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今年も行っている地元のA中学校は、お祭りに参加する中学校御輿を持っている。公立は宗教的に中立うんぬん…とかを考えたらおそらく全国的にも珍しいことにちがいない。 20年以上前に町内会のお古をもらって始め、そのまま続いている。学校が直接関わるわけにはいかないので、PTAや町内の大人が音頭をとるのだが、中学校もノータッチとはいかないので、なんだかんだと教員も交代で夜のお仕事をすることになる。 大きなお祭りで、どうせパトロールとかをしなければいけないのだったら、御神輿について回った方が、こちらも気分がいいし、生徒も発散できていいのでは…と個人的には思う。(学校としてどうかは別にして) 御神輿を新調した際に以前より重くなってしまったようで、かつぐのが大変になってきている。この日も開始後2時間を超えて、やや迷走をし始めたので、見るに見かねて、お手伝いの大人たちで角の垂木をつかんで、押したり、向きを変えたりするようになった。 子ども御輿じゃないんだから大人がさわらずに自分たちの手でやらせた方が…と思っていたのだが、そのうち見かねて、お手伝いのお手伝い…という立場で一緒についていた私も、押す役として御輿についた。 ちょっとのつもりが大間違い。その後1時間以上、必死で押したり、押すだけのはずが崩れそうになる御輿を必死で支えたり、声をかけて立ち直させたり…サウナに入るよりも大汗をかいた。 中でかついでいる生徒は、うまく交代できている子もいるのだが、かつぎっぱなしで、もう意識が飛んだような表情になって、時々「せーの」という声に反応して上にあげることしかできないような子もいた。 そこから30分くらいして神社に到着した時、倒れなかった彼を見た時に、「人間というのは極限の状態からでもけっこうがんばれるものなんだなあ…」と変な所に感動したのであった。 いろいろなことが学べてすてきなイベントではあるのだが、お祭りの開催中も授業は続くので、お祭りが平日ばかりの年(日付で固定のため)は、昼間すごいことになるのであった…。(昨年の授業で私は自分が催眠術師になったような気がした)こんな物まで売っていた。本物はさぞ高かったんだろうなあ。
2006/09/30
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3日間続く神社のお祭りの中日だった。前日は、初日というより前夜祭みたいな感じで露店などもないのだが、今日からの2日間がにぎやかになる。 S(8歳自閉症)は、3歳の頃から毎年出かけてはいるが、その障がい特性上からこのお祭りが得意なわけがない。 車を少し離れた所に停めていくのだが、行きは夜の外出にルンルン。神社でのお参りの人がすいている道くらいは歩く(それもこの3年くらいでそれまではそれさえ歩かず)。 でも露店の所にもどれば人混みがいやですぐに抱きついてくる…そして両親のおんぶか抱っこか肩車でその狭い場所を通る。3~4歳の頃は、大泣きしていたので、お祭りの中を大泣きの子を連れて歩く…つらいことが多かった。 5~6歳の頃は、機嫌はよくなったが、とにかく重くなってきた。 7歳の昨年は、重い覚悟をしていたが、最後少しだけの肩車ですんだ。 そして今年。御神輿を見せる時にわざと肩車をしたシーンはあったが、それ以外の全区間を自分の足で歩いた! しかも終始ごきげん! やはり、見通しが立つようになったことが大きいのか、それともにぎやかな場所自体になれてきたのか、人混みの中も自分が先頭になってはりきって歩いていた。 Sが人混みを歩くようになったことは大きな収穫だ。これで、またいつかディズニーランドに行く時には、グッと楽ができそうだ。 さて、一通り(2km分くらい)歩いて駐車場にもどる頃、数人の教え子(中学生女子)に出会った。妻が小学生時代、私が昨年度教えたという連中だ。その時、自分でねだって「ちょうだい」のポーズをして手に入れた綿菓子を食べていたSは、お姉さんたちにニコニコ相手してもらえて上機嫌。「かわいい」とか言われてほっぺをさわられて、デレデレしている。 そのお姉さんたちはお祭りのはっぴを着てお化粧をして、きめきめのお祭りおしゃれモードだ。 直感的に、「やばい。Sが綿菓子のベタベタの手で服をさわるであろう」と思った。思うと同時に、「S、手がベタベタだよ。人の服で拭いたらダメだけど、拭く時は一番きれいなお姉さんのだけにしてよ」と言いながらハンカチを探した。 そのあっという間に、一番近い所にいたお姉さんに甘えて、甘えながらもうはっぴで手を拭いていた(笑)。先のひとことがうまくいって、「ほらあ、やっぱり私の所に来たわ。おっほっほ…」みたいになって助かった。甘えに行ったのだから嫌いではないだろうが、理由はまちがいなく「一番近い所にいたから」だと思うが…。 「先生、きれいな教え子に会えてよかったねえ」という謎の捨てぜりふと共に彼女らは去っていった。
2006/09/29
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特学の介助に行っているC中学校で、午後から音楽鑑賞教室なる行事があった。 市ががんばって交響楽団を呼んで、2日間のうちに市内の中学校を数グループに分けて全校の1年生に見せよう(聴かせよう)という毎年恒例の行事だ。 中学校教諭だった頃にもこの市にいたので、なんだか懐かしかった。 まずは、市がその日だけ借り上げた「送迎バス」、日頃は路線バス仕様のものに1台あたり60名くらいで乗り込んでいる。貸しきりだけど、知っている人たちで「満員」のバスはなんだか変な感じがする。 会場の市民会館に到着すると、中学校ごとに指定された席に着席する。始まる前の数十分間…トイレとかで他校生とのトラブルが起こらないように教師がついていたりもする。座席での待ち時間に悪さをしないように?か、だいたい各校とも先生ひとり(だいたいが生活指導の先生とか野球部の先生とか見たことあるような人)は、座席の一番前の列で後ろをふりかえって仁王立ちしている。 まあ、その時の様子で、だいたいどこが大変そう(荒れている)か…下馬評どおりのことが多いから不思議なものである。ようは3年生が大変な所は1年生の時からすでに大変ということだ。 C校は今はなかなか落ち着いているし、今回の私は、あくまで特学の介助員として来ているだけだから気楽なものである。 クラス全体を見るというより、ちょっと最近トラブル続きのK君(ちょっと太めのダウン症児)にマンツーマンでつく役割だった。開演直前のトイレ大便攻撃にはやや心配したが、無事開演に間に合った。 1曲目が始まった。指揮者の激しい動きが気に入ったのか、K君も横で激しい指揮のマネを始めた。楽しんでいるんだからOKということで、ちょっと恥ずかしいながらも流した。なぜ恥ずかしいかというと、途中から、私の右手をとって、一緒に指揮をとらせていたのだ…。 楽器の紹介などの後、2曲目・3曲目は打楽器や管楽器が抜けての弦楽奏。これはうっとり…の演奏ですばらしい。すばらしいと言いながらも、いいクラッシシックを聴きながら「うたた寝」をするのが最高のぜいたくと思っている私は、すやすやとその世界に入っていった。K君をはさんで右側に座っている担任の先生もスヤスヤと私より先に夢の世界へ。 ところがK君は元気だ。せっかく好きならそのまま静かに聴いていればいいのに、イタズラの方がもっと好きらしい。寝ている人を「ねえねえ」とつつく。私は無視。 さらに今度は顔をなでたり息を吹きかけたりしてくる。 無視というか我慢。 今度は私の右手をとって振り回している。 何とか目を開けずにやり過ごす。 そのうちその手は、K君の股間に持って行かれて、スリスリこすられていた! 「だー!何するんだ!」と小声で文句を言って起きた瞬間、右側の先生も一緒に起こされていた。 おそらく、左右交互に同じ攻撃を受けていたにちがいない。最後はK君の股間で二人の手の甲同士が背中合わせになっていた(笑)。 そんな寝られない状況のおかげで、その後はちゃんと起きて過ごし、オーケストラを正しく?味わうことができた。 K君もまあまあいい子だったが、後半は飽きて、プログラムの文字を何度も私に読ませながら過ごしていた。 演奏が終わり、よその学校の女子生徒が花束を私にステージあがると、「タイプ」だったらしく、身を乗り出して手を振っていた。タイミングがよかったので、楽団に一生懸命手を振る生徒…という感じの絵となって、とてもよかった。 帰りのバスで、K君はぐっすり寝ていた。さっき寝ていてくれればなあ…と思いながらも、いろいろな攻撃のお返し(股間さわりをのぞく)をしたがまったく起きなかった。負けた気がしてなんだかくやしかった。
2006/09/28
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障害児は「現場」で学ぶ自閉症児のケースで考える" 渡部信一 新曜社 なかなかよかった「鉄腕アトムと晋平君」を、今度は理論ではなく、事例で説明した本。 が、かえって理屈から説明していた上記の本の方が説得力があったように思われる。 言語指導をして「ありがとう」か、仲間とのコミュニケーションから自然に「ありがとう」か、後者の方が自然だし有効だという視点から書かれている。 自閉症児は「般化」が苦手といわれているが、それは個別の訓練の場で練習したことを違う場に移そうとするからであり、最初から本番の中でやるべきだ…という点においては「なるほど」と思えた。 1700円なり。 アフィリエイトつけようとしたが、取り扱ってなかった。すごくマイナーな本だったらしい…。 その他の本の紹介はフリーページをごらんください。
2006/09/27
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先週はA校の運動会の代休が火曜日で、今週はB校の代休が月曜日…というすばらしい曜日設定で、今週も一日休暇があった。 そこで、朝、Sを送った後、映画「出口のない海」を見に行った。 佐々部清監督は下関の出身(私もです)で、有名な所では「半落ち」(でも私は見ていない)、有名ではない所では「チルソクの夏」(こっちは上映館が少なくてDVDで見た。懐かしい下関の風景でいっぱいだった)を作った監督で、年齢も少しだけ上という所か? 今回は上映前から何かと話題になっていたからもしや満員…なんて思ったが、そんなこともなく、座席指定の時も、「真ん中寄りでしたら、F11以外はすべてあいております」というような状態だった…。 その後、結構人が増えてきたが、ご年配の方が多いという感じだった。まあ、平日の午前中ということもあるが。 映画そのものは、なかなかよかった。というか、最近、ちょっと右よりの戦争映画が増えてきていた中、「戦時下での個人の気持ち」に焦点を当てていたのがとても考えさせられてよかった。 そう思って見たからかもしれないが、私には強烈な「反戦メッセージ」だったように思えた。 見ている途中で「確か山口の海でロケがあって、友人Uが○○のシーンのエキストラに出た…とか言っていたのはこの映画だったっけ?」と思い出してしまい、そのせいもあって、人混みのシーンが出るたびにそいつを捜す羽目に…。そうなると中心人物の表情を見損なってしまう…。 アントニオU君、君のせいでちょっと不完全燃焼でしたよ! さて、ストーリーを書くような野暮なことはできないが、エンドロールの間中流れる竹内まりやの「返信」という曲は最後まで聞く価値があった。すばらしかった。その曲だけでもすばらしいが、この映画を見た直後に聴くことに価値がある!(理由は秘密) エンドロールを最後まで見てしまったので、協力の名前の中に「下関商業高校」とあるのを見つけてしまったが、いったいどこのシーンで何をしていたのか、知っている場所だけに気になる所である。こんなのまで売っているようだ。商売上手だな…。
2006/09/26
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毎週よく行くスーパー(○イエー)は、改装するたびに専門店がつぶれ、ゲームセンターのスペースが拡大されていく…。 屋上の駐車場から下ると3階はいきなりゲームセンターだ。 以前は横をすり抜けてエスカレーターに行けたのだが、今や構造上さけられず、通らざるを得ない。いったいここでどれだけの子どもたちがつかまって(笑)、親に怒られたりもめたりしたことだろう。 我が家はSにゲームなどできないので余裕だ。今日はせっかくなので、自由に歩かせたらどうなるか、どんなものに興味があるのか、まかせてみた。 すると…ゲームコーナーに思わぬものがあった。拡張にともない、幼児用の乗り物が増えていた。その中に、線路1周(20mくらい)ちゃんとあって、トーマス号が人間を二人乗せてひっぱっていくような大きな乗り物があった。 Sがその柵の前に立っているので、「ああ、これは動かないのかなあ」などと言ってごまかそうとしたのだが、数年前によそで乗ったこともあったからか、引き下がらない。柵の切れ目(乗車口)を見つけて、勝手に乗り込んだ。 その場で揺れるだけの乗り物(バスとかアンパンマンとかの乗り物)だと乗るだけで満足する時もあるので、しばらくほっといたのだが、必死でこっちに向かって手を出して、「動かせ!」(推定)という感じで「ヴー」と叫ぶ。 しょうがない…と値段を見ると200円。100玉を二枚渡すと、いつも乗っているかのように自分でお金を入れて、トーマス号は動き出した。(何年かぶりでもこういうことは覚えているようだ) 二人乗りだが、屋内のゲーセンで私が乗るのも目立って恥ずかしいなあとか考えているうちに、Sひとりを乗せて汽車は行ってしまった…。 1周目はいい子で乗った。2周目は途中で立ちあがったりしていて、こっちから声をかけてやめさせた。3周目に私も後ろに乗り込もうとしたが、思ったより速くて乗り損ねそうだったのでやめた。 すると、してやったりと思ったのか、遠ざかるトーマス号の客車で、Sは立ちあがるは、後ろに移動しようとするは、最後は座席に反り返って寝転んでもどってきた…。 曲乗りか! ということで、我が家もゲームセンターの罠と今後戦うことになる。
2006/09/24
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先週のA校でのこと。給食センターからの連絡を受けて、給食の配膳中に全校放送がかかった。 「本日の給食のマーボー豆腐についてです……(間)。野菜が傷んでいて取り除いたことで、全体の量が少なくなっています……(間)。量をよく見て、うまく分け合ってください。」 職員室でも、みんな少なめによそって食べていた。 少し物足りない…。 食事中、急に気づいて、言い出した先生がいた。 「マーボー豆腐に入れる野菜って、ネギぐらいじゃねえか? それでそんなに量が減るなんておかしいよ!」 「そうか、何となく説明に納得してたけど、うまくだまされてるな」とか「もともと量が少なかった言い訳だな…」などとそれぞれ不満を口にしたが、「給食だとなぜかマーボー豆腐に入っているタケノコとかそのあたりが傷んでたのかも…」ということになって一応納得した。 さすがは大人である。 が…子どもたちの方はこうはいかない。 モリモリ食べておかわりする体育会系女子Tのいる3年某クラスからの報告。放送段階でこういう反応だったそうだ。放送 「本日の給食のマーボー豆腐についてです。」生徒T 『みんなシーッ。ちゃんと聞いて!(叫び)』放送 「野菜が傷んでいて取り除いたことで、全体の量が少なくなっています。量をよく見て、うまく分け合ってください。」生徒T 『えーーーーーー。傷んでてもいいから、入れてよ!! 量を減らさないでよ!!!!』 傷んでてもいいとは…思いつかなかったな。
2006/09/23
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昨日の記事の続編。 東京都は控訴する方向らしい。 東京在住のある先生が言っていた。 「裁判するのは勝手だけど、裁判費用とか負けた方が全部出すんだから、俺の税金で余計な支払いしないで欲しいな。控訴なんかせずにそのまま確定してくれればいいのに。」 なるほど。 I原さんの方針かどうかは知らないが、東京都教委もこのままじゃ引き下がれないんだろうなあ…。 ついでだが、この日の丸・君が代強制騒動と、ジェンダーフリーへの猛攻撃、養護学校の性教育への猛攻撃…全部、同じ根っこでつながった超党派(といってもJ党とM党だが)の議員たちが都議会で突き上げてやっているらしい…。で、歴史教育にもそのようにもの申す方たちのようです…。 政治家になるとなんでそう考えるようになるのか、それともそんな考えの人が選ばれているのか…この人たちを育てた先生たちに責任とってもらいたい!(って、意外に自分の教え子もいたりするとやだな)
2006/09/22
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杞憂(きゆう)に終わってくれればいいのだが…ということが起こっている。 与党の新総裁になったA氏は、教育改革を全面に掲げている。改憲もやりたいようだ。 その彼が持つ歴史観は、『新しい歴史教科書を作る会』に賛同しているとのこと。 公平を期して、これに反対する立場の団体も紹介。 ということは、教育改革も、その考えを踏襲して行くにちがいない。 私は、いろいろな歴史観があってもいいと思うから、自分のやっていることと違っているからとこの会の先生たちを認めないわけではない。歴史は複雑だからいろいろなとらえ方があっておかしくないと思うからだ。しかし、それでも、受けとった側(生徒)が、教師は『中立』だったと思えるように授業をやるべきだと思っている。 だから、組合バリバリの人がかなり左寄りにやるのも、この会の人が右寄りにバリバリやるのも、どちらもおかしいと個人的には思う。 私も、中立という立場で両方の立場の資料を提示しても、『ちょっと左』に誘導しているかもしれないが…。 ところが、今回立場が立場で、さらに考え方がはっきりしているA氏が『教育改革』を主導すれば、進む方向は見えている。そんな時に、自分が『社会科教師』で居続けられるだろうか…自分らしい仕事ができるだろうか…やめざるを得ない状況が出てくるのだろうか…と思う。教える内容を強制されそうな気がする。 かといって他の教科で免許を取り直すのも今さら無理だし、小学校の産休代替とかそういう道を考えようかとか、今後いろいろな困難が待ち受けているような気がするのである。 さて、そんな不安な時代の始まった今日、卒業式での「君が代・日の丸の強制」にともなって、不起立で処分された東京都の教員たち原告の勝訴というニュースが伝わってきた。「君が代・日の丸」うんぬんではなく、それを『強制』する職務命令を出したり、それを教育委員会から調べに来たり、そのために教師の座席表が決められて絶対その通りに座らせられたり、途中生徒に何かがあっても歌の間はほっとけと言われたり…そんなことがおかしいという判断が出たことは、司法がちゃんとしている国だったんだと誇りに思う。 司法が、今の憲法のまま、ちゃんと運用し続けてくれれば、日本にも未来がある。立法府(国会)や行政府(内閣)が、今の憲法の『精神』をもっと大切にした法を作り、政治をおこなってくれれば、もっともっと自然に『愛国心』が育つと思う。 少なくとも、失政としか思えない障害者自立支援法をつくるような人たちを信用できない。私たちは『自虐的な歴史』と言われることを教えられたから自分の国を愛せないのではなく、「現在」の国の姿が情けないから愛せないのだ。 「美しい国」と彼が考えるものが、とてもではないが美しくなさそうだと思えるのは私だけなのだろうか…。 余談だが、A氏の父と、林義郎氏は私の地元(小学生の頃)の選挙区で、自宅が同じ校区にあった時期もあった。そのせいか、中学校の町内対抗ソフトボール大会の来賓あいさつがこの二人(共にのちの自民党の総裁候補者)だった時もある。地元に住んで、地域の人と一緒に生きていたから、特に支援していない我が家でも評判は悪くなかった。 今、私の地元の知り合いは、「あの人、東京で育った東京の人やろう? なんでうちから立候補するん?」と声を上げる人もいる。その一方で、「なってくれたら地元(選挙区)はもうかるから良かった」と言う人もいる。 さあ、これから何が起こるのだろうか? 少なくともこんな小さなブログでの批判まで、処罰されるような時代はまだ来ないと信じたい。
2006/09/21
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日曜日のこと。スーパーに買い物に行き、妻は売り場へ、Sと私は遊具のあるコーナーにいた。 靴を脱いでマットの上にあがると、大きなすべり台やバネで大きく揺れる乗り物などがあり、重宝している遊び場だ。 ほぼ貸しきり状態で、後から同じく父子で来た人に会釈などしあって、それぞれの子どもが勝手に遊んでいた。 いつもはとことんすべり台で遊び、そのあと乗り物を激しく揺さぶり、交互に繰り返すSだが、その日は途中からそれらに目もくれず、遠くにあるベンチと私のいる場所の往復ダッシュを繰り返す。 私の所に来るたびに飛んで抱きついてきて、「キャッキャ、キャッキャ」とごきげんに笑う。なんだか絵に描いたような仲良し親子だ。 もう一組の親子のお父さんの手前、ちょっと恥ずかしいのだが、「まあいいか、たまにはこんな普通の親子っぽい感じも…」と思っていたのだが…。 3往復(抱きつき3回)くらいした時、地面に降りた後にいきなり、いきみはじめた! しまったー、この『ごきげんダッシュ』はビッグベン(大便)開始のための儀式だったのかー!(家では廊下で短いダッシュを繰り返した後、パンツを脱ぐと、トイレにうながされてモリモリと行う) 気づいた時にはもう遅いと思われたが、力を入れさせないように両腕をひっぱって持ち上げて、「トイレ、まだ我慢!」と言いながら抱えて走っていった。 もう一組の親子のお父さんは、出口のドアを開けてくれた(ありがとうございます)。 さて、広々とした車いす対応のトイレでゆっくりズボンを降ろすと…もうすっかり手遅れで、でももし便器でやったなら立派な『バナナ一本』だっただろうと思われるものが、パンツの中で野球のボールぐらいの大きさのかたまりになっていた(笑)。ちょうど最近の調理実習で「白玉粉を耳たぶくらいの柔らかさに練る」というのをやったのだが、それだったらちょうどいい感じだ。(これはさわってないけど) 便器に流そうとすると、ボールがそのまま飛び込んだかのように「ドッポーン」と少し水がはねた。まあ固くてラッキーだったか…。 本人も素直にお尻を拭かせてくれて、ついでに『ノーパン』で半ズボンをはいて…これはさすがにはじめてなのでイヤらしい。かといって少し汚れたパンツ(固かったせいかほとんど汚れてはいないのだが…)をもう一度履かすのも抵抗がある。 トイレの中から妻に電話し、手持ちの(いつもカバンに入っている)パンツを届けるよう緊急連絡。どうも緊急性がうまく伝わらず(オシッコがかかったと思ったらしい)、パン屋で余裕の会計を済ましてきたようで、Sは5分間もフリチンのまま、「おむつ交換台」の上で機嫌良く跳びはねていたのであった。おむつ交換台の基準体重オーバーしてるのにすみません…。
2006/09/19
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この連休で、祖母の納骨をするために、千葉から祖父と叔父・叔母、名古屋から叔父・叔母が、下関に行った。 祖父と名古屋の叔父・叔母の3名は、私の父母の住む家に泊まったようだ。 今回の台風で九州ではずいぶんと被害が出たようだし、亡くなった方もいたぐらいだから、念のため今朝実家に電話を入れた。 最初に電話に出た父のひとことは、「なーん、『そよ風』いね。(いやなに、そよ風程度さ)」 その後、代わってもらい、久しぶりに祖父と話をしたが、結構な風の音に軍隊経験者の祖父でさえ恐くてなかなか寝付けなかったらしい。 我が実家は、築25年くらいだが、父が勝手に増改築などをしているのでやや心配な面もある。 「よう家飛ばんかったなあ!(よく家飛ばなかったねえ)」と父をからかうと、 「○美ちゃん(ちょっと太めの叔母)がおったけー、重りになっとった(○美ちゃんがいたから、重りになった)」と軽口をたたいていた。
2006/09/18
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仕事ではないので、のんびりと出かけた。 授業では絶対に見られないようないい表情をする生徒もいるから、やっぱりこういう行事は大切だ。 私のお腹をさわって、「ごりやく、ごりやく」と言っていた3年男子が、最後の代表リレーのアンカーとして、2人を抜いてゴールテープを切った。 運を吸い取られたような気分だ。
2006/09/16
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偶然の重なりは必然なのか…前回と同じテーマのようで、全然違うような今日の出来事。 息子を送った後、いつものA中学校に出勤。雨で運動会の練習がうまく進んでなかったので今日あたり急に入るかも…と覚悟(イヤ期待)をしていたが、なんと2時間目以降全部! 「やったー1時間目だけだー」と思ったら、今日は2~5校時が授業の日だった! よって、来てコーヒー一杯飲んだらもう帰れることとなった。 急にできた休暇をどうしよう…もちろん義父母の待つ家には帰りたくない(笑)が、映画も明日からなら見たいのがあるのだが、今日はまだ…などと考えるうちに、結局いつも行くスポーツセンターのトレーニング室でまずは汗を流すことにした。 同じ建物内にある温水プールもいいなあと思ったのだが、100円安いこともあってやはりトレーニング室へ。しかし、エアロビみたいなのをやっている時間だったようで、おばさまたちで大混雑…筋トレや自転車こぎをする私ともう一人の男性はすみっこで肩身の狭い思いをした。結構失敗。 が、そこに行った時に、小学生の行列が駐車場から遠くに見えた…最後尾のあたりだけ見えたのだが、そのオバサマの後ろ姿がどうも見たことがあるような気がする…。一昨年私が勤めていた小学校の女性校長?? まさか、ここはその小学校から電車で1時間半くらいの、川くらいしかない街だぞ。見間違いだな…ということで、少し気になりつつもトレーニング室に行ったのだった。 運動をして、汗をかいて、窓から新鮮な空気を吸おうとした時…遅れてきた児童1人を連れた大人2人が窓の下を通った。3人とも知らない人だが、あの制服とあのナップザックはまずまちがいなくその小学校のものだ。 むむむむ…と思い、その後、当時の同僚にメールを打って確認しようとしたのだが、普通授業中だから返事が来るわけはない。気にはなったが昼食をとりに移動し、その時に川沿いの道などもついでに通ったがどこにいるかはわからなかった。 そして、次の用事で隣の市の図書館に行こうとしていた午後2時前…突如、また小学生の行列が現れた! 先頭を行く先生は思いっきり知っている人だ! 車から手を振るが気づいてくれない。しょうがないので駅に先回りして待った。細い道から突然現れた私に相当驚いてもらった。 列の所々に教員が入っているので、その都度、驚いてもらっては、その都度、「隣の駅に住んでいて、職場もそこなんです。遠いけど一昨年はここから通ってたんですよ」と5人に計5回説明した。 そんな時に、「○○先生!」と思わぬ方向から呼ばれた。今度は私が驚く番だ。 なんと、列に入っていた教育実習生が、そのまたさらに前の前の前の中学校の時の教え子だったのだ。一瞬わからなかったが、名前を言われてハッとわかった。いやあ、まさか彼が大学の後輩となり、さらにその付属校で実習を受けているとは…。直接じゃないにしろ、教え子が、教え子の先生(教生)になったわけで、なんだか不思議である。 久しぶりの晴天→運動会の練習変更→授業休み→トレーニング室→行列の目撃(その1)→行列の目撃(その2)→教え子から発見される という一連の偶然の重なりに驚いたと共に、何か必然を感じるのであった。 そんな絶好調の偶然パワー、その図書館に行くと、日頃は月曜日だけが休館日なのに、月に一度の館内整理日で金曜日ながらも休みだった。すごい偶然…。
2006/09/15
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忘れていたようなことをふと思い出すことがある。自閉症関係の世界で相当な有名人(故人)に、その昔、面接をしてもらっていた。 大学4年生ながら、このままバンドを続けてプロミュージシャンになろうと思い、就職活動をしていなかった。当時、『フリーター』ということばも生まれつつあったが、「アルバイトをしながら他の自分のやりたい活動」をしても、普通は『プー太郎』と言われていた。 教員採用試験も受けず、迎えた秋…突然、「そうだ!公務員になって仕事を定時に終えて、夜バンド活動しよう!」と、とんでもなく甘いことを考えた。 秋になっても選考をやっているのは市役所とか町役場…受けた2つのうち、1つは第2次選考も通過し、最終選考の5人まで残った。その頃、退職金が高すぎると全国的な話題になった、福祉の進んだ東京都M市である。 若干名って何人採用かよくわからないが、面接資料の書類には、身元保証人にM市在住かM市役所勤務の人を書く欄があり、ようは『縁故』を強調できるシステムだったが、地方出身の私にそんな知り合いはいない。大学の卒論担当の先生(助手)がM市だったので書いたがやはり効力はなく(笑)、最後で落ちた。まあ、今思えばそんな甘い考えで入らなくて良かったが…。 で、まだその有名な方は登場しない。 翌年の東京都の公務員試験受けようかなあ…と少し思い始め、『学校事務』なんかいいなあと思い始めていた3月頃…私立高校の学校事務員募集を校内の就職情報掲示板で見つけたので、行ってみた。 それが、古くから独特の自閉症教育の取り組みで有名な武蔵野東学園だった。そして、その時の面接で、なんと今は亡き『北原キヨ先生』直々に面接をしていただいたのだった。 バンド活動を継続しながら片手間に働きたいという不純な動機で、でも「生徒に直接関わる教師の仕事に他のことをしながらなってはいけない」という純粋な思い?もあり、同時にあった教諭の募集には目もくれず、事務職員として採用試験に臨んだ。(今思えば事務職の方々に失礼な思いこみだし、簿記がどんなものかさえ知らない恥知らずな受験者だ) 豪華な待合室のゆったりしたソファで、私はあつかましくも悠然とタバコを吹かして待っていると、学園長(たぶん)の北原先生が現れた。なんだか空気がピーンと張りつめた。 こちらから志望動機説明や自己紹介などの後、北原先生は急に、「あなたは私の見る限り教師に向いている。今、いい目をしてるよ。今回、事務職と同時に小学校教諭を募集しているから、そちらにしなさい。そうするなら、今この場で採用を決めます。」と言い出した。青天の霹靂とはこのことだ。 さらに「なぜ教員免許もあるのに教諭じゃなくて、事務職なの」と問われ、私の方はバンドのことを言うわけにもいかず、「教師として生徒の人生に関わる自信がまだないので、まずは学校現場で他の仕事をしてからそのうち…」などと苦しい大うその説明にしどろもどろ。 「あなたは見たところ、そう自分に自信のない人ではなさそうだし、何だかおかしいね。私は納得しかねます」のようなことばに続けて、時に強く、時にやさしい口調で切々と、『教師という仕事のすばらしさ』を語ってくださった。たぶん30分以上…。 そして「今あなたに必要なことは、『やってみよう』という挑戦心だ。さあ、小学校の先生になりなさい。」と即答を求められて私はタジタジになったのであった。でもこちらも、当時は教師が夢ではなかったので、事務職員希望を言い張り、後日、不採用の通知を受けたのであった。 ただ、この面接がきっかけで、「中途半端な気持ちで正社員になろうなどと思ってはいけない。それは相手にも失礼だ」とわかり、腹をくくって、バイトをしながら自分の夢に挑戦しようという気になり、4月からレンタルビデオ店のお兄さんになったのであった。(ちなみに5月から時間講師の話が飛び込み、図らずもバイト気分で教育現場に入りそのまま講師で4年間居座るのであった…。) 実は、面接の時には、北原先生がどういう方なのか存じていなかった。お会いした翌年に、新聞記事でお亡くなりになったことを知り、その記事の大きさや、故人の略歴を見て、「なんてすごい方だったんだ!」と驚きと尊敬を新たにしたのだった。とはいえ、「あの時のオーラの出ていたおばさま、すごい有名人だったんだ!」という単純な驚きである。なにせ、『自閉症』がなんなのかその時は知るよしもなかったのだから…。 そしてそれから18年たった今の私は、8歳自閉症児Sの父であり、この数年で養護学校や特学でたくさんの自閉症児と関わり…ということになっているからやっぱり人生は不思議だ。 「北原先生、あなたが面接で教師を薦めた男は、あなたが言ってくださったほどではなかったけれど(笑)、まあまあくらいなら障がい児教育の世界でも使えたみたいですよ(笑)」と、ご存命だったらお話ししたかったなあ…。 (私も息子も残念ながらこちらの学校にはお世話になっておりません。念のため)
2006/09/15
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このブログのHOMEにある「無料クリック募金」の中に、、e-まちタウンというのがあり、それぞれの地方ごとに、街をきれいにするためのお金が出るようなシステムがあるのだが、これがおもしろいくらいに、いつも「中国地方」と「四国地方」が1ケタの差でビリを争っている。 細かく見ると、「北海道地方」と「東北地方」もほぼ同じくらいの数字で、常に4つの地区が(少ないことで)争っているのだが、自分が今住んでいるわけでもないのに、つい出身の山口県のある中国地方が負けているのが悔しくて、そこに1クリックして、なぜかライバル心の湧く「四国地方」に1票リードしては喜んでいる。 中国・四国地方…という仲間意識があったのに、高校野球春の選抜大会で枠数を綱引きするようになってからライバルになったような気がする。 58894票 対 58895票 なんて時には国政選挙なんかよりも断然1票の重みがある。 ということで、これを読んだ中国地方好きの方! 早速、1票入れてみよう。(本当はどこの地区に入れても、お金を払うのは主催企業だし、どこかがキレイになるのだからすばらしいことなんですけどね)
2006/09/15
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以前、Sが「アイーン体操」のDVDにはまっていることを紹介したが、その後は「ワンピース」の主題歌『さやえんどう』で踊る交流クラスの子のビデオにはまった。 今回、NHKのみんなのうたで見て、「これは絶対にSが好きだ」と思い購入したのが、さだまさしの「がんばらんば」。 やはり予想どおり…初めて見た今日は、連続10回くらいかけさせられている。 それにしても「さだまさし」すごいな。 ファンの人にとって、今回の作品はどう思われたのか賛否の分かれる所かもしれないが、この長崎弁の曲すごい。 九州弁のラップへの乗りやすさを証明。「でんでらりゅうばでてくるばってん」と昔のわらべうたをうまく取り入れたり、子どもや年配の方も楽しめそうでそれでいて簡単ではない踊り(ちょうど小学生の運動会の演技とかで行けそうな感じ)…など、まだまだ新しいことをやる才能が余っています…と示してくれた。 というか、私は「ロック好き」としては、「さだまさし」を好きになるのは何か弱みを見せるような気がして(笑)、避けよう避けようとしていた。(今も) だが数年前より、とうとうベスト盤を買ってしまったり、保護者から本をもらってしまい朝読書でエッセイを読んでしまったり、今年は彼の小説まで読んでしまったり、友人(彼の事務所のスタッフ)の結婚式でさだまさし氏の生歌を聴いてしまったり、死ぬほどファンのオバサマ先生(元同僚)にその彼を紹介してチケットの申し込みをスムーズにしてあげたり、一昨年の紅白歌合戦の時の平和の歌に感動したり…と気がついたら、結構好きになってしまった。 本物はいいなあと思う。 でも私がさだまさしを評価すると、「ホラ見ろ」と思っている人がいるかと思うとちょっと悔しい!
2006/09/14
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連日の雨で、中学校の運動会の練習ができず、そうすると私の授業がつぶれない…。 予行練習で今日はフリーになるはずが、雨天延期で5時間授業をやる羽目になったり、秋霖になるのが例年より早すぎだ! それはさておき、今日はSの久しぶりの歯医者。虫歯治療はこれと別に後日「麻酔して治療」の予定なのだが、今後のために、定期的に通って『慣れる』ための通院だ。 ST(言語聴覚療法)とOT(行動療法)を同日・月2回(普通よりかなり少ないか?)のペースで行っているのだが、歯医者(月1回)も同じ病院だ。歯医者で恐い思いをして、そっちに行けなくなると困るので、駐車場もいつもの無料の公共施設(廃校跡地)ではなくて病院の駐車場(200円)に入れたり、待合室でも違うベンチに腰掛けたりして、「ST・OTの時とは違う」ことをアピールしている。 待っている時は、いつもより落ち着きなく、「アウー」と吠えて?ごきげんだったが、そろそろ自分の番となると、行くまいとして抵抗したりしてなかなか大変だった。 今日も治療台(イスではなく寝る形)には行かずに、丸イスに勝手に座って、そこで歯を磨いてもらった。 フッ素塗布をするというので、リンゴ味のものをつけてもらったが、日頃何もつけないブラッシング(うがいができない・やらないことが多かったので)なので、最初は抵抗。 「ほら、甘くておいしいよ」なんて言われて、一口「ぺろっ」とやってからは、今度はやたらとなめたがり、磨こうとしてもベロが出てきて邪魔をする(笑)。 全部なめたんだか、歯に広がったんだか、よくはわからないが、一応フッ素入りの歯磨き粉?は全部なくなっていた。 治療の麻酔のことなどの話を先生から聞いている時、もう誰も見ていない段になって(私は気づいたのだが…)、Sは一人で治療台に近づき、足元の所に顔をつけたり、横になったりしていた。 「イヤだけど、やらないといけない」と思っているのはえらいな。(でも、最初からそうしろよ)
2006/09/13
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なんだかんだと息子Sの小学校に行く。朝の送りはもちろんだが、給食指導(というかお守り)に週2回、4校時がうまくあけてもらえた曜日に行っている。 最近、何かと町内行事やお祭りがあったせいもあり、兄弟関係で、私が隣の中学校教師だと知っている小学生が増えている。 今日も「しったか小学生男子」が、あいさつの後に、「中学校に行かなくていいの?」と余計なことを(笑)言ってきた。 講師の空き時間なので勤務時間ではないし何の問題もないのだが、そんな説明を小学生に短時間に行うのも難しいし、かといって「中学の先生がさぼって小学校で子どもの世話をしてる」と保護者に勘違いされても?困るので、「うん、またすぐもどるけど、今は大丈夫」とかわけのわからない返事でごまかした。 給食の後、昼休みに遊びにきた「しったか小3女子」は、私のことを勝手に「先生」と呼ぶだけでなく、まわりの子が、「えっ、S君のお父さんじゃないの?」などと聞くと、鬼の首を取ったように、「違うのよ。私のお姉ちゃんの社会の先生!」とか勝手に紹介していた。 お姉ちゃんの先生なのはその通りだけど、S君のお父さんと「違う」ことはないから! うーん、何かとややこしいなあ。
2006/09/12
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2学期が始まって1週間。 先週のSは、毎日一度は学校でシクシク泣いていた模様。 家に帰ってからも夜に思い出したように大泣きしてお手上げだった。 月曜日の今日は、無事に泣かずに過ごせたらしい。よかった、よかった。 さて、私の仕事の方も、2週目に入り、少しは慣れた…かな。 先週は、夕食前にSの相手をしているうちに睡眠10分間…が多かった。 すっかりお昼寝癖がついていたので(車中で1時間とか)今後もちょっと心配である。 心配といえば、週1回だけ、選択授業2時間のみに行っているB校。 ロクにあいさつがないのも、教員のムードが暗いのも相変わらず(笑)だが、生徒の方はすっかり荒れ始めている。 チャイムが鳴っても、保健室には授業に行きたくない3年男子のかたまりが…。 1学期は私の目に入らなかった(2時間だけだし、職員室~使用教室しか通らない)のに、今日はやたらと何度も3年ヤンキー男子と出会ったから、かなりウロウロし始めているようだ。まだ殺伐とした感じはなく甘えた感じではあるが…職員室のムードを考えると黄信号。何かあった時にサッと動く感じがないし、そもそも全員が授業を目一杯持っていて、空き時間の先生が少なそうだ。 今日の私は、いつもと違う教室を授業で使ったので、休み時間に違う階に行ったのだが、廊下に車座になってイヤーなムードを出している女子グループがいた。 「あらー、女子もこんな感じなんだー。3年?2年?」と思いながら、教室の表示を見ると…この階は何と1年生! よその学校(A校)で、教科の授業を週3回教えている1年生徒を思い浮かべると、とてもじゃないが同じ学年とは思えないひねた感じ…。ちょっとやばいぞ。 B中学校の出身(中学生として)で、今はA中学校に勤務(1年担任)している先生が、「この前、地元でバスに乗ったら、女子がバスの中で袋菓子食ってましたよ。普通、買い食いって、ガムとかジュース・アイスでしょう。バス停で待ってるヤツも袋菓子!なんかやばいっていうかあつかましいっていうか、すごいですよ。」と先日言っていた。 なるほど、週1の講師には見えない所で、いつのまにか「いつものB中」になっていたようで…。 まだ2学期のこの時期でこれでは、そのうち校内で暴れている人を取り押さえなきゃとかになりそうでいやだなあ…「そういう所で活躍したくないなあ…。」と思うのであった。 なってからやることは対症療法しかないけど、予防的なことが大事なんだよなあ…と他人事のように思うのであった。 日頃から生徒とも教員とも多く関わっているA中なら、積極的に介入できるが、授業で教えたこともなければしゃべったこともないB中のヤンキー生徒は基本的に「スルー」しないと、知らないおっさんが下手に関わるとトラブルが大きくなるし…。と言いながらもちょっと楽しみだったりして…。
2006/09/11
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今日、駅から帰るバスに乗る時に、すてきな親子に出会った。 母の方は50~60代のきりっとしたおばさま。いつも、朝、Sを連れて学校に行く時に、道路の反対側からも笑顔であいさつしてくれている人だ。 最初は誰かわからなかったが、入っていったと思われる家と、いつも会う場所やその容貌から、Tさんであろうと妻が予想していた。 おそらく年配の障がいを持ったお子さんの母であろうとわかってきたのだが、朝あいさつをするだけなのでそれ以上のことはわからなかった。 そして今日は、ちょうど、お子さんと一緒だった。 会釈をすると、「うちの息子です」と紹介してくれた。息子さんが電車で通っている職場(NPO法人・元作業所)の保護者会のような行事の帰りだったとのこと。 私が数年前の職場に行っていた頃(まだSが生まれる前)、時々朝早いバスで一緒になっていた彼だった。 彼はダウン症のお兄さんで、バスに一人で乗ってきて、静かにしていて、電車でもちゃんとしているのを何度も見ることがあって「立派だなあ」と思っていた。もうひとり、人を押しのけておりたり、急に怒鳴ったりするダウン症のおじさんもいるので、その比較からも何となくいいイメージを持っていた。 その彼と、見ず知らずの自閉症親子(私とS)にあいさつをしてくれるあのおばさまが、時を経て一本の線でつながった。気になっていた人同士がやはり親子だったとは不思議なものだ。 お兄さんと思っていた彼は、もう38歳でなんと私の2つ下。もう結構おじさんだ。 バスに乗っている数分間の間だったが、小・中学校の頃のことや、何かの時には昔の親の会で力になれる…というようなことを話してくださった。 ついでながら、私が地元の中学校の講師をやっていることも知っていた。うーん、何もかもお見通しとは…。 今以上に、社会に障がいへの理解がなく、養護学校や特学もでき始めだった時代、そんな頃を乗りきって元気に働いている先輩たちのことを心強く思った。 勝手な予感だが、今後何かお世話になりそうな気がする…。こういうあつかましい私の予感はよく当たる…。お世話になります。
2006/09/08
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本日は、息子Sの8歳の誕生日。残念ながら、皇族の方とは一日違いの誕生日となったが、いつか「休日の翌日」になる日が来るのか? 体調を崩して、誕生日に点滴を受けた年(3歳?)もあったが、今年は元気に一日過ごせた。 昨年は、ケーキのろうそくの火を吹き消せるようになってみんなを驚かせた。 今年は、妻が1本ずつつけていくと、追いかけるように1本ずつ消していく。これじゃあ、いつまでたっても全部つかない(笑)ので、「まだー」と家族に止められた。 「口で注意されて通じた」…こういうことが増えてきて、とてもうれしい。たぶん、数年前なら羽交い締めで連れ出さないとやめなかった?と思われる。 今日は学校でプール授業もあって疲れたのか、10時には『早々』と寝てくれた。ぜひ8歳の毎日こそは、「日付が変わる前に寝る」毎日にして欲しい!
2006/09/07
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友人であり、バンド仲間である鎌倉君(仮名)のライブに久しぶりに行った。3年ぶりくらいだ。本人は月に2本くらいのペースでやっているのにファンとしては申し訳ないかぎりだ。 いつも都道府県の中心街でやられると、遠くて行けない。しかし今回は…うーん、やはり遠い。うちからだと2時間少しかかる。が、3年前に毎日『痛勤』していた養護学校より少しだけ近い駅…一日かぎりで行けないわけがないので、がんばって行った。 途中、当時(3年前)唯一の息抜き場所だった朝食場所の喫茶店に寄ってみたり、乗る頃には暗い気持ちになっていたあの地下鉄に乗ったり…トラウマを克服する?かのような道のりだったが、同じ低い天井の地下鉄駅にいてもあの頃と違い、「今、自分は心がすっきりしている」ことが実感できてよかった。 さて、そのライブハウス、店長が学生時代の友人であることが最近わかり、それも今回の行動を後押しした。2回分の用事が1回で済む…。 ほぼ10年ぶりに会ったその友人は、転職や闘病生活を経て、仕事を辞めた2年前、ちょうどその時に本当は閉まることになっていた店を託されて復活させたのだそうだ。やっぱり、人間は必要とされる時にはなにかに導かれるようにフィットするものだ。 彼に会って話ができただけでもよかったと思っていたら、アコースティック・デイの演奏1番手は、いきなり店長だった(笑)。2回分の用事どころか、彼の歌も久しぶりに聴けて得した気分だ。昔やった曲をわざと入れてくれたこともうれしかったが、MC(曲間の語り)の感じが20年前から変わらず、それがおかしかった。 そして、お目当ての鎌倉君(仮名)。これはもう、人生の荒波?にもまれ、ストイックに音楽を続けてきた貫禄から来る、圧巻のライブだった。バンドでやっても、ひとりでギターを弾いて歌っても、彼の作る独特な世界が同じように醸し出される…そういういいライブだった。 しかし、あれはまだ8割くらいの力の入れ方で、熱唱モノや重い歌をあえてはずして結構淡々とやっていたのを、ファンの私は見逃していない…。そのうちもっと熱いのも見たいものだ。 さて、鎌倉君(仮名)のステージも終わり、店長にあいさつをして帰ろうと思ったら、姿が見えない。 ステージでピアノのチェックをしているので、「もうすぐもどってくるな」と思いきや、3番目の女性ボーカルがステージに立つと、店長がその伴奏のピアノを弾き始めた! サービスよすぎっていうか、お前、出過ぎだよ(笑)。あるアーチストあるお店 本文とは特に関係ありません…?
2006/09/06
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例年もアメリカとか韓国とか台湾?とかと全日本高校選抜がこの時期戦っていて、興味はあるけど新聞の片隅に載るだけだった。 今年は斉藤選手の人気のおかげで、映像がニュースで見られたり、今日はとうとう民放の地上波で試合中継があってびっくりした。 出勤前にずっと見たが、なかなかおもしろかった。 たぶん…だが、斉藤選手が途中で代えたサングラス、私が日頃車の運転中にかけてるヤツと同じような気がする…。スワンというメーカーのそう高くないヤツ。私は当時○フーオークションのショップで4000円くらいで買った。もし違うにしても見た目の形はほぼ同じ。 たぶん、これ↓ もう6年以上は使っているのに、これからは「ゆうちゃんのマネ」扱いか? ちなみに、夏の授業中に、これまでもハンドタオルを使っていたのだが、なんだか急速に使いにくくなったぞ! と気にしなくても、彼が使えば「ハンカチ王子」、私が使えば「タオルおやじ」だから心配は無用だが。 なんか売れそうだから、違う販売店のでもう一回。クリックすると色違いのも見られます。 私は時に「わらちゃん」とも言われますが、基本的には「ゆうちゃん」と呼ばれた時代が長かったので、もしそのサングラスと違っても、まんざらうそではございません!
2006/09/05
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月曜日は週1回のB校に車で行く。 月曜日はビッグコミックスピリッツの発売日なので、コンビニに寄って必ず買う。 仕事をし始めて(やや経済が上向いて)からずっと買っていたら、なんと19年目に入っていた。 ちょっとあきれる。
2006/09/04
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お昼ご飯を兼ねて、家族3人でカラオケの○ダックスに行った。 ここは食べ物はちょっと高いが、味はいいし、Sの好物のガーリックトーストなどもあるので以前(2年前くらいに)利用したことがあった。 その時は、マイクに向かって「ウー」と叫んでエコーを楽しみご機嫌だったのだが、本日はごきげんななめ…。 耳ふさぎをしながら聞こえ方を楽しむのではなく、本当にうるさいと思って必死でふさいでいるようだ。演奏の音量を少しずつ下げ、マイクの音量を下げ…マイクを離して歌い…とやっているうちに、マイクはいらない地声でいい音量になっていた。 カラオケボックスで小さな音を出して、地声で歌う夫婦。 朝行ったきり4時間もトイレに行ってなかったので、無理に連れて行くとトイレで号泣。(いっぱい出たくせに) もどってきてもメソメソしていたので、静かなカラオケとなり、料理を運んできた店員もただならぬムードに驚いたことだと思う。 ガーリックトーストなどを食べながら機嫌は少しずつ直った。つまんなそうにしている時に、運動会の踊りの曲(いつも踊りのビデオを見ている)「さやえんどう」(ワンピースの主題歌)をかけると、急にご機嫌になった。 なんだかんだで1時間半いたが、へそが曲がりそうになると「さやえんどう」を割り込み予約…結局これは3回も歌う羽目になった…。 くやしいが、あれだけいつも聴いて(聴かされて)いるのに、サビの一部の歌詞(ともにわかちあった涙?とかの部分)のリズムがうまくとれない! そして3回とも失敗する自分がちょっと悔しいのであった。 Sのその他のお気に入りは、「栄冠は君に輝く」…夏の甲子園のテーマ曲だ。赤ちゃんの頃、野球少年に洗脳しようとよく枕元で歌ったのが、こんなところで役に立って、体を横にゆらして踊っていた。
2006/09/03
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自分が仕事を変わった数年前の思いを書き留めておこうというのと、Sの成長の様子を書き留めておこう…というので始めたブログだが、気がつくと大量な文章になっていた。このデータ保存を他人任せでいいのだろうか?とふと思った。 ある日突然、サーバー管理者である「楽天様」のご機嫌を損ねたり(笑)、あやまってイヤらしい画像が載ってしまったり(そうそう勝手に載らないとは思うが)してこのブログが閉鎖されたら、「全部取り出せなくなるのだろうか?」と不安になったのだ。 ブログの日記のコーナーで書いたものを、全部ではないがフリーページに移している。どちらかというと、最近のものよりも「養護学校でのいろいろ」とかその頃のことを読んで欲しいからだ。それをブログの画面から直接コピー(コンピューター上で)してワードで保存しようとすると、背景の色とか文字色まで一緒に入ってややこしいことになった。 もう一度よく考えて、ブログ管理の方の画面からフリーページの編集画面にして、そこを直接コピーすると、ワードで完璧な文書データとして保存できた! これで一安心。いつサーバーダウンしても大丈夫だし、「楽天さん」から他にうつることも可能だし、「どんと来い!」という気になった。 だからって、めんどうだから何かとそのままであるが…。 「楽天」につけていた「様」が「さん」に途中で変わったのが強気のあらわれか?ってぐらいだ。
2006/09/02
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過日、映画『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』を見た。 私の世代では無理もないのだが、ローリングストーンズのギタリストといえば、キース・リチャーズ、ロン・ウッド、ミック・テイラーあたりだと10代の頃までは思っていた。ストーンズ創設時に中心になったブライアン・ジョーンズの存在を知らなかったのだ。私の生まれは’66年で、ブライアンが変死したのは’69年だから少なくともタイムリーには知らないし…。 しかもどちらかというとビートルズ派の私は、曲は聴いても特にストーンズのことを深く追求していなかった。ストーンズ好きが高じてバンド名の元になった曲を書いた『マディ・ウォーターズ』まで聴くような5つ年下のギタリストN田と一緒にバンドをやっていた頃に、ストーンズの話題になって「えーーー、わらGさん、ブライアン・ジョーンズ知らないのー!!!!」とすごくバカにされて、それ以降名前は知ったのだが、調べてみようという気をよりなくしていたのであった。(これで気に入ったりすると悔しいから…) 映画そのものもなかなかおもしろかったが、おどろおどろしいというか、「サイケでーす」とか「LSDでラリっていまーす」という感じの映像を見ていると、こっちも頭の中がグルグル回ってくるから不思議だ。 やはりロッカーは27歳で死なないと…という伝説を地でいく彼にまさに「ロック」を感じた。よくあんなに破滅的に生きられるなぁ…と変な感心の仕方をしてしまうのであった。 どの曲で誰がギターを弾いているとか今まで意識してなかったけど、ちょっとチェックしてみようかなという気になった。 ストーンズを作ったのはブライアン・ジョーンズで、でもヤクや酒におぼれたりしているうちにメンバーから捨てられ、そのうち死んで(殺されて?)しまった彼…。国も時代も違うけど、新撰組を作って中心にいたけど、酒におぼれたりしているうちにメンバーに密かに殺された芹澤鴨…とイメージがダブルのであった。 それにしても、今年60歳を超えてるのに「やしの木?に登って落ちて重傷を負った」キース・リチャーズ…彼こそやはり「ロック」である。 欠品中ですが、そのキースとブライアンのツーショットポスター。ブライアン・ジョーンズの名演奏をライブ版で聴くにはこれ!(か?)
2006/09/01
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