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Sは「○ツ矢サイダー」がとても好きなのだが、大量に飲んでゲップをしたり、まあ健康にいいこともまずないので、家では飲ませないようにしている。 その代わり、外食する時に、「たまのごほうび」として炭酸系の飲み物を頼んでやると、それを飲むことで機嫌良く待つことができる。メロンソーダとか、ジンジャーエールとか、炭酸のものならだいたい好きなようだ。 子どもの頃は私も飲んだが、今となっては、炭酸で甘い物なんて、そうは飲めない。甘すぎる。胸が苦しい。でもビールなら平気…。 さて、Sの不思議な力は、コンビニなどで他の買い物をしていても、一瞬にしてその「○ツ矢サイダー」を棚から見つけ出すことだ。 先日も、運動会の帰りに、水筒の中のスポーツ飲料が空になったのでそれを補充しようと車でコンビニに寄った。トイレを出た後、私がそれを取る間に、いつのまにかサイダーを持っていた。こっちが先に見つけていれば、そちらに行かせないようにしたり、体を入れたりもできるのだが、まあ「一日よくがんばった」ということでその日は買ってあげた。 まだ仕事にもどる妻を降ろした後は、車の運転席に私。後部座席にSひとり。時々様子を見ると、自分でフタを開けては、小さいペットボトルのサイダーをごくごく飲んでいた。 自分でドリンクホルダーに置いたりして、もう安心だな…と思っていたのだが、信号待ちで車を出した時に、後ろからシュワシュワという音が聞こえてきた。 どうも手から落としてしまったらしい。そのシュワシュワという音は、後部座席の上にどんどん流れていくサイダーの音なのだが、チラッと後ろを見たもののこちらはまだ運転中で手を離せない。 「S、持って、持って!」と呼びかけたが、なんだかやばいと思ったのか、耳ふさぎなんかしてぼんやりとながめている。やれやれ。 ちょっとして車を道路脇に停めてからペットボトルを起こしたが、もうすっかり手遅れ。 甘い香りの後部座席はそのうち腐ったような甘い香りに変わるのだろうか…。
2006/10/29
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養護学校小学部さんとその通学地区の特学との合同運動会があった。 室内で行うのだが、人数も児童2~300人規模で大変なものだ。 Sももちろん出場。とはいえ、たまの競技に嫌々行くが大半は先生に抱っこされて過ごしていたようだ。 午前は仕事で行けなかったので、徒競走とか障害物競走は妻の撮ったビデオが頼りだ。 日頃は集団の中ですぐに見つかるSなのだが、今日は似たようなタイプの子が多く(笑)、抱っこされているからうちの子かと思えば違うし、脱走しているのでうちの子かと思えば違うし、引き気味の画面ではなかなか本人を見つけられなかった。 来年度はピンクの靴下とかで行こう! (昨年度もそう話した記憶があるが…) さて、徒競走。やる気のないSは、逃げ足は速いくせにこういうのでちゃんと走ったことがない。 ちなみに昨年度はまあまあよく走ったのだが、2位でゴールと思いきや、飾り付きのゴールテープが恐くてUターンしてスタートラインにもどり、もう1回走った。 今年は、「ようい、ドン」でみんなが走り出す中、悠々とゆっくりと歩く。まっすぐ歩いているから、いつか着くならまあいいか…。 4人で走っていて、すでに速い2人はゴール。 悠々と歩くSの横を、歩行に障がいがある子が一生懸命歩いていて、デッドヒートに。 それぞれの学校の友達や保護者の大声援が響く。(ただし、Sの方は、「Sちゃん、走れーーー。」という怒声?) とうとう5m以上のリードを許し、「一生懸命がんばったとなりの彼の勝ち」という美しいゴールの瞬間が来た…。 ところが、ゴールラインの先に、いつも抱っこしてくれる先生を見つけたSは、なんと信じられないスピードで猛ダッシュ。 差し馬のようなものすごい追い込み。 最後の3秒間だけ走り、タイミング悪くゴール前最後の数10cmの場所で……彼を抜いてしまった。 Sのクラスの子の歓声もビデオに残っていたが、会場の多くの人の「アー」というため息も大きく聞こえていた。 すごいいじわるをしているかのようで(もちろんそうでないことをみんなわかっているけど)困ったものだ。 空気の読めない男め! 親ですら素直に喜んでばかりもいられないぞ。最初から走れ(笑)。 ついでだが、閉会式のあいさつに出たどこかの市教委の指導主事。みんな最後までは持たず、低学年の子を中心に泣いてたりごろごろしていたり…で会場のほぼ全員が1秒でも早く終わりたいと思っているその時に……5分近くも演説をしていた。泣き叫ぶ子の人数を増やして、大会は幕を閉じた。
2006/10/27
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私の住む都道府県では、養護学校の高等部受験の際に、「療育手帳を持っているか、医師の診断書がある」ことが出願条件になってきたそうだ。 どうも数年前まではそんなことはなかったらしい。 その一方で、療育手帳は「自閉症」だけでは出してもらえず、「知的な遅れ」を認められないと手帳が出ない。 その結果、高機能自閉症(アスペルガー症候群もふくめて)とか、LD、AD/HDの人で、養護学校の高等部に行きたい人が「行けない」可能性が出てきた。医師の診断…急に受けようとして「診断は半年待ちです」とか言われたら間に合わない。 その代わりに、そのあたりの生徒をイメージしてか、100%就労を目指す職業技能を磨く養護学校をいくつか増やすそうなのだが、それが近い所にあるとは限らない。 普通高校に学力的には行ける子もいるかもしれないが、そこでは先生たちも発達障害に対する知識がないのが普通だろうし、いじめとかからかわれの人間関係でのトラブルが予想される。 進路の選択肢が広がった生徒もいるかもしれないが、なんだか本人にあった所をなくした生徒もいるような気がするのだ。 最初の、養護学校の高等部の件は、「生徒が多すぎて困っている」からの措置ではないのか? ちなみに我が家のSのように、養護判定が出ているのに認定就学して特学に行っているような児童には、学期に一回の「適性就学」を求める面談が教育委員会がらみで行われている。どうもみんなやっているらしい。 これは養護学校の小・中学部の定員に余裕があるからなんとかそっちに回したいのではないのか? なんだか、学校・行政側の都合でこんなことが行われていたり、改革の狭間で本人にちょうどいい学校がなくなったり…本当に特別支援教育がいい方向に進んでいるの?とだんだん疑問が湧いてきている。
2006/10/25
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勤務しているA中と息子の小学校と、両方とも校門に防犯カメラがついた。 勤務校の方の画面で見てみると、同時に数カ所の門が映っており、赤外線で人影を察知すると、音が鳴ってその門のカメラが拡大画面になる。 なんだかすごい! ただし…今後、門のところを通るたびに気をつけておかないと、人の目のない場所なので、ぼけーっとした顔をしていたり、鼻をほじっていたり…やってしまいそうだ。 写真はイメージ映像で、今回のものとは違います(いくら何でももっと高いだろう)。
2006/10/24
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今日はSの学年の遠足。正式には「生活科校外学習」。バスで動物園に出かけたのだが、いつもの通り、認定就学のお約束で、うちは家族が付き添いに行かねばならない。 もともとは義父(車)と妻(バス)が行く予定だったが、雨で延期となり、今日は仕事の都合がつく曜日だったため、私だけが車で行った。 しかし、今日もあいにくの雨だった。この学年、やたらと学年行事が雨にたたられていて、何回か延期しては、最後、一番雨がひどい時に強行してひどいことになる。 そして、案の定、今日も大変だった…。 バスに乗り込む時は霧雨だった。ついた時には傘が必要な雨。昼食を外でとりにくくなるからと着くなり10時05分から食事(笑)。借りた場所が営業前のレストランだったので食事時間は10時30分まで。25分間(笑)。ちゃんと前もって予約しておけば入り口のホールとかも使えるのに? さて、すばやい昼食後に、ある範囲内での班行動。Sも交流クラスの5名と一緒に、チェックポイントでクイズとかの企画に参加。Sはその『チェックカード持つ係』というのになっていて、朝から首にカードを下げていた。(よくここまでやぶらなかった) しかし、雨で濡れてびりびりになり始めると、もう我慢できずに一部をはがし始めたので、代わりに父が首から下げて歩いた。 地図係のY君がびしょびしょの地図を出しながら、何度も「もういやだ」と捨てようとするのを押しとどめる。 地図の見方があまりわかっていない班長のT君は、「よし、こっちだ」と逆方向に行く…。この雨の中、まちがっていることに気がつきながらもそっと見守り一緒に遠回りをしていくのはつらいものがあった…。 途中、10分くらい歩いてから他3名の女子が気がつき、「逆だよ」と言い出す。 またもどって行くと1番のチェックポイントにはまた20分かかる。 「順番どおりでなくていいのなら、意外と2番のチャックポイントの方が近かったりして…」と大きな独り言をつぶやくと、聡明なMさんが聞き取っていてくれて、「ねえねえ、2番の方に先に行こうよ」…助かった。 つらい行軍だったが、Sも泣かずに歩いたし、Mちゃんのレインコートの手触りが気に入って、時々つついてはニコニコしていたので、一応交流できてよかった。 さて、ここで本当は昼食だったのだが、もう食べているのでそのまま後半。一度集合してから今度は学年みんなでもっと長い距離をぐるりとまわる。すべては無理なので、「コアラコース」と「昆虫コース」に分かれていく。Sもふくめて特学の3名はなぜか「コアラコース」。そっちの方が遠いのに…。 「もうダメだろうな」という私の予想どおり、10分歩いた後ぐずり始め、泣きながら歩いているうちに、道ばたでひっくり返りぬれまくり。それでも3回ほど起きあがってはまた進むことができたが、最後は大泣きで抱っこ状態。 「コアラ館」に入った時には、自分が「コアラ状態」になっていた。 ここより先に行くことはあきらめて、集団から離脱。それでも入り口付近のホールまで650mとか書いてある。 ゲッソリしながらうちのコアラを抱えて歩くのだが、傘も差したい。大泣きして歩けないくせに、しっかりと大人用の大きな傘を支えて抱っこされているSの姿におかしくなってしまった。 入り口のホールで、濡れたパンツ・ズボンを履き替えて、もう一度勝手に食事。少し食べて落ち着いてから、みんなと合流し、車で帰った。 前回の雨の山登りでひどい目にあって、「雨なら欠席した方がいいかも」と言っていた妻の言葉の意味がよーくわかった一日だった。チンパンジーのチェーンの登り方を学ぶS(右から3番目)右から2番目の子のレインコートの手触りがお気に入り。
2006/10/23
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過日、前任校である小学校の運動会を見に行った。 小4の時に担任した子たちが、小6となって大活躍…のはずを見に行った。 急速に大人になって、顔を見てもわからないのではないか…と思ったが、近くで会うとそんなこともなかった。たぶん、10cm近くみんな大きくなったのかもしれないのだが、日頃、中学生を見上げて生活しているせいか、自分と同じかそれ以下だと大きくなったと実感できないのだ。 みんなの伸びよりもはるかに大きな値で伸びて、全体の中で小さい方から大きい方になった子だけは、何かバランスを欠いた気が(いつもいる友だちがちびっ子仲間だったはずがデコボココンビになるなど)して「大きくなったね」と言えるのであった。 そんな風に見た目ではあまり驚けなかったのだが、演技の方で成長に目を見張った。 今時だけど、まだやっている男女混合の組体操。昔のように笛でビシビシ軍隊調…ではなく、美しい音楽に合わせて合図なしで繰り広げられる美の(一応)世界。 「この技は練習したんだろうなあ」とか、「この間を合わせるのは大変だったろうなあ」とか児童&先生方の苦労が忍ばれた。何よりも演技をやっている時のまじめで誇らしげな顔…3段の塔が立った時に上の子が手をのばす瞬間…4段ピラミッドができて前を向いた瞬間…そういう時に感動した。 すべて終わった時にもたくさんの拍手が印象的だった。たぶん、この子たちと縁がなかったとしても演技だけ見て感動できたと思う。当時のダメぶり(笑)を知っているからなおさらであった。
2006/10/21
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このブログで楽天の「リンクス」に参加する気はないのだが、今日気がついたのだが、勝手に「参加中」となっていた。 個人情報の取り扱いから、このブログには匿名性を持たせていたいから今後も参加しないつもりなのだが、ちゃんと通知せずにこれは困ります。 その「リンクス参加中」というのをクリックすると、「友だち0名」と出てくる。かっこわるいからやめてくれー、楽天さん。
2006/10/19
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介助員を週1でやっているC中学校での私は、仕事が終わって帰る前に、学校付近の川沿いをウォーキングしている。 橋と橋の間を歩くと1周800mくらいだろうか? 今日は4周した。 うちの方に比べるとそうきれいな川ではないのだが、地域の方にとっては、犬の散歩コースだったり、小学生の遊び場になっている。 今日は、朝晩は少し寒いが、日中はまあ暑い日だった。気温は20度台くらいで、とても歩きやすい気候だった。 1周目で、男子小学生3人が川に降りていったのを見た。 2周目で、彼らが裸足で川に入って遊んでいるのを見た。 3周目で、水をかけ合って遊んでいた彼らのひとりが、パンツ一丁になっているのを見た。 4周目で、パンツ一丁の彼が、ふっきれたのか、川の中で泳いでいるのを見た! 絶対に、風邪をひくと思う…。
2006/10/19
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本日はSのST(言語聴覚療法)とOT(作業療法)の日だ。同じ日に続けていっぺんに、この2年間は月2回ペースでやっている。 まあ、これでどうなるかっていわれれば、今はそんなに劇的なことは起こらない(笑)のだが、STを始めた3年前の頃の記録を見ると、幼稚園でウロウロしていただけのSがイスに座って課題に取り組んだりして、相当に驚いたことが思い出される。 人と1対1で正対することを学ばせてもらった。コミュニケーションを遊びのやりとりから学ばせてもらっている(というか本人は遊んだり、要求したりするだけだが)。 今は、私は5時間目の授業を2時25分に終えて、家に帰ってきて、3時35分のSTの予約時刻に余裕で間に合っている。 3年前(養護学校勤務時代)は、朝、2時間35分かけて職場に行き、8時15分から2時間勤務して、「後6」という6時間休暇を取って、10時半くらいに学校を出発。食事込みで2時くらいに家にもどり、そこから車で2時間弱かけて病院に移動して、やっと4時からのSTにたどりついていた。で、5時過ぎに終わって家に帰ったら7時。STのある日は壮大な旅であった…。 職場の距離が2時間以上違うことはもちろんなのだが、実は病院が向こうから近づいてきたのだ! こんなラッキーなこともある。 もともとうちから近い診療所の医師にかかっていたのだが、STを受けるには設備のある本院に行かなければいけなかった。ところが2年前に、その診療所が大きなセンターになり、STもOTもできるようになったのだ。 自分の苦労(単に輸送上のこと)が劇的に小さくなった分、その日の成果がそうたくさんなくても許せるようになり、それは多くを期待しないことになり、なあなあになってしまっているような気もする。 今日はSTの先生がうちが入っていることを忘れていたのか、前の人が長引いて、20分押し。30分前に来ていたこともあり、50分も待つのは、待つのが苦手な自閉症児のみならず、私にも無理。 ちょうど部屋に入りたがったSを、それまでは止めていたのだが、もう待ちきれず「突入」させて、やっと気づいてもらった。こっちで20分遅れると次のOTをずらせないから何かとややこしい。 残り時間はすでに20分…先生が教具の準備をする間、私が中でSと遊んでいたりなど協力した。 たぶん、前みたいに苦労した一日だったら怒っていただろうなあ。
2006/10/17
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Sが知的な遅れを伴う自閉症であることを受け入れなければいけなくなった時期(もう5年前くらい)、「ああ、この子と親子でキャッチボールをするようなことはたぶんないんだなあ。」と考えた時にすごく悲しくなったのを覚えている。 息子が産まれた…って時には、そんな将来を思い描いていたし、やっぱり野球をやって欲しいなとか、サッカーでもいいけどそしたら地域の少年サッカーに行くの抵抗があるな(その頃は野球指導関係者だったし)とかいろいろと思っていた。 で、ここ数年はそんなことは忘れていたのだが、先週、偶然起こったことで思い出した。 Sはボンボン(チアリーダーが応援とかに使うスズランテープを束ねて裂いたヤツ)が好きで、春の運動会で使ったヤツをいまだに取り出してきては、振ったり、裂いたり、食ったり(笑)している。 その日、ボンボンを私の方に投げてきた。力を入れて投げると結構いい感じで飛んでくる。 私がナイスキャッチ。すかさず投げ返すと、結構な速さなのにSもナイスキャッチ。 なんだか楽しくなったようで、ゲラゲラ笑いながら投げ返してくる。 こちらも「行くぞ」とか言いながら捕れるように手をねらって投げると、なかなかうまくキャッチする。 こうして親子で楽しいボンボンキャッチボールが10分間くらい行われた。 やりながら、『当初夢見ていたキャッチボールとは違うけど、これはこれで「普通の親子」には味わえない楽しいキャッチボール(キャッチボンボン)だなあ…』とうれしく思った。 残念ながら、後日はこちらが投げても投げ返してこないので、一日かぎりのサービスだったようだが…。 ちなみに小学生の頃の私は、父が自分のチームの鬼監督だったので、「キャッチボールしよう」と誘われて、最初は楽しくやっていても、最後は結局フォームをいじられたり、疲れてもやめさせてもらえなかったり、ただの練習になってしまい、あまりうれしくなかった思い出である。 ただ父が自分の練習(ソフトボールの投手)のブルペンキャッチャーを頼む時には、100球50円…とかでキャッチングをして、「速い!」とおだてながらその気にさせて、延長料金(10球5円)をとったのは何となく楽しい思い出だ。向こうも自分の練習だから、こっちにとやかく言わないので、楽しかった。 ミットでいい音をさせると投手は喜ぶ…とかいうが、どう捕ろうがミットはすごい音を立ててていた。暗やみに裸電球が二つ…ぼんやりとした白いかたまり(3号ソフトボール)を捕ることに必死だった。当時の父は剛球投手で、少し取り損ねるとこっちはミットの中で突き指だった。大人対小学生とはいえ、10球に1球くらいは捕ったあとに本当にしりもちをつかされたり、ふっとんでいた。 父との楽しいキャッチボールもあった…と書こうとしたのだが、どうもこれも割に合わない、どちらかというとつらい思い出だった。
2006/10/13
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今日のC校での調理実習のメニューは「コロッケ」。 特学のこのクラスでは、料理の天才から、手の衛生状態を常に気にかけなければいけない人まで、幅広い人材がいる。 その中での調理実習は、実は毎回、私の方が教えられてばかりだ。 本日のコロッケ、最後に、具(ポテトとひき肉と玉ねぎ)を丸めて、1 小麦粉をつけて、2 溶き卵につけて、3 パン粉につけて、鍋に投入! いろいろな所で見てきたが、コロッケに限らず、この1・2・3をやったのは初めて! なんだか楽しかった。 よし、これはいつか義母亡き後の私の得意メニューに…ちょっとめんどうだな。
2006/10/12
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ものすごくどうでもいいが、万が一これが世界を震撼させるようなメッセージ(笑)だと困るから書いておこう。 今日、久しぶりに行った私の住む市にあるファミレスの○ストで、洋式トイレに入った時に懐かしい落書きが目に入った。 2年前、ちょっと遠目の小学校に車で通勤していた時の帰り道に、その○ストはよく使ったのだが、車で1時間かかる道中にあるいくつかの店でそこもふくめていつも同じ落書きがあったのだ。 もっと学校に近い方の市の○ストのトイレ、その隣の市の牛丼の松○のトイレ、あともう1件(どこか忘れた)で合計4件も、私の通り道の店のトイレにそれはあった。それを見つけるということはいずれのトイレでも私が大便をしたということだが…(苦笑)。 かといって、どこも落書きだらけの汚いトイレではない。洋式トイレに座った時に、目の前に小さく、横幅5cm以内で、細いペンか鉛筆だかで、「YERAK」と書いてある。 目立たないから消されずに残っているのだろうが、全然違う場所で発見して、4軒目に気づいた時にはなんだか不気味だった。(もちろん、書いたのは私ではない!) それにしても、「イラク」なら「IRAQ」のつづりだろうし、わいせつな落書きよりもさらに理解不能な意味不明の落書きだ。グーグル検索(日本語のみ)してみたが、どこかの人の名前のつづりでちょっとヒットするくらいだった。 どなたか、「YERAK」という名の悪の秘密結社をご存じでしたら、密かに教えてください(笑)。
2006/10/11
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地理の授業の下調べをしていて気がついたのだが、今うちの学校(A校)が使っている教科書には、「地形図」のことのお勉強がほとんど載っていない。 「地形図」というのは、「鳥居」のマークが神社とか、「文」のマークが学校とか、「テ」に「○」で郵便局とか、そういう地図記号の勉強もあるし、何よりも「等高線」の勉強の所だ。地図の中のあのうねうねした曲線と戦いながら、A地点が標高何mか答えるなんて作業は、その手の仕事に就かなければここでの学習が一生で唯一の経験かもしれないのだが…。 で、どうでもいいかって言われれば、やっぱり基本くらいは知っておいた方がいいと思う。山登りをする人なんかも、尾根と谷を見分けたりとか使うだろうし。 いくつかの種類の教科書を見てみた。地図記号は、昔に比べると、ささやかに載っているか、ほぼ「なし」かだった。 等高線は、出てくるが、そのルールの記述はなかったりする。簡単にしたつもりで、余計難しくなってる。 「身近な地域を調べる」という調べ学習の単元の一部なのだが、年々軽視されたようで、「これってもしかして削減対象?」と思って、久しぶりに「学習指導要領」の中学校社会科編などをひもといてみたが、それに関わるような記述が今の所見つかっていない。「身近な地域」は昔より大事にされているのだが、少なくとも、「地形図については~」というような文言が見つけられないのだ。 気づかないうちに、必要な所がカットされている…例の学力不足の問題は、こういうところから来たのかもしれない。 ちなみに、30代以上の方は、中学校の地理で、世界の地域と日本の地域を大まかだけど全部ちょっとずつやったと思うのだが、20代くらいの方は日本は全部だけど世界は一部だけになった。そして現在はどちらも一部(一部を学ぶというより、一部を通じて「学び方」を学んで後は自分でよろしくという方法)なのだ。 世界のさまざまな地域の学習を切ったり、歴史も世界史部分を大きく切っておいて、「国際理解」とか「国際化教育」ってどんな方向性だ? 先に授業時数削減(社会科は1・2年で週4回が週3回に、3年で週3回が週2.4回に)があったからどこか切る必要があったとはいえ、このセンスのなさはすごいと思う…。もちろんあの役所のお仕事だが。 さて、私が中学生の時、学校の定期テストに出た地形図の問題…汚いわら半紙にかすれた印刷…そこに豆粒のような文字や数字…目をこらしながら必死で解いた記憶がある。そして、テストが終わってから気がついたのだが、私の問題用紙だけは本当に「印刷ミス」でかすれていたのだ。等高線が二重に見えたのは、目が疲れたからではなくて、本当に二重だった。印刷状態が悪くても我慢するなんて、なんてストイックな中学生だ。(気づかなかっただけだが)
2006/10/10
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本日、ブログ開設1周年! 楽天からお知らせのひとつも来るのかと思っていたので、危うく気づかずにやり過ごす所だった。 日記記入率88%という自分としては驚異的な数字、野球の打率だったら8割8分打ってるんだからすごいことだ。 最初の2ヶ月くらいで当初の目的は終わってしまい、新年までやるか…、次は新年度(4月)までやるか…、そして1周年までやるか…と考えているうちにここまで来た。 文章に書くことで、自分の行動の記録になったり、考えがまとまったりすることもあるので、今後も続ける所存ですのでよろしくお願いします。 ただ、打率は首位打者をギリギリとれる程度(3割5分くらい)になりそうだが…。 さて本日のSは、かなり外食に慣れてきたので、思い切って、中華のファミレス「○ーミヤン」デビューを飾った。 自分の好物があったこともあるが、すばらしくいい子で過ごせ、ゆっくりと1時間くらい食事ができた。この調子なら今後は普通に外食できそうだ。 ただいつも、Sが好きそうな物を多めに選んで、残りを私たちが食べる…というスタンスなので、なんだか食事の充実感に欠ける。お腹いっぱいなのになにかむなしい。 今日もSが好きそうな、チャーハン、海鮮タンメン、ギョウザ、春巻、ポテトフライ…と頼んで、彼が食べたのはチャーハンとタンメンの汁のみ…。 あとあとは自分でメニューを選ばせたいが、フタを開けてみないとわからない偏食男にはまだまだ振り回されそうである。
2006/10/09
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現役の社会科講師なのでいばって言うことではないが、私は世界史が苦手だ。高校時の評定は5段階で「2」だ。しかし、教員免許は当時「社会科」という形で出たので(今は地歴科か公民科のどちらかになることが普通らしい)、免許の上では、高校で世界史を教えることも可能(本当にやってしまうかどうかは別として)なのだ。恐ろしいことだ。 ちなみに大学入試の時は、1次試験は倫理社会と日本史、2次試験は倫理社会だけですんだ。大学入学後は社会科の科目を一通り履修しないと卒業できないが、各教授の狭い専門分野だけなので、世界史も地理も経済も、いずれも大学入試ほど手広くやることを要求されなかったので、これまた避けて通ったまま何とかなってしまった。 で、高校時代、なぜ苦手だったのか思い出してみたが、とにかくそのW先生(ネチW)が嫌いだったようで、いつもよく寝たこともあり、たまに起こされて質問され、答えられずにイヤミを言われたり、それでもその後また寝てしまい…試験前は独学で勉強するのだが、その程度の標準レベルでは答えられないようなハイレベルの難問ばかりがテストに出て…とすっかりわからなくなっていた。 授業は毎回、「いったい、今日は、いつ頃のどこの地域のことをやっているかさえわからない」という状況だった。 さて、変わって現在、中学校の歴史は基本的には一番教えがいもあるし好きな分野だ。世界史も部分的に入るが、指導要領で切られても、まだルネッサンスや宗教改革の所をやろうとしたり、世界史部分も大切にしている。だから今はそこはわかるのだが、最近自分でも気がついた。 「自分の世界史の知識は分断されている」 中学校の歴史に出てくる所…古代文明とギリシア・ローマ(今は切られた)、イスラム帝国と十字軍、中国の歴史、ルネッサンスと宗教改革、大航海時代、産業革命と市民革命、アメリカの独立、第1次世界大戦と第2次世界大戦…このあたりだけわかるけど他にどこで何が起こったのかほとんど知らない。だからそれぞれがつながってこないのだろう。 直接役立つことはなくてもいつか役立つかもしれないと思い、ちょっと世界史の本を買ってながめることにしようかと思っていた。 そんなタイミングで、それとは関係なくちょうど思い出したある人物(友人A)の名を検索していて驚くべき事実を見つけた。なんと、大学附属の中学校の教育実習で一緒だったその友人が世界史関係で「名人の授業シリーズ」みたいな本を出しているではないか! 彼とは、教育実習中の休み時間ごとに喫煙所で一服しては次の授業見学に遅れていく仲で、毎時間わざわざ喫煙所に来るのは80人近い実習生のうち4人だけだった。(そのうちの一人はこの前会ったら指導主事になっていた) その一人である彼も当然、教官から快く思われないグループで、私と共に指導案のことでケチョンケチョンに言われ、でも書き直すうちに内容に自信を持ったらその指導案についてその教官に一歩も譲らない(それで合格できない)という点で共通していて、仲良くなった人だった。 ちなみにとにかく私たちのことを憎んでいた担当のH先生は最後までその指導案を自らは合格させなかったが、その人より先輩のY先生(相当偏屈者でみなから恐れられている)がふらっと来た時に見てもらったら、A君と私、二人とも思いっきりほめられて、「こんなおもしろいことを考えるとはすごいな」とH先生は同意を求められて困っていた(笑)。教室ではうまくいっているのに、教科担当のH先生とうまくいかないせいで、二人で(特にA君は)「今日こそHの前で指導案を破り捨てて、実習をやめよう!」と言い始めていた所だったので、このY先生に救ってもらったようなものだ。(もちろんその場でその指導案は合格。それに基づいて実習の授業もでき、やめずにすんだ。) 話を戻すと、その彼はその後、東大に入るより難しいとされる松下政経塾(政治家・経済界の人などの養成組織)に入り、塾の先輩の選挙活動を応援したりした時期に、こちらはそのイベントを盛り上げるバンドとして出演して再会したり…といろいろあったが、ここの所、連絡が途絶えていた。 それが、世界史の本を探そうと思っていた頃にちょうど彼の書いた本が見つかったのだ。今はやめて自分で塾を開いた?ようだが、一時期、「東進スクール」という進学塾で講師をやっていたようで、それが本になっていたのだ。 これ↓ 荒巻豊志 なんせ、好きなことではないのでなかなか読み進められず、翌日にはまた他の本を読み始めたりする(笑)のだが、読んだその瞬間は世界の歴史の流れがよくわかる。「へえー」と思ったりする。もし、高校の時の世界史の先生が彼だったらまた違ったかもなと少し人のせいにしてみたり…。 しかし、なぜ苦手だったか、今さらながら、ようくわかった。 カタカナの外国人名がまったく覚えられない! オクタビアヌスとかちょっとダジャレ系(置く度にお尻の穴が…とか)のものは覚えられるのだが、それ以外は右から左に通り抜ける。 ミュージシャンの名前ならかなり欧米人も得意なのだが、なぜだろう? ブライアンならジョーンズ、アダムズ、イーノ、メイ…とか、ジョンならボーナム、レノン、クーガー・メレンキャンプ、リン・ターナー…とか結構言えるぞ! まあ、誰からもテストされるわけじゃないからいいか…と思いながら、教員免許更新制とか聞くと、まさか総合テストとかしないだろうな…とかちょっとおののくのであった。 追伸:紹介した本の作者(A君)本人もしくは現況を知っている方、もしこのブログに何かでたどり着くことがありましたら、ぜひコメントやメールで連絡先を教えてください。
2006/10/08
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毎年この時期は忙しいので、2年に1回くらいしか夫婦の話題にならないのだが、この日は妻とつきあい始めた日だ。 結婚記念日の方が今では正式な記念日?なのだが、なかなか結婚しなかったので(笑)、以前はこの日が重要な記念日だった。つきあって、1年目とか2年目の頃は特に意識していたが、さすがに21年目ともなると…忘れがちだ。 「10月7日ってなんかあったなあ」とカレンダーに予定を書き込む時に思い出そうとしていて、行事予定ではなくてそういう日だったことを思い出すのだ。ちなみにこの数年くらいは妻の方から思い出して言ってくることはない(笑)。 21年前のあの日、つきあい始めなければ、かわいい自閉症児S(笑)との出会いはなかったし、よかったような気もするが、あの時つきあわなければ義母との「二世帯家族問題」に巻き込まれなかったかもしれない(笑)。 タイムマシンがあって、あの日にもどってしまったら、当時の自分に協力するか止めに入るか…判断が難しいなあ。
2006/10/07
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一昨日、A校で社会科の授業をしていると無断侵入者が1名。 学校長だ。 ちょうど教諭も講師も授業点検だか勤務評定だかの時期なので、いろいろとまわっているようだ。どなた様もいつでもどうぞ…と思っているので、特に気にしないし、前もって言われるよりはよっぽどいいのだが、何も、テスト範囲が終わって、夏休みの宿題を返したり、テストの質問コーナーとかをしているような時に来なくても…違う時なら「ほう、いい授業だなあ」と感心させてあげたのに(嘘)。 彼が去ってしばらくして、第2の侵入者が来た。 オオスズメバチだ。 でかい。 羽音をさせて窓から入ってくるのを見た時に、私にはカブトムシに見えた。 でも何か黄色い色も見えたような気がしたので、念のために窓側の生徒をゆっくり移動させて、その際に確認してみんなに「オオスズメバチ来襲」を伝えた。 長さ5cmはある。外に出そうと窓を開けたりするのだが、距離が近いと結構恐い。攻撃してくる気配はないが、出ていこうと窓にぶつかるうちに、2枚の窓の間に入り込んでしまった。片方が固定式の窓なのでこうなると逃がすのは難しい。 その場を離れている間に誰かが倒そうとして刺されると困るので、使いの生徒を出して、職員室か事務室か用務主事室にいって殺虫剤をとってくるように指示。なんとこのクラスだけハチの通り道なのか、今期3回目だったらしく、彼は慣れたものであった。 殺虫剤だけでなく、用務主事さんもゲットしてきた。そして主事さんの手には「ハチ用」の殺虫剤。 窓のすき間での大量のスプレー攻撃の前に、ハチは落ちた。 それにしても、こんな強大なハチがいたり、それが室内に入ってくることに「さすがA市、田舎だなあ」と思わされるが、ハチ専用の殺虫剤が常備してあることに、「さすがA市の中学校」と我が町ながら感心した。 オオスズメバチの巣は校内にはなさそうだという話だ。 ちなみに一般家庭の庭で巣を発見した場合、市に通報すると防虫ネットのついたかぶりものなどの「退治グッズ」を貸してくれるそうだ。 自分でやらせずに、市職員のプロが退治してくれよ。
2006/10/06
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特学の介助員をしているC中学校では、通常の定期テストに合わせて独自の問題(個別)でテストをしている。 そういう国語・数学とかの通常の問題の他にも、「生活テスト」と銘打って、あいさつや、自分の名前や住所や電話番号を言ったり書いたり、靴ひもを結ぶ…など今後の生活に必要だけどできていない子もいるものに取り組んでいる。 テストに入れることで親子共にがんばり度アップ! のようだ。 あいさつのやりとりは担任の先生と行う。 朝のあいさつは? 「おはようございます!」(大声) 昼のあいさつは? 「こんにちは!」(大声) 夜のあいさつは? 「こんばんは!」(大声) お別れのあいさつは? 「さようなら!」(大声) こんな感じで将来外に出てしっかりやれるといいなあ…と思いながら、成功例を見ていた。 みんなをわかせてくれたのは、先週に引き続き大物のK君(ダウン症の愉快な男)。 いつもは大声なのに、テストとなると蚊の鳴くような声でささやいていた。 朝のあいさつは? 「おはようございます」(小声だけどちゃんと頭を下げた) 昼のあいさつは? 「いただきます!」(小声だけどうれしそう) 一同爆笑。「それはお昼ご飯のあいさつだよ。お昼のあいさつは、『こんにちは』」 「こんにちは」(小声) じゃあ、夜のあいさつは? 「おやすみなさい」(小声だけど両手を合わせて横にしてのおやすみポーズ付き) ウケねらいではなく本気だし、その笑顔に、生徒一同みんなこけた。
2006/10/05
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市の福祉部長から各課長宛に出た文書がひょんなことから手に入った。やっと…とか、今頃?…の感はあるが、うちの市も一歩前進と思っていいのかな。 (以下引用部分) ノーマライゼーションの社会を目指していく上での課題として、障害者に対する差別や偏見をなくすために、「心のバリアフリー」が挙げられますが、「障害」の「害」の字には、「公害」 「被害」 「妨害」 というようにマイナスイメージが強いため、「ひと」を直接的に形容する場合は、ひらがなで「がい」と表現し、不快感を与えないようにする必要があります。 最近の社会的傾向として、「害」の字をひらがなで「がい」と表記する自治体は年々増えていますが、○○市内在住の障害者からも、「害」の字の表記に対する見直しの申し入れが出てきています。 このことから、平成18年9月○日付けで「害」の字をひらがなで「がい」と表記することに決定しました。 つきましては、全庁的な対応が必要となりますので、今後、通知文や広報への掲載記事等は、「害」の字をひらがなの「がい」と表記するようお願いします。[基本的な考え方]1 「障害」という言葉が、単語あるいは熟語として用いられ、「ひと」を直接的に形容するような場合は、「害」の字をひらがなの「がい」と表記する。2 障害者に対する通知文、障害に関する広報掲載記事で「障害」を一般名詞として使用する場合は、そのまま表記する。3 国の法令や地方自治体の条例に基づく制度や施設名、或いは法人、団体等の固有名詞については、そのまま表記する。(例)法令・制度…障害者自立支援法、特別障害者手当、身体障害者手帳 固有名詞…身体障害者更正施設、障害者自立生活支援センター、障害者団体連合会*ノーマライゼーション…障害者や高齢者など社会的に不利を受けやすい人々(弱者)が、社会の中で他の人々と同じように生活し、活動することが社会の本来あるべき姿であるという考え方。 (引用終わり) この文書も、[基本的な考え方]以降は、「障がい」とすべき部分はもうしちゃった方がよかったのでは…と勝手に思ったが、さすがはお役所、一般名詞とか固有名詞とか区別が難しそうだ。他の部署がどれだけ対応できるかこれからちょっと楽しみだ。(全部ひらがなにするのなら簡単だけど) 「えー、そんなの気にしないんじゃない」と多くの方は思うだろうし、実際に「気にしない」と断言する「障がい者」の方もいるのだが、いざ自分が使われてみた時というのを想像してみてくれると、やっぱりイヤだと思う人の方が多いと思う。私は自分の子の障がいを受容しているつもりでも、この言葉(障害者)と書いてあるような書類をもらうと何かイヤだった。(市に申し入れしたのは私ではないけど) 中学校社会科の選択授業や小学校の総合的な学習の時、導入によくこの話を使った。 「なぜ、『障がい』とか『障碍』って書く人が増えているのでしょうか?」 答:「『者』という字をつけてみるとわかります。 たいていの子は、この時点でわかる感性を持っている。
2006/10/04
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(前号までのあらすじ) 私は8歳になる自閉症児Sの父親で、中学校の社会科講師(A校とB校)や特学介助員(C校)をやっている。(終) さて、B校の選択社会科の授業テーマは社会福祉。半年間ビデオ学習をした後は、各自がテーマを決めて調べ学習をすることにしている。 3年の9名のグループの中で、いつも一番まともな「ビデオ視聴カード」を出す生徒が、「ビデオとかでいろいろ見た中で一番興味を持ったのでこのテーマにしました。」とテーマを発表した。「自 閉 症」…かと思いきや、提出したテーマの届け出のプリントには、「自 開 症」と書いてあった…。 単純な漢字まちがいとはいえ、エースがこれじゃあなぁ…。 でも、自閉スペクトラムの中でも、言語的な遅れがないアスペルガー症候群の子の中で、しゃべりっぱなしの子なんかだと、 イメージはむしろ「開けっぴろげ」で「情報はすべてオープンです」ってな感じで、「自開」(そんな日本語はないけど)ってニュアンスの方が近いかもしれない。 うちのSみたいに、しゃべらないと「自閉」のイメージをより曲解させる元かも知れない。 自閉症っていう呼び方を変えようという動きもあるようだが、まだジャストフィットのことばが決まらないようだ。だからって「自開症」はないよな…。
2006/10/02
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引き続き、日曜日の外食練習に行っている。最近、例のジュースを売っている別のスーパーを見つけたので、北方向に以前より行くようになり、その際はドライブスルーが主流であまり混んでいない○ンタッキー・フライド・チキンの店内に行っている。 今やここに来るとSは落ち着いている。以前は「持ち帰り」としておきながら、それを店内で少し広げてみて、少し食べてみる…泣きそうになったら帰る…だったのが、今では「店内で食べます」と言い切れるようになった。 今日もお気に入りの品を頼んでいつもの角の席に…あっ、ふさがっている! Sは一瞬変な顔をした。 反対側の窓の同じような席にしようとしたがそちらにも人がいて、「どうしよう…やばいかなあ」と思っていたら、中央の丸テーブルの席のひとりがけのイスにSがひとりで何気なく座った。 どうも、場所やイスには本人はあまりこだわってないらしい。 それで、普通に物静かな子ども(笑)のような顔をして過ごしていた。手づかみもチキンなら不自然ではないし。 おかしかったのは、後から来た小さな子どもが大声で泣いた時。 動揺して耳をふさいだりするかと思いきや、「エーン」という声を聞く度に、「ウホーイ」という裏声超音波で返事の雄叫びをあげていた。 「S、シー」と口に指を当てると、自分でもマネをするのだが、そのポーズのまま「ウホーイ」(うまく擬音化できない叫び)。数回かけ合っていたが、ひとりがけのイス(日頃はソファタイプの席の奥に押し込んでいる)を離れることなくちゃんと座っていられた。 そして立ったと思ったらトイレに行き、もう終わりとアピールするかのようにゴミを捨て始め、席とゴミ箱を5往復くらいして片づけた。 そろそろ普通のファミレスも行けそうだ。
2006/10/01
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