あま野球日記@大学野球

あま野球日記@大学野球

2020.04.27
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テーマ: 日本野球史(139)
カテゴリ: 日本野球史
​​​​  戦後のプロ野球は、1946年(昭和21年)春のリーグ戦からスタートを切った。

 戦前からあったチームは巨人、阪神、阪急、中日、近畿、太平、資本系統から新チームと見做されるのはセネタースと金星だった。このシーズンの成績は、監督兼4番・山本(鶴岡)一人の活躍で近畿(南海)が優勝。次いで1ゲーム差で2位巨人、3位阪神。そしてこのシーズン中15連敗を記録した中部日本(中日)は最下位に終わった、105試合42勝60敗3分。

 この中日について、大和球士さんの書いたことがボクには面白かった。曰く、
「怪傑竹内愛一は中日の監督に就任したが、鹿児島のキャンプ地で、桜島の噴火をながめながら鹿児島焼酎を呑みすぎたため球団幹部の不評を買い、7月中旬に退団を余儀なくされた」 と。
​​
調べてみると、wikipediaには 「酒呑みのトラブルで選手からは反発され、7月に中日を更迭された」 とあり、さらに 「中日を更迭された同年、プロ野球加盟を目指す東京カッブスの監督に就任するが、早朝からの飲酒・放蕩の不行跡のため、またしても更迭された」 と書かれ、散々な言われようだった。

※東京カッブスとは、戦前早稲田大で活躍し゛鉄人”と呼ばれた ​河野安通志​ ​が代表を務め、プロ野球
 加盟を目指した球団。しかし、巨人の​ 市岡忠男 代表の猛反発に遭い加盟は叶わなかった。

酒が原因で監督の座を追われた ​竹内愛一​ ​とは、いったいどんな人? むくむくと興味が湧き、 それまでの経歴を調べてみた。

 中日の監督に就任前、41年は朝日軍の監督兼投手、42年、43年は監督に専念した。不惑の年近くになってプロ入りしたためか現役生活は41年のわずか1年間のみ、登板数はたった1試合だった。通算イニング数は2回1/3、打者18、被安打3、与四死球6、奪三振2、暴投1、失点5、自責点1、防御率3.00。何が何だかハチャメチャな成績だったものの、監督としてはチームをAクラスに導くなど、それなりに手腕を発揮した。

 そして、高校時代にさかのぼるとーーー、
​​​ 京都一商時代は2度甲子園に出場した。1度目の1920年(大正9年)夏は4番・ライトで出場しベスト8へ。2度目は翌21年夏、竹内はエースとなり、エース 藤本定義 を擁する松山商を破るなどチームを準優勝に導く大活躍だった。残念ながら竹内は準決勝で負傷し、決勝戦では 井口新次郎 のいる和歌山中戦に登板できなかったことが敗因だったようだが、この甲子園大会の中心には竹内がいた。​​​

​​​ 早稲田大時代も勢いは衰えず。特筆すべきは25年(大正14年)秋、20年ぶりに復活した早慶戦の開幕試合の先発投手だったこと。落ち着いたマウンドさばきで慶應打線を封じ、9回に1本の安打を打たれるまではパーフェクトゲームを予感させる快投を演じた。面白いのは2戦目、早稲田の先発は、竹内が甲子園で破った藤本定義だったこと。そして早稲田打撃の中軸に、和歌山中出身の井口新次郎がいたこと。

 実は、竹内は東京カッブスを追われたあと、熊谷組が球団経営をもくんだ熊谷ゴールデン・カイツの総監督に就任する予定だった。結局ゴールデン・カイツ計画はとん挫するのだが、監督就任予定だった​ 浜崎真二 は竹内が総監督と知るや、すぐさま熊谷に断りを入れた。その理由が面白い。

「竹内と言えば、生家である京都の仏具店を吞み潰したことで知られる大酒呑み。それに対して俺は一滴も呑めん。そんな男と一緒に野球をやれて云われてもできっこないわ」

 野球選手と酒は、切っても切れない関係にありそうだ。代表例でいえば、昔近鉄にいた永淵洋三が大酒呑みで有名、漫画『あぶさん』のモデルになった。仰木彬元近鉄監督もそうだった。あまりに酒好きゆえコーチから監督になるまで10年以上を要したと言う人もいたほど。近年では 長野久義 が大酒呑みで有名、一晩で100万円などザラだったとか。


竹内.JPG

(写真)社会人野球・全京都時代の竹内愛一。~『激動の昭和スポーツ史 社会人野球』(ベースボール・マガジン社)より。




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今から75年前、1945年(昭和20年)11月23日、終戦から3か月後、神宮球場でプロ野球東西対抗戦が復活しました。まだ、生きていくことや食べることさえままならない時であっても、やっと開幕した野球に触れたいと願う多くの人たちや、長期間におよぶ閉塞感から解放されたいと願う多くの人たちが神宮に集まりました。以下『真説・日本野球史』(大和球士著、ベースボール・マガジン社)より。

「この試合(終戦から3か月後に行われた東西対抗戦)、終戦直後の大混乱期に開催されたにもかかわらず、4万5千人の 大観衆が詰め掛けた。神宮球場で行われるのは1942年(昭和17年)以来 5年ぶりではあったが、内野席を超満員にし、外野席も7割がたが埋まったと いう」

 「一体どこから4万5千人もが集まってきたのであろうか。(中略)単純な野球愛 というよりは、敗戦から立ち上がろうとする日本人の活力の発露と見る。野球人 に強靭な精神力があったことは頼母しく、日本人に祖国再建の活力がみなぎって いたことはいよいよ頼母しい限りである。野球人、野球ファンが『ニ位一体』となっ て野球復活は快速調に進むことになる」

今は新型コロナウイルス禍で野球を見ることが出来ませんが、75年前と同様、いつか晴れ晴れとした表情で球場に足を運ぶ日が来るでしょう。その日を夢見て、今は辛抱ですね。







在宅勤務など 家で過ごすことの多い今だから、ゆっくりと靴でも磨いてみてはいかがでしょうか。
ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力が湧く効果が期待できるそうです。『靴磨きの教科書』(毎日新聞出版)より。


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Last updated  2020.04.28 21:13:44
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