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パリで買った黒い革コートと女性達の想い出昔、中東プロジェクトを開発していた頃の話だがサウジでの滞在ビザが切れたので更新のためいつものようにサウジ大使館があるパリに出た大使館でビザ申請を提出し終わってから当時のパリでの彼女?であったマダム(BARのママ)のアパルトマンへアパルトマンの近くまで行って、電話したが不在この時は、前もって連絡しておかなかったのが悪かったのだが短時間の外出かもしれないと思い、とりあえず待つことにしてアパルトマンへの坂道とモンマルトル通りとのT字路交差点そこにあるガラス張りのバルで待つことにしたパリのバルには様々な人間がたむろしているその時、鮮明に覚えているのは、ひとりの黒人のおかまである私ほどの背丈混血の白人寄りの容貌だが、肌色は艶のあるマホガニー色もちろん口紅で女装である黒っぽいシックな洋服で、頭には粋なターバン立ったまま、小さな丸いテールに寄りかかりコーヒーを啜り、煙草をくゆらせている非常に色気のある美人?おかまである 待ち合わせをしているのか、それとも、客が声をかけるのを待っているのか?そのケがある人なら喜んで声をかけただろうがあいにく私はその方面には素質が無くてその色気が私を困惑させるだけなのだが今思えば、あの時、未知の冒険に踏み切って目くるめく快感に、むせび泣いた方がよかったかもしれないう~~ん過去の事なのに、心が乱れる(コレコレ)マダム宅に何度も電話するそのうちに初めて電話が、つながった「あら よく来たわね いらっしゃいよ! どこにいるの?」マダムはそうは言うのだが、後ろの室内が、人声でガヤガヤしている複数の人間がいる様子であるその旨の「懸念」を伝えると「家族・親戚が来ているだけ いいから来たら?」と平気であるしかし、私としては、私がマダムの若い燕(古い!)だと知ったら家族だか、親戚だかが、いったい、どう思うだろう?ふしだらだと思われないだろうか?(ふしだらなことをしているのだが)そういう日本人らしい潔癖な倫理観?から逡巡しているとさらに、マダム一行は、これから旅、ヴァカンス?に出るという事を知るオイオイ! それじゃ、ますます、私がしゃしゃり出て「私が、彼女にふしだらな事をしている相手です 申し訳ありません」と、恥を忍んで名乗る必要もないではないか?深い失望と憂愁の中、私は電話を切ったガチャン華のパリは確かに芸術の都だルーブルをはじめ博物館・美術館が無数にあるエッフェル塔をはじめとして有名観光スポットも溢れているしか~し私がパリを訪れる理由はただ一つ酒もたばこも映画もダメな、厳しい戒律のサウジアラビアで酷暑の中、生命の危険を賭して、秘密工作に従事している私の禁欲状態の心の渇きをいやすものは「女性」しか・・・今までは、このマダムが癒してくれたのだが深い失望と憂愁の中で、私は歓楽の街モンマルトルを足早に去りパリ中心地へと向かった女がダメとなれば、残るは、買い物しかない(そう短絡する人は少ないかもしれない)芸術鑑賞はいつでもできる(しなかったが)という事で私は買い物の殿堂、パリの最高級デパート Galerie Lafayetteギャラリー・ラファイエットに入った早速、店内を巡回ーー最近、このGalerie Lafayetteを再訪してみたが、店内は大きく変貌していた以前は、個人商店の寄席集まりのような雑然とした店内だったが最近、裁縫してみたら、ものすごくオーガナイズされた超高級店になっていて本当の富裕層相手の商品がずらりと並んでいて気軽にホッピングできる雰囲気ではなくなっていたーー閑話休題しかし、このころは、上に書いたように最高級デパートとはいえ個人商店が集まった、やや雑然とした店内でそこにドンキホーテにおける様な発見の喜びがあった性の喜びの代わりに、発見の喜びである(涙)早速、フランスの有名スポーツ・ブランド鰐さんのマークで有名な LACOSTE のトレーナー上下(紺色)それを買って、心の渇き?をいやす次に、これも有名なオークチュールのブランドであるイブ・サンローランのブレザー(紺色)このフランスのブレザーは、英国のアクアスキュータムやバーバリーとは違ってラテンらしい、女性的な優美さがあって、しかも粋で、私にぴったりなのだ(コレコレ)ところが、ここで、水を差す出来事が発生したそこの店の店員のツルツル禿の男性が、ブレザーを採寸しながら関係の無い、私の下半身の最重要部分を本来の採寸以外の目的で採寸?したのだ日本でもこういう経験はあったーーーーそれは、大学卒業も迫り、入社に備え有名な某デパートの定評のある写真部で入社書類用の写真の撮影を終えてからさらに下の階で、社会人としてのスーツを探したその時、私についてくれたスーツ売り場の女性店員が知的な美人で私はうれしかったのだがもっとうれしいことが起こったズボンの裾の長さを決める作業その時、知的で美人な彼女は裾では無く、櫃余殃が無いのに、なぜか?私の股下を採寸して私の内股の最高位置つまり、あの・・・非常に敏感な立ち入り禁止部位に手を差し込んで・・・採寸の振りをしてキュッと!私は、それまで感じたことのない快感に震えた(笑)採寸があんなに気持ちのいいものだとは知らなかった(オイオイ)本当の採寸のほかにも、才能のある店員だった一般的には、痴女と呼んでもいいのかもしれないしかし、寛容な私は彼女を責めることはしなかったかえって、もう一度、採寸してくださいと言いかけたほどだった世の中に、もっと増えてほしい女性たちである(オイオイ)ーーーーパリの話に戻るがこの場合は、知的な美人では無く、禿だしいや、そもそも、相手が男だから(怒)!!魅惑的な混血おかまでも無いし私は、この禿を、よほど、殴ってやろうかと思ったが殴ってしまっては、粋なシャネルのブレザーが買えなくなるだから、殴りはしないで、ブレザーを買ったホモ店員との未知の遭遇の興奮?も冷めやらぬ中私は、さらに、Galerie Lafayette の店内を遊覧すると!豪華な革コートやファーコートを、多数、陳列している店に出会った一段高い陳列コーナーに踏み上がって、革コートを吟味する私はすでにそれまでに、ロンドンの有名店「オースチン・リード」で黒い革のトレンチコートを購入している私がそれを着ると、みなに「まるでナチスの将校みたいだ」と恐れられたほどの重厚な黒い革トレンチであるずらりと革コートが並ぶ中では、そのトレンチとダブラないいや、全く対照的な都会的な、艶のある薄い黒革のステンカラーのコートそれが気に入った私がそのコートを触っていると、店主のマダムが寄ってきて大きな鏡の前で、試着させてくれたそうして、流暢な英語で「これ、あなたにピッタリ よく似合うわよ」と保証してくれた!鏡を見て、自分でも、そう思った(オイオイ)ここで、突然ではあるが、私の興味は、革コートからマダムに移った背が高く骨格が立派で、少し暗いブロンド年齢は私よりかなり上の中年女性である容貌は、いかにもフランス人それも、フランス人以外には絶対にいない、という種類の容貌で表現しにくいのだがそれでも、普通の一般的なフランス人の顔では無く中世の騎士のような彫の深い貴族的な容貌それに、肩と胸が茶色のドレスからかなりむき出しでヴァカンスで直射日光に当たりすぎではないかと思うほど、濃く日焼けしていてヴァカンスで直射日光に当たりすぎではないかと思うほど、ソバカスが多くてそれが、日本人憧れのコートダジュールになどに、ヴァカンスで、しょっちゅう、行っている典型的なフランスのお金持ちの奥様風なのだ私は、どちらかと言えば、美女に弱いどちらか、と言わなくても、弱い(コレコレ)特に上流の中年の女性に弱い年上の女性が好きなのだと言っても、若い女性がアプローチして来れば、喜んで受ける思わず、マダムの日焼けした胸元に顔を埋めたくなったしかし、顔を埋めては、革コートが買えないので買う事に決めたマダムが会計をしている時に、恐る恐る「食事でもしませんか?」と声をかけてみたするとマダムは会計の手を止めて、少し考えてから「いいわ」と言ったこれで黒のステンカラーの革コートと、日焼けした肌に顔を埋めたいたいマダム両方ともゲットしたことになる革コートは高価だったが、結局、安い買い物だったと思う(オイオイ)会計が済むと、マダムは、太く長いチェーンとポール数個がつながったものをカラガラと取り出して、店の入り口に張り巡らせて囲いとして人が入れないようにして「本日閉店」とした私はその時「えっ!? 店をもう、この時間で閉めてしまっていいの?」と思ったが個人商店なのでオーナー自身さえよければ自由だろうマダムが連れて行ってくれたレストランは豪華高級レストランというよりは、家庭的な隠れ家的な感じがしてバスク人の店だという事だったあとで、バスク人は、味覚が発達して最高の料理人たちなのだと知ったそのあとは、BARのママの場合と似たような展開となったのだが(別の記事でBARのママとの顛末を書いた)あのマダムの場合同様、詳細は、ふしだらなので私のブログの品位を保つために割愛するーーーー日本に帰国しても、冬はそのコートをよく着ていたナチスドイツの黒革トレンチもいいのだが、少し重々しすぎるしユダヤ人に、因縁をつけられても困るある晩、妻とある東欧舞踏団のショーを見に行った大勢の美男美女が舞い踊り合唱する美しい舞台だった舞台が跳ねて、外で楽団員と合流したそのメンバーの中に、妻が国立工科大学(ポリテクニック)で教えていた時の教え子の男性がいた国立工科大学まで出てダンサーにというのも、変わった経歴ではあるがそのあと、この男は、同じ劇団の恋人とともに東京に残り新宿のあるクラブで専属のショーダンサーとして踊っていたその時にまた会ったのだが、寒い冬だというののコートも持っていない私は、パリで購入した革コートを脱いで彼に貸してあげたそのコートは、彼にぴったりだったという事は、私の身体が、ダンサー体形だったのだ(オイオイ)彼は約一カ月東京で働いて日本を離れたが「新宿のクラブでは従業員たちが、ひどい人間ばかりだったのにコートを貸してくれたalexの親切に感謝する」と言っていたーーー革コートの話はまだ続くのだがその後、オランダへメーカーの技術者と出張した米国のエンジニアリング会社の欧州支店とのプラントの技術打ち合わせだった冬の欧州の暗い雰囲気の中、話し合いはあまりうまくゆかなかったある晩、現地事務所の所長が、気晴らしに夜の街に連れ出してくれたその街の世界でも有名な「MayFair=メイフェア」という高級特殊クラブに行った大きな店で明るい照明の下、大勢の客とホステスが入り混じっているまるで大きなパーティーのような雰囲気であるこの店では、両性の合意があれば、特別の広い部屋で、技術打ち合わせ・・・実は、ふしだらなことをするシステムになっている私は、女性とは、ふしだらなことに金を払わない主義でというより、いつも友達ベースでのお付き合いをしてそのうえで、それが発展して、ふしだらに至るそういうパターンなのだが 例外として急ぐ旅だとか、よほどの美女と出会った場合は過度に原則にこだわらないという柔軟性も持ち合わせていてこの時は、ほどなく、原則にこだわりたくないほどの美女に出会ったオランダの女性は、失礼ながら、美人が多いという定評は無いスイスなんかもそう言われているが例外は、あの映画「エマニュエル夫人」に主演したシルヴィア・クリステルで彼女は世界中で「オランダ女性なのに美人」と褒められた私が MayFair で出合った彼女も、、シルヴィア・クリステルの様な美女だった急いで合意して、特別室に入ったそこは本当に広い部屋で、モネの睡蓮の絵の池を小型にしたようなしかし、何かに夢中になっておぼれないように(笑)10センチぐらいの浅さの池のようなものがありそこに入ったり、床部分に上がったりして幸い、彼女も、私が非常に気に入ったようで、うれしそうに、ふしだらだった若くて、女性的というよりは均整の取れた短距離走者・アスリートのような体をしていたかくして、いやがうえにも、両性の合意が確認されることとなったのだがここでもやはり、詳細は、ふしだらなので、割愛竜宮で乙姫様と過ごしたような夢の時間は過ぎてタイやヒラメに見送られいや、シルヴィア・クリステルに見送られまたもの再会を誓い合ってその夜は終わった翌々日、また MayFair を訪問相変わらず、世界の要人達?で店内は埋め尽くされているシルヴィアを探したら、・・・いた!しかし、男と話している男は、なんだか小柄で色が黒い、私と違って! 怪しげな男である気の小さい私は、そんな彼女に声をかけるまで時間がかかった彼女の説明を聞いてみたら、な~~んだ!その小柄で色が黒い、私と違って怪しげな男は彼女の客となっていたわけでは無く男が厚かましく、ただで(怒)、シルヴィアと、話していただけだった特別室へ行くと、シルヴィアに文句を言われた「なぜ、すぐ私を指名してくれなかったの?」そうか!技術打ち合わせが不足していて、システムの理解が至らなかった謝りながらも、ちゃんと、ふしだら方向に行動する私であったシルヴィアも機嫌を直し、ふしだらになった翌日、東京に帰る途上、コートを MayFair に置き忘れた事に気が付いた恥を忍んで所長に連絡、革コートは、そののち、時間はかかったが無事に、他の出張者が持ち帰ってくれた数奇な運命の黒革パリコートは、今、ふしだらな事も忘れクローゼットで大人しくハンガーにぶら下がっているご苦労だった!皆さんも、忘れ物には注意してください!!そういう事では無いんだよね
2020.10.17
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★ 復刻記事 不思議な事に美人で親切なスチュワーデスが出してくれるカクテルは必ずおいしいテーマ:深夜の不眠症カフェで読書 Insomnia Cafe(91) カテゴリ:【日本】 での想い出 2004.06.06 飲み物の話をその国で飲んでこそ美味しい飲み物というものがありますね。例えばコーラ。米国でハンバーガーと一緒に飲むと実に美味しい。厳冬のドイツでケチャップの一杯付いたフランクフルト・ソーセージと共に食べると空気がカラカラに乾燥しているから、これも美味しかった紅茶、それもミルク・ティーは英国で飲むと「これからはコーヒーを止めて、紅茶一本で行こう」と、固く決心するほど美味しい。飛行機の中の飲み物としても、British Airways英国航空では、やはり紅茶が素晴らしかった。ただし、ロンドンから中東へ向かう機内の調理は決まって七面鳥で、この味のない鳥肉はあまり歓迎できなかった。中東向けの機内の客には、豚肉が食べられないモスリムや、牛がダメなインド人などがいるので、無難な七面鳥にするのだが、せめてインド料理のタンドリ・チキンぐらいを段取り!してくれないものかな~>私はインド料理が大好きで、なかでもこの段取り・・・、じゃなかった、タンドリ・チキンが大好き。近所に本物のインド人がやってるインド料理屋があって、そこで一番辛いセット料理を食べるのが私の今のぜいたくです。これで私は夜の王様 マハラジャ!・・・って、気分になる。ちびまるこちゃんが、深夜、冷蔵庫を開けてミルクコーヒーをのみながら、「私を女王とお呼び!」と、そっくりかえる場面があるが、おんなじだよ。Air Franceはコーヒーが美味しかった。やはりお国によって、それに会社によっての得意飲み物レシピというものがあるもんです。ワインはいろんなワインがあるけれど、最近のワイン事情はわからないので、やはりフランスワインが好みに合う。フランス・ワインで思い出のあるのはシノンかな?ロワールのロゼだけれど、むかしパリに中東のビザの切り替えで短期滞在したときヒマなので「ロワール河 城巡りツアー」にのってロワール河に沿って点在するお城を見て回ったのだがその時、回った古城のひとつにシノン城があったシノン城とは、あのジャンヌ・ダルクが18歳の時、「王太子シャルルを助けよ」という神の声を聞いて、はるばる旅をしてシノン城でシャルルと会見する。そう言う歴史的な城ですシノン城の部屋の中には、その時の様子を再現した人形がおかれています。私は城に興味があって、城の本を数冊持っていますが、城って言うのは一つの小都市ですね。城についてはいつか書いてみたいと思います。シノン城は一つの建物だけではなくて、三層の構造になっている名城の一つです。シノン城見学を終えて、白を下って、下のシノンの街のレストランでこのシノンを、シノンの城をながめながら飲んだのを想いまします。城というものは必ず高台にあるもので、街からは見上げる姿勢になる。今、日本のネットでの販売サイトで調べてみると、そこでは、シノンのワインは、ルージュしか出てこないけれどあのとき、私が、飲んだのは間違いなくロゼ。あまり美味しくはなかったけれど。冷やして飲まなかったからかな?ーーーーその夜、ホテルに帰ると、ロンドンからフランスに遊びに来てこのツアーに参加したというアルゼンチン人の二人の若い女性に会ってなんだかお互いに気が合って、楽しく話し合っていたこのツアーでは、せっかくのシノンの夜なのに、何もナイトツアーをしてくれなくてつまらなく過ごしていたのだが、この二人と楽しく話せて良かったついでに三人で、氏ノンノ夜の街にくりだそうか?とまでもりあがっていたのにそれを実行しなかったのは今になっても残念この頃の少し前、アルゼンチンと彼女が今住んでいるイギリスはフォークランド紛争で激しく戦ったのだが聞いてみると、ロンドンではアルゼンチン人だからと行って特にいやなあつかいはうけなかったとのことーーーー閑話休題ドライ・マティニーというカクテルがある。カクテルの王様といわれるらしい。ヴェルモット3分の1、ジン3分の2。それをステアーし、好みのビターをちょっと落とすのが基本らしいが、このカクテルのお洒落度というか、意地というか、ヴェルモットを出来るだけ少なくする(ドライにする)のが維持の針どころらしい(笑)私は別に標準レシピでいいのだが、世の中にはカッコをつける人がいる。ヘミングウェイがこのドライマティニーが好きでヴェルモットの入ったボトルのコルクを、カクテルグラスにちょっとつける・・・なんてドライさで粋がったらしい。ヘミングウェイのマイウェイ(笑)いや、これはウィンストン・チャーチルだったかな?これがもっとひどくなると(笑)ヴェルモットのボトルをチラとみるだけとか、さらにさらに、ひどくなると心の中で想像するだけだなんて・・・。何考えてんねん!! と言いたくなる。話が長くなったが、私が一番のドライ・マティニーだと思ったのは今はなくなってしまった米国の UNITED AIR で出してくれたもの。そのスチュワーデスが美人だったしそれ以来、ドライマティニーが好きになったのだが未だに、あれほどのドライマティニーには、出会っていない不思議な事に美人で親切なスチュワーデスが出してくれるカクテルは必ず美味。私の経験則である
2018.09.30
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カジノと言えば、女(笑)私は、カジノについては、よく知らないがロンドン駐在だった頃、同僚達に付き合って見学だけはしたが自分でやったことはない私は、ギャンブルには、全く興味が無い人間であるギャンブルで勝てるなど思っていないし。射幸心が無いのかも知れない学生時代・会社員時代も、麻雀は、ほとんどやらなかった卓を囲む仲間達の金を巻き上げて、何が面白い? ―――― ◇ ――――カジノのジャックポットは、機械だからひょっとしたらパチンコ台と同じ様な仕掛けになっているのかもしれないつまり、後ろで操作している?よくわからないがあと、ブラックジャックやルーレットは練達のディーラー相手なのでまあ、普通は、勝てるはずがないと思う勝った時は、たまたま、勝たせてもらった、と思った方がいいなにしろルーレットのディーラーなどは自分の思った数字を出せるほどの腕前だそうだそれでないと務まらないそうだ昔、インドネシア時代に、ディーラーだった女の子から聞いた話だがただ、ルーレットは、一対一の勝負では無い多くの客が、同時にベットするのだからディーラーも、複数の客相手だからその状況の中で勝つ可能性も無くはないはずである ―――― ◇ ――――ただギャンブルに強くなるよりディラーの女の子を籠絡する方が確実で早いかも知れない(笑)頭を使うより、下半身を使ってみよう(笑)将を射ようと思えば、馬を射よ(笑)ただ、外国だとディラーの女が、マフィアの女だと言う可能性もあるこれには、気を付けて欲しい(笑)----カジノの話ではないが私は、昔、パリで夫がイタリア人でマフィア(別居中ではあるが)だと告白をされて驚いた事があるそう言われれば、フランス女なのに、姓がイタリア系(笑)NYにマフィアの夫と、二年間住んでいたという(オイオイ)そのせいか?フランス女なのに英語が流暢(感心している場合ではない!)その話は、聞きたくなかったな~(笑)とちょっと、聞こえない振りをしたら「あなたは、いつも、私の言うことを聞いていない」と、怒られたカフェで、ミネラルウォーターを注文できるのだと、初めて知った時だったこれは、「パリのマダムの思い出シリーズ」の最終章で書く予定だったのだが最終章は、まだ書いていない以前あるなじみのジャズバーの頑固爺さんにこの話をしたらウソだろうと怒りだして、喧嘩をしてしまった本当の体験なんだが(笑)この爺さんは、私と違って(笑)女好きである(笑)この爺さんは、若い頃、有り金をすべて持ってブラジルに渡りリオあたりで毎日毎日、女漬けで、金を使い果たしたというまあ、相手は、商売女だったらしいが「安かった」と言っていた(笑)ブラジルの女は最高だそうだうらやましい私のパリの件は、出張中だったので、時間的制限があり(笑)そこまで徹底できなかった残念(笑)いろんな男がいるものだ(笑)(お前が言うな)
2016.12.08
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みなさんこんばんわ!と、わざと、時間を間違ってみせる私の高等テックニック(笑)今朝、フランスより到着関空に帰着した瞬間すぐに、日本があらためて、安心な国、秩序と強い責任感のある国と国民だと、しみじみ感じました国防、安全保障の面は除いてそれに日本の常識は世界の非常識世界の常識は日本の非常識・・・と言う点は、まだ、あるにしてもそれから以前からフランス人が嫌いな私でしたが今回、あらためて、さらにフランス人が嫌いになりました(笑)だから、以前から主張しているフランスに住んでいる、住んだことのある,フランスかぶれの日本人達がどこか、いやな人間に成るはずだ(笑)との認識も、またまた再確認(笑)話しが飛びますが日本国内の県民性で言えば北海道の人達と私は,非常に相性が悪い(笑)----まあ、そういう話しは,徐々にグチろうと思いますがそれと、元山岳部の私としては海外旅行用品に関する,執拗な考察(笑)これを、書いて行こうかと----バレーボールはありさが、見事、Aチーム入りしたようですねそれはいいんだけれどただ、今度は、劣化した木村沙織が、リオ・ありさに負けないようにどこまでがんばれるか?だから、私は,数年前から筋トレをしろと言ってきたのに楽な,軟打に逃げたツケが今・・・サリンジャー監督がすでに以前から日本の女子選手は筋トレをやるべきだと示唆していたただ、松平がサリンジャー嫌いだったせいもあってか未だに女子バレーでは、筋トレが重要視されていない様子バレーという競技は,引力に逆らうジャンプが中心のスポーツジャンプって、100%、筋力でしょ?バスケットボールなどより遙かに筋力を必要とするリオでさえ、ジャンプのために筋トレしているのかどうか?私には、わかりませんストレッチだけでしょう?公開しているのはまあ、フリールができなかった箱跳び?は,やってた様だけれどあれは、平衡感覚のトレーニング----Wカップ日本、初戦に負けるという大罪を犯して(笑)その上ギリシャに引き分けこれじゃ、ダメですね予選敗退、濃厚ですねギリシャ戦が、1-1の引き分けと言う事はわかっているのですが初戦のスコア、まだ、知りません知らない方がいいか?(笑)----ホテルのWi-Fiの質が悪くてフランスは国全体が悪いらしいが次回は,自前で携帯レンタルのものを携行することが必要ですね
2014.06.21
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帰国の際、風邪をもらってきたらしくほぼ、一週間,病人まだ、回復途上それでも、少しは書こうかとPCに向かったが・・・一週間も経つと書こうとしていたシンガポール旅行も内容をすっかり忘れてしまった(オイオイ)したがって書く内容にも責任を持てない(オイオイ)----とりあえずシンガポールから電話がかかってきてから出発までの慌ただしい過程を思い出してみよう行くと決めてから私のしたことは1)PCの「旅行用具データベース」を開いて* 今回、携行するべきもの* 旅行前に準備するべき事をチェックすることそれと並行して2)旅行用のスーツケース3個を引き出してその中に収納してあるもののなかから今回の旅行に必要なものをピックアップすることだった----それと同時に私は,元商社マンである出張が頻繁だったので* 旅行に携行するもの* 必要な準備などを、データベースで管理していたがそれが、いまだにPCに残っていてこの頃の私的な旅行にも活用しているデータベースといってもデータベース・ソフトを使用したものではなくシンプルなエクセルのスプレッド・シートなのだが* 出張用のみ成らず私のすべての衣類・履き物類* スーツケース・バッグ類* 電気用品* IT用品* 調理用品* カメラ* 文房具* 旅先での読書用書籍* 現金(米ドル)(1ドル札100枚)・T/C・クレジットカード* パスポート* ガイドブックなどなど、雑多であるそこから毎回のその旅行に必要なものを確認するまあ、そのほとんどは、3個のスーツケースに収納してあるのだがといってもその作業が大変なのだが特に,現地の気候・日程を考慮して携行する衣類を選び出す作業が手間----病み上がりなので(笑)ここでガス欠あとで、多分、追記するさもなければまた明日
2013.10.27
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「Come to Singapore!」突然かかってきたこの電話から,旅は始まった以前、来日し,一緒に寿司を食べた韓国人の男、Jからの電話だ彼の奥さんが今ソウルに一時帰省しているがもうすぐ彼女が彼の赴任先のシンガポールに帰国するそれに合わせ彼の兄、Kの夫婦など親戚達数人がシンガポールを訪問するというついては、いい機会だから,彼等と一緒に、私もシンガポールに来いと言うのだ彼は英国の大学を出ていて現在は某大企業のアジア地区総支配人という大物になっているいつもは、日本を含む十数ヶ国を管轄していてしょっちゅう海外出張だが今回は特別にまとめて休暇を取り一行を待つというシンガポールには会社所有のコンド(コンドーミアム)に住んでいてみんなもそこに泊まるお前も一緒に泊まればいいと言う私も四十数年ぶりのシンガポールに久しぶりに行ってみたいあの暑い湿潤な芳醇な空気を吸ってみたいとは思ってはいたのだが今のシンガポールはとてつもなく物価が高い彼がいるならとりわけ無料で宿泊可能なら(以前から誘われていたのだが)行かない手は無いとりあえず、ソウルにいる一行にジョインしてシンガポールへの私的ツアーをしてみようと決心してゼロカウント24時間だけのあわただしい突然の旅は始まった
2013.10.20
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かんべえさんが、こんな事を書いている『俺は昔、こんな怖い目に遭ったことがある』 たしかに、商社マンは、こ~ゆ~「危ない目にあった」話を沢山持っていて、たまにそういう自慢をするかもしれない私は、このブログ以外では、そういう話をしたことがないが、ただ、一度、飲み屋で、ちょっと、ほんの一部を話したら、飲み屋にいた客全員に非常に驚かれた今はそれほどでもないが、ちょっと前までは、一般の人には海外経験という者はなじまなかったのだ特に私のように、戦争中の国に駐在したとか、まだ知られていなかった中東の国々に住んだとかの商社マンの話は、「普通の」日本人にとっては、想像を超える部分があったのかも知れない以前にも「死にかけた話」として、危険な体験を、何度か、書いたことがあるしかし、自分で言うのもなんだが、私も、運が強かった良く今まで、生き延びたものだと思う ―――― かんべえさんの記事 ――――○「俺は昔、こんな怖い目に遭ったことがある」というのは、商社マン定番の自慢話であることが多いです。「湾岸危機の時にイラクに居たために、サダム・フセインの『ゲスト』にされてしまった」とか、「9/11のときに世界貿易センタービルのすぐ隣に居て、後ろでビルが崩れてくる中を一生懸命走った」とか、「アフリカでクーデターに遭って、ジープに日の丸の旗をつけて逃げた。検問に合うと、『ジャパン、じゃぱーん』(われわれは害意のない日本人ですよ~!)と叫んだ」とか、映画に出てくるような話がゴロゴロしています。ひとつ間違えば悲惨な体験になるところを、なぜかカラッと明るい自慢話になってしまうところが、おじさん世代の商社マン気質なんじゃないかと思います。
2013.02.22
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「サーチナ」という中国関連のニュース・サイトがあるが、そこに、ある中国のブログが紹介されている◆ 【中国ブログ】不思議の国ニッポン…来なけりゃ分からぬことばかりその記事に、私のコメントを添えてみた ―――― サーチナの記事 ――――隠姓埋名」さんはこのほど、中国のブログサイト新浪博客に「あなたが知らない日本」との題で、中国人から見て不思議に思える日本のさまざまな点を列記した。各行を「日本に来てみて初めて知った」で始め、日本の特徴を挙げた。「隠姓埋名」さんは経歴や居住地を明らかにしていないが、来日経験があるなどで、日本に詳しい中国人と考えられる。冒頭の部分では「日本は不思議な国だ。われわれに理解できないことも多い。われわれの文化とは大いに異なる」との見方を示した。隠姓埋名」さんは“不思議の国ニッポン”の特徴として、以下の点などを指摘した。◆ (日本では)寒い季節でも、飲食店は氷水を出す― (alex99注) 私も気がつかなかったが、そう言えばそうである私は商社マンだったので、世界数十ヶ国を歴訪したが、こういうのは日本だけかも知れない昔、パリで、女友達というか、なんというか、仲のいい(笑)女性がいたが、彼女と散歩していて、カフェに入ったら、彼女がミネラルウォーターを注文したのに驚いた経験がある当時は、ミネラルウォーター自体に、まだそれほど「なじみ」がなかったせいもあるが、「水を買う」「カフェでメニューから水を注文する」ということに少々驚いた不覚にも(笑)「粋だな・・・」とまで思ってしまったのである(笑)予断だが、以前、韓国の女性とレストランだとかに入ったウェイトレスが氷の入った水を持ってきて「飲み物は何になさいます?」とわれわれに尋ねたら、この女性が「飲み物はもう来ているのに、なぜまた、注文をとるのか?」と疑問を呈していたが、この氷水は、日本では、まだ「飲み物」になっていないのだ(笑)そのパリの彼女との散歩の続きで、またカフェに入ったら、今度は彼女がペルノーという、薬臭い酒を注文して、それにミネラルウォーターを注いで、ペルノーが水に反応して白く混濁したのを覚えているペルノー(PERNOD)」と言う酒は、 スターアニス(八角)を主体に、多種類のハーブが配合されたリキュールで、あの「アブサン」を弱くした酒と思っていいアブサンは、ニガヨモギを主体とした薬草系リキュールで、その正統的なものは今、非合法とされているというのも、世紀末にはこの酒を飲むのが、芸術家や芸術家気取り達の間で大流行して、中毒者を大量に出してしまったからであるこのオリジナル・アブサンは、猛烈にアルコール度数が高いだけでなく、原料の成分のため、幻覚作用もあったらしい元は薬草だったから臭いし苦いあのベルレーヌやランボーも、このオリジナル・アブサンを煽っては同性愛にふけったりしていたのであるあ、これは余計か(笑)ゴッホが自ら耳を切り落としたのも、アブサンのせいだという説があるゴーギャンとは同性愛で、愛の破局をはかなんで耳を切ったのではないか?というのは、私の邪推である私も、学生の頃は、この悪魔の酒(笑)を、ちょっと試してみたくて、新宿のマンモス・トリスバー(当時の出会い系の場所)で、無毒化された(笑)緑色の合法アブサンを煽ったのだが、効果も無かったが、やはり副作用もなかった(笑)このパリの女性は、カフェで薬臭いが清涼感溢れるペルノーをすすりながら、彼女の夫のこと(マフィアだったと告白)(笑)、(そう言えばイタリア系の姓である)夫と共にユーヨークで2年間暮らしたことなどを私に話すのだが、余り真剣に聞くとまずい話にどんどんなって行くので、あまり聞いていない振りをしていると「貴方は私の話を全然聞いていない」と彼女は怒っていたが、男は女性の話をまとも聞かないのが礼儀なのだが(笑)閑話休題同じ、ニガヨモギ系の酒に、ギリシャのウーゾがあるウーゾと言えば思い出すのは、中東での経験である私は、長年、中東のプラントビジネスに携わったが、中東はほぼ禁酒国である中でも、最も戒律の厳しいサウディアラビアでは、絶対的な禁酒であるちょっと長くなったので中断するが、今日中に続きを書く事にする(多分)では、続きを中東では、イスラムの戒律から、一般的に禁酒である特に、サウジはイスラムの中でも一番戒律の厳しいワハビ宗で、絶対禁酒の国であるUAEなどでは、まだ、滞在許可を持つ外国人は、月単位で酒の配給を受けることが出来るし、ホテルの中なら酒も飲めるが、サウジでは、絶対禁酒である酒を飲んでも、酒を携帯していても、即時監獄行きであるしかし、そのサウジの前国王はアル中だと言われていた(笑)アル中で肝臓を壊し、よくスイスに治療に行っていた何しろ、この国の金持ち連中は、自宅に超豪華なキャビネット式のホームバーを持っていると言われている私がサウジに長期出張していた時は、それでも、時々は、酒を飲んでいたもちろん、おおっぴらには飲めないが、宿舎で、夜中に、そっと密輸のウイスキーを持ち出して、駐在員仲間で、チビチビのものであるその深夜の宴(笑)の最中に、訪問者がベルを押したりする全員、飛び上がって驚くのだが(警察の手入れかと思って)(笑)、その訪問者は、使用人の友達だったり・・・この密輸のウイスキーは、所長が、秘密の密輸ルートから手に入れてくるそのルートの元締めは、ある王子だそうである月の沙漠を(笑)大型トラックにウイスキーを満載して密輸入してくるそうであるこの国は、どこまでも、欺瞞の国である今にクーデターで、王族の政権がひっくり返るだろうウイスキーを飲めば、空ビンが残るこれを知られると危険であるそこで、これを、処分しなければならない慣例として、所長が夜中にトイレで空ビンをハンマーで砕いて、粉上にして、夜中に、車で、砂漠に捨てに行くそれが、ウイスキー鎮魂の儀式である(笑)このウイスキーは、なぜか、決まって、ジョニーウォーカーの赤ラベルであったそのジョニ赤が1ダース、梱包されて搬入される一度、その中に、間違ってだと思われるが、ギリシャのウーゾが混入していた薬臭いし、苦くてまずいのでだれものまない仕方ないので、私が、パリの彼女のペルノーを偲びながら(笑)ウーゾを飲んだのであるどうも、話が、OBしてしまったので、この続きは、また明日
2011.07.29
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某国で水族館へ行ったエスカレーターで地下に潜る当然、いろいろな魚がいるのだが、まずは入門編という感じで、ありきたりの魚が配置されているそれから、だんだんと、水族館が自信を持ってすすめる珍しい魚が展示されている水族館にもヒエラルキーなるものが存在する様である格差と言い換えてもいいかもしれないしばらくヒエラルキーの低い水槽をながめた後、大きな水槽にさしかかると、そこにはアマゾン系の巨大魚たちがいる中には名前を知らない魚もいるがアロワナピラルークと言うところはわかる特にピラルークは,開高健の南米釣り紀行「オーパ!」で知った巨大魚であるアマゾンだから淡水魚だとは思うが、確かその巨大な鱗がサメの皮の様にサンドペーパーのように粗いはずであるこの水族館のピラルークは,サイズ的にまだそれほどの巨大魚にはなりきっていないのだが、それでも間違いなく将来は巨大魚になるという自負があるらしく、あたりを睥睨してゆったりと泳いでいるしばらくすると小さな水槽に黒い太い木炭の様なものが入れてあるよ~く見てみると、どうもウナギのようである名札を見ると英語で BIG EEL 大ウナギと書いてある現地語ではもっとくわしい説明がある様なのだが私には読めない日本のどこかに、体長2メートル近い大ウナギがいるようだが、このウナギも普通のウナギのサイズを超えている少なくとも太さは大根クラスである(魚を野菜と比較するのはダメか?)しかし、このウナギ、全く動かないこちらに顔を向けながらも表情も無に等しい全身真っ黒で,小さな目である米国議会で証言した豊田社長も小さな目である(それはいいか)ただ、歯が小さいながら鋭い本来なら彼の出身地では、この鋭い歯を生かして、もっと活躍の場を与えられるはずなのに、こ~ゆ~国へ左遷させられたので,大変不愉快そうである「どうにでも、して~な!」と言う表情で,ドテ~ンと寝転んでいる風情である館内は結構混んでいるやはり、若いカップルや家族連れが多いそれにやたらにカメラで水族を撮っている彼らはカメラの素人なので(私も人のことは言えないのだが),それにオートで撮っているので、必ずフラッシュが発光するピカピカ・ピカピカとうるさいそんな取り方をしていたら、水槽のガラスにフラッシュが反射して,満足な写真が撮れないだろう,オイッ!水族館では,オートじゃ無しにフラッシュ発光禁止にしなさい!そのうちに,小さな水槽が並んでいる場所に至るその小さな水槽をのぞき込んでみると、なにもいない・・・いや、なにかがいる(どっちなんだ?)いるにはいるが、非常~に存在感の希薄な水族がいた水槽の奥のガラスに張り付いた、脚が異常に細く(大根脚よりはいいか?)長~い生き物である水蜘蛛?(これは私の造語だが)それともミズスマシ?ミズスマシは,水の表面張力を利用して,水の表面に浮かんでいるはずだしかし、こいつは、水の中でガラスに張り付いているのである挙動不審である公安に連絡したらいいかも知れない連絡した私が逮捕されても困るからやめておいただいたい、こ~ゆ~生き物が水族館にいるのがおかしいそのならびに、カブトガニがいたカブトガニは何億年を生きた古代生物である偉い!とほめかけたが、考えてみると,何億年もかけて、はじめっからこの姿である進歩というものがない向上心に欠けているこ~ゆ~生物が,水族館にいてもいいものだろうか?オイッ!どうも、私の様に、いちいち、水族館における居住資格を問うのも厳しすぎる様な気がして,カブトガニはこれで不問に付しておいたカブトガニも,心なしか、ほっとした表情であったそのうちに,亀がやたらにいる水槽群に至ったその亀の首が長いすっかりスッポンだと思って連れの美女たちに説明したら、じつは蛇亀だというう~~ん!首が蛇みたいに長いから蛇亀か!そ~ゆ~、ややこしい生物が水族館にいてもいいのかっ?・・・は,もう言わない約束だったが,せっかくここまで,アマゾン巨大魚などの水族の説明で「よく知ってるのね~!」と言われ,男を上げていた私のメンツが,蛇亀のおかげで一気に崩壊した残念であるメンツ回復のためさらに進んだら,変な魚がいる立ち泳ぎをしているのである私が説明しなくてもいいと思うが,そもそも魚というものは水平の体位で(体位というといやらしくなるが)水平運動をおこなっているものだが(水平運動というといやらしくなる・・・事もないか)縦に数匹並んでいて、しかも全く運動をしていないのであるさらに、知的思考の中に「水平思考」というものがあるが、この魚は「縦思考」なのか?全く世の中には,変わった人間が,いや、変わった魚がいるものである第一、ずっと立ち泳ぎでは、疲れないか?・・・どうも、余計なお世話の様であるまもなく、今までで一番大きな水槽に行き着く大阪南港の海遊館でもそうだったが,こ~ゆ~水槽には,サメを含むカツオなどの大型魚とイワシやアジなどの群遊漁がいるはずである・・・という私の推理は正しかったまさしく、そ~ゆ~魚たちが回遊していたただし、海遊館のように本当に巨大な、しゅもくザメのようなサメはいなかったそこそこの大きさのサメ達であるしかし、あの凶悪な目つきと,鋭い歯は変わらない気のせいか,こちらを威嚇する様に、目つきの悪いまま水平移動している私が歩いていると,そのサメが平行して泳いできたう~~んこの目つきは,本当に凶悪だな~一瞬、ぞっとしてしまうほどであるしかし、その水槽が天井にまで伸びて,サメが私たちの頭の上を遊泳する箇所がある気がついたことだが,サメは普通に見ると黒に近い灰色だが(種類にもよるだろうが)下半身というか、下から仰ぎ見る腹部は真っ白である何かなまめかしいう~~ん白い肌はいいな~~(そ~ゆ~ことを考えている場合か!)それに白い下半身の,あの場所あたりに、細い切れ込みがある謎の切れ込みである私もはじめて人間の女性の身体を見た時に、謎の切れ込みだと思ったこの切れ込みを見て、凶悪なサメも、女性のサメだけは許してやろうという気になった私も、そ~ゆ~面では寛容であるその水槽の回りは,ガラスに沿って木製のベンチのようになっている私はサメの下半身にに欲情して(オイオイ)疲れたので腰を下ろしたしばらくして気がついたら、私の身体の脇に、大きな石の様なものがあるさらによく見てみると、なんと、大型のタイの様な,ナマズの様な大型魚である身体は灰色で、全身に,濃い灰色のシミのような斑点が散っている私が石だと思ったのも,その魚がまったく動かない,身じろぎもしないからであるとにかく非常に老成した感じの魚であるしかも、例の、BIG EEL 大ウナギのように、まったくやる気がないまま,ふてくされている様子である水族館で意欲を見せろ!と言われても仕方がないかも知れないが、もう少し、誠意だけでも見せてはどうか?こ~ゆ~魚はリストラ候補だろうと思っていると,家族連れグループの中の幼い男の子が寄ってきて,この魚をガラス越しにトントンと叩いたすると、この無反応だったリストラ対象魚はゆっくり動き出して、向こうの方へ行ってしまったまんざら、意欲がないわけでもなかったのだ先日、ディズニーの「海底二万マイル」という映画を見たリニューもされたらしいが、私が観たこの映画は,古い方である実は,私はこの映画をリアルタイムで観ているのである原作は,ジュール・ベルヌで、時代は帆船時代その時代に、大洋を自由自在に動き回って列強の(英国なのだが)商船や戦艦を沈没させて、海洋交通路を航行不能にしてしまう謎の潜水艦・ノーチラス号とその艦長・ネモの物語であるまだ、潜水艦が発明されていない時代,と言う時代設定のノーチラス号は,タツノオトシゴを水平にしたような、サメをモデルにした様な形態で、このサメたちを見ていると、きっとハリウッドはサメをモデルにしてノーチラス号を作ったに違いないと思いついた次第それにしても、一応私は『サメ』と書いてきたが、『フカ』でもいいはずであるサメとフカの違いは奈辺にあるのか?大きいのをフカ、それ以下をサメと言うしかし、厳密な線引きはないらしいこういうのをシームレスというイルカはクジラの小さいものを言うが、これもイルカとクジラの境目はシームレスシームレスはナイロンのストッキングだとばかり考えていてはいけない出雲神話で因幡の白ウサギがワニをバカにしたら赤裸にされたというが、そのワニとはサメのことである出雲ではサメのことをワニと呼ぶのだろうサメを食べる地方もあるらしいが、尿酸の臭いが、オシッコのにおいがして、しかも不味いらしいそろそろ水族館巡りも終わりに近づき、グラスボートに乗ることになったこの『グラス』とはガラスである館内の人工の池を一周するボートの中央がガラス張りになっていて,そこから池がのぞき込めるのであるのぞき込めば何が見えるか?大きなサメとかカツオとか、アジとか、いままでの集大成という感じの魚たちが見えるのであると言っても,主役はまたしても、サメであるボートの下を泳ぐサメを見せて、乗客にスリルを味わわせようというのであるこのサメは,上から俯瞰するのだから,当然、なまめかしい白い腹は見えない不気味な黒い背中だけであるガイドのお兄ちゃんが「もし、ボートから転落して池の中に落ちても,バタバタ騒いではいけない、そのまま静かにしている様に・・・というのであるさもないと、サメに食べられてしまうと言うのであるしかし、サメは人間の肉をさほど好むわけではなく、すぐに「不味いな~」と,ペッと吐き出すそうであるせっかくと言うか、不幸にもと言うか、サメに食べられたのに、ペッと吐き出されるとは、あんまりではないか?それに第一、サメにいる池に落ちて,バタバタもせずに,冷静に浮かんでいるなんて,出来るわけがないだろう~!!オイッ!とは思ったが,下手にガイドに逆らってボートから突き落とされてはいけないのでだまっておいたガイドで話では、この池のアジなどの小型魚の群れは、しょせん、サメに食べられる運命なのだそうだサメは昼間はアジに興味を示さず、放置プレイをしているが、夜になるとガブガブたべるそうである「昼は貴婦人の様に 夜は娼婦の様に」という言葉がある昼は貴婦人の様に美しく上品で,「セックスなんか全然しりませんわ」という顔をしているが、夜になると一転して、いやらしくセックスプレイをする女性が理想的な女性であるという例えである私もその意見には同感なのだが、不幸なことに,この反対の女性を散見するのである昼は品格に欠け、夜は夫に全く興味を示さず冷たい湯たんぽの様に寝る女である特に私の個人的な経験ではないから、せんさくはしないように「だから哀れなアジに、せめて、エサをやりましょう」といいながら,ガイドは私たちに、ジャコの様な生の魚を渡すその小魚を池に撒くと、哀れなアジが一生懸命に寄ってくるのである大海のアジも知らず(しゃれである)こ~ゆ~小さな池でサメのエサになるアジ達が哀れであるかわいそうなアジに涙した後は、そろそろ終点・出口であると思ったら,まだ少々、水槽があるしかしのぞいてみたら、英語でなら SHABBY というか、つまり、地味~な魚ばかりであるめくるめくスペクタルの後が、これだよ!派手な魚に,迫力のあるサメに慣れた私たちを,迎えて,おまえ達はどういうつもりで、ここにいるのか!?私が,こう問いただしたのだが、地味な魚たちは無言でせこく動いているだけであるこ~ゆ~魚に言って聞かせてもしかたがないこう思って,私は水族館を後にしたのである
2010.04.03
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今回は、あるなりゆきで(これは後ほど説明するが)韓国を再訪した以前にも韓国訪問記を書いたが、正直言って前回はあまり楽しくなかった食べ物も口に合わないし、面白いところのない国だと思ったしかし、今回は楽しかった韓国が大好きになった オイオイ!前回は釜山とソウルを訪問したのだが、今回は釜山だけに滞在した楽天にもMドングリさんや、とらのこどもさんなど、ビジネスで韓国によく行く人や、韓国女性に惹かれて(だまされて) (笑) 韓国通いをする男性や、韓流スターにメロメロになって韓国詣でをする女性など、韓国を好きな人はたくさんいるだから、私が今さら何を書こうが、新しい話題では無いただ、私としてはこれまで、嫌韓派として鳴らした (笑) 暗い過去があるから (笑) 、今回、私の中での新発見があった事などを書いてみよう ―――― ◇ ――――私は古い世代だから、世代の感覚がある子供時代に時々目にした朝鮮人のおばさん達は、みんな、引き詰めた髪に白いチョゴリ、それに朝鮮靴だった(N.B. 私が「朝鮮」と書くのは、差別を意識したものでは無くて、在日の人には、韓国系の人もいるし、北朝鮮系の人もいるからであるし、第一、歴史を語ったり、現代においても韓国と北朝鮮を合わせて呼称しようとすると、朝鮮しかないのである)生活が貧しかったのだろうが、正直言って、白いチョゴリも純白というわけではなくて、ちょっと薄汚れたような色合いだったし、おばさん達の顔色は日焼けして真っ黒だった差別を気にしてか?いつも数人で歩いていたおばさん達の家は、山の方にあるらしく、そこからかなりの距離を歩いてきていたらしいすぐそばに近寄ったわけでもないのに、おばさん達の身体からは、ニンニクの臭いが漂ってくるような気がした要するに、私には、当時植え付けられていた差別感情があったのであるそれと共に、初めて接する異文化に対する恐れもあったにちがいない小・中と、私は私立の学校に通っていて、そこでは在日の級友はいなかったただ公立の高校にはいると、今思い返してみると、在日の級友が少なくとも数人いたと思うただ、これは今になってそうではないかと思うだけで、当時は、そういう意識は全くなかっただから、差別感情そのものも存在しなかったのであるそれに、もしそれを知っていても、幼少時の差別感情はもう消え去っていて、当時はただの級友として、差別感情など持たなかったはずである成人して社会人になって、マスメディアを通じて、韓国の反日というものを知るこれから、また別の感情が生まれはじめた確かに日本は朝鮮併合という間違いを犯したが、歴史には時代の思想というものがあるというのが私の持論であるしかし韓国の国民達は、そ~ゆ~歴史的な必然を理解せず (笑) 理不尽なまでの激しい反日感情を持っている人達であるということは、私の先入観として定着し、この先入観は最近まで立派に現役だったのである (笑) 反日感情を持つから韓国人が嫌いだという図式である ―――― ◇ ――――しかし、最近、韓国ラウンジなどで飲んで韓国人ホステスなどと会話をしてみると、どうも彼女達がそれほどの反日感情を持っているとも思えなくなったそれに街中のマンションに越してきてみると、在日の人達とのつき合いもちょいちょあって、私の勝手な嫌韓感情も急速に薄まってきた要するに、私は国家としての韓国の、韓国国民の国民感情としての反日と言うことを知ってはいたものの、個人個人としての韓国人や在日の人達との接触の機会も無く、私個人としての独自の韓国人観や在日観を持っていなかったということになるこの頃つくづく感じることだが、この「国家レベルの意識」と「個人レベルの意識」と言うものの違いというものは、なかなかわかっているようで、よき機会が無ければ、理解も出来なければ、ましてや実感として感じることが出来るものではない少なくとも、私の場合は、そうであった長年、商社マンとして、海外にも住み、外国人との異文化交流の機会を持ちながら、恥ずかしいことであるただ、私としても、言い訳を用意してある (笑) 私は、商社マンとしての経歴の最初のステージでは、ヴィエトナムやインドネシアなどでの東南アジア・ビジネスにたずさわり、その後はすべて中東や欧州ビジネス担当であった現地の女性と情を通じると、強制的に結婚させられるか、あそこをちょん切られる中東はともかく (笑) 、欧州では、ビジネス相手の男性以外にも、プライベートに女性達とも異文化交流を、自主的にボランティアとして重ねてきた人間であるすみません(なにを謝っている?) (笑) それに元妻も欧州の人間であるだから、私の場合、白人に対する認識や親しみや、彼等へのスタンスというものはある程度、確立していると言うことが言えるかと思う劣等感も無いし、優越感も無いその一方で、韓国・台湾・中国などの、いわゆる東アジアでのビジネスの経験は全く無いしたがって、人間関係も皆無であった女性との異文化交流も無かった(こればっか) (笑) 本当の彼等を知る機会が無かったのであるまた、韓国人と一口に言っても、さまざまな個人が存在しているのであって、あたりまえではあるのだが、その一人一人に、個性があり、歴史があり、状況があるそう言うこともうすうす (笑) 知りながら、東アジアの人達については、ついつい一般化して、まるめて「そもそも韓国人は・・・」などと、外からの視点で今まで書いてきたことも、実は、反省しているのである(もっとも、韓国人特有の国民性が無いと言っているわけでもないし、それに対する意見もあることはあるのだが)なにしろ先般、中国にわずか数日行っただけで、ガイドの女性達の可愛らしさや誠意に感激して、「中国が好きになった」と、突然、コペルニクス的転換の軽率な発言をした私である(明日に続く)
2009.07.08
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海外のオイスター(牡蠣)バー【復刻日記】私としては、住む場所としてのアメリカは、なんだかもうひとつ情緒や濃い文化が無いような気がして(ぜいたくですが)今までそれほど評価していなかったのですが、やはり最新の文化・情報とニューヨークのミュージカルやビデオショップの魅力には抗しきれません米国東海岸に滞在している時には、ブロードウェイのミュージカル観劇と、やはりブロードウェイにある大型店でのビデオあさりが楽しみでしたビデオ販売の店のビデオの品揃えが日本と比較にならないほど多いし(タイムズ・スクエァのヴァージン・メガショップなどはすごい)、通販のアマゾンとちがって、現地で自分で買って持ち帰れば、アマゾンより安いし、第一送料も要りませんみなさんもぜひ行かれてみてはどうですか?(追記 しかし日本語のスーパーインポーズが無いところが欠点です)ニューヨークと言えば摩天楼ですが(表現が古いかな?)、デボラ・カーとケイリー・グラント主演の名画「めぐり逢い」のすれちがい現場検証を兼ねて、あの9.11の世界同時テロで崩壊したWTC(ワールド・トレード・センター)ビルに代わって今やNYでクライスラービルなどと並んで一番高い建物の一つに復帰したエンパイヤー・ステート・ビルに登ってみました(追記 当時はこう書いたが、考えてみれば、グランドセントラル駅近くのクライスラー・ビルがマンハッタンで一番高いビルだと思う)ちょうど休日にあたったため観光客が多く、切符売り場やエレベーターの待ち時間の合計実に45分やっと到着した頂上付近の展望台から見下ろすマンハッタンの風景は、あの「ウェストサイド・ストーリー」の冒頭の場面での空撮場面、マンハッタンの俯瞰図そのものでしたただし展望台の売店で売っているのは残念ながら「キングコング」の玩具だけでしたワールド・トレード・センター)にも通勤していたことがありますが、よもやあの巨大なビルが、しかも二つとも倒壊して、ガレキの山になるとは思いませんでしたしかしともかくエンパイヤー・ステイト・ビルディングはまた昔の世界一高い建物、「天に一番近い場所」になりました(これはたしか「めぐり逢い」の中のセリフです) ーーーー ◇ ーーーーグランド・セントラル駅もいろんな映画の舞台になっていますが、地下に有名なオイスターバーがあります米国のメニューでは牡蠣は品種別になっていて値段もちがいます米国にはブルーポイントという名前の牡蠣があり、最もポピュラーですそれにクマモトという名前の小振りな牡蠣もありますこのクマモトは戦後、アメリカの牡蠣がバクテリアに冒され絶滅寸前になったときマッカーサー元帥の命令で熊本からとりよせた大量の牡蠣が繁殖したものとのこと本来なら牡蠣と言えば広島ですが、当時の広島は原爆被爆の直後でとても牡蠣の輸出などの話では無かったのですフランスのパリでも秋以降はレストランの前で大きな皿に大盛りの氷と生牡蠣を積み上げていて食欲をそそります実はフランスの牡蠣も一時絶滅寸前になり、同じように日本の牡蠣(マガキ)が危機を救い現在のフランスの牡蠣の90%は日本の牡蠣の子孫とのことですロンドンの王室御用達の店が並ぶジャーミンストリートにも牡蠣で有名なレストランがあって18世紀後半の創業だそうです一階はバーになっていてカウンターで飲みながら味わう、二階はレストランですどうもわけありのカップルが来る雰囲気です昔、私がガールフレンドとあそこで食事したときに、牡蠣の味付けに出てきたのはトマトケチャップとレモンでしたが、普通はレモンにタバスコとか、ホースラディッシュだ老と思います(私はホースラディッシュが大好きです)最高級百貨店ハロッズのオイスターバーも有名です故ダイアナ妃とハロッズ・デパートのオーナー(サウジ・アラビアの武器商人、アドナン・カシオギの義理の兄弟にしてエジプト人です)のドラ息子!!の情事の果ての、暗殺疑惑についてはまた別に書いてみたいと思いますベルリンの高級百貨店KaDeWeは最上階の食料品売り場が豪華で有名ですが、そこにもオイスターバーがあって、目の前でコックが牡蠣をガキッと、開いてくれて皿にのせて出してくれると海水が溢れますそれをドイツの白ワインをのどに流し込みながら食べると最高・・・越の寒梅は正月のお屠蘇として飲んでしまったし、ドイツのモーゼルワインもそれだけではそれほどでは無いし・・・
2008.12.28
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■ 韓国旅行をすると難病も治る○昔、ビジネスで訪れた時とは時代が違うせいもあると思うが、今回訪問したソウルは韓国らしさが薄れて日本の都会とあまり変わらない感じがした都会でも、ちょっと寂れたところや田舎にはまだ韓国独特の雰囲気があるようだが釜山は高層マンションが林立しているが、街そのものは大したものではない○昔、悪名が高かったタクシーも、一・二の例外を除いてあまりスピードは出さないし、運転手は穏やかで親切だった一人、昔の神風タクシー風の柄の悪いのがいたが○ただし、食は口に合わなかった私には、匂いと味覚がダメなのだニンニクは大好きなでバリバリ食べれるのだが、どうも料理全般にニンニクの甘くて重い匂いがあって食傷するこれはうまい、という料理に当たらなかった食べ物の味、そのものにちょっと欠けているように思えた韓国料理とは相性が悪いようだ焼き肉も日本のものの方が美味しいと感じたマクドナルドなら味は大丈夫だろうと思ってビッグマックを買ってみたら、内側両面にベッタリと唐辛子が塗ってあった中華料理も韓国料理的な味付けだった焼鳥屋に入ったが、大きな豚肉が串刺しされているだけで芸がないこれは日本の焼鳥屋の方がはるかにうまい釜山の港の近くの市場の海産物を水槽に入れてある名物店にも入ったベンチに座ってリクエストした魚貝類を韓国焼酎と共に食べるうまいだろうな~と思っていたのだが、それほどでもないちょっと生臭すぎる考えてみたら、焼酎より日本酒なら美味しかったはずだと思う○人々も、私の持っている悪い先入観とはちがって、ふつうであるむしろ、大阪人のように気安くて率直で親切な所がある考えてみれば、昔の方が、反日の気分が強かったように思う外国人、特に日本人に慣れていなかったこともあるだろう○道路は狭い日本とちがって広々としていて、車社会であるママチャリがそこいら中にチョロチョロしている日本とは全くちがう滞在中に自転車で動いていた人を見たのは、一例だけである○ソウルの南大門市場にしても、釜山の市場にしても、大阪のコリアンタウン・鶴橋とよく似た、ごちゃごちゃした、汚い、暗い、狭い、臭い、足元の悪い、テント張りが多い、人が肩をぶつけながら混雑の中を進むような・・・そんな市場がいまだに残っていて、庶民の買い物は、もっぱらこういう市場でやるようであるこういう市場はヴィエトナムも同様南中国文化圏の特徴かも知れない日本は、いつのまにか、こういう「闇市」型の市場を無くしてしまって、こぎれいな商店街ばかりになっている○こういう闇市的な通路の狭い市場で運搬の役割をになっているのが、オートバイやオート三輪である見たところノーブランドとも見える、手作り風のレトロな、古ぼけた自転車にエンジンを付けただけという風情のオートバイが、狭い通路の人ゴミを縫って商品を運搬している小型の三輪に改造されている(らしい)ものもあるこの辺は遅れていると言うより、素朴でいいな~と思った○韓国の人々の顔は、やはり日本人とは異なる一人一人を見ている限りでは、それほどにも感じないのだが、集団・公衆ともなれば、はっきりする特に目つきがちがうやはり異国の人達である○予想とちがって、美人女性を見かけなかった知人は「明洞(銀座の様な通り)に行けばいるのだ」、と言っていたが、そこだけ別人種でもないだろうにみな、厚化粧もしないで、こざっぱりした感じであるファッションは日本の女性に敵わない○男性も、以前、風呂屋でじっくり観察したように、映画俳優のような男はいなかった○こ~ゆ~事であれば、韓国旅行をぜひしてみたいとは思わない国のレベルとしては、もちろんヴィエトナムなどよりは上なのだが、ここがいい!という魅力的なポイントが私にとっては、見つからないのであるもし牧歌的な、昔と変わらぬ風景の田舎があるとすれば、そう言うところへは行って、写真でも撮ってきたいそれにウォンが最盛期の半分になったと言うことだから、買い物にはいいだろう ―――― ◇ ――――○それで思い出したが、高麗人参と漢方薬はすごい高麗人参の専門店に案内されて、最高級のものを大量に買った同じく、漢方薬もそれを毎日飲んでいたら、最近、二年前ほどに数値が基準値の四倍もあった血糖値と肝臓機能ありきたりの投薬を飲んでいただけで、数値もすっと少し良化したぐらいだったのが、最近、検査してみたらなんと立派に正常になった医者もビックリしていた(肝機能の方は毎日飲むものだから、あと一歩だが)怠け者だから特別の食事療法や運動もしていないこれはやはり、高麗人参と漢方薬の効果以外のなにものでもないだろう酒も高麗人参酒をがぶ飲みしていたし (笑) 何しろ二年前は、直ぐに疲れて、歩くだけでもつらかったし、寝てばかりいたし、ゴルフをすると倒れそうだったのだ漢方薬は西洋医学の医薬品に較べて速効のものではないが、体力を付けるとか、免疫力を向上させるという効力があると言われている体質改善の効果が基礎である「チャングム」や「ホジュン」という韓流時代劇を見ると、朝鮮民族は実に健康に気をつけている医食同源・医薬同源を、日常生活の中でも意識しているようであるその点では、日本人よりはるかに健康管理の意識が高い見習いたいと思う○今は、高麗人参や漢方薬がウォン安で安くなっているはずであるでは、近々ぜひまた韓国に旅行しよう食べ物も美味しいし、女性はきれいだし・・・ オイオイ
2008.12.15
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海外のオイスター(牡蠣)・バー 【復刻日記】更新しようと思うのだが、なぜか忙しくてまとまった時間が取れないそこでまた【復刻日記】に逃げる事にする私が楽天ブログを始めた頃のものである ―――― ◇ ――――私は住む場所としてのアメリカは、なんだかもうひとつ情緒というか?濃い文化が無いような気がして(ぜいたくですが)今までそれほど評価していなかったのですが、やはり最新の文化・情報とニューヨークのミュージカルやビデオショップの魅力には抗しきれません。米国東海岸に一時的に滞在している時には、ブロードウェイのミュージカル観劇とビデオあさりが楽しみでした。ビデオを販売している店(レンタルではない)のビデオの品揃えが日本と比較にならないほどですし(タイムズ・スクエァのヴァージン・メガショップなどはすごい)通販のアマゾンとちがって、現地で自分で買って持ち帰れば、アマゾンより安いし、第一送料も要りません。みなさんもぜひ行かれてみてはどうですか?ニューヨークと言えば摩天楼ですが(表現が古いかな?)、デボラ・カーとケイリー・グラント主演の名画「めぐり逢い」のすれちがい現場検証を兼ねて、あの9.11の世界同時テロで崩壊したWTC(ワールド・トレード・センター)ビルに代わって今やNYでクライスラービルなどと並んで一番高い建物の一つに復帰したエンパイヤー・ステート・ビルに登ってみました。ちょうど休日にあたったため切符売り場やエレベーターの待ち時間の合計実に45分。やっと到着した頂上付近の展望台から見下ろすマンハッタンの風景は、あの「ウェストサイド・ストーリー」の冒頭のマンハッタンの俯瞰図そのものでした。ただし展望台の売店で売っているのは残念ながら「キングコング」の玩具だけでした。ワールド・トレード・センター)にも通勤していたことがありますが、よもやあの巨大なビルが、しかも二つとも倒壊して、ガレキの山になるとはおもいませんでした。しかしともかくエンパイヤー・ステイト・ビルディングはまた昔の世界一高い建物、「天に一番近い場所」になりました。(これはたしか「めぐり逢い」の中のセリフです) ーーーー ◇ ーーーーグランド・セントラル駅もいろんな映画の舞台になっていますが地下に有名なオイスターバーがあります。米国のメニューでは牡蠣は品種別になっていて値段もちがいます。米国にはブルーポイントという名前の牡蠣があり、最もポピュラーです。それにクマモトという名前の小振りな牡蠣もあります。このクマモトは戦後、アメリカの牡蠣がバクテリアに冒され絶滅寸前になったときマッカーサー元帥の命令で熊本からとりよせた大量の牡蠣が繁殖したものとのこと。本来なら牡蠣と言えば広島ですが、当時の広島は原爆被爆の直後でとても牡蠣の輸出などの話では無かったのです。フランスのパリでも秋以降はレストランの前で大きな皿に大盛りの氷と生牡蠣を積み上げていて食欲をそそります。実はフランスの牡蠣も一時絶滅寸前になり、同じように日本の牡蠣(マガキ)が危機を救い現在のフランスの牡蠣の90%は日本の牡蠣の子孫とのことです。ロンドンの王室御用達の店が並ぶジャーミンストリートにも牡蠣で有名なレストランがあって18世紀後半の創業だそうです。一階はバーになっていてカウンターで飲みながら味わう、二階はレストランです。どうもわけありのカップルが来る雰囲気です。数十年前に?私がガールフレンドとあそこで食事したときに、あそこで牡蠣の味付けに出てきたのはトマトケチャップとレモンでしたが、普通はレモンにタバスコとか、ホースラディッシュですね。(私はホースラディッシュが大好きです)最高級百貨店ハロッズのオイスターバーも有名です。故ダイアナ妃とハロッズ・デパートのオーナー(サウジ・アラビアの武器商人、アドナン・カシオギの兄弟にしてエジプト人です)のドラ息子!!の情事の果ての、暗殺?事件についてはまた別に書いてみたいと思います。ベルリンの高級百貨店KaDeWeは最上階の食料品売り場が豪華で有名ですが、そこにもオイスターバーがあって、目の前でコックが牡蠣をガキッと、開いてくれて皿にのせて出してくれると海水が溢れます。それをドイツの白ワインをのどに流し込みながら食べると・・・。越の寒梅は正月のお屠蘇として飲んでしまったし、ドイツのモーゼルワインもそれだけではそれほどでは無いし・・・。 ―――― ◇ ――――追記【復刻日記】ばかりではなんだから近くに料理屋というか、居酒屋というか、微妙なところの店があるその店では寿司から焼き物、鍋物、割烹まで守備範囲が広いネタも新鮮でいいものを揃えているので鄙には希な・・・というところだろう欠点は女将さんが気が利かないところである愛想がよくてテキパキ・シャンシャンという女将や女の子がいる店はそれだけで美味しい気がする私の町ではヴィエトナム美人のようなスタイルで都会的で愛想のいいママのいる和風焼肉屋があるスタイルがよくて美人と言えばしゃぶしゃぶ屋さんのママもいるこの人は愛想がいいと言うより、いつも自分の悩みを打ち明ける正直で苦労性の女性である感じがよくて愛想がいいと言えば洒落た和風料理のママもそうだただし和服なので美人ではあるがスタイルは不明であるいずれにしても我が町は案外、美人ママの多い町であるこの気の利かない女将がいる(笑)店では生牡蠣や岩牡蠣もいいのだが、栄螺(さざえ)が大きくておいしい私がこの長い人生で見た事もないほど大きな栄螺であるゲンコツの大きさほどもあるだろうか?この栄螺を塩焼きにせずに刺身で食べるとうまい私はアワビも好きで、いいものがあると食べるのだが、この大型栄螺はアワビにも負けない(やはり多少は負けるかな)それでいて、値段は数分の一であるしかしアワビのお粥というのもおいしいものである「アワビは非常に身体にいいのよ」アワビのお粥を食べている時、ある女性にこう言われたその女性に「アワビはいつもたくさん食べているから身体で証明しようか」と言ったら断られたアワビの片想い・・・
2008.10.03
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男湯をでてタオルで身体を拭いていると、番台の男性が「alexさん」と私をよぶ。彼が私の名前を知っているわけはないのだが、同行の女性が内線電話を通じて呼び出しを依頼してきたのである。彼の指示に従って、半袖シャツ+半ズボンのサウナスタイルになって、4階に降りる。4階に入ろうとして、ギョッとした。3階が女性用なのは知っていたが、4階も大勢の女性がいるのである。「ここも女性フロアか?!!」これでは、うかつに入ってゆくことはできない。女性のフロアに男性の私が入って行っていったら、大騒ぎになるはずである。痴漢と見なされるかも知れない。のぞき魔とされるかも知れない。おまけに私は韓国人が憎んでも憎み切れない『恨』の対象、『イルボン(日本人)』である!しかも『嫌韓派』であると知れたら、女性達にボコボコにされるかも知れない。考えただけで恐ろしいことである。それにボコボコでは足りなくて、集団レイプされてしまうかも知れない。考えただけで・・・うれしい、いや、恐ろしいことである。と逡巡(しゅんじゅん)していたら、同行の女性が私を見つけて招き入れてくれた。彼女の説明では、この4階のフロアは男女の区別の無いフロアで、風呂上がりの時間を楽しむところだという。よく見ると、少数だが男性もいるのである。「な~~んだ!」これで集団レイプの危険性も無くなった?ので、安心して部屋に進む。この部屋は全面タイル張りである。部屋の中央付近に、直系メートル以上もありそうな大木の幹がド~~ンと二本置いてある。これは背もたれの機能もあるようだ。中二階の部分は、漫画本(らしい)などが収納されている本棚や、ゲーム機やテレビが並んでいる。主に子どもが、これらの施設で遊んでいる。一階にはマッサージ室がある。食糧・飲料のキオスク的な店がある。ここでジュースや氷みぞれやアイスクリームなどを注文する。無料の冷水のタンクがある。さらには食堂まであるのである。それに加えまた、サウナの部屋が数室あるのである。いずれもドア付近に室温がネオンで示されている。ある部屋は、壁や天井が『玉』で埋め尽くされている。『玉』と言われたが、ジェムストーンのようなものだろうか?この『玉』から『気』が出るのだという。韓国人はよく『気』のことを言う。私は現在の科学では説明のつかない『気』なるものをそれほど信用していない。しかし郷にいれば郷に従えである。フンフンと聞いておいた。それに塩を混ぜた泥の壁のサウナもあって、同行の女性はその中に入っていった。私も入ろうと思ったが、その部屋の中は女性でいっぱいである。ここでも集団レイプの危険があるかもしれないので、敬して遠ざけて?遠慮しておいた。この大広間の床は、基本的にタイル張りというか、石張りというか、そういうものである。非常に硬い床である。考えてみたらサウナ室の床にしても、この大広間の床にしても、硬い床である。日本のサウナ室なら、木の簀の子(すのこ)の床になっていることが多い。大広間も板張りの床がふつうである。しかし韓国の床は、このように硬いものである。不思議である。よく見ていると、韓国の人々は、この硬い床に平気で座り込んだり、子どもは嬉々として遊んだりしていて、平気なのである。転んだら大変だと日本人の私はひやひやしたりするのだが。ここにいる人びとはほとんど、母と子である。中には夫婦・カップルもいる。この銭湯というか、スパというか、この施設の入場料は約500円ぽっきりである。風呂・サウナ・水風呂・読書・テレビ・テレビゲーム・飲み物・食堂・マッサージ室まであって、24時間オープンであるという。疑似・極楽といってもいいだろうと思う。これなら、日本のネットカフェ的に、ここに住み込む?人間が出てきても良さそうだと思うがどうだろうか?見たところそういう人種は見受けない。 ~~~~~~~~ついでに韓国の女性も観察してみた。日本の外国旅行番組では韓国ソウルの明洞(ミョンドン)(日本の銀座通りに相当)を歩く女性は、さっそうとした美人ぞろい・・・らしいが、私がこの銭湯で見る限りは、男性同様、「ハッとする」美人は見かけなかった。チェ・ジウのような美人は見かけなかった。チェッ!(つまらないダジャレで失礼)ごくふつうのお母さん・おばさん達である。私は、『ごくふつうのお母さん・おばさん達』は、(ふつうは)相手にしない主義?なので、この大広間で、サウナにのぼせて、ただぼうぜんとしているだけである。ちなみに、私が銭湯に入っているこの場所は、ソウルではなく、朝鮮半島の南端、釜山(プサン)である。釜山という地名はよく聞くが、私にとっては釜山は初訪問である。どうも、釜山であるから、首都でないから、美人がいない、いや、少ないのかもしれない。今回はソウルにも出向く予定なので、『ごくふつうのお母さん・おばさん達』には悪いが、明洞通りの韓国美人に期待しよう。聞くところによると、それに私の身近にも、韓国美人?に惚れて、韓国通いを続ける大和男子が多い(らしい)。それも中高年の大和男子が多い(らしい)。美しさに加え、韓国女性は日本女性に較べて情が濃いという。(私は、情が濃い女性は苦手である)(念のため書くだけで、他意はないのであるが・・・)ただ、この銭湯で観察する限り(裸は観察できなかった)、私が韓国美人目当てに韓国でロングステイする可能性は無さそうである(と思う・・・)(と・・・現在は思う)。
2007.11.19
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これを機会に?銭湯における裸の韓国の男を観察することにした。韓国の男性は日本の男性より、平均して大柄と言える。肉食の騎馬民族だからであろう。いや、「島国の種より大陸の種の体躯が大きい」・・・という動物学の法則がここにも働いているのかも知れない。朝鮮は半島とはいえ、大陸とは陸続きであり、島国ではない。私自身は、日本人としては長身で、韓国人の平均的男性よりも少し背が高い。今回も韓国人によく「日本人なのに大きいね 日本人らしくないね」と言われた。日本人の男は、小柄であるという定評があるらしい。私個人の身体的特徴として、上半身が厚くて円柱形に近いトルソである、お尻はそれほど大きくない。脚は、自分で言うのも何だが、長いほうである。ここで見る限り韓国人の男性は、下半身がたくましく、お尻が大きい。韓国サッカーの身体能力は、このお尻から来ているのだろう。肉食の騎馬民族だからであろうか?(こればっか)ただ脚は特に長いというわけではない。韓国の男性は、兵役があるせいか? サバサバしていて男っぽくて、だれひとりタオルで前をかくすこともしない。だから、私としては、その「前」を思わず観察してしまったのだが、やはりこれは、個人差の世界のようである。(以下自粛)これは意外といえるかもしれないが、顔の彫りが深くないせいか? 眉毛が薄いせいか? 刈上げの髪型のせいか? あまり美形という感じはもなく、色気もない。最近は一度しか行ったことがないが、日本の銭湯の日本の男達は、結構、個性のバラエティーがあって、濃い男や、ハンサムだなーと思う男もいる。そこへいくと、ここ韓国の銭湯の男達には、あまり個性を感じない。見たところでは、ただのおにいちゃん、ただのおっさんショーである。200人以上の男がいるはずなのに、ペ・ヨンジュンや、イ・ビョンホンのようなハンサムは。どこを探してもいないのである。温度が41度のジャグジーには、石製の大きな動物がその口から湯を吐き出している。いつか日記に書いた(クリスマスだが不幸な人達)温泉で湯船のライオンの口に頭をはさまれて取れずに苦闘した女性のエピソードを思いだしたが、これをよくみると大きなガマであった。ガマが湯を吐き出しているのである。しかも、もっとよく観察すると、このガマは尻に子ガマをのせているのである。後ろに回って尻の部分を見たら、なぜか肛門が無いのである。肛門がないばかりではなく、反対に肛門部分が出っ張っているのである。不思議である。このガマは、痔を患っているのかも知れない。または脱腸ぎみなのかもしれない。 ~~~~ 続く ~~~~
2007.11.17
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今回の海外旅行は、海外旅行といえないぐらい近いところである。それはどこでしょう?答えは韓国である。私のような嫌韓派が、わざわざ韓国へ旅行するとは!? と、不思議に思う方も多いかと思う。しかし、とにかく韓国へ行ってしまったのだからしょうがないのだ。(いばることもないが)それにしても、ハワイだけでも恥なのに、次は韓国とは・・・、僻地を単独踏破したストイックな探検家として高名な??私も、堕落したものである。日々に反省の念は強まってはいるのだが・・・。_| ̄|○では、なぜ韓国か?一応答えはあるのだが、その答えはそのうちに示すとして、いきなり!? ハワイを飛び越えて、記憶も新しい韓国での現地報告と行こう。 ~~~~~~~~実は、韓国で、一般人の銭湯へ行くというめずらしい体験をしたのである。これを先ずご報告したいと思う。ふつうの観光客は、ホテルのサウナぐらいには入るだろうけれど、一般の韓国人専用の銭湯にはまず行かないと思う。ただ、銭湯と言っても、日本でも「神田川」のような古典的な銭湯は少なくなっているはずだ。それに銭湯に代わって、いわゆるスパ(SPA)なる保養施設が一般的になっている(と思う)。これは温泉を中心にしたレジャー設備である。それに、昔なつかしい東京駅の東京温泉などのスチームバスも、かなり以前に、マッサージルームがあったり、テレビが見られたり、カプセルホテルが中にあったりで、宿泊設備を兼ねていた。しかし、いわゆる銭湯も、スパをお手本に変身しつつある。現に、私の住んでいる町の銭湯も、すでに「神田川」スタイルではない。小規模ながら、湯船も、ひとつだけでは無く、数個あり、それぞれジャグジーになっていたり、湯の温度が熱いものや、適当にぬるいものや、冷水風呂もあり、スチームバスやサウナもある。では、韓国の現代銭湯はいかなるものか? ~~~~~~~~車であるビルに到着した。このビルの三階ほどが韓国銭湯(SPAと称している)である。エレベーターもSPA目当ての乗客でいっぱいである。3階で降りる。受付で入場料を払う。ひとりの料金は、約500円相当である。この後は、男女別となる。ここで同行の女性とは行き別れとなるのである。残念である。心細くもある。女性は、そのまま3階に入って行き、男は5階に上がる。番台で、靴箱のカギを受け取って、靴箱に靴を入れる。そのカギを再び番台に手渡すと、ロッカーのカギと、支払い済みの半袖シャツ+半ズボンに、シャンプーとリンスと、あかすりタオルを手渡される。この「あかすりタオル」というのが韓国独特である。韓国の「あかすり」は有名だが、銭湯でもいきなり「あかすりタオル」である。日本式のふつうの「手ぬぐい」風のものより薄手である。私はあかすりが好きではない。私はなまけものだから、そうゴシゴシこすってもらいたくないのだ。それに、テレビである医者がいっていたが、『皮膚の表面のあかは、あまりこすって取り去りすぎてもいけない。あかはある程度、皮膚の保護の役目があるからである』というのである。育ちのよい私の皮膚は特にデリケートだから、皮膚の保護は特に必要なのである。番台から進む。左手に喫煙室がある。ベンチがあって灰皿があるだけである。痩せてひげが白い爺さんが、煙草を片手に深い物思いにふけっている。これに並んで理髪店がある。風呂で身体を清めると、さらに頭髪も・・・という欲求・発想には、うなずけるものがある。ヴィエトナム駐在の時に、理髪店へは何度か行ったが、後で聞くと、理髪店の二階の部屋には、若い女性がいて、とてもいけない行為をしてくれたそうである。頭髪を清めると、別な快楽が待っていたらしいのである。そういえば、理髪店には妙に色気のある若い女性がうろうろしていた。そうとは知らない私は、ほんの頭部の快楽だけで満足して帰宅してしまっていたのである。『そういうことは早く言ってくれなくっちゃ!!』これは最近、入院保険のテレビ広告で、私ほどの年配の男性が、好条件の入院保険があるのを知って口走るセリフだが、本当だよ!『そういうことは早く言ってくれなくっちゃ!!』しかし、例え事前にそれを知っていたとしても、散髪+洗髪を先にすますか? なにの方を先にすますか? 順序に悩むところである。せっかく整髪したのに、なにの方で髪が乱れてはいけないではないか。思いが乱れたところで広い室内を見わたすと、右手にはずらっとロッカーがある。そこで服を脱いで、裸になり、ガラスドアを開いて広い風呂場に入る。私が自分のロッカーを締めようとしたら、隣に全身、くりからもんもん、見事な入れ墨の男が来た。韓国では『入れ墨の方は、後入浴をご遠慮ください』という風呂屋のポリシーは無いようなのである。ガラス戸を開けて、風呂場に入る。先ず目にはいるのは、いくつもの湯船である。注意してみると、温度別になっている。一番温度が高いのが、41度のジャグジーである。次に38度のジャグジーである。15度の冷水湯船もある。日本の檜でつくったという屋根のついた小さな湯船がある。なぜか?深さが10センチぐらいという浅い35度の湯船?がある。ひとりの身体の幅のものが3個並列したジャグジーがある。小さなプールのような35度の湯船がある。ここでは、大人に混じって男の子が多数入っていて、バシャバシャと泳いだりして遊んでいる。この湯船の中央には、大きなマッシュルームの形をしたものがあり、その頂点から湯が流れ落ちている。それに天井から、2条の落とし湯が落ちてきていて、それに身体を打たせている男が居る。右手に、シャワーが並んでいて、そこでシャンプーを使って、洗髪したり、石けんで身体を洗う。または、日本の銭湯にあるような低い蛇口が並んでいて、小さな椅子に腰掛けて身体を洗う。この辺は日本と同じである。左手の奥に、いろんな温度のサウナやスチームの部屋がならんでいる。温度は35度から、一番熱いもので95度ぐらいのものまである。この一番熱い部屋に入ったら、石の床がオンドルにもなっていて、この温度がめっちゃ熱いのである。それと知らずにペチャペチャと歩いて入った私は、「熱いトタン屋根の上の猫」状態になって、跳ね飛びながらベンチに座ったのである。こういうだまし討ちは止めてほしい!しかしこういう卑怯な部屋だけではない。入ると天井から、穏やかな温度の、霧雨と言うか、小雨というか、小糠雨(こぬかあめ)というか、のようなものが、優しく降り注ぐ・・・という部屋も、あるのである。「こぬか~ 雨降る~ 御堂~筋~い」と、おもわず欧陽菲菲のヒット曲を口ずさんでしまったほど、快適である。私の記憶が間違っていなければの話だが、一般に日本のサウナ室では、日本のサウナ客は、タオルを頭からかぶって、滝のように流れる汗をものともせず、できるだけ長時間がまんするのを旨とする。断食・木食修行して、土の中の石室に入って、お経を読みながら、生きながらミイラになる修行僧・・・のように、苦行するのである。それで限界に来たときのみ、ガバッとサウナ室を飛び出ることが許されるのである。それが男らしい男の常識である。それなのに韓国の男は!、サウナに入ってきても、ほんの2・3分で、いとも意気地無く?出て行ってしまう。生活のどこにでも「道」を見つけて修行する日本との文化的差異がここに見られるのである! ~~~~~~~~これを機会に?銭湯における裸の韓国の男を観察することにした。 ~~~~ 次に続く ~~~~
2007.11.16
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以前にも書いたが、私は以前、東南アジアのある国でゴルフを始め、約半年間やったものの、その後は、現在に至るまで、数えるほどしかプレーしたことがなかった。そのある国とは、インドネシアだったが、今となっては今昔の感があるが、首府のジャカルタにいても、高層ビルはなく、デパートが一軒だけ、本屋も二軒?ぐらいの文化度だった時代で、休日はなにもすることがなかった。私の得意の?読書も、日本からあまり本を持ってきていなかったので思うにまかせない。しかたなく?同僚とゴルフ場へ向かったのである。それまで日本ではゴルフをプレーしたことがなかったので、ゴルフ用具も持っていなかった。日本からジャカルタに向かう途中で立ち寄ったシンガポールで駐在員に相談したら、あるゴルフショップに連れて行ってくれて、そこで私はポン!とスポールディングのフルセットを買ってしまったのである。キャディーバッグやシューズもついでに買った。なにしろ今から40年近く前の話なので、それほどクラブの知識もなく、店の人間にいわれるがままにそのセットを買ったわけである。シャフトはスチールで、ウッドはパーシモン(柿)という時代である。最近わかったのだが(知ろうともしなかったようだ)、シャフトの硬度は「R」で、当時の私にはやわらかすぎたのではないかな?ジャカルタにはゴルフ練習場というものは無く(どこかにあるというはなしではあったが)、そのセットで、いきなりラウンドをはじめた。ジャカルタには長期出張で、計半年ぐらいいたが、週に一度か二度かのラウンドだった。朝露の降りた高原でのプレーは、それなりにすがすがしいものがある。それになにしろ、東京などと違い、寮や社宅からせいぜい30分のアクセスである。それにもちろん、料金も安い。ゴルフ場にはキャディー希望の少年達が一杯待っていて、我先にわれわれのキャディーを持とうとする。ゴルフ場にある water hazard として池があるのだが、これは煉瓦色に近い泥色である。ちなみに「ブンガワンソロ」という歌がある。その日本語訳詞の一節にたしか「ブンガワンソロ(ソロ河) 清き流れ」という個所がある。この歌は、インドネシアの民謡であるという誤解をされることが多いが、実はグサン・マルトハルトノと言う人が作曲していて、訳詞は「緒園涼子」三なる人である。この人はこの他にも世界の名曲をいろいろ訳詞しているのだが、どの程度、原詩に忠実な訳詞なのだろうか?昔の訳詞なんて、失礼ながら、適当なものであったのではないか?と思うところがある。原語の原詩と比較検討する人も少なかった時代なのだから。以前、NHKのフランス語講座を見ていたら、講師があるシャンソンの日本語訳を例にとって、「リアルで哲学的な原詩が、演歌調・情緒的な内容の訳詞になっているが、これは訳詞と言えるのか?」と怒っていた。長くなったが・・・、私はソロ河を実際に見てきたのだが、日本の壁土のような色の泥水が流れていて、透明度ゼロに近い。なにが「清き流れ」なのか?また寄り道してしまったが、ジャワ島やスマトラ島の河は、土壌の関係でみんな泥色である。ゴルフ場の池も泥色である。この池に打ち込んだら、ボールがもどってくるはずが無い・・・と思うだろうが、ほとんどがもどってくるのだ。池の周辺で待ちかまえている土地の少年が、「池ボチャ」のボールが出ると、先を争って池に飛び込み、驚いたことにこのボールを回収して、ミスショットをしたゴルファーに差し出す。ゴルファーは、そこでなにがしかのチップをこの「water boys」達に与え、ここに一種の win win situation がなりたつのである。
2007.07.03
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私は独身時代が長かったから、結婚しても単身(いろいろ事情があるが)時代が長かったから、自分で料理をした経験がある。ニーズがあれば、すぐ作る。と言っても、私のレシピなんてきわめて限定的である。○ チキン・カレー (ただし、本場風?で、一羽丸ごとの鶏が入っている)○ 濃いチキン・スープ (カレーライスでゆであげたチキンを使用)○ スパゲッティー (ガーリック・ソースに限ると思う)○ 野菜炒め (学生の定番 この頃は魚肉ソーセージは使わないっ!)○ 讃岐うどん (冷凍物をゆでるだけ)(大阪うどんは腰がない)○ 魚や魚のアラの焼き物(鯖・鰯が多いかな?)○ 炒飯○ ビーフステーキ(ニンニクをたっぷり)(ステーキソースは使わない)○ 豚足○ 牛の赤腸を塩ゆでにしたもの(赤腸をおいている店が少ない)○ 牛タンの塩ゆで(皮をはぐのが大仕事) ~~~~~~~~私が、中東に長期滞在して、会社の独身寮にいた時のシェフがインド人だった。二人いたのだが、二人ともヒンドゥーではなくて、イスラムだった。しかし、いずれにしても、インド人で、確かケララ州の出身。寮の金曜日の、つまりイスラム休日の食事はカレーライスと決まっていた。非常にうれしい日である。実はシェフは、2種類のカレーを作る。日本人用の日本から送られてくる、カレールーを使用した日本カレー。それから、彼等自身も食べる本場風のカレー。私は文句なく、本場風を食べた。だから、と言うわけでもないが、自分で作るなら本場風のカレーである。まあ、冷蔵庫の中になにもない時は、レトルト・カレーだって冷たい飯にのせて食べるが、食べるときの幸せ感がまるでちがう。しかし、本場風を作るには、問題もある。カレールーというものは、本場インドには無いもので、あれは英国人が作って、日本人がそれに習ったものだ・・・という。日本海軍がカレーを艦内食として採用したという。確かに手間がかからない単純なものだから便利だろう。今でも横須賀には、この元祖海軍カレーを売るレストランがある、らしい。インドのカレーは、ルーではない。ご存じのように、数多くのスパイスを石臼で碾いて(ひいて)作るのである。主婦の仕事のメインなものである。石臼は日本の薬研のようなものである。このスパイスが、実に数多く必要(らしい)。私は全部を使用したことが無い。しかし、そのうちにデパートで、ほぼ全種類そろえたいと思う。ともかく、完璧ではないが、主要なスパイスは押さえて放り込む。もちろん、タマネギのみじん切りをきつね色になるまで、本当に大量に炒める。その他に、カレーには隠し味というものがある。代表的なものにニンニクトマトセロリ醤油ウースターソースチョコレート塩胡椒チーズ・・・ まだあるのだが、このへんにしといたるわ!私はカレーの中に入れるナスが好きである。これはインド人シェフが入れていた。私は福神漬けとラッキョにこだわらない。(笑)もともと本場では、マンゴーなどのチャツネだ。ラッキョは好きだけれど、福神漬けは柴漬けでもいい。きゅうりのキュウチャンでもいい。大好きなオリーブでもいい。 ~~~~~~~~讃岐うどんは、トッピングがたっぷりだと楽しい。トッピングが冷たいとうどんも冷めてしまう。トッピングと言っても、実はネギと七味と薄く切った揚げ豆腐なのだ。大阪のきつねうどん用の油揚げは甘すぎる・・・と言いながら美味しいのだが、やはり甘すぎるということで揚げ豆腐を薄く切って、ちょっと醤油をたらす。 ~~~~~~~~ ポーランドでいつも食べていた酸っぱくないピクルス。特に初夏にでる浅漬けのもの。これが恋しい。市販のピクルスは、人工甘味料の味がする上に、甘過ぎ、酸っぱすぎ。いくつも試しに買ってみては、ガッカリする。これに欧州風の固いパンにバターを塗ってピクルスのスライスとサラミとオリーブをのせて、オープンサンドにすると・・・。
2006.10.31
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【復刻日記】各国鉄道事情今日の「ザ・ワイド」を見て、世界中のメディアが今回の福知山線列車事故をトップ・ニュースであつかっている事を知った。その中でもユニークだと思ったのは韓国の新聞の見出しだ。この大惨事に対して、「日本人の自尊心も脱線」とか、「技術力の欠点が露呈」だとか・・・。なんとも、マナーの無い国民だな~。鉄道事情が悪くて何度も大事故を起こしている英国では、日本の電車事故を大きな驚きで受け止めている。「busiest and most sofisticated Japanese railway system 世界で最も過密で精密な鉄道システムを誇る日本の鉄道が・・・」とアナウンサーがしゃべっていた。米国でも三大ネットワークがトップであつかっている。車社会の米国では、日本のように電車が発達していない。たとえば、ニューヨーク州の隣の高級住宅街とされるコネティカット州から、ニューヨークに通勤するとなると、二つのオプションがある。車でフリーウェイを片道1時間ほどかけて(渋滞の程度にも依るが)、通うか?フリーウェイの渋滞地獄アムトラックという日本のJRのような鉄道で最寄りの駅からニューヨーク(グランド・セントラル駅 Grand Central station)へ通うか?グランド・セントラル駅正確に言うと、アムトラックは全国的な長距離の会社で、コネティカットとニューヨークを結ぶ路線は、同じレールを走る「北なんとか」という名前の会社なのだが。反対方向のニュージャージー州(ニュージャージー訛りでは「ニュージョイジー」と発音する)向けの列車も別会社で、少し離れたペンシルベニア駅(PENNSYLVANIA station)(多分ペンシルヴェイニアと発音すると思うのだが)から出ている。一般に外国の大都市の列車の駅は、一つの駅に扇の要のように集中しているのではなく、目的地別に数個の駅に分散していることがほとんどだ。ロンドンでも、数個の駅に分かれていたし、パリでも・・・、「北駅」とかがある・・・。(パリはあまりよく知らないので、・・・これぐらいにしといてやるわ)だから終着駅は本当に終着駅で、その駅で打ち止めになる。話が飛んでしまったが、この米国の電車は、日本の通勤時の電車のように3分に一本なんてダイヤでは来ない。一時間に2・3本がいいところだ。だからその利便性で、とても日本の電車にかなわない。これは米国だけでなく、どこの国でもそうだ。また話が飛ぶが、全国路線のアムトラックは、見上げるような巨大なディーゼル機関車が牽く、完全に汽車スタイルの列車?だ。駅に到着するときは、グォ~ンというディーゼルの音を響かせながら、またカ~~ン カ~~ンと鐘をつきながら入ってくる。さすが大陸の列車だと感じる瞬間だ。アムトラックの巨大な機関車アムトラックにも事故はあったそれで思い出したが、ロシアの列車も巨大だ。私が見かけたのは兵員輸送列車らしく、ほとんどの窓はカーテンが引かれていたが、そのカーテンの隙間から、ロシア独特の帽子をかぶった兵隊たちが見えた。また、思い出したが、サウジアラビアでアムトラックが走っていた。東海岸のアル・コバール(アルというのは英語の定冠詞 THE にあたる)(スペイン語の EL は,AL からの借用語)から首都のリアドまで、大砂漠を突っ切って走る。アル・コバールの駅なんてバス停に毛が生えたぐらいのものだが。アメリカが建設したものだが、アムトラックの機関車とアルミ製の丸い車体の列車をそのまま持ってきている。アムトラックの列車一度乗ったことがあるが、確か8時間ほどかかったと思う。途中はほとんど砂漠なのだが、以外にも緑の地域がある。サウジアラビアの大砂漠の地底には、太古の昔から石油のように地層の間に滞留した水が大きな湖のように存在している。乾燥しきった砂漠の下に満々たる水をたたえた地底湖があるとは皮肉な話だが、サウジはこの地底湖の水をくみ上げて(おそらく米国の石油掘削の技術が使用されているのだろうと思う)、灌漑を施し、農作物(主に小麦)を栽培し始めていたのだ。井戸からくみ上げた水を長大なパイプ状のスプリンクラーで放水する。そのスプリンクラーは、例えてみれば時計の針の様にグルグルと円形に回転して、その部分を緑に変える。そういう巨大な緑の円がいくつも連なる地域がある。こういう地域が拡大すると中東の気候も変わってくる。それに産油国の大都市は、海水を真水に変える海水淡水化工場からの水を使って、花壇や芝生を増やしている。おかげで、私が滞在していたアブダビやサウジでは、年に一回ほど大雨が降るようになった。木々に小鳥がさえずるようになった。乾燥を前提にして成り立っていた街に大雨が降ると街中、小さな洪水のようになる。列車がリアドに近づくと夜のとばりが降りる。列車はリアドに近づくとなぜかノロノロ運転になる。一時間ほどノロノロ運転を続けて、列車はどうやら砂漠越えの難行を終えてリアドの駅に到着。フランスの列車に乗ったことは無いが、地下鉄(メトロ)はある。しかし、メトロの駅の周辺は使用済みの切符が雪のように捨ててある。それにパリは犬のフンもそこいら中にしてある。英国の鉄道事情もあまりよくない。設備が古いし、従業員の質がよくない。列車が時間通りに運行されることはあまり無いという印象だった。私はロンドンの金融街、シティーというところにオフィスがあったので、ロンドン北部への路線の「ノーザン・ライン」という地下鉄で通勤していた。この地下鉄は、郊外では地上部分を、市内では地下を走る。ロンドンの地下鉄駅ノーザン・ライン路線図通勤の朝は、北部の地上駅で地下鉄を待つ。15分に一本ぐらいのダイヤだっただろうか?しかし、時間の正確さはともかく、列車が運休することがザラなのには悩まされた。どうも列車が来ないな~と思うと、アナウンスが始まって「Due to technical reason」・・・、つまり、技術的な問題で、つまり車両故障でまたは「Due to unavailability of driver」・・・、つまり、運転手がずる休みをしたから・・・「この列車は運休といたします」と沈着冷静にのたまうのだ。人種偏見かもしれないけれど、ロンドンの地下鉄の従業員は、駅員も乗務員もカリブ海出身の黒人が多いから、こうなのかもしれない。「オイオイ! 冗談じゃないぜ! いつもこれじゃないか!」とどなりたいところだが、周りを見渡してみるとさすがは英国人、何食わぬ顔をして表情を変えず新聞に読みふけっている(ふりをしている)。私は彼らが結構あせっているのを知っているが、彼らはそれを隠したがる。そういう環境にいた私だから、今では沈着冷静、どういう事態になっても興奮することはない・・・。(これが本当ならいいんだが)
2006.10.02
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会長さんのブログに寄せた私の短いコメントである。私は、映画「ゴッド・ファーザー」は、残酷さのための残酷という趣があると思うので、好きな映画ではありません。ただ、この愛のテーマはいい曲ですね。シチリアで二週間ほどヴァカンスを過ごしたことがあります。首都パレルモから車で一時間ほどの、小さな古い岬にある町でした。シチリアの人は、アラブの血が濃く入っているせいか、都会のイタリア人とは違い、重く暗い雰囲気があります。ホテルで結婚式を見ましたが、男女ともに全身黒づくめの衣装で、すこしも華やかな気分を感じませんでした。シチリアは、ギリシャ・ローマ時代の遺跡が島中に点在した素晴らしい観光地ですが、アラブやヴァイキングなど、いろいろな民族に征服された歴史もあり、イタリアと言う言葉ではくくれない場所ですね。
2006.05.22
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さっき書いた、「英国流ティーの作り方」という日記に関係して。これは、前にも紹介したけれど、私が愛用している「電気ケトル」というか、「電気ヤカン」を、もう一度、紹介しよう。楽天市場で紹介がある。T-FAL/ティファール ニューヴィテスエクスプレス 1L このモデルの容量は1リットルですが、1.7リットルのモデルもあって、台所で料理用のお湯を沸かすとか、いろいろ使えると思います。しかし私は、この小さなモデルのフォルムの美しさと、背が低くてまるいボディーの、あつかいやすさに惚れています。以前日記で取り上げたら、ウィッシュさんが買って、愛用してくれていると、このひとつ前の日記にコメントしてくださった。●便利な機能◎自動電源オフ機能がついているので安心・便利◎空だき防止機能がついているので安心◎本体がコードレスなので持ち運びがラクラク◎間口が広くお手入れがとてもしやすい◎窓から湯量が確認できて便利◎スイッチひとつでお湯が沸くシンプル操作◎360度、どの向きからでもケトルがセットできます◎取り外しができるフィルターがついて衛生的◎熱源が露出していないので衛生的 ◎湯沸し中も熱くならないクールハンドル ★新しいヴィテスの改良ポイント★ ◎モダンなデザインだけでなく、ご年配の方を含めた全ての方に持ちやすいハンドル形状に改良されました◎パイロットランプがつきました◎フタから注ぎ口にかけてのデザインを改良し、注ぎ口からほこりを、入りづらくしました◎フタのボタンが大きくなり、開けやすくなりました◎フタを開けたときに、フタが固定するようになり、水入れやお手入れがしやすくなりました ~~~~~~~~とにかく、コーヒーや、インスタントスープを飲みたいと思った時に、インスタントラーメンを食べたいときに、あっという間に、この「T-FAL/ティファール ニューヴィテスエクスプレス 1L」で熱湯、この前の前の日記で言うところの「沸騰したお湯」「boiling water」を手に入れる事が出来るのでありがたい。普通のヤカンをガスレンジで沸騰させることも出来るが、この電気ケトルの利点を、(しつこいが)数え上げてみよう。具体的には、上の●便利な機能と★新しいヴィテスの改良ポイントから、私が特に評価する点を解説しよう。ティファール社よ! 感謝してくれよ。(もちろん、他社の同等品もあるが) ●便利な機能◎自動電源オフ機能がついているので安心・便利(ガスだと、沸騰したら自動的にオフにはならないから、消し忘れもあるから、自動オフは経済的)◎空だき防止機能がついているので安心(ガスだと、空だきが怖い)◎窓から湯量が確認できて便利(普通のやかんでは湯量が確認できない)◎湯沸し中も熱くならないクールハンドル (ハンドルが熱くならないというのも重要)★新しいヴィテスの改良ポイント★ ◎モダンなデザインだけでなく、ご年配の方を含めた全ての方に持ちやすいハンドル形状に改良されました(本当に持ちやすい 女性にはちょっと太すぎるかも知れない)◎パイロットランプがつきました(電源が入っているかいないかの確認は意外に大切) ~~~~~~~~実は、このティファールは、私にとって「電気ケトル」として、第三世代なのだ。下記の日記もある。コーヒーと電気ケトル第一世代は、私の日記「神田川」にもあるように、学生時代だ。復刻日記 「神田川」の世界は私の学生時代の雰囲気をよく写し取っている ここで私はこう書いている。 ~~~~~~~~ともかく、当時の学生の持っている文明の利器と言えば平均して下記の「四種の神器」だったと思う○ ラジオ○ 卓上蛍光灯スタンド○ 電気コタツ または 石油ストーブ○ 電気炊飯器当時は電気冷蔵庫を持っている学生なんていなかった。なんともシンプル極まる生活である。 ~~~~~~~~四種の神器に、電気ケトルが入っていない。訂正して、深くお詫びをしたい。_| ̄|○とにかく、この時代、昭和30年後半から40年前半にかけて、日本製の縦に細い電気ケトルが一般化していた。下宿の大学生は必ず持っていたと思う。第二世代。私にとっての第二世代である。欧州や中東で、ホテル住まいをしていると、時々どうしても、日本のインスタント・味噌汁を飲みたくなるし、コーヒーや紅茶を飲みたい。それで、西独製のシーメンス製の大きな電気ケトルを買った。欧州はなにしろ電圧220ボルトだからすぐに湧く。豪華ホテルの豪華ダイニング・ルームに出かけていったり、ルームサービスでむつけきボーイの顔を見たくない気分の時などは、食料店でパンとハム・ソーセージ・缶詰などを買って来て、ホテルの自室で食事をした。そんなときに、これでコーヒーや日本から持参した日本茶を飲んだ。大型なので広口で、中にインスタントラーメンを放り込んで、鍋代わりにつかったりもした。あれ?あの電気ケトルもどこかに行ってしまって、手元にない。もっとも100ボルトの日本で使用は出来ないのだから、きっと誰かにあげたに違いないと思う。で、次が第三世代で、それがティファールである。なぜか、100ボルトの日本でも非常に早く沸騰する。それに第一世代の単純なものと違って、本当に使いやすく便利なものになっている。そろそろ、腹も減ったので、ファミレスへステーキでも食べに行って、帰宅してから、この電気ケトルで、ホット・コーヒーを作って飲もう。
2006.02.28
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昨日の香水の話題の日記で、ニコルさんが「alexは、どんなにおいなのだ?」という質問をしてくださったので、これをヒントに香水の事を書いてみようと思う。私自身は無臭のつもりですが、ひょっとすると悪臭かもしれない。(笑)好きなオーデコロンはあります。日本では男性のコロンは、あまり好評では無いようだが、私は東南アジアや中東という、酷暑の地域への海外出張が多かったので、オーデコロンは現地でよく使った。これは私だけではなく、同僚や、建設工事に着ている技術屋さんや職人さん達も、毎日コロンをつけていた。暑いので汗をよくかく。シャワーを浴びる、浴びた後にコロンを振りかける。これは、みんなが習慣にしていたこと。なぜかな?とにかく、単に匂い消しという意味だけでも無かったですね。おそらく、変な表現だが、東南アジアなどは、芳醇な果物などの匂いが充満した世界で、コロンでもつけていないと、バランスがとれ無いような気持ちがしたからかも知れない。 ~~~~~~~~それぞれ、性格の違う香りなのだが、私の好きなコロン達を列記してみる。それぞれのコロンの解説は、ある香水通販サイトから引用させてもらう。 ~~~~~~~~● ロシャス ムスタッシュROCHAS MUSUTACHE ~~~~~~~~解説 :グランパルファン「ROCHAS」フレグランスから1949年に発売されたメンズです。「MOUSTACHE」とは「口ひげ」のこと。名の通り、口ひげを品良くたくわえるような、ダンディーなマスキュリニティを感じさせるフゼア・ウッディ・アンバリーを基調とした佳作です。調香は孤高の天才エドモン・ルドニッカ。残念ながら日本では極稀少品です。バジル、ベルガモット、ラベンダー、レモン、プチグレイン、バーベナなどがスッキリと立ち上がるトップから、カーネーション、ニガヨモギ、ゼラニウム、ハニー、ジャスミン、ローズなどが大人の男の気品を広げるミドルへ。ラストはアンバー、シダーウッド、モス、ムスク、トンカビーンズ、バニラなどが、余裕を感じさせる包み込むような甘さで身体を包み込んでくれます。伝統と革新を確かに感じさせる、真の男による真の男のための香水です。スーツ姿がばっちり似合う、仕事も遊びも超一流の貴方の嗜みにマストなアイテムですね。 ~~~~~~~~私の最初の海外赴任地は、ヴィエトナムのサイゴン(今のホーチミン)だが、現地で生まれて初めてのコロンを買ったのだが、それがこのロシャス ムスタッシュ ROCHAS MUSUTACHEとても爽やかだが、それでいて麝香の匂いもする。私には、青春の匂いがするコロンだと思える。私は案外もの持ちがいい方で、と言うより、なかなか捨てることができない人間で、人によってはケチだともいうが、結構整理分類して保存しているものが多い。香水もその一つで、使ったものは、使い切らないので、ほとんどを保存している。例に漏れず、このサイゴンで使ったコロンも、数十年を経て、まだ持っている。サイゴンで毎日使ったので、コロン自体はきれいな化粧瓶の底に分量的に、チョッピリ残っているだけだが、蓋をそっと開けて嗅いでみると、ツンと鼻に入るその香りと共に、瞬時にあの蒸し暑く、芳醇な果物に満ち、ホンダの喧噪のサイゴンの街角と、アオジャイをほっそりとした身にまとったサイゴン・ガール達があるく姿が目に浮かび、次の瞬間には・・・、シエスタ(昼食後の午睡)の時間のシャワー室の窓を打つスコールの雨粒が、外の住宅の赤い屋根瓦の風景をトロンとした磨りガラスを透したようなものになる。たまらなく、懐かしい・・・。臭覚というものは、五感の中でもっとも過去の記憶を瞬時に引き戻す、タイムマシーンのようなものだと思う。== 続く ==
2005.10.07
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【復刻日記】「翼竜の謎 THE TIMES OF PTEROSAURIA 翼竜・首長竜・魚竜の時代」世に言う「恐竜ファン」は結構いるものである。私が先日紹介した「翼竜の謎 THE TIMES OF PTEROSAURIA 翼竜・首長竜・魚竜の時代」という本は、恐竜のみならず、恐竜の仲間の巨大爬虫類たちも含めて論じた本。私はこの本がただの恐竜ではなくて、翼竜・首長竜・魚竜というマイナーな巨大爬虫類がテーマなので読みたいと思った。例によって本の扉の解説を引用してみたい。----------------恐竜が支配していた中生代の地球。だが、彼らはあくまでも地上の支配者にすぎなかった。空中や水中では他の巨大爬虫類 ―― 翼竜・首長竜・魚竜 ―― たちがその栄華をきわめていた。巨大爬虫類の黄金時代と言われる中生代。この時代の生態系をトータルにより深く理解する上でも、これら翼竜・首長竜・魚竜は欠くことのできない存在だ。しかし、いままでこれらの巨大爬虫類はえてして恐竜といっしょに扱われ、その存在自体がまともに紹介される機会にめぐまれなかった。本書は、海外の一次文献、または第一線の研究社の収集した直接情報をもとに、知られざる翼竜・首長竜・魚竜などの巨大爬虫類と人類の祖先である哺乳類型爬虫類の謎にスポットをあてた日本初の入門書である。----------------この翼竜というのは始祖鳥という名前で知れている空飛ぶ爬虫類の仲間だ。首長竜・魚竜は海生爬虫類と呼ばれている。山下清ではないが、わかりやすく「軍隊の位で言うと」翼竜が空軍恐竜が陸軍首長竜と魚竜は海軍・・・というところかな?それぞれのテリトリーで王者として君臨していた爬虫類だ。この内の首長竜は例のネス湖のネッシーが(もし実存しているとすれば)これであろうと言われる首の長い爬虫類。哺乳類型爬虫類とはアザラシのような形態の爬虫類がだんだん哺乳類に進化して、ついには爬虫類から抜け出して哺乳類の先祖となった。つまり人類も哺乳類の仲間ではあるのだから、この哺乳類型爬虫類が我々のご先祖様と言うことになる。とにかくこれは面白い本だが、まだあまり読み進んでいないので、紹介はここまでとする。~~~~~~~~~二年ほど前にニューヨークで下記の博物館を訪れたことがある。アメリカ自然史博物館 American Museum of Natural History 住 所 Central Park West at 79th StNew York, NY 10024(bet 77th & 81st Sts) TEL Tel (212) 769-5100 ホームページ www.amnh.org 非常に大型の博物館で地球と人類の進化を総合的に検証した博物館と言えようか。とにかく地球の歴史と人類の、その他の生物の歴史に関する展示物が系統的に展示されていて、とても一日ではすべてを見ることが出来ないほどのスケールだ。ところで、ここの人気者は恐竜の骨格標本。2・3体展示されているのだが、まるで巨大な爆撃機のようなおもむき。アメリカ大陸は恐竜の名産地だが、日本には果たして恐竜の骨格標本などあるのだろうか?日本の土壌は酸性で骨などがすぐボロボロになってしまって化石などが残るには不利な条件だという。日本の原人・旧人の化石にしても、明石原人などの骨格の一部が奇跡的に発見されたが、こういう事情で、その他はなかなか難しそうだ。~~~~~~~~~恐竜に限らず地球上にはいままで我々の想像を絶するような奇妙な生物が無数に存在していたということは化石からも証明されている。特にカンブリア紀という時代にはなぜか?爆発的としかいいようの無いほどの数多くの種の生物が出現している。このカンブリア紀の生物に関する本も、一冊もっているので愉しみにしていよう。爬虫類と気軽に書いているようだが、私もなにをかくそう、身近な爬虫類。あのナガモノが大の苦手だ。その証拠にその爬虫類の名前も書けないほど。それなのに、この私が数多くの爬虫類に囲まれてしまってパニックになった経験談がある。 ~~~~~~~~以前、東ドイツとある商談の交渉(ネゴ)を続けていたときのことだ。ある日曜日に久しぶりに暇ができて西ベルリンの町を散歩していた。たしかツォー(動物園 英語でいうとZOO)近くだったと思うが、いつも気にかかっていた小さな動物園があった。そこは「爬虫類動物園」という名前。いったいどんな動物園なんだと、怖いもの見たさで入ってみることにした。入ったらド~~ンとガラス張りの吹き抜け空間。そこになにか碧黒く光ものが見える。近づこうとしてたまげた!ボアというのだろうか?アナコンダというのだろうか?巨大な蛇が (ついに嫌な名前をかいてしまった) 実に巨大な蛇がどくろを巻いて存在しているのだ。----------------「アナコンダ」という映画がある。今をときめくセクシー女優兼歌手のジェニファー・ロペスが昔、主演したB級映画だ。アマゾンの河を舞台に探検隊が巨大な巨大なアナコンダ(水棲性の大蛇)に襲われる。私はそれまでにジェニファーの映画としては「Uターン」というものを見た。週刊誌の映画評に「こんな褐色のエロティックなセクシー悪女、ジェニファーにズブズブにおぼれてみたい」という映画評があったので、すぐレンタルで見てみて、ズブズブにおぼれたので、アナコンダもレンタルしてみた。しかし、この映画は良くなかった。私はジェニファーのエロティックなセクシー・ボディーを愉しみたいのに、碧黒い鱗を光らせたアナコンダのボディーが主役の映画だった。そのアナコンダが探検隊の筏などをおそって暴れまくるので、ジェニファーのエロティック・ボディー鑑賞どころではないのだ。気持ちが悪くなって翌日返却してしまった。このアナコンダはコンピューター仕掛けのロボットだということだが、それはどうでもいい。恨みは深いアナコンダなのだ。----------------しかし、この爬虫類動物園のアナコンダは、ジェニファーがいないせいか? 至極おとなしくてピクリともしない。人間の胴体ほどの太さの巨大なものが3頭ばかり、昼寝をしているのか?深い思索にふけっているのか?そのところはよくわからない。足をしのばせて(しのばせる必要もないのだが)そっと二階に上がった。そこからは細い廊下の両側に水槽がズラッと並んでいる。この水槽には金魚がいるわけではない。例の生き物がいるのだ。例の生き物と言っても、熱帯のジャングルにいる毒蛇から、水棲性のもの、海で蛇をしている海蛇なんてやつらが、陰険に横たわって時々こっちをみる。こういうやつらとは知り合いになりたくない。つれなく横を向いて前進する。しかし、そのうちに、私はこんな嫌な恐ろしいながものに囲まれているのだという実感が徐々に湧いてきた。普段ならその姿さえ見たくない、その名前だって聞きたくない蛇・・・ あ!また書いてしまった。膝が震えだした。しかし、ここまで来たら私も男だ?三階の一番行き止まりまで、なんとか這うようにして進んだ。もう両側の方々の、出身や猛毒性に関する説明版や、ヌメヌメしたお身体なんか見る余裕は全く無い。ただ廊下をあえぐように10センチずつ前進するだけだ。「行きはよいよい 帰りは怖い」こういう童謡の一節ぐらい私も知ってる。しかし、この童謡のこの一節に秘められた深~い意味を私はこの時初めて知った。三階から一階までの帰路の記憶はほとんど無い。酸欠状態と膝が笑う状態でたどり着いた一階が、また昼寝中の?巨大アナコンダだ。このいまいましい動物園から出たときの空気のおいしかったこと、明るい太陽のありがたかったこと。
2005.08.19
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今日の「ザ・ワイド」を見て、世界中のメディアが今回の福知山線列車事故をトップ・ニュースであつかっている事を知った。その中でもユニークだと思ったのは韓国の新聞の見出しだ。この大惨事に対して、「日本人の自尊心も脱線」とか、「技術力の欠点が露呈」だとか・・・。なんとも、マナーの無い国民だな~。鉄道事情が悪くて何度も大事故を起こしている英国では、日本の電車事故を大きな驚きで受け止めている。「busiest and most sofisticated Japanese railway system 世界で最も過密で精密な鉄道システムを誇る日本の鉄道が・・・」とアナウンサーがしゃべっていた。 米国でも三大ネットワークがトップであつかっている。車社会の米国では、日本のように電車が発達していない。たとえば、ニューヨーク州の隣の高級住宅街とされるコネティカット州から、ニューヨークに通勤するとなると、二つのオプションがある。車でフリーウェイを片道1時間ほどかけて(渋滞の程度にも依るが)、通うか?フリーウェイの渋滞地獄アムトラックという日本のJRのような鉄道で最寄りの駅からニューヨーク(グランド・セントラル駅 Grand Central station)へ通うか?グランド・セントラル駅正確に言うと、アムトラックは全国的な長距離の会社で、コネティカットとニューヨークを結ぶ路線は、同じレールを走る「北なんとか」という名前の会社なのだが。反対方向のニュージャージー州(ニュージャージー訛りでは「ニュージョイジー」と発音する)向けの列車も別会社で、少し離れたペンシルベニア駅(PENNSYLVANIA station)(多分ペンシルヴェイニアと発音すると思うのだが)から出ている。一般に外国の大都市の列車の駅は、一つの駅に扇の要のように集中しているのではなく、目的地別に数個の駅に分散していることがほとんどだ。ロンドンでも、数個の駅に分かれていたし、パリでも・・・、「北駅」とかがある・・・。(パリはあまりよく知らないので、・・・これぐらいにしといてやるわ)だから終着駅は本当に終着駅で、その駅で打ち止めになる。話が飛んでしまったが、この米国の電車は、日本の通勤時の電車のように3分に一本なんてダイヤでは来ない。一時間に2・3本がいいところだ。だからその利便性で、とても日本の電車にかなわない。これは米国だけでなく、どこの国でもそうだ。また話が飛ぶが、全国路線のアムトラックは、見上げるような巨大なディーゼル機関車が牽く、完全に汽車スタイルの列車?だ。駅に到着するときは、グォ~ンというディーゼルの音を響かせながら、またカ~~ン カ~~ンと鐘をつきながら入ってくる。さすが大陸の列車だと感じる瞬間だ。アムトラックの巨大な機関車アムトラックにも事故はあったそれで思い出したが、ロシアの列車も巨大だ。私が見かけたのは兵員輸送列車らしく、ほとんどの窓はカーテンが引かれていたが、そのカーテンの隙間から、ロシア独特の帽子をかぶった兵隊たちが見えた。また、思い出したが、サウジアラビアでアムトラックが走っていた。東海岸のアル・コバール(アルというのは英語の定冠詞 THE にあたる)(スペイン語の EL は,AL からの借用語)から首都のリアドまで、大砂漠を突っ切って走る。アル・コバールの駅なんてバス停に毛が生えたぐらいのものだが。アメリカが建設したものだが、アムトラックの機関車とアルミ製の丸い車体の列車をそのまま持ってきている。アムトラックの列車一度乗ったことがあるが、確か8時間ほどかかったと思う。途中はほとんど砂漠なのだが、以外にも緑の地域がある。サウジアラビアの大砂漠の地底には、太古の昔から石油のように地層の間に滞留した水が大きな湖のように存在している。乾燥しきった砂漠の下に満々たる水をたたえた地底湖があるとは皮肉な話だが、サウジはこの地底湖の水をくみ上げて(おそらく米国の石油掘削の技術が使用されているのだろうと思う)、灌漑を施し、農作物(主に小麦)を栽培し始めていたのだ。井戸からくみ上げた水を長大なパイプ状のスプリンクラーで放水する。そのスプリンクラーは、例えてみれば時計の針の様にグルグルと円形に回転して、その部分を緑に変える。そういう巨大な緑の円がいくつも連なる地域がある。こういう地域が拡大すると中東の気候も変わってくる。それに産油国の大都市は、海水を真水に変える海水淡水化工場からの水を使って、花壇や芝生を増やしている。おかげで、私が滞在していたアブダビやサウジでは、年に一回ほど大雨が降るようになった。木々に小鳥がさえずるようになった。乾燥を前提にして成り立っていた街に大雨が降ると街中、小さな洪水のようになる。列車がリアドに近づくと夜のとばりが降りる。列車はリアドに近づくとなぜかノロノロ運転になる。一時間ほどノロノロ運転を続けて、列車はどうやら砂漠越えの難行を終えてリアドの駅に到着。フランスの列車に乗ったことは無いが、地下鉄(メトロ)はある。しかし、メトロの駅の周辺は使用済みの切符が雪のように捨ててある。それにパリは犬のフンもそこいら中にしてある。英国の鉄道事情もあまりよくない。設備が古いし、従業員の質がよくない。列車が時間通りに運行されることはあまり無いという印象だった。私はロンドンの金融街、シティーというところにオフィスがあったので、ロンドン北部への路線の「ノーザン・ライン」という地下鉄で通勤していた。この地下鉄は、郊外では地上部分を、市内では地下を走る。ロンドンの地下鉄駅ノーザン・ライン路線図通勤の朝は、北部の地上駅で地下鉄を待つ。15分に一本ぐらいのダイヤだっただろうか?しかし、時間の正確さはともかく、列車が運休することがザラなのには悩まされた。どうも列車が来ないな~と思うと、アナウンスが始まって「Due to technical reason」・・・、つまり、技術的な問題で、つまり車両故障でまたは「Due to unavailability of driver」・・・、つまり、運転手がずる休みをしたから・・・「この列車は運休といたします」と沈着冷静にのたまうのだ。人種偏見かもしれないけれど、ロンドンの地下鉄の従業員は、駅員も乗務員もカリブ海出身の黒人が多いから、こうなのかもしれない。「オイオイ! 冗談じゃないぜ! いつもこれじゃないか!」とどなりたいところだが、周りを見渡してみるとさすがは英国人、何食わぬ顔をして表情を変えず新聞に読みふけっている(ふりをしている)。私は彼らが結構あせっているのを知っているが、彼らはそれを隠したがる。そういう環境にいた私だから、今では沈着冷静、どういう事態になっても興奮することはない・・・。(これが本当ならいいんだが)
2005.04.26
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パリのマダムとの想い出 PART FOUR私はもともと品性の高い人間なので、いままで、あからさまなセックスの話は控えてきたが、最近は、例え品性の人間と言えどもセックスの問題を無視したり通り過ぎたりすることは出来ないと言うニュートンの重力の法則、いや相対性原理かな? に行き当たり、適当にセックスの問題を日記に書くことにした。楽天広場は、コージーな、なごみの日記、日常の話題の日記、それに商売の日記が多い。それでは、そこで「セックス」は、日常の話題かというと、そうではない。しかし、成人した人間にとってセックスは、少なくとも毎日一回の義務であり、(私は毎月に一回か、毎年一回の義務にしてもらっていた・・ それは個人的な事か )、いわば裏日常なのだが、人々はその話題を書かない。セックスはなぜ恥なのか?すぐ思いつく理由は、セックスの行為中は無防備だということだ。原始時代の人類が洞窟の中で、夢中で行為していると、虎や狼にお尻を噛まれるかも知れないし、天井からぶら下がっているコウモリなどに覗きをされるかもしれない。ゆかしい日本武士は、それをおもんばかって、「早飯・早ぐそ・早・・・・行為」という黄金の三原則を固く守っていた。言うまでもなく、食事中・脱糞(排泄)中・性行為中には、大小(刀剣)を身体から外さなければいけない。主君のために24時間体制で忠義を励むべき武士がこれではいけない。しかし、この三行為は人間として、欠かせない必要悪であるし、そこそこ気持ちがいい。全く気持ちがよくなくて、義理の場合もあるが、気持ちがいいふりをしなければ、イケナイ場合というものは、人間が生きて行く上に多々ある。そこで、その必要悪を最短時間にしようと言う崇高な志が、この「三早主義」の中に、ほのかにかいま見れる。もう一つの理由はやはり、人類は種族保存・繁殖目的に与えられた性行為を、みだらに、目的外の快楽目的に使用している・・・、て言うか、濫用しているという事と、自分はしょせん動物であるという厳然たる事実に、深い自責と悔悟と恥の感覚を持っているらしい。皇太子ご夫妻とちがって、我々の子どもは,コウノトリが運んでくれたものではなくて、我々の、夜間労働の汗の結晶なのだ。
2005.02.01
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msk222さんが「青春」をテーマにしているが、青春とは何だろう?私は、怖さを知らなかった時代かな?と思う。もちろん、それだけではないが。私は性的におくてで、それは私の家系の禁欲的な伝統だと思うのだが、そういうDNAの限界?を乗り越えた、怖さ知らずの時代が私にもあったと思う。それが行き過ぎて、「死にかけた話」という、私の日記になる場合もあるのだが。ただ、社会人になって、特に海外における経験を通じて、「明るいセックス!」「後ろめたくないセックス」という極めて都合のいい思想を知り(セックスにかならずしも罪悪感を感じなくていい、人間としてあたりまえのことだ)、目からウロコだった。セックス罪悪論を唱える人ほど、密かに、人に隠れて、淫靡なセックスを楽しんでいるのかも知れない。一休さんの和尚さんが、水飴を「毒だ」といったり、「饅頭怖い」という話もある。水飴をなめてみて、「なんだ死なないじゃないか!」という発見と、似ている。しかし、セックスとは秘めるものでもある。楽天日記では、自分の性体験を語る人は極く少ない。若くない世代では、いまだにセックスを「はしたない」と(公には)する風潮がある。その割に世界的に日本人男性は、「セックス大好き国民」という認知は受けている。欧米の売春婦にとって、日本人は最高の客だという。決してわがままは言わないし、セックスはチキンか流れ星の速さだし、金払いは最高。それに、最後には必ず「私のチン○○は小さいだろう?」と聞くという。他の民族はそんなもんじゃない(らしい)。どこでも、もっとも嫌われているのはアラブ。次の日記に、女性がらみの「死にかけた話」を書いてみようかな?
2005.01.26
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復刻日記 隣国と国境を分かったことのない日本は、論理的に相手を説得する必要の無かった国である。----------------今この日記を読み返してみると、かなり極論的で傲慢な書き方をしている。これは一気呵成に勢いで書いているからだし、今の私は大いに謙虚な人間になっているから、許して欲しい。また、私のリンク友達は、ここで例に挙げた日本人とはちがって、論理的な話し合いが出来る人たちばかりだと言うことは、前もって断っておこう。予防線を張った所で、復刻してみよう。----------------政治・国際関係のサイトでの感情的なだけの罵倒合戦を読んでいると、日本ではふつうの議論が不可能なのかなと思う。ビジネスという限られた場での経験だが、欧米人の議論のやり方と日本人のそれとのちがいを私なりに考えてみた。 ーーーー ◇ ーーーー欧米人は議論の初期段階において、自分たちの意見を強く相手に示す。千代大海やの立ち上がりのようなもので、ガチーンとぶちかますのだ。闘牙のつっぱりのようなものかもしれない。自分の議論を充分に理論武装して、まず攻勢にでる。その際には相手に対する遠慮はない。しかしだからといって、それほど相手に対する敵意があるわけでも無い。ただ序盤戦はそういう形式なのだ。ダメもと精神が多分にある。日本人のように「私の意見はこうですけれど、多分間違っているかも知れないし自信もない、もし間違っているところがあればご指摘下さい・・・」なんて、心にもない、まどろっこしくて中途半端なことは決して言わないで、極めて旗幟鮮明である。自分に不利なことは隠すし、少なくとも議論の中に入れないようにする。この段階では、私は完全に正しい、あなたは完全に間違っている、ということになる。もちろん、マナーというものがあるから、文字通りこの通り言い立てるわけではないが、ロジック上ではそういうことを言っている。つまり敵味方が、白黒がはっきりした出発点だ。屹立しているといったらいいかな?弁証法のテーゼとアンチテーゼの世界かも知れない。ネット上の日本人のように議論から始まるものの、途中で感情的な対立になる・・・ということは少ない。議論してもけんかをしても、あとに悪感情が残らない。いや、本当はやはり残るのだけれど、残り方の程度が日本人とはちがうのだ。ただし、私の経験ではケルト民族、特にアイリッシュなどは感情的で、恨みを残すと思う。それが北アイルランドでの抗争の一要因だと思うのだが。 ―――― ◇ ――――日本人の場合はなかなか感情抜きの議論が出来ないように思う。議論の中ではお互いへの批判を避けることが出来ないが、この自分に対する批判というものが日本人の心には深く鋭く突き刺さり、抜けないトゲのようになる。いわゆる心が「傷ついた」状態になる。赤い血がその傷ついた部分からドクドクとでて来る。日本人はいままで長い歴史の中で、ずっとお互いに注意深く、温かい心遣いをしあいながら、集団の中で利害が対立することが無いという建前で生きてきたものだから、集団という殻に守られてきたものだから、集団というものから外に出されて、裸にされて、個人として攻撃されることに免疫がない。だから60分一本勝負金網デスマッチみたいな論戦に放り込まれると、パニックになる。集団の中で暮らしているかぎり、集団の規範に従っていればよかった。数の多い方、声の大きい方に従っていればよかった。個人としてのユニークな意見など持たない方が生きやすかった。それに論理的な議論が必要ともされていなかったから、論理的で緻密なディベイトは不得意。だから議論をしてみても、感情ばかりが先立って、論理性に欠けた、ザルのような論法になる。逃げ道がいくらでもある追いつめ方をする。だからいつまで経っても論点が定まらないイタチごっこのような議論になって、けっきょく感情での対立だけが残る。もともと議論で話がつくとは思っていないフシもある。偏見が多いかも知れないが、おおよそそんな感じがする。 ―――― ◇ ――――欧米での議論では、そんな自己主張のバトルが相当続いて、ある程度がんばってみるものの、その内にお互いに勝負の趨勢が見えたところで妥協点、というか soft landing point 着陸点を見つけて議論を収拾することになる。もちろん欧米人間の議論といえでも国益のような、結論に至ることのない難問が無いというわけではないが、ここでは比較的簡単な議論の場合として話を続ける。こういう過程のなかでも、欧米人の中でも、それぞれに国民性がある。攻勢の強さ・激しさにも、いろいろちがいがある。重箱の隅をつつくように細かくて、理論的で、原則にこだわって、がんこで執拗なドイツ人。いろんな技術を尽くして自分の利益だけを守るフランス人。カウボーイさながらにブラーフ(脅かし)もまじえて高飛車なアメリカ人。アラブの人達も独特だ。特に産油国の人間が高飛車で傲慢なのは経済的に優位にあることが主因だろう。その点、英国人はさすがに議論のやり方も洗練されて紳士的。それに国民性が現実的なのだ。お互いに主義主張・立場・利益が異なるのだから、自分の意見だけがすべて通るわけがないと割り切っていて、落としどころを上手く見つけようとする。妥協はある程度当然だ・・・という認識がはっきりしている。 ―――― ◇ ――――日本の議論の中では、いきなりの議論より、順序というものがあると思う。まず礼儀作法が先立つ。それでお互いの関係をよくしてからおもむろに議論に入る。そうしないと感情論になる可能性が高い。すでに述べたように日本人の精神構造として対人関係に於いては傷つきやすい傾向があるがゆえに、お互いの気配りが大切なのかもしれない。だから理屈一本で強引に相手を説得しようと言う、プロレスで言うところの「ストロング・スタイル」は不適ということになる。 ―――― ◇ ――――欧州で少し車を飛ばすと国境になる。その国境の遮断機を越すともう隣国である。朝、轟音に目を覚まして窓を開けると、もう隣国の戦車がゴウゴウと目の前を行進している。隣国が侵攻してきて占領されてしまったのだ。そんな歴史があの欧州で、くりかえされたのだ。そんなに身近に隣国があるのだから、率直な議論を通して周りの国々の状況を把握しておかなければいけない。そんな議論の相手はハッキリ利害が異なる存在だ。隣国という地政学的な位置にいるかぎり、隣国とはもっとも危険な潜在的な敵国・仮想敵国なのだから。対話の中で相手との共通点と相違点、共存できる条件をお互いにハッキリ見つめなければいけないのだ。感情だけの議論をしていては、自国の存亡に関わる事態になりかねない。島国で自然の要衝である海洋に囲まれた日本は、隣国と築地で国境を分かったことのない日本は、論理的に相手を説得する必要の無かった国である。
2004.09.22
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お盆休みなんですね。私ものんびりしたいので、またしても復刻日記でごまかします。なぜか、オイスター=牡蠣を食べたくなったんですよね。白ワインか、冷酒で・・・。西洋では牡蠣は、「R」の付いた月が美味となっています。Rの付いた月と言えば :JanuaryFebruuaryMarchAprilSeptemberOctoberNovemberDecemberですね。 ~~~~~~~~~【海外のオイスター(牡蠣)・バー】私は住む場所としてのアメリカは、なんだかもうひとつ情緒というか?濃い文化が無いような気がして(ぜいたくですが)今までそれほど評価していなかったのですが、やはり最新の文化・情報とニューヨークのミュージカルやビデオショップの魅力には抗しきれません。米国東海岸に一時的に滞在している時には、ブロードウェイのミュージカル観劇とビデオあさりが楽しみでした。ビデオを販売している店(レンタルではない)のビデオの品揃えが日本と比較にならないほどですし(タイムズ・スクエァのヴァージン・メガショップなどはすごい)通販のアマゾンとちがって、現地で自分で買って持ち帰れば、アマゾンより安いし、第一送料も要りません。みなさんもぜひ行かれてみてはどうですか?ニューヨークと言えば摩天楼ですが(表現が古いかな?)、デボラ・カーとケイリー・グラント主演の名画「めぐり逢い」のすれちがい現場検証を兼ねて、あの9.11の世界同時テロで崩壊したWTC(ワールド・トレード・センター)ビルに代わって今やNYでクライスラービルなどと並んで一番高い建物の一つに復帰したエンパイヤー・ステート・ビルに登ってみました。ちょうど休日にあたったため切符売り場やエレベーターの待ち時間の合計実に45分。やっと到着した頂上付近の展望台から見下ろすマンハッタンの風景は、あの「ウェストサイド・ストーリー」の冒頭のマンハッタンの俯瞰図そのものでした。ただし展望台の売店で売っているのは残念ながら「キングコング」の玩具だけでした。ワールド・トレード・センター)にも通勤していたことがありますが、よもやあの巨大なビルが、しかも二つとも倒壊して、ガレキの山になるとはおもいませんでした。しかしともかくエンパイヤー・ステイト・ビルディングはまた昔の世界一高い建物、「天に一番近い場所」になりました。(これはたしか「めぐり逢い」の中のセリフです) ーーーー ◇ ーーーーグランド・セントラル駅もいろんな映画の舞台になっていますが地下に有名なオイスターバーがあります。米国のメニューでは牡蠣は品種別になっていて値段もちがいます。米国にはブルーポイントという名前の牡蠣があり、最もポピュラーです。それにクマモトという名前の小振りな牡蠣もあります。このクマモトは戦後、アメリカの牡蠣がバクテリアに冒され絶滅寸前になったときマッカーサー元帥の命令で熊本からとりよせた大量の牡蠣が繁殖したものとのこと。本来なら牡蠣と言えば広島ですが、当時の広島は原爆被爆の直後でとても牡蠣の輸出などの話では無かったのです。フランスのパリでも秋以降はレストランの前で大きな皿に大盛りの氷と生牡蠣を積み上げていて食欲をそそります。実はフランスの牡蠣も一時絶滅寸前になり、同じように日本の牡蠣(マガキ)が危機を救い現在のフランスの牡蠣の90%は日本の牡蠣の子孫とのことです。ロンドンの王室御用達の店が並ぶジャーミンストリートにも牡蠣で有名なレストランがあって18世紀後半の創業だそうです。一階はバーになっていてカウンターで飲みながら味わう、二階はレストランです。どうもわけありのカップルが来る雰囲気です。数十年前に?私がガールフレンドとあそこで食事したときに、あそこで牡蠣の味付けに出てきたのはトマトケチャップとレモンでしたが、普通はレモンにタバスコとか、ホースラディッシュですね。(私はホースラディッシュが大好きです)最高級百貨店ハロッズのオイスターバーも有名です。故ダイアナ妃とハロッズ・デパートのオーナー(サウジ・アラビアの武器商人、アドナン・カシオギの兄弟にしてエジプト人です)のドラ息子!!の情事の果ての、暗殺?事件についてはまた別に書いてみたいと思います。ベルリンの高級百貨店KaDeWeは最上階の食料品売り場が豪華で有名ですが、そこにもオイスターバーがあって、目の前でコックが牡蠣をガキッと、開いてくれて皿にのせて出してくれると海水が溢れます。それをドイツの白ワインをのどに流し込みながら食べると・・・。越の寒梅は正月のお屠蘇として飲んでしまったし、ドイツのモーゼルワインもそれだけではそれほどでは無いし・・・。
2004.08.12
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会長0804さんに訪問頂いて、下記のコメントをいただいた。 ---------------->私はクラシックのHPを開いておりますが、やはりバッハは特別の存在だと思っております。普段は非常に騒がしい交響曲ばかり聴いているのですが、深夜になりますと無性に無伴奏チェロソナタやヴァイオリンソナタが聴きたくなるときがあります。マタイ受難曲も含めて、不滅の音楽だと思います。> 東欧のお話、大変興味深く拝見しました。私も90年の10月1日、たまたま仕事でオランダに滞在しておりましたので、急遽ベルリンに飛んで、ブランンデンブルク門まで行きました。翌日見学した東ベルリンの貧しい町並みは想像以上にひどかったことを思い出しました。 ----------------会長さんは、クラシックにものすごい造詣がある方のようだけれど、私はクラシックをBGM的に聴く程度の不真面目ファン。それでも、いろんな作曲家の中でも、バッハの曲は、天上的なイメージを受ける、独特の世界だと思う。身内の音楽葬にも、バッハのミサ曲を選んだ。会長さんが、ベルリンの壁崩壊の日に、オランダからベルリンに飛んでブランデンブルグ門まで行ったとお書き。私もそんな世紀の瞬間を見てみたかったと思う。私は、ベルリンの壁が崩壊する以前の東ベルリンを、仕事で毎日訪問していたことがあったので、またまた手抜きだが、その事を書いた日記を復刻版としてコピペさせて頂きます。 ~~~~~~~~~そのころの東ベルリンの地下鉄には幽霊駅というものがありました (21) 05月16日(日) ---------------- ドイツが東西に分かれていた時代の事です。私は東ドイツと、ある工場施設の輸出商談の交渉をしていました。日本側は商社とあるメーカーがチームを組んで、相手側は東ドイツの貿易公団です。貿易公団も一種の商社で、最終的なユーザーは東ドイツの工場。私が滞在していた頃は、ベルリンもまだ西ベルリン(西側)と東ベルリン(共産圏側)に分かれてました。オフィスのある西ベルリンから、オフィスの無い東ベルリンへ毎日通勤?していました。東ドイツのホテルに宿泊してもいいのですが、毎日の交渉の内容の報告を東京にしなければいけませんし(それは電話とファックス)、それに対する東京の指令を受け取らなければいけません。しかし、それを東ベルリンのホテルでしていたのでは、東ドイツ側に情報が筒抜けなので、毎日、交渉が終わったらいったん西ベルリンに帰ってから深夜、東京と情報交換をしたのです。睡眠時間がほとんど取れない厳しい毎日でした。東ベルリンの雰囲気は華やかな西ベルリンから180度ちがっていました。だいたい中欧・東欧の冬は日も短く雲が低く、昼間と言えど夕方のような明るさですし、温度も零下10度程度の厳寒です。それよりもなによりも、当時はまだ東ベルリンから西ベルリンへの脱出者がいたころでしたから、国境や駅には完全装備の兵士が大勢立っていて、実に重苦しいものでした。電車で西側から東側に入る寸前、高架の上から川沿いに伸びるいわゆるベルリンの壁が見えて来ました。壁の周辺は地雷原になっている事が多く、ここで脱出を試みた多くの人びとが射殺されたのです。中には西側にトンネルを掘って脱出した人々もいます。そんな題材のドイツ映画「トンネル」という映画があるそうですが、私は未見です。「寒い国から帰ってきたスパイ」「第三の男」鉄のカーテンをめぐるストーリーの映画も多いですね。通勤と言っても東ベルリンの駅に到着してからパスポート・コントロール(入国管理事務所)でONE DAY VISAをもらい、税関を通り抜けるまで片道たっぷり一時間かかるのです。ビジネスの面でも東ドイツの人間はこれ以上ないほどのハード・ネゴシエイターで、そういう相手と厳寒の中、通勤?を含めて朝から晩まで、受注の見込みが見えないまま数ヶ月ハードなネゴをしたのは精神的にも肉体的にも辛い経験でした。出してくれる昼食も、固い食パンにサラミとピクルスをのせたオープンサンド二つとガス入りのミネラルウォータ、それに紅茶だけというスパルタンなもの。しかしそんな中で、ある日相手側の女性部長が休日に博物館見物に誘ってくれました。実は長いあいだネゴをしていても、競争している会社の状況がさっぱりわからず、だからといって公式のネゴの席ではとても聞けるものではなく、困っていた私たちに彼女がチャンスを与えてくれたのです。どういうことかと言いますと、私たちに同情した彼女が博物館の中で人混みに紛れながら何気なく会話をする中で、少々のヒントをくれたのです。スパイなどが情報を渡す場合もあえて公衆の中でメモをやりとりする事が多いようです。博物館の群衆の中でなら、東側の当局に怪しまれる事があまり無く、しかも私達の会話を聞き取る事が出来ないような・・・そういう場所を選んでくれたのです。そんなことがあっても、その商談はさ以後の段階で思わぬ出来事があり、受注できずに終わりました。共産圏の国の中ではやはり国民性・優秀性もあって、東ドイツが一番緊張感がありました。逆に言えば怖かったという事ですが。共産圏では、ちょっと怖い体験はいろいろありました。そのころの東ベルリンの地下鉄には幽霊駅というものがありました。東西を区切るベルリンの壁の下あたりに駅があるのですが、その駅は西側への逃亡を防ぐため閉鎖されていて無人、もちろん停車もしません。そのまさに幽霊のような駅を地下鉄で通過する時など、なんというか実に陰惨な雰囲気でぞっとしたものです。少し前に東ベルリンを訪問した時にはガラッと変わって、西欧化していました。今となってはあの東ドイツも無くなってしまって、想い出の中にあるだけです。あの幽霊駅のように、通り過ぎる時に見えるだけで、実際には下車でき無い想い出のような。こんな事を書いていると、いろんな記憶が冷たい空気と共によみがえってくる様な気持ちになります。「寒い国から帰ってきたスパイ」こういう題名のル・カレの傑作スパイ小説があって、映画にもなっています。リチャード・バートン主演。
2004.07.10
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昨日の日記のコメントがいっぱいになったのでもう書き込めません。で、急遽、やっつけの日記を書いています。今までの日記のコメントも、この日記に書いて下さいね。昨日の日記にはもう書き込めませんから。 ~~~~~~~~~飲み物とスチュワーデスの続き。ワイン関連ではやはり「ボージョレ・ヌーヴォー」の事を書くべきかな?ご存じのように、ボージョレ・ヌーヴォーは解禁日というものがあって、それ以前には飲めない。あるネットで調べてみると、こうなっている。(引用失礼) ~~~~~~~~~「ヌーヴォー」は「新酒」という意味で、ボージョレ地区以外でもフランスでは「ヌーヴォー」として、何種類か決まったワインを販売することができます。 フランスのワイン法でボージョレ・ヌーヴォーは11月の第3木曜日に解禁と決められており、それ以前にお客様に販売することはできません。この解禁日は、『今年も良いブドウが作られ、その年のブドウを一番早くワインで楽しむことができることをお祭りのように楽しむ』という伝統が、現在にも継承されているようです。全世界で同一日で、日本では時差の関係でヨーロッパより10時間近く早く飲めます。工場出荷日は解禁日よりも数日前になりますが、決められていません。 ~~~~~~~~~これによると、日本では本家フランスより早く飲めることになる。しかし、その日本より早く飲んだことがある。ロンドン駐在の時、日本へ出荷するボージョレ・ヌーヴォーを、担当の食料部がこっそり支店内で「試飲会」を開いたのだ。私はボージョレ・ヌーヴォーなんて、そんなに美味しいワインではないと思う。それでも年によって当たり年があるようだ。私が飲んだ年は平年並みとの評価で、だから、フルーティーではあるものの、やや酸っぱいような味だった。もっとも、店内の女性も皆集まってきたので、日ごろ美人だな~と思っていた女性に話しかけて、1時間ぐらいも話すことが出来て、それからときどき飲みに行く仲になって・・・。とは言っても、彼女のボスは私の親友だったので、彼がいつも一緒だったし、他にも気の合う女の子をみんな誘って、昼食やオフィスが引けたあとに、パブや日本レストランに行ったのは楽しい思い出だった。ロンドン店の現地雇用は各部の部長が採用することになっているので、学歴・タイプ・容貌など・・・、部長の好みがもろに出る。私の知る限り、オックスフォード卒の女性が二人いた。その一人は私のアシスタントだった。私が採用したわけでなく、先々代部長が採用した才媛でだけど、おとなしい女性だった。私の想い出は、どうも必ず女性が出てきてしまうな~。しかし、これは特に私の異常性を示すものではない。 ~~~~~~~~~あとで続きを書きます。すみません、女性の話ばかりで・・・。
2004.06.11
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世に言う「恐竜ファン」は結構いるものですね。私が先日紹介した「翼竜の謎 THE TIMES OF PTEROSAURIA 翼竜・首長竜・魚竜の時代」という本も恐竜そのものではないが、恐竜の仲間の巨大爬虫類の本。私はこの本がただの恐竜ではなくて、翼竜・首長竜・魚竜というマイナーな巨大爬虫類がテーマなので読みたいと思った。例によって本の扉の解説を引用してみたい。 ----------------恐竜が支配していた中生代の地球。だが、彼らはあくまでも地上の支配者にすぎなかった。空中や水中では他の巨大爬虫類 ―― 翼竜・首長竜・魚竜 ―― たちがその栄華をきわめていた。巨大爬虫類の黄金時代と言われる中生代。この時代の生態系をトータルにより深く理解する上でも、これら翼竜・首長竜・魚竜は欠くことのできない存在だ。しかし、いままでこれらの巨大爬虫類はえてして恐竜といっしょに扱われ、その存在自体がまともに紹介される機会にめぐまれなかった。本書は、海外の一次文献、または第一線の研究社の収集した直接情報をもとに、知られざる翼竜・首長竜・魚竜などの巨大爬虫類と人類の祖先である哺乳類型爬虫類の謎にスポットをあてた日本初の入門書である。 ----------------この翼竜というのは始祖鳥という名前で知れている空飛ぶ爬虫類の仲間だ。首長竜・魚竜は海生爬虫類と呼ばれている。山下清ではないが、わかりやすく「軍隊の位で言うと」翼竜が空軍恐竜が陸軍首長竜と魚竜は海軍・・・というところかな?それぞれのテリトリーで王者として君臨していた爬虫類だ。この内の首長竜は例のネス湖のネッシーが(もし実存しているとすれば)これであろうと言われる首の長い爬虫類。哺乳類型爬虫類とはアザラシのような形態の爬虫類がだんだん哺乳類に進化して、ついには爬虫類から抜け出して哺乳類の先祖となった。つまり人類も哺乳類の仲間ではあるのだから、この哺乳類型爬虫類が我々のご先祖様と言うことになる。とにかくこれは面白い本だが、まだあまり読み進んでいないので、紹介はここまでとする。 ~~~~~~~~~二年ほど前にニューヨークで下記の博物館を訪れたことがある。アメリカ自然史博物館 American Museum of Natural History 住 所 Central Park West at 79th StNew York, NY 10024(bet 77th & 81st Sts) TEL Tel (212) 769-5100 ホームページ www.amnh.org 非常に大型の博物館で地球と人類の進化を総合的に検証した博物館と言えようか。とにかく地球の歴史と人類の、その他の生物の歴史に関する展示物が系統的に展示されていて、とても一日ではすべてを見ることが出来ないほどのスケールだ。ところで、ここの人気者は恐竜の骨格標本。2・3体展示されているのだが、まるで巨大な爆撃機のようなおもむき。アメリカ大陸は恐竜の名産地だが、日本には果たして恐竜の骨格標本などあるのだろうか?日本の土壌は酸性で骨などがすぐボロボロになってしまって化石などが残るには不利な条件だという。日本の原人・旧人の化石にしても、明石原人などの骨格の一部が奇跡的に発見されたがその他はなかなか難しそうだ。 ~~~~~~~~~恐竜に限らず地球上にはいままで我々の想像を絶するような奇妙な生物が無数に存在していたということは化石からも証明されている。特にカンブリア紀という時代にはなぜか?爆発的としかいいようの無いほどの数多くの種の生物が出現している。この関係の本も一冊もっているので愉しみにしていよう。 ~~~~~~~~~爬虫類と気軽に書いているようだが、私もなにをかくそう、身近な爬虫類。あのナガモノが大の苦手だ。その証拠にその爬虫類の名前も書けないほど。それなのに、それなのに、この私が数多くの爬虫類に囲まれてしまってパニックになった経験談がある。以前、東ドイツとある商談の交渉(ネゴ)を続けていたときのことだ。ある日曜日に久しぶりに暇ができて西ベルリンの町を散歩していた。たしかツォー(動物園 英語でいうとZOO)近くだったと思うが、いつも気にかかっていた小さな動物園があった。そこは「爬虫類動物園」という名前。いったいどんな動物園なんだと、怖いもの見たさで入ってみることにした。入ったらド~~ンとガラス張りの吹き抜け空間。そこになにか碧黒く光ものが見える。近づこうとしてたまげた!ボアというのだろうか?アナコンダというのだろうか?巨大な蛇が (ついに嫌な名前をかいてしまった) 実に巨大な蛇がどくろを巻いて存在しているのだ。 ----------------「アナコンダ」という映画がある。今をときめくセクシー女優兼歌手のジェニファー・ロペスが昔主演したB級映画だ。アマゾンの河を舞台に探検隊が巨大な巨大なアナコンダ(水棲性の大蛇)に襲われる。私はそれまでジェニファーの映画は「Uターン」というものを見ていた。週刊誌の映画評に「こんな褐色のエロティックなセクシー悪女、ジェニファーにズブズブにおぼれてみたい」という映画評があったので、すぐレンタルで見てみて、大興奮したのでアナコンダもレンタルしてみた。またジェニファーにズブズブに溺れたいと思ったのだ。しかし、この映画は良くなかった。私はジェニファーのエロティックなセクシー・ボディーを愉しみたいのに、碧黒い鱗を光らせたアナコンダが探検隊の筏などをおそって暴れまくるので、ジェニファーのエロティック・ボディー鑑賞どころではないのだ。気持ちが悪くなって翌日返却してしまった。このアナコンダはコンピューター仕掛けのロボットだということだが、それはどうでもいい。思えば恨みは深いアナコンダなのだ。 ----------------しかし、このアナコンダはジェニファーがいないせいか? 至極おとなしくてピクリともしない。人間の胴体ほどの太さの巨大なものが3頭ばかり、昼寝をしているのか?深い思索にふけっているのか?そのところはよくわからない。足をしのばせて(しのばせる必要もないのだが)そっと二階に上がった。そこからは細い廊下の両側に水槽がズラッと並んでいる。この水槽には金魚がいるわけではない。例の生き物がいるのだ。例の生き物と言っても、熱帯のジャングルにいる毒蛇から、水棲性のもの、海で蛇をしている海蛇なんてやつらが、陰険に横たわって時々こっちをみる。こういうやつらとは知り合いになりたくない。つれなく横を向いて前進する。しかし、そのうちにこんな嫌な恐ろしいながものに囲まれているのだという実感が徐々に湧いてきた。普段ならその姿さえ見たくない、その名前だって聞きたくない蛇・・・ あ!また書いてしまった。膝が震えだした。しかし、ここまで来たら私も男だ。三階の一番行き止まりまで、なんとか這うようにして進んだ。もう両側の方々の、出身や、猛毒性や、ヌメヌメしたお身体なんか見る余裕は全く無い。ただ廊下をあえぐように10センチずつ前進するだけだ。「行きはよいよい 帰りは怖い」こういう童謡の一節ぐらい私も知ってる。しかし、この童謡のこの一節に秘められた深~い意味を私はこの時初めて知った。三階から一階までの帰路の記憶はほとんど無い。酸欠状態と膝が笑う状態でたどり着いた一階がまたアナコンダだ。このいまいましい動物園から出たときの空気のおいしかったこと、明るい太陽のありがたかったこと。
2004.05.04
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シャルドネさんが日記で面白いことを書いている。ある中国人ビジネスマンの日本人批判なのだが。それを参照してミドル英二さんが昨日の日記に「日本人特有の性向」という題で書いている。ミドル英二さんに失礼して勝手に引用しよう。http://plaza.rakuten.co.jp/ojinkoishikawa/diary/ ―――― ◇ ――――シャルドネさんの3/5の日記は、とても現代日本の企業の問題点をついている。http://plaza.rakuten.co.jp/hint2003/diary/2004-03-05/ 特に、僕が深くうなづいたのは、「(日本人は)どれほど相手に自分を理解されているのかを神経質なほどにさぐっている。さぐっているが理解されていなければならないという思い込みに根拠がない。」という部分である。 これは外国人でなくとも、若い世代の(あるいはあるタイプの)日本人でも痛感している人は少なくないのではないか。 上司は、部下を『理解』しようとする。 部下は上司を『理解』できるか否か、で判断しようとする。 しかし、現代では、過剰なほどの『理解』は必要ないのではないか。 僕の経営者人生の中で、銀行との馬鹿馬鹿しい儀式めいた交流?についてのアレコレはここの日記で何度か書いた。 おなじような事は、役所、業者その他、仕事のあらゆる関係者との間で生じる。多少の差はあれ、『理解』しあうための余計な作業がかなりあるわけだ。 僕は、それらが、疲れるというよりも「馬鹿馬鹿し」くてならなかった。 僕がさっさと会社を閉じてしまった、本当の理由の1つは正直にいって、これらの馬鹿馬鹿しさを、もう止めにしたい、ということがあったのだ。 ―――― ◇ ――――以上がミドル英二さんのコメントなんだけれど、私もそれは同感。よく日本人は外国人の日本人感を異常なほど気にするという。外国人に理解してもらっているかどうかが気にかかるわけだただ、気にかかる割に外国人に自分たち(日本人)を理解してもらおうとする努力をしているだろうか?言葉の壁というものがあるかも知れないが、日本の主張というものを真正面から言い立てることは少ない。気にかかる外国人の日本人感を是正することなく、抗議するでも無く、ただ「わかってくれないな~」、「日本人は誤解されている」と嘆くばかりなのだ。 ―――― ◇ ――――もうひとつ。日本人が、「理解してもらいたがり病」なのには理由があると思う。上記にも関係するのだが。日本の社会に住むには雄弁術は要らない。ディベイト・論争術も要らない。「謙遜な態度」、この一本槍でいいのだ。というのもお互いがよ~く理解し合っているから(少なくともその建前)、ツーカーの世界なのだ。以心伝心の世界なのだ。「いい!いい! なんにも言わなくても、み~んなわかってるよ!」という世界だからだ。お互いの相違点を浮き彫りにすることはしない。お互いの共通点だけを強調して安心しようとする。みんな同じだ、同質だと思いこもうとする。「いや、まだじゅうぶんにわかっていただいているとは思えないから、私の説明を聞いて下さい」と言うと、「あいつは理屈っぽい男だ」と言うことになる。「俺に任せておけばいいのに、いろいろ条件を付けるなんて俺に反感でも持っているのか」と思われたりする。欧米では他人に論理的に説明できる能力は必須なのだが、日本でそれを濫用すると小難しいヤツ、大人げないヤツになりかねない。「目は口ほどにものを言い」と言う世界では、口=言語による表現力は、杉良の流し目ぐらいの機能しか持たないわけである。 ―――― ◇ ――――日本人はこのように、皮膚感覚的非言語性コミュニケーションだから、その基盤となるところの「相互理解=ツーカーの世界」が絶対的に必要となる。議論をするにもまず相互理解という段階を踏んでから入る。具体的にはビジネスの打ち合わせより先に、接待が大切だ。飲み屋で一杯飲んで、「肝胆相照らす仲」になれば、あとはスムーズな一本道が待っている。この段階までが商談の実質的な努力を必要とする部分で、この山を越せば、それ以降は細かい条件の微調整だけとなる。(ちょっと誇張はしているが)その相互理解というプラットフォームの無い世界での日本人は弱い。例えば外国人と交渉する場合には、初めからセットされた相互理解など無いから、四苦八苦することになる。相互理解の甘い世界に慣れているから、激しい利害が対立する論争で勝利を得るような鋭い論法やディベート技術を持たない。初めからあきらめムードでもある。ちょっと極論過ぎたかな?「お前は日本人じゃないのか?」って言われそうだが、もともと家族にまで「外国人!」と言われている私だから、いいんだ~。
2004.03.08
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欧州というのは案外治安の悪いところだ。私の同僚のパリ駐在員が帰宅したらフラットが荒らされて、ゴッソリやられた事がある。それも一度目ではなかったという。フラットのドアをドアごと外して侵入する手口が多い。これを防ぐために、共産党独裁が終わって治安が悪くなった東欧などでは、ドアを金属製にして、ドアを外しにくい構造にして、その上に特殊な錠を数個つける工事をしてくれ業者がいる。こじ開けようとするとそれを感知して、大音響の痴漢よけのグッズみたいな音を発するセンサー装置もつける。刑務所のような鉄格子をドアの前面に設置する万全の方法をとっている人も多い。それに加えて、大型の猛犬を室内で飼っている人も多い。これは効果的。実益のあるペットという訳だ。 ―――― ◇ ――――日本では外国人の強盗事件が多発している。外国人と言っても、先ず日本の暴力団が下見と手引きをして、それから外国人が実行犯を担当するという。外国人強盗団は必ず「カネ!カネ!」と片言。これでは不便なので、こちらが外国語を勉強しよう。防犯のため、莫大な資産を守るためにはそれぐらいの努力を惜しんではいけない。数ヶ国語をマスターしよう。ただ相手が漢字を理解する国からの遠征団である場合はラッキーだ。筆談という手段がある。例えばこのように書いて、相手側の理解を求める。「我、苦悩、極度的貧乏。 我家金銭不在。 真実!真実! 汝比較的金持的強盗。 我欲ス、汝之金銭」(そういう問題じゃないか)
2004.03.01
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政治・国際関係のサイトでの感情的なだけの罵倒合戦を読んでいると、日本ではふつうの議論が不可能なのかなと思う。ビジネスという限られた場での経験だが、欧米人の議論のやり方と日本人のそれとのちがいを私なりに考えてみた。 ーーーー ◇ ーーーー欧米人は議論の初期段階において、自分たちの意見を強く相手に示す。千代大海やの立ち上がりのようなもので、ガチーンとぶちかますのだ。闘牙のつっぱりのようなものかもしれない。自分の議論を充分に理論武装して、まず攻勢にでる。その際には相手に対する遠慮はない。しかしだからといって、それほど相手に対する敵意があるわけでも無い。ただ序盤戦はそういう形式なのだ。ダメもと精神が多分にある。日本人のように「私の意見はこうですけれど、多分間違っているかも知れないし自信もない、もし間違っているところがあればご指摘下さい・・・」なんて、心にもない、まどろっこしくて中途半端なことは決して言わないで、極めて旗幟鮮明である。自分に不利なことは隠すし、少なくとも議論の中に入れないようにする。この段階では、私は完全に正しい、あなたは完全に間違っている、ということになる。もちろん、マナーというものがあるから文字通りこの通り言い立てるわけではないが、ロジック上ではそういうことを言っている。つまり敵味方が、白黒がはっきりした出発点だ。屹立しているといったらいいかな?弁証法のテーゼとアンチテーゼの世界かも知れない。ネット上の日本人のように議論から始まるものの、途中で感情的な対立になる・・・ということは少ない。議論してもけんかをしても、あとに悪感情が残らない。いや、本当はやはり残るのだけれど、残り方の程度が日本人とはちがうのだ。ただし、私の経験ではケルト民族、特にアイリッシュなどは感情的で、恨みを残すと思う。それが北アイルランドでの抗争の一要因だと思うのだが。 ―――― ◇ ――――日本人の場合はなかなか感情抜きの議論が出来ないように思う。議論の中ではお互いへの批判を避けることが出来ないが、この自分に対する批判というものが日本人の心には深く鋭く突き刺さり、抜けないトゲのようになる。いわゆる心が「傷ついた」状態になる。赤い血がその傷ついた部分からドクドクとでて来る。日本人はいままで長い歴史の中で、ずっとお互いに注意深く、温かい心遣いをしあいながら、集団の中で利害が対立することが無いという建前で生きてきたものだから、集団という殻に守られてきたものだから、集団というものから外に出されて、裸にされて、個人として攻撃されることに免疫がない。だから60分一本勝負金網デスマッチみたいな論戦に放り込まれると、パニックになる。集団の中で暮らしているかぎり、集団の規範に従っていればよかった。数の多い方、声の大きい方に従っていればよかった。個人としてのユニークな意見など持たない方が生きやすかった。それに論理的な議論が必要ともされていなかったから、論理的で緻密なディベイトは不得意。だから議論をしてみても、感情ばかりが先立って、ザルのような論法になる。逃げ道がいくらでもある追いつめ方をする。だからいつまで経っても論点が定まらないイタチごっこのような議論になって、けっきょく感情での対立だけが残る。もともと議論で話がつくとは思っていないフシもある。偏見が多いかも知れないが、おおよそそんな感じがする。 ―――― ◇ ――――欧米での議論では、そんな自己主張のバトルが相当続いて、ある程度がんばってみるものの、その内にお互いに勝負の趨勢が見えたところで妥協点、というか soft landing point 着陸点を見つけて議論を収拾することになる。もちろん欧米人間の議論といえでも国益のような、結論に至ることのない難問が無いというわけではないが、ここでは比較的簡単な議論の場合として話を続ける。こういう過程のなかでも、欧米人の中でも、それぞれに国民性がある。攻勢の強さ・激しさにも、いろいろちがいがある。重箱の隅をつつくように細かくて、理論的で、原則にこだわって、がんこで執拗なドイツ人。いろんな技術を尽くして自分の利益だけを守るフランス人。カウボーイさながらにブラーフ(脅かし)もまじえて高飛車なアメリカ人。アラブの人達も独特だ。特に産油国の人間が高飛車で傲慢なのは経済的に優位にあることが主因だろう。その点、英国人はさすがに議論のやり方も洗練されて紳士的。それに国民性が現実的なのだ。お互いに主義主張・立場・利益が異なるのだから、自分の意見だけがすべて通るわけがないと割り切っていて、落としどころを上手く見つけようとする。妥協はある程度当然だ・・・という認識がはっきりしている。 ―――― ◇ ――――日本の議論の中では、いきなりの議論より、順序というものがあると思う。まず礼儀作法が先立つ。それでお互いの関係をよくしてからおもむろに議論に入る。そうしないと感情論になる可能性が高い。すでに述べたように日本人の精神構造として対人関係に於いては傷つきやすい傾向があるがゆえに、お互いの気配りが大切なのかもしれない。だから理屈一本で強引に相手を説得しようと言う、プロレスで言うところの「ストロング・スタイル」は不適ということになる。 ―――― ◇ ――――欧州で少し車を飛ばすと国境になる。その国境の遮断機を越すともう隣国である。朝、轟音に目を覚まして窓を開けると、もう隣国の戦車がゴウゴウと目の前を行進している。隣国が侵攻してきて占領されてしまったのだ。そんな歴史があの欧州で、くりかえされたのだ。そんなに身近に隣国があるのだから、率直な議論を通して周りの国々の状況を把握しておかなければいけない。そんな議論の相手はハッキリ利害が異なる存在だ。隣国という地政学的な位置にいるかぎり、隣国とはもっとも危険な潜在的な敵国・仮想敵国なのだから。対話の中で相手との共通点と相違点、共存できる条件をお互いにハッキリ見つめなければいけないのだ。感情だけの議論をしていては、自国の存亡に関わる事態になりかねない。島国で自然の要衝である海洋に囲まれた日本は、隣国と国境を分かったことのない日本は、論理的に相手を説得する必要の無かった国である。
2004.02.15
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私がお薦め web site に入れているパリ在住のカリグラフィー作家、摩耶さん(通称 ぴーたろーさん)が、以前彼女の日記の中で「昔のポルトガル商人の古い日記を読んでいる」と書いていた。大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマあたりの時代のものなんだろうか?面白いだろうな~。私も読みたいな~と思うけれど、私にはこの足元の山積の古本の山を読むことの方が先決らしい。今日は「ポルトガル尽く」しといこう。私にとってポルトガル人というとまずルイス・フロイスである。16世紀の日本にイエスズ会の宣教師として来日、膨大な「フロイスの日本史」を書いてくれた後、長崎で亡くなっている。信長や秀吉にも謁見し、世界のいろいろな情報を彼らに披露して重宝された。フロイスはそんな信長や秀吉の容貌や性格その他もろもろの情報を first hand で日記に書き込んでいて、それが今や極めて貴重な時代の証言となっている。私も「フロイスの日本史」の全集をもっていて、以前はちびちび読んだのだがその後は例にもれず「積ん読」になってしまっている。 ―――― ◇ ――――彼の生涯の簡単な年表を下記に書いてみる。1532 リスボンに生まれる1543 (ポルトガル船が種子島に漂着 鉄砲伝来)1548 イエスズ会に入会 ゴア(インド)に向かう1557 ゴアで哲学・神学を修得1562 日本へ出発1563 日本到着 31才1569 織田信長に二条城で謁見1583 日本史執筆開始1586 大坂城で秀吉に謁見1592 マカオへ出発1595 マカオから帰国1596 日本史執筆完了1597 二十六聖人の殉教 殉教を記録 長崎で死亡正直なところこの年表はあるサイトにあったものを参考にリライトした。こういうところがネット日記を書くことによる、ありがたい副産物かもしれない。少なくとも日記を書くという必要がなければ、こんなことを調べはしなかったことは確かだ。勉強になった。 ―――― ◇ ――――イエスズ会というとフランシスコ・ザビエルである。誰でも知っている歴史上の人物。そのザビエルのみならず、イエスズ会はバスク人中心に運営されてきた。アメリカのボストンの近くにもイエスズ会が経営する HOLLY CROSS 聖なる十字架という優秀な大学がある。イエスズ会というのは発足当時はファナティックな宣教意識を持った、武力でもってでもキリスト教化をいとわない戦闘的な宗教団体だった。またバスク人というのはフランスとスペイン国境のピレネー山脈あたりに住む欧州の謎の民族。スペインからの分離独立を目指してテロを繰り返している民族でもある。奇妙なことに彼らの言語がそもそも印欧語に属さない謎の言語である。欧州で印欧語に属さない言葉なんて他には無いはず。それなのにバスク語はその印欧語に属していない!そんなはずは無いと思うんだけれど、事実だ。多分、印欧語を話す人々は先住のバスク人より遅れて欧州にやって来たのだろうと思う。もしその反対にバスク人が遅れてやってきたのなら、その途上の印欧語の海の中で、印欧語を受け入れるか?または印欧語をバスク語にある程度は取り入れたはずだと思う。バスク語には印欧語には無い、息を吸い込みながら発音する音があるという。一説によるとこれは長い期間、洞窟内で暮らした民族に特徴的な音だという。つまり氷河期に寒波を避けて洞窟内で暮らしていたのだろうと思う。クロマニヨン人の直系の子孫とも言われている。実は知り合いに一人バスク人がいるがあまり好きな人間ではない。洞窟の中にでももどって欲しい人間だが、この際は関係ないだろう。フランスではバスク人は味覚の鋭い人々として知られていて、レストランやビストロの経営者・シェフが多い。 ―――― ◇ ――――やはりポルトガルは東洋にも大きな足跡をのこしている。インドネシアにもポルトガル領があったし(マカッサルだったかな?)、もちろん香港の隣のマカオはインドのゴアとならんで東洋の起点。そういえば、ボンベイ支店の現地職員にもゴアの出身者がいて、ダ・シルヴァなんていかにもポルトガル系の名前を持っているカトリック信者だった。マカオにはいまだにポルトガル語をしゃべるポルトガルの血をひいた中国人のマイノリティー社会があるというテレビのドキュメンタリー番組を見たことがある。徳島で亡くなったポルトガルの総領事モラエスも小泉八雲に似た境遇の知日外国人。文人で小説などを書き残していて、徳島市内にモラエス通りという通りがあり、そこにかれの旧居があったらしい。青空文庫にモラエスの作品はあるだろうか?通説ではポルトガル人が種子島に持ち込んだ鉄砲・種子島銃が日本に普及したと言うことになっているが、日本の堺で大量生産された鉄砲はポルトガル方式の鉄砲じゃないようだ。弾込め方式とかその他が違う。多分、中国とかそのあたりから導入した、もっと進化した鉄砲の技術を日本は別ルートで取り入れてそれを改良したらしい。そうして日本人はたちまち数千丁の鉄砲を作ってしまった。これは当時世界最多の鉄砲の所持率だった。だから、ポルトガルに対する感謝も半分でいいらしい。ポルトガルには行ったことがない。行ってみたい。特にリスボンの隣の大学町で古い町のコインブラ。コインブラって、響きが美しい。 ーーーー ◇ ーーーー去年、米国である結婚式があって私も招待されたのだけれど、その時に知人のポルトガル人の人々と話していて、アマリア・ロドリゲスの話がでた。出たと言うより彼らがポルトガル人だと言うことで、私としてはある種のサーヴィス精神もあって彼女の話題を出したのだが。昔の映画に「過去のある愛情」というフランス映画がある。フランソワーズ・アルヌール ダニエル・ジュラン主演のポルトガルを舞台の男女の愛情のもつれを描いた映画だが、たしかまだ高校生だった私は、この映画を映画館にまで観に行った。というより聴きに行ったと言う方が正しいかも知れない。この映画の主題歌「暗いはしけ」という歌をアマリア・ロドリゲスというポルトガルの女性歌手が歌っていて、この歌はポルトガル独特のファドといわれるジャンルのものなのだが、その当時は世界的な話題になっていて、私はその歌をラジオで聞いてからは、ぜひ彼女が出演して謳っているというこの映画を観たかったわけだ。実際に行ったことがないのにこう言うのもいけないかも知れないが、隣国スペインと比較してポルトガルはなんとはなしに貧弱というか侘びしい印象がぬぐえない。写真などで見るポルトガルの映像は黒い衣装をまとった猟師の女房などのものが多いからそういう印象になるのかも知れない。ヨーロッパと言うよりイベリア半島を数百年にわたって支配したムーア人(アラブ人)の面影も見えるような機がする。ファドというのは哀調を帯びた歌だ。スペイン風な激しいものとは対照的に淡い味わいで、まるで風になびく哀愁という風情がある。これにもやはりアラビアのエキゾティックな旋律が混じり込んでいるような気がする。やはりポルトガルにはそういう軽い持ち味があるのか?ポルトガル領だったブラジルの音楽、ボサノヴァも淡くて軽い。名画「黒いオルフェ」の主題歌「カルナヴァルの朝」もファドの直系の子孫という趣だ。ポルトガル語で「サウダーデ」という言葉がある。英語で近い言葉は solitude だろうけれど、それだけではない。この言葉は実に深くて微妙で・・・幅の広い意味のある言葉らしい。平凡社のスペインポルトガルを知る辞典には次のようにでているという。 ―――― ◇ ――――懐かしさ・未練・懐旧の情・愛惜・郷愁・ノスタルジー・孤愁。しかし、いずれの訳語もサウダーデの表す多面体的な意味のいづれかの面に対応するものであって、それが持つ意味の総体を示す訳語ではない。サウダーデとは、自分が愛情・情愛・愛着を抱いている人あるいは事物(抽象的なものを含む)が、自分から遠く離れ近くにいない、またはいない時、あるいは自分がかつて愛情・情愛・愛着を抱いていた人あるいは事物が、永久に失われ完全に過去のものとなっている時、そうした人や事物を心に思い描いた折に心に浮かぶ、切ない・淋しい・苦い・悲しい・甘い・懐かしい・快い・心楽しいなどの形容詞をはじめ、これらに類するすべての形容詞によって同時に修飾することのできる感情、心の動きを意味する語である。そこには、たんにそうした人や事物を思い描いたときに心に浮かぶ感情だけでなく、そうした人や事物をふたたび眼の前にしたいと願う思いも含まれている。サウダーデはこのように複雑で豊かな意味を持つ語であるから、外国語で1語によってその意味を表すことは不可能であることも、訳語としてあげられている種々の語の意味の一面しか表しておらず思い出す対象によって訳語が異なるざるを得ないことも明らかであろう。また大切にしていた物を手放さざるを得なくなったとき、心に感じる痛み・悲しみを伴う感情もサウダーデであり、家族・親友・恋人などと永く別れるときの惜別の情もまたサウダーデである。 ―――― ◇ ――――これでは長々しくて大変だけれど、私の解釈では「愛着のあるものから離れていることから生ずる執着を含んだ喪失感・悲哀感」なのでは?つまり英語で言うと nostalgy や missing feeling や in solitude がその核にあるのではないだろうか?ポルトガルは欧州の最先端、どん詰まりである。その先は茫漠たる大西洋。英国のコーンウォールの先端に文字通り「LAND END」という岬があるが、陸地が切り落ちていて、そこからは見渡す限りの大西洋である。まだ見ないリスボンにも(リスボアというのがポルトガル語の発音かな?)やはりそんな風景があるような気がする。大航海時代に船乗り達が未知の大海に乗り出した土地だ。そんな前例もない世界の果てへの恐ろしい航海に船出して行った夫や父親、恋人など・・・。そんな彼らを想いつづけて帰りを待ち続けた切ない感情が、ポルトガルの女性達の心の中に染みついてファドになったのではないだろうか? ―――― ◇ ――――「火宅の人」の作者、壇一雄が一時ポルトガルに滞在していたことがあって、たしか昔に週刊朝日に連載していた随筆に自ら書いていたが、ポルトガルではイワシの塩焼きが安くてまたことさら美味であるという。さらにそれにレモンを搾ってかけると・・・。・・・言うまでもあるまい。 ーーーー ◇ ーーーーまたアメリカでの結婚式パーティーでのポルトガルの人達との話にもどるのだが・・・。他の東海岸真性エリート白人連中に比べて遠慮がちなポルトガルの人々を気遣って、私はアマリア・ロドリゲスの歌が聞きたさに「過去のある愛情」を観に行ったこと、および壇一雄が好きだったというイワシの塩焼きがぜひ食べたいものだ・・・などとしゃべると、彼らがいきなり私に抱きついてきて「今度来たときには私たちの家に来てくれ!イワシの塩焼きをご馳走する ポルトガルのワインも最高だよ」というのだ。それだけでは無い。一人が自分の荷物の中からアマリア・ロドリゲスのCDを数枚とりだして「プレゼントする」といって聞かない。「せっかくのCDじゃないか?」と遠慮すると「ここではいくらでも安く売っているから大丈夫」という。たしかにこの州にはポルトガル系住民や移民が多く、いわゆるポルトガル・スーパーまでもあるのだ。遠慮無くいただくことにした。 ーーーー ◇ ーーーーフロイスからアマリア・ロドリゲスまで、私の本日の大航海もやっと帰港となった。ああ、しんど。
2004.01.30
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私は住む場所としてのアメリカは、なんだかもうひとつ情緒というか?濃い文化が無いような気がして(ぜいたくですが)今までそれほど評価していなかったのですが、やはり最新の文化・情報とニューヨークのミュージカルやビデオショップの魅力には抗しきれません。米国東海岸に一時的に滞在している時には、ブロードウェイのミュージカル観劇とビデオあさりが楽しみでした。ビデオを販売している店(レンタルではない)のビデオの品揃えが日本と比較にならないほどですし(タイムズ・スクエァのヴァージン・メガショップなどはすごい)通販のアマゾンとちがって、現地で自分で買って持ち帰れば、アマゾンより安いし、第一送料も要りません。みなさんもぜひ行かれてみてはどうですか?ニューヨークと言えば摩天楼ですが(表現が古いかな?)、デボラ・カーとケイリー・グラント主演の名画「めぐり逢い」のすれちがい現場検証を兼ねて、あの9.11の世界同時テロで崩壊したWTC(ワールド・トレード・センター)ビルに代わって今やNYでクライスラービルなどと並んで一番高い建物の一つに復帰したエンパイヤー・ステート・ビルに登ってみました。ちょうど休日にあたったため切符売り場やエレベーターの待ち時間の合計実に45分。やっと到着した頂上付近の展望台から見下ろすマンハッタンの風景は、あの「ウェストサイド・ストーリー」の冒頭のマンハッタンの俯瞰図そのものでした。ただし展望台の売店で売っているのは残念ながら「キングコング」の玩具だけでした。ワールド・トレード・センター)にも通勤していたことがありますが、よもやあの巨大なビルが、しかも二つとも倒壊して、ガレキの山になるとはおもいませんでした。しかしともかくエンパイヤー・ステイト・ビルディングはまた昔の世界一高い建物、「天に一番近い場所」になりました。(これはたしか「めぐり逢い」の中のセリフです) ーーーー ◇ ーーーーグランド・セントラル駅もいろんな映画の舞台になっていますが地下に有名なオイスターバーがあります。米国のメニューでは牡蠣は品種別になっていて値段もちがいます。米国にはブルーポイントという名前の牡蠣があり、最もポピュラーです。それにクマモトという名前の小振りな牡蠣もあります。このクマモトは戦後、アメリカの牡蠣がバクテリアに冒され絶滅寸前になったときマッカーサー元帥の命令で熊本からとりよせた大量の牡蠣が繁殖したものとのこと。本来なら牡蠣と言えば広島ですが、当時の広島は原爆被爆の直後でとても牡蠣の輸出などの話では無かったのです。フランスのパリでも秋以降はレストランの前で大きな皿に大盛りの氷と生牡蠣を積み上げていて食欲をそそります。実はフランスの牡蠣も一時絶滅寸前になり、同じように日本の牡蠣(マガキ)が危機を救い現在のフランスの牡蠣の90%は日本の牡蠣の子孫とのことです。ロンドンの王室御用達の店が並ぶジャーミンストリートにも牡蠣で有名なレストランがあって18世紀後半の創業だそうです。一階はバーになっていてカウンターで飲みながら味わう、二階はレストランです。どうもわけありのカップルが来る雰囲気です。数十年前に?私がガールフレンドとあそこで食事したときに、あそこで牡蠣の味付けに出てきたのはトマトケチャップとレモンでしたが、普通はレモンにタバスコとか、ホースラディッシュですね。(私はホースラディッシュが大好きです)最高級百貨店ハロッズのオイスターバーも有名です。故ダイアナ妃とハロッズ・デパートのオーナー(サウジ・アラビアの武器商人、アドナン・カシオギの兄弟にしてエジプト人です)のドラ息子!!の情事の果ての、暗殺?事件についてはまた別に書いてみたいと思います。ベルリンの高級百貨店KaDeWeは最上階の食料品売り場が豪華で有名ですが、そこにもオイスターバーがあって、目の前でコックが牡蠣をガキッと、開いてくれて皿にのせて出してくれると海水が溢れます。それをドイツの白ワインをのどに流し込みながら食べると・・・。越の寒梅は正月のお屠蘇として飲んでしまったし、ドイツのモーゼルワインもそれだけではそれほどでは無いし・・・。 ーーーー ◇ ーーーートップ・ページを毎日コロコロ変えてすみません。こういう性格なもので・・・。
2004.01.12
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