初めての立派な病名のつく病気


<初めての立派な病名のつく病気>

・子宮内膜症および左卵巣嚢腫

忘れもしない、20世紀最後の年。
1999年10月のある日、突然高熱を出し
てっきり風邪を引いたと思って病院の空いている診察時間ぎりぎりに病院入り。
でも、交通事故の急患や入院患者の急変などで、なかなか診察してもらえず
ロビーでぐったり。ようやく名前を呼ばれ内科の診察室へ入る。

内科の先生は、私から症状についていろいろ聞き喉を見たり血液検査をしたり。
そして、ベッドに横にされ下っ腹をさわられる・・。「う~ん、なんかお腹張ってるね」
えー、そうです。だって、生理直後でお腹が張ってた時だったんですもん。
「でもね~、これは、外科の先生に見てもらったほうがいいな。」

そして、外科の先生。血液検査の結果、非常に白血球が増殖しているのと
やはりお腹の張り具合を見て「これは婦人科に行ってもらわなきゃいけないな」
えー!?ふ・婦人科~!!婦人科って言ったらあの特殊なベッドに横になって
あかの他人にアシをひらかなくちゃならないですか!この時点で、婦人科未経験。

とりあえず、その日は入院して、明日婦人科の先生を紹介するから・・というのをお断りして
母親が以前に看護婦をしていた病院(今は産婦人科メイン)に電話で連絡し
母親がお世話になった、院長先生に診てもらいました。(ちなみに、私はその先生にとりあげてもらいました)

もうね、言われるがまま、あのベッドにも横になったし、一度経験してしまえば
なんてことはないですね。エコーや触診など、ここでも血液検査をして
どうやら、左の卵巣が非常に肥大しているとのこと。詳しくはまた明日ね。って抗生物質をもらって帰りました。

次の日、来院して、詳しく聞くと・・・
普通、大人の親指大の卵巣が、こぶし大の大きさにまで腫れ上がり手術して摘出しないとだめだとのこと。
もうね・・「はー???」って感じでしたね。何のこと?みたいな。

あとで、わかったことなんですけど、裏には子宮内膜症という病気があって
卵巣に子宮の内膜が転移しそこでも月経をおこし、行き場のなくなった血液がたまり
チョコレート色に変化して卵巣の嚢腫となったのです。いわゆる、チョコレート嚢腫。
それに長いこと気づかずにこぶし大にまで大きくなってしまっていた。
そして、左の卵巣はもう使い物にならなくなっていました。

そんな訳で、11月、左卵巣摘出手術をうけました。
内膜症は卵巣だけにとどまらず、子宮の裏側や、腸にも転移して癒着がひどかったそうです。
左卵巣も、卵管だけ残し、全摘出。やっぱりだめだったんですね・・。

このときがはじめて全身麻酔を経験し、開腹手術を経験しました。
術中、目が覚めてしまうというアクシデントに見舞われましたが、下半身麻酔が十分に効いていたので
痛みは感じず、摘出された卵巣をみせてもらったのを覚えてます。
それからしばらくして、また眠ってしまい、病室に移された時、父と母の私を覗く顔が見えました。

それからは3日間。チューブだらけの生活をしいたげられ、朦朧と過ごしていたのを覚えてます。
術後3日後、看護婦さんに尿のチューブをとられ、そろそろ自分でトイレ行ってみよっかってことで
ベッドに起き上がろうとするもなかなか出来ない!体が動かない!非常に体力のなさを実感しました。
そして、お腹の痛いこと痛いこと。こんな痛みは生まれて初めて。親知らずなんて目じゃなかった。
ほんの、2M先にあるトイレにいくのにも30分以上かかり、腰をおろすのも3分はかかり
またでてくるのに10分はかかったと思います。

その後は、痛みと闘いながらちゃくちゃくと回復し10日ほどで退院となりました。
いやー、貴重な経験でしたね。辛かったです。

病気なんてしたことがなく、元気だけがとりえだと思っていた私。もろくも崩れました。
母にとっても、とても辛い出来事でした。健康な子を産んだつもりなのに・・ってね。
まして、その子が子供が出来にくい体になってしまったわけです。結婚を目前に。
私の前では悲しい顔はしませんでしたけど、ほんとに辛かったと思います。

幸い、当時婚約中だったマケはとっても心やさしい男性で、私をとっても愛してくれてました。
泣く泣く、自分に降りかかった不運のこと、そして、これからマケにも降りかかる不運(子供ができないかも)のこと
すべてを話し、ながながと電話で話し合いました。(遠距離恋愛)

マケは、いつもいつも私の体調を気遣い、そして言いました。
「僕は、アロハを愛してるから、アロハと結婚したいんだ。子供のために結婚する訳じゃないよ。
 そりゃー、子供欲しくない訳じゃないけれど、アロハと一緒にいられることが
 僕にとっては何よりも幸せなんだ。それに、できるかもしれないだろ?
 先のことは誰にもわからないんだよ。ただ僕にわかってることは、僕がアロハを幸せにするってことだよ」

あー、この人に一生ついていこうと再確認した瞬間でしたね。
この人となら大丈夫だって・・(笑)
それにね、マケったら「でもさー、あなたはいいかもしれないけれどあなたのご両親は
あなたの子供みたいでしょう?」って言う私に「そうだね。だから、内緒にしてて」だって。
「できるかも知れないんだから、余計な心配かけたくない。もし、3年経っても5年経っても
子供ができなくて、何か言われたら、その時初めて話せばいいよ。」って。

既成事実ってやつね。(笑)
でも、ほんと、当時は笑えなかったですね・・。自分の両親に対してもそうだけど
相手の両親に対しても、ほんとーに申し訳ないな・・と思って。本当に結婚していいんだろうかって。
まるでだますようにして・・。

だけど、結婚してよかった。こうやって、私にも赤ちゃんできたんだもの。
同じ病気で苦しんでる人、メディアでも結構とりあげられたりして、子供が出来たって人もたくさんいたし。
あの時、変にネガティブになって結婚してなかったら、今のこの幸せはないんだな・・と思うと
本当に良かった。ほんとうに・・・。

私の人生観を変えた世紀末にふさわしい(?)経験でした。



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