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A中学校の3年生は、昨年度2年生の時に教えた顔見知り。 校内で会うと特に女子は明るくあいさつをしてくる。 が…何か話題がないといけないとでも思うのか、あいさつの後の二言目には、「先生、背ちぢんだ?」とか、「太った?」とか余計な一言を言う輩が多い。あいさつだけしとけばそれでいいのに…。 本日、いつも失礼なHさんが、明るくあいさつした後に、「先生ー、相変わらず小さいねえ(言った本人もかなり小さいのだが)」などとのたまうので、「お前なあ、人をからかったりするときは、せめてまずほめたりした後にするもんだぞ。いきなりそんな話じゃあ失礼だ」と真顔で言った。 すると、ニコニコしたまま、「うん、わかった」…。 ちょっと考えてから 「先生ー、小さくてかわいい!」と叫んだ。 それも失礼だよ…。
2007/01/30
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昨日、A中学校の男子トイレで、横に並んだ3年学年主任の先生がつぶやいていた。 「今、廊下でEさん(中3女子・いつも明るく元気)に、『ちょっとスカート短くないか?』って言ったんだけどね…。 『ハハハハハハ。もう先生ったら。』 って笑い飛ばされたよ。」(両者笑い) 普通、険悪なムードになりがちなことも、「笑い飛ばしたもん勝ち」だったとは…。
2007/01/27
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本日は待ちに待った治療の日。昨年の夏休みくらいから歯医者に行き始めたが、自閉症児Sは「身の危険」を察知して診察台に寝そべらない。 もちろん、普通に治療するのは難しいので、「診察に慣れる」ことと「虫歯の治療をすること」を別だてにした。 ほぼ全身麻酔のようなことを点滴でおこなって、4カ所の虫歯を一度に治療する…というある意味手術みたいな大事(おおごと)になったのだ。 鼻で息ができないと危険なので、一ヶ月前から風邪をひいてはいけない…という難条件もクリア。そして今日も4人がかりで押さえつけての採血からスタートした。 前回に続いて、すんなり注射を受け入れて一安心。注射針を点滴に代えて、「さあ、眠たくなる薬が入っていくよ…」となってから大抵抗。点滴の管がじゃまなのか、出て行くのはいいけど入ってくるのはいやなのか(笑)、力が入っていたが、だんだんと力が抜けて寝た。 ストレッチャーで診療室に運ばれる様はまるで救急搬送患者なのだが…実はただの虫歯治療。 一応、妻が部屋の中で付き添い、私は1時間半あまり待合室へ。歯医者さんの治療の音を聞くだけでも自分の歯がうずくような気がしてとてもじゃないけど見ちゃおれん…。一方で妻は、終わってから「工芸の作業を見るようで手際がよかったよ」などと楽しめて?いたようだ。 時々、様子を見に行くのだが、その都度、何か顔周りの器具が増えている。 体の拘束具はもちろんやるとは思っていたが、口のところに金具がついている。 寝ているくせに「口を強くかんで開けない」というかたくなな態度(笑)だったので、口を開いた状態にするためにつけたらしい。 日頃は口を開けて寝ているくせに。 最後の30分間。 目の上に何かテープが貼ってあるのをよく見ると…目の上にかぶせてあった。 どうやら、寝ているくせに「目が開いてくる」ので、安全のために無理矢理テープで留められたらしい。 そんな抵抗むなしく、見事に治療が終わった。 「乳歯なのに堅かったです。 しばらく虫歯の心配はありませんね…」との歯医者さんのことば。 牛乳が飲めなくても、魚の骨までかじるのがよかったのか?
2007/01/25
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週に一度、交流クラスに給食を食べに行く。私が行ける曜日なので付き添うようにしているのだが周りの環境にも慣れてきた。 Sは泣かなくなったし、何よりも「いただきます」まで待てるようになった(とはいえ、遅めに行くので3分程度だが)。 本当は、周りの食欲に刺激されて、偏食改善…も期待しているのだが、こちらの方は相変わらずのマイペース。 今日も、まず食パンの耳だけ食べる。他に好きなおかずがないので少しずつ食パンの内側を食べる。 持ち込みの米せんべいを食べる。終了。 野菜サラダがある日はそれをよく食べるのだが…。 きれいに外側のコロモがなくなったコロッケを見せたり、野菜を大食いしたり、魚の皮をもらって食べたり…と、友だちを不思議がらせてばかりの交流ではあるが、少しずつSが自然にいられるようになってよかった。 もう後2ヶ月でクラス替えなのだが、優しい子とまた同じクラスになれるといいなあ。
2007/01/23
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Sと、地域の養護学校PTA主催の休日遊びのイベントに行った。 今回は久しぶりのインラインスケートがあった。 1回目(一昨年)は10分で泣いて終了。2回目(昨夏)はかなり楽しんだが、ほとんど私の手に引っ張られてすべるだけ。楽しまくりだった。 そして3回目の今回…スタートからやけに積極的だ。ヘルメットやひざあても素直につけさせるし、スコート靴にいたっては、勝手に棚からとって、「ヴウー(はかせろ)!」とアピールしている。サイズがあるから適当というわけにはいかないのに…。 履いてからも、やたらと進みたがる。今回は一人で立つ方法なども教わったので、片膝立てた状態でその上に両手をおくポーズなども、まねさせると自分でやってみて立てた! ほめまくって以降は、何とか自分で起きあがるようになった。 一方通行でぐるぐる回るだけのコースだが、まあそれなりに足を交互に出しながら進んでいた。うまく体重を乗せないので滑らないのだが、まさに「歩くように滑って」こけなくなった。 前回は、自力でやらせたい…と思っても全然だったので、まあよしとするか。 手が離れているので、目を離せるか…というと、コースに立ち止まったり、逆走しようとしたり、寝転がったり…結局つきっきりで歩かされるのであった。 思ったより安く売っている。でも買っても日頃は滑れる場所がない…。
2007/01/21
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C校特学での介助で、都道府県中心部に電車で出かけた。 主に、自閉症のTくんにマンツーマンでついての行動。ホームの上とかここぞというときは手をつなぐのだが、中学生男子なのでできるだけひっつかずに歩かせようと試みるものの、いつのまにか腕をからみとられてしまう…。日頃から家族にぴったり寄り添って歩くのかな。(うちのSがそうだが) さて、そんなTくんが離れる瞬間…こちらとしては一番離れたくない「電車に乗るとき」にさっと一人で行ってしまう。しかも人並みをかき分けての超割り込み! なんとしても座りたいらしく、確かに座っていればとても静かでいいのだが、混んでいる電車だとこちらもついていくのがつらい。 乗り換えのうちの何度かは座れなかったが、すごいときは「割り込みおばさん」の間に挟まりながら、3人からみ合ったまま無理矢理座ってしまったのにはびっくりした。おばさんの上に背中のリュックが乗っていた…。 そんな彼が比較的すいている電車に乗り込んだときに、ある男性のとなりに座った。「T、座れてよかったねえ」と私たちが言っていると、その男性が、「よかったらどうぞ」と他の子にも譲ろうとしてくれた。 「あ、彼以外は立っていても平気ですから…」と言いながらもその優しい笑顔に結局甘えさせていただいた。 しばらくお話をしていてわかったのだが、その男性は「T県I市にお住まいの自閉症児(小5)のお父さん」であった。 Tくんを見たのは一瞬だったはずだが、すぐにわかっていたらしい。 話の流れから、「実は私も自閉症児の父親でして…」なんて話になり、何とも不思議な出会いであった。 会社の名刺をいただき、さらにメールアドレスを聞いたのだが、そのアドレス、家に帰ってからメールを出そうとしてみたのだが送れない。WWWで始まっていて、途中にPLALA とか入っているのに@がない…。どうやら教えてくれるときにHPとメールのアドレスが混ざってしまったようだ…。 このブログのことでもご連絡しようかと思ったのだが、こちらは名刺がなくて連絡先を知らせてないし、会社に電話するほどでもないし、ちょっと困ったなあ。軽くお礼を言いたかったのだが。 万が一、心当たりがあるようなときはご連絡ください。T県I市にお住まいのロッテのO様。このブログの「ホーム」の画面からメールが出せますので、万が一心当たりの方がいらっしゃいましたらご報告くださいませ。
2007/01/19
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かなり前から探していて、やっと手に入れた。 「てつ100%」のセカンドアルバム『あと3cm』。 ヤフーのオークションで、定価より安い1700円で買えた。 プレミアがついていても買う気になっていたのだが…。 80年代後半に活躍したバンドだが、ジャージーで、演奏もうまいし、歌詞も笑えるし、今いればすごく注目されそうなのに、出た時代が早すぎた(当時そんなに売れなかった)感がある。 私が好きなのは、『いとしの森鴎外』という曲。 「森鴎外」という歌詞が、まるで英語のようにうまくメロディに乗り、さらに途中で韻を踏むかのように、「夏目漱石は、いつつ後輩!」などとくると、笑いながらも感動した。 ボーカルのてつさんが、CBSソニーのディレクターになっていると昔聞いたような気がしていたのだが、勘違いかな? その後もソロや違うユニットでアルバムが出ているようだ。 意外だったのは、すばらしいピアノを弾いていた菅野よう子さん。 ゲームとかアニメの音楽で、相当売れるサントラアルバムとかを出して有名らしい。 さて、これでてつ100%のアルバムはそろったのだが、当時一番インパクトの強かった、デビュー曲の「TOKYO TACO BLUES」という曲だけは聴けていない。シングルのみの発売だったのだが、レコードしかないのかも。山手線の駅を歌い込んだジャズで、「そんなこと千駄ヶ谷…」とかHなギャグが盛り込んであるすごい曲だったのだが…。
2007/01/17
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年末年始の番組について、社会科に関係しそうな番組の視聴の様子を、中学1年生3クラスで聞いてみた。 各クラスとも36人くらいいるのだが、「明智光秀」も「功名が辻」の総集編も「風林火山」も「エジプトの特集」も「100人の偉人がなんとか」も「細木和子が歴史上の人物にどうたら」も「タモリのヒストリーX」も、見ていた生徒は各クラスとも一ケタだ。 そんな中、各クラスとも10人を超えた歴史番組があった! ほとんど女子。 それは、「白虎隊」だ。 やはり、俳優陣に若手ジャニーズをそろえると、若者の視聴率はぐんと上がるんだなあ…と感心した。 私は、長州出身者の申し訳なさもあり見なかったけど。(「瑠璃の島」に単に負けたんだったかも) ちなみに、ついでに聞いた「紅白歌合戦」を見た人…は半数以上いた。 さらについでに「DJオズマの場面見た人?」とつい聞きそうになったが「ディ…」といったところでやめておいた。 危うく新年早々余計な盛り上がりをするところだった。
2007/01/15
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教え子の結婚パーティーに出席してきた。100人以上の立食パーティー。 なかなか顔の広いたいした男だったようで、地元に残っているH中学校関係の友人だけでも50人以上はいた。 在学中には入れ違いのはずの3つ上の代まで来ていたのには驚いた。 おかげで、2つのよく知る学年(担任したから)の連中と同窓会気分で楽しめた。 前回の日記の「金網の中で戦う男」の話もそのときに聞いたのだが、3つ下の代で、これからイタリアに音楽留学する予定のまさに「のだめ」の世界の女性歌手や、あるCM(聞いたけどもう忘れた)の後ろの方に出ているモデルなりたて女性…などが来ていて、それぞれ驚かされた。 「先生が俺らを担任したときの年齢に、もう俺らはなったんだ」と言われてまたびっくり。そうなると当時の私の方がたぶんしっかりしている(笑)。 さて、結婚したSくんの代で、一番教員を悩ませる生活指導上の迷惑をかけた男がOくん。今はちゃんと堅気で働いているし、学年の同窓会のセットをするなどまめまめしい働きもあるのだが、この日は先輩たちに結構飲まされていた。 私が右隣の席にいるときに、後ろ向きのOくんの手が当たり、テーブルの上のグラスが落ちて、お酒がこぼれた。 必死でよけたが、少しかかった。グラスは割れずにすんだが床はびしょぬれ。 その音に気がついて振り返ったOくん。 第一声は、 「先生何やってんの、大丈夫かよ!」 一瞬、「え…、俺?」と私も考えてはみたのだが、私はその時、動いてさえいない。 Oくんの左隣にいた教え子と目があった。 一呼吸おいて 「お前だよ!」と両側から突っ込んだ。 やはり、人はそう簡単には変わらない…。
2007/01/14
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昔の教え子がすごく強くなっていた。 期間限定でしか見られないページだが、ここ。 私が「やむを得ずサッカー部顧問」の時代の部員。 そのときは、ボールコントロールとかテクニックは今ひとつだけど、強引にがんがん行くタイプのフォワードで、そのガッツを好む監督(私)がレギュラー定着させた少年だった。 ハーフタイムとかもいつも熱くて、「どうどう」という感じ(笑)だった。 大人になっても格闘技でがんがん行くうちに、「修斗」の東日本新人王決定戦にかなり前に出たのは知っていたのだが、今度は金網の中でイギリス人と戦っていたとは!
2007/01/13
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Sは、虫歯の治療とは別に、歯医者に慣れるために月に1回「フッ素塗布」に行っている。 同じ歯科だが、虫歯治療は、今回、全身麻酔で一気にやることになったので、それとは別に定期的に来て、いつかは普通に治療をできるようにしようというもくろみだ。 ところが、相変わらず、部屋にはいるまでに一苦労。人の番の時はのぞいたりしているくせに、自分の順番が来ると逃げ腰。 やっと入っても診察台は拒否。 隅っこでパイプいすに座って、先生にブラッシング&点検をしてもらう。 5分くらいやってもらった後、フッ素塗布をするのだが、前回に引き続き、この「リンゴ味」のフッ素歯磨き粉を拒否。 最初の時はやれたのだが…。 フッ素塗布を拒み続けた後、最後に少しだけ自ら診察台にタッチ!して終了。こりゃ診察台に横になって、ライトを当てて見てもらう日は遠い…。 さて、もったいないのは診察料。フッ素歯磨きは入れ物に出してしまうからもう使えないのだろう。できたときもできなかったときも同じ1400円だ。 よく考えたら、歯を磨いてもらうだけでこれじゃあもったいないなあ。
2007/01/10
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その人は、最初は先輩が借りた家のただの大家さんだった。だからその存在を知るよしもなかった。 大学時代、ロックバンドがたくさんある(本当はフォークもあったはずだったが)音楽サークルにいたのだが、その練習場所は大学の教室だった。2つの教室が、放課後の練習に割り当てられる。PA装置からエレクトリックピアノまで、大きなリヤカーに乗せて部室から教室まで移動する、はたから見るとかなり怪しい集団だった。 1階の教室が第1、2階の教室が第2練習場で、2階にベースアンプを運んだりするのはなかなか大変なことだった。大変だけど「無料」の練習場でたくさん練習できることが、サークルの技術力?を支えてきていた。だが、音が出ることに抵抗ある教授がいて、校舎ごと違うからそううるさいわけではないだろうに、とうとう実力行使で他のサークルも含めて「音出し」をできなくしてしまった。 そこで先の大家さんが登場する。先輩の大家であるその人は、その話を聞いて、「前々から音楽産業に少し手を出してみたかった」という山っ気?と「若者たちと一緒に何かをしたい」という気持ち?からか、なんと、自宅を大改造して新たなスタジオを作ってくれることになった。 ただし、ポンと作ってくれたわけではない。そこからサークルをあげての大工事が大家さんのもとはじまった。「作るための労働力」も低賃金で提供させられたのであった。この工事の中で一般大学生は知らなかった工事現場の常識?用語、「U 字 溝」 「コンパネ」 「バール」 「はつる」などのことばを覚え、穴を掘り、土台をくみ、…セメントを錬り、壁を作り…していったのである。 実は細かいことはよく知らない。私は卒業して講師をしていたので、夏休みに1週間程度行っただけだ。たしか日給4500円昼食付きだったか…。 そんな学生たち(一部フリーター)の働きで完成したスタジオだったが、当初の予定通り、学生たちは月極めで有料借用する「消費者」にもそのままされた(笑)。もう後には引けないし、多少の値上げも飲むしかない。でもある意味破格の安さだったし、お互いの夢が叶った感じだった。 しかし、さすがは手作り、地下スタジオは3部屋くらいあったが、通路を確保できなかったため、一番奥に行くにはその手前のスタジオ2つを通過するという笑える形だった。しきりとなるドアも分厚いの一枚だと高価すぎたからか、普通のサッシが3枚くらいならべてある。一番奥に行くには、入り口も含めて9枚くらいのサッシを開け閉めする(笑)仕組みだったような記憶がある。 さらにスタジオの上の階(1階)は普通うるさくて住めたものではない。そこで、4名が下宿できるようなつくり(グループホームみたいな)となり、サークル関係者が住んだ。割安の家賃で、スタジオ極近、いつでも練習可、ガス・風呂・洗濯機・乾燥機付き(共同)、プライバシーなし…という条件だ。 地下のスタジオと1階の部屋のすべてをまとめて『第3』(スタジオ)と呼ぶようになった。私もOBとして、時々練習に使ったり、アポなしで遊びに行き4部屋のうちの誰かの部屋で長居した。 大学生と協力して、遊び心を形にしてくれた大家さん…いろいろややこしい点はあるが、美談だと思う。 「第3」を作った大家さんは、その勢いでその後、小さなライブハウスを造り、さらにもっとちゃんとしたスタジオも別に作ってその経営に乗り出した。「第3」が取り壊しになった?後は、さらに大学に近い場所に同じようなスタジオを作ってくれたらしい。私たちの少し下の代から始まった大家さんと大学生との交流は、毎年たくさんの人たちの音楽人生に影響を与えたに違いない。 私は、他のライブハウスばかり出ていたし、他のスタジオ(その店のオーナーは、大家さんと、ライブハウス経営だけの時は仲良しだったが、スタジオを無断でそばに立てられてからはすごく怒っていた)の元アルバイト兼お客でもあったので、その後、特にお会いすることもなくなっていった。 一昨年度、受け持った教育実習生(ミュージシャン)がそのライブハウスで出ていたりとかまた縁がつながりそうだったのだが、先日、大家さんの訃報を聞いた。 急なこと(まあ普通訃報は急だが)に都合がつかなかったし、自分と大家さんの関係は、葬儀に参列するほどのつながりではなかったと、参列はしなかった。 ただ、こういうおもしろい大人が世の中にいて、それにお世話になったたくさんの元若者たちがいることだけでも書き残しておこうと思った。 ご冥福をお祈りします。 たぶん、葬儀には大家さんの好きだったたくさんの若い子たち(元も含む)が参列したんだろうなあ…すてきな人生だったと思えるに違いない…と勝手に思った。
2007/01/08
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『ロックスター』という映画のDVDを見た。2001年制作とあるからそう古くない。 宣伝とか話題になったのも知らない。 箱に書いてあったストーリーは、あるロックバンドの大ファンでトリビュートバンドをやっていた青年が、ある日突然そのロックバンド(本物のほう)のボーカルに大抜擢。 そんな感じで書いてあったので、コメディなのかシリアスなのかもわからないまま、購入した。 感想は、結構おもしろかったし、音楽面でも楽しめた。 それで、ほめることを思い出して書こうと思ったのだが今になって思うとそんなにすごくもない…。 見ている間の満足感や充実感は何だったのか? 実はこのDVD、ハリウッドスペシャル価格とかで680円になっていた。 それでも売れ残り、年末に50%オフになっていたところを買ったのだ。 340円に消費税で357円? 映画を見るにはあまりにもお得な値段だった。 その分、「期待」も357円分になっていたらしく、それが思ったよりもなかなかおもしろくて、かかる曲がかっこいいので満足していたのだった。 みなさんの街でも1000円以内で売っていたら、元が取れる映画です。ここでも600円台!
2007/01/07
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4日の朝、私はちょっと離れた街のデニーズで朝食をとっていた。すごくすいている店内。 そこに、一人のお兄さん…が入ってきた。 何をもってそう判断したかわからないが、「たぶん、自閉症のお兄さんだな」と直感的にわかった。日頃の息子の仕草に似ていたからか、仕事で出会ったたくさんの子たちの雰囲気からか、とにかく数秒でわかった。 そのお兄さんはいきなりトイレに向かってずんずん入っていった。 しばらくして出てくると、客席に戻らずに、厨房の方へ入っていった。 「あ、まちがえたのかな」と勝手に心配していると、中から 「おはようございます!」と元気な声が聞こえてきた。 騒ぎになっていないし、談笑が聞こえてきたので安心した。 どうやら、この店で働いている自閉症(推定)のお兄さんだったのだ。 数分後、店長から声でもかけられたのだろうか、さらに大きな声で、「あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします!」という声が聞こえてきた。 みんなの返す声や笑い声があたたかく聞こえてきた。 ここにも「僕の歩く道」の動物園みたいな職場があるぞ…とうれしく思った。 お兄さんは表には出てこなかったから、厨房の中の仕事…調理とか皿洗いとかなのかなあ。 ついでだが、私が22年くらい前に、上京して初めてやったバイトは深夜のデニーズでの皿洗い。 永遠に続く作業に、途中から「巨人の星」の歌を口ずさんでがんばったが、つらくて2日でやめてしまった…。 それに比べると、お兄さん、がんばっていてすてきです!
2007/01/04
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今年の初夢(1日の夜説と2日の夜説とあるそうだが、ひとまず1日の夜のもの)について。 困ったことに私は松坂大輔になっていた…。 遠征バスに揺られていると、途中休憩のサービスエリアにバスは止まった。 トイレに行こうとバスを降りると、そのとき止まっていた他のバスの運転手に、「バスの除霊」を頼まれてしまう。 「除霊」は松坂大輔の仕事の範疇じゃないだろう…と思いつつもそのバスをのぞいてみると、素人目にもはっきりと霊の存在が見えてしまった。 黒い影とか生首とかがたくさん行き交っている。 「これは、やばいです。僕の手には負えないので、もっと専門家にお願いした方がいいですよ。」と言うと、運転席のバスの運転手がにやりと笑う。 「乗ってて平気なんですか?」と聞くと、「おう、このバスは前に大変なことがあったらしいからなあ…でも俺はもう慣れた。」と言われた。 また自分たちのバスに乗って出発。バスは河川敷の草野球グラウンドのようなところに着いた。 やばいなあ、試合かよ…松坂の役は無理だよ…と思っていると、自分のユニフォームはまだ西武ライオンズのもの。「あっ、日本ならまだましか」と安心した。(それでもプロ野球なんだから本当は安心している場合ではない) さて、河川敷で始まった西武ライオンズ対どこかの試合。最初は必死に遠慮しているうちに、外野を守ることになった。 とりあえず、投げなくてすんでよかったと思いながら守っているのだが、遠くてよくボールが見えない。 少しずつ前に出ているうちに気がついたらショートのポジジョンを守らされていた。 やばい、それは無理だよ…とメンバーに言おうと思って近づくと、いつのまにかピッチャーマウンドに上がってしまっていた。 「困ったなあ」と言いながらも、「よし、俺のカーブがどこまで通用するかやってみよう」と腹をくくった。 そこからは、大きなたてのスローカーブを連投。結構ストライクが入るし、みんな空振り。 味をしめて、「よし、ストレートだ!」と投げてみると、指先で「ピシュッ」と投げただけのに、ミットに「ズドーンッ」とおさまった。 「そうか、今日の俺は松坂大輔だったんだ!」とうれしくなって、続けて「ズドーンッ」、また「ズドーンッ」。 そのうち、相手の打者が打てずに泣きながら引き上げていくのを見て、「なんだか悪いなあ、俺、にせものなのに…」という気になってきた。 …というところで目が覚めた。いったいどんな意味の夢だろう(笑)。そして夢のことをメモしているうちにまた寝てしまう。続きはこれ。 パチンコをやって家にバスで戻った。(もう松坂ではなく自分である) 自宅に帰ったつもりが知らない街。どうやら合宿所みたいなところで共同生活をしているらしい。 「こういうところ、男ばっかりでむさ苦しいんだよなあ」と思いながら自分の部屋に行こうと謎の友人についていくと、大広間二つくらいのところに男女8人で住んでいることが判明した。 女の子もいるとわかって喜ぶ私。 謎の大広間は、しきりもなにもないのに、それぞれが個人の荷物をたくさん広げている。 私も自分の荷物のところで「ワープロ」(パソコンではなく)を広げて打ち始めると、彼女(といいつつも見覚えない人)がそのワープロのゲームをやろうと言い出した。(ワープロにゲームはないと思うが…) ゲームをしていてトイレに行きたくなったので席を立つと、となりの部屋で同居人?のみなさんが楽しそうに宴会をしていた。 「なんだよ、声かけてよ」というと、「彼女といるからみんなで気を遣って部屋を出たんだよ」と言われてしまう。 異性の友人が来るたびに部屋を出るんじゃこの先大変だな…とか、そのうち部屋で盗難とか金銭トラブルが起こったらどうするんだろう、そうだ、防犯カメラをつけた方がいいのでは…などと考えながらトイレでおしっこをしようとするのだが出ない。 …というところで目が覚めた。あわてて現実のトイレ(笑)に行った。 富士山も鷹もなすびもだめだった。試合の相手がソフトバンクホークスだったらなあ…。
2007/01/02
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本年もよろしくお願いいたします。 昨年6月に祖母が他界し喪中のため、本来ならごあいさつすべきあの言葉は書かないことにしたのだが、喪中はがきの手配が面倒だったのと、どっちにしろ止めきれずに来る(生徒とか)だろうからと、年賀状は普通にあり…としてしまった。 年賀状のやりとりをしないとそのままどうしているかわからなくなる人もいるし…。 さて、我が家(義父母たちとの2世帯住宅)では、2階(私たち3人が住んでいる)は2階で、小さな飾り餅をおいている。 Sのいたずらがひどい(いたずらというか、いつもはないはずのものがあるのでどかしたり何かしたいのだろう)ので、年々シンプルなものとなった。 上にミカンの作り物があった年はすぐに口に入れ、同じくそれが獅子舞の獅子だったときは上下バラバラに…。下に台が付いていようものならそれをはずそうとしてひっくり返される。 昨年は300円くらいの加工されたもの。餅のみ。ただこういう小さいのだと、鏡開きの時に、開けるのに苦労する割には食べるところは少し…で悲しかった。 そこで今年は「サトウの切り餅」が4つほど入っている600円くらいの大きめのものにした。久しぶりの大型化。いろいろと飾りも付いていたが「もう好きにして」とするつもりで一通りセット。ちょっとさわると落ちるミカンまでセットした。 ところが、Sは初日こそちょっと気にしたものの、一度「S、それはさわりません」と言っただけで攻撃中止。すでに3日間無事なままである。 こうして聞き分けのいい子になる年となるか?? しかし、本日機嫌が悪くて、となりの神社にさえお参りに行けていないSであった。
2007/01/01
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