奄太郎が語る!仕事と遊びと諸国行脚!

奄太郎が語る!仕事と遊びと諸国行脚!

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

奄太郎

奄太郎

バックナンバー

2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月
2025年07月
2025年06月
2025年05月
2025年04月
2025年03月
2025年02月
2010年01月18日
XML
カテゴリ: 勝手に野球談義
 昨日、小林繁日本ハムコーチが亡くなってしまいました。驚いたどころじゃなかったです。

 江川事件が起こったころ、私はまだ6歳。野球観戦もしたことがなかったです。大人になった今ではわかりますが、当時は全くわからなかったです。

 私の家は父親が「野球には興味がないけど一応巨人ファン」という典型的なタイプで、母親側の祖父が富山出身であり(富山は巨人軍を創った正力松太郎の出身地で巨人ファンが多い)バカがつくほどの巨人ファンでした。

 私が小学校に入り野球を始めてから、ヤクルトやパリーグに興味を示したことから大人たちには「変わった子供」と思われていました。友人の母親など「巨人ファンじゃないのはおかしい」と平気で抜かすヤツがいたほどです。

 心配した私の両親は、巨人阪神のチケットを手に入れて父親が私を後楽園に連れていきました。小林投手を観たのはそれが初めてでした。

 思い出に残っているのは、満員のスタンドと隣の酔っ払った隣のおじさんに千円もらったこと、そして阪神ファンでもない死んだ父親が小林投手が三振を取ると大喜びしていたことです。「俺はあの小林は好きなんだ」といってたな。当時はなんでだかわからなかった。それに親の期待と裏腹にますますパリーグにはまってしまった。

 ただ、友人には小林投手のファンは多かったですね。必ず投げるマネするヤツがいました。

 江川事件も理解して再び小林投手を観たのは近鉄のコーチとしてでした。梨田監督と真弓コーチと「男前三人衆」とよばれ、男前とはいえない選手ばかりの近鉄の看板になっていたころでした。

 優勝したとはいえ、投手陣がすごいチーム防御率をはじき出し、何度もバフィのウインドブレーカーを着てマウンドに向かう小林コーチを観ました。「体型が変わらないな」というのが印象。



 今年はどっかで再び観れると思っていたので残念でなりません。  








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010年01月18日 20時33分51秒
コメントを書く
[勝手に野球談義] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: