Alice Boy's Pictures

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15年という時間



15年という時間



15年前に息子さんを亡くされたと思われる詩人の女性のブログに行き当って、亡くなった息子さんが、土曜日のデイサービスで話題に上った人らしい。。。。とわかった。

次男より7歳年長なので、亡くなったのは16歳くらいか。

土曜日に、思いがけず聞いてしまった話では、「超多動で重度の知的障害のある少年」ということだった。


世の中は狭い。

土曜日に話題に上った人のブログに火曜日に行き着くなんて。


少年が生まれた時の喜び、愛らしさ。
少年の容態がどんどん変わっていく。
脳症を罹患したとわかった。
母の恐れ、悲しみ、嘆き、祈り。

命をとりとめたことへの感謝。
重い障害が残った。
2歳で立った。


重い知的障害があっても、言葉がなくても、少年の愛らしさはかわらない。
母は、少年が愛おしい。



亡くなった状況を聞いてしまったので、信じられなくて、消化できない気持ちを抱えている。


本当だろうか。
本当に、そんなことが起こるのだろうか。
本当に、防げないことだったのだろうか。


15年前に亡くなった、会ったこともない少年のことをずっと想っている。









2011年3月31日(木)

15年という時間-2



15年まえに息子さんを亡くされたと思われる詩人の女性のブログに行き当って、亡くなった息子さんが、土曜日のデイサービスで話題に上った人らしい。。。。とわかった。

当時の関係者にとっては、過去の出来事のひとつになっているかもしれないけれど、母にとっては、永遠に目前にある生々しい現実なのだ。









15年という時間を経て、昨日の真夜中にアップされた回想詩。

「我が子が行方不明だと知らせを受けた場面」から、母の悲鳴が聞こえる。

「死後3日を経過した全裸の遺体となった我が子と対面の場面」から、母の慟哭が聞こえる。





10回目のキャンプなのに、慣れていたのに、安心していたのに。。




同じ時期、同じ施設を私の息子達も利用させていただいていた。

別の団体で、障害のある子も、その兄弟も、ともに育ちあうことができるように、遊びや工作や調理やキャンプを企画してくださっていて、今もお世話になっている。

亡くなった少年と息子達は、同じ時期、同じ空気を吸っていたのだ。




昼過ぎに、入浴後、裸の16歳の少年が山の中にひとりで入っていって帰ってこない。
指導員は、少年が、いつものように、フラリと帰ってくると思って、夕食のカレーを他の子供達と作っていた。

フラリと帰ってくれば大問題ではなかった。。。。と言うのか。

次男が今もお世話になっている団体にはそんな大胆さはない。
今もないし、当時もなかったと思う。




15年という時を経て、回想詩を書き上げた母は、少年は今も 心の中に 生きている。。と結んでいる。






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