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2018.07.18
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酒井茂幸君が亡くなって、約1年。


人が亡くなっているのに、
「約」などという語をつけなくてはならないのは、
実に申し訳ない気がするのだが、
彼の本当の命日はわからない。


1年前、7月15日(土)までは、メールでやりとりをしていた。
その翌日から、日・月と連休であった。

そして、異常なまでに暑かった。そんな覚えがある。


ここしばらく、酒井君と連絡が取れないのだが、
何か知らないか、との問い合わせがあった。

ちょうど、出来上がった『研究と資料』誌を、
レターパックで送っていただいていたのだが、
私と彼だけ、受け取り連絡がなかった、
ということで、確認のメールであった。
私はすぐに受け取れなかったことの非礼を詫びて、
酒井君のことについては、分からない旨の返事をした。

実はその時に、既に彼は、此の世にいなかった。

武井先生から、彼の訃報を聞いたのは、
7月27日(木)の18:35。

安堵感と脱力感に夏のうだるような暑さが重なった夕方。
夕立はなかったけれど、まさに霹靂であった。

25日に警察から大学に連絡があったとのこと、
たぶんその時点で、さまざまなことが、
処理されてしまっていたのであろう。


警察と部屋の貸し主にでも、聞くしかない。

その直後に、宮内庁書陵部に調査で赴いた時、
もしや、と思って閲覧の方に伺ってみたところ、
やはり、18日からの週、調査予約を入れていたのに、
連絡もなく、連絡してみてもつながらず、
おかしいな、と思っていたとのこと。

つまり、15日から18日まで、
さらに言えば、
16日か17日に亡くなった、というのが、
本当のところだろう。

15日の酒井君から来た最後のメールは、17:39。
その後、彼がどう過ごしたのかは分からない。

しかし、その週末が、
異常な暑さであったことを思い出すと、
原因は不明であるのだが、
おそらくはあの酷暑が、彼の体調に何らかの悪影響を与えたことが、
最悪の結果につながる、元凶となったのだと思う。

生前、研究者仲間としての付き合いは長かったが、
彼の住んでいたところは、知らない。
歴博の研究員となった頃、彼が一番いきいきと仕事をしていた頃、
東京から千葉に引っ越して、そのままそこにいたのだが、
彼の部屋を訪ねたことがある人は、私の周囲にはいないように思う。
実は早稲田にいたときから、かれの家には行ったことがない。
確か、阿佐ヶ谷に住んでいたはず。
どういう生活をしていたのか、いまとなっては知るすべもない。

思えば、研究に没頭するあまり、
私生活における身の回りのことには、
やや無頓着でもあった彼のことである。

どんな部屋でどんな環境でいたのか。
冷房なし、の部屋でいたなんてことはないのだろうか、
などと、ふと思ったりもするが、
やはり、今となってはもう、何もかも推測でしかない。


先月、彼の最後の著書となった、

 『中近世中院家における百人一首注釈の研究』

が、新典社から、上梓された。


亡くなった時、初校が既に出ていたということであるが、
遺品等はすべて、部屋の貸し主の判断で処分(!)されてしまったとのことで、
酒井君の手を入れた部分はわからないままだが、
武井先生が中心となって、後を引き継ぎ、校正を行い、
本が出ることになった。

届いた本は、贈り主はご母堂からとなっていた。


実は酒井君のご実家のことも、
よくは知らない。

彼はその辺のこと、ほとんど語らなかったから。


しかし、本のあとがきを見て、ドキッとした。
かれは、初校段階で既にあとがきまで書いて出してたんだ。

そこには、私がよく知る酒井君の姿があった。
実際に話しをすると、ややたどたどしいというか、
要領を得ないようなところがあった彼ではあるが、
文章の上では非常に滑らかで饒舌なまでの酒井君がそこにはいた。

そして、その後にふされた、
武井先生の「あとがき」に添えた一文と挽歌。

武井先生は、酒井君のこと、
ずっと応援してらした。
陰に日向に、支援してらした。

『徒然草』に寄せていえば、
信濃前司行長に対して慈円がそうしていたような、
いわゆる「扶持」であろう。

彼の研究活動は、武井先生あってこそ、である。

もちろん親御も支援されていただろうが、
身近なところで研究に対する多大な援助をしていたのは、
研究上の縁故だけによる、武井先生のそれが一番である。

だから、親御さんも、武井先生には、
大学を通じて感謝の意を表してらしたそうだ。


結局、ご葬儀もなく、
同世代の我々が押しかけても申し訳ないだろう、
とのことで、ごくごく限られた方々が、
弔意を伝えたようだが、
なんとも、寂しかった。

仕方のないことではあるが、
やるせない。


そんなこんなで、
もう、1年が経った。

訃報を聞いた直後は、
やはり狼狽し、動揺し、
すぐに一緒に研究の時を過ごした、
小林大輔に電話したりしたが、
どうしようもない。

何事もないように電車に乗り、
帰途に就く。
周囲の喧噪と平凡が気に障る。

しかし、それはこちらの問題。
さらにいえば、酒井君にとっては、
私のいらだちもまた、余計なお世話であろう。


ただ、未だに私の中では、
酒井君のことは、落ち着かない。

皆はどう思っているのか、
分かるような分からないような、であるが、
私には少なくとも、納得が出来かねている。


ともかく、一周忌、である。

誰が、供養してくれる訳でもない気がするので、
今週末の和歌文学会例会の後で、
誰かがいれば誰かと、
誰もいなければ、
独りでいいから、彼を偲ぼうと思う。

これまた『徒然草』に
似たような話があったような。

せめて、ひとりくらい、
彼のことを忘れないで、いようと思う。



合掌、黙祷。





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最終更新日  2018.07.20 09:03:11
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Re:酒井茂幸君の一周忌(07/18)  
匿名希望 さん
今日ふと机上の酒井先生の本を開き、注から論文へ資料へ調べていったら大事なことがわかり感激しつつも、そういえば、早くして亡くなられた、と思い検索してここへ来ました。偶然にも今日あたりがご命日とのこと。昼間のできごとが、彼方からのメッセージのようにも思えて、思わず書き込んでしまいました。 (2025.07.18 00:26:44)

Re[1]:酒井茂幸君の一周忌(07/18)  
匿名希望さんへ


どうもありがとうございました。

酒井君からのメッセージが届いたのかも知れませんね。

これからも何かの折に、
彼のこと思い出して頂けるときっと喜ぶと思います。
(2025.07.20 19:42:48)

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