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下関への帰省は我が家からは果てしない新幹線の旅だ。昨夏、練習も兼ねて少し乗ったが、今回は自宅からホテルまで計8時間(乗り換え込み)の長丁場である。新幹線に乗るまでに2時間以上かかるので、大人でも結構イヤになるほど遠いのだが、Sはどうなることやら。 新幹線に乗り込むために用意した物の数々…写真カード(新幹線とか海とかこれから会うじじばばの写真とか墓参りに行くお墓とか観光予定地の写真)、鉄道雑誌(写真が多くて薄い雑誌をめくるのが好きなので)、いつも家で持ち歩くパウチカード(小学校の授業風景)、昼食の鳥からあげ、○ツ矢サイダー、お米でできたお菓子、小タオル、大タオル、イヤホンラジオ…ぐずっても気がそらせるように、やたらとSの荷物ばかりだ。 身軽にするために荷物は前々日に送っておいた。なんとダンボール2箱…。日頃同居している妻の両親(Sのじじばば)が驚いてあきれていたが、4泊するし、ほとんどがS関係のグッズ(大きめの本とか慣れているおもちゃとかアイーンビデオ)なので仕方がない。おかげで結構軽くなった。 電車・新幹線の様子は…『Sが乗り物好きの男でよかった!』 時々飽きてきて、「ワオー」と叫んだりはしたが、いわゆるパニックはまったくなかった。もしなったら抱っこしたまま、車両のつなぎ部分のデッキに行ったり、車内をウロウロして、「みんなに泣き声のおすそ分け」をするつもりだったが、ならなくて助かった。それでも何度もトイレに行くことで散歩するのが気晴らしになったようだった。 中国地方に入ると、トンネルばかりのモグラ新幹線になる。トンネルが苦手な自閉症児もいるという話を聞いたこともあるが、そうでもなくてよかった。ただ、耳がキーンとなるのを自分で直せないので、飲み物を飲ませたりしながら、ついに下関に着いた。 そして最初にホテルにチェックイン。新下関駅そばのビジネスホテルだ。宿泊はほとんどビジネスマンばかりで観光用ではないせいか、ツインの部屋といいながらも仕切りがあってシングルが二つという感じだ。向こうも気を遣ってくれて「明日はトリプルの部屋が空くので、料金はそのままで使ってください」と言ってくれた。こちらに2泊、じじばばに慣れてから実家に2泊の予定だ。 さて、じいちゃんは出かけていたので、ばあちゃんがホテルを訪ねてきた。2年ぶりの対面(その時は向こうに来てもらった)である。ほとんど人見知りしないし、もともと『自分と遊んでくれる人はすべて味方』のSなのですんなり握手とかしていたが、ばあちゃんの方は「覚えとってくれたんよー」と興奮気味である。 一緒にベッドに並んで座り、さっそく仲良しだった。たぶん誰とでもそうなるだろうとは思うが、ばあちゃんの勢いに負けて、「やはり、血だね。わかるんだね」ということになった(された)。 晩ご飯の買い出しなどに車で出かけたあと、ばあちゃんは帰った。その後、夜遅くになって、「出かけよう」とばかりにSは突然靴下をはいたり靴をはいたりし始めた。たぶん、ディズニーランドに行った時に、夜ホテルから出かけたのと勘違いしているのだろう…。「ここは、夜は何にもないよ」と一生懸命説得。やっとあきらめたようだ。 そして1日目の宿泊。ベッドがあったおかげでジャンプしてだいぶ発散できたのもあり、普通に10時くらいに寝た。 で、安心していると…なんと夜中の1時に起床! 変な表情で、ウロウロしては、声を出している…。窓から外をながめてはまた叫ぶ。どちらからというとご機嫌なのだが、環境が変わって落ち着かないようで、まったく寝る気配なく…。 昨夏の宿泊はとなりと薄い壁一枚のコンドミニアムだったので、この場面で無理に押さえつけて静かにさせようとして、『大パニック』になった。体を押さえられて大泣きだった。まあ『大笑い』しながら走り回られるより、親としてはまだ格好はついたが…。 その反省から、この日は野放しでウロウロさせた。ただ、カギを開けて外に出たがるため、見張り続けるしかない。 私はイスを置いてドアの前に陣取って、あきらめのコーヒーなどを飲んだ。 修学旅行の引率みたいだな…。 午前3時頃、急にウロウロをやめて、妻の布団にもぐって眠った。 こちらは目がさえて眠れずに、小説など取り出して読みながらやっと寝られた。 明日からも、夜が心配だ…。
2006/03/31
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今日、5日間の旅から帰ってきた。下関への家族での初帰省は、思ったよりも順調でとても楽しかった。 今までだったら「無理だっただろうな」という場面がたくさんあった。しかし「今だから」乗り切れるようになっていた。おかげで、楽しく過ごすことができた。 なりよりも親孝行(Sから見れば、じじばば孝行)になってよかった。 数々の出来事については、あさって以降また順次掲載予定。(明日は飲み会のため)
2006/03/30
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明日はとうとう下関への帰省。S、7歳にしてやっと父のふるさとに帰るのだ。新幹線とかホテルとか実家とかどこかで大変になるとは思うが、Sがあの街に一緒にいると思うとそれが嬉しい。 ということでしばらく更新止まります。
2006/03/25
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不惑の40歳となった初日から迷って惑っている…。 2校目の講師として、昨年1枠しか入っていなかった所を蹴って(継続せずに)、最大2日間で9枠まで増やせるようにしておいた。 ところが昨日来た話は、1日で2枠…。微増である。距離は前より近くなるが、なかなか大変な(荒れてる)所だと思われる。 指導補助で行っていた学校は、ありがたいことに、「空いた曜日はまたぜひに」と言ってくれているので1日はそちらに行けば一応生活は成り立つのだが、ここで決定してしまっていいのか、それともこの後もっといい条件が飛び込むのを待つか…株を売るかどうするか…みたいな感じになってきた。 あと1枠はないと、講師としての立場が少し違い、ボーナスが出る出ないまで変わってくるので、ばくちに出て、断って、そのまま1枠も入らない…となると、かなりの大損である。 とりあえずの向こうへの返事は「月曜日まで考えさせてください!」 それまでに他からオファーがあればまた再考、なければ現状でイエス…ということで、留守番電話やメールの転送を頼りにして、日曜日には帰省してしまうのであった。
2006/03/25
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しまったー。年度末や旅行のことでバタバタしていて、今日一日を普通に過ごしてしまった。 今日から私は春休み。勤務校も息子Sの学校も修了式だが、授業がないから出勤はしなくてよかった。 まず、朝、Sを送って今年度最後の登校。 で、家に車を取りに戻って、下関に送る荷物をコンビニに持っていき宅急便の手続き。 その後、しばらく行けないので、整骨院に。その際、車を止めたデパートの駐車代を浮かすために本などの買い物。 お昼ご飯を安いイタリアン(サ○ゼリヤ)で食べて、さっき買った『ドカベンプロ野球スーパースター編第11巻・ドカベン対野球狂の詩』を読む。 職場の卒業式にはかまで行った妻を迎えに勤務校に。早く着きすぎて車の中で寝まくる。 家に帰って妻が着替えたあと、息子Sの小学校へ。認定就学のため、担任・学校長・教育委員会(指導主事)・私たちとの学期ごとの話し合いがあり、またのちのちは養護学校の方が…というお話を聞く。 で、家に帰ってきて、妻は職場の納め会に出かけ、残されたSと遊んだり遊ばなかったり…おしっこに連れて行ったり、ズボンにおしっこがかかってパンツを洗ったり…。 そんな今、思い出した。明日は誕生日だった。毎年、たいてい忘れるが、今年は40歳の『不惑』になる年。 つまり、今日は30代最後の一日だった! 飲みに行ったり、悪さでも?しなければいけなかったのに! もうすぐ40歳になるにあたって思うこと…たいしていつもと変わらんなぁ…。 でも成人式(行ってないけど)の日から、また同じ分(2倍)も生きたかと思うとかなりびっくりしてしまうのであった。
2006/03/24
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10年慣れ親しんでいた大手スーパー(小型デパート?)が大幅にリニューアルしてオープンした。 某大手衣料量販店や某大手電化製品店も入り、レストラン街も充実…たぶん長期的に見れば『よかった』と思えるのだろうが、今日だけの感想では、非常に居心地が悪かった…。 今まで少しずつ店の位置や売り場が変わってもそれについていけた。ところが今回は、勝手知ったる場所が突然知らない場所に変わってしまっている。右も左もわからなくなるし、自分のいる位置がわからない。さらに、場所が変わったけど同じ門構えの売り場などがあると、なんだか気持ち悪くなってきた…。 ふと、『変化に弱い』自閉症児・者も、ちょっとした模様替えとかでこんな気分になっているのかなあ…と思った。 Sもよくこの店に来ていたので、今度初めて連れてくる時が心配である。(どうなるか楽しみでもあるが…それはいじわるか)
2006/03/23
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ブログで、よその地域の方が「卒業式と離任式が同じ日」というのを見て、「いいなあ、それ」と思った。 私の働く地区では、3月上旬に転勤先が本人にはわかり、でも4月1日まではトップシークレットなのでややこしい。秘密と言われても教員同士では教えてしまうが、生徒や保護者には秘密厳守のままだ。だから春休みの3月中などは、部活動の生徒にばれないように、夜、荷物を車に運び込んだりして、夜逃げみたいである。 今行っている3校のうちのA校が本日最後の授業だった。ここは地元(息子の通う小学校のとなり)なので、何としてつないでいきたい所だが、幸いにも来年度も同じ講師時数が確保できた。 来年度のことについては、講師も基本的には教諭と同じくまだ秘密の時期である。採用試験に通って来年度から教諭…とかいう時は特例というか、他の先生がしゃべっていたりするが、そうでなければ、もともと1年契約が基本とはいえ、あまり言わないものだ。 A校には残るのだが、今年度担当していた2年生については、来年度は教えない予定だ。3年生の社会科は週2.4時間と端数なので、講師が入りにくい。でも選択授業は3年生も持つ予定なので、「校内には、いる」 「でも授業では会わない」 「でも一部教える人もいる」 というややこしい状態なので、どこまでさよならを言うのかは少し迷った。 しかし、いつか翌年いない時が来るのだから、その時に悟られないように毎年同じパターンにしておこうと、一応サヨナラのつもりで授業の最後では別れるつもりの話をした。 特に今回は、初めての地元校での勤務だったので、来年度ここにいようがいまいが、5年後、10年後、20年後…といつまでも顔を合わせる可能性の高い人たち相手だった。今までの勤務校は自宅から遠かったので、『よその街』に行っている時しかたいていは会わなかったのだが、今後もそうはいかない。 いろいろ考えているうちに「やばい」と思ったのは、べろんべろんに酔って終電で眠っているような時に「この人たち」には会う可能性があるのだ(数年間はまだ大丈夫だが…)。 そこで、その時になってお互いに驚かないようにそのあたりの指導?もしておいた。 街で会ったら、大声で「先生」とか呼ばない。そしてまず自分の名を名乗ること。こちらはゆっくりと年老いていくだけだから誰かわかるだろうが、若者の急な変化はたいてい他の人にはわからないのだから。(本当はこっちが忘れるからだが…) さらに君たちがもっと大人になると終電車とかになるまで仕事をすることもあるだろう。その時に私が酔っぱらっているのを見つけたら… そっとしておいて起こさない。 口が開いてヨダレが出ていたら、口を閉じてあげる。 終点についたら「お客さん、終点ですよ」と言って起こしてあげる。 足元がおぼつかないようなら連れて降ろしてあげる。この際、財布を盗んだりしてはいけない。 タクシー乗り場に連れて行き、乗せたら「行き先は?」と大声で聞いて、私に言わせる(自宅の位置は秘密にしている。でも近所のヤツもいてかなりばれているが)。 そして、自分のポケットから千円札を出して、タクシーの運転手さんに渡す。 こういう風にお願いします…という指導が今年度最後の授業であった。
2006/03/22
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本日、義理のいとこ(ぎいとこ?)の結婚披露宴に参加した。なんと夫婦プラス自閉ッコSまで一緒に招待された。 結婚式やお葬式や法事での自閉症児…といえば、親戚一族から白い目で見られてつらい思いをした…とよく聞く話の舞台である。 いとこは現在は高校教師だが、元、中学校の特学で介助員をやっていたり、新婦とも公営の児童福祉施設の仕事で出会った…ということなので、そういうことも織り込み済みで招待してくれたのであった。「出席者の多くが慣れてて気にしない人たちだから大丈夫ですよ」とのこと。 そしてさらに重大な任務が…『新郎新婦に小さい子が花束を渡して代わりにお菓子をもらってくる』 あれをやってくれとのこと。 「途中で消えている可能性が高いから…」と断ろうとしたのだが、「当日のその時にいなければ、もう一人の子に2つ渡してもらうから大丈夫」と言われ、引き受けた。 そこからは任務を果たすために色々やった。 「花束を渡す練習」…親戚が集まったお彼岸に、新郎はいなかったのでその母に、墓参りの菊の花(笑)を渡して練習した。 「進行表の入手」…中座しても進行をにらみながら復活の時を探り、出番にちょうどご機嫌でいられるように大体の時間をシミュレーション。 「持ち込みグッズ」…よく読む雑誌・絵本、マイジュース(サイダー)、マイ食料(米せんべい)など、料理に興味がなくても席になるべくいられるためのグッズを持ち込む。 そして、迎えた当日。なにかとついていた。会場には広い中庭があり、到着してから式までの間(披露宴の前)ずっと1時間、走り回ったり、芝生でゴロゴロしたりして発散できた。式終了後の親戚集合写真のため室内へ。待つ数分間、そこにちょうど「クッションのよく効いた大きな椅子」があったので、靴を脱いで跳びはねて待つことができた。 そして写真。最後にあとから列に入れてもらえたし、写真屋さんがテキパキとしていて、子どもの目をひく光り物を手に「こっち見てー」とかやっていたのでちゃんと撮ることができた。帰省は響き渡っていたが、声は写真に写らないからOKだ。 披露宴が始まった。主賓あいさつの間に「プォーウ」と余計な合いの手を入れたりはしたが、なかなかいい子で座っていた。「お店のイス最長記録」となるであろう30分くらい座っていた。料理にも、Sが食べられる、エビのしっぽ、さやえんどう、紅ショウガ…などもあっていつもより長持ちしたようだ。 その後も中では大騒ぎせずに、やばくなると自分で席を立って室外に行こうとするのでついていき、ついでにトイレに行かせては扉の外で遊ぶ…という感じで過ごせた。 そしていよいよ花束渡しの時刻に…。最高にご機嫌の状態にうまく仕上がった。ゲームの『ダービースタリオン』(古い)で言えば、「気合いものって絶好調です。」という感じだ。 妻がついていって直前からは一人で進ませて、無事に渡した。ブラボー! だが、渡したらそのまま奥の方へ走り込もうとしている。 しかし、新郎がナイスキャッチして、もう一人の女の子と共に肩に抱き上げた! 見事に自然な動きだ。ただ、肩の上でわざとそったりして落ちそうなSはとても不自然な子どもだったが…。 そして女の子に手を引かれ戻ってきた。よくやったぞS。これでいざとなればいつでも帰れるぞ。 しかし、料理はこれからがメインだ。父母は交代でSにつきそったりしながらも、全部食べられた。Sはその後、扉の外のロビーで過ごすことが多かったが、お色直しの新郎新婦ともそこで会えるし、なんだかんだ最後までホテル内にいることができた。 終わったあと、親戚のおじさんたちに、「えらかったねえ」とか「本番に強いねえ」とか「大役ごくろうさま」と言われていた。 普通に考えれば、相当な回数出たり入ったり、全然いい子ではないのだが、日頃のことでよく知ってもらっているのでこれでもほめてもらえるのだ。お得なヤツだ。 親戚に『障がい児と過ごすプロ』がまた一人増えたので、とても嬉しい。 心からおめでとうございます! 親が安心してこの夫婦にSをあずけられますから(笑)。
2006/03/21
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いよいよ下関への家族初帰省まで後1週間となって、わくわくしてきた。 息子Sは『2度』の療育手帳をとっている。生活の実感としては『3度』くらいなのだが、審査の時に入り口で泣いた甲斐もあって?か、より重めの手帳がとれた。我が家は、家のローンの支払額とじじばばもふくめた生活費の支出が大きく、夫婦二人で働いていても、お金はそんなにない。だが、稼ぐ金額は二馬力なので、日頃はこの療育手帳のおかげで得した(家庭に経済的な援助金が出ないため)という実感がほとんどないのである。 しかし、今回、鉄道の料金は、療育手帳のおかげで半額だ! 乗車券が半額になった。 本人と介助者1名の分が半額なので、本来なら大人2名と子ども1名で『2.5人』のところが、『1.75人』だ。 でも残念ながら、新幹線特急料金には関係ない…実はこっちの方が大きいのか…。 乗車券もなんか『1.75人』ってほど安くないなあ…と計算してみると、乗車券の往復料金(割引されている)の半額ではなく、『片道で買ったときの料金の半額を2回分』という計算なので、イメージより少し高くなっていた。気づく方も気づく方でせこいが、わざわざ片道にして料金を上げるJ○東日本さんもせこいぞ。 安くなったとはいえ、それでも家族で10万円…。高い。 四国とかまで家族4人で車で帰省する人が同僚にいたが、「なるほど」である。乗用車なら、乗れるだけ乗っても、ひとりでも同じ金額だからなぁ。 これも療育手帳を使うと高速料金が半額になるそうなので、本来ならこの方がいいかもしれないが、ひとりでずっと運転するのもいやだしなあ。 飛行機という手もあるが、下関は、宇部空港からバスで1時間かかるし、新北九州空港ができても時間は同じで変わらない。もちろん新幹線よりは早くつくが、値段が高い割にはそう早くもない。 新幹線が、人気で勝つにはあと一歩、今後の料金設定次第だと思う。(今後の割引に期待!) 車の場合だが、うちの妻は運転免許証を持っているが一度も公道を運転せずにもう20年以上が経っている。高速道路を運転できるまでになるのはちょっと難しそうだ。 日頃運転していないと『どれくらい運転できなくなるものか』 数年前のこと、「エンジンかけといて!」と私がカギを渡すと、 「どうやってエンジンかけるの?」と聞きかえしてきたのであった。 さすがは『ゴールド免許証』!
2006/03/19
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テレビ局というのは、どうしてこうも『ガチンコ対決』したがるのだろう? こういう言い方も失礼だが、時間帯によっては、「まったく見たい番組がないなあ…」という時間がある。もちろん個人の好みもあるが、やはり「気を抜いた時間」というか、勝負していない時間になるのだろう。 本日、関東地方においては、この傾向がすごすぎる。午後3時頃の民放各局は、企画ものの再放送とか、これから放送する番組の宣伝とか、最終回に向けてここまでのあらすじ…みたいなものばかり。 で、午後9時になると、「どれも見たい!」と思わせるようなラインナップだ! 映る地上波がうちでは7つあるのだが、 NHK…ホリエモン・虚飾の膨張…見たい。 NHK教育…すくすく・外遊びの魅力…これはいいや。 日本テレビ…女王の教室・エピソード2…昨日も見たし、絶対に見たい。 TBS…世界・ふしぎ発見!アトランティス出現モロッコ…いつもはよく見る番組だが今日は他に少し負けているか。 フジテレビ…南極物語…昔見たけど、ハリウッド版をけなすためにも日本版にやや興味アリ。 テレビ朝日…愛と死を見つめて…今日・明日って、一番困る所にぶつけるなよ。明日は輪舞曲もあるのに。 テレビ東京…出没アド街ック・下町・町屋…ちょっと見たかったけどなあ。 と7つそれぞれ、日頃だったら見ますよ…っていう感じなのに、ぶつかっていて選択を迫られているのだ。 たぶん、どこかが視聴率とりそうな企画をやろうとすると、みんな、せいいっぱい邪魔しようとするのだろうが、できれば、お互いに「どうぞ」という曜日とか枠を作って、その時間は独占的に視聴率も広告料もがっぽり…という風に住み分けて欲しいのですが…。 そういう談合なら大歓迎! と書いたものの、目的は「自分が一日中ゴロゴロして、見たい番組が、うまく続いている」という状況を作りたいだけであり、各テレビ局の企業努力をまったく無視した失礼な発言であることを深くお詫びいたします!
2006/03/18
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今日は仕事が早く上がれたこともあり、スポーツセンターに水泳に行った。 私は泳ぎが不得手だったので、それこそ高校や大学の授業の試験で50m泳ぐにも、たどり着く頃にはほぼドザエモン状態…という人だったのだが、今年、時々泳ぐことで、やっと平泳ぎで手と足が邪魔をしあわなくなったので、250m(自己新)連続して泳げるようになった。 よく、『200m泳げるようになったら、何キロでも泳げる』と言っていた先生がいたが「嘘だったな」と実感している…。それ以上は疲れて一度には泳げん! さて、そのプールには、そばに、泡の出るお風呂みたいなのがついている。泳ぎ終わった後、そこで筋肉の疲れがとれるのでとてもよい。 水着のまま、混浴である! が基本的におじいさんおばあさんがほとんどのプールである…。 今日、私がそのお風呂で疲れをとっていると『板垣退助(昔の百円札)並みのひげをたくわえた一人のおじいさん』が、入ってきた。 しばらくして話しかけられた。 「ここはいつもこんなにすいているのかね?」 「今日は、さっきまで団体さんで混んでたんですが、今すきました。でも日頃も冬の夕方は客3人・監視員3人とかすいてますね。」 と応対していると、そのうちいろいろとノって話しかけてきた。 (しまった。火をつけたな…)とは思ったのだが、なかなかおもしろいおじいさんだったので、結構楽しかった。 77歳とは思えない若さだった。たたみかけるような話術にのせられて、職業から家から出身地までいろいろとしゃべらされた(笑)。もちろん、向こうが先に『言いたがる』から、流れでこちらも言わざるをえなかったのだが、しまいには子どもSの障がいのことまで話す羽目になったのだから、まあおもしろいというか聞き出すのが上手なじいさんだ。「私も子どもの頃は言語障害があって」と流ちょうなことばで話していたが、どうだかなあ…。 その人はある村の中学校のすぐそばに住んでいるそうで、「よく遊びに行っている」とのこと。この前はこんな歌を教えてきたと、『プールの風呂で歌』まで飛び出してしまった。銭湯じゃなくて、あくまでプールの横のお風呂なのだが…。実はその中学校の先生に知り合いがいるのだが、名前を出すとややこしいことになりそうなので(実は中学校としては困っているとかだとちょっとなあ)、それは黙っておいた。 最終的には、とにかく 「山の神様に、おかみさんに感謝しなさい」と「玄米を食べなさい。肉はイカン!」ということを20回ずつくらい言われた。 おじいさんは元もとは山の炭焼き小屋にいて『仙人』のような暮らしをしていたと語っていた。今日は、30年ぶりの水泳だとか…。そして、今は中学校のそば…山のふもとにおりて生活しているとのこと。 「今、私は、『神様』と村の人に言われてますよ。『村の神様』とな。いやあ、なに、名前が『村上』なもんで、『村上様…村の神様…神様…わっはっはっは』と最後までマイペースなのであった。
2006/03/17
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中学校社会科の選択授業として「社会福祉」というテーマで募集をかけての1年間の授業が終わった。 集まったメンバーによって、各校(3コース)で多少の内容の違いはあったが、まあまあの手応えはあった。 昨年度、小学生を相手に総合的な学習の時間でやったときの方が成果はあった気もするが…。 主な内容としては 1 現在のニュースから「社会福祉」に関係するものを探して発表して、問題点などを学ぶ。 2 ビデオ学習 3 テーマを決めての調べ学習と発表(ほとんどの期間がこれ) 社会福祉と名乗ってはいるが、全体的に「障がい」のことにちょっとかたよりすぎた内容である。 ある学校では、3の調べるための時間を無駄に過ごし、発表がしょぼしょぼになり、もう一度立て直して「福祉ムード?」を作るのが大変だった。 1はその時のタイムリーな話題にも左右されるし、自分が良質なものをかなりそろえてきたと言えるのは、2を使っての学習だ。 映像だと生徒の心に入っていきやすいし、知的好奇心もくすぐりやすい。 たとえば、ダウン症の話題の時に、「秋雪君」の話も入ったドキュメンタリーを見ると、やはり心に響くのである(松田聖子が出たドラマの方も見ている生徒も結構いたので)。だらけていた人たちが、また「ちょっとがんばろう」という気になったりした。今日の持ち物「ハンカチ」が涙を拭くのに役に立ったりもした。 ただ、こうした授業方法のノウハウをもし確立しても、何となくいばって紹介していけないのが、著作権や肖像権の問題をクリアしていないというか、ごまかしてしまっているからだ。 自閉症・ダウン症・スペシャルオリンピックス・障がい者の就労などをテーマにした、「自分が見ていいと思ったテレビ番組」は、NHKと民放それぞれのテレビ放送をそのまま流している。 ただし、見たときに書いている「ビデオ視聴カード」に、必ず「放送局名」や「番組名」などの出どころを明らかにして書かせている。 それだけでいいのか、本当はちゃんと制作局に届け出がいるのか? ちょっとわかっていない。「学校教育のため」許されている範囲…というのがあったと思うのだが、ちゃんとは確認していないのでぜひわかる人に教えて欲しいと思っている。(マス・メディア関係の方、あるいは詳しい方、ぜひお願いします) ついでだが、基本的には私は著作権・肖像権を守ったり、守るよう公民の授業でも教えている立場だ。行事担当の時に、権利関係に詳しい音楽の先生が、合唱コンクールのパンフレットに学年合唱の歌詞を載せるため、ちゃんとJASRACに届け出て5000円くらい支払った(もちろん行事予算から)ときは感心した。他の学校はまずこんなことそうやっていないと思うのである意味珍しいパターンだと思う。(これを教えてくれた先生は今や某ミュージカル劇団の役者さんである) よくバスレク用にクラスで作ったりする「歌集」は実はものすごく権利侵害をしているし、でも逆にあれをちゃんと払おうとするととんでもない金額になることも知っている…。 しかし、今回の件をちゃんと確認していないのは、『ダメ』とわかるとその活動が止まるので、それも困るので、正式に確認せず、『知らなかった』ことにしようと思っている…。勝手に編集してサイズを縮めたりすることもあるしな…。ここで教わっても、やることはあまり変わらないが、一応知っておきたい…ということなのだ。 そのほかの映像として、養護学校の授業紹介ビデオなども使っている。これは本当は校内の保護者向けに作ったものだったので、一部の親には許可を取ったが、もちろん全員…とはいかなかったので、学校名を伏せて使っている。 でもこのビデオで、時に真剣に、時にふざけて、時ににこやかに元気よく、養護学校の生徒が活動している様子を見ると、すごく驚いて身近に感じるようだ。通常級の子達は、なんかもっと暗い世界を想像しているようなのだ。これは、探せば紹介ビデオの正式なものが近場の養護学校にもあるのではないかと思うので、後々手に入れたい所だ。 そして、どうしても手に入らないので、自分で作ってしまったのが、『療育風景』の映像。通っているセンターの先生にお願いして、我が子SのST(言語聴覚療法)とOT(作業療法)の様子をとらせてもらった。使い道まではちゃんと言わなかったが、「小学校の先生に見せていい」と許可をくれたくらいだから大丈夫だろう。 ただ、このビデオには大きな問題点があった! 画像だけ見て編集したときは気がつかなかったのだが、生徒の前でかけたときに恥ずかしい思いをした。 カメラを撮っている私の笑い声や子どもに話しかける声が入りまくり。しかも、ちょっと「いいパパ」みたいな感じで猫なで声でSに呼びかけたり、先生の質問にデレデレと答えていたり…。美人にメロメロな所をしっかりチェックされてしまったのであった…。
2006/03/16
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今日の午後、整骨院に行った。治療中に、偶然、花粉症の話になり、「眠くなるから飲んでなくて」という先生に、「市販のだけど俺の飲むヤツ軽いからか眠くないですよ」と推薦して、ある薬を見せた。 「服用後は車の運転をしないでください」と一応は書いてあるが、『いつでもどこでもすぐ寝てしまう病』の私が特に眠くならないのだから、大丈夫なのだと思う。 で、そんな話までして実物を見せたにもかかわらず、商品名をメモしてもらったらすぐにまたカバンにしまい込んでしまった。 治療が終わって整骨院を出てから気がついた。 「ちょっとお試しを…と1錠でもあげるべきだったなあ…俺も気が利かないというか、ケチだなあ…」 駐車場に車を取りに行っての帰り道にまた整骨院のそばを通るので、その時にもう一度寄って、「よかったらどうぞ」と渡して『いい人』となった。 そして、整骨院を出た直後、若い女の子二人組に呼び止められた。 さっき、横断歩道で、青信号の点滅時に「どうぞ」と通してあげた二人だ。「お礼にお茶でも」とでも言われるのか(言わねえよ)と思ったら、 「先生!」 「なぬ」 「やっぱりそうだ!さっき横断歩道で顔を見たときに『アレ!』と思ったので追ってきたんですよ。角を二つ曲がって車が止まっていたから、このあたりのどこかの店だと思って待ってたらすぐ出てきました」と笑っていた。 こちらは全然気がついていなかったのだが、4年前に送り出した卒業生だ。そしてそのうちのひとりは、先日の日記に書いた「福祉関係の仕事を懸命にやっている子」だった。 この子たちを教えた学校はこの駅から1時間以上離れた所だ。そしてこっちの方が田舎だ。なんでまたこんな所にいるのだろう?と思っていると、 「兄がこっちで美容院を開いたので、その宣伝ビラを配っていた」とのことだった。で、人通りも少ないし寒いし、もう帰ろうと思って車に戻るときに見かけたとのこと。 少し話をして、地元ということでビラを10枚くらい持たされてから(笑)、別れた。 それにしても、花粉症の話 → 薬を渡そうと珍しく親切にしたから通り道が変わった → ちょうどその時帰ろうとした教え子が横断歩道に → 珍しくギリギリで渡る歩行者に道を譲る → 向こうがこちらに気がつく → 追いかけて追いつける程度の距離で車が止まる → 店からすぐ出てくる …といういくつもの偶然で成り立った再会だったので、さすがに笑ってしまった。 彼女たちと別れてから思ったのだが、「寒い中、がんばってたんだし、せっかく追いかけてきたんだから、それこそお茶ぐらいごちそうしてやるべきだったかなあ…俺も気が利かないというか、ケチだなあ…」 ふりだしにもどっていた…。
2006/03/15
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今日はブログの小ネタがたくさんありすぎて、日付を変えて小出しにしようかとも思ったが、すると忘れるのでそれぞれ少しずつ記入することにした。 まずは指導補助員として行っていた中学校の特学でのこと。朝、一日の流れを確認するのに職員室の時間割を見て、本日の2時間目の所に「お別れ会」と小さな文字を発見。クラスのものは先週やったし、学校全体の三年生を送る会は午後だしなあ、むむむ。 (うーん、これは俺ともう一人の若い先生のお別れ会にちがいない…気づいてないふりをしないといけないな) そんな朝一番に、ダウン三兄弟のA君とB君の戦いが再び…。先週とまったく同じ場面で、Aがじっと見つめていた。教室のドアの所から、じっとBを見ている。「今日は悪口言っちゃダメだよ」との私のことばにうなずいて、確かに何も言わなかった…。 でもじっと見つめるのも、ストーカー行為である。そのうちしつこさに怒ったBが「このやろー」と追いかけ始めると、Aは喜んで1階へ逃げていく。もうほっといた。 しばらくすると、右耳を押さえたAが「痛い」と言って戻ってきた。ちょっとだけ赤い。 「何されたの?」 「耳、グリグリされた。」 「殴った」とか「たたいた」ではなくて、その「グリグリされた」に吹き出しそうになったが、一応、両方に指導らしきことをして終わった。 1時間目はそのB君とのマンツーマンでの数学(時計とお金)のお勉強。さっきは「謝らない」とか言って固まっていたくせに、今度は一転、ニコニコがんばって、今までどうしてもできなかった時計の「何時半」の所の問題を次々とクリアして、私を喜ばせた(家でテスト向けにがんばった成果のようだ)。 1時間目が終わって、一度職員室に戻ると、私たち二人が教室に行かないように(教室は会の準備中)、主任のS先生はできたての卒業アルバムを見せ始めた。「二人は今しか見るタイミングがないから、少し見ていていいですよ。後で呼びに来ますから」と言われたので、笑いをかみ殺しながら「はい、そうします。」ちょうどそこに校長先生(以前書いた、いい校長)が来たのでごあいさつなどしていると、そのうち主任の先生がもう一度呼びに来た。 教室に向かって歩きながら、「すみません、わざわざ僕らのために会なんて…」 「えー、ばれちゃってた?」 「なんかみんな芝居がかってたので…」 で、会が始まりみんなからメッセージを言ってもらったりして、なかなか感動した。考えてみれば講師をやっていての通常級での授業は「はい、さよなら」なので、こういう経験もなかなかできないなあ、ありがたいものだなあ…と思った。 ちなみに3・4時間目はいつもの授業。ダウン3兄弟のC君はいつも通りイタズラをして「一緒に正座」したり、鼻血を出す子がいたり…最後までてんやわんやであった。 次は、夕方からのSを連れての療育センターでのST(言語聴覚訓練)。1年半(数えてみると34回)お世話になった先生が、大学院で勉強するために退職することとなり、本日が最後の回だった。始まるまでに何回かは「今日で○○先生最後だから、泣かずにがんばります!」とSに話してはいたが、この男はそんなのは関係なしなのでどうなることやら…と思っていた。 が、今日は久しぶりに、課題を完璧にこなした! えらいぞ、S! 先生にも「自閉症児の実験や研究のモルモットが必要になったらご連絡ください(笑)」とお話をして終わった。考えてみれば、最初の頃は泣いてばかりだったが、ここでのやりとりを通じて、学校や家でも「やりとり」を楽しめるようになってきたように思う。本当にありがたいことだったし、先生が若くて美人だったので、何よりも行く楽しみが半減して父は残念である…。 家に帰って、先の主任のS先生からもらったDVDを見た。実は、6年前から3年前までも一緒の職場にいた方なのだ。私が養護学校に転勤して去っていった学年(その時、中学1年生)をその後卒業させてからこの職場に来た方で、それまでの生活指導バリバリの通常級での生活指導主任姿もかっこよかったけど、ここでのギャグ全開・ていねいさ炸裂の指導もとてもすばらしく、『天職だな』とはたから見ていた。私はこの『縁』あって、今年度この特学に呼んでもらっていたのだ。 そのDVDはその前の中学校のその学年が卒業するときに、生徒に見せるように作ったというもので、音楽に合わせて写真が少しずつ切り替わるというものだった。 入学式から始まって、1年生の時の行事、そして2年生…と進んでいく。 驚いた。知っている人が時々出てくる…というだけなのだ。もちろん全員社会科の授業で教えたので当時は知っていたし、4分の1は自分がクラスで担任した子たちなのに…。やはり、1年かぎりのつきあいだと記憶に残りにくいのか、それともその次の年の自分が大変すぎて(養護学校でのいろいろ)ふりかえるための記憶が飛んだのか?いずれにしても、知らない生徒がたくさん、名前が思い出せるとなるとさらに少数…がく然としたのだった。 3年生ともなると本人たちの顔が変わるので別人である。ほとんど知らない人の方が多し…という状態になってDVDは終わった。いやあ驚いた。よく卒業生に入学式の頃からの写真とかスライドを見せて、「別人」のような幼さで笑いを取るのだが、幼い方だけ知っていて大人になった顔を見ると、「ここまでわからない」とは驚きだった。 そして最後に、さらにその前に行っていた中学校の野球部での教え子のこと。 昨日連絡があり、○○小学校で新規採用の候補として面接に呼ばれたそうだ。 なんと、うちの息子の小学校ではないか! すばらしい。 また新たな『縁』が生まれそうである。
2006/03/14
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Sはいわゆるおしゃべりができないのだが、感情に合わせて喃語をよくしゃべる。 「ババッビビグビビビビ」とか怒り気味の時は濁点のついた音が入っている。得意なのは「あ」に濁点がついたような音。 機嫌がいいと「パピチュピチュピ」みたいな優しい感じの音が続く。 今、ご機嫌だったので、「プォーウ。プォーウ。」とか言いながらウロウロしていた。 なんか聞き覚えのある音、節回しだなあ…と思いながら、聞いていたが、1時間くらいたった今やっとわかった。 テニスの試合中の『シャラポワのかけ声』だった。
2006/03/13
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のどかな日曜日の午後、公園で息子Sと遊んだ私は、帰ってきてから、インターネットで調べものをしていた。 Sは左後ろの窓辺にもたれてくつろいでいた。 平和な午後だ。 しかし、その平和を打ち壊すようなにおいがただよってきた。 ふとふりかえると、Sが手に何か持っている…。 「ああー、だめー!」 手に持った『カメムシ』を引きちぎっている…。ああ最悪。 何とかカメムシ(ひん死状態)をビニール袋に入れたいが、それを取りに行く間に、Sがそれを口に入れたり、まき散らしたりが心配だ。 助けを呼んだが1階まで聞こえなかったようで妻は来ない。仕方がないので、手元にあったティッシュペーパーで、ひとまずSの手のカメムシを取って、Sの手をつかんだまま台所まで行き、ティッシュをビニール袋に入れて、Sの手を石鹸で洗いまくり…。 大変だった。 気になることがひとつ…。どうもカメムシの体が全部はそろってなかったように思う…。探すが落ちてない…。疑って、Sの口のにおいをかぐがわからない…。でもかなりあやしい。 虫をつぶしたり食べたりしてはイカン…とそのあとお説教するも半べそで効果のほどはあやしい。 あとで、妻に報告したときに、「さすがに、あのにおいで懲りて、学習するだろう。もうやらないよ。」と言った瞬間に思い出した。 こいつ、『2回目』だ…。
2006/03/12
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今日は、天気がよかったのと、家で持ち帰りの仕事をしたい妻に追い出されたのとで、息子Sと二人で近所の小学校の校庭で遊んだ。 近所なのだが、Sが通っている小学校ではない。うちは学区の端っこなので、今行っている小学校が通常の所で、他学区として希望すればその近い方の小学校にも行けるという住所だ。 ただ、うちのSの場合は養護判定だったので、通常級には通わないから、ここは我が家の選択枝にはなかった(今、行っているのは学区の小学校の特殊学級)。 近所のこの学校はとても小さな学校で、いわゆる山の分校という感じだ。今行っている方は、学年3クラスずつ、息子の特学クラスも全員で12名もいる大所帯である。一方、近所の学校は、学年1クラスで各5人くらいしかいないそうだ。 まさに山の分校(本当はどこかの分校というわけではなく、伝統ある本校なのだが)である。20年前、当時大学生の私は、友人カップルと一緒に今の妻の実家に遊びに来て、この小学校の校庭で遊んだことがあった。今日ふとそのことを思い出したが、ほとんど当時と様子が変わっていない…。昔ながらのいかつい遊具があって、そこに手作りの遊具が加わって、そのひとつひとつがなんだか懐かしい光景(昭和の風景)のようなのだ。 いかついのは、両側に滑れるすべり台、高鉄棒、うんてい、ジャングルジム、のぼり棒、ブランコ、サッカーゴール…など。手作りなのは、松の木からぶら下がるブランコ(ハイジの気分)、たくさんのタイヤが半分埋まっているもの、棒状の木材を高さを変えて埋めているもの、コンクリートの壁に描かれた的当て、手作りサッカー(ラグビー?)ゴール…などである。 Sは完全貸しきり状態で2時間くらい楽しんだ。特にその「松の木からぶら下がるブランコ」の長いロープの大きな振り子にすっかり夢中であった。いつどこに行ってもすいている(貸しきりなので)ので、時々他に行って、ちょっとやってはまた次に移動する。 誰か来ればそれはそれで楽しそうなのだが、もともと全校生徒が少ないのだから、誰かと会える可能性はほとんどない。 そういえば先月来たときに近所の小さい子がおばあちゃんと来ていた。Sも幼稚園入園前にじいちゃんとよくここに散歩に来ていたそうだが、授業中とかに校庭に入っても怒られないどころか、用務主事さんと友だちになって、果物なんかもらったりしていたようだった。今のご時世のセキュリティ対策を思えば、まったくのどかである。 自閉症のS、日頃はなにかと人とふれあわせようと無理?もさせているが、たまにはこんな貸し切りもいいかな…。 広い場所をひとりで貸し切るなんて、一昔前のマイケル・ジャクソンのディズニーランド並みだぞ! (まあ、あの人は結局ネバーランドを自分で作っちゃったけど…)
2006/03/11
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おととい「ゆびとま」の私書箱メールが来ていた。「ゆびとま」は巨大同窓会サイトである。自分の出身校だけでなく、教職員の登録もあるので、全部ではないが数年前に登録してあった。 ある中学校の時に少しだけ教えたことがあるけど、すぐ転校してしまった…という男子(23歳だから、もう子じゃないか)からのメールだった。 「○○先生は、うちの兄が習ったかもしれませんね」というメールだったが、どう考えても兄の名前よりも、その本人の名前に記憶がある。その時代はまだ全校の生徒名簿が配られていたので調べてみると、やはり2年生の時に少し教えていた。 本当に自分が習ったかどうか覚えてないのか、謎は深まったが、「近況でも教えてもらおう」とまたこちらからもメールを出した。 「現在、○○県で農業をしています。3年前に結婚して、去年、父親になりました! 」 との報告があった。 仕事・結婚・出産…って、いっぺんに聞かされて、いっぺんにおめでとう…となって、やりとりが終わってしまった。 やはりこういうのは、小マメに少しずつ聞くのがいいものだと思った。 ところで、彼と、『どの学年だったか』を伝えるやりとりの中で、私からは「うわばきが青の学年?」というような3年周期の聞き方をすると、「O とか I とかがいた学年です」と答えがあった。 その二人はその学年を代表する「こまったちゃん」男子だったのでとてもわかりやすかった。先日、他の人も「Oの学年です」と名乗っていたが、うちの学年、280人以上いて8クラスもあったのに、その中から誰もが選ぶ「O君」、お前ある意味すごいぞ!(何でこういうとき、いい方で目立った人の名前でないかは不思議だ。どちらかというと荒れてる学校だからこうなるのだろうか?)
2006/03/11
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一昨日の社会の授業中、前から3番目の席で、一生懸命何かレタリングの文字を書いている少年がいた。 隠れて漫画読むとか、他教科の内職をやるとか、そういうのには即対処するが、話を聞きながら紙に落書きしているとか、社会のプリントにせっせと絵をかくとかは、「暇つぶし」として黙認している。まあ、本当にこちらが引きつけているすばらしい授業のときならそんなことはしないだろうし、眠気覚ましにもいいか…といい加減な対応である…。 先ほどの少年、本人は気付かれてないつもりだが、こちらは何という字を書いているのか完成を楽しみにしながら時々見ている。大体この男、日ごろは元気にいろいろと発表する男なのに、その日は元気がなくて黙っているのでは、それだけでも充分ばれるのに、のんきなもんだ。 途中、『湘南』という文字が完成するのが見えた。私の予想では『湘南爆走族』(なつかしー)。まだ流行っているのか? ちょっと前は、『特攻の拓』とかだったが、また復活したのか…など授業も上の空で気になっていた。(授業者がこれでは困るが…) 授業が終わる頃にもう一度遠くからのぞくと、『湘南の風』と書いてあった。 授業中のイタズラ書きに気付いてないと思われるのも何なので、授業後、廊下を歩いている後ろ姿に 「おい、湘南の風!」と呼びかけてやった。 なかなか驚いたらしく、「えっ!見てたんですか。やべー」と言いながらもなんだか嬉しそうだった。 ところがこの少年、次の時間に数学のテストが戻ってくるのがイヤだったのか、そのまま少しエスケープ。学校のまわりをウロウロして、10分くらい遅れて教室に戻ってきたらしい。 その話を聞いたので、職員室で学年の先生に、「あいつ、その前の時間、授業中になんか、族のチーム名を考えたんだか、『湘南の風』とか書いて、ボーッとしてましたよ。」 なんて情報を一応流さなければいけなくなった。 ちなみにまわりの先生の反応も、「まったく、ここは『湘南』じゃないし、そりゃだめだろう。センスないな」とかそんな感じだった。 そして、今日の音楽テレビ番組を見て唖然…。 『純恋歌』 「湘南の風」 …って、グループ名だったんかい! しかも、長渕剛の『巡恋歌』と漢字が違うし! いやいや、おっさん達は流行からおくれてるし、さらに先公という職業の人たちは、すぐになんでも暴走族趣味と結びつけたがるし、まったく困ったものだ(主に自分だが)。 それにしても漫画の『湘南爆走族』、大好きでした。今思えば、江口洋介って、映画での役名をそのままに、今だにこの芸名でやってるってことがすごいなあ!
2006/03/10
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杉の花粉が飛び始めた。今年は少ないって言われてもやはりあるものはあるので、いつも通り反応し始めた。 うちは山の方なので、杉花粉の本拠地である。昼間も市内で働く今年はまさに敵の総本山に乗り込んだようなものだ。 昨年4月から禁煙したので(といっても飲み会の時は人からもらいタバコしているので完全ではないが…)、一気に「体質改善」して、花粉症でなくなる…という甘い夢を見ていたが、やはり甘かった! 初めてこの街に来た年は、目がゴロゴロしてそのうち開かなくなってびっくりした。目医者に行ったときには「あなたは今年の患者さんの中で、一番ひどくなるまで我慢した人です。」とほめられているのかと思ったらしかられていた(笑)。 毎年、いろいろな形を試しながら、今年も怪しいメガネの人となるのであった。
2006/03/09
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指導補助員(介助員)として行っている中学校の特学…週1回のため、今年度は残す所あと2回となってしまったので、こちらの話題を優先的に紹介。 今日は保護者会だったので、部活に行ったり家で留守番したりしない生徒を放課後あずかる…というお仕事があった。担当は私と元気な体育科のお兄さん先生との二人だ。ただし、生徒も大物2名。一人はダウン症のC君(先週書いたA君でもB君でもない三兄弟の大物末っ子)、もう一人は自閉症のD君である。 保護者会だけに多少の時間延長は起こりうる。こちらは何時まででも覚悟はできていたのだが、時間に正確なD君にはそうもいかない。 おうちの方が「3時45分まで待ってね」と言ったのを覚えていたようで、それまで一緒に宿題をやったり、絵をかいたり、色鉛筆を削っていたのだが、突然教室からズンズン出て行った。 (トイレかな?)と思っていると、そのままズンズンと保護者会の会場のドアをガラッと開けて、10歩くらい入っていった! (せかすにはなかなかよい作戦ではあるが…) ひとまず連れ戻す。 大体あと30分くらいで終わるな…と判断して、「4時15分まで待ちましょう」と約束。その頃、C君のことでバタバタしていて(後述)、忘れているといつの間にか4時20分に。D君は時計を見て大慌てでまた保護者会会場に突入! 今度はロの字型の机を一周してウロウロ…また謝りながら連れ戻す。 D君効果もあってか、会はその後5分くらいで終わったのだった。 でも、今日、時が経つのも忘れさせるくらい盛り上げてくれたのは、C君の方だった。まずは体育科のお兄さん先生と腕相撲。戦後まもなくの闇市のドンのような風格(これは想像が難しいな…)のあるC君、体も大きく腕っぷしも強いのだがさすがに現役体育教師にはかなわない。見事なほど、ピンチになっては両手を使って先生を倒し、「やったー」と勝ち誇っていた。 そんなC君、日頃の学校生活よりも、今日は本当にすごくしゃべるのだ。「もう1回」とか、「ダメー」とかやたらとことばがはっきりしているし、反応も早い。日頃は緊張している…というより、「わからないふりをしている」(わかるといろいろとやらなければいけなくなるから)のだな…と二人で結論を出したのだが…まあそれはさておき、いろいろとやりとりを楽しんでいた。 次は綱引き。ハンドタオルを引き合っては力を入れるのだが、タオルを急に離したり(先生は後ろによろける)、急に本人が前に出てきたり、どちらも本当は負けなのだが、「やったー」と勝ち誇っている。とりあえず、先生を困らせているのは確かだが…。 タオルがちぎれそうなので、次は相撲だ。でも私がやろうといっても「ダメー」。お兄さん先生との一騎打ちが続く。おかしいのは、「キョー、コッタ」(はっけよい、のこった)と自分でちゃんと言うし、ポーズも完璧なのだ。でもその戦いぶりは、腕をつかまれると「ダメー」と笑い、腰をとろうとすると「ダメー」と笑い、そのくせ先生が背を向けると突然力一杯押し出す(ぶっとぶくらい)というおきて破りの戦法だ。 何回かやるうちに先生も押し返すようになり、その時にC君はよろけながら観葉植物を手で落としてしまった!(見たかぎり絶対にわざと) でも、「事故扱い」にして、私たち二人で掃除を始めた。ところが、その掃除している横でまた落とした。お兄さん先生も怒りモードで、本人に掃除をさせ始めた。ところがほうきでは遊ぶのでぞうきんがけに変更。で、やっと掃除が終わる頃、何を思ったかもう一つの観葉植物をまた落とした! 二人ともぶっちぎれ…。またまた本人のぞうきんがけ(もうズボンもシャツも土だらけ)をやったが、絶対にまたやりそうなので席を反対側に移させた。すると、「あっ、D君がいない」…1階から発見された。2対2で逃げられるのもこちらが情けない…。 その後のC君、すぐに立ち直るのもこの子たちのいい所だ(もちろんすぐ忘れる悪い所でもあるが…)。その後、彼は先生が朝の会の時に使う棒を出してきて、日付・曜日や天気・時間割を私たちに読ませる。その時がまたよくしゃべる…それも担任の先生のタイミングとよく似ているのだ。「もう1回」とか「ちがーう」とかそのたびに大爆笑。 で、二人でわざと小さい声で言ったり、わざとまちがえたりするとそのたびにちゃんとツッコミを入れる。今まで教科が読めないフリをしていたが、実はどの漢字をどう読むかちゃんとわかるようになっていたのだ。私たちもいろいろ試す。私たち「1時間目 理科」 (本当は1時間目は「情報」と書いてある)C君 「理科じゃなーい」私たち「理科ってどのカード?」C君 「理科はこれー」私たち「あーそうかー」C君 「もう1回」私たち「はい」私たち「1時間目 情報」C君 「そうじゃなーい」私たち「???」 何度もこのやりとりが続く。パソコンの授業なので、「情報・パソコン」とか「パソコン・情報」とかいろいろな言い方を試すがC先生は「そうじゃなーい」と怒り、OKが出ないのだ。 くやしいので、「1時間目 そうじゃなーい」と二人で声をそろえて言うと、まるでビートたけし並みのすばらしい「コケ」を見せてくれたので大爆笑。私 「C先生、1時間目は何と読みますか?」C君 「情報(ぱそこん)」 二人とも大うけ。まさか「情報」と書いて「パソコン」と読ませるとは! で、気がつくと明日の時間割は彼の好きなように組み替えられ、嫌いなものはなくなり、昼休みに「買い物」に行き、5時間目は「家庭科(調理)」、6時間目はさらに「技術」さらに延長され7時間目に「道徳」…となっていた。 こうして2時間半の「一時預かり」はC君の独壇場となり、いつのまにかD君がまた抜け出して保護者をせかせる…となってしまったのであった。
2006/03/07
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15年前くらいまで、バックビート(BUCK BEAT)というロックバンドをやっていた。このブログは匿名運営のはずだが、そんなに有名ではないから大丈夫!(変な自慢の仕方だが)…ということで書いてしまった…。 なぜ突然この話題なのか…深夜(というか早朝)、『BACK BEAT』という映画をテレビで見たからだ。微妙なつづりの違いにお気づきかもしれないが、もともとは私たちもBACK BEATだった。ことばの意味としては「後ノリ」…4拍子の2・4拍目にアクセントとタメを効かせた感じ…なのだが、当時のうちはどうもそんな感じにならない…。で、たまたまベースの男が見つけてきて着ていたTシャツに、BUCKBEATSと書いてあり、BUCKには「突進する」という意味などもあることがわかり、「俺たちは演奏がすぐ走っちゃうからこっちだ!」と『A』から『U』に改名したのだった。 その結果…のち有名になり、まったく音楽性の違うBUCK-TICK(バクチク)とまちがえられたり、UP-BEATとまちがえられたりと、とても不便だった。 で、本題はその映画なのだが、これが話題になったときは、すでにバンドは5年以上の活動を閉じて、少したっていた。でも何人もの人が「えっ、まさか?と思って…」と確認のための連絡をくれた。力を入れた一斉の宣伝だったのか、ある日、大きなビルとか映画館とかにでかでかと垂れ幕(なぜか縦書き)で「BACK BEAT」と出ていたのだ。電車から見えるビルにも軒並み書かれていた。日付と題名(バックビート)だけ大きく出ていたので、「えっ、復活してとうとう大々的にデビューなのか??」と驚いた人たちが何人もいて電話をくれたのだ。当の本人(私)も、初めて見たときは驚いたくらいだから、他の人だってつづりの違いに気づかなければかなり驚いただろうと思う。 そして、そんな因縁の映画の方は、ビートルズの「ロックン・ロール・ミュージック」に出てくる「BACK BEAT」ということばから「題名」をとったとも思われ、だとすれば、私たちの「バンド名」の語源とまったく同じなのだ。同じセンスだったということか?(自慢) 内容は、初期ビートルズのメンバーだったスチュワート・サトクリフを描いたもので、実話に忠実でありながらもドラマチックだった。生き方そのものがロックである。絵の道に目覚め、出会った女性との交流に心をひかれ、音楽活動から次第に離れていき、成功前夜のビートルズをあえて去っていく…そして最後は…という実話通りの進行なので、結末を知っているにもかかわらず、ひきこまれた。出演者の表情や仕草もよく似ていて、いつのまにか俳優であることを忘れ、本物のジョンやポールに思えてくるから不思議だ。これはおすすめの映画かもしれない。 そんな新鮮な感動の気持ちで見ていて、最後の場面で気がついた。 「あっ、この映画見るの2回目だ…。」 なぜ最後まで気がつかなかったのかは謎だが、ビートルズの伝記とかで話を知っているとはいえ、えらく先の展開が予想通りだな…とは思っていた。途中、この写真家(スチュの恋人)の名前まで知っていたかな…と少し不思議には思っていた。それにしても最後まで気がつかないとは…。 たぶん、前回見たときも、「深夜」に寝ぼけて見たようである。 ということで、何度も楽しめる(笑)映画です!追記:○黒摩季さんの古いベスト版も『BACK BEATs ♯1』なのだが、あれについては「パクリ疑惑」を勝手に思っている。ちょうどあちらの事務所の主催コンテストにデモテープを送った後、私たちの『Na Na Na』という曲が、スローになってちょっとメロディも変えられて 『ら・ら・ら』になっているのでは…とか(その年にテープ審査で落ちたコンテストはこれひとつだけなのもかえって怪しい…)、私たちの解散の後に安心したかのように先の『BACK BEATs ♯1』という題名を出したり…と疑惑を主張しているのは私だけだが…、あの永田さんになってはいけないので、「冗談です」としときます…。
2006/03/05
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夕食時のこと。Sは先に食事を済ませていたが、その時はろくに食べておらず、私たちが後から食べ始めた横で、「ごま塩」を手にとってなめたり、「レバニラ炒め」の汁に手をつけてなめたり…とよくわからないことをしていた。 汚れている手を拭こうとした妻が、「あれ、茶色の小さなタオル落ちてない?」と聞いてきた。 (あー、めんどうくさい、俺様はこれから「さあめしだ!」という瞬間だったのに…)という思いは口には出さずに、テーブルの下とかを少し探すフリをした。その際、ふと浮かんだメロディーをずっと口ずさんでいた。 「タラリラタリラリタッラッラー、タラリラー、タラリラー。タラリラタリラリタッラッラー、タラリラー、タラリラー。タラッリラ、タリラリ、タラッリラ、タリラリ…」 「いい加減つっこめよ!」 と言おうとした瞬間に妻に言われた。 「その曲、『茶色の小瓶(こびん)』じゃないからね…。」 歌っていたのはどうやら、5拍子で有名な『テイク ファイヴ』の方だった…。
2006/03/03
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本日、学年末考査で自分の教科のテストが終わった。 が、まだ採点途中。そして、家には持ち帰れない! なぜか? うちのSが、答案用紙を「チー」とやぶる危険があるからである! 最近、紙を破ることがあまりにも上手になってしまい、いらない紙を探して部屋をウロウロしている。「これは…」と自分で思うと、何の確認もないまま「チー」とやり始める。ちょっと厚めの紙(紙の箱とか)でもへっちゃらだ。 でもなぜか、大切な書類とかはやらない。とりあえずこちらも置かないようにしているのもあるが、サイズ的にB4用紙には手を出さないのかもしれない。雑誌とかはカラーページを勝手にはずして、「チー」とやり始めるので、水着ギャルのページなんかは早く見ておかないといけないのだ。 ちぎった後、その紙をひらひら落として遊び、声をかけるとゴミ箱にちゃんと入れるようになっている。ひらひらする時、きれいだからか、色つきの紙が好きなようだ。 その傾向からすると、答案用紙は大丈夫だとは思うのだが、赤ペンの色も付いてカラー化?するし、ちりぢりになって採点不能となったらさすがにやばいので(嬉しい生徒もいるかもしれないが)、勝負には出られないので、可能な限り学校で採点して、今日はそのまま置いてきた。 テストの日は、日頃、部活その他で帰るのが遅い先生たちにとって、たまの早帰りチャンスの日。昔はご自由に帰れたが、今はお上がうるさくなったので、みんな休暇をとって、早く帰っている。そんな時に、いつもは早く帰る講師の私が遅くまでいるからとても不自然である。 さらに、今日は他の学校の勤務日だったので、勤務日でもないのにテストだけ取りに来て、さらに帰らずに居残る不思議な人…となってしまった。 明日中に終わらすぞ! 気合いは入っても今何もできないのがもったいない…。
2006/03/02
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先日、「廊下でイナバウアーをやる生徒急増中」と書いたが、他校でもそう、もちろん日本中そうなようで、今朝のテレビでは「素人には危険、特に30代以上は無理をしないで(笑)」と呼びかけていた。 そういえば札幌オリンピック(当時、小学生)の後、スキージャンプ競技のマネをすべり台でやる…というのがすごく流行った。立ったまま前傾姿勢ですべり台をおりてくる。クツがうまくすべらないので靴下になったりしてきれいな形ですべりたいがなかなかむずかしく…ケガをする人もいて問題になったような記憶がある…。 現代のジャンプのマネなら大丈夫だったのだ。これはある程度の年齢の人にしかわからないと思うが、「カサヤ選手、とんだー!」とやるときは、ズボンをパタパタさせないといけないのだ! このパタパタを人にやらせようとしたり、自分でやろうとして着地が乱れたり…がケガの原因であった。(ちなみにパタパタするのは、当時のユニフォームは太めで、風を受けて浮力に変えるタイプだったから…だと思う) さて数日前、中学校で、授業に行こうと、階段を登ってその階の廊下に出た瞬間、金バケツがゴロゴロ…と転げてきた。「すみませーん」と言いながら、後から追いかけてくる男子2名。 私「お前ら、『カーリング』とか言って、バケツをすべらそうとして失敗して転がしたんだろう!?」 男子「え、なんでわかったんですか?」 私「とりあえず、バケツはダメ!」と言って、教室へ入っていった。 なんでわかるか…それは私もやってみたかったからだよ、田中君(仮名)! たぶん男子トイレに行って、「たわしとブラシ」を持ってくればいいと思う、立場上、教えられないけれど! ちなみにそれは私が中学生の時の「アイスホッケー」グッズでもあった…。
2006/03/01
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