うけれど、パリにはいろんな印象を持つと思う。 芸術の都、ファッションの都、歴史の都・・・。 私の場合、女の都だった・・・。(深く恥じ入る)と言うところで、私が、どういう知性と品位の持ち主か? がわかってしまうことになるのだが、この辺は事実だから、しょうがない。 話がとつぜん飛ぶが、「女の都」という映画があった。フェリーニの映画で「女の都」(1980) 出演/マルチェロ・マストロヤンニ アンナ・プリュクナル エットレ・マンニ バーニス・スティガース このアンナ・プリュクナルはマストロヤンニの妻役。 本業はシャンソン歌手。 日本公演を聴きに行った時に、妻の紹介で握手をして少々話をしたことがある。 私のセレブ体験リストに入れておこう。 ~~~~~~~~~では、私にとって、なぜ女の都なのか?ロワール河古城めぐりのツアーに乗って数日間、本来の私に帰って、歴史の世界に深い哲学的な想いをめぐらせたという唯一の例外はあるが、自慢ではないが、私はルーブルの美術館も、エッフェル塔にも行ったことがない。パリの誇る文化に一切触れていないのだ。 他の都市なら、博物館や美術館に行くのだが、パリは私にそれを許してくれなかった(としておこう)。それにはそれなりの理由があるので、それをこれから書いてみようと思う。それに「死にかけた話・女性編」の新作として、書いてみよう。 ~~~~~~~~~l 私がはじめてパリを訪問したのはずいぶん昔で、私もまだ若くて、独身で、結婚など考えもしない自由人だった。そんな私が、大型プラント・プロジェクトを狙って中東のある国に長期駐在していた時のことである。その頃のアラブ湾岸産油国には、発電所や飛行場や海水淡水化工場などの巨額プロジェクトがザクザクと転がっていて、私もその中で数件を受注した。 (この中東プラント・ビジネスについては、いつかまとめて書いてみたいと思う)しかしこういう国で、長期出張しているとビザを更新しなければいけない。ビザの延長も、初めはその国の内務省に申請すればよかったが、そのうちに一度国外に出て、その国の在外大使館で新規のビザを取得してから再入国しなければならなくなった。ビザがないと、こういう国では生命の危険がある。 (これについても、そのうちに書いてみたい) ~~~~~~~~~ 私が中東某国の飛行場の出発ラウンジにいると、真っ白い胴体のしゃれたエア・フランス機がふんわりと着陸した。エア・フランスだと、着陸さえ優雅な気がする。いよいよ、このエア・フランスにのって、禁酒と禁女性と(両方ともけしからん)、恐怖の国から数ヶ月ぶりに脱出して、明日は花の都パリに生涯初の訪問を果たすのだ! 芸術と文化を思い切り吸収しよう!・・・と、私の知的な心はおどった。 ===(途中省略)===いよいよ花の都(・・・くどいかな?)、パリに到着。パリという街は、慣れたロンドンに比較すると、街全体が厚化粧の銀座の女のような感じがした。 花粉ならぬ脂粉飛び交う街。ここでもう、女の都の予感がして、パリ空港からタクシーでパリの中心街に近づいたとたん、私は発情してしまったようだ。 長い中東での禁欲の中の激務、ご苦労さん!そういう風に、自分で自分をほめながら、パリ支店を訪問、私の本部担当の駐在員がちょうどその日、アパート(パリだからアパルトマンと呼ばなきゃ!)に泥棒に入られたと大騒ぎをしていたので、我々への接待どころではないらしい。これ幸いと?あいさつもそこそこに、ジョルジュ・サンクという最高級ホテルの一室にある某国のパスポート・セクションで新規ビザを申請する。さて、これでこっちのものだ!(何が?)ビザのできあがりは数日後だから、その間、私は完全にフリー。といっても、私は私の部下と一緒だった。 私の部の中東のプラント・ビジネスは、それまでほとんど何から何まで私一人でやって来たのだが、もう大プロジェクトを何件も成約して、そのおかげで傾きかけた部の成績も立ち直ったのだから、そろそろ後継者を養成して、私としては、後は出世街道をまっしぐらに?ばく進しようと思い、同じ課の後輩をトレーニングのために中東に呼び寄せていたので、こんどのビザ取得も彼と同行になっている。 花の都のパリで、先ずは花より団子、きれいなレストランで食事をして、・・・フランスパンは本当に美味だった。パンだけでもOKなぐらいだった。(それだけかい?)それからは芸術と文化の吸収の予定だったのだが、不思議なことに?イザとなると、「酒だ!女だ!」という気持ちになった。なにしろ東京では毎日のように飲んでいたのに、砂漠の某国では一滴の酒も飲めない。といっても、密輸の酒のルートがあるので支店長が密かに受け取りに行って、夜、密かに、みなで、ジョニー・ウォーカーの赤ラベルをすする。 不思議なことに酒はかならずジョニ赤。 一度だけギリシャのウーゾが混じっていたことがあるが。この飲酒厳禁の国に密輸ルートがあるのは不思議だが、噂では王子の一人の秘密のビジネスなのだという。 王子の方はそれでいいだろうが、私達外国人が飲酒や酒の携帯を見つけられると牢屋入りとなる。だから、気持ちとしては命がけでジョニ赤をすするのだ。たまに使用人の友人が使用人を訪ねてきて、社宅のベルを押す。 「警察か?!!!」と驚愕しながら、ウィスキーを隠したりすることもある。 「それほどまでに飲みたいか?」と言う声もあるだろうが、人間というものは禁じられるとますます欲しくなるようなものだ。 美人の人妻のようなものだ。 (あ 私の人格・品格を疑われるような冗談はやめよう)そういうわけで「酒の一滴は血の一滴」だったのだ。 軍国日本では、「油(石油)の一滴は血の一滴」と叫んで、石油の大切さを説いた。 米国に石油を禁輸されて、備蓄石油は二年しかもたない。それで日本は、南洋の石油資源を求めて開戦、真珠湾攻撃に踏み切ったわけだが・・・。 ~~~~~~~~~lということで、我々はルーブル訪問の予定を急遽変更して(?)(初めから予定はなかったのだが)モンマルトルはピガールへ向かった。ピガールと言うところは、バーやキャバレーなどがギッシリのパリで一番いかがわしい歓楽の街だが、日本で言えば新宿歌舞伎町か? 一面、いかにもパリと言うところでもある。ムーラン・ルージュという赤い風車で有名なキャバレーがある。あとキャバレーで有名なのは、「カジノ・ド・パリ」やシャンゼリゼーにある「リド」が有名だ。 試しにバーに入ってみたら、雰囲気があの懐かしいサイゴンのバーとそっくりだ。 考えてみたら、それもそのはず。ヴェイトナムは昔、フランスの植民地で、植民地には街路樹と娼館を必ず作ったというフランス人達がバーをはじめたのだから、そっくりなのも当たり前、本家なのだ。 大きなカウンターがあって、テーブルセットが数組あって、きれいなセクシーな女性がずらりと並んで、丸い椅子に座っていて(中にはずらりでもないバーもあったが)、彼女たちに酒をおごって話をする。これは刺激が強い。 砂漠の某国では、女性の顔を見つめてもいけなかった。 女性の方も黒いマントに全身を包み、目だけ出していたり、顔面にカラス天狗のようなマスクをかぶっていたリなのに、ここではまぶしいほどの肉体に、ミニスカートからフィギュア・スケートの安藤美姫ちゃんのような艶やかな太股が・・・。 私はサイゴンの時もそうだったが、ハシゴをするクセがあって、女性との知的な会話はそこそこに、いろんなバーやクラブを廻った。 目移りがする性格なのだ。 ~~~~~~~~~そのうちに、あるバーに入った。バーにはキンキラで照明が明るくて、フランス独特の壁面をガラス張りにする(そうすると奥行きが広い錯覚が生まれる)と言う店もあるし、反対に、やや薄暗い中に誘蛾灯のような照明といういかにもバーという店もある。その店は、後者の方で、かなり大きな店。 居心地が良さそうだなと思って飲んでいると、やはり女性達がよってきて、飲み物をおごってくれと言う。この飲み物の代金の一部(多分半分?)が彼女たちの取り分になるわけで、お話をするためには飲み物をおごって上げないといけない。それはサイゴンでの深いノウハウを持つ私の強みだ。だれを相手に選ぼうかな?と考えていると、カウンターに立っているブロンドの中年女性に、私の目が行った。 ~~~~~~~~~なぜか私は一瞬でその女性にひきつけられた。 彼女は、どうもこの店のマダム(ママ)らしい。 話しかける女性には上の空で、その女性をチラチラ見ていたが、彼女は客には無関心で何か考え事をしている。 私はまとわりつく女性達を振り切って(というのはおおげさ)、カウンターに近づいて彼女に、「何か飲みませんか?」と、たずねた。 彼女は私をチラと見て、「私はいいから、だれか女性を選んだら?」と答える。 彼女は背が高く、ブロンドの髪を引き詰めにしたキリッとした顔立ち。 強いて言えば、昔の俳優のアラン・ドロンの妻だったナタリー・ドロンのような、ニヒルな虚無的な、それでいて口許や目つきに淫らなところのある顔立ちで、態度も高ピーで、ちょっと投げやり。 私は、デボラ・カーのような高貴な修道尼のような聖的なタイプの女性に弱いが、下品で淫らな女性にも、・・・弱い。 弱いだらけで申し訳ないが、・・・ これはだれでもいい、と言うことではないと言うことを、強く言っておきたい!どれだけ説得力があるか?は、自信がないが、ここが極めて微妙なところなのだ。 淫らな女性は、とても魅力的なのだ。 私の鋭い知性も冷たい理性も(初めからあるかどうか?と言う疑問もあるが)、一瞬にして吹き飛んでしまう時がある。そういうものが、文学なんだな~。 (勝手に言ってろ?)
2018.03.05
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一昨日、書きかけたのだが中断してしまったもう一度、書いてみよう先般の旅行でパリ滞在中にロンドンへ一泊旅行を挟んだその顛末を書いておこう早く書かないと、もう、かなり忘れている(笑)----パリに、一週間以上の日程を組んでしまったのだが・ ロワール河古城巡り・ モン・ン・ミシェルと言う遠出をしないと決めたので日程がゆるくなったせっかくここまで来たので私の古巣の(笑)ロンドンへ行ってみたくなったそういうことになるかも知れないと思ってあらかじめ、ネットで、海底トンネルを潜ってのパリーロンドン間の、ユーロスター利用の往復については、調べておいた運賃が・ 時間・ どれだけ出発へ前か?によって、変動幅がずいぶん大きいのが心配だったがHIS事務所で調べたら以外にも・ 朝早くの便・ 夜、最終近くの便が、割高だと言う事がわかった向こう側でのホテル宿泊を避けて日帰りをしたい客やビジネスで日帰りをしたい客が多い(らしい)それなら、と言う事で昼間出発の便を予約したパリの宿は、以前にも書いたかな?オスマン・サンラザール駅に近いホテルをとったこの駅は、北駅(ガルデ・ノルドゥ)に次ぐ、利用客数第2の大ターミナル駅ただ、国際列車の発着はなくて、近郊行きの列車中心下町の駅である立地としては、パリのターミナル駅では、最も都心部に近く利便性が高い。デパート街オスマン通りやオペラ座にも、徒歩5~10分と近い。私は、昔のパリ滞在の経験から私の勤務する会社のパリ支店があったし宿泊も、その関係もあり、オペラ近辺で時には、高級ホテル(笑)だったのでオペラ通りが、日本の店も多く、観光バスの発着の拠点でもあると言う事を知っていたので今回、なんとしてでも、オペラ通り近辺のホテルを確保したかったのだが残念ながら、今回は、オペラ近辺のホテルは満員またはavailable であっても、高価なホテルしかなかったそこで、私に似つかわしくない、ゴタゴタした庶民の街ではあるが(笑)・ メトロが十本近く通っているというメトロ利便性・ および百貨店に近いという百貨店利便性・ オペラ通りに近いというオペラ利便性から、サンラザール駅近辺のホテルにしたホテルは・ 北駅近辺・ ピガール近辺も、考えたが北駅は・ 英国行きのユーロスター・ フランス新幹線・ 国際線・ シャルルドゴール空港への国鉄などが発着するという大変なメリットがある反面・ 治安がよろしく無い・ オペラから、やや遠くなると言う点が、ディメリットピガールは・ バー街がある・ 某女性との思い出がある(笑)と言う点だけ治安もよろしくないしということでサンラザール駅近辺のホテルとした----このへんで、チェコのプラハからのパリ入りについてポーランド・ワルシャワからチェコのプラハまでは夜行寝台とした以前、二度ほど乗ったことがあるので、懐かしいので、わざわざ乗ったのだがその時代は、まだ、厳しい共産圏同士で夜行寝台で寝ていると三回、たたきおこされたものだ1 国境でのポーランド出国のイミグレーション2 両替の御用聞き 通貨が変わるので3 国境でのチェコ入国のイミグレーションイミグレーションと言っても実質、憲兵みたいな連中こう言う場合、こちらがなんにもやましいことが無くてもなんとなく、不安なものだ彼等は、氷のように無表情で威圧的なソ連のそれよりはましだが、やはり、かなりの威圧感をただ寄せ競るまた、その方が、仕事が、はかどるのだろう----毎回そうなのだが私は、夜行寝台に乗ると、飲み過ぎてしまう個室寝台が、リラックスできるせいなのだろうか?それとも、夜の東欧の景色や長い停車をしたときの人気の無い駅舎などをみていると、旅情がつのるのか?一等の個室寝台はベッドが二段他の等級だと、三段それに、荷物を収容する図上の棚がある窓際には、小さな洗面台小さな戸棚を開くと石けんやフェイスタオルこれらは、アニメティーなので持ち帰りOKミネラルウォーターに、少しのクッキーやチョコレートもついている室内のライトも、小さな灯火になるようなスィッチもあるワルシャワから乗り込んだ乗客達はしばらくは、廊下に出て窓を開けて車外の風景を眺めている中には、見知らぬもの同士、会話を交わし「それで、あなたたちは、どこから来たの?」と言う質問があり「私は、チェコ人で、今からプラハに帰国するところ」と、チェコ人がポーランド人に答えているそれからは、お互い、チェコ語とポーランド語で話し始めたりするこのチェコ語とポーランド語は、同じ西スラブ語に属して,隣国だし言葉も、60%ほどは、互換である(ポーランド語とスロヴァキア語は、もっと近い)(ロシア語とウクライナ語、みたいなものである)私も、プラハに行くと、ポーランド語の片言を話すことにしているほとんど、通じるのであるこの記事は「その1」だが「その2」以降を書く予定ボチボチと、思い出しながら書いて行く ―――― 続く ――――
2014.10.16
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【台湾ブログ】日本食ブームのパリで日本人街を訪れてみた! こう言う記事が目についたが先般、海外旅行をしてパリには十日間ぐらい滞在したのでこの記事について私の意見を書いてみたい ―――― 記事 ――――【台湾ブログ】日本食ブームのパリで日本人街を訪れてみた!2013/01/13(日) 17:22 フランス・パリの日本人街を訪れた台湾人ブロガーのjessicainparisさんは自身のブログに日本人街で人気のある日本食レストランを紹介する文章を掲載した。 パリでは若者を中心に日本食がブームとなっており、パリのあちこちに日本食レストランが数多く存在するらしい。筆者は「パリの日本食レストランは本当に多い!」と感嘆の意を示すものの、多くの日本食レストランの経営者は中国人で、出される料理も名ばかりの日本食。筆者は「本当の日本料理ではない」と不満げだ。 日本食レストランの客はフランス人ばかり、パリには日本人もたくさん住んでいるはずなのに「彼らは一体どこのレストランに行くのだろうか」と思っていたら、パリには日本人街が存在することが分かったそうだ。いざ日本人街に行ってみると美容院、スーパー、書店、マッサージ店、日本食レストランなど、ありとあらゆる日本の店が軒を連ねており、夜には多くの日本人で賑わう様に「東京の街角にいるのだろうか」と錯覚したそう。 筆者は日本人街を訪れたついでに、自家製のうどんで有名な店や、日本人のあいだで人気の高い「おでん屋」など、いくつかのレストランを紹介。筆者が紹介した「おでん屋」はパリで唯一のおでん屋だそうで、おいしそうな匂いに引き寄せられて客が絶えないという。ただ値段が「台湾で食べる日本料理の3、4倍はする」らしく、お金持ちの日本人、もしくは日本料理が大好きなフランス人が来る店と紹介した。 日本人街のレストランは全体的に見て、ラーメン1杯が6.5ユーロから9.5ユーロ(約770円から1130円)、焼き餃子1皿が5ユーロから6ユーロ(約600円から720円)、飲み物が2ユーロから5ユーロ(約240円から600円)だそうで、日本の物価とさほど変わらない価格体系のようだ。(編集担当:畠山栄) ―――― ◇ ――――上述したとおり私はパリに10日間滞在したがロンドンへの旅行や、いろいろの旅行手配のためオペラ通りの日本の旅行代理店を数回訪問したそれに加えてオプショナルツアーの出発起点がある別の日本の旅行代理店だったのでそれでまたオペラ通りを訪問ということで、ほぼ毎日、訪問オペラ通りはパリを訪問したことのある人なら日本人なら一番なじみの深い通りで私の勤めていた会社のパリ支店があったとおりでもあり私自身も、目をつぶっても歩ける(笑)それに、・ 有名店が立ち並んでいる・ 日本やフランスのオプショナルツアーの起点「・ 日本の書店や免税店や日本のレストランが集中私も,今回オペラにあるホテルを探したのだが出発までに日にちがなかったこともあり非常に高いホテルしか空いていなかったそこで、オペラから、徒歩十分ぐらいの有るホテルに泊まったのだがその事についてはまた書こうそれよりこの台湾ブログがいう「パリの日本人街」だがそんなものがあるのか?私の結論ありません(笑)もちろんオペラ座通り沿いには上記の様に日系の店が多いだからと言って日本人街って、いいすぎそんな事を言うならあの辺はその他の国のレストランだって多いし密度的に日本人街などとは、とてもいないしいて言えばある、オペラ座と交差する通りの両側に10件あまりの日本レストランがあるそれだけだその日本レストランだが・ 寿司屋・ うどん屋・ ラーメン屋・ お好み焼き屋・ カレー屋・ 定食屋などがあるのだが日本レストラン等と呼ぶほどの高級なレベルの店ではないそれに味が・・・上手いとはとても言え無い日本の味のはずが串焼きに中国製のソースがかかっていて国籍不明の味になっていたりカレーだって日本に於けるようなこだわりのカレーなんかじゃない駅構内の早く食べれるだけが取り得のカレーそんな類のものだうどんでも腰のある讃岐うどんを期待してもムダたしかに国籍は日本だが・・・と言うものばかりそれに店員の質ほとんどが日本人の若い子達なのだが別にサービスが無礼だというのでもないのだがいかにも日本からフランスに来て一時的に,そこでアルバイトという感じの浮ついたものでだが客がいても仲間同士の雑談が止まらない「ここの人達(フランス人)って 本能だけで生きている感じじゃない?」などと同僚に言ってるのだが私も,そうは、思うのだが(笑)あんた達も,そんな感じだよ遠慮無いエゴイズムを本能と呼べばそういうことになるその国に来れば日本人も,その国に染まるフランスに来た日本人はフランス人的にちゃらんぽらんで自分の事しか考えていない感じでまあそんなところですよ(笑)懐かしい日本の味なんてものを求めるのならもっとちゃんとした日本レストランに行きなさい料金は,張るだろうけれどまた、他の場所では日本レストランと称しているものの八割がチャンコロいや、失言中国人の経営※ フランスでの中国料理屋の衛生状態が最低で免許取り消しが続いたのでチャン・・・いや、中国の方々は偽装日本料理屋として復活したと復活するな!それらの偽装日本料理屋は味もメニューも日本料理からははるかにOBしたものらしい似ても似つかないというかそれでいて名前は,チャンと日本料理の名前がついているらしい(笑)寿司なんかも,中国発祥の(笑)すごいのがあるらしいまあ、それを考えればマシだと言えるかもしれないのだが私は場所は場末のにあるが味は,本場の味の・ トルコ料理・ インド料理を堪能したこういうのが イチバン
2014.07.23
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「雨の朝巴里に死す」こういう題名の映画がある。今となってはクラシック映画のカテゴリーに入るかな?巴里はパリの漢字。昔は外国の地名も漢字だった。ロンドンは倫敦パリは巴里ベルリンは伯林ニューヨークは紐育【断腸亭日乗】を書き綴った永井荷風も、こういう漢字の首都をさまよったんだ・・・。国名だって、なかなかですよ・・・アメリカは亜米利加イギリスは英吉利フランスは仏蘭西ドイツは独逸イタリアは伊太利亜スペインは西班牙ポルトガルは葡萄牙ちょっと粋でしょう? ~~~~~~~~~この映画は、かなり古い映画で、主演は「絶世の美女 エリザベス・テイラー」。女優を論じる映画BBSで、少しは書いてきた私だから、洋画の女優さんについてはある程度論じることが出来ます。エリザベス・テイラーが一番美しかったころの映画でもあります。とこで、この映画の原作は、エラ・フィッツジェラルド・・・じゃなかった、スコット・フィッツジェラルドの原作です。(こういうわざとらしい間違いもどきはイヤミですね)スコット・フィッツジェラルドといえば、あの「偉大なるギャッツビー」の作者、あのゼルダの夫、あの・・・。いろいろ気にかかる人間の最たる人間ですね。私にとっての話ですが。私にとって気にかかる人間・・・。これらの人々ですが、これらの人々には限りません。もっといるのですが・・・。アラビアのロレンスアラビアの武器商人としての第二の人生を送った、この上ない謎の人物、詩人、ランボー。有名な映映画俳優、ヱロール・フリンの息子のショーン・フリン。 ★ ★ ★ 続く ★ ★ ★
2005.01.04
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