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最近、リューリューはある程度なら、一人で黙々と遊べるようになってきた。ほとんどが手をつかって何かを作る創作系(ブロック、積み木、くみくみスロープ、)稚拙な作品でしかないのだが、とりあえず、何か(イスとか車)に見立てて作り、その上にのったり、動かしたりしたいらしい…それが彼のマイ・プームである。今まではものすごく単調で、ひたすら単一の部品をつなげるだけ。ある程度で飽きてやめ~~~。の繰り返しだった。それでも、自己刺激されるよりはずっとよかった。けれど、隙あればブロックで自己刺激したり、介入なしではとてもできないなんて感じがあったので、正直『いつになったら遊びらしいことをしてくれるようになるのかな~~~~~』とここ1年、随分ため息をついていたような気がする。それが最近は、一人で黙々とブロックを組み立て。土台らしきものを作ってその上に様々な形にのっけたり、フィールドとなるものに動物や人間を配置してくっつけたり、遊びっぽくなってきた。 くみくみスロープだって、もともとはセラピストに全てを組み立ててもらい、本人はボールを投入するだけ。それすらまともにできなかった。(ともすると、ボールで自己刺激)それが、最近は、くみくみスロープのいろんな部品を積極的に使って組み立てるように…もちろん、土台など考えず、自分がつくりたい部分を作りたいように作っているだけなんですが、それでも、一丁前に歯車をつけては回して確かめたり、背伸びするほど高く作ってみたり、変化がみえてきました。セラピーの課題の合間の遊びをやっと、自分から楽しむようになり始めたと思います。前は、課題をやってセラピストさんが「できたら立って行っていいよ」と行っても、玩具のところに行くわけではなく、部屋を所在無く小走りしたり、ゴミを拾って自己刺激なんてことがすぐ出てしまい、結局、遊びのほうが全プロンプトの全介入せざるをえなくて…息子にしては課題より遊びを学ばせてもらっている時間帯のほうがストレスで(自己刺激もできず)大変だったと思います。それが、ここのところは、課題をやる前から、またはやった後の強化子として「ブロックやる~~」「つみきやる~~」「くみくみ~~」とリクエストするようになり、先生が「遊びにいっていいよ」と指示をかけると、「くみくみあそぼう~~~」とか「てつだって」とかいうようになりました。もしくは、一人で黙々と何かしらを作るように。もっと具体的なものをつくれることで強い達成感をもてると、より一層楽しくなるのでしょうが。欲をかいてあまり息子にプレッシャーをかけてもいけませんね…母としては1年前の張り合いのない遊び方、あるいは、1年半まえ、2年まえの暇さえあればティッシュ千切りの息子の姿と比べると、かなり上出来の進歩だと思えます。以前は、トイザラスに連れて行っても、玩具がこわくて泣いたり、慣れてもどこも素通りして「帰る~~」といわれてガクーとしたことを思えば、本当に少しは子供らしい反応になったなーと感慨深いものが…課題はある程度、こなしてきたので、プレイスキルがなかなか伸び悩んでいたときには、遊びタイムでテンションがさがり、席について~~で嬉々として席につくという奇妙な状態がありました。彼としては、やるべきことがはっきりしていて、やれば強化子がもらえて、という課題のシステマチックな繰り返しのほうが、自由に遊ぶということより格段と楽しかったみたいで、トホホでした。今は、本当にいわゆる子供のふつーの反応に近づいてきたと思います。セラピストが遊んでいいよーというと、遊びにいくし、セラピストが遊ぶよーと声をかけると飛んでいったり…リューリューが一人で黙々と積み木やブロックで何かを作っているのを、私もセラピストも安心して見ながらそれぞれの作業をしていられるのが夢のようです。まだまだ課題はありまくりですが、最難関で何度も投げ出しそうになった興味を育てるという大きな課題を克服し始めたことは2007年の大きな収穫でした。リューリューの無関心、無欲さに飽きず懲りず付き合い、声も手もだしまくって付き合ってくれたセラピストさんたちに心から感謝します…
2007.12.28
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イブですね。我が家でも今夜は盛大なパーティーをしました。午後4時から…笑パパが夜勤だったので、5時半にうちを出るということで…早々にお開きになったので、6時にはお風呂も済んでて(爆)親子三人でまったり過ごしました。スーリンが歌の絵本でボタンを押しながらドラエもんとか、かもめの水兵さんとか、トトロとか歌っていたのですが、それに刺激されたのか、『春がきた』のとき、いきなり寝転んでいたリューリューがむくっとおきあがって春がきた~~♪と歌いだしました。しかもかなり大きな声で、しかもしかも一番の歌詞全部!!今まで確か過去にも春がきた~~を歌ったという記録があったと思うのですが、一部の春がきた~~のところだけで終わっていたと思います。それが今日は、どこにきた~~山にきた~~里にきた~~野にもきた~~と音程もしっかりで。母はよそのお子さんかと思いました…爆常々思うんですが、本当にリューリューにはこちらが想像もしていないような言葉のストックがあるようです。歌にしても、セリフにしても…そういえば、昨日、ママ実家で例のギャグをスーリンと一緒にションナンカンケーねー、ハイオッパッピーとやってたっけ……絵本も相変わらずですが、久しぶりに読んだ本のセリフも覚えていたりとか…ただ、その表出の頻度がとても低いのと安定性がないのが難点です。障害特有のことなんでしょうけど、せっかく頭の中にはいっているなら、ドンドン言えよ~~なんて親としては感情的になっちゃいます。泣。それでも、やはり歌を聞かせ続けたり、絵本を何冊も読み続けるということは、ホントに馬の耳に念仏みたいでトホホホホ~~~~な感じがしないでもない毎日なんですが、こうやって、突然スイッチがはいって元気に歌ってくれちゃったりすると本当に聞いてて狂喜乱舞しちゃいますね。絵本といえば、今日は時間もあったので、六冊くらい読んだんですが、リューリューの本の中心は、福音館のくまさんシリーズとかこぐま社のくまちゃんシリーズ。なんでスーリンには物足りない…保育園で定期購入している年少シリーズのがあるんですが、その中で、福音館書店の『サンタさんのうちへいけるかな』というのを持ってきました。中をみたらば、迷路はあるし、字は多いし…ダメダメ~~と思ったら、意外とリューリューが一枚目の星にとっついて「星~~~」と。で、途中にかいぶつの迷路、おかしの迷路、のりものの迷路…と四つ迷路があり、リューリューの指をとってなぞらせながら読んでいきました。内容としては、リューリューには、いつものシリーズ絵本からすると、格段に難しい部類だったと思いますが、最後まで見ていられましたし、好きなおかしの迷路ではドーナツとかケーキとか指差ししながらよく見ていました。最近、さすがに012歳児用の絵本は簡単すぎるかなーと思い、少しずつ文字の多いものにしてきてはいるものの、今日のようなストーリー文が多かったり、迷路があったりというものは、考えもしてませんでした。たまたまスーリンが選んだのでしぶしぶという感じだったのです。でも、私のいけないところですが、リューリューの数字上の認知にとらわれて幼いままの仕様でなにもかも取り掛からせるというのはよくないなーと反省しました。もちろん、リューリューにはストーリーを理解しているとは思えませんが、そうであっても、こうやって見て楽しむことができるのですし、いくら自分で覚えて読めないからといっても、さっきも書いたように、何が頭の中にはいっていくかわからないのですから……なんというか、ワークにしろ、製作にしろ、読み聞かせや音楽鑑賞などは、少し頭に負荷をかけてやるのもいいことかもしれない…それとは反対に、過剰な負荷はやはりしてはいけない分野というものはあると思う…課題の習得のステップはやっぱり一歩一歩スモールでいかないといけないだろうし、じれったくなるくらい簡単な課題に手間隙かけてやらなきゃならないことがあるかもしれない…自分はこの二つの相反する作業に対して、どちらに対しても真逆な反応をしてリューリューを正当に評価しないから、注意しなければならないのと、視点を変える意味でも、第三者から時には客観的な意見も聞かなきゃと思う。自立に関しては、自分の服を自分で出して着る、ということについて特に練習はしてないのですが、昨日、どうも服が気に入らないのか、少し何かでぬらしてしまったのか、勝手に着替えていました…それも自分でタンスを開けて探したらしく、クローゼットの中は、リューリューが出した夏のTシャツや、引き出しにメチャクチャにもどされたトレーナー、なぜかスーリンの服まではいってたりして…それをみたとたん、もうドッと疲れまして…苦笑そうであっても…やったことがメチャクチャで合理的な行動でなくても、自分で考えた末、二階のクローゼットの中で自分が着替えたい服をさがして着替えた、ということはすごいことなんですね。今まで全くやらなかったことを自分でしたわけですから。ちなみに今までは、そういう事態になったら、「着替えたい」とか「ぬれちゃった着替える」とマンドするだけです。言ってもしてもらえないこともあるし、大人がいればその欲求が満たされることが多いですから、それで済んでいたわけです。でも、今回は、全くそういうマンドをしてこなくて、自分でやってしまったわけで……正しい意味での自立した自発のお着替えというのとは違うんでしょうけど、それでも、自分で探し、自分なりにたぶん、片付けたんでしょう…そしてきちんと、違う冬用のトレーナーを着たんです。エライ!!と今なら、書けるんですが…その見た瞬間は、グシャグシャのタンスとか山盛りのTシャツとかに泣きたくなるほどで…笑。思わず、階下にもどって夫に愚痴りましたです…「どーしてリューリューやってほしいことはちっともやれなくて、やんなくていいことばかりドンドンやるんだろう…」って。笑。それでも、イラつくことであっても、やれないよりはやれたほうがいいですね…(ホントかよ??笑)あと、数少ないマンドですが、今日は、出来上がったご馳走を何度も見にきて、挙句、3時半から席についてて「からあげたべる」「ケーキたべる~~」とマンドのし放題×かなりの必死さ!!爆。3時50分にジジババがきたときには、心底、助かったと思いました。爆。
2007.12.24
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今年は更新をサボってばかりで、もう年末に近くなりました。日々、リューリューのことで一喜百憂(爆)している生活ですが、本格的なセラピーに取り組んで1年2カ月余り…いい変化だってあるんで、書いておきたいと思います。まずは、最近のお絵かきです。最初は、私がクレヨンをもたせても、まず持つ気力が全くなく、もたせるそばからポロポロ落とす。二人羽織で操り人形状態で描かせる。ってな感じ今年にはいってから、持って描くけど机や壁や自分の顔や手にまでかく始末…紙の中に描くということに限定されるまで時間がかかりました…紙の上に描かせることができても、常にプロンプトが入りましたし、すぐに飽きてクレヨンで自己刺激(持ったり落としたりの繰り返し…)おおよそ描くことを楽しんでいることから、銀河のごとくはるか遠くでした…泣きっかけは水で描くお絵かきだったと思います。この春からフロア-での遊びとして彼の楽しみになり、似ても似つかない自分の好きな三角を描くようになったのが夏ころからでしょうか…この遊びを通してマンド(かして、描いて、お水ちょーだい)ができるようになりました。そこから水で塗るお絵かきなどもプレイスケジュールで取り組むようにも……だんだんと机上で紙にお絵かきすることも好きなり、グシャグシャ描きも好きな色限定(水色、緑)だったのが、他の寒色系(紫、青)などもはいり、更にまず取らなかった他の色(赤、黄色、茶色、黒)などへと広がってきました。それらをほとんど介入なしで、スーリンとふたりで土日は黙々と好きなように描いていることが多かったのですが、よくみると、セラピーで取り組んだまね(貼るテープの工作を真似てセロテープを絵に貼ったり、タックシールを貼ったり、)スーリンのまねで一緒に紙を切っていたりと、必ずしも、グシャグシャ描き一辺倒ではなく、また、時間もかなりかけて一人遊びの域になってきています。そこらへんまでなんとかきて、やっと、ここ最近、「○○描いて」というマンドがセラピストや私に対して出るようになりました。きっかけはささいなことで、「三角描く、一緒、手伝って~」のマンドは出ていたのですが、セラピストさんと「好きな三角にからめて、なんか違う形も要求してくれるといいですね~~」と話したあとに、セラピストさんが何気に○△□でおでん~~~と描いたらば、そのチビ太のおでん(笑)をみて「おだんご描く、手伝って」とマンドしたのです。リューリューはおだんごに見えたんでしょうか。好きだし。それで、その日、立て続けに「おだんご、描く、一緒、手伝って~~」を連発しました。それから、今日になってセラピストが猫を描いてニャーニャ-といったら「猫描いて~~」といい、二人羽織で描いてもらって「ニャーニャ-♪」と喜び、マンドの連発。後半は、私が○に…をちりばめて「ビスケット~~」と言ったら、「ビスケット描く、描いて」と。食べ物ものははまるな…笑グシャグシャ描くこと以外に、何か具体物を描きたい、描けないから一緒に描いて~~、描いてみせて~~~という要求が出たことはとても大きいことでした。また、たまたまなんですが、このビスケットのマンドのあとに、パーソナル・インフォメーションの練習で「好きな食べ物は?」に「ケーキ」で練習し始めたんですけど、いきなり、今日は「好きな食べ物は?」に「ビスケット!!」と勝手に変えてました。爆。確かに、リューリューケーキよりクッキーのほうが好きかも…笑。マンドの流れで偶然かもしれないので、うちで試したら、やっぱり「ビスケット」と。ビスケットに決定!!保育園でも、ブロックをつなげて何か丸を作ったり、高く組んだり、を繰り返しているようで、何か幾つかのパーツを組み合わせると1つの特定な形になる、ということに興味をもちはじめたように感じます。その勢いで今日、型ハメではない、ピースを組むパズルを2、3ピースのチャレンジしたら、あっさりとやってくれました。以前なら、まずもって「何これ?」シラ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ってなもんで、上も下も左右も穴の凹凸もカンケーね~~~って感じで、いじくりまわして終わり~~だったのに、今日は違って、とにかく、凹凸とかにきちんと注目してはめようとして取り組んでいました。なので、ピースをはめるパズルもこれから有効かもしれません♪リューリューは決して、楽々とのびてきたわけでなく、むしろ数字上では結果が出てないタイプです。まあ、バリバリ遅れたままですし、言葉も2~3語文がやっとこです。これからも急速というわけにはいかないでしょうが、コツコツと取り組むことで確実に変わってゆくことでしょう。診断がおりた当初、私は、なんとか1年、2年でリューリューを健常児レベルまで追いつかせたかったものですから、(←無謀だっつーの。)早く知識をつめこみたいとそればかり思っていました。それでABAを始めた当初はこれが魔法のごとく、リューリューの言葉や知識を引き出してくれるものだと思い込んでガムシャラにやっていたように思います。でも、魔法はありえません。結局1回、1回のセラピーのコツコツした積み重ねがある日、何かの小さな形を伴うことが起きるだけです。それがお絵かきだったりパズルだったり、トイレに一人で行ったり、パパとチャンパラだったり…そんなささやかな変化です。ささやかだけど、つもり積もって大きな結果に流れていくのを感じます。それが何年先に結実するのかは、各児それぞれ違うのでしょうね…リューリューの持っている障害は1、2年でどうこうできるものではない、ということを思い知らされたことで、やっぱりリューリューはダメなんだ…と落ち込むこともありました。今は、精一杯頑張っている息子の発達を息長く続けて行こうと思います。今から三年先、五年先、七年先、十年先、療育を続けていく限り、リューリューはきっと少しずつかわってきます。最終的に何年後をもって療育が結実した!と言えるか全くわかりません。でも、1日1日、その日に近づいてはいるのだと希望をもつことにしました。息子は知識は足りません。言語能力も足りません。でも人は大好きです。誰彼かまわずではなく、子供に優しい人、優しい反応をかえしてくれる人に敏感です。言葉はうまく使えなくても、彼の人好きパワーでもって、電車の中でコワモテのおにーちゃんからアメをもらったり、オバチャンから席をゆずってもらったり、綺麗なおねーさんたちからチョッカイ出してもらったり、本当にニコニコと楽しそうに人とつきあっています。こういう人にすかれる才能は並外れています!!障害のハンディを一皮ずつ脱ぎ捨てるような療育をさせていっても、この才能だけは、なくすような育て方しちゃいけないと思います。いつもセラピーの帰り道、私達親子は自転車に乗って駅までの道、セラピストさんを追い抜いて行きます。私が「先生にさよならは?」と促しても声がちっちゃかったり、無反応なことが多いです。元気よく挨拶することはまだまだ苦手です。……今日、本当にめずらしく駅の改札でセラピストさんと遭遇しました。リューリューはものすごく喜んで、私から離れ「○○しぇんしぇ~~、○○しぇんしぇ~~~」と呼びながらかけて行き、先生の腰に抱きつき先生をニコニコ笑顔で見上げました…そんな子供らしいかわいい息子を見て、いとおしいと思えるし、こんなささいなことでもセラピストさんと素直に喜び合えることに幸せを感じるようになりました…障害児を育てるのは決して楽ではないし、育て難いことがいろいろたくさんあるのは事実です。親として、リューリューの中の根強い障害に負けて凹むことばかりです。が、リューリューはリューリューのペースで確実に育ってきています。私は療育をしている親としてベストを尽くしているわけではないけど、昨日より今日、今日より明日、とほんのちょっとのベターな生活を目指して頑張り続けたいと思っています。ABAの取り組みは、春からは地元に拠点を移し、地元の人とチームを組んでAPバックアップの元、続けていくのですが、その人員のことなど不安要素もないわけではありません。でも、きっとリューリューにはいままでのように良き縁が待っていることでしょう…セラピー自体も就学後数年はまだ続けなければならないと思います。この秋、自分の体を少しダメにして、療育の長期配分とかペースとかを考え直すいいきっかけをもらいました。短距離で力のかぎり走り続けても先は長く、まだ(リューリューがある程度のことを自立していけるという)果てがみえない…ここらで療育も中・長期的展望にたって経済的・体力的・家族関係などから大宮への通いセラピーを見直すことになったのです。1日1日、残り少ないセラピストさんたちとのセラピーを親子ともども毎日楽しんでやっています。こういうことが、今日書いたいろんなリューリューの変化の礎となっているんですね…
2007.12.18
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