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「秘伝」 1、心法

karateN

<心法・・邪心なきこと>

武術の教えの中に、「心を清く保て」などといった徳目のような物が多く見られる。それは一つには、多くの武術流派が確立した江戸時代が、非常に身分制度がはっきりしていた時代であって、儒教による教化が成されたためと言えるだろう。
が、しかし、武術の伝書に心のありようが説かれるのを、儒教にだけ起因させることは無理がある。
例えば、「一心の都合に勝ち、あるいは数人との戦いに勝ち、主君のため、我が身のため、名を上げ身を立てんと思ふ」と、勝つことこそ武士の本懐であるとし、「物事の損得をわきまゆること。」「役に立たぬ事をせざること。」と徹底的な合理主義であった宮本武蔵でさえ、兵法の心得の第一として「よこしまなき事を思ふ所」を挙げている。

つまり、邪まな心を持つことは、勝負において明らかに不利である、と武蔵は見ていたことが分かる。
それは何故か! 気配を察知する、あるいは殺気を知るということは、今の一般人にしてみれば何か超常的な能力のように思えるが、相手が全く動かなかろうが、殺気を持ったか否かが即時に分かるようになるのに数年の修行で可能だという。
しかも長じれば相手の姿が見えない暗がりの中でもそれは明確に分かるようになる。

また、新体道、殺気を読むセミナーを開催している。この場合は、相手が見えない背後から攻撃をかわすことで実験する。セミナー受講前はほとんどかわせなかったものが、受講後はかわせる率が高くなるという。

幼児を対象にした新体道の実験によれば、就学前の児童では高い比率で背後からの攻撃をかわせたという。つまり、そうした自分への危険を察知する能力は、何ら特別のものではなく本来誰もが持っているが、現代においては長じるに連れ、その能力が曇ってしまうのである。

卑近な例を挙げれば、自分が当事者でなくとも、お互いに気まずい関係にある人物二人と同じ空間に居合わせれば、その雰囲気というものは、よほど鈍感でない限り気が付くはずである。

武術で殺気を読むのと精緻さの違いは大きいが、現象それ自体はさほど変わりはしない。
どうやら人の想念というものも、その物理的な特性は未だ不明だが、周りの空間に放射されていくもののようだ。しかも、これは通常は行為に先立つ。「未発の機」を読むとは、行為に移す前のその想念を察知するということに他ならない。

これに類した、合気道開祖・植柴盛平の有名な逸話がある。植柴は相手の攻撃が来る前に、白いツブテが飛んでくるので、それを避けると後からそれと同じ軌跡で攻撃が来る。と語っている。
この想念(意識)を持ってから実際の行為に移る間の時間差というものを衝かれると人間は反応しきれないようだ。こうした観点からすると、邪まな心を持つということは、ある意味では大声でわめき立てて自ら隙を作っているのと変わらない訳だから勝負に不利なのは当然である。

<心は水月の如し>

一刀流では、次のように心術を重要視している。「一、心は水月の如し。心には何の思ふも無き物也。うつる水の上の月の如し濁たる水に映る時は、月も朧也。又いさぎよき水に映るときは、月も清月也。」(一刀流剣術書)
自分の心を清浄に保っていれば、相手が何を考えているのか即座に判るということである。
そもそも見る人が見れば、姿勢や所作からその人物の性格や嗜好・習慣というものは判ってしまうものだが、さらにナニを考えているのかまで判ってしまうこともある。
しかし、ここで注意すべきは、それは自分の心が澄み切った結果であって、相手の心を積極的に読もうという考えの許にある訳ではない。積極的に相手を読もうという姿勢は、当然それなりの有効範囲はあるが限界でもある。

レーダーを例に取ると、レーダーを使えば敵機の位置は判明するが、レーダー電波を出しているということは、どこにレーダーがあるかは相手にも知られてしまうことを意味する。気配の読みあいも同様である。だから、先手なしに心を水月に保つことが武術の極意につながるのである。
kumite
(秘伝なる事柄)水間由紀彦著より



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