【亜】arisa no nonsense♀

【亜】arisa no nonsense♀

整形番組


以前から何度も書きたかったテーマ。
フジテレビの番組
【ビューティー・コロシアム】 について。

☆『B.C.』ビューティー・コロシアムとは?

「きれいになりたい!」という願いは女性なら誰でも持っているもの。
「顔じゃないよ、心だよ」
人はいつでも言うけれど、やっぱり外見は大切だ。

きれいになったら、コンプレックスを治したら、明日から違う人生が待っているかもしれない!!

この番組は、そんな悩める相談者のために、人生の達人たちと、女性を美しくすることなら誰にも負けない日本最高の技術を持ったアーティストたちが、その総力をあげて、悩める女性たちを応援し、愛と勇気を与える・・・『B.C.(ビューティー・コロシアム)』はそんな番組なのです。


■MC
  島田紳助
  和田アキ子
■ビューティー・コメンテーター
  中尾 彬
  奈美悦子
  石田純一
  柳沢慎吾
  薬丸裕英
  飯星景子
  光浦靖子
  加藤明日美
  くまきりあさ美
  ほか



この番組はいつやってたんだろう。
土曜日?いつも見ていないんだけど、たった今スペシャルが放映されている。

番組の終わりに、一応注意書きみたいに
【この番組は整形手術を勧めるためのものではありません】的な内容が書かれてはいるけれど、
それってなんか他の商品とかにもある、

【一応の注意書き】

にしか思えない。
法的に責任回避するために一言記載しておく一言って感じ。

痩せ薬とかの誇大広告みたいなものにも、

【効果には個人差があります】

って
一言書いておくことで、

【全然効かなかったじゃんよー!詐欺!】

とか訴えられる可能性に対する防御策?

★★★★★

【人間】という生き物について、
いつも考えさせられる。

この番組。

この番組、そして私達日本人の
【美的感覚】の基準って何なんだろう。

私だって感覚を持っている。
キレイだと感じるもの、醜いと感じるもの、そりゃある。

全てがキレイ、全てが醜く見えるっていう人なんていないと思う。

人は【キレイ】と言われるのはそりゃ嬉しいでしょう。
私だってお世辞にでも言われたらヤッパリ嬉しい。。。

でも、自分の感覚で【醜い】と思ってしまった人に対し、
それを語るのはアンフェアー(不公平)だと思う。

感覚的に【醜い!】って思ってしまう自分が嫌だと、自己嫌悪する事がある。

でも、直感的に何かを見て感じることっていうのは、
【考えること、感じることを止めなさい】というのが無理なのと同じで、そこまで自分の脳ミソ、感覚ってコントロールできない。


【本能】と【理性】

私は【理性】で【本能】を叱るというか。。。
でも、それは【偽善】?とも思ったり、悶々とする。

【理性】では、例え誰かの事を直感的に【醜い】と外見で感じてしまったとしても、私はその【醜い】というイメージをその誰かの内面が醜いと裏づけできるまで、醜いという最終決定はしちゃいけない、と決めている。

極端な例えでは、醜いとされるモンスターみたいなキャラクターが、すごく悪党だったとわかるまで、【醜い】っていう形容で語らないようにするみたいな感じ?


私、【ゴキブリ】に対して本当に思うのね。
人間じゃないけどさ。。。でも思うの。
これが結構私の悶々の基本・・・。


【ゴキブリ】をこんなに忌み嫌う理由は何故か?
本当に色々な外部から与えられる、ゴキブリに対するイメージ、固定概念とか全部取り去ったら、本当に真正面からこの昆虫を受け止めようと考えたら、
ここまで忌み嫌うのか、生理的に受け付けないのか?
とか真剣に考える。

【ゴキブリ】に悪気はない。
彼らは彼らの生き方で生きていて、子孫繁栄しなくちゃいけなくて、勿論人間に迷惑かけているなんていう意識なんてない。でも殺される。嫌われる。

ていうか私、 過去のゴキに対する思想 にもあるように、結構これ定期的に答えも出ないのに悶々考える。

いつもこれを熱く真剣に語っちゃうんだけど、
妹に言われた。

妹【ホント・・・変わっとるよねぇ?笑。人が考えんような事考える、お姉ちゃん。。。】

亜【でもさぁ、こうやって話聞いて、そう思わん???】

妹【わかるけどさぁ。】

亜【だもんでさ、みんな考えんのかね?こういう事?】

妹【考えても、無駄だもんで考えんだら?】

亜【そっか・・・・】

私は無駄といわれる事を悶々と考えて時間を費やし、心を擦り減らしている・・・そうなのかもしれないなぁ。確かに。。。

同じ様な系統で、
この番組【ビューティー・コロシアム】に対しても思うんだな。

あんな風に、フジテレビなんていう超メジャーなテレビ局がゴールデンタイムにあのような内容の番組を放映する
【責任】と【影響力】って重大だと思う。


影響として、美容業界、美容整形業界は莫大な恩恵を受けていると思う。

だいたい、自分の外見の悩みをネタとして番組に応募してきて、その人に100万から500万とか莫大な費用をかけて、協力会社(クリニックや美容室、アーティスト等)が、そのお悩みの人を変身させるわけである。

私がイギリスにいた頃、アメリカ系でもイギリス系でも
【Make Over】って感じのテーマで同様の番組があった。

でも、同様と言ってはいけない!!
それらの番組は、服装やメイク、ダイエットレベルだけで
体や顔にメスを入れる
【整形】
は一切扱っていなかったから。。。
まだ、レベル的に全然違う。。。
まだ許容範囲。
そしてそれだけで充分エンターテイメント性があった。


日本っていう国は、やはり世界的に見ても、
【特異性】を感じさせる国で、物事に対する追及レベルがすごく高いというか、激しいというか、エスカレート度がスゴイと感じる事がある。

このビューティコロシアムもその一例じゃないかと思う。


私はネットでメールチェクなどしながらも、横で流れているこの番組をチラチラ見る。

自分は【こんな番組、アホらしくて見てられない!!!】とか言って消してしまう人ではない。

そんなに嫌だったら見なきゃいいじゃん、とか言われるでしょ?単に嫌っていう一言じゃ済まないんだよね、嫌というかそこに出てる一人一人の芸能人の目、コメントやら、演出やら色々と観察してしまうんだ。
してしまう、というか彼らのリアクションの奥にある心理を読み取ろうとでもしているのかな?


でも、私だって、気になるんだもん。


物事のありとあらゆる
【Before After】って気になる。

人の外見、中身、生き方、家のリフォーム、ゴミ屋敷の掃除前と後。。。

気になるよね。気になるというか、見たくなる。

何の為に見たいのかわからないけど、見たくなるもの。


でも、あの番組で採用されるには、
やっぱり番組として【話題性】がなければ意味がないから、
そこらのただ、一重を二重にしたい、だとか、
痩せたい、っていう程度の悩みじゃ駄目なんだよね。

ある意味、採用される時点で、
その【深刻度】が認められるっていうか。

応募者の人もさ、自分の容姿が深刻だと認められる、
なんて事より、その先に何百万円もの施術代が無料で美しくなれるっていう方がはるかに大きいんだよなぁ。

だって、もう大げさすぎる程、あの再現VTRで
いかに容姿の事でいじめられてきたか、とか
誇張された【不幸話】が語られ、
自分の姿も
【がっかりとうつむいたいかにも惨めな姿】をそのVTR内で撮影されて、演出に参加している。

スタジオ内では、司会者やゲストに囲まれて、色々質問されて、涙を流したり・・・・
思いっきり哀れみを買うシチュエーション。

あそこまでどん底にずどーんと皆で落としておいて、
その後、
こんなに変身しました=!!
パンパカパカパーン!!!♪♪
って、それで皆
わぁ~!!!って拍手して、


そりゃ本当に世間で美しいとされる容姿になってはいるかもしれないけど、どうも私はあの瞬間に疑問を感じるんだよね。

これでいいのかな?って。。。

【外見至上主義】すぎるっていうか。


【ブスだから彼氏できない】
【ブスだから結婚できない】

って。。。同じような外見の人で彼氏も結婚も手に入れてる人はいる。でも、外見だけを理由に自分の自信を喪失している人を責める事もできない。
自信なんてものは、本当に壊れやすいもので、
その理由を見つけ出す事によって、
これがなければ。。。っていう何かを見つけ出す事によって、

根本の自分だけは肯定しているんだとも思う。
正常な自分が、外見やその他の何らかの要素によって邪魔されている、抑え付けられている、っていう被害者意識でもあろうか・・・。


でも、心がブルーになってしまうと、
外見にも出る、
外見のせいで(例えばニキビがすごく酷いとか)
心がブルーになる事もある。

外見と心、自信のバランスってほんと絶妙で。。。
すごく繊細。


あの出場者の人達は、あの番組に協力してもらえたお陰で、
あの場面ではキラキラにイキイキしている。
でも、それって手術前のいかにも惨めな演出と、
その後の正反対の演出でかなり誇張されているはず。

所詮一般人である人達が、毎日毎日あんなお披露目時のようなプロメイク、ヘアー、ファッションをセンス、お金とともに維持していく事って、はっきり言って不可能だと思う。

それが不可能だと感じた時、彼女達は次に何に不満を感じるんだろうか。

それとも感じないだろうか。

あの番組によって、彼女達の【求めるもの】のレベルって変わるだろうか、変わらないだろうか。

【もっと、もっと・・・】ってなるだろうか、そのままで充分ですってなるだろうか。

人それぞれだろうな。。。


あの番組では、【外見。外見】ばかりで、
その人の本当の内面、生き方って特に焦点当てられてない。

内面と言えば、虐められて自信がない、差別されて自信がない、辛い思いばかりしてきた、という事ばかり。

視聴者がカワイソウと思わざるをえない演出。
あの出場者全員が皆心の100%キレイな人間だとは思わない。
でも、おかしな世間やメディアの影響で価値観や自信、自尊心やらかなりひん曲がってしまっているのは確かだと思う。


ゲストで【それはあなた自身がそうさせてる】とかちょっと厳しめのコメントをする人とかもいる。
なんか、それをキラビヤカに芸能界の中にいて着飾っている若いタレント女がそんな感じの一言を言ったところで、
私にはほんと、浅はかで思いやりもない、何かそれでいて浅はかなのにおっもい、きっつい一言に思えてならない。

なーんか、ああいうゲストのコメントって本当に聞いていて色々気に食わないところが多い。

その点、美容外科の先生達とかヘアメイクの人とか、ああいう
【技術担当】の人達にとっては、
出場者って【商品】でしかないと思う。

だから、美容師が切り甲斐のある長い髪を持った人を好むように、あの人達も、いかに【変身させ甲斐】がある人のほうがやる気も意欲も湧くんじゃなかろうか、と思う。


しかし、外面を美化しても、それが直接内面をキレイにする事はできない。

内面がキレイになっていく【きっかけ】にはなるのかもしれない。


外見がキレイで中身の超醜い人間なんてわんさかいる。
その反対の場合の、外見がきれいじゃなくて、もしくは醜くて内面は本当に美しく素晴らしい人間だってわんさか。


こういう風に書いていて、
自分が
【醜い】という言葉を使うのでさえ躊躇する。
もう、言葉自体、使用する事が文字通り【醜い】気がしてならない。

ま、思い、考えを伝えるのに適切な言葉は必要だから仕方ないのだけど。

結論が出ない。
悶々とする。
人間以外の動物って、外見で相手を判断したり評価、あと、差別したりする事ってないよね。
でも、人間にそういう性質がなかったら、人間社会の営みもだいぶ違ったものになるんだろうな。

人種もそうだよね。

でも、人間は外見だけじゃなくてその他の要素でも評価、差別の対象にして色々な社会的な格差を生み出している。

自分だって、こんな事考えて書いているからって、
全てに対して平等な完璧素敵人間なんかじゃないの。


人が感じる事。
そして心の中で思っているだけの事。
口に出す、文章に記すなどして他者に訴える事。
目は口ほどにモノを言うって言ったって、全てが人の目から読み取れるわけじゃない。
でも、ふとした言動などから読み取れたりしてしまう事もある。
でも、それが一方的な勘違いだったりする場合もある。
被害妄想だったという事もある。


この番組
【ビューティーコロシアム】ひとつを見ていて本当に考えさせられる。
ネットの痩せ薬や、雑誌の裏のエステの広告だとかそういうとこでも同様に感じる。

【ずっとブスでもてませんでした。】
【痩せて毎日がばら色です!ありがとう!】とか
そんなカジュアルな見出し文句からも色々感じさせるものがある。

そういう軽率な宣伝文句には、同程度の価値観を持ち合わせた人間が賛同してひっかかるのであろうけど。


私はずーっと内面がすっきりしていないから、
最近妹に【幸が薄そう】と言われた。

やっぱり内面は外面に反映すると思う。
言動にも反映すると思う。

ネガティブな印象を与える人間にはなりたくない。
やっぱり、でもニコニコしてるのって大事だと思った。
他人を見てて思う。

人の振りみてわが振り直せ。

そうだそうだ。

【心身共に健やかにバランスとれているのが理想。】

簡単に言えてしまうが、実現って結構簡単なものではない。
大人になればなるほど。
考える物事が増えれば増えるほど。


あの番組ね・・・・
エンターテイメント性はあるけど、
楽しんで見るもんじゃない。。。。って思うんだ。。。
考えさせられるんだ。
人間社会について。

2006年執筆関連記事、整形前後での人々の反応について はコチラ♪から。


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