●ぐうたらミセスのPDくらぶ●

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おぎゃー~小学生

【赤ちゃん時代】
 出生時、泣かなくて、おしりをぺんぺんされて、やっと、か細く泣いたそう。
(だから、おしりが平べったく大きいんだ!!)
 父は、先生に、覚悟しておくようにと言われたらしい。
 2150gの未熟児。今なら普通に育つだろうに。
 すごーく昔の田舎の話。でもない。。。

【1年後】
 小さくて育てにくい(弱かったらしい)赤ん坊をよく育てましたと、母が市(かな?)から、表彰状をもらった。

【幼稚園】
 かなりの甘えん坊だった。
 幼稚園で、送ってきてくれた母と別れるのが辛く、毎朝メーメー泣いていた。
 年長の時、近所の年下の子が通いだし、連れていってもらったという情けない子供。
 その子とは、幼なじみとして、よーく遊んだ。
 今は、結婚で距離が離れ、年賀状くらいかな。
 彼女は出産が遅かったから、お子さんは小学生かな。
 子育てが終わったら、会いたいな。

【小学生】
 ガリガリで、勉強はできるが、体育が苦手という痩せた女の子。
 中学年の担任の影響で、日記や詩を書き始める。
 感受性豊かだったから?、読書感想文とかよく選ばれた時代。
 本の虫になる→近視になっていく

 給食を食べるのが遅くて、給食後の掃除の時、1人端の机で食べていた。残すのが許されなくて。
 今思うとすごい不衛生!

 高学年の担任は、体育の先生。
 ラジオ体操をしていた時、「おまえのへそは空向いてるなあ、ヤセ過ぎやなあ」と言われ?
やせてることがコンプレックスだった私は、屋上に駆け上がりワーワー泣いた。冗談だろうけど、傷ついたよ。

 でも、学級委員したり(他にいなかったから)、友達もいっぱいで、楽しい小学生時代だった。

【母の発病】 
 5年の時、母が初めての入院・手術。
 母はすごい元気で明るく、おしゃれだった。
 今なら簡単な手術だろうが、それで、輸血ミス&他の臓器も傷つけられ、この後母は入退院の繰り返し。
今でいう医療ミス!
 もっとも、病気の話は、その頃はもちろん、亡くなるまで詳しく聞いてない。。。
 小さいときは、よくわからなかったし、中高生のときは、聞いてはいけないような、悪いような(親なのに)・・・
もっともっと聞いて、母の相談相手になっていればよかったと悔やまれる。
 私は精神的に幼稚で、自分のことで精一杯だった。
 母に心配をかけないことが親孝行だと思っていた。
 これが、後に、自分1人でいろんなものを抱え込み、感情・気持ちが内攻する私を作っていったんだと思う。

【父】
 昔は、亭主関白で、気に入らないとお膳をひっくり返したことをなんとなく覚えてる。
 兄とは、9歳離れてできた私だから、とても可愛がられて育った。
 私が高学年の時には、兄は東京で大学生活→就職で、一人っ子状態。
 兄が


  続く・・・



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