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誰から聞いたのかどこで出会ったのか、忘れてしまったけれど、忘れられない言葉がいくつもある。これもそんな一つ。 「運命」とは「命を運ぶ」と書く。 だが、これが分からない馬鹿者は「命が運ばれる」と読んでしまう。 命をいっぱい使って生きていけ。 それが「使命」というものだ。
2005.08.25
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メールは難しい。そう改めて思った。些細な行き違いがきっかけだった。それがあっという間にこんがらがり、もつれ、突然ぷつんと切れた。メールというのは気軽にやり取りができる反面、言葉が一人歩きしやすい。自分が発した言葉を相手がこちらの考え通りに受け取ってくれるとは限らないのだ。もし面と向かって話していたなら、ニュアンスや表情、仕草でいくらでも言葉を補うことができる。いや、それよりも、言葉の行き違いが生じればすぐにそのことに気付くことができただろうし、こんなにもつれることもなかっただろう。そのことは十分分かっていたはずだったのに、きがついたら手遅れになってしまった。つまり、分かっていなかったのだ。メールというものは、返信がなければ相手が何を考えているのか分かりようがない。返信がないから相手が何を考えているか分からず、こちらが言葉を尽くした(つもりの)メールを送っても、それが相手の心に届いたのか、それと余計にもつれさせたのかも分からない。いや、相手が僕の言葉を受け取ってくれたのかすら分からない。メールは会話を打ちきるのも簡単にできる。朝から数え切れないほど携帯電話を手に取る。でも携帯電話はじっと黙ったまま、ディスプレイのデジタル時計だけが無言で時を刻んでいた。
2005.08.24
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敵うわけがない、勝てるわけがない。本心からそう思った。伯父のPCがおかしくなったというので、メンテナンスに呼ばれる。久しぶりに触るWindows98に軽い戸惑いを覚えながらもとりあえず応急処置を施し、リビングでお茶。ケーキを戴きながらミニチュアダックスフンドのココと遊ぶ。テレビでは駒大苫小牧の逆転をアナウンサーが興奮して叫んでいた。しばらくココを膝に抱いてテレビ桟敷での野球観戦をしていたら、さっきまで一緒にココと遊んでいた伯父の孫、従兄弟の子どもである真帆ちゃんは、ココを僕に取られて退屈したのか、マンガ雑誌を読み始めていた。どんなマンガを読んでいるのかと、テーブルの上に置かれた「ちゃお」の先月号を手にとってパラパラ捲ってみる。幾つかさらりと流し読みしていくうちに、僕は思わず唸っていた。いや、敵わないな、と思ったのだ。そこにあったのは、恋愛マンガだった。恋愛マンガを小学2年生が読んでいる。僕の小学2年生と言えば、確かドラえもんに夢中になっていた頃だ。愛読誌のコロコロコミックには、恋愛マンガなんか一つもなかった(その頃は)。きっと、僕が小学2年生の頃の教室では、僕がドラえもんの道具でこんなのはどうだろうなんて考えていた横で、女子たちは恋愛マンガを読みながら恋愛のイメージトレーニングに励んでいたんだろう。敵うわけがない。男が、というか少なくとも僕は、恋愛の駆け引きや恋愛の進め方で女に勝てるわけがない。年季が違いすぎる。もう、僕はこの場で両手を挙げて白旗を振りたい気分だった。僕がは小さくため息をつきながらマンガをテーブルに戻す。隣の真帆ちゃんは不思議そうな顔で僕を見上げると、僕の膝の上のココにちょっかいを出し始めた。
2005.08.17
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幸せはきままな夢の一雫ネビル・シュートの『パイド・パイパー』を読んでいたらこんな言葉が出てきた。イギリスでは食前酒についてこんなことを言うらしい。この言葉がなぜ食前酒に結びつくかは分からないけれど、手帳の片隅にでも書き残して置きたいような言葉だった。清少納言は「夏は夕暮れ」と言っているけど、夏の夕暮れの美しさは千年後の今も変わっていないと思う。一秒ごとに色が変わる風景の、夜が足下から空に広がっていく様を眺めながら、アペリティフなりビールなりを飲むのは、夏ならではの楽しみだと思う。手元が暗くなってきたのを合図に、ゆがいたソーセージとマスタードを皿に並べ、素焼きのビアジョッキを傾けながら窓の外を眺めるのは、夏の日の夢の一雫。
2005.08.11
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昭和20年8月9日。長崎市内から見て稲佐山の裏側で、一人の少年が蝉取りをしていた。まさに「しぐれ」という言葉がふさわしい山いっぱいに響き渡る蝉の鳴き声の中、少年らしいひたむきさと狩猟本能で蝉を追いかけ回していたという。蝉はたくさん捕れた。籠いっぱいになっても、少年の狩猟本能は満足しない。新たな獲物を求めて息を潜めているとき、山裾が光った。刹那に、しかし鮮やかに。そしてその光りに煽られたかのように、生暖かい風が少年を通りすぎていった。そんな時でも蝉は鳴き続けていたという。うるさいくらいに、自分たちの生を鼓舞し、自分たちはここで生きていると訴えるかのように。やがて少年は大人になり、この話をいろいろな人にしたそうだが、誰も信じなかったそうだ。あんな時に蝉が生きていたわけがないと。だが、その話を聞いた中にいた一人の青年はその話に深い感銘を受けたのだろう。後年、青年はそのエピソードを織り込んだ曲を作り、毎年8月6日、広島に原爆が落ちた日に、同じ被爆地である長崎でこの曲を歌っている。 蝉は鳴き続けていたと彼は言った あんな日に蝉はまだ鳴き続けていたと 短い命惜しむように 惜しむように鳴き続けていたと (さだまさし「広島の空」から)今年もまた夏がやってきた。テレビでは広島と長崎の様子が流れ、敬虔な鎮魂と未来への希求の儀式が伝えられる。世界へ向かって放たれたメッセージを伝えるマイクは、蝉の声も拾っていた。あれから60回目の夏も、蝉は鳴き続けている。澄み切った夏空に、己の命を刻み込むように。*毎年さだまさしさんが8月6日に長崎で行っている野外コンサート、 「夏・長崎から」の模様が今年もNHK-BSで放送されます。 「平和の祈り 2005夏・長崎から」 8月13日(土) 13:00~16:30 NHK-BS2
2005.08.09
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夕焼け空にヒグラシの声が溶けて夜になる。夕食後、エアコンで淀んだ空気を夜気と入れ換えようと窓を開けると、ポン、ポン、と花火の音が聞こえてきた。窓から身を乗り出して見回すが、屋根の隙間には夜があるだけだった。はるか遠くの花は、見えない。だが、耳を澄ませば、遙か遠くの花がまぶたに浮かんでは消えていく。高校時代、北国の夏はここほどではないがやはり暑く、熱気のこもった音楽室で、入道雲を見ながら秋のコンクールに向けて練習に励んでいた。午前中の練習が終わり、昼食となる。昼食はパートで固まって摂ったり、少人数の部だったから全員で車座になって摂ったりもしたけれど、その時は自然に学年で固まる形となった。最後の夏休み、最後のコンクールや受験のことも気にはなっていたけれど、ずっと一緒にやってきた仲間が集まったのだ。そう言ったことは一切忘れて、他愛のない話をスパイスにランチは和気あいあいと続いた。そんな中、だれかがふいにこんなことを言い出した。「花火、行かない?」その日は市民公園側の河原で市の花火大会があった。その花火のように、賛同の喚声がわっと広がる。そうなるとこういう時に活躍する仲間がイニシアチブを取って、あっという間に集合場所と集合時間が決まった。部長の僕の権限で部活が1時間早く終わり、とりあえず散会。僕もいったん家に帰り、学生服から私服に着替え、集合場所へ向かう。陽射しの弱りはじめた空の下、はやる心を煽るように、自転車を漕ぐ足に力が入る。3年になって初めて同じクラスになってから、ずっと気になっている子がいた。今は他にやることがあるから、と自分の弱気に言い訳しながらも温め続けていた思いだった。市民公園の中にある図書館の駐輪場に自転車を止め、先に来ていた仲間とまだ来ない仲間を待つ。集合時間にはまだ間があったけど、どんどん膨らむ河原へ向かう人の波に少しずつ焦りを覚えはじめていた。時間ギリギリになって、あの子が親友と一緒にやって来た。あの子を見た仲間から、冷やかすような喚声が上がる。彼女だけが、髪を上げ浴衣を着て現れたのだ。男子は眩しい気恥ずかしさに顔を伏せ気味にちら見し、女子は自分も着てくればよかったと羨ましそうに話しかける。全員集まったところで河原に移動。もういっぱいにふくれた河原ではなく、近くの見晴らしのいい土手から花火を眺めることになった。僕は隠し味程度の作為の混じった自然な流れに沿って、彼女の隣に並んだ。まだ昼の名残が山の稜線を微かに染める中、最初の花火が上がる。花火のドンと地に響く声に続いて一斉におおっと言う歓声が空に向かって続く中、彼女の横顔が赤く染まった。花火を見終わった後は、しばらく公園内の縁日で遊んだが、賑やかな公園を歩いているときも、彼女の下駄の音だけははっきりと聞こえていた。今となっては、彼女の浴衣の柄すらもよく憶えていない。だが、夏の雑踏の中、女性の下駄の音が聞こえてくると、ふいに彼女の下駄の音が蘇り、あの時の気恥ずかしさと彼女の横顔が浮かんでくる。遙か遠くから聞こえてくる、遠花火のような音がほの甘く響く。
2005.08.08
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朝、少し静かで少し空気が透き通って見える校舎に入ると、なぜか少しの戸惑いと少しの気恥ずかしさを感じる。定時制に来る前は毎朝のように見てきた風景なのに、いつものようにお昼休みの喧噪の中を出勤するのとは違っているから、足音もつい抑え気味になる。職員室もどことなくすがすがしい空気が流れていて、まだ半分眠っている頭にも心地よい。カバンを置いて、眠気覚ましの一服へといつもの非常階段へ。朝露に濡れてひんやりした壁に手を添えながら、最上階手前の踊り場に向かう。今日も暑くなりそうな予感を孕んだ風に吹かれながら下を見下ろすと、グラウンドでは陸上部員がトラックにハードルを並べ、野球部員が秋に向けてキャッチボールをはじめている。彼らの先には、竈に入れたばかりのパン生地のような入道雲が、朝日を浴びてゆっくり立ち上がろうとしていた。
2005.08.03
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明るく照らされた水槽の中を熱帯魚が泳いでいる。あるものは光りに己の身を輝かせ、あるものは鮮やかな衣をひらひらなびかせながら、1m四方の閉ざされた海の中を泳いでいる。そんな熱帯魚の泳ぐ様をぼんやり眺めていたら、店の入り口あたりが少し騒がしくなってきたことに気付いた。顔を向けると、浴衣を着た女性が何人もいる。店員が次々と席に案内していくが、浴衣の群れはどんどん入ってきて、あっという間に入り口あたりに順番待ちの混雑ができる。ちょっとしたラッシュアワーを眺めていたら、この近くで花火大会があったことを思いだした。花火見物の帰り、仲間たちのおしゃべりや混み合う電車を避けるためにこの駅前のファミレスに立ち寄った人たちなのだろう。順番待ちの群れはどんどん膨らみ、中には店に入ってもすぐに立ち去る人も出てきた。それを見ていると、大きなテーブルを独り占めしていることに少し罪悪感を覚える。僕は伝票を手に、レジへ向かった。車に戻りながら、振り返って店のほうに目を向けると、明るいガラスの中は、鮮やかなTシャツや浴衣が行き交う。それを見ていたら、さっき見た水槽の熱帯魚が重なった。あの熱帯魚たちは、ここでしばし泳いだ後、水槽から放たれるのだろう。夜の海へ向かって。
2005.08.02
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