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秋到来です(。-д・)bネッ<ナニヲイマサラうちのぷぅ様はというと「寒くて出たくないよぉぉぉぉぉ」とずっとハウスの中。
2011.09.29
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今回は、埼玉・秩父方面へ行ってきました。 最初の目的は秩父美術館で『たまには静かに喧騒から離れて絵画を鑑賞したい』と思ってたんですが、実際に秩父駅周辺まで行ってみると、思ってたよりもかなり閑散としてまして・・・ 結局は・・・「道の駅・ちちぶ」へ寄りまして、その横にある「ウニクス秩父」内をブラブラと歩き、その裏にある「秩父市芸術文化会館」で秩父市在住の画家による展示会(無料)を観てきました。 その帰りに、昔行った『道の駅・果樹公園あしがくぼ」へ寄り、マイナスイオンを満喫。 帰宅の途に着きました。
2011.09.20
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9月7日に追い出される前の退院となりました。そして14日に次の病院が決まるまでの期間として、ひと月分の薬を貰いに7日まで入院していた病院へ行き、その足で、市内に残された最後の言語聴覚士がいるという病院へ診察していただきあわよくば、その言語聴覚士さんに診ていただく、という切なる願いで。。。結果、週イチで失語症の回復訓練と、リハビリを兼ねて通院できるようになりました。これで、まずはひと安心です。失語症っていうのは、字のごとく、「忘れた」のではなく「言葉を失う」のです。頭の中では、言いたい言葉・伝えたい言葉が山ほどあるのに、その変換機が故障しているのです。すぐに出やすい言葉があるようで、たとえば「洗濯して」って言いたいのに、よく口に出る言葉が「猫」だと「ねこねこ」って言ってしまうのです。家族はジェスチャーやその雰囲気でわかるようになりましたが、赤の他人が聞いたら、まったくわかりません。だからといってまったく違う言葉ばかり出るのか、というと、そうでもなく、一度覚えた言葉はしっかりと言えたりするのです。365歩のマーチじゃありませんが「1歩すすんで2歩さがる」のように地道なリハビリが必要なのです。焦ってはいけないのです。周りの家族を含めた人々がせっかちになってはいけないのです。言葉を発しようとしたときに「待つ」ことが重要なのです。わかりかけたらその先を一つ二つ単語を言って聞いてみるのは構わないのですが、答えを先回りして言うのではダメなのです。左脳が梗塞状態なので、思考も応用がききません。私は義母と言っているぐらいですから、血が繋がってません。できることと言ったら、リハビリを見守ること、そして義母の身体のメンテをすること。ただそれだけです。顧客に医療関係者が多数いらっしゃいまして、色々と伺ったのですが、どの意見も「介護は大変だよ~~」と。なるべく、義父と妻の身体のケアをしてあげていますが、それ以上は血縁者で無いので、なんとも。。。自分以外で唯一、私の心を理解してくれた義母のために何とかしてあげたい、って思っているんですが。。。あと10年して「あの頃のリハビリは大変だったねぇ」と言える義母であって欲しい、そう願っています。
2011.09.15
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マッサージ屋さんもいわゆる客商売というもので、たまに懇意にして下さる顧客の方から差し入れを頂いたりします。毎週火曜に来てくださるUさん。旦那さんの実家が山梨の方で果樹園を営んでいるそうで、桃とピオーネは買ったことがない、との事です。話の中で、その話題になり「白桃なんてそう何年も食べてませんねー」と私が言うと、その顧客の方は「じゃあ持ってきますよ」と。最初は社交辞令だと気にも留めてなかったんですが、8月上旬に予約日とはぜんぜん違う日に、スイカの小玉ほどある大きな白桃を3個も持ってきてくれました。次の施術のときに白桃のお礼を言うと今度は「黄桃って食べたことあります?」と。そーいや缶詰でしか食べたことないんで「缶詰じゃない黄桃なんて売ってるんですか?」というと「じゃあその時期になったら持ってきますよ~」と。またまた8月下旬にスイカの小玉ほどの黄桃3個を。貧乏暮らしが長いせいか、どれだけの値段なのかと、スーパーに行ったときにチェックしたんですが1個1000円ぐらいするんですよね。奥さんと2人でただただ「感謝感謝だねぇ」と。そして9月に入ってすぐに、今度はピオーネを3房持ってきてくれました。初めて食べましたがこれがまたかなりうまいっ!巨峰とマスカットの掛け合わせで作るそうなんですね。ぶどうはどれも好きなのでかなり満足でした。1房で満腹になります。そして昨日もまた3房持ってきてくれました。感謝感激です。
2011.09.14
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9月7日、義母が退院しました。 普通は「おめでとうっ!」ってことになるのですが、今回は「追い出される前の退院」なのです。 首都圏には余るほど(?)数多くいる言語聴覚士も埼玉ではかなり少なく、病院側の対応も首都圏の「患者=お客さん」ではなく埼玉はまだまだ「病院側>患者」が現状です。 一人でも多く収容して一人でも多く完治に近い状態で送り出す。 ごく当たり前とも思われることを今の病院はしてくれません。 回復の進行度合いが「もうそろそろ落ち着いてきた?」というと「いつ退院しますか?」となる。 義母の場合は右側顔面と手に麻痺が残るものの、しっかりと歩けるのです。このしっかりと歩ける状態が「パッと見、健常者」。退院可能か不可能か、この『パッと見』が重要なカギ。。。ってどんな査定だよっ!!! 退院から1週間後にひと月分の薬を貰いにまた同じ病院へ行き、そして次の病院への紹介状を出してもらう。 その後は、次の病院探しに奔走です。これからが大変。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ そんな中、退院前日から妻と愛娘・プリンがひと足先に帰郷しています。 退院日から、プリンの生活が一変。 以前から義母への介護ぶりはすごいものがありました。 トイレ・風呂以外は常に横に居て見守る。 それが今回からは、「横に居て義母の状況を見守る」まではいつも通りですが、義父がきて世話を始めると、離れて自分の居場所へ行って寝たりご飯食べたりと、自分のことをする。 義母が何よりすきなのがプリンとの散歩なのですが、今までは自分勝手にチャカチャカとあっちいったりこっちいったりとしてたんです。それが、しっかりと義母の歩くペースに合わせて、たまに振り返りながら、義母の負担にならないようにゆっくり歩く。 パパママのときは好き勝手なのが、義母には、しっかりと介護犬としての役割を果たしています。 なんとも微笑ましい。 まぁ親バカと笑ってください。
2011.09.10
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