鎌倉日記(極上生活のすすめ)

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アトムおじさん

アトムおじさん

2009年11月08日
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カテゴリ: カテゴリ未分類

「彼女は毎日、午後1時に賭博台に姿をあらわし、きっかり2時に引き上げる。毎日、1時間ずつ勝負をするのだった。彼女はポケットから金貨を何枚かと、千フラン紙幣を何枚かとりだして、静かに、冷静に、鉛筆で紙に数字を書きとめて、その瞬間にチャンスの集中する体系を発見しようと努めながら、十分な計算のうえで賭けはじめるのだ。」

ドフトエフスキーに「賭博者」という魅力的な作品がある。 
賭博には、言い知れぬ魔力がある。 

日本でも、賭け事というのは、禁止されながらも人々のあいだで連綿としてつづけられる。

その中でも日本の中世には、変わった賭け事。茶の味を見極める賭け事が流行していた。

闘茶で、身を滅ぼした者や、巨万の富を築き上げた古人が、存在していたようだ。
そんな人間たちに、
かつてから気になっていた。
そして、闘茶について、ネットのウィキペデアネットで調べていると、
どんどんと脇道に入り込み、中世の日本の風俗に、はまってしまった。

以下が、その道程。

「闘茶とは、中世に流行した茶の味を飲み分けて勝負を競う遊び。
日本では回茶・飲茶勝負・茶寄合・茶湯勝負・貢茶、中国では茗茶・銘闘などの異名がある。
中国の唐代に始まって宋代に発展したと考えられているが、日本に伝来後は中国・日本ともにそれぞれ独自の形式を確立させた」

「日本において本格的に喫茶が行われるようになったのは、鎌倉時代に入ってからである。後期に入ると各地で茶樹の栽培が行われるようになったが、産地間で品質に差があった最高級とされたのは京都郊外の栂尾で産出された栂尾茶で、特に本茶と呼ばれ、それ以外の地で産出された非茶と区別された。
最初の闘茶も本茶と非茶を飲み分ける遊びとして始められた。」

「闘茶に金品などの賭け事が絡んだこともあり、二条河原落首では闘茶の流行が批判され、『建武式目』にも茶寄合(闘茶)禁止令が出されている程である。」

「東山文化へと移行していく15世紀中頃からこうした闘茶は衰退の様相を見せ、更に村田珠光・武野紹鴎・千利休によって侘び茶が形成されていくと、闘茶は享楽的な娯楽・賭博として茶道から排除されるようになっていった。
それでも、闘茶は歌舞伎者らによって歌舞伎茶(茶歌舞伎)として愛好され続け、また侘び茶側でも茶の違いを知るための鍛錬の一環として闘茶を見直す動きが現れた」

「かぶき者(かぶきもの。傾奇者・歌舞伎者とも表記)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。
特に慶長から寛永年間(1596~1643)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。
異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。
茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。」

「当時、男性の着物は浅黄や紺など非常に地味な色合いが普通だった。
しかしかぶき者は色鮮やかな女物の着物をマントのように羽織ったり、袴に動物皮をつぎはうなど常識を無視して非常に派手な服装を好んだ。
他にも天鵞絨(ビロード)の襟や立髪や大髭、大額、鬢きり、茶筅髪、大きな刀や脇差、朱鞘、大鍔、大煙管などの異形・異様な風体が「かぶきたるさま」として流行した。」

「多くは徒党を組んで行動し、飲食代を踏み倒したり因縁をふっかけて金品を奪うなどの乱暴・狼藉をしばしば働いた。
自分の武勇を公言することも多く、それが元で喧嘩や刃傷沙汰になることもあった。
辻斬り、辻相撲、辻踊りなど往来での無法・逸脱行為も好んで行い、衆道や喫煙の風俗とも密接に関わっていた。
こうした身なりや行動は、世間の常識や権力・秩序への反発・反骨の表現としての意味合いがあった」

衆道とは何?

「衆道とは、「若衆道」(わかしゅどう)の略であり、日本においての、男性による同性愛・少年愛の名称・形態。
別名「若道」、「若色」。
平安時代に公家や僧侶の間で流行したものが、中世以降武士の間にも広まり、その「主従関係」の価値観と融合したとされる。」

「日本への制度としての男色の渡来は、仏教の伝来とを同じ時期であるとされる。
仏教の戒律には「女犯」という僧侶が女と性交する事(女色)を忌避するものがあった。
そのため、女色に代わって男色が寺社で行われるようになった(男色の対象とされた少年達は、元々は稚児として寺に入った者たちである)。
近代までの俗説的な資料によれば衆道の元祖は弘法大師空海といわれている。」

「江戸時代においては陰間遊びが町人の間で流行し、日本橋の葭町は陰間茶屋のメッカとして繁栄した。
衆道は当時の町人文化にも好んで題材とされ『東海道中膝栗毛』発端には喜多八はそもそも弥次郎兵衛の馴染の陰間であったことが述べられており、
『好色一代男』には主人公が一生のうちに交わった人数を「たはふれし女三千七百四十二人。小人(少年)のもてあそび七百二十五人」と書かれている。」

「このように日本においては近代まで男色は変態的な行為、少なくとも女色と比較して倫理的に問題がある行為とは見なされず、男色を行う者は別に隠すこともなかった。
しかし江戸時代後半期に入ると衰退し、幕末には一部の地域を除いてはほとんど廃れ、更に明治維新以降にはキリスト教的な価値観が流入したことによって急速に異端視されるようになった。」

これだから、ネット検索で、今夜も眠れない。









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Last updated  2009年11月09日 01時26分27秒
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