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なんだか土日にちょっとずつ休日がついていてだまされているような今年の連休だが、前半の3日間で、Sの近場お出かけを連日したり、ストーブを片づけて置き場所をつくるために扇風機を出したり、楽しい飲み会があったりした。 一番の大仕事を終えたのは、スタッドレスタイヤの履き替え。以前からほぼ自分でやってはいたが、車を上げるジャッキも手動から油圧式の力のいらないヤツになり、駐車場の足下も土からコンクリートになり、だいぶ条件はよくなった。 それでも車屋さんのやる仕事と違うので、手動(というか足で乗って)でナットを締めるし、倉庫からタイヤを出してきたり、2時間くらいの大仕事だ。 やりながら、この冬はただの一度たりとも「スタッドレス履いててよかった」という場面がなかったことを思い出した。雪が積もらないのはもちろんのこと、早朝の路面が凍結したこともなかった…。 約13年前、この街に住み始めた最初の冬の雪の朝、家を出てすぐのカーブで滑るようにスピンをして、ちょうど1回転。そのまま道路の左端に停車。そこがまたガソリンスタンドの目の前(笑)というラッキーさでチェーンを巻くのを手伝ってもらって以来、「この街に住んでいてスタッドレスでないのは考えられない」と同僚の先生に言われ、毎年履くようになったのだが、まさかこんな年があろうとは地球温暖化恐るべし…。 今の生活は早朝暗いうちに家を出ることもなくなったから、もう今後はそのままでいいかも…。 ちなみに、雪の日は、四輪駆動でスタッドレスを履いていても、ノーマルタイヤの軽自動車にあおられている慎重な私なのであった。
2007/04/30
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Sは以前、歯の治療で大変なことになったので、定期的には医者に行き、歯医者さんに慣れたり、診察台に慣れたり、虫歯予防をしたり…という通院をしている。 といっても、こちらが行きやすい夕方の予約がなかなか取れず、2ヶ月か3ヶ月に一度ペース。慣れるためと言いながらもどうかというところだ。 最初は部屋に入ることも難しかったが、入ってからは部屋の隅のいすに座り、診察台に横になるのは拒否。それでも帰る直前に一瞬横になったりしていた。通常は磨きの後、フッ素をつけて磨いたり、先生にほめられながらやっていた。 慣れていくはずが、次何するかがわかるようになり必死で拒否。通常は磨きをいすに座ってやるのはいいが、フッ素(リンゴ味)は絶対ダメと拒否。診察台はそれこそタッチくらいがやっと…とここ数回はなってしまっていた。 さて、ここは療育センターの中の歯科なので、内部で勝手に連携してくれたのか、本日は初めてST(言語聴覚療法)の先生にも一緒に入ってもらえた。 日頃月2回のSTでやっている、TEACCHもどきの方法を歯科の部屋にも取り入れた。カラーボックスの上の段から順番にやっていき、終わったら終わりの箱(フィニッシュボックス)に入れるというもの。STの時は、いばって鼻の穴をふくらませながら(笑)すいすいとこなせるようになってきている。 今日もいつも通り部屋に入るまでは少し拒んだもののなんとか入室。いつものいす(診察台ではない)に座ると目の前に「違う場所でいつも見る」ようなカラーボックスがあったりしてややぐずり気味。 歯磨きの後、フッ素磨きに入るところで、逃げたり、泣いたり、怒ったり…。 それよりもましと思っているのか、3番目の段に写真カードが入っていた「診察台」に近づく。 足下から近づいて、診察台の足置き場にひざまづき、寝たらおしりに当たるあたりにあごだけちょこんっとのせていた。 何度かアピールしていたが、せっかくSTの先生にも用意してもらっているので、みんなで2番目にこだわって一口だけでもやらせようとするのだがダメ。時間も結構たったので、「S、フッ素の歯磨き片づけて」というと、スッと寄ってきて歯ブラシを終わりの箱へ…。やはりやり方がわかっていないのではなくて、ただ「拒否」していた模様。 3番目の棚のカードを持って、診察台の頭のところにあったカード入れに入れるときも、診察台に寝させられないように、離れたところからすーっと手を伸ばして、うまいこと台にさわらぬまま、ぽいっと投げ入れた。 みんなの準備を結構無駄にしたが、一応前回よりはがんばれたからよしとするか…。 料金はいつも通りだったので、「へー、STはサービスなんだ」といたく感心した… のだが、トイレから戻ったところを会計の方に呼び止められ、「わらGさん、本日はSTもありましたね」と結局しっかり両方とられた。 視覚的に整理されても、本人のいやがる気持ちの変化はなし…ということがわかったことが成果かな。
2007/04/27
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阪神タイガースの3連勝! すばらしい。 それはうれしいのだが、記録によると、勝利投手ボーグルソン(阪神タイガース) 敗戦投手グライシンガー(ヤクルトスワローズ) どちらの名前も覚えにくい。 この名前はヤフーニュースからコピー・貼り付けして記録しました…。
2007/04/26
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我が家の自閉症Sは機嫌がいいと、ニコニコしていたり、バカ笑いしているときがある。 このテレビが楽しかったんだなとか、やりとりの中で笑うようになったりして、おもしろさがこちらにはっきりとわかるときもあるのだが、なんだかわからないことに大うけしていることもある。 今日の夕方も、布団に潜って大笑い。なんだかわからないがつきあってとなりに寝て、「こちょこちょ」なんてやると大喜びだ。 ここまでは仲良し親子のようだが、「ハッ」と思い出した。 そう、Sのバカ笑いには「もうすぐうんこが出ちゃうぜ、ハッハッハッハッ」というのもあるのだった。 最近は結構自分でズボンを脱いで勝手にトイレですませていることもあり、かなりの確率で自分から行けるようになっているのだが、今日は「すきあらばやってやろう」という気になって、たぶん「その辺にやったら楽しいだろう」とか想像しながらうけて笑っているのでは(勝手な推測)と思われた。 くすぐりながら、「えーい、ズボンを脱げ!」と無理矢理脱がすと、トイレにダッシュ! 洋式便器に座るやいなや、2本のバナナが次々と飛び出していった。 パンツもきれいで判定はセーフ! いやあ、早く気づいてよかった。うけねらいでベッドにやられちゃあたまらん。 上記をクリックするとRCサクセション「多摩蘭坂」の購入ページにも入れます。 親父ギャグですみません…。 アルバムはこちら。
2007/04/24
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本日行われた43年ぶりだとかの全国一斉学力テスト。 もちろん勤務校の中学校でもやっていた。 問題は前日に届いて厳重に管理し、答案用紙がこれから指定の色つきビニール袋に入れて戻される。 作業を見てて勝手に思ったことだが、こういう事務処理を各校の教員に任せたわけだから、全国中でやっていれば、「昨日届いたテストどこに置いた?」 「わかりません」 「えっ、あれ資源ゴミかと思って出してしまいました…」とかそういうことがどこかで1~2件は起こっているのではないだろうか…。 我が校は無事に終わったようでした。 言い忘れたが、もちろんこんなテストばかばかしいし反対である。 都道府県レベルでこうしたテストを5教科ですでにやっているうちの都道府県では、その試験のために、授業の進度は追い立てられ、点数とることを意識させられ、すでに市町村ごとの戦いのようになり一番ビリの地区は針のムシロ…。 こういっては悪いが、最初から地域ごとにある程度学力は違うし、塾に行っている人が多いとか、私立中に流れた人が多いとか、諸条件が全然違うのに一律に比べられること自体あほくさい。 多少はその生徒たちによってやり方が変わるとはいえ、私たちのような講師は複数校に出入りしており、同じ人間が同じ学年を教えても、学力テストでは力にばらつきが出る。 私は平均点が1位の地区でもビリから2番目の地区でも授業をやったけど、学力は私に左右されたわけではない(笑)。もちろん、少しでも力をつけられるといいなと目の前の生徒に合わせた努力をするけど。 でもたぶん、ゆくゆくはこういう結果を教員の評価(特に教諭の)とかに使おうとしているのも見え見えで、ますますこの教育界は、「人間づくり」とかから遠く離れた方向性に進んでいくんだろうなあ…と思う。 残念ながら、RCサクセションが歌った『僕の好きな先生』のような人はもう居場所がなくなっている時代に入ったようだ…。ああいう人が、人を育てたり、人を救ったりしていること(高校時代の忌野清四郎はこのモデルになったのんびりしたおっさんのおかげで高校をやめなかった?らしい)に、教育改革に夢中の政治家たちは気がつかないんだろうな。 煙草を吸いながら いつでもつまらなそうに 遅刻の多い僕を 口数も少なく叱るのさ 僕の好きな先生 僕の好きなおじさん…
2007/04/24
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昨年9月に劇場で見ているのだが、今回の発売の際に「これはずっと持っておきたい財産になるに違いない」となぜか思って、DVDを買ってしまった。そこまで思い入れがあったかどうかは思い出せなかったのだが、過去の記事を調べて、「DVDが出たら買おう」と当時考えた理由を思い出した。1 下関商業の講堂を見る これはエンディングロールの撮影協力に学校名が出てきて、「どこのシーンだったんだろう?」と疑問に思っていると書いたら、コメント欄に「講堂のシーンです」と書いてくれた方がいたからわかった事実だ。今回の確認により、そのシーンの前に外観が写っており、「あ、なんか見たことがある」という景色であった。そこを出たところの階段とかトイレとかそういうのが同じ市内の私の出身高校の旧校舎にもすごく似ていて懐かしかった。2 群衆の中にエキストラの友人を探す これは…知り合いのU君に限らず、結構いそうな気がするのでいつかやってみたいが、よく考えたらどうでもいいな…。 そんな1・2の理由よりも、この映画自体、戦争とは何か、個人の生き方とは何か…いい作品だと思う。「硫黄島からの手紙」のようなかなり直接戦場を描いたものを見るのが苦手な方には、こっちの方がお勧めです。 しかしヒロイン役の上野樹里さん…うちのSがいまだに毎日見ているビデオ…「おなら体操」の「のだめ」と同じ人とは思えんなあ。画像をクリックすると商品の案内が出ます。
2007/04/22
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Sは週に1~2回、原学級に給食交流に行っている。私の仕事のやりくり(つまりうまくつくった授業の空き時間)がついた日に、私と一緒に行くという形だ。 昨年度、「この子と一緒だと落ち着く?」というY君(幼稚園も一緒)と同じ班にしてもらっていたが、今年度もその形でお願いした。 つまり、Y君と同じ班の人は、うちのSと一緒に給食を食べる。 うれしかったのは、行った初日、班の女子が「わーい、Sちゃんと一緒に食べられる。Y君のおかげだね。ありがとう!」と言ってくれたこと。 礼を言われているのは、Y君なのだが、Sを歓迎してくれていてとてもうれしかった。 日頃、朝礼中に吠えてたり、体育館に飛び込んできたり、決して「そんなに親しくはなりたくない?」Sとの交流にみんなが喜んでくれるなんて、たぶん、原学級の先生もよほど上手に話してくれたのだろうと思った。 フライングして食べ始め、ハシを右手に持ったまま素手の左手で食べたり、コロッケの外側だけ食べて中身は後からつぶしながら食べたり…ほんとだったら「きもちわるーい」とか言われてもおかしくないところを、「ほら、おもしろいねえ」などと盛り上げながら、今後も末永くおつきあいしてもらえるようにがんばるのであった。 ある意味交流しているのは私だけなのだが…。 一年前は泣きに行っていたようなものだったが、昨年中に慣れてきた。 今日も泣かずにみんなに愛想を振りまけてよかった。
2007/04/20
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本日はI中3時間・S中2時間授業をするハードな一日。昼食込み1時間半の間に20kmの移動も含んでいる。移動手段は、晴れたら電車、雨なら車…朝のS送迎状況次第だ。 今週は、S中の次々わいてくる新キャラへの大人の対応(笑)にエネルギーを注ぎすぎるせいか、I中の2年生たちの授業が「ここは学習院か?」とまで思えてくるのだ。 チャイムが鳴ればほぼ座ってるし、あいさつもすぐ始まるし、忘れ物もあまりないし、授業中は去年と同じ形でマイルールにのっとって進行するし。「笑い」も「ひらめき」も「へえ」も計算通り?の3時間が終わる。 本当はほめまくりたいくらいなのだが、昨年度と同じようにしているだけなのに変にほめられても何だろうから黙っている。が、入学当初のことを思えば、学年の先生たちを中心に各授業担当がしっかりやってきた成果だと思う。難しい2年生もちゃんとつながりを持って持ち上がるとすごくやりやすい。 さて、午後からはS中のまた新しいクラス。まずは廊下にいる人たちを、「はい、チャイム鳴り終わってるぞ」とかき集めるところからはじめ、前の時間の黒板を消させるのに誰が担当かわかるまで数分、号令かける人を見つけるまで少しの間があり、みんなが立って号令がかかりはじめるまで数分…「今週はまだだまだだ」とがんばって怒鳴らずに待ちながらやっと話し始めるが、もう勝手にしゃべるヤツとかがいて、自分の名前を言うよりも先に、「静かに」とかそんなところからはいる。 そういう人たちを少し怒ったり、いじって興味を持たせながらだんだん話に引き込んでいくことは、ある意味おもしろいことだったり、自分なりに達成感もあるかも知れないが、そんな面倒はやはりない方がいい。マシンガンのようにしゃべった(笑)。 そんなS中でやっと感心できたこと。1クラスだけ、ちゃんとチャイム着席をしようとしているクラスが最後にあった。ぎりぎり間に合わなかった女子が、記録をとっている生徒に、「ねえ、セーフ、セーフだよね」と言っていた。(どう見てもアウトだったが)しかしそのタイミングは、他のクラスの普通の人の状態だ。このクラスは今年他校から来た先生が担任。もしかしたらその辺のこともあって大物が少ないとかそういう面があるのかも知れないが、少なくともこの状況をちゃんとしようとしている人であることは間違いない。 そして、もう生徒が意識してがんばっている。確かにここの子たちは小学校の時から何かとぼろぼろな面もあるようだが、やればできる(かもしれない)んだから、この状況を何とかしようとしている担任の先生とそれなりに前向きなこのクラスの子たちに少し感心した。授業もほんの少しだけいつもの他クラスよりやりやすかったかも知れない。 この学校では、各クラスとも週1時間だけの授業なので、私自身がクラス作りに協力…というような場面はまず無理だと思うが、それぞれの担任がどういう色を出してくるのか、結構楽しみである。(完全に他人事としてだが…) それはギャロップ! 今週はだいぶ疲れてるな…。
2007/04/19
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今週は、新たに行き始めたS中の2年生の授業が各クラス1回ずつある。 まだ3分の2しか終わっていないが、いろいろなタイプのなかなかのヤンキー君が、『これでもか、これでもか』と出てくる…さすがは選手層の厚い学校である(笑)。 2つ目にやったクラスが割と普通だったので、「最初のがすごかっただけか?」と思ったが、その後もすごいところが続き、どれくらいがこの学校のこの学年のノーマル状態かまだわからない。 今週は自分の中で、「出会いを大切に週間」(笑)として、当初は「まだ怒らない」予定だったのだが、そんな状況の学年ではないので「怒っても、切れて怒鳴りつけない(笑)」に変更したのだが、しょっぱなから、この先生はなめて平気かどうか、『さぐり』を入れているような、わざと今言われた授業の約束事を破るようなヤツがいて、結局つい怒って一瞬すごんでは、「…なんて俺に言われないように気をつけよう」とか「なんちゃって」とかつけてごまかすのであった。それ以上お互いに一線を越えないさぐり合いが続いている。 中には、「もう首根っこつかんでやっちゃいました…けり合い」と語る今年来た先生もいて、なかなかハードボイルドな世界である。 というわけで、私は一応「出会いを大切に週間」継続中である。 ついでだが、本日は初授業クラスの授業中に、歯科検診が入って、引率させられた。あまり聞いたことのない話だ。この時間に来るって聞いてないし、まだ話は半分だったのに…。 知らない人たち(笑)を率いて、出席番号順に並ばせて保健室に連れて行って、静かに待たせる…。 ちなみにこういうことは、「普通の学校」では、「前もって学年主任か担任がその時間に当たりそうな講師に個別にお願いしておく」か「養護教諭が時間割を見てお願いしておく」か「空き時間のその学年の教諭が呼びに来て連れて行って交代してくれる」かが行われているはずだ。というか荒れてる学校でもそれくらいのことは私のいた学年ではやっていた(と思う)。 頼まれればやりますけど実施要項ももらっていないし…養護教諭にはお礼を言われたが、終わってからもこのファインプレイは学年の先生たちには気づかれないままであった。みんなもうちょっと、いい仕事しましょう(笑)。
2007/04/18
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このSは息子の方の「S」ではなくて、私が今年度から行き始めた「S中」の方のSです。 今後たびたびややこしくなると思いますがご了承ください。どこかでアルファベットにしないと関わった学校の数が増えすぎてわからなくなってきたので…。 で、このS中は、私が結構大変なところにいたときに、同じく大変だとされていたところ。私たちは、自分たちが大変なときに「でもS中のみなさんはもっと大変なんだから…」と自分たちを励まし(笑)、S中の人たちは「でもH中のみなさんはもっと大変なんだから…」と励まし合っていたという(笑)、因縁の学校である。 管理職によると「今は平和なものですよ」ということだったのだが、今日、学年集会に出てみると…「はいはいはいはい」と思ってしまうような「なつかしい」光景であった。 だいたい今時、学年6クラス以上(正確な数は匿名性を持たすために載せません)で、どの学年も40人にほぼ近い…それだけでも大変だ。さらにその昔からの地域性も…ということで、集まってきた生徒たちのいい加減ぶり、さらに何かあるたびにすぐざわつきはじめる感じ…どこかで見たような感じだ。時々怒る先生がいたが、もう自分が怒鳴りつけたい衝動に駆られながら(笑)、ああ俺講師だからこんな場でそんなことしなくてもいいんだったと苦笑いするのであった。 幸い、H中の時はまわりのみなさんがいい感じだったので、生徒たちもだんだん自律していった感があったのだが、「ココドウナッテシマウノダロウ?」 さて、1クラスだけ授業があった。向こうも普通、最初くらい様子見で警戒しそうなものだが、厚かましいヤツとか、威張って寝ようとして注意されるヤツとか、失礼なヤツとかいろいろいて、危うく初回からきれそうになってしまったがなんとか持った。これがまだ何クラスもあるかと思うと…こりゃ大変だ。たぶん同じ2年生でも持ち上がりのI中が「癒しの日」になることはまちがいなさそうだ。 授業から戻ってきて、そんな感想を持っていたときに、ある「たより」(学年とか学校とか学級とか)が職員室の机上にあった。 相田みつおさんの詩が載っていて…「長い人生にはなあ どんなに避けようとしても どうしても通らなければならぬ 道というものがあるんだな そんなときはその道を だまって歩くことだな …以下略 」 私は黙っては歩けないけど、タイミングがよすぎて笑った。 この防犯ブザー、買わなくてもいいよね?校長先生。
2007/04/16
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今日は妻方の祖父の13回忌。Sから見るとひいじいちゃんだが本人は面識なし。 法事といってもごく身内が集まっての簡単のものだったし、いつもお墓参りに行くお寺だったので自閉症児Sも参加した。 お堂での読経に初参加。同じ場所だが、祖母のお葬式の時は始まる前に泣いて出てしまっていた。 今回もダメなら外で私と遊ぶ予定だったのだが、小学校でいろいろなところに行って「着席」する機会が増えた分、何事もなく入室。 お坊さんのお経が始まると、なんだかうれしそう。 どうやら、お経と木魚の音が好きらしい(笑)。 ご焼香までほとんどいすに座って過ごした。 さすがに説法の頃には、寝転がったり飛び出そうとしたりともう持たなかったが、なかなかの成長に驚いた。 ただ、本人の中ではこの行事がどういう位置づけになっているのか不明ではあるが…。木魚の調べとお坊さんの独唱コンサート? あまりにもいい子だったので、『般若心経』のCDとか買っておいて、泣いたときにかけてみようか?とまで妻に言われていた。 本当にあった。どうも各宗派別に合わせてあるらしい。
2007/04/15
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Sの小学校の保護者会に行った。 特学のが終わった後、ここでクラス替えのあった交流クラスの保護者会にも出た。 通常級の保護者会に「保護者」として参加するのは初めてだ。 担任の先生は新規採用の若者である。 おばちゃんたちが机をL字形にして取り囲む中、男性が緊張しつつさわやかに話題を進めていく。 結構かっこいいし、韓流スターみたいだ(笑)。 ちょっと何かの書類をとりに行ったりするのに、ささっと、身のこなしが軽い! うーん、若者だ。 先輩方から言われた話で…なんて前置きしながら、「子どもの前で担任の悪口を言わない」とか「子どもの口から出ることが真実とは限らない(確認してから動く)」とかベテラン技のお話をするなんてなかなかたいしたものだ。 私の参加は、交流に行くのでよろしくというごあいさつだけでよかったのだが、こんなに気楽に保護者会を見ることもめったにないので、そのまま出ていた。というか一人だけ出て行きにくかったし…。 役員決めも順調に終わった。「どなたかやってくださいませんかねえー」なんて甘えると?すぐに決まった! 学習についてはシビアな…いや少しピントのずれた厳しい質問なども出ていたが、ちゃんと自分の方針とかも伝えながら、うまく答えていた。 数年前まで、この「お母様方に囲まれた恐ろしい?光景」の、あっち側の席にいたのか…と思うと、今さらながらちょっとびびるのであった。 韓流スターみたいじゃなくてすみませんでした(笑)。アフィリエイトは、懇談会で話題になった文房具。
2007/04/13
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昨年度、C校として紹介していた中学校の特学、とても楽しかったし、このブログのネタになることも多かったのだが、今年度はお別れである。 週1日、ここに来ることができるようにうまく講師枠が入るとよかったのだが、そうはうまくいかず、今年度は3年目のI中(A校改め)と新規のS中に3日ずつ行くことになった。 3日ずつだと週5日制の公立では???と思うかも知れないが、週1日は両方(I中で3時間やって電車で移動してS中で2時間)…結構忙しい。そして、Sの小学校にも給食交流で週2日行く。講師だけで週19時間、Sの給食も時間枠にすれば21時間…上限目一杯の先生と大して変わらない。 C校がそんなに好きならそちらを優先すれば…というところなのだが、残念ながら時給にすると約3倍の開きがある。収入が減っても家に入れる金額は以前と同じ…という鬼嫁ルール(笑)のもとでは、さすがにそうもいかないのだ。 なので、今年度は「稼ぎ優先の年」にして、また来年度以降、講師枠の入り方によっては復活させていただけたらなあと思っている。少なくともよく知っている子がまだいる今年は、休日の行事などで時々行けたらなあ…というところだ。 なんだかんだいっても、指導補助員(介助員)の仕事も大変なのだが、週1日のこの日が癒しになっていたし、自分が授業の責任者ではなく過ごせる時間は気持ちが楽だった。何よりも、かつての同僚でその頃から助けていただく存在であったS先生と会えるのもいい気分転換だった。どこまで恩返しになったかどうかはわからないが、保体科でバリバリ生徒指導主任から特学に転向したその学級の立ち上げの時期に立ち会えたのは何よりおもしろかったと思う。 さて、今日は授業がまだない最後の日…お昼前にC校に行き、急だったので年度末にあいさつし損ねていた管理職(一人は教え子の父)にもあいさつをしてから、教室に向かった。今日はちょうど調理実習。本当はごちそうになりにいったのだが、結局手伝うことに…。その方がこちらも楽しめてよかったが、いたずらK君の班にいたせいで、あやうくお椀一杯の水を頭からかけられるところであった…。相変わらずおそるべし。 おなかいっぱい食べて、午後の片づけをして、6時間目の前に2クラスが一堂に集められた。 避難訓練に関するお話…なんてことを言って集めていたが、そうだったらそれぞれのクラスでやれるから、「もうびっくりさせようとしてS先生たら…」という感じである。 30秒で避難経路の話が終わった後、私への色紙贈呈・握手会(笑)などやっていただいた。昨年度は行けなくなるはずが急に行けるようになったのですでに「お別れ会」は1年前に経験済み(笑)。2枚目のサヨナラの色紙をいただいてしまった。ほんと、気を遣っていただいてすみません。 そして6時間目は、当たり前のように数学の授業の個別指導のお手伝いに入るのであった。 流れで何となくそうなったが、今日の私はただ遊びに来た人だったはずなのに! とにかくいろいろとありがとうございました! この経験は、結構宝です。 昨年度は調理の曜日だけ行っていたので「調理の先生」となっていた。おかげさまで、結構料理のレパートリーができた。 写真はもちろんイメージ映像で私ではありません(笑)。
2007/04/12
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本日、今年度から新たに勤務するS中に行った。 来週からの授業に備えて、授業の持ち方の確認や、選択授業の開始日時や募集内容の確認など、どう考えても必要なことなのにまだ何も連絡がないから、昨日こちらから連絡し予告して本日行ったのだ。 しかし、アポありにもかかわらず、要領を得ない教頭だか副校長だか…。 いろいろ渡すものがもっとあるだろうに、会議室に地理の教科書と指導書だけ持ってきてくれた…。 しょうがないので、私が座る予定の、まだ誰のかわからない荷物がたくさん積んであり、中を拭いてもいない机(イヤミ)…に案内してもらい、そこで待機して、必要なプリントをもらったり、こちらから関係の先生を捜し出して訪ねたり…。 一緒に同じ学年の社会科を持つ『一番肝心な人』の午前の授業が目一杯なので、休み時間ごとにアタック…簡単には話が終わらないのでチャイムが鳴ると中断…ということはまた1時間他のことをして待つしかない。やることはいっぱいあるからいいのだが、全体でまだ紹介もされていない人(私)が職員室にずっと居座るのもいかがなものか? そのうち、教頭が仮の時間割を持ってきてくれた。「そうそうこれこれ、いるよなあ」と思いながら口では「ありがとうございます」。 見て、がく然! 枠は確かに、指定したとおりの場所に入っている。しかし書いてある学年が聞いていたのと違うのだ。 私 「えっ、一年生って聞いてましたけど?」 教頭 「えっ、そうでしたか。すみません、お願いしたいのは二年生なんです…。」 なんだか申し訳なさそうに言うし、まあしょうがないか、こっちも仕事だからいいか…なんて思っていたが、時々職員室に来る二年生男子とかの様子を見ると…うーんえらく大変そうだぞという感じ。 考えてみれば、初々しい一年生だから、大変そうなここの学校でも一年限りならと思いOKを出したのだから、電話でちゃんと伝え聞いていれば断った可能性だって少しはあったのだ。持ち上がって2年生を持つのと、横から入って持つのとでは全然違う。こりゃ、重大な連絡ミスだ。 そんなことを思いながら、副教材を見に他の場所に行く。その後、さっきの『肝心な人』と少し打ち合わせをして自分の受け持つ内容がやっとわかる。2年生の地理のみで(私は本当は歴史が得意だが)、残っている単元も普通の順番じゃない。昨年度の人が変な順番でつまみ食いをしたその尻ぬぐいの感あり。 それ以外にも2年と3年の選択授業を受け持つからその準備のために、いろいろな先生に話を聞いたりした。基礎と発展に分かれているようなのだが、私の受け持つのは2年が基礎と発展1時間ずつ、3年が基礎2時間。これも当初聞いたのと内訳が違う。3年が発展2時間と聞いていたから、もし「基礎をやり直すために問題集をやる」とかが基礎コースの定番でも、発展コースで自分のやりたい「社会福祉」をテーマにした選択授業ができる気になっていた。 内訳が違っても、まあ1時間だけ残るから、それでもいいかな…と思っていたら、最後の灯火も消えた。 「なぜ、同じ教科の先生が常に二人入っているのか」と思いきや、同じコースを同じ内容で開設して、2つに分けたり合同にしたり習熟度別にしたり、全教科でそんな選択授業らしいのだ。そうなっているのは基礎も発展も同じで、結局どちらも「受験対策」的な内容や使う問題集が決まっていて、年間計画として出されていて、もう何年もそうやっているそうなのだ。 そんなの今さら自分だけ変えられるわけがない。 今回の仕事、別に俺じゃなくてもいいじゃん…。 なんだか、脱力…。頼まれたとき、電話で教頭に「選択授業は、こちらでやりたい内容ができるのですか?」と聞いた時に「そう思います」と言ってたくせに…。 彼は、本当に現場のことを何も知らなくて選択授業についてそう語り、さらに私が入る学年まで間違えていたのなら、そうとうなダメ管理職である…。 一方、もう一つ可能性があるのは、わかっていてしらばっくれていること。いわゆる「はめた」というやつだ。どうやら、1年生にも講師が入るらしいのだ。もしかしたら、そちらの人がやりやすいよう配慮して1年生にして、近隣のライバル校(ケンカのね)にも長くいて少々のことはなんとかするだろうと勝手に思った私を急きょ2年生に回したのではないか…。時間割を見ていると、なんだかそうするために「学年の時間」とかを動かした形跡があり、なんだかとても怪しいのだ。 もしそうだとすれば、今度はとてもいやなことを平気でするヤツであり、やはりダメな管理職である…。 なんだか腹も立ってきたし、待ちくたびれたし、「あー、もう話全然違うし、やーめた!」と言い出しそうな衝動を抑えてくれたのは、時々かまいに来てくれる、H中の時の同僚で体育のTさん(昔2年7組)。なれた人とちょっと会話するとまあ少しは気も晴れる。こっちもこの話を今から断ってまた探すのも大変だし、一度その気になったし、どうせ今年は厄年だし、久しぶりに今年は少し苦労しようと思っていたし、もういいか!という気になった。その上、社会科の先生の中には18年くらい前の講師時代にお世話になった方もおり、さらに2学年に野球部時代のライバル校(といってもこっちは一度も勝っていないが)の監督がいたり、いろいろ知ってる人もいるから「まあいいか、今回に限り許してやる」ということになったのである。 そして帰りに書類をとりに事務室に寄ったのだが、用事で校内のどこかに出ているらしくてなかなか戻らない。慣れてないからこちらから探しようがない。廊下で立って、他の書類でも読んで待っていたのだが、気分的にはなんだかおもしろくない。 そんな時に声をかけてくれた人がいた。 となりの部屋で卒業生?の相手をしていた「不登校生のための相談室?」の先生だ。さすがそういう人の心の動きをつかむのがうまいのか、私の心の乱れを察してか(笑)、「よかったら、こっちの部屋でお待ちになりませんか?」と声をかけてくれた。 教師じゃない人はこんなに気遣いができるんだなあ…と自戒も込めて感心・感激。 何か話していて、落ち着くオーラを出していた。こういう方が校内の一角でヤンキーの子や不登校の子に寄り添っている学校なら何か学ぶこともあるかな…と少しやる気になって帰ったのであった。 私も学校に行きたくなくなったらこの部屋に出勤しよう! 別にこれを使うわけではありませんが、アフィリエイトがこれしか見つからなかったので、ムードを出すために載せました…。
2007/04/11
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今日は出勤して授業の準備をした後、隣町のF市で昼食を食べた。F市は米軍基地があり、結構国際的な街である。 ひとりで回転寿司の店に入った。 L字型の長いカウンター席だった。 私はその角の席に案内されたのだが、一列15人くらいみんな迷彩服のARMYだ! 寿司屋なのに前方はみなアメリカ人、しかもみんな軍服…いくら国際的な街とはいえ、かなり驚きの光景だ。 私の座った席は、L字カウンターの短い方の日本チーム(6人くらい)の最前線だ! 私に近い方から4名は女性隊員。 ヒスパニック系の人、アジア系の人、アンジェラ・アキ風だけど性別の判断に悩む人…など多彩だが、なぜか全員ちょっと太め。 いや結構太め。訓練は意外に厳しくないのか? 端の二人は特によくしゃべる。わけのわからないことばをしゃべりながら(英語だよ!)、スシの皿を重ねていく。 もう少し静かなら、「日本のスシはどうですか?」 なんて国際交流も生まれるのだが、こりゃとりつくシマもないので、黙って「スシのなんたるか」を見せるしかない!? なんたるかの前に、まず皿の色の確認が大事だ。もちろん、伊万里か有田かの確認ではなく、どの色がいくらなのかの暗記…店内には一部(赤・紫・緑)しか書いていないので、メニュー表でしっかりと見た。 赤(100)・紫(150)はOK。緑(250)はどうしても欲しいとき、ちょっとなら…。いいのが流れてくるけど値段がわからなくて躊躇した黄色の皿は200円という新しくできた区分であることも判明。それ以外の金色とか銀色とかの皿は「禁止」だ。 欲しいけど我慢するのではない。高いお皿のものは、回ってきても、「最初から興味がないようなそぶりを見せる」…これがスシのなんたるかだ! 最初の一皿に紫皿のハマチ系の魚をとる。 案の定、私の手元に熱視線が送られている。やはり、彼女たちは、この日本男児がどんなものを頼むのか、日本文化のなんたるかに注目しているらしい?! そんな注目の中、次々と(いや本当はじっくり悩むからなかなかとらない)数皿を食べた後、握り職人さんが、「ハイ、本日おすすめの『中トロ中落ち軍艦巻き』! 限定品!」と言いながら数皿を置いた。 さすがは軍人(陸軍っぽいけど)、『軍艦』ということばに反応している。 そんな反応よりも素早く、紫色の皿であることを確認し、さっと手に取った私の行動に、隊員たちも反応。 残りの皿が回るところに近づいて、じっと軍艦巻きを見つめていたが、にらまれたまま、軍艦数隻(お皿)は流れていった。 米軍の監視下に置かれた日本艦隊…見逃してやるといったところか。 さて、こちらも、なんだそれはというようなものを見せつけたくて、「しめさば」を注文。 しかし、もう興味なさそう。 女性隊員たちは、特注の『カリフォルニアロール』 数人分が届きそれを熱心に食べていた。 へえ、あれがそうなのか…とこっちの方が興味を持って見てしまった。 メニューに「カリフォルニアロール」の小皿はあるが、そんな大きいのはのっていないぞ。 お前ら、明らかに『通』な『常連』客だな! 写真は本文と本当は関係ありません…。
2007/04/10
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入学式の裏枠で、今日まで休めた。最後の日は意地でも何か仕事じゃないことを…ということで、映画を観に行った。 ちょうどいい時間帯にあったのでこれだけだったので、「もう数年前(流行る前)に小説を読んでいるから映画を見たくない」と思っていた「バッテリー」を観た。 平日の朝一番では、お客は10人もいなかった…。 ストーリーはわかってるから途中でトイレに行っても悔いなし…くらいに思っていたのだが、何ともすばらしく引きつけられた。 映し出される情景が、自分が読んだときに頭に描いたものを、裏切るのではなく、より豊かにしてくれる。 さらに、野球部の生徒たちのイメージも、なんだかよく見つけてきましたという感じで、すんなり入った。よくある、小説から映画になったときの違和感が、私には全くなかった。 気持ちいいのは、エースのフォームがちゃんとしていること。実写版の野球ものって、「あれじゃあ、いい球は投げれないよ」とか「あのスイングじゃホームランってことはないでしょう」ということが多々あるのに、そういうことも気にせずに観られた。 いくら何でも、巧役の俳優があんな剛速球は投げないと思うが、映画を観ている間は「投げても不思議じゃない」気がしたからたいしたものだ。(一応私も10年間の中学野球指導者ですからだまされにくい人の部類なはず) で、「前に小説を読んだ」はずなのに、結構感動してしまった。ちょっと泣きそうになった(笑)。 野球に興味がない方、ルール知らない方にもお勧めの映画です。
2007/04/09
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もう昨年だが「硫黄島からの手紙」を劇場で見たことを記事に書いた。 そして、関連するDVDを今日自宅で見た。 流れからすると次に見るのは「父親たちの星条旗」であることがとても自然なのだが、そこはやはりひねくれてしまい、今回見たのは「硫黄島の砂」(1949年 アメリカ モノクロ)なのだ。 なぜこれかと問われれば、答えは簡単、500円で販売していたからだ(笑)。 内容は、日本人のことなんて人としてとらえていないけど、主役側(アメリカ軍)の人たちの戦場でのヒューマニズムが描かれていてなかなかおもしろかった。 モノクロでなければ正視できないくらいの生々しい戦場の様子。 何が恐怖をかき立てるかというと、アメリカ軍が攻めていく向こう側に、二宮君(硫黄島からの手紙の)たちの姿が見えてしまうことだ。想像力っていうのも、時にはない方が楽だ…。 たぶん、戦争の中で心をなくしていくこと…っていうのは、恐怖から離れるために、自分が死ぬかも知れないことも向こうの敵にも命があることを忘れて、ただ戦うことなんだな…と思えた。ただのマシーンになった方が自分は楽になれるから。そしてその一つ一つの積み重ねが「命令する人」…その上の「命令する人」さらにその上の「命令する人」となっていけば、自分は死なない楽な立場で戦いを続けられるのだろう。そしてたくさんの犠牲を出し続ける…。 そんな戦争ですら美しいと勘違いするような人たちが、主導して教育改革を発表したり、知事になったりした今日、そら恐ろしく思ったのだった。ジョン・ウェイン主演でした。
2007/04/08
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私には3人の祖父がいる。ちなみに2人の祖母は2006年に立て続けに亡くなった。 祖父は一人だけ健在で、本当の意味で私が「おじいちゃん」としての思い出を持っているのは、その本当は血のつながりのない祖父だけである。 ぜいたく…といえるようなことの初体験はたいてい祖父がらみだった。初うな重、初にぎりずし、初ビーフステーキなど…結局我が家がケチだったということだが(笑)。 今でも私にとって大切な(でも日頃全然連絡していない)人だし、ぜひ長生きして欲しい。 さて、他の二人は私が生まれる前と生まれて1年以内に他界している。 母方の祖父は、戦争で兵士として死んだ。実は子どもの頃、ひいばあちゃん(その祖父の母)のうちに飾ってある数枚の写真の中でいつもその若い人の写真だけがなにか気になっていた。当時何回、「あの人は誰?」と私は聞いたことだろう。 今も生きている祖父が本当の祖父ということになっていたから(今もご本人にはそうしている。変に誤解を受けても困るので。実の祖父以上に「おじいちゃん」であることはゆるぎないが)、まわりのみんなは結構答えに困っていたのを覚えている。なにせ祖父が死んだのは母が赤ん坊の頃のことだし。 頭を撃たれて、それを押さえた日本手ぬぐいがお骨と一緒に届けられたなんて話を聞いたことがあったのだが、それさえ一度も見ぬまま、曾祖母から祖母に引き継がれ、もう祖母の遺品として処分してしまったらしい(たぶん)。 子孫の社会科教師としては「生きた教材」(死んでるけど…)として使うことを許されたかも知れない…。 3月25日の下関帰省の記事の写真に、手前にお墓が大きく写っていて、そこに「なんだこれは?」という文字が書いてあるのに気づいた方もいらっしゃるのではないかと思う。 時代だなあと思うのだが、まだ戦時中だったので、墓にもこんなことばが刻まれていた。 「支那事変に参加 安達部隊 竹田(鼎?)部隊 宮井隊に属し 昭和16年6月5日 中華民国山西省河津県魏家院北側の戦いに於いて戦死す 行年24歳 陸軍大佐 吉田栄治の書」 実は母の適当な記憶により、ずっと何年も南方の島で散ったと思っていたのだがこの記述だとそれこそ「南京陥落」いわゆる「南京大虐殺」とかあのあたりの可能性もあるのだ…。 当時、どんな気持ちでどんな暮らしをしていたのか、知りたい気持ちもあるが、残念ながらこの部隊の記録は「インターネット」ではヒットしない。もしかしたら書いてくれた方の記憶違いで何かが違うか、実在しない適当な情報が伝えられたのか…。 それにしても、24歳…。「おじいちゃん」というにはちょっときびしい。 でもおかげで自分の生があることにただ感謝。
2007/04/06
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Sはこの春(っていうか明日)から小学校の特学の3年生になる。 だが、よく面倒を見てくれる6年生のお兄さんたち3人(同じクラス)とともに今年度いっぱいで卒業の予定だ。 来年度(って1年後)から、少し遠く(でも同じ市内)にある養護学校に転校することにした。 本人の学習状態(集団のことよりも身辺自立も含めた個別指導が早期に必要)、まわりの様子(6年が出ると一気に低学年化と少人数化が進む)、そして執拗な市教委・校長の薦め(向こうはS個人のことより単に適正就学にもどさせたい)などから判断してこのことを決めて、昨年度末に、家庭の意向として伝えていた。 結構、昨年度あたりからそう思い始めていたけど、「代わった方がいいと思います」ってお上に言われると反射的に「いやです」と言っていたのだが(笑)、自分たちの意志で「代わろう」と思い始めるといい点ばかり見えてくる。 このタイミング(小4の学年はじめ)だと、幼3年・小特3年・小養3年・中養3年…と本人にとっても区切りがよかったり、今年給食交流に行くクラスも、向こうはクラス替えがないタイミングなので、校内の交流から校外の副籍交流にスムーズに移行できる…など。 また後1年ってことで、通常級の交流や特学での学習に、先生たちも今以上に気合いが入るかも…。 そして、すごく助けてくれている先生お二人…養護の先生と特学のお一方が来年度はもう異動するだろうという内部情報も含めて、ちょうどここらで…と決めたのであった。 もちろん、また就学相談に図ったりするし、養護学校の先生から強い反対(笑)があったりするとわからないが、すでに昨年度授業参観したり交流行事に参加したりしてクラスの様子も見ているのだが、向こうもなかなかいい感じだ。ただ今年、学年が変わってどんな先生が養護学校の中学年担任か…これは重大であるが。 さて、世の中というのは不思議だなあ…と思うのは、養護学校の情報がたくさん欲しい今年…何人も知り合いがそこに吸い込まれて(笑)いった。 ひとりは、今年他の小学校から転入する女の子のお母さんが、妻の中学時代の同級生。ややこしいけど私の教え子の母(その子の兄を教えた)でもある。 二人目は、昨年度C中学校の特学で一緒に働いていた人(そしてすごく力のあるおだやかな若い先生)の、臨時採用教員として決まった勤務先がその養護学校。そうなるといいなとは思ったが見事ビンゴ! そのまま採用試験に通って残ってくれるといいなあ。 さらに三人目は、教員の異動発表の新聞を見て発見した。かなりびっくりした。 私の大学時代のピアノ(ロック系)の師匠でもあるSっ子さんがこの春から来るようだ! よく考えたらもともと大学でも特殊教育(今はもう特別支援教育?)の専門課程だったし、バンド引退後ずっと養護学校一筋だったのだからなんとも心強い存在になりそうだ。 でももう15年近く音沙汰なし…にこちらがしていたので急に電話かけるのもなんだし、たぶん校内でばったりあって、「あれえ、なにしてんのお?」なんてことになるのだろう。 「今日、なんか演奏でもするのー?」という感じで…。 私がその後、教師や自閉症児の父になってたりの情報を知らないことを考えると、なぜここにいるのかの説明に多大な時間がかかる予感がする…。ちなみにSっ子さんはかなり天然系楽しい方なのである。ピアノやオルガンを弾くときはすごいのに、集合写真を撮ろうと並ぶとなぜか間違えて後ろ向きになっているような先輩である…。 それにしてもあのピアノを養護学校のイベントとかでまた聴けるかも知れないと思うとわくわくする。でもたぶん、Sは、耳をふさいで飛び跳ねたりするのだろうが(笑)。 ついでに、その学校の100人以上の教師の中、いい先生としてマークしている小学部の3人のお名前は「転勤していく人」の方にはなかった。来年度はわからないがとりあえず一安心だ。 ということで、今年1年間Sが楽しく過ごして成長するよう祈りながら、来年度の準備も着々と進めるのであった。
2007/04/05
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昨日のカレーライスは一口で終わり、やはりカレーシチューとなった。 本日4月4日の朝は、買っておいた「鮭がゆ」と目玉焼き。ほうれん草のような野菜も少し食べた。 昼は外出していたので何を食べるのか悩んだが、讃岐うどんの店に。 さすがは手打ち、めんがしこしこして、コシがある(笑)。 少しずつ噛めるようになってきたのでなんとかなったが、駅前の立ち食いそばののびたヤツにしとけばよかった。 油揚げはおいしかったが、大きめのネギがかみ切れずに残した。 そして夜は、それぞれレンジで調理する「ミートドリア」(固くて失敗)と「豆のスープ」(柔らかいがまずくて失敗)と「クノールスープブラン」(おいしくて食べやすかった)を食べた。 一食ごとに「腫れをとる飲み薬」を食後飲むので、その都度少し楽になるのが楽しみだったが、薬も後1回分でおしまい。でもあの固いドリアが食べられたからもう明日からは復活かな…。 何が悲しいかって、やはり腫れにアルコールはダメだろうと、もう3日もビール一口すら飲んでない…。
2007/04/04
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歯が痛くて寝込んだ。 30日にすでに痛かったのだが、市販の歯茎の腫れをとる塗り薬を塗ったらおさまった。たまにあることだと思って気にしていなかった。 31日は、暴飲暴食! 懐かしいメンバーとの飲み会に行って、歯のことなど全く気にせずにおいしく食べて楽しく飲んだ…。 そして1日の夜…晩ご飯の時にもう痛みはあったのだが無理して食べた。そして夜中の3時半…あまりの痛みに目が覚めた。 痛いのは右下の奥歯の周辺…だけのはずだった。ところが右下全部が痛い。 さらに右あごのリンパ腺のところが腫れ上がっている。 さらに、のどまで痛くなってきた。そのうちつばを飲み込むだけでも激痛。 長い夜が明け(眠れなくならずに、そんなに痛くてもまた寝られるところが私の睡眠パワーのすごいところだ)朝が来た。 その2日の朝、歯医者に行った。ちなみにこの歯医者は、H中にいた頃、家庭訪問中に歯が痛くなりその時訪問していた家の保護者の紹介でそのまま駆け込んで以来ずっと気に入っている歯医者さんだ。自宅からは遠いけど職場に近くて夜8時までやっているから使っていたのだが、遠くなってからはもう行かないだろうと思っていた。 しかし、この4月から新たに講師に入るS中のそばにあり、そんなことからもまたここにお世話になることにした。 月曜日だけに、朝から予約の人たちがひっきりなしに来る。 「予約なしなので時間かかりますよ」と言われてはいたが先生は3人もいるのですぐに来ると勝手に思っていた。しかし、すでに1時間30分経過。持参した漫画(スピリッツ)も読み終わってしまい、気も紛れなくなった。 待合室のテレビでは、知らない韓流ドラマをやっているのだが、歯の痛みからか誰を見てもチャン・ドンゴンに見えてしまい全くストーリーがわからない。 これまた持参した「お茶を凍らせたペットボトル」で右頬を冷やしながら、意識は遠のき、時々涙を流しながらも、「早くしろよこの野郎…」と危険なオーラを出していた。 名前を呼ばれて中に入っていく人たちは、なんだか申し訳なさそうに私に会釈していく?ように見えた。 9時半に来て(10時診療開始)やっと11時半くらいに名前を呼ばれた。 このときすでにのどは完全につぶれていて、「わらGさーん」と呼ばれて、明るく「はーい」と言ったつもりだったが、かすれた弱々しい声が、なんともうらみがましく響いた。 ちなみにこの右下部分、以前に親知らずの手術を口腔外科で行った場所。真横に倒れて生えていたのでこちらの歯科から紹介されてよその大きな病院で抜いたのだった。 以前とったレントゲンを見ながら、「また撮ります」ということになったのだが、少なくとも親知らずじゃないことはわかった。そうなると治療済みだけどすっかり古い詰め物の奥で虫歯が進行しているのか? 診察の結果、「特に右側の歯茎が弱っていて、歯槽膿漏に向かって進行している。今回はたまたまばい菌が入ってそれをやっつけようと血液が集まって腫れて、でも倒しきれずにばい菌がどんどん広がって、右側全体、リンパ、のど…と来たのかも知れません。」とのことだった。 その場では直接の消毒と薬を患部に塗ってもらって終了。少し血が出たせいか少しは楽になったがまだ腫れまくり。 出してもらった薬は、化膿を抑える抗生物質と痛み止めでともに飲み薬。治療のためには「化膿を抑える抗生物質」を飲まなければいけないのだが、これは食後飲むようになっている。 さて困った。早く薬は飲みたいが、何かを食べられる状況ではない。右側は頬が腫れていたせいですでに頬の内側をかんでしまって切れているのでうまくかめないのだ。もちろん左側だけでかもうとするのだがそれでも右頬の内側に歯が当たって痛い。 歯医者のそばのスーパーマーケットで「やわらかいもの」探しをしながらさまよい、「なすの上にピザソースとマヨネーズがのっているおかず」と「だし巻き卵」と「杏仁豆腐」を買った。 意外と「なすのピザもどき」は食べやすく、逆に「だし巻き卵」が堅く感じた。 杏仁豆腐は、かまずに、歯を閉じたまま隙間からチュルチュル食べられる(小学生がよくプリンでやるヤツ)のでよかった。 こうして最初の昼食が終わり、最初の薬が飲めた。 午後は家に帰って再び寝込む。夕ご飯は、こんな時に限って何も知らない義母がでっかいトンカツとかを買ってくるのだろう…と予想し、自分でインスタントクリームシチューを買っておいたのだが、珍しく、カレーライスかクリームシチュー(カレー嫌いの妻用)というすばらしいメニューであった。 妻用のクリームシチューをもらい、自分用のカレーをご飯なしでカレーシチューとして飲んだ。ここまで柔らかくても具がかめないのだ。ジャガイモOK(新じゃがでとけていたからかも)、にんじんぎりぎり、肉アウト。 そして2回目の薬を飲み寝ようとする。その際にまだ熱い頬を保冷剤で冷やす。いつの間にか、体温も37度7分までなっていた。 ところがじゃまするヤツがいる。2階に上がってきた自閉症児Sである。 いつもと違うものがあるととりあえず排除したいようなので、私の頬からその保冷剤を引き離したい。 横になりながらも、奪い合いをしていたのでは落ち着いて休めない。 とられないながらも、頬からはなされた状態になると、よく冷えた私の頬になぜか「ピシッ」とデコピンをお見舞いしていく。なんだその攻撃は…。 そのうち戦いに敗れ、とられてしまうと、しばらく自分がさわった後に、「うー」とか言いながら返してくる。今度は「しっかり頬につけておけ」と言わんばかりだ。 その繰り返しのうちにそのうちあきるだろうと思ったが、「もうなくてもいいや」と私が思う方が早かった。ほんと、しつこい。 3日朝は同じくカレーシチュー。 3日昼は、パンが中に入っているインスタントのシチューを2つ。 こうなってくると、ダイエットに良さそうだな…と思っていたのだが…、噛めないなら噛めないなりに甘いデザートを一生懸命探して買ってしまう自分が少し情けない。 すうだけで食べられるデザート「フルーチェ」と、「水ようかん」を買って食べた。 さて、晩ご飯、これから残りのカレーに挑戦するが、「カレーライス」となるのか「カレーシチュー」となるのか? ちなみに、さすがは抗生物質、日頃風邪薬も飲まない体にはよく効くのか、飲むたび、寝るたびに腫れがひいてきているのであった。それにしても前日の発熱は「薬への抵抗?」だったのだろうか。
2007/04/03
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