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2010年01月16日
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カテゴリ: 安土桃山・江戸


 政宗の時代は、まだ城郭機能がひつようだったことから、青葉山と広瀬川にはさまれた崖の上に造られました。

 しかし、その子忠宗の時代になると、わざわざ上までいくのも面倒なので崖の下に大きく敷地をとって二の丸を増設。そこを住居兼役所とし、それ以降、仙台城の機能は二の丸が中心になります。

 本丸はもしもの時のために存在はしましたが、火災などが発生しても復興できなかったものも多く、しだいに廃れていきました。城郭機能が役所機能に変貌する典型的な「江戸時代の城郭」です。

 ですから、仙台観光した人が仙台城といっている「仙台城本丸跡」は政宗以外のお殿様のいる場所ではなかったことになります。

 上の絵は「仙台城図屏風」という有名な仙台城を描いた絵です。後の時代の推定も入っていますがとても綺麗な絵だなと感動した中学時代を思い出します。

 この屏風の左の崖上が本丸、右側の平らな部分が二の丸です。ちょうど中心部に大手門と復元された隅櫓があり、手前に広瀬川が流れています。

 こうみると完全に本丸と二の丸が「分離」しているのがわかりますね。





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最終更新日  2010年01月16日 18時36分46秒
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