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水ってすごいですよね。何度も思うのですが、花粉とかで目が痒かったり、ものもらいになりかけたりしたとき、(つまりまだ自分の治癒力が強く働く段階の時に)水で目を洗うと、すごくよくなるんです。太陽もすごいですよね。たまたま朝日を浴びたら、カーッと熱くなるところがあり、多分そこで不調が解消されているんですよ。面白いのは、水も太陽も、こちらがそのパワーを受け入れる気が無ければそれほどの影響は与えない、というところです。こちらに受け取る気があれば、ものすごい力を発揮してくれます。「受け取った力で、自分の治癒力を底上げする」・・というのかな。レイキと同じですね。っていうか、それがレイキなんですよね。レイキは、この世に生まれたもの全てが備えた自然の力ですから。太陽と水の力と同じなんですよね。
2022.08.03
初めてレイキを習ってから、毎日、毎日レイキしてきたことで、自然と、自分は変化してきたなぁと思いますよね。今日もそんな話です。やっぱり、レイキできて良かったなー。←☆ ☆ ☆ ☆ ☆これは、前回の続きでもあります。物事は色々な見方ができますから、怪我同様に、事故や病気も、勝手に起こるのではない、という視点で見てみると、、例えば、(「例えば」ですよ?交通事故で苦しんでいる方に向けて書いているのではありません)交通事故は、起こる条件を満たさなければ、起こらない。例えば、ある瞬間にAとBとが接触しなければ起こらない。当たり前のことですが、そのことに気付く。災難とは、起こる条件が揃うと、起こる。その様子は、徐々に、波の波紋のように、最初はその波形はランダムで意味がないように見えます。でも実際には、様々な条件が整いつつある。100%相手が悪い場合でも、その事故が起こるという条件が整いつつあるということです。気付かぬうちに、既に自分はそこに取り込まれていて、ちょっとずつ、信号、サインも出ている。そのことに気付かない、または違和感を感じているけれどもそのまま動かない。その間にも条件が整い、着々とエネルギーは高まり、ある瞬間、唐突に形を現す、それを「災難」と呼ぶ気がする。五感を磨くと、波紋に取り込まれていることに早めに気づく。その時に、たった一つでもタイミングを外すと、災難は避けられるのかもしれない。気付いてももう避けられない時もある。また気付いた時にはもう起きてしまっている時もある。しかしその時でも、日頃から五感を磨き、今に集中していたならば、今、何をすべきか、どうすべきか、暗闇の中ですら自分の道は、スッと一本、見える。大難を小難に変えるとは、そういうことなのかもしれない。結局大切なのは、日頃から素直に、すぐに行動するクセをつけておくこと、なのかもしれない。☆ ☆ ☆と、ここまで書いたのですが、、感覚的過ぎるし、読みようによってはツッコミ処満載過ぎだし、、公開をためらっていたんですが、、、、まあ、いいですかね?いいこととしよう、うん。 (そうしないと、非公開記事がまた増えてしまう笑) まとめますと、 ・すぐ早めに手を当てレイキする習慣が、 レイキ以外の日常全ての習慣に影響していること ・受容力や直感力が鋭くなり、 そのことに随分助けられていること (色々な存在から助けられて生きていること) ・人は本当はすごい存在だし、 全ての存在がすごいということ それを日々感じる、いうことです。
2016.12.22
スポーツ選手の疲労骨折とかは別ですよ。主に日常生活で起こる怪我の話です。☆ ☆ ☆ ☆手を切る躓いて膝を怪我する火傷あっ!と思った時はもう遅い。こんなはずではなかったのに…怪我とは偶発的なもの。不可抗力。防ぎようはない。もちろん、そういう怪我もあります。しかし、大事なことは、全ての怪我がそう(=不可抗力で防ぎようがない)というわけではないということに気付くことではないでしょうか。おそらく怪我の90%は必要な手順をすっ飛ばしたことで起こる、「今この瞬間」をおろそかにすることで起こる。だから「今このとき」に集中し道具を大切にすることで、怪我を起きにくくできる。そういう気がします。先日の段ボールで手を切った時。いつもなら、手では開かない時はカッターを取り出すところを、それが面倒で強引に手で開けようとして、切れてしまった。。。早く終わらせたい、結果に到達したい、という気持ち(=「今」ではなく「先」)に引っ張られて、「今」やるべき、そこに至るまでに必要な条件を(意識的、無意識的に)省略して、怪我を呼ぶ。石を跨ぐ時には必要な高さまで足を上げる。しかし、「今」上げなければ、つまずくのは当然ですよね。怪我のほとんどはそういうことで起きる気がします。だから、そのことに気付いて意識を改めるとあまり怪我をしなくなると思っていますし、実際、滅多に怪我はしなくなりましたね。
2016.12.14
タイトルは、先日のレベル1を受講されたKさんのご感想です。かつて、靈氣が、臼井 甕男先生により伝え広められた時、靈氣は、手当による日本の手当療法のひとつであると共に悟りへと導く療法として多くの実践者から指示されましたが、それは今でも同じことかもしれませんね。というか、レイキに惹かれる人は、日本古来の悟りや考え方に、無意識に惹かれている方なのかもしれない・・きっとそうですよね。。。。例えば、KさんMさんご夫婦とは、遠隔の8日間にメールで色々なお話をしましたが、このようなお話もありました。「・・・・『本来の姿』のはずなのに、人間が、自分が忘れてしまった能力やこの世の姿のなんと多いことか。柚木先生とご縁を頂いてレイキを体験させて頂いたことで、私は、今の仕事を通じてそれらの『本来の姿』を取り戻そうとしていたのかもしれないそう気づかされます。」また、同士のひとりに出会えた気がしました。奄美と東京を往復しながら、私が目指しているのも、このことなのだと思っていたから。。。。本来なら知り合えるはずもなかった方々と、レイキを通じて、こうして知り合えること、本当に素晴らしいなぁと感謝です。
2016.04.13
楽天ブログのIDとパスワードがわからなくなってしまい、入れないまま時間が過ぎています。ふと思いついて、携帯から入ってみたら、入ることができました!(しかし携帯から打つのは、大のニガテで、いつにも増して乱文でしたらすみません)タイトルですが。今、テレビで歌番組を見ています。見ながら、考えるともなく考えていました。感動する歌としない歌の違いは何だろう?歌に感動するとは、どういうことなのだろう?そして気づきました。歌に感動する時、チャクラが回ります。音程や声質が良くても、聴いて感動しない時、チャクラは回りません。ですよね??ですので、もし、自分のチャクラがよくわからなくてわかりたいなと思っているなら、感動する歌声に触れてみるのもすごく良いと思いました。(私は、チャクラとかオーラとか、別に、わからなくても問題ないとは思っています。ただ、「わかりたいっっ」て思う時期が誰にもあるじゃないですか?)☆ ☆ ☆日本はずっと「氣」を大切にしてきた国でした。戦後にGHQの政策で氣の存在を忘れさせようとしてきたしその教育はほぼ成功してきたとはいえ、踏み倒された雑草が、時が経てばまたムックリ起き上がるように、氣の存在も、今の時代、再び、見出されている気がします。折しも映画STAR WARSも、『フォースの覚醒』。声高らかに、フォースはある!と言っています。私は1977年にSTAR WARSが日本公開する前からこの作品を待ち侘びていた1人でしたが、『フォース』とはまさに『氣』であると公開時の15歳の時、感じました。そして今、それは確かに正しいと感じています。すごいぞ15才の自分(笑)目に見えないものは、確かに存在しています。それが、日常、私たちを支えているのです。(例えば、氣があるから、自転車に乗れます)☆ふう。携帯から打つのは疲れます(笑)このくらいで終わりにしましょう。言いたいことを全部は書いていないので、「?」と感じた方、ごめんなさい。ツッコミどころ満載、と感じたでしょうね。たぶん、わかる方にはわかる…そんな感じになってます。乱文をお読みいただいて、ありがとうございました。寒い日が続いています。お身体冷やさないようお過ごしください。
2015.12.07
第一シンボルって便利ですよね?痛いところに入れると痛みが消えるのはとってもいいですよね。他に、私がよく使うのは、・ビンとかチューブの蓋が固くて開かない時に使うとすぐ開く・どうしてもほどけない、絡まったネックレスのチェーンにかけるとパラッとほどける・電気製品の調子がどうも悪いな?というときにかけると動き出す・製氷皿から出来上がった氷を取ろうとしても2~3個製氷皿にくっついて取れないときに入れると、すぐ取れる・布類をきちんとたたみたい時に入れると簡単にきれいに整うとかが多いですかね・・・最近、自分なりに、なぜ効果が出るのかに気付いてきました。違うかもしれませんが、私的な解釈では以下です。私としては、ものは全て生きています(=全てのものには波動がある)。生きているということは、そのもの本来の使命とか役割を持ちこの世に生まれてきたのだ、ということです。その働きがうまく行かない、不具合がある時というのは、そのもののもつエネルギーとか氣の流れが滞っているということですから、シンボル・マントラを入れると、エネルギーや氣の流れが整って、本来の働きが活性化するから、治る。っていうかんじです。ここまではOKですよね。それで、問題はここからです。効果のあるシンボルのかけ方というのは、例えば、製氷皿にくっついた氷を取る場合で説明します。1)手に持った製氷皿全体を意識します。2)そこにシンボルマントラを入れます。3)生きているものには全て氣が流れている(エネルギーがある)から、そのエネルギーが振動して整います。4)整ったら、出るべき氷は、ぱかっと外れる。シンボルマントラを送るということは、本来そのものが持っている振動を整えるお手伝い。だから、まず、そのもの全体に目をやり、自分がそれそのものになる。ハードルを飛び越えて走るとき、いちいち1個1個のハードルを考えるんじゃなくて、走りながら自分自身が空気やハードルと一体になる、それと似てるかも。そのものの全体を把握したとき、たぶん、そのものの持つ氣と同調するのかも。そう。氣なんだと思います。すべて氣で包まれている。氣のフィールドがある。そのフィールドのゆがみを、シンボルとマントラを送って整える。それがシンボルマントラが効いている、っていうんじゃないのかなぁ・・・・??~~~~~~~~~~~~~~~~~~~すみません。今のところ、ここまでです。尻切れトンボみたいですけど。今日のところはここまで。また、考えが浮かんだら書きます。
2015.10.21
昨日、(そうか、あれはまだ昨日ですよね)うまく書けなかったことを書きます。最近、『氣』についての理解が自分なりに以前よりパワーアップしたように感じていて、それに伴い、遠隔レイキが強まった気がする、と、昨日書きました。パワーアップというのは、二つあり、一つは、同じ時間やっても効果が高くなったということに加えて送り方のコツがわかった、ということが大きいです。セミナーや練習会でも、その効果的な遠隔のコツやポイントをシェアさせていただいていますが…今日は、その遠隔のコツとポイントについて書きます。☆ ☆ ☆まず私は、レイキばかだから、 そう思うのかもしれないけど、遠隔って、本当にすごい!素晴らしい!と、思っています。何故なら、遠隔であれば、様々な条件をクリアして、手を当てるレイキを、いつでもどこでも、すぐに出来るからです。本当に、しみじみと、夢のようだと思いませんか?つまり、遠隔は、レイキの基本「なるべく長く、なるべく頻繁に送る」を可能にします。だから、きちんとやれば、効果がない方がおかしい。ちゃんとやれば、効果があって、当然となるです。☆ ☆ ☆ではそのコツは、というと、とても簡単です。「一回症状が良くなったときに、氣をぬかない」これです。良くなってきたら、それは「仮の姿」だと思って下さい。このまま良くなるか?ぶり返すか?(またはなんとなく調子悪いままズルズル引きずる)どちらに転ぶかは、この段階では決まっていません。☆ ☆ ☆今から書くこのやり方は、全ての不調に共通です。しっかり肝に銘じて、遠隔してみてください。まず、この「仮の姿」になったら、そこからが、本当の勝負!遠隔の腕の見せ所だと思って下さい。そして、力を緩めずに、一番具合悪かった時と同じペースで、淡々と送ります。完全に暗雲を抜けきるまでは、やめてはいけないのです。そして、本当に良くなってから、そこで初めて、緩めてやめます。そうすれば、本当に良くなります。だから、遠隔って、ただ送ればいいのではなくて、使い方が大事。上手に使えば、本当にすごい力を発揮してくれますよ。☆ ☆ ☆あと、基本中の基本ですが、わかっていない方も多いので念の為確認しますが、レイキは、念を送ってはダメ。繋がったら、手を当てるレイキと同じように、ただ淡々と流すだけです。遠隔においては、その事は特に気をつけてください。何故なら、一所懸命に送ると、念がこもり、相手も自分も疲れるし、かえって具合が悪くなることもあるからです。治って欲しい!良くなって欲しい!そんな相手を思う心配と優しさは、レイキを送る「頻度」と「長さ」で表現してください。どうしても何かしたかったら、シンボルマントラや、オススメは、五戒を入れ込むことかな。☆ ☆ ☆それともう一つ、基本以前のことですが、一度だけ送るのではたいした効果はありません。 (勿論、全くやらないのと比べたら効果はあります)手を当てる場合と遠隔は、なんら変わりはないのです。30分ずつ毎日毎日、「仮の姿」になるまで送る、とか、1回20分ずつ、一日に何度も送る、それを「仮の姿」になるまで続ける、とか。仮の姿になるまで一週間かかるか、3日で良いか、10日かかるかは、それはやってみないとわかりません。とにかく沢山送ってなんぼ、ですよ?そして、良くなったなと思ったところで力を抜かずに、そこで折り返し地点だと思って、同じだけ送ります。(そこまで3日かかったのなら最低あと3日、そこまで一週間かかったなら最低あと一週間)そう、最初はやっぱりとにかく、沢山送ってあげること。1日に何度でも、毎日送ってあげること。本当に心配だったら、できるはず。これは理想論ではありません。実際に私がやっていることです。そういうやり方を実践していることが能力がアップした、ということなのだと思うので、同じようにやったら誰でもレベルアップするんだと思いますよ。レイキスタイルの受講生さんの中には、実際に、お母様の腫瘍を遠隔で消した人もいますよ。では、がんばってください!
2015.10.09
レイキできるようになって、レイキをきちんと使っているうちに、なぜだかいつも気分良く、身体もこころも楽チンになりますよね。それは、氣の流れの良いからだになるからです。レイキスタイルの練習会では毎回、アチューンメント(靈授)をしています。効果的に受けていただきたいので、まずは「氣の流れる姿勢作り」にけっこう時間をかけます。私たちが子どもの頃はしょっちゅう、姿勢を良くしろ、姿勢が悪い、と注意されて育ちました。昔の日本人は、姿勢が心身の健康の現れである(=姿勢が心身を作る)ことを識っていたのだと思います。同じ人でも、氣の流れは、日常生活を営む姿勢次第で、良くも悪くもなります。たとえば、呼吸法だけを学んでも、その呼吸の通り道である自分の姿勢(それも日常の姿勢)が変わらなければ、心身改善はなかなか起こりません。もしかしたら呼吸と氣と心身改善は三位一体かなとも思います。靈氣が生まれた頃の日本人は、氣の流れの良い姿勢をしていました。特に大切なのが、肩を下げるということ。肩に力が入ると、丹田から力は抜けます。丹田に力が入れば、肩の力は抜けます。肩を下げるのはけっこう難しいですが、コツとしては、「肩甲骨を寄せる」という感覚かな、と思います。日常の中でいつでも何度でも「肩甲骨を寄せる」をやって、肩をグッと下げてみてください。(首はぐっと引き、肩を下げ、その代わりに腰は自然に丸めて良い)滞った首の付け根が柔らかくなり、頭部から身体に向かって血液や体液の流れが良くなって、体全体もゆるんで温まってきますよ~。当然、氣の流れも良くなり、レイキも沢山、身体に回り、気持ちの良い腹式呼吸が行えるようになります。姿勢が「呼吸(=氣)の通り道」なのですよね。。。肩が上手に下がるようになると、首とあごが引けて小顔になるばかりか、顔の表面の力も抜くことができるようになり、険しい表情になりにくくなります。氣の流れの良い身体の最大の特徴である、穏やかな左右対称の癒やしの表情はこうして生まれます。気力の充実した状態とは、緊迫した状態を指すのではありません。筋肉は柔らかく、何が来てもとっさに反応できる、ゆるんだ状態を指すのだと思います。(「ゆるんだ」は「伸びきった」とは違いますよ。いつでも、伸縮・緊張弛緩、どちらにも移動できる「しなやか」な状態のことです)余談ですがレイキスタイルのレベル3を、見事に越えた方々の、お顔の特徴が、この左右対称の癒やしの表情です。氣の流れの良い身体作りのために、肩甲骨を寄せて、肩を下げる是非、お試しください♪私もやっていまーすw
2015.01.28
最近よく感じることですがものは生きている。。。すべてのものは平等に生きているんだなぁ と感じます。すべてのものに、氣・波動がある。。。。なので、そのものをじーっと眺めると、そのものと自分の間に「氣の道」ができる感じがします。そしてそのものがどんどん氣で満ちてきます。レベル1で、室内にレイキで結界を張ったり、室内を浄化する技を学びますが、その時にこれをわかっていると、自分のやっていることがすごくよくわかると思います。そういえば、邪気切り浄化法で手刀を使いますが、手刀は、その形を作るだけじゃ意味がなくて、切る対象を、しっかりと見定めて切ることがだいじ。対象を、目でしっかりと見て、相手と自分の間に、氣を満ちたたせて、それをキッチリと切ります。切る時には、手から氣を飛ばす。手先からじゃなくて、身体から手を通して飛ばすんですよね?手刀でピッピッピってやればいいってものではなく、こうするとすごくハッキリと「切れた!」というのがわかります。中途半端ですが、まとめきれずに下書き保存したまお蔵入りしてしまうので(そういうのがいっぱいある)まぁいいや、アップしてしまいます。ちょっとしたつぶやきということで。
2014.08.13
乳がん検診、今回も何ともなくて、本当にホッとしました。。。安心したら、ちょっと疲れが出たみたいなので、身体を休めようと思います。つい、つい、いい加減に扱ってしまいがちですが、身体は、たった一つ。大切に、いとおしんで使いたいものですネ。。。明後日の月曜は、奄美へ荷物を運ぶ見積もりの日です。翌日の火曜日は、直傳靈氣後期セミナー!とっても楽しみ☆☆先週の前期2,3では、受講してくださったKさんがお手作りのお菓子をお持ちくださいました。抹茶カステラと、黒糖とクルミのメレンゲのお菓子です。言われても、手作りとは思えない、綺麗さとおいしさでした。対抗?して、相方は、手作りのブランデーケーキです。Yさんと私はもっぱら美味しくいただいてましたぁwあ、Yさんは三年番茶を持ってきてくださったので、結局何も用意してないのは私だけだった。。。。えーん(@_@;)三年番茶は、飲むと身体がほかほかしてきます。全身に氣が回るからかな?と思います。食べ物にも、氣を高める食べ物と、反対に低める食べ物があるように感じています。
2013.11.23
その1のつづきです♪☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆日頃から、人とぶつかるのが嫌な人はよくやることだと思いますが、私もそうでして、行き交う人の間を、スルリスルリと、すり抜けて移動します。太極拳を習い始めてからは特に、ほんとに人にぶつかることがなくなりました。面白いように人と人の間をすり抜けて進めるんですね。。。たぶんこれも、氣の技なんだろうなぁと、知識としては理解できます。さて。先月末、つまり年の瀬の、ごった返した新宿駅の構内でのことでした。中央線ホームから地下通路に降りてきて、通路を上下に流れる人の波に混ざったところで、不思議な感情が湧きました。時が止まるような・・・??口の中の唾液の味が変わるような・・・??後々この出来事を振り返ってから、それを言葉に翻訳してみると、こんな感じでしょうかね。。(ああこれはだめだ、避けきれない)既にその時、私は肘底看捶(ちゅうていかんすい)のポーズをとっていました。意識もなく、気がついたらそのポーズをとっていた、というのが正直なところです。そして、(なぜ私はこんなポーズをしているんだろう??)と不思議に思った瞬間に・・・ドスン!!!!向かいから歩いてきた黒づくめの背の低い男性が、私のみぞおちめがけて、突きを入れてきたんです。すれ違いざまに、脇腹ならまだしも、中央のみぞおちを打つなんて、偶然じゃできません。たまたまぶつかった、というのではありませんでした。あきらかに、狙ってのことでした。おそらく誰でも良かったんでしょう。反撃してこなそうな中高年のオバサンを狙ったんだと思います。でも私は、両手を構えていたために、突きは外れ、彼の企みは不成功に終わりました。その時は、ただ色々な偶然が重なっただけだろうと思いました。この人はただぶつかっただけだし、私もたまたまそんなポーズをしてみたくなっただけ、と。でも、考えてみると、不思議です。あれだけ大勢の人とすれ違いながら、なぜ、あの瞬間だけ(あの人にだけ)私はあのポーズをとったのでしょう???人を悪くは思いたくはないですが、やはり、悪事をなそうと思っている人は、その行動を起こす前からそういう氣を発しているのでしょう。(いや、その人が、私めがけて歩いている段階で、既に実行に入っているのだから、厳密には”前から”ではないですけどね。)相手から出る氣を、触れずとも、情報として、私の身体は察知して、とっさに練習していた技を繰り出していたんですね。太極拳て、すごい・・・!!!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆私は太極拳は初心者中の初心者ですしセンスもなく運動オンチですので、太極拳としてはわからないのですが、レイキ・靈氣する者の視点で、おもしろかったなぁという体験でしたので記しておこうと思いました♪(↑今回は「遠隔レイキ」に通じますのでね)またなにかありましたらお知らせしたいと思いますwwその1はこちらです
2013.01.21
太極拳を始めてちょうど1年目の昨年の暮れに、「氣で情報を読み取る」の体験をしたのでメモしておきたいと思います。私の習わせていただいている太極拳は99式です。360度全方向からの攻撃と防御が一体となった武術の、健康クラスに通っています。時々、武術クラスにもお邪魔するのですが、そこで聞いたことのひとつとして・・・太極拳は、筋力ではなく氣を使いますので、力のない人(身体の弱い人、老人、女性、子供など)が、力のある人(自分より大きな人)から、我が身を護ることができます。また、氣がわかるようになると、身体を合わせなくとも、近づいてくるだけで、その氣(気配)を感じ取り、逃げるなり隠れるなりして、厄難を避けることもできます。というようなことを(ごくごく大雑把な私流の言い方で申し訳ありませんが)そういうことを聞きました。私はレイキ・靈氣をしているために氣の存在を感じ取ることはできても、それを使って「なにか」をする、というのは未知の分野で、「近づいてくる氣を感じ取って・・・」なんていうのは、到底絶対まだまだ無理だよなぁと、思っています。ところが、先月、年末のごったがえした新宿駅で、こんなことがあったのです。長くなったので続きます。→(その2)へ
2013.01.21
この頃気がついたことです。忘れないうちに書きます。レイキ・靈氣は全身どこからでも出ているものですけれども、たしかに手のひらや足裏は「出てる」という自覚もつかみやすいですね。で、最近わたし気がついたんですけど、顔からも、いっぱい出てますよねえ。。。。直傳靈氣では「目からも靈氣が出ている」ということで目線も使って靈氣しますけれども、目だけじゃなくて、顔全体から発している感じがします。特におでこや頭頂とかすごいそういう感じがします。それは特別なことではなくて、誰もが、無意識に、サーチライトの光みたいに、顔から氣を発しているんだと思います。だから、挨拶も、その光でしっかりと相手を照らして挨拶すると、ちゃんと誠意が伝わるんだと思います。顔から出る氣が多いと、表情も自然とそうなりますから、よく言う「癒しのオーラのある人」っていうのはたぶん、そういう人なのかなとも思います。「輝く笑顔」、「ドヤ顔」、「キッパリ!」、「思いつめた眼差し」などなど、全ての表情は、目に見える(福笑いみたいな)顔のパーツの位置だけで決まらないのはそういうわけなんですね。むしろ、まず「氣」があり、表情はその現れなんでしょうね。(「気持ち」と言いますものね)
2013.01.03
氣で服に穴があく(その1)はこちらひとは、生まれつき氣を持っていて、それを普通に使っている。つまり氣というものは、存在している。その氣のちからで、普通に服が破けたりもする。その続きです。が、ここからもしかしたらブッ飛んだ話になるかもしれませんので、またこの人言ってるよ(´Д`)くらいのつもりでお読みくださいwww会話するときに、第一声を発する前から、もしくは会話の言葉以外の部分から(忙しそうだな・・・)とか(あ、この人、疲れてるな・・・)とか(ほんとは嬉しいんだろうな)とかが伝わってくることがありますよね。私たちって、無意識に相手の情報を読み取っていると思いませんか?同様に、こちらの情報も、相手がそれを正確に拾えるかは別として、とにかく、相手にも伝わっています。(レベル2セミナーで、遠隔の情報は双方向性であることを習いますが、情報の双方向性ってこういうコトです)私たちは、言葉に出す以前から、既に氣(エネルギーといってもいいかと思いますが)でお互いに会話しているのですよね。その使い方が上手だったり下手だったりは様々ですが、とにかくこれも生まれつき備わっている能力であるのは、確かなような気がします。欧米ではサイコメトリーとか言ってますが、日本人は昔から、その氣の使い方が上手な民族であるとされてきました。日本の旅館の気づかいや、みんなが持っている「親切」もそのひとつです。なぜ、日本人は氣の使い方が上手だったのでしょうか?理由は様々だと思いますが、私が思いつくのは、子供時代からの「遊び」、そして「掃除」。これらが、立派な氣のトレーニングになっていたように思います。遊びでいうと、「折り紙」「おはじき」「お手玉」「コマまわし」「メンコ」・・・。折り紙であれば、しっかりと一点に集中して、上手にきれいに重ねて折る。一度でうまくやらないと、きれいに折れない。今は、折り目など気にせず自由な発想で自由に折らせる方が良いなどと言う人もいますしそれはそれとしていいと思いますが、昔ながらの、言われたことをきちっと正確に、ぴしっとつじつま合うように、指先を器用に使って出来るようにする・・・というのは、親が根気よく、そばでお手本を示しながら、まさに愛情という氣の交流をしながら行う遊びとしては本当によく出来ている、日本独自の遊びではないかなと思います。掃除もそうですよね。雑巾をギュッと絞る、拭く、ふわふわとした埃をきれいに払う、四隅まで箒ではき清める。すべて、そこにしっかりと氣も使わなければ、うまくいきませんよ。また掃除は、グラウンディング、波動を上げる方法としても、最高ですよね。戦後のGHQの政策により、そういったシステムもあらかた壊されてしまったとはいえ、それでも、日本人が気の使い方に長けているのは、生まれたときから日常の中で、上手に氣を使う技を伸ばす、一種の英才教育を施す環境にあったからではないのかな、と密かに思います。すごいですよね、日本。一体、誰が、日本人をこうしたのでしょうね???
2012.12.02
レイキ・靈氣や気功、太極拳などを通じて氣の存在を確信してくると、それまでは自然・当然、気のせい、偶然だと思っていたことが、氣のちから(まさに、氣のせい)に寄る場合もあるのだなぁとわかってきますが、それがあまりに日常過ぎて驚くこともあります。そのひとつが、着る服に、穴があいたり破けたりすることです。たとえば私は、長く着ているTシャツの脇の下が破けてきます。靴下の親指が破けてくる人もいるでしょう。うちの息子は、パジャマの股のところが破けやすいです。「この人また何を言ってるのかしら。力がかかりやすいところが破けてるだけじゃない」うん。それも正しいと思います。でも、そのせいだけじゃないとも思うんです。力がかかりやすいだけでなく、氣を発しやすい箇所も、破けてくるんだと思います。同じような例として、うちの妹は、なにかの拍子に、使っているフライパンの柄が取れてしまいます。古いとか新しいとかメーカーとか関係なく、もういくつも取れてしまったそうです。うちの息子は、財布のホックやカバンの留め金などが、やはり、まだほとんど新品であっても、いくつも取れてしまいます。これも、力がかかって取れてしまうことや他の理由がある場合もあるでしょうけれども、力がかかっていなくても、ポロっと取れてしまうことがあって、それは、氣をたくさん受けて取れてしまった場合も多いように感じます。お菓子の袋を手で開けるとき、一瞬気合を入れて、ピッて裂きますよね?あれも、氣を使っているんだと思います。シーツのしわを伸ばすときも、服の埃を払うときも、だらだら撫でるんじゃなくて、ピシッ!とか、サッ!とやりますよね?チリトリでゴミを取る時も同様です。あと、バスケットボールのシュートとか、ゴミ箱にゴミをシュートするときもどうでしょうね?竹箒で落ち葉を集める時は?やっぱり、氣も使ってやっている気がします。うまく成功させるには、氣も必要な気がします。それを上手に生かすためのコツやトレーニングがある場合もあるでしょう。けれども、氣そのものは、どこかでもらってくるのではないと思います。それは生まれる前から、命の一部として、人間に備わった能力ではないでしょうかね?生まれつき持っていることだから、無意識に日常的に使っているのだと思います。目には見えないけれども、氣は、たしかにここにあって、誰でも使える、誰もが使っている力なのだなぁと、つくづく感じます。つづきはこちらです。
2012.12.02
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