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満月の下を歩く。秋の月は眩しくて、いつもは暗闇に同じ間隔で街灯が電柱の足下を照らす道も、今日は粉雪が降った後のように一面薄く輝いている。満月の下を歩く。見上げた月は冴え冴えと輝き、その透き通った光を反射するかのような虫の声が、静寂という名の喧噪を奏でている。満月の下を歩く。いつもは街灯の横を通る度に自分の影が現れては消えていくが、今日はそんな影の横に薄い影がもう一つ。その影はどこまで行ってもいつまで歩いても、今日だけはちゃんとついてくる。いつもは見えにくいものだけど、いつもちゃんと見ていてくれる。いつもちゃんとついてきてくれている。
2005.09.19
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気になる相手と初めてデートすることになったとしよう。当然あなたはその相手との仲を深めていたいと切に願っていて、デートもこれ一回でお終いとなることは絶対に避けたいと思っている。そのため、これが最初で最後ではなく長いお付き合いの第一歩となるよう、綿密に(と少なくとも自分は思っている)計画を練ることになるのだろう。料理で言えばまずメインとなる場所や行事を決め、その日一緒にいられる時間からその場所での滞在時間をまず引き、前菜やデザートの中身を決めるように、残った時間をどのような場所で過ごすのか考える。まずどこで待ち合わせるのか、メインディッシュまで時間があるのならどんな店に行こうか、もしメインディッシュが食事でないのなら、食事にはどのタイミングで行こうか、その店がちょっと背伸びをした場所なら、一度下見にでも行っておこうか、実際に店には入らなくてもとりあえず店の前まで行って道の確認だけでもしておこうか、万一道に迷ったりしたら格好悪いしな、そうそう、デートの間どんな話をしたらいいのか一度脳内シミュレーションをしておこうか、どんな話題がいいのかさりげなく下調べしておかないと、あっとその前に、どんな服を着ていくのか決めておかないと。なんて脳の普段使わない部分を必死に動かして考えるものだろう。(ちょっと脱線するが、そろそろブームも終わりかけの『電車男』だが、 あの第1章は「脱オタクファッションマニュアル」や「初デート入門編」として 実に有用なのではないかと思っている)さて、そんな風にデートの中身が決まったところで、重要な問題が浮かび上がる。デートの終わりをどうするか、だ。次のデートの約束ができれば申し分ないわけだけど、そこまでできなくてもせめて自分に好印象を持たれたまま別れたい。せっかくデートがうまく運んでも、最後に失敗したら全て水の泡だ。ベルエキップのギャルソン千石武も言っている。フレンチにおいて、デザートはお客様の最後の口に入るものだから、このデザートの印象を持ったままお客様は店を出るのだ、と。プレゼントなんかどうだろう。あんまり高価ものだと、初デートでそれほど親しくないから逆効果かもしれない。花なんかいいかもしれないけど、花束は結構かさばる。まさか最後に渡す花束を最初から持ち歩くなんて格好悪いし、うまい隠し場所を見つけるのは難しい。ドライブだったらまだ車の中に置けるからいいかもしれないけれど、後部座席だと見つかってしまう。トランクの中は?いやいや、デートの最後にトランクを開けて、茶色くなって汚れた新聞紙の上でタイヤや工具の横に置かれた花束を喜んで受け取ってくれるだろうか?あまり高価なものではなく、自分に好印象を持ってもらえて、かさばらないもの。そんなものがあるだろうか?と、ここまでが前置き。大学時代の先輩の話だ。先輩は卒業後地元に戻って就職したのだが、ある時、気になる女性とデートすることになった。聞いた話では、その先輩、デートの約束を取り付けた日は嬉しさのあまり、酔っぱらったまま知り合いが麻雀しているところに乱入し、朝まで卓を囲んでいたそうだ。デートはドライブとなり、先輩とその女性は郊外にある風光明媚な場所を回ったそうだ。季節もよく、さぞいいデートとなったことだろう。そしてドライブであるから、デートの終わりに彼女の家まで送っていくことになった。彼女の家の前に車を止め、名残惜しくはあるけど日曜日なので彼女の父親は家にいるかもしれない。いや、それだけじゃなく、じっと外の物音に耳を澄ましていて、娘の帰りを待っているかもしれない。だとしたら、車が止まっても彼女がなかなか玄関のドアを開けなかったら、こっちにやってくるかも。それどころか、ひょっとしたら娘の相手がどこの馬の骨か見てやろうと、窓越しにこっちを覗きこんでいるかもしれない。そこまで考えたかは分からないが、簡単な言葉を交わしただけでデートは終わりとなった。彼女はシートベルトを外し、ドアを開いて車を降りようとしたとき、先輩は後部座席に手を伸ばしながら声をかけた。「あ、もしよかったら……」さて、先輩はデートの終わりに何をプレゼントしたのだろうか。先輩が彼女の目の前に差し出したものは、パイナップル。青々とした葉もちゃんとついたものを丸ごと一つ。袋にも入ってなければ、のし紙一つついていない、むき出しのまま。彼女は面食らった顔のまま、そのパイナップルを受け取ったそうだ。ここまでお読みになった女性の方々、初めてのデートでパイナップルを目の前に差し出されたら、あなたはどう思うだろうか?ここまでお読みになった男性の方々、初めてのデートでパイナップルを贈ろうと思うだろうか?この後、その先輩と彼女はどうなったのか。それは、僕がこの話を聞いたのが、その先輩の結婚式の2次会の余興で出されたクイズだった、と言えばお察しいただけるだろう。ちなみに、彼女曰く、その初デートで一番嬉しかったのは、最後にもらったパイナップルだったとか。
2005.09.18
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授業がやりにくい月の一つに九月を挙げるのは、教師の経験がある人なら誰しも納得してくれるのではないだろうか。残暑が厳しい上に夏休みで気持ちが緩みきっているから生徒も集中できずにいるし、そんなだらけきった生徒を前にすると、こっちまで授業のテンションが下がってしまう。そしてそれは定時制も同じ。日は沈んでも暑さは教室に居残っていて、生徒たちの動きもどこか緩慢としている。そんな夏の埋み火が燻る時期がしばらく続いたが、ある日を境に空気が変わった。生徒たちの顔はまだ夏のだるさを引きずっているけれど、教室の中には涼しい風が吹き抜けている。一日の仕事を終え、秋の虫たちが自分たちの番だと言わんばかりにざわめく夜に足を踏み出す。僕は微かに身体を震わせると、数ヶ月ぶりにYシャツの袖を降ろした。
2005.09.16
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どこかから風が吹く。それはどこか切なくて、どこか爽やかで、その風に吹かれながら、時々風の吹く彼方に思いを馳せたりもした。ふいに空気が変わったその日、道を歩いていたら、一陣の風が通りすぎる。あの風だった。立ち止まり、風の来た方向を、風の向かう方向に目をやり、最後のその二つを思いながら空を眺める。空には、オレンジ色の秋の雲。秋風のヴィオロンの節(ふし)ながき啜泣(すすりなき)もの憂き哀しみにわが魂を痛ましむ。時の鐘鳴りも出づればせつなくも胸せまり思ひぞ出づる来(こ)し方に涙は湧く。落葉ならね身をば遣(や)るわれも、かなたこなた吹きまくれ逆風(さかかぜ)よ。ポール=ヴェルレーヌ 堀口大学訳「秋の歌」
2005.09.15
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窓辺に腰掛けて外を見ると、遠くの空にはいくつもの夏の雲が連なり山裾を縁取っていた。そんな眩い光に白く輝く雲を見ていたら、あの上を飛行機で飛んだら声も出ないくらいきれいな雲海を目にすることができるんだろうな、なんてことが頭に浮かぶ。そんな風に雲も光も空の色もまだ夏のものだけど、この前までの夏とはどこか違っていた。カレンダーが一枚捲られる前には、夏の光を跳ね返すように鳴いていたあんなにやかましかった油蝉やミンミン蝉、ヒグラシの声はいつの間にか消えて、今はツクツクボウシが一匹鳴いているだけ。ツクツクボウシは孤独なのかもしれない。目の前の木立で一匹のツクツクボウシが夏の光に消え入るように鳴き、それが止むとどこかからその声に応えるような別の鳴き声が起こり、それも止むと、また目の前の木立でツクツクボウシが鳴く。そんな儚い音信が繰り返されていた。僕はそんなツクツクボウシのいる木の辺りに目をやる。と、枝先の葉がきらりと光ったように見えた。何があるんだろうと目をこらすと、光はゆっくり枝を離れる。蜻蛉が一匹、僕の目の前をゆっくり横切っていった。
2005.09.14
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(森本レオの声をイメージして読んでみてください)あらゆるところに、名文句は溢れている。例えば、道を歩いているとき、すれ違いさまに耳にした一言が、いつまでも心に残ることがあるように。また、誰かが何気なく発した戯れ言が、時として人生のヒントとなるように。名文句とは、その言葉を口にした人が作ったものではない。どれだけ心に響いたか、聞いた人がその言葉を名文句とするのである。ここに、一つ、僕にとって名文句に溢れたドラマがある。ドラマの名は、『王様のレストラン』。放送終了後十年が経っても、今なお多くのファンの心を掴んでいる、人気脚本家三谷幸喜の手による、珠玉の名作である。ある晴れた昼下がり、ビデオテープの整理をしていたら、このドラマの再放送を録画したものが出てきた。整理そっちのけで全話を見てしまったのだが、今なお、このドラマは眩い光を放っているように、思えた。その中の一条の光を、ご紹介しよう。山口智子扮する、未知の可能性を秘めたままの、つまりは、まだまだ班に前のシェフに、松本幸四郎扮する伝説のギャルソンがハッパをかける、場面だ。あなたには才能があるという千石(松本)にたいして、しずか(山口)が反発をする。「あんたは『才能がある、才能がある』って言うけど、 あたしにはそんなもの、これっぽっちもありません! あたしのことは、あたしが一番よく知ってます」それにたいして、千石は澄ました顔で、こう答えるのである。「あなたは、自分のことしか知らない。 けど、私は百人のシェフを知っています。 あなたなら大丈夫です」誰かが、言った。教師とは、学校におけるギャルソンである、と。縁あって学校に集まった生徒たちに、学校で言い時間を過ごせるよう、あらゆるものを用意し、彼らの目の前に差し出し、場を和ませ、時にはさりげないユーモアを交えながら注意したりもする。そして、いい時間を過ごせた生徒たちが学校を後にするとき、明日への扉を大きく開いてやり、その背中を見送るのである。果たして、僕はギャルソンで有り得たであろうか。伝説のギャルソンが自分の可能性に気付いていないシェフに言ったように、「僕は百人の生徒を知っている。あなたなら大丈夫」と声を掛けられるだろうか。そして、その生徒の持つ可能性に気付いてやれるだろうか。そんなことを思った夏の午後で、あった。実は、このドラマは僕自身の人生において大きな意味を持っており、また、このドラマによってある危機を脱することができたのだが、それはまた、別の話(笑)
2005.09.01
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