SAROMAN BLUE 鈴木健司

SAROMAN BLUE 鈴木健司

13サロマ湖100kmマラソン完走記~第2章~

佐呂間大橋が見えてくると手前に私設のエイドステーションが見えてくる。冷た~いお水を毎年用意してくれている。少しだけ口に含み、バンダナを濡らしてタイツや首から冷やした。そしてすぐにスタート!橋を渡り次は斉藤商店だ。橋の緩やかな下りを使ってペースを維持する。再び平坦な道が始まり、まもなく斉藤商店だ。
斉藤商店.jpg

ここでは海宝さんがランナーを煽っていた。『ここでのんびりしてたら70キロの関門間に合わないよ!ほら、頑張れ!頑張れ!』冷たいおしぼりを頂き、タイツを濡らし、首のバンダナを濡らして頭のバンダナにも冷水を含ませてスタート!あと1.5キロだ。

再び国道に戻って70キロを目指す!太陽の陽を背中から浴びているのでジリジリとした暑さが伝わってくる。真っ直ぐな道の先に見えてきたのは70キロの公式エイドだ。予定ではパスするつもりだったが、『コーラあります!』の元気な高校生の声に押され頂きました。またショッツも流し込んだ。

残り時間と70キロまでの距離を考えても問題なく8時間45分ではクリアできそうだが、ここでペースを落とすと80キロまでの間がキツくなる。手元の時計は8時間40分を過ぎようとしている。まもなく80キロだ。

70km.jpg 70キロ 8時間41分13秒 36分46秒

ラップタイムを確認してからも脚は止められない。休憩を入れながらでも、このラップで刻めたことで例年のタイムまで戻ってきた。昨年も75キロから80キロは37分で刻めていたので、この時点では75キロまでを如何に40分でカバーするかだ。

すると後ろから35キロでお会いしていたMさんが登場!『54キロで休み過ぎちゃって~!ギリギリ関門抜けてきました!』素晴らしい走りです。走り去る後ろ姿は腰高を意識したフォームで安定していました。またまた置いていかれてしまいます。

電柱走りで繋ぐことで70キロまでに使ってしまった体力を回復させる。走り続けられるほどの練習量を積んでいないので自分なりのリズムで刻むだけだ。次々とお客さんに抜かれてしまう。それでもなんとか72.5キロの被り水に救われてリセットして走り出す。

ふと前を見ると青いシャツの男性がストレッチをしています。なんと衣笠コーチだった!『両脚が痙攣してしまったので、ダメです!行って下さい!』WさんとMさんを引っ張っていたコーチがいるとは思わなかった。暑さにミネラル不足が原因でしょうか?僕にも余裕はないので先を急いだ。
次に前を歩いていたのはへろへろのゆきさんだ!話を聞くと浅川さんと共に走っていたらしい。54キロもやはり時間がなくパスしたと言う。その辺りで頑張り過ぎた反動が来ているのかもしれない。『見える位置で追い掛けて来てくださいね!!』と、鶴賀リゾートを目指した。

鶴賀へ向けて.jpgようやく到着した鶴賀リゾート!へろへろメンバーにもゆきさんの状況を伝える。そして僕はおしるこだ!3年前と同様にたくさんある!やはり暑さの影響か?変わりにそうめんが残っていなかった!

ここは74キロ手前になる。73キロだと計算すると、75キロまでの2キロに16分残さなくてはならない。5キロ40分で抜けないといけない状況は50キロ地点から一切変わっていない。腰の痛みも変わらずに残っているが、なんとか40分で刻めているので耐えている感じだ。80キロまで行けばこの我慢から解放される!

鶴賀リゾートを9時間08分に出発するが、まずは歩いて進む。トイレに行きたい気もしたが、ここで時間を使ってもし80キロに間に合わなかったら?と考えると怖かったのでパスした。この後に尿意が来ないことを祈ろう。ワッカネイチャーセンターの入口まではのんびりと歩いてしまう感じになってしまった。

74キロの通過は9時間13分。まだまだ貯金はできていない。でもこれが自分のスタイルだと、歩く間隔を短くしながらリズムを作り始めた。75キロは対岸にワッカ原生花園の見える場所。平坦なので電柱走りならばしっかりと進める。後ろから来るサロマンブルーの方には『歩いてないで走りましょう!』と声を掛けて頂くが着いていくことは出来なかった。またクリニックに参加された さんが凄い勢いで抜かしていった!『鈴木さん!間に合いませんよ!』『お~!頑張りましょう!』と背中を見送った。

サイクリングロードを進み75キロを目指す。道が蛇行し前を行くランナーが見えるとかなりの人数が固まっている様子だ。当然僕の位置になってくるとその数は減ってくる。

75キロ 9時間21分48秒 40分34秒

とりあえずは80キロまでに38分12秒を残すことができた!この先は被り水と80キロよりも約500メートル手前にもなるエイドステーションをクリアすれば、その後は問題ない!あと5キロの辛抱だ。この区間ではおしるこ休憩やその後の凹みなどもあったので、我慢の走りを続ければ必ず間に合う!間に合わせることができる!電柱走りの歩きを減らしながらペースを維持することは変わらない。

しかし76キロの通過ラップタイムは8分30秒となかなか上がらない。ポーチからショッツを取り出しては少量を摂取する。歩くポイントは補給のタイミングでもある。77キロに到着するとラップは15分台としっかりリカバリー!被り水でオーバーヒートを防ぎたい。前を見据えて多少始まるアップダウンに向けてペースを上げる。簡単にはクリアは出来ない。歩いては呼吸を落ち着かせてまた走り出す。少し先に被り水から流れてくる水の流れを発見!よし!あそこまで頑張ろう!

ようやく辿り着いた被り水ではバンダナに氷を入れてタイツを濡らしふくらはぎを濡らして、足の甲が痛かったのでその部分にも水を当てる。小江戸・大江戸の時には最終的に腫れ上がってしまった部分だったので、こまめに冷やすようにはしていたが、まだ20キロあるので安心は出来ない。1分以内に済ませて先を急いだ。

この場所は1995年の時にリタイアした地点。それ以降ここを抜ける時には自分の気持ち・モチベーションを確認する。『絶対に80キロを抜けられる!走れる!完走する!』自ら諦めて9時間51分でレースを投げ出してしまった。今は9時間40分。行ける!

下りを利用してリズムを作る。しかし気持ちははやるがカラダが着いていかないのが現状だ。なんとかスピードを維持しながら78キロを目指す。78キロは9時間43分。あと2キロ。後ろから僕に追い付いて来た方には『エイドの先80キロの関門までが登りですから頑張ってください。』とアドバイス!そちらが大丈夫ですか?と言う感じだが(笑)

79キロまで来た時にはあと10分残っていた。視線の先に左に曲がるランナーの列が見える。エイドのテントも見えてきた。また気合いを入れてエイドまでは走ると決めて行く。ナンバーカードを確認してスペシャルドリンクを渡してくれる。すぐに水をシェイカーに移してバナナを頬張って歩き始めた。あと5分。

ここからは昨年のこの関門前の映像がリアルで良かった!の声に応えなくてはいけないと思いカメラを回して登り始めた。時間的には問題ない。ヘトヘトな様子をご覧ください。

ワッカ入口から80km関門まで残り5分の映像


折り返して来るランナーには声を掛けて登る。この時間だとどのくらいの人数がゴールしたのだろうか?2000人くらいはすれ違うのかな?僕を見つけて声を掛けてくださる方も多い。関門までの距離と時間を気にしているのは僕以上かもしれない。歩いてしまったりしているので『諦めるな!』と激励も頂く。そしていよいよ先に80キロの関門を見付けて時間が2分あることを確認して歩き出す。

80キロ 9時間58分39秒 36分51秒

60-80.jpg
70km以降は歩くのが細かくなっているのがわかる。
そして80kmに向けてペースアップしているので心拍数もアップ。


長かった~!40キロ過ぎからの80キロを見据えながらのラップ40分とのにらめっこ。電柱走りでなんとか粘ったが、ここまで来れば大丈夫だ。

関門を抜けると同時にゆきさんが追い越して行った。さすが!!って感じ!そのまま走って先を行く。他にも関門をギリギリで駆け抜けて行く方の中にもクリニック参加のお客さんもいて嬉しかった!制限時間経過までカメラを回し、スペシャルドリンクの作成に取り掛かる。

シェイカーの中に水だけをエイドステーションで入れて走って来たのでプロテインとショッツを入れてシェイク×3!!面倒だったのでベスパハイパーも一緒に混ぜた!味的にはアセロラ×ワイルドベリーとの組み合わせには問題なかった(笑)。

ワッカ入口2.jpg10時間02分を経過しドリンクを飲みながら歩き出す。いつも通り81キロまでは歩いて体力を回復させる。周辺にはランナーの数は少なくまばらだ。ゴールへ向かうランナーに声を掛けているが、さすがに走っていないと諦めてしまった様に見えてしまうので、下りになっている部分などは小走りで進んだ。

そしてようやくワッカ原生花園を望める場所に到着!前からは強い陽射しが照り付けて風は背中から吹いているので暑く感じるばかりだ。何処までも続くランナーの列が緑色の原生花園に消えていく。

81キロ10時間10分で通過!いつもよりも少し早い通過となっている。しばらく進むとへろへろの小川さんが!今回完走すればサロマンブルー達成なのだが、脚の痙攣で動けないようだ。まだまだ時間はあるのでここでも『見える位置で着いてきてください!』と前に向かう。初めのエイドはドリンクのみ。飲むよりも外から冷やすことに専念した。ここからは走りを混ぜながら行かないと90キロの関門に引っ掛かってしまう。緩やかな登り坂も平坦も電柱走りで少しずつ稼いでいく。

折り返しの中に知り合いを見つけるとカメラを取り出してシャッターを切る。あまりにも知り合いが多いのでカメラはしまわずに握って走った。ワッカ原生花園の中でもすべての方を撮影できなかったが、これだけ知り合いが居れば楽しいわけです!

85キロに向けてワッカを走って行くが先に見えるワッカネイチャーセンターがなかなか近づいてこない。初めての方には本当に行けども行けども終わらないワッカに感じるはずだ。1キロごとのキロ表示でペースを確認するしかない!キロ8分で刻めていれば問題ないのだから、そこだけ気にしていれば距離は進んでいく。

85キロ 10時間46分40秒 48分00秒

スギ様.jpgここで85キロをクリア!48分掛かってはいたが、10時間46分ならば借金は約2分だ。5キロを43分でクリア出来れば90キロの関門を通過できる。十分射程圏内だ。あと3キロで折り返しもやって来る。そう考えればワッカの往路も既に後半戦!次のエイドステーションまで頑張ってペースを維持する。

そして見えてきたエイドステーション。応援ポイントにもなっているのでへろへろの幟が目立つ。あと約4キロで90キロとなる。時間的にはこのリズムで走っていれば大丈夫。たくさんの声援を受けながらスイカを食べてショッツを飲んでスタートする。

細かなアップダウンが続き、細い1本道がランナーで溢れる。折り返しが近いのと、12時間台でのゴールタイムラインに差し掛かって来たので人数が増えてくるのだ。87キロの通過で残り時間25分。キロ8分で走らないと間に合わない時間だ。そして折り返しの手前に90キロのエイドがあるので、ゆっくり過ごしていると関門に間に合わなくなる。かといって立ち寄らない訳でもなく、往復で2回寄ってしまうだろう。走れるところで稼がなくては!

88キロの表示を過ぎれば折り返しはまもなくだ。戻って来る方からも『急げ~!』と声が掛かる。第2河口の橋の手前にエイドがある。とりあえず水だけを少し飲んで折り返しに向かう。舗装されていない道の先に折り返しのポールが立っている。

『よし!あと1.5キロ!』今度は折り返しを目指すランナーに声を掛けながら橋を渡る。2回目のエイドではスイカやバナナを食べてからショッツを忘れない。そして折り返ししてからは予定通り向かい風となった。しかもかなり強い!今まで掻いていた汗が冷たくなる原因だ。体温を温めるには走るか、食べるか、着るしかないので、ここでアートスポーツ日比谷店スタッフからプレゼントされたアームウォーマーを再びポーチのコードから取り出して着用する。これで冷え対策は万全だ。

エイドを離れ89キロで残り時間9分を確認。このままで行こう。折り返しを目指すランナーは少なくなってしまったが、歩きながらでも前に進んでいる方もいる。『ナイスラン!行けるところまで頑張ってください。』手を挙げて応えてくれる。

そして拓けた先に90キロのテントが見えてきた。またトイレは関門の手前にある。これってどうにかならないのかな?あと1分ちょっとしかないので、もちろん立ち寄れない。55キロを最後に約5時間もトイレに行けていない。まあ我慢出来ているのだから問題ないでしょう!

90キロ 11時間29分07秒 42分27秒

エゾスカシユリ.jpg90キロは1分前にクリア!この進み方で42分で走れたことが収穫だ。また体力を回復させて残りの10キロを走り切る目処はついた。大会役員の方も『残り10キロを楽しんでください!』とランナーに声を掛けてくれていた。そう!ここまで来たんだからあとは楽しまなくちゃ!

向かい風が強く吹く中を一歩一歩前へと脚を運ぶ。また応援ポイントだったエイドに戻って来たが、この時間だとさすがにほとんどの方はゴールに向かってしまっていた。ワッカの中で食べ物があるエイドはここが最後だ。ポーチの中身には固形物がなくなっていたので、お腹に溜めることを意識した。そしてまたゴールを目指して走り出す。

この付近で前後していたのはサロマンブルーメンバー同期ランナー。同じく3回のリタイアを経験しているので初めての参加はあの大雨だった1993年だ。お互いのリズムを守りながら淡々とした走りが続く。走れる場所はお互いに違うので、抜きつ抜かれつになる。また地元湧別町のチームの方も前後していたが、後から聞くとサロマンブルーリーチだったという。このようにメンバーも絞られた中で、ラスト5キロの95キロエイドのテントが見えてきた。

95キロよりも手前にエイドがあるが、時間的にも場所的にもほとんど水はなかった。しかしこの先は3キロエイドはない。少しでも水分補給とエネルギーは欠かさなかった。



95キロ 12時間17分47秒 48分39秒

ここへ来てラップが48分掛かっているが、これは予定通りの時間だ。残り時間が42分ということが重要になる。まずは1キロ。急な坂が待ち受けるラスト4キロまでは走って稼がなくては!と気持ちだけは前向きだが、せいぜい200メートルぐらいだ。実際はもっと短いかもしれない。気持ちだけは前へと進んでいる。

残り4km.jpgあと4キロに差し掛かってボランティアの学生から声援を受ける。思わず『来年までにこの丘削っておいてくれませんか?』と言うと笑って応えてから『頑張ってください!』と返された(笑)ラスト4キロ残り時間は34分。まだこのペースならば大丈夫だと、次の1キロの約半分を歩いてしまった。登りを進むのに体力を消耗したからなのか、走っても3歩くらいで歩いてしまう。歩きながらまたショッツを取り出してラスト3キロに備える。

先程の湧別町のランナーの方が『これって間に合いますかね?』と言うので『大丈夫ですよ!』と歩きながら答えた。もちろんその方は走って僕のことを抜いていったので、そのペースならばを含んでいた。

ラスト3キロよりも手前から下り勾配になってくるので、リズムを取り戻すべく電柱走りに徹する。80キロの関門地点の撤去作業が続いているのを横目に走り抜けた。

『鈴木さんブービー狙いですか?(笑)後ろは狙っている人がいるみたいですよ!』『いやいやそんな余裕はないですよ。それなりにで。』

最後のエイドに向けてワッカ出口に向けて下っていく。ここで残り時間は18分。ラスト2キロはまだ先だ。固形物を頂き『ごちそうさま!』とあとにする。

平坦になってから一層脚が進まない。スピードを出そうと腰を入れるとピキッとした痛みが出てくる。また右脚の太もも裏にも痛みが走るので、最低限間に合うペースで歩いたり走ったりするしかない。あと2キロの通過は残り時間17分を切っていた。走る距離を意識的に長くしながら、一旦国道に出るとtakaさんが応援してくれていた。『あと15分しかないぞ!歩いていたら間に合わないよ!』と声を掛けてくれた。

そうは言っても歩かずにはいられないのが僕のパターンなので、takaさんの前を抜けてからまた歩き出す。そしてまた5メートル進んでから走る!あと1キロの看板が確認でき、時計を見ると12時間51分を過ぎていた。

よし!間に合う!ラップも33分を過ぎたところだったので、キロ8分ちょっとでは走れていることを確認した。そしていつものように前後のランナーとの間隔を確認しながら距離を保つ。常呂町民センターの林が近づいてきて、沿道の応援も大きくなる!『おかえりなさい!』の声の中にはあと3分あるのに『間に合わないぞ!ダッシュしろ!』の声も(笑)。いやいや無理ですから(笑)そんな走りができないからギリギリなわけで。

たくさんのお客さんや知り合いの方に迎えて頂き、最後のコーナーを曲がる。今年も斉藤商店のお母さんや仲間から花束を頂きゴールへ向かう。

100キロ 12時間58分47秒 41分00秒

ゴール.jpg


ゴールのポーズは『グランドブルー達成まであと2回!!』の意味を込めてのVサイン!21回目の出場で18回目の完走をすることが出来た!あと2回と思うともうすぐに感じた。38歳で18回目の完走なので40歳で20回目の完走を成し遂げられるようにもう落とすことは出来ない。ゴール後のインタビューでも、しっかりと意気込みを語った。

ゴール後はたくさんのランナーの方に見つけて頂き写真を撮りまくった!たくさんの笑顔からは充実感が溢れ出していた。中にはリタイアされてしまった方もいたが、『また来年頑張ります!』と再会を約束した。湧別町のさんは見事サロマンブルー達成!道中一緒だったので『大丈夫ですか?って聞いたら、歩いているのに、間に合いますよ!っていうからホントかなって(笑)』と言っていた。E先生も僕より早くゴールされていた。コース上で抜かれる距離がどんどん手前になっていて見事完走を勝ち取った。
80-100.jpg
ワッカに入ってからは緑色のゾーンでの走りになった。
これは80kmまで如何に厳しい状況で間に合わせたかがわかる。
80km以降はここまで落としても十分間に合うのだ。


レース全体を振り返る。

ゴールしてみると昨年よりも僅か13秒だけ遅いタイム。しかし内容的には昨年のような63キロ過ぎのハンガーノック等はなく、今年は20キロ過ぎから耐えるだけの走りだった。野辺山では出なかったヘルニアから来る坐骨神経痛の痛み。変えたウエアはアシックスの肩バランスシャツを着なかったこと。ここは後日含めて検証したい。

20キロを過ぎてからのトイレ休憩毎に、ボディライトクリームを腰からお尻に塗り込んだ。後半は右脚の全体に痛みが出たので、気になる部分には塗ってみた。富士五湖の時のようにガチガチに固まることがなかったのはこのクリームの効果だと実感している。

ポイントとなったのは25キロから35キロまでは無理にでもペースを上げたこと。ここでのロスタイムを最小限に抑えられたことが、40キロ4時間40分でなんとかカバー出来た要因だ。その後も45キロから電柱走りをスタートさせ、アップダウンがあっても5キロ40分でクリア出来たことを確認し、自分なりの省エネ走法で80キロまでカラダを運んで来られたと思う。

80キロからは負担の掛かっていたがカラダを休ませながら走った。これは明らかに心拍数に表れていた。

80キロを越えてからはいつも通りに、イメージ通りにペースを刻むことが出来た。81キロまでは歩いて体力を回復させる。また91キロからも同様だ。6月の月間走行距離が大会前までたったの30分では、その走りしかできなかった。80キロを一緒に通過したランナーとも15分ゴールタイムが離れるのも当然の結果だった。

どちらにしても完走という形で締め括れたのは本当に良かった!まずはしっかりとこのヘルニアから来る坐骨神経痛を退治して、来年のウルトラマラソンに備えたい。来年は富士五湖のリベンジをして、3大会連続での完走を目標に。サロマンブルーリーチを目指して頑張ります!

今シーズンもたくさんのウルトラマラソンランナーに出逢えて良かったです。これからもよろしくお願いします!ありがとうございました。

13サロマ湖100kmマラソン完走記~第1章~

2013サロマ湖100kmウルトラマラソン写真集


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: