深江神社をすぎ浜崎へ入ると唐津です
深江神社をすぎると左手に
1、鎮懐石八幡宮 その昔神功皇后が新羅出征の折出産を遅らせるため2個の石を
腹帯に納め帰国後無事出産、その石を安置した所です。
その話を聞いた山上憶良が詠じた(天平元年<729年>)万葉
歌が刻まれた石碑(安政6年<1859年>)があります。
海岸沿いを進むと「わくど石」が海辺にみえます、(わくど=蛙)と(帰る)をかけて旅の安全を願ったのでしょう、県境(二丈町と浜崎)に包石が見えます
2、包 石 伊能忠敬も見たという「海辺に包石あり、古は鼓石と云う」、現在
のものは平成14年の台風でくずれたものを平成16年に再築した
ものです、くずれる前の石には途中に自然の木が伸びていました
包石をすぎると浜崎でここから唐津市です
3、浜崎宿 唐津藩主や平戸藩主が参勤交代で、福岡藩主が長崎警備で、立
ち寄り賑わった商業、漁業の町です
4、虹の松原 玄界灘からの強い風が吹きつけ黒松(約100万本)の多くは陸側
に傾いている
初代寺沢広高のとき防風、防潮林として育成されたもの
風光明媚な日本三大松原の一つとして有名です
舞鶴橋を渡ると
5、唐津城 慶長7年(1602年)~13年(1608年)にかけて寺沢広高によって
築城された、幕末まで6家の藩主が変わる佐賀肥前鍋島の監視が
目的。6家は寺沢、大久保、松平、土井、水野、小笠原の各家です
6、瑞鳳山近松寺 唐津市役所の近く、山門は名護屋城の「中の門」を移築、庭は曾呂
利新座ェ衛門が造営、
少年時代、この寺で修行したという近松門左ェ衛門の墓が(遺言で
この寺に分骨)あります、
寺沢家、小笠原家の菩提寺です。
7、唐津くんち曳山 11月2日 宵ヤマ、3日 お旅所神事、4日 町廻り
一番 赤獅子(刀町)~十四番 七宝丸(江川町)の14基がある
普段は曳山展示場で保管、修理維持している、
唐津くんちは唐津神社の五穀豊穣を祈る秋祭りです、文政2年
(1819年)の奉納から明治9年(1876年)の奉納までの14基
は佐賀県の重要有形民俗文化財に指定されている。