●ぐうたらミセスのPDくらぶ●

●ぐうたらミセスのPDくらぶ●

成長した?

 夫は その頃出張のかなり多い部署で、海外にも長期でよく行った。
 出張に出かける時は、大泣きで見送った。
 電話がかかってきても大泣き。

 まるで子供のような私だった。
 今まで人に頼らず、心が突っ張っていた私が、初めて弱みも醜態もさらけ出せる人ができ、子供帰りしたのだと思う。
 先生にも、ある心理テストのあと、夫に『母性』を求めていると言われた。
本当にその通りだと思った。

(あのお、、今は『亭主元気で留守が・・・』がいいのですが、若いときはね、ずいぶんかわいかったことね・・)

   18で母を、24で父を病気で亡くした私は、
   頼ったり、甘えたりという記憶は、
   小学生低学年の時しか覚えがない。
   (すごい甘えん坊だったけど、甘え下手)
   小5から母が病気で入退院を繰り返し、
   プチ主婦をしていたから(9歳年上の兄は大学→就職は東京)
   心配はかけまいと、本当の心を隠し、明るく振舞った。
   そして、母の死後は、やはり病気になった父の面倒を見ていたから
   しっかり者のあーまちゃんで通っていた。

 時には、夫に子供のように我儘を言い、
 鬱のときは狭い家にこもって夫の帰りだけを待つ生活。
 カーテンを閉め、電話の音もこわくて出られない。
 夫の前で朝、パンをナイフでぶすぶす刺し、泣く新妻。(なんじゃ!)
 あっ、でも、調子のいい時期は愛妻弁当も作ったよん。オホン。

 楽天家・お気楽夫は いつも『まあいいじゃないか』と動じなかったのは、何故?
 おかげで、今の私がいる。
 根本は変わらないが、お気楽になりすぎた・ぐうたらになりすぎた私がいる。 ぐうぐうたらたら!

 夫とは出会ったときから体調が悪く、それを隠し切れなかったし、私のタイプでなかったから(ごめーん)、
素のままの私を出していた。
 それまでの数少ない?恋愛のように、良く見てもらいたいとか、ときめきとかはなかった。(またまたごめーん)
でも、それがよかったんだと思う。

⇒家族は私がほむぺを開いてることは知っているが、内容は秘密!!
だから ぶっちゃけ~!!



 最近まで、夫に拾ってもらってなかったら、今、私はいなかったかも・・・・・・
と感謝していたが、それも、今は、うーん、ないかな。 ずうずうしくなったからさ! わあー(^。^)y-.。o○

  買い物は、自転車で近所のスーパー。
 歩くのは、体力がないせいか、外ではふわふわ感があるから、自転車が好きだった。
 調子の悪い時期は、スーパーさえ大変だった。
 中に入ると、途中でやばくなり、出て、ベンチで、休憩。
 何も買わずに帰るか、もう1回挑戦するか、自問自答していた私。

 レジもすいてる時間帯に行くのに、1人でも並んでると、冷や汗・・・
私の番の時も、早く早く!早くしてーとそわそわ。

 土日に、夫とまとめ買いをしても、それだけじゃ足りなくなるし。
 脂汗にじませて、お財布握り締めているこんなお客の心を、レジの人は知る由もなし。

 その頃、日記は、気の向く時に書いていたが、自分の薬をきちんと書き留めておけばよかったと思う。


  でも、やはり、お薬が効いてきたのだろうか、そのうち、家でじっとしてるからいけないんだわ、
人としゃべらなくちゃという気が起こり始め、短期のアルバイトを探し始めた。
  そして、手始めに、期間限定!の事務のアルバイトに行った。
その時期が終わっても、忙しいとき週1~3回来てほしいといわれ、社会訓練のため?
夫は出張で寂しいし、夕食も1人ならバイトでへばったら適当でいいし、
ちょうどいいし?しばらく行った。

 隣駅のスーパーの上にあるカルチャーセンターの書道も習いに行ったが、2回で止めた(爆)
 そこでの、1日手芸講座なんか行ったりした。

 それが終わると、電車に乗り、洋裁を習いに行き始めた。
 洋裁は好きで、超自己流で、家で、よくミシンを踏んで、適当な服やパジャマを作っていた。

 意欲が出てきた=いわゆる『だんだん回復してきた』ということでしょうか・・・・・




© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: